<用語の説明>
本明細書において、「下限数値〜上限数値」とは、下限数値以上かつ上限数値以下の範囲内にあることを意味するものである。
本明細書では、「ポリヌクレオチド」とは、プリンまたはピリミジンが糖にβ−N−グリコシド結合したヌクレオシドのリン酸エステル(ATP、GTP、CTP、UTP;またはdATP、dGTP、dCTP、dTTP)が2個以上結合した分子を意味する。ポリヌクレオチドと他のポリヌクレオチドが「機能的に連結されている」とは、各々のポリヌクレオチドが有する機能が損なわれることなく、しかも連結によって所望の機能が発揮しうる状態が確保されている状態を意味する。具体的には、一方のポリヌクレオチドの3'端ヌクレオチドと他方のポリヌクレオチドの5'端ヌクレオチドが直接、または他のリンカー配列を介して結合している状態をいう。
本明細書では、「蛋白質」とは、アミド結合(ペプチド結合)によって互いに結合した複数個のアミノ酸残基から構成された分子を意味し、「組換蛋白質」とは、遺伝子工学的に製造されるタンパク質を意味する。
本明細書において、「糖蛋白質」とは、通常の糖蛋白質(glycoprotein)を意味し、蛋白質を構成するアミノ酸の一部に糖鎖が結合したものである。動物においては、細胞表面や細胞外に分泌されているタンパク質のほとんどが糖蛋白質であるといわれている。蛋白質のアミノ酸の修飾では、アスパラギンに結合したもの(N結合型)とセリンやスレオニンに結合したもの(O結合型、ムチン型)の2種類が頻繁に観察される。
糖タンパク質に結合している糖鎖を成す糖の種類はそれほど多くなく、よく見られるものは、グルコース、ガラクトース、マンノース、フコース、N−アセチルグルコサミン、N−アセチルガラクトサミン、N−アセチルノイラミン酸、キシロースなど7〜8種程度である。構造様式もある程度限られており、その中のわずかな構造の違いが識別され、精密に認識されて様々な生命現象が制御されている。
本明細書において、「抗体」とは、通常の抗体(antibody)を意味し、リンパ球のうちB細胞の産生する糖タンパク分子で、特定のタンパク質などの分子(抗原)を認識して結合する働きをもつ。なお、「抗体」という名は抗原に結合するという機能を重視した名称で、物質としては免疫グロブリン(immunoglobulin)と呼ばれ、「Ig(アイジー)」と略される。すべての抗体は免疫グロブリンであり、血漿中のγ(ガンマ)グロブリンにあたる。
抗体は定常領域の構造の違いにより、いくつかのクラス(アイソタイプ)に分けられる。哺乳類では、定常領域の構造の違いによりIgG、IgA、IgM、IgD、IgEの5種類のクラスの免疫グロブリンに分類される。ヒトの場合、IgGにはIgG1〜IgG4の4つのサブクラスが、IgAにはIgA1とIgA2の2つのサブクラスがあり、それぞれ少しずつ構造が異なっている。IgM、IgD、IgEにはサブクラスはない。なお、本明細書では、「抗体」とは、上述のクラス・サブクラスの総称を意味し、それらのFab、F(ab')2などの抗体断片であってもよく、さらにマウス抗体、キメラ抗体、ヒト化抗体、ヒト型抗体などが含まれる。
本明細書では、「蛋白質をコードする遺伝子」とは、蛋白質をコードする領域(open reading frame: ORF)を含むポリヌクレオチドであり、例えば蛋白質遺伝子のcDNAである。「遺伝子プロモーター領域」とは、タンパク質をコードする遺伝子領域の転写開始点から上流域に存在する転写を開始させるために必須な配列を含む領域であって、一般に「プロモーター領域」および「エンハンサー領域」と言われる領域を言う。そのため、「抗体のH鎖をコードする遺伝子」または、「抗体のL鎖をコードする遺伝子」とは、抗体のH鎖またはL鎖をコードする領域(open reading frame: ORF)を含むポリヌクレオチドであり、例えばこれらをコードする遺伝子のcDNAである。
本明細書では、「フコース」とは、通常のフコース(fucose)を意味し、デオキシ糖の一種である6−デオキシ−ガラクトースで、化学式はC6H12O5、分子量164.16、融点163℃、比旋光度−76゜で六炭糖、単糖に分類される。天然にはL型がL−フコシドの形で、動植物に幅広く存在する。哺乳動物および植物では細胞表面のN結合糖鎖上で見つかる。
本明細書では、「N−アセチルグルコサミン」とは、通常のN−アセチルグルコサミン(N−アセチル−D−グルコサミン、GlcNAc、NAG)を意味し、グルコースから誘導された単糖で、いくつかの生化学的機構にとって重要な物質である。化学的にはこの物質はグルコサミンと酢酸の間のアミドである。N−アセチルグルコサミンは、哺乳動物においては、糖タンパク質、ヒアルロン酸などグリコサミノグリカン(ムコ多糖)の成分となっている。N−アセチルグルコサミンは、アスパラギンにマンノースを中心とするオリゴ糖鎖が結合するN結合型糖タンパク質の骨格をなすほか(キトビオース構造)、更に複雑構造を持つ糖鎖の主要構成糖である。
本明細書では、「ガラクトース」とは、通常のガラクトース(Galactose)を意味し、分子式、分子量はグルコースと同じC6H12O6、180である。立体配置は2位(Fischer投影式で上から2番目)、5位の−OHが同じ方向3位、4位が反対方向であり、D−ガラクトースは5位D−グリセルアルデヒドと同じ配向をもっている。グルコースの4−エピマーである。天然ではD−ガラクトースがほとんどである。
本明細書では、「βガラクトース転移酵素」とは、通常のβ−ガラクトース転移酵素(β−GalT)を意味し、UDP−GalからGalを糖鎖末端のGlcNAc残基に転移することでGalβ1→3/4GlcNAcという構造を形成する酵素である。なお、最近になって、これまでに知られていないβ−1,4−GalTやβ−1,3−GalTをコードする遺伝子が次々にクローニングされ、これらもそれぞれファミリーを形成していることが明らかになっている。例えば、ヒトβ−1,4−GalT遺伝子は、糖転移酵素間に見られるアミノ酸配列のホモロジーや遺伝子バンクに登録された遺伝子断片の配列情報を利用してクローニングされており、それらはβ−1,4−GalT Iとアミノ酸配列で55,44,41,37,33%のホモロジーを持っていたので、ホモロジーの順番に従ってβ−1,4−GalT II,III,IV,V,VIと命名されている。本明細書における「βガラクトース転移酵素」には、これらのすべてのβ−1,4−GalTやβ−1,3−GalTが含まれるものとする。
本明細書では、「N−アセチルグルコサミン転移酵素」とは、通常のN−アセチルグルコサミン転移酵素(GnT)を意味し、N−アセチルグルコサミン転移酵素I,II,III,IV,V,VI(GnT−I,II,III,IV,V,VI)が知られている。これらの中でも、N型糖鎖の高分岐化に関しては、N−アセチルグルコサミン転移酵素III,IV,V,VI(GnT−III,IV,V,VI)が分岐構造のコアとなる部分を決定するため、これらの酵素の活性化制御が全体の糖鎖構造の変化をきたすとされている。一方、N−アセチルグルコサミン転移酵素I,II(GnT−I,II)は、基本となるコア構造の決定に重要な意味をもつとされている。本明細書における「N−アセチルグルコサミン転移酵素」には、これらのすべてのN−アセチルグルコサミン転移酵素I,II,III,IV,V,VIが含まれるものとする。
本明細書において、「昆虫」とは、通常の意味の昆虫(Insect)を意味し、昆虫綱(Insecta)に分類される生物の総称であるものとする。
本明細書において、「鱗翅目」とは、通常の意味の鱗翅目(Lepidoptera)を意味し、チョウ目またはガ目とも呼ばれる昆虫類の分類群の一つであるものとする。成虫の体表が鱗粉や毛で覆われることから「鱗翅目」の名がある。なお、成長段階は、卵、幼虫、蛹、成虫という完全変態をおこなう。幼虫は円筒形で柔らかい体を持ち、胸部の歩脚は短く、腹部にはイボ足をもつ。本明細書において、鱗翅目の昆虫には、成虫のみではなく、当然に卵、幼虫、蛹の段階のものも含まれるものとする。
本明細書において、「カイコ」とは、通常の意味のカイコ(蚕)を意味し、チョウ目(鱗翅目)・カイコガ科に属する昆虫の一種であるものとする。正式和名はカイコガで、カイコはこの幼虫の名称だが、一般的にはこの種全般をも指す。クワ(桑)を食餌とし、絹を産生して蛹の繭を作る。カイコは家蚕(かさん)とも呼ばれ、野生に生息する昆虫ではない。カイコの祖先は東アジアに生息するクワコ(Bombyx mandarina)であると考えられている。カイコとクワコは学問的には別種とされるが、これらの雑種は生殖能力をもつ。本明細書では、カイコには、クワコが含まれるものとする。
本明細書において、「絹糸腺」とは、熟蚕の体内に存在する左右1対の器官であり、クワの葉から摂取した多量のタンパク質(アミノ酸)を2種類の絹タンパク質(フィブロイン、セリシン)に変える器官を意味する。絹糸腺は左右一対となっており、マユ糸の原料となる液状絹を分泌する。絹糸腺は、後部絹糸腺、中部絹糸腺、前部絹糸腺の3つの部分に分けられる。
後部絹糸腺とは、最後部にある細長い部分で、伸ばすと約20cmになる。ここでは後にマユ糸の中心となるフィブロインタンパク質を合成する。
中部絹糸腺とは、中央部分にあるS字に曲がった太い部分で、伸ばすと約6cmになる。後部絹糸腺から送られてきたフィブロインタンパク質を濃縮して蓄え、繊維にしやすい形に整える。またもうひとつの絹タンパク質であるセリシンも分泌する。マユ糸を吐きだすとき、フィブロインタンパク質をまとめる接着剤の役割をする。
前部絹糸腺とは、長さは約4cmの吐糸口につながる細い管で、先に行くほど細くなる。液状のフィブロインタンパク質の分子が引き伸ばされて一定方向に揃えられ、互いに集合することでさらに水分が除かれる。管の先端でもう一対の管と一本に合流し、吐糸口から吐きだされて一本のマユ糸になる。
カイコは5齢の終わり頃にクワを食べるのをやめる(熟蚕)。熟蚕の体の中は、マユ糸の原料となる水飴のような液(液状絹)をため込んだ一対の器官(絹糸腺)でいっぱいになっている。絹糸腺は、細い吐糸管をつうじてカイコの口元にある吐糸口につながっている。液状絹は細い吐糸管を通ることで引き伸ばされて固まり、マユ糸となる。さらには、幼虫が吐糸管から吐きだした糸を近くのものに貼りつけ、頭と胸を8の字状に動かし、引っぱるという一連の運動で、マユ糸は次々と絹糸腺から引きだされるのである。
本明細書において、「フィブロイン」とは、繭糸の約75%を占める繊維状のタンパク質であり、絹の原料である。光沢があってしなやかで、水やアルカリ液でも溶けない性質がある。1本のフィブロイン繊維は約2,000本のフィブリルでできており、フィブリルはさらに直径10万分の1mmという微細なミクロフィブリルからできている。
本明細書において、「セリシン」とは、繭糸の約25%を占めるタンパク質であり、2本のフィブロイン繊維を結びつけ、マユをつくるための接着剤の役割を果たすが、水に溶けやすい。
本明細書におけるその他の用語や概念は、発明の実施形態の説明や実施例において詳しく規定する。またこの発明を実施するために使用する様々な技術は、特にその出典を明示した技術を除いては、公知の文献等に基づいて当業者であれば容易かつ確実に実施可能である。例えば、遺伝子工学および分子生物学的技術はSambrook and Maniatis, in Molecular Cloning-A Laboratory Manual, Cold Spring Harbor Laboratory Press, New York, 1989; Ausubel, F. M. et al., Current Protocols in Molecular Biology, John Wiley & Sons, New York, N.Y, 1995等に記載されている。
<発明の経緯>
本発明者等の所属するネオシルク社は、トランスジェニックカイコ(TGカイコ)を組換えタンパク質の生産に用いる技術を開発済みである。その主要な特徴として以下の3点が挙げられる。
(1)宿主はカイコ由来の培養細胞ではなく昆虫であるカイコの個体(またはカイコの個体内に含まれる体細胞)である。
(2)バキュロウイルス等によるものではなくトランスジェニック技術による遺伝子導入法である。
(3)セリシンプロモーターまたはフィブロインプロモーターによって目的タンパク質の発現が制御される為絹糸腺特異的に、ひいてはカイコが作成する繭のなかに発現させることができる。
しかしながら、既述のように、ネオシルク社としては、組換えタンパク質を絹糸の構成成分として分泌するトランスジェニックカイコを創り出すこと自体は成功しているが、従来の知見では、カイコで生産されるタンパク質には糖鎖が付加されるものの、この糖鎖の構造は哺乳動物が合成するタンパク質と同じではないと考えられている。そのため、この糖鎖の構造がカイコで糖タンパク質製剤を生産する際の問題点であった。また、仮にカイコ細胞またはカイコ個体の遺伝子改変を行ってこの問題を解決するにしても、糖鎖改変に必要な糖転移酵素を選択するためには、やはりカイコで付加された糖鎖の構造を調べることが必要であった。
そこで、本発明者等は、後述の実施例で説明するように、上記のネオシルク社における常法によるトランスジェニックカイコに産生させたマウスIgGの糖鎖の構造解析を行ったところ、以下の結果を得た(図7)。
(1)高マンノース型および、トリマンノシルコア構造の1−3結合マンノース及び1−6結合マンノースにGlcNAcが1個または2個β1−2結合し、かつGalが結合していない二分岐型の構造を持つ。
(2)昆虫由来の糖鎖の特徴である少マンノース型構造や、還元末端のGlcNAc残基にα1−3結合するフコース(以下、1−3Fuc)も検出されず、α1−6結合フコース(以下、1−6Fuc)の付加も同様に見られなかった。
ここで、一般的にカイコを含む昆虫のN型糖鎖は以下の点が特徴である。
(1)パウチマンノース型(少マンノース型)が主でありガラクトース(以下Gal)付加及びシアル酸の付加は無い。
(2)Asnと結合しているGlcNAcにヒトを含む哺乳動物は1−6Fuc構造を持つが、昆虫ではフコースが1−6Fuc構造に加えて1−3Fuc構造もとりうる。
すなわち、トランスジェニックカイコに産生させたマウスIgGの糖鎖の構造解析を行った結果は、上述の昆虫のN型糖鎖の糖鎖構造とは全く異なる構造を有しており、従来の予想を覆す、驚くべき知見であった。
すなわち、本発明者等は、カイコ絹糸腺で合成される糖鎖には1−3Fucも1−6Fucも検出されないことにくわえて、従来の知見では、昆虫で合成される糖鎖は、マンノースを3つまたは2つもつ糖鎖が大半であると言われていたが、実際には、繭から精製したIgGではマンノース5つや、GlcNAcが付いた糖鎖が多いことを見出した。
すなわち、本発明者等の行った実験によれば、バキュロウイルス発現系での主な発現組織となる組織であるカイコの脂肪体では、従来の知見どおりの結果(マンノースを3つまたは2つもつ糖鎖が大半であるという結果)が再現されたが、一方、カイコの繭では、抗体(IgG)の場合と同様な結果(マンノース5つや、GlcNAcが付いた糖鎖が多いという結果)が得られた。また、この実験結果と同様な結果が、カイコの絹糸腺の糖鎖の解析からも得られた。すなわち、本発明者等の行った実験によれば、カイコの脂肪体より、むしろCHO(Chinese Hamster Ovary:チャイニーズハムスターの卵巣)細胞の糖鎖(哺乳動物型、ヒト型)に近いことが判明した。
言い換えれば、本発明者等は、このように、カイコの絹糸腺で合成し、繭に分泌された糖蛋白質の糖鎖は、糖鎖のヒト型化(糖鎖の伸長とα1,3フコース無し)に関して非常に有利であることを見出した。このことは、従来の知見とは全く異なる予想外の結果であり、本発明者等はさらに研究を進めた。
その後、本発明者等は、βガラクトース転移酵素(GalT)およびN−アセチルグルコサミン転移酵素(GnT)を絹糸腺で発現するトランスジェニックカイコを作製し、繭タンパク質の糖鎖解析を行った。その結果は、後述するとおりであり、比率的にはまだ改善の余地があるものの、GlcNAcの先にβGalが付いた糖鎖を作ることに成功した。すなわち、こうして得られたカイコの絹糸腺で生産された糖蛋白質の糖鎖では、まだ改善の余地があるとは言え、ほぼ糖鎖のヒト型化が実現できていることになる。このように、本発明者等の完成したカイコの絹糸腺による糖蛋白質の生産方法によれば、たった1個または2個の遺伝子(βガラクトース転移酵素遺伝子のみ、または該遺伝子に加えてN−アセチルグルコサミン転移酵素遺伝子)の導入で、糖鎖のヒト型化(糖鎖の伸長とα1,3フコース無し)が達成されるわけであり、絹糸腺を発現組織として使うメリットははかりしれないと考えられる。
以下、本発明の実施の形態について詳細に説明する。
<実施形態の概要>
本実施形態によれば、糖鎖の還元末端であるN−アセチルグルコサミンにフコースが結合していないN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質の生産方法であって、昆虫の絹糸腺細胞において、糖蛋白質を発現させる工程を含む、糖蛋白質の生産方法が提供される。
この生産方法によれば、鱗翅目に分類される昆虫の絹糸腺細胞において、糖鎖の還元末端であるN−アセチルグルコサミンにフコースが結合していないN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質を効率よく発現させることができ、発現された糖蛋白質を効率よく抽出することができるので、糖鎖構造に特徴を有する糖蛋白質を、昆虫細胞を用いて、効率的に低コストで生産することができる。また、糖鎖の還元末端であるN−アセチルグルコサミンにフコースが結合していないN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質は、哺乳動物体内において低い抗原性を示すため、哺乳動物へ投与する目的において好ましい
<糖蛋白質が抗体の場合>
上述の糖蛋白質の生産方法において、上述の糖蛋白質は、糖鎖を有する抗体であることが好ましい。上述の糖蛋白質が糖鎖を有する抗体であれば、糖鎖の還元末端であるN−アセチルグルコサミンにフコースが結合していないN−グリコシド結合糖鎖を有する抗体であることによって、哺乳動物の体内におけるADCC活性が向上し、かつ抗原性が低減するという優れた効果が得られるからである。
ここで、本実施形態において、上述の抗体とは、外来抗原刺激の結果、免疫反応によって生体内に産生される蛋白質で、抗原と特異的に結合する活性を有するものであれば任意の抗体を用いることができる。抗体としては動物に抗原を免疫し、免疫動物の脾臓細胞より作製したハイブリドーマ細胞が分泌する抗体のほか、遺伝子組換え技術により作製された抗体、すなわち、抗体遺伝子を挿入した抗体発現ベクターを、宿主細胞へ導入することにより取得された抗体などがあげられる。具体的には、ハイブリドーマが生産する抗体、ヒト化抗体、ヒト抗体などをあげることができる。
ハイブリドーマとは、ヒト以外の哺乳動物に抗原を免疫して取得されたB細胞と、マウス等に由来するミエローマ細胞とを細胞融合させて得られる、所望の抗原特異性を有したモノクローナル抗体を産生する細胞を意味する。
ヒト化抗体としては、ヒト型キメラ抗体、ヒト型相補性決定領域(complementarity determining region:以下、CDRと略記する)移植抗体などがあげられる。ヒト型キメラ抗体は、ヒト以外の動物の抗体重鎖可変領域(以下、重鎖はH鎖として、可変領域はV領域としてHVまたはVHとも称す)および抗体軽鎖可変領域(以下、軽鎖はL鎖としてLVまたはVLとも称す)とヒト抗体の重鎖定常領域(以下、定常領域はC領域としてCHとも称す)およびヒト抗体の軽鎖定常領域(以下、CLとも称す)とからなる抗体を意味する。ヒト以外の動物としては、マウス、ラット、ハムスター、ラビット等、ハイブリドーマを作製することが可能であれば、いかなるものも用いることができる。
ヒト型キメラ抗体は、モノクローナル抗体を生産するハイブリドーマより、VHおよびVLをコードするcDNAを取得し、ヒト抗体CHおよびヒト抗体CLをコードする遺伝子を有する宿主細胞用発現ベクターにそれぞれ挿入してヒト型キメラ抗体発現ベクターを構築し、宿主細胞へ導入することにより発現させ、製造することができる。ヒト型キメラ抗体のCHとしては、ヒトイムノグロブリン(以下、hIgと表記する)に属すればいかなるものでもよいが、hIgGクラスのものが好適であり、更にhIgGクラスに属するhIgG1、hIgG2、hIgG3、hIgG4といったサブクラスのいずれも用いることができる。また、ヒト型キメラ抗体のCLとしては、hIgに属すればいかなるものでもよく、κクラスあるいはλクラスのものを用いることができる。
ヒト型CDR移植抗体は、ヒト以外の動物の抗体のVHおよびVLのCDRのアミノ酸配列をヒト抗体のVHおよびVLの適切な位置に移植した抗体を意味する。ヒト型CDR移植抗体は、ヒト以外の動物の抗体のVHおよびVLのCDR配列を任意のヒト抗体のVHおよびVLのCDR配列に移植したV領域をコードするcDNAを構築し、ヒト抗体のCHおよびヒト抗体のCLをコードする遺伝子を有する宿主細胞用発現ベクターにそれぞれ挿入してヒト型CDR移植抗体発現ベクターを構築し、該発現ベクターを宿主細胞へ導入することによりヒト型CDR移植抗体を発現させ、製造することができる。ヒト型CDR移植抗体のCHとしては、hIgに属すればいかなるものでもよいが、hIgGクラスのものが好適であり、更にhIgGクラスに属するhIgG1、hIgG2、hIgG3、hIgG4といったサブクラスのいずれも用いることができる。また、ヒト型CDR移植抗体のCLとしては、hIgに属すればいかなるものでもよく、κクラスあるいはλクラスのものを用いることができる。
ヒト抗体は、元来、ヒト体内に天然に存在する抗体を意味するが、最近の遺伝子工学的、細胞工学的、発生工学的な技術の進歩により作製されたヒト抗体ファージライブラリーならびにヒト抗体産生トランスジェニック動物あるいはヒト抗体産生トランスジェニック植物から得られる抗体等も含まれる。ヒト体内に存在する抗体は、例えば、ヒト末梢血リンパ球を単離し、EBウイルス等を感染させ不死化、クローニングすることにより、該抗体を産生するリンパ球を培養でき、培養物中より該抗体を精製することができる。
ヒト抗体ファージライブラリーは、ヒトB細胞から調製した抗体遺伝子をファージ遺伝子に挿入することによりFab、一本鎖抗体等の抗体断片をファージ表面に発現させたライブラリーである。該ライブラリーより、抗原を固定化した基質に対する結合活性を指標として所望の抗原結合活性を有する抗体断片を発現しているファージを回収することができる。該抗体断片は、更に遺伝子工学的手法により、2本の完全なH鎖および2本の完全なL鎖からなるヒト抗体分子へも変換することができる。
<糖鎖の構造>
上述の糖鎖は、糖鎖の結合様式により、アスパラギンと結合する糖鎖(N−グリコシド結合糖鎖という)ならびに、セリン、スレオニンなどと結合する糖鎖(0−グリコシド結合糖鎖という)の2種類に大別される。上述のN−グリコシド結合糖鎖は、様々な構造を有しているが[生物化学実験法23−糖蛋白質糖鎖研究法(学会出版センター)高橋禮子編(1989年)]、いずれの場合も下記に示す基本となる共通のコア構造を有することが好ましい。もっとも、この点は、上述の糖蛋白質が抗体ではない場合にも、同様である。
すなわち、上述の生産方法において、上述の糖蛋白質には、下記化学式(1)で示される糖鎖構造
を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質が含まれることが好ましい。
一般に、哺乳動物、昆虫をはじめとする動物における糖蛋白質の糖鎖構造はこのような共通のコア構造を有することが知られているからである。すなわち、このような糖鎖構造を有していれば、哺乳動物の体内に投与した場合に、抗原性を低減できるからである。
そして、上記の構造において、アスパラギンと結合する糖鎖の末端を還元末端、反対側を非還元末端という。還元末端のN−アセチルグルコサミンへのフコースの結合としては、α1,3結合、α1,6結合などがあげられる。
N−グリコシド結合糖鎖には、コア構造の非還元末端にマンノースのみが結合するハイマンノース型、コア構造の非還元末端側にガラクトース−N−アセチルグルコサミン(以下、Gal−GlcNAcと称す。)の枝を並行して1ないしは複数本有し、更にGal−GlcNAcの非還元末端側にシアル酸、バイセクティングのN−アセチルグルコサミンなどの構造を有するコンプレックス型、コア構造の非還元末端側にハイマンノース型とコンプレックス型の両方の枝を持つハイブリッド型などがあげられる。
本実施形態では、上述の糖蛋白質には、下記化学式(2)、(3)または(4)で示される糖鎖構造
を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質が含まれることが好ましい。
一般に、哺乳動物における糖蛋白質の糖鎖構造はこのような共通のコア構造を有することが知られているからである。すなわち、このような糖鎖構造を有していれば、哺乳動物の体内に投与した場合に、抗原性をさらに低減でき、また、糖蛋白質の安定性や生理活性などを、哺乳動物における糖蛋白質と同等にすることができるからである。
そして、上述の糖蛋白質のうち、化学式(2)、(3)または(4)で示される糖鎖構造を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質の割合が10モル%以上であることが好ましく、20モル%以上であることがより好ましく、30モル%以上であることが特に好ましい。
化学式(2)、(3)または(4)で示される糖鎖構造を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質の割合が10モル%以上、20モル%以上、または30モル%以上であれば、その糖蛋白質のN−グリコシド結合糖鎖は、通常の昆虫細胞によって生産される糖蛋白質のN−グリコシド結合糖鎖に比べて、著しくヒトをはじめとする哺乳動物の細胞で生産される糖蛋白質のN−グリコシド結合糖鎖の糖鎖構造に近似していることになり、かなりの程度いわゆる「糖鎖がヒト型化」された糖蛋白質であるということになる。そして、「糖鎖がヒト型化」された糖蛋白質であることによって、哺乳動物の体内に投与した場合に、抗原性をより低減でき、また、糖蛋白質の安定性や生理活性などを、哺乳動物における糖蛋白質と同等にすることができる。
本実施形態では、上述の糖鎖構造は、N−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質のうち、糖鎖の還元末端であるN−アセチルグルコサミンにフコースが結合している糖鎖構造を有する糖蛋白質の割合が5モル%以下である必要があり、3モル%以下であればより好ましく、1モル%以下であれば最も好ましい。なぜなら、このようにフコースが結合している糖鎖構造を有する糖蛋白質の割合が5モル%、3モル%または1モル%以下であれば、上述の糖蛋白質が抗体の場合には、哺乳動物の体内におけるADCC活性を向上することができ、上述の糖蛋白質が抗体であるか否かとは関係なく、哺乳動物の体内における抗原性を低減できるためである。
さらに、上述の糖蛋白質のうち、N−グリコシド結合糖鎖の還元末端であるN−アセチルグルコサミンにα−1,6フコースが結合している糖鎖構造を有する糖蛋白質の割合は、5モル%以下であることが好ましく、3モル%以下であればより好ましく、1モル%以下であれば最も好ましい。なぜなら、上述の糖蛋白質が糖鎖を有する抗体である場合に、この割合が5モル%、3モル%または1モル%以下であれば、その抗体が、哺乳動物細胞における通常の糖鎖構造を有する同種類の抗体に比べて、増強されたADCC活性を有することになるため、好ましいのである。
ここで、ADCC活性とは、腫瘍細胞等に結合した抗体が、抗体Fc領域とキラー細胞、ナチュラルキラー細胞、活性化されたマクロファージ等のエフェクター細胞表面上に存在するFcレセプターの結合を介してエフェクター細胞を活性化し、腫瘍細胞等を障害する活性を意味する[モノクローナル・アンティボディズ:プリンシプルズ・アンド・アプリケーションズ(Monoclonal Antibodies:Principles and Applications),Wiley−Liss,Inc.,Capter 2.1(1995)]。
さらに、上述の糖蛋白質のうち、N−グリコシド結合糖鎖の還元末端であるN−アセチルグルコサミンにα−1,3フコースが結合している糖鎖構造を有する糖蛋白質の割合は、5モル%以下であることが好ましく、3モル%以下であればより好ましく、1モル%以下であれば最も好ましい。なぜなら、この割合が5モル%、3モル%または1モル%以下であれば、昆虫細胞における通常の糖鎖構造を有する同種類の糖蛋白質に比べて、哺乳動物の生体内で低減された抗原性を有することになるからである。このような抗原性の低減は抗体以外の糖蛋白質の糖鎖構造についてもあてはまる。
そして、上述の絹糸腺細胞は、βガラクトース転移酵素を発現するように形質転換されていてもよい。そして、その場合には、上述の糖蛋白質には、下記化学式(5)、(6)または(7)で示される糖鎖構造
を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質が含まれることが好ましい。
一般に、哺乳動物における糖蛋白質の糖鎖構造の多くはこのような共通のコア構造を有することが知られているからである。すなわち、このような糖鎖構造を有していれば、哺乳動物の体内に投与した場合に、抗原性をさらに低減でき、また、糖蛋白質の安定性や生理活性などを、哺乳動物における糖蛋白質と同等にすることができるからである。
そして、上述の糖蛋白質のうち、化学式(5)、(6)または(7)で示される糖鎖構造を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質の割合が1モル%以上であることが好ましく、2モル%以上であることがより好ましく、5モル%以上であることが特に好ましい。
化学式(5)、(6)または(7)で示される糖鎖構造を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質の割合が1モル%以上、2モル%以上または5モル%以上であれば、その糖蛋白質のN−グリコシド結合糖鎖は、通常の昆虫細胞によって生産される糖蛋白質のN−グリコシド結合糖鎖に比べて、著しくヒトをはじめとする哺乳動物の細胞で生産される糖蛋白質のN−グリコシド結合糖鎖の糖鎖構造に近似していることになり、ほとんど完全にいわゆる「糖鎖がヒト型化」された糖蛋白質であるということになる。そして、「糖鎖がヒト型化」された糖蛋白質であることによって、哺乳動物の体内に投与した場合に、抗原性をより低減でき、また、糖蛋白質の安定性や生理活性などを、哺乳動物における糖蛋白質と同等にすることができる。
<糖鎖の分析方法>
上述の糖蛋白質が糖鎖を有する抗体(代表例としてIgG)である場合の糖鎖の分析方法について説明する。もっとも、上述の糖蛋白質が糖鎖を有する抗体ではない場合にも、基本的には同様の方法で糖鎖を分析することができる。
中性糖・アミノ糖組成分析
IgG糖鎖は、上記で示したように、ガラクトース、マンノース、フコースなどの中性糖、N−アセチルグルコサミンなどのアミノ糖、シアル酸などの酸性糖から構成されている。抗体の糖鎖の組成分析は、トリフルオロ酢酸等で、糖鎖の酸加水分解を行うことにより、中性糖またはアミノ糖を遊離し、その組成比を分析することができる。具体的な方法として、Dionex社製糖組成分析装置(BioLC)を用いる方法が挙げられる。BioLCはHPAEC−PAD(high performance anion−exchange chromatography−pulsed amperometric detection)法[ジャーナル・オブ・リキッド・クロマトグラフィー(J.Liq.Chromatogr.),6,1577(1983)]によって糖組成を分析する装置である。
また、2−アミノピリジンによる蛍光標識化法でも組成比を分析することができる。具体的には、公知の方法[アグリカルチュラル・アンド・バイオロジカル・ケミストリー(Agric.Biol.Chem.),55(1),283−284(1991)]に従って酸加水分解した試料を2−アミノピリジル化で蛍光ラベル化し、HPLC分析して組成比を算出することができる。
糖鎖構造解析
抗体の糖鎖の構造解析は、2次元糖鎖マップ法[アナリティカル・バイオケミストリー(Anal.Biochem.),171,73(1988)、生物化学実験法23−糖蛋白質糖鎖研究法(学会出版センター)高橋禮子編(1989年)]により行うことができる。2次元糖鎖マップ法は、例えば、X軸には逆相クロマトグラフィー糖鎖の保持時間または溶出位置を、Y軸には順相クロマトグラフィーによる糖鎖の保持時間または溶出位置を、それぞれプロットし、既知糖鎖のそれらの結果と比較することにより、糖鎖構造を推定する方法である。
具体的には、抗体をヒドラジン分解して、抗体から糖鎖を遊離し、2−アミノピリジン(以下、PAと略記する)による糖鎖の蛍光標識[ジャーナル・オブ・バイオケミストリー(J.Biochem.),95,197(1984)]を行った後、ゲルろ過により糖鎖を過剰のPA化試薬などと分離し、逆相クロマトグラフィーを行う。次いで、分取した糖鎖の各ピークについて順相クロマトグラフィーを行う。これらの結果をもとに、2次元糖鎖マップ上にプロットし、糖鎖スタンダード(TaKaRa社製)、文献[アナリティカル・バイオケミストリー(Anal.Biochem.),171,73(1988)]とのスポットの比較より糖鎖構造を推定することができる。さらに各糖鎖のMALDI−TOF−MSなどの質量分析を行い、2次元糖鎖マップ法により推定される構造を確認することができる。
<糖蛋白質の生産方法>
本実施形態では、鱗翅目に分類される昆虫の絹糸腺細胞において、糖蛋白質を発現させる。なぜなら、後述する実施例で示したように、鱗翅目に分類される昆虫の絹糸腺細胞において、糖蛋白質を発現させると、従来の技術常識に反して、驚いたことに、糖鎖の還元末端であるN−アセチルグルコサミンにフコースが結合していないN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質が得られるからである。
その際、上述の昆虫は、カイコであることが好ましい。なぜなら、カイコの場合には、養蚕業において飼育方法が確立しており、さらに絹糸腺から繭をはき出す能力が優れているため、上述の糖蛋白質を大量に効率よく得ることができるからである。
より具体的には、本発明者等が所属するネオシルク社は、カイコが有する絹タンパク質の合成能力に着目し、絹タンパク質と共に大量の組換えタンパク質を繭中に分泌する形質転換カイコの開発を行ってきている。そして、カイコは、一頭あたり0.3〜0.5gの繭を作るが、このほとんどは、後部絹糸腺で合成されるフィブロインや、中部絹糸腺で合成されるセリシンなどの絹タンパク質である。このように、カイコは優れたタンパク質合成能力を有した生物であり、この能力を利用すれば、抗体医薬などの組換えタンパク質を大量に、かつ、安価に生産することができるからである。
さらに、上述の絹糸腺細胞は、中部絹糸腺細胞であることが好ましい。なぜなら、中部絹糸腺ではセリシンが合成されるため、セリシン中に上述の糖蛋白質を発現させれば、フィブロインの周りに存在し、比較的水に溶けやすいセリシン層に、組換えタンパク質を局在させるために、中部絹糸腺で効率良く組換えタンパク質を発現させることができ、繭に含まれる組換えタンパク質を、その立体構造を変性させることなく容易に抽出することが可能となるからである。
すなわち、本実施形態における糖蛋白質の生産方法は、上述の糖蛋白質を発現させる工程が、上述の糖蛋白質を発現するように遺伝的に改変されてなる上述の昆虫個体の絹糸腺において上述の糖蛋白質を含む繭を生成させる工程を含むことが好ましい。ここで、誤解を招かないように注記すれば、昆虫個体の絹糸腺において上述の糖蛋白質を含む繭を生成させるということは、必然的に、昆虫の絹糸腺細胞において上述の糖蛋白質を発現させることになるということに留意されたい。
そして、上述の糖蛋白質を抽出する工程は、上述の絹糸腺から前記糖蛋白質を含む繭を吐出させる工程と、上述の吐出された繭から上述の糖蛋白質を抽出する工程と、を含むことが好ましい。なぜなら、絹糸腺ではフィブロインまたはセリシンが合成されるため、フィブロインまたはセリシン中に上述の糖蛋白質を発現させれば、フィブロイン層またはセリシン層に、組換えタンパク質を局在させるために、絹糸腺で効率良く組換えタンパク質を発現させることができ、繭に含まれる組換えタンパク質を抽出することが可能となるからである。
その際、上述の糖蛋白質が、糖鎖を有する抗体である場合には、上述の糖蛋白質を発現させる工程が、上述の昆虫個体において、その抗体を構成する抗体重鎖および抗体軽鎖を共発現するように改変されてなる前記昆虫個体を用いる工程を含むことが好ましい。このようにすれば、抗体のH鎖およびL鎖の構造遺伝子が染色体に組み込まれており、H鎖2分子およびL鎖2分子がジスルフィド結合で連結され、かつ、抗原に対する結合活性を有する機能的な抗体分子(ヘテロ2量体)を繭に分泌するトランスジェニックカイコを用いて、完全な抗体分子であるヘテロ2量体を優先的に繭に分泌し、他の昆虫細胞で見られるようなH鎖2量体などの不完全な分子が無制御に分泌されることはない。その結果、繭にはH鎖2量体などの不完全な分子は含まれず、そのため、繭から完全な抗体分子であるヘテロ2量体を容易に回収することができるからである。
そして、上述の糖蛋白質を発現させる工程は、上述の昆虫個体において、上述の抗体重鎖をコードする遺伝子および上述の抗体軽鎖をコードする遺伝子がともに上述の昆虫のゲノムにおいてセリシンプロモーターの下流に発現可能に設けられている昆虫個体を用いる工程と、上述の繭として、セリシン部に上述の抗体を含む繭を生成させる工程と、を含むことが好ましい。そして、この場合には、上述の糖蛋白質を抽出する工程が、上述の繭を抽出液に浸して、上述の繭の上述のセリシン部から上述の抽出液中に上述の抗体を抽出する工程を含むことが好ましい。
なぜなら、繭を構成する絹糸は、中心に存在するフィブロイン層の周りにセリシン層が存在する構造をしている。絹タンパク質を合成している絹糸腺は、機能的および形態的に、後部絹糸腺、中部絹糸腺、および前部絹糸腺に区別されるが、セリシン層を構成するセリシンは中部絹糸腺で合成され、フィブロイン層を構成するフィブロインは後部絹糸腺で合成される。抗体を発現する組織が中部絹糸腺であった場合、抗体は絹糸のセリシン層へ分泌される。一方、抗体を発現する組織が後部絹糸腺であった場合、抗体は絹糸のフィブロイン層へ分泌される。
そして、セリシン層に抗体を分泌するトランスジェニックカイコを作製するためには、ベクターにおいて、中部絹糸腺で抗体のH鎖およびL鎖を発現させるために、抗体のH鎖およびL鎖の構造遺伝子に加えて、例えばそれぞれの構造遺伝子の上流に、中部絹糸腺細胞で遺伝子発現を引き起こすプロモーターを組めばよい。中部絹糸腺細胞で遺伝子発現を引き起こすプロモーターとしては、例えば、セリシン1遺伝子またはセリシン2遺伝子のプロモーターをあげることができる。
このような発現ベクターを用いると、一回の遺伝子導入操作で、セリシン層に抗体を分泌するトランスジェニックカイコを作製することができる。一方、セリシン層に抗体を分泌するトランスジェニックカイコは複数回の遺伝子導入操作によって作製することもできる。例えば、上述の発現ベクターセットを用いて、抗体のH鎖を中部絹糸腺で発現するカイコと、抗体のL鎖を中部絹糸腺で発現するカイコとを、それぞれ別々に作製し、これらを交配して、次世代のカイコから抗体のH鎖およびL鎖の両方の遺伝子を有するカイコを選抜してセリシン層に抗体を分泌するトランスジェニックカイコを作製しても良い。
また、抗体のH鎖を発現するカイコに抗体のL鎖を発現させるための発現ベクターを導入する、あるいは、抗体のL鎖を発現するカイコに抗体のH鎖を発現させるための発現ベクターを導入することによって、セリシン層に抗体を分泌するトランスジェニックカイコを作製しても良い。
もっとも、フィブロイン層に抗体を分泌するトランスジェニックカイコを作製するという方法を排除する趣旨ではない。後部絹糸腺で抗体のH鎖およびL鎖を発現させるために、抗体のH鎖およびL鎖の構造遺伝子に加えて、それぞれの構造遺伝子の上流に、例えば後部絹糸腺細胞で遺伝子発現を引き起こすプロモーターが組み込まれているベクターを用いてフィブロイン層に抗体を分泌するトランスジェニックカイコを作製してもかまわない。後部絹糸腺細胞で遺伝子発現を引き起こすプロモーターとしては、例えば、フィブロインL鎖、フィブロインH鎖、またはフィブロヘキサメリンなどの遺伝子のプロモーターをあげることができる。
セリシン層に抗体を分泌するトランスジェニックカイコを作製する場合と同様に、フィブロイン層に抗体を分泌するトランスジェニックカイコを作製する場合においても、上述の発現ベクターセットを用いて、複数回の遺伝子導入操作によりトランスジェニックカイコを作製しても良い。抗体のH鎖を後部絹糸腺で発現するカイコと、抗体のL鎖を後部絹糸腺で発現するカイコとを、それぞれ別々に作製し、これらを交配して、次世代カイコから抗体のH鎖およびL鎖の両方の遺伝子を有するカイコを選抜してフィブロイン層に抗体を分泌するトランスジェニックカイコを作製しても良い。また、抗体のH鎖を発現するカイコに抗体のL鎖を発現させるための発現ベクターを導入する、あるいは、抗体のL鎖を発現するカイコに抗体のH鎖を発現させるための発現ベクターを導入することによって、フィブロイン層に抗体を分泌するトランスジェニックカイコを作製することもできる。
これらの発現ベクターは、カイコ染色体へ遺伝子を導入するための機能を有している。例えば、昆虫由来のDNA型トランスポゾンの部分配列が組み込まれていれば、遺伝子をカイコ染色体に導入することが可能である。具体的には、DNA型トランスポゾンの末端に存在する一対の逆向き反復配列を有したプラスミドベクターであり、一対の逆向き反復配列に挟まれた領域に、染色体に挿入される遺伝子配列、すなわち、抗体の遺伝子とプロモーターが組み込まれている発現ベクターである。昆虫由来DNA型トランスポゾンとしては、piggyBac、mariner(Insect Mol. Biol. 9, 145−155, 2000)、およびMinos(Insect Mol. Biol. 9, 277−281, 2000)などが知られているが、この中でもpiggyBac由来の配列は、最も頻繁に利用されている。トランスジェニックカイコを作製するためには、このプラスミドを、piggyBacのトランスポゼース発現ベクター(ヘルパープラスミド)と共にカイコ卵へ微量注入する。このヘルパープラスミドは、piggyBacの逆向き反復配列の片方または両方を欠いた、実質的にはpiggyBacのトランスポゼース遺伝子領域のみが組み込まれている組換えプラスミドベクターである。ヘルパープラスミドにおいて、トランスポゼースを発現させるためのプロモーターは、内在性のトランスポゼースプロモーターをそのまま利用しても良いし、あるいは、カイコ・アクチンプロモーターやショウジョウバエHSP70プロモーター等を利用してもよい。次世代カイコのスクリーニングを容易にするために、挿入するポリヌクレオチドを組み込んだベクター内に同時にマーカー遺伝子を組み込んでおくこともできる。
ベクターを微量注入したカイコ卵から孵化した幼虫(F0世代)を飼育する。得られた全F0世代のカイコを野生型カイコと、あるいはF0カイコ同士で交配し、次世代(F1世代)のカイコからトランスジェニックカイコを選抜する。トランスジェニックカイコの選抜は、例えばPCR法やサザンブロット法を用いて行う。また、マーカー遺伝子を組み込んだ場合には、その表現形質を利用して選抜することも可能である。例えばマーカー遺伝子としてGFP等の蛍光タンパク質遺伝子を利用した場合には、F1世代のカイコ卵や幼虫に励起光を照射し、蛍光タンパク質の発する蛍光を検出することにより行うことができる。以上のような方法によりトランスジェニックカイコを作出することができる。
トランスジェニックカイコの繭から、機能的な抗体分子を回収する際には、抗体がセリシン層に局在する場合はセリシン層から、フィブロイン層に含まれている場合はフィブロイン層から回収する。セリシン層からの抗体の回収は、特に容易に実施することができる。セリシン層を構成するセリシンは親水性であるため、この層に局在する組換えタンパク質は、タンパク質を変性させてしまう溶液を用いることなく抽出することが可能である。セリシン層から抗体を抽出するための抽出液は、抗体の抽出が可能であるものならば特段の制限はない。例えば、中性の塩類溶液であっても良いし、界面活性剤や、その他、抽出を効率的に行うための試薬などが含まれる溶液であっても良い。これらの抽出液を使って繭から抗体を抽出するには、例えば、断片化した繭を抽出液に浸し攪拌するなどの方法を用いることができる。また、抽出の前に、繭を微粉末化する処理を行っても良いし、抽出の際に超音波処理を行うなどの機械的処理を併用しても良い。
また、上述のカイコの絹糸腺細胞は、βガラクトース転移酵素を発現するように形質転換されていてもよい。上述の絹糸腺細胞がβガラクトース転移酵素を発現するように形質転換されていれば、カイコ個体に内在している絹糸腺、カイコ個体より摘出した絹糸腺組織、またはカイコ個体より摘出した絹糸腺組織より得られる絹糸腺細胞も、同様にβガラクトース転移酵素を発現する。そして、その酵素の働きによって、N−グリコシド結合糖鎖の非還元末端にさらにβガラクトースが付加されて、上述の化学式(5)、(6)または(7)で示される糖鎖構造を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質が生産される。
そして、その糖蛋白質のN−グリコシド結合糖鎖は、通常の昆虫細胞によって生産される糖蛋白質のN−グリコシド結合糖鎖に比べて、著しくヒトをはじめとする哺乳動物の細胞で生産される糖蛋白質のN−グリコシド結合糖鎖の糖鎖構造に近似していることになり、ほとんど完全にいわゆる「糖鎖がヒト型化」された糖蛋白質であるということになる。そして、「糖鎖がヒト型化」された糖蛋白質であることによって、哺乳動物の体内に投与した場合に、抗原性をより低減でき、また、糖蛋白質の安定性や生理活性などを、哺乳動物における糖蛋白質と同等にすることができる。
このとき、上記の絹糸腺細胞が、さらにN−アセチルグルコサミン転移酵素を発現するように形質転換されていてもよい。このようにすれば、N−グリコシド結合糖鎖の非還元末端にさらにN−アセチルグルコサミンが付加されて、上述の化学式(2)、(3)または(4)で示される糖鎖構造を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質の生産が増大されることになる。そして、その結果、上述の化学式(2)、(3)または(4)で示される糖鎖構造の非還元末端に、N−アセチルグルコサミン転移酵素とともに発現されているβガラクトース転移酵素の働きによって、さらにβガラクトースが付加されて、上述の化学式(5)、(6)または(7)で示される糖鎖構造を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質の生産がさらに増大されることになる。
以上、本発明の実施形態について述べたが、これらは本発明の例示であり、上記以外の様々な構成を採用することもできる。
なお、上記実施の形態では昆虫の絹糸腺細胞において、糖蛋白質を発現させるという表現を用いたが、この表現は細胞レベルでの発現、組織レベルでの発現および個体レベルでの発現を含む趣旨の表現であることに留意されたい。
念のために説明すれば、例えば、細胞レベルでの発現をする際には、バイオリアクターなどで絹糸腺細胞を培養すればよい。組織レベルでの発現をする際には絹糸腺組織を培養すればよい。一方、個体レベルでの発現をする際には、鱗翅目に分類される昆虫個体の絹糸腺において、糖蛋白質を発現させて、繭の中に糖蛋白質を含有させて個体外に吐出させればよい。このようにすれば、細胞レベルで生産する場合にくらべて、養蚕業において培われた技術をそのまま適用することができ、バイオリアクターなどの設備投資が不要となる利点がある。
また、上述の実施形態では、特にカイコの系統を特定せず、どのようなカイコを用いてもよいが、種々のカイコの中でも、pnd−w1系統、錦秋のような実用品種系統全般のカイコの細胞を用いることが特に好ましい。なぜなら、pnd−w1系統、錦秋のような実用品種系統全般のカイコの細胞を用いる場合には、N−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質のうち、糖鎖の還元末端であるN−アセチルグルコサミンにフコースが結合している糖鎖構造を有する糖蛋白質の割合が5モル%以下となることが、後述の実施例において実験データによって実証されているからである。
以下、本発明を実施例によりさらに説明するが、本発明はこれら実施例に限定されるものではない。
<実施例1>
抗体H鎖および抗体L鎖のcDNAのクローニング
ヒトIgGを抗原とするIgG抗体を産生するマウスハイブリドーマからmRNAを抽出し、逆転写酵素とoligo(dT)プライマーを用いてcDNAを合成した。抗体H鎖および抗体L鎖それぞれのORFをコードするcDNAを、合成したcDNAをテンプレートとしたPCRによって取得した。
抗体H鎖のcDNAを増幅するために用いたプライマーの配列は、5'−GATATCCACCATGGCTTGGGTGTGGAC−3'(配列番号:1)および5'−GATATCTTATCATTTACCAGGAGAGTGGGA−3'(配列番号:2)であり、抗体L鎖のcDNAを増幅するための用いたプライマーの配列は、5'−GATATCCACCATGGTGTCCACTTCTCAGCTC−3'(配列番号:3)および5'−GATATCTTACTAACACTCATTCCTGTTGAAGCT−3'(配列番号:4)である。
それぞれのプライマーの5'−側両端にはEcoRV制限酵素サイト認識配列が付加されている。得られたPCR産物をクローニングベクターpCR4blunt−TOPO(Invitrogen)にクローニングした。DNAシークエンサーにより塩基配列を解析し、該PCR産物が抗体H鎖および抗体L鎖をコードするcDNAであることを確認した。抗体H鎖および抗体L鎖cDNAを含有するベクターを、以下、それぞれIgG(H)/pCR4、IgG(L)/pCR4と表記する。
<実施例2>
トランスジェニックカイコ作製用ベクターの構築
5'末端がリン酸化されたオリゴヌクレオチド5'−AATTCCTTAAGCTCGAGTCGCGA−3'(配列番号:5)と5'−AATTTCGCGACTCGAGCTTAAGG−3'(配列番号:6)をアニーリングさせた2本鎖オリゴヌクレオチドを作製した。
この2本鎖オリゴヌクレオチドは、AflII、XhoI、NruIの制限酵素認識配列を有し、両末端はEcoRIサイトに連結可能な構造をしている。マーカー遺伝子として眼や神経系で発現する赤色蛍光タンパク質(DsRed)遺伝子を有するpiggyBacベクターであるpBac[3xP3−DsRed/pA](Nat.Biotechnol.21,52−56(2003))のEcoRIサイトに、この2本鎖オリゴヌクレオチドを挿入し、pBac[3xP3−DsRed/pA]ベクターにAflII、XhoI、NruIの制限酵素認識配列を挿入した。
さらに、特開2006−109772号公報の実施例1に記載されている「hr3とセリシン1プロモーターの下流にホタルルシフェラーゼ遺伝子を有するベクター」をテンプレートとしたPCRによって、hr3とセリシン1プロモーターからなり、かつ両末端にXhoIサイトを有したDNA断片を増幅した。用いたプライマーは、5'−CTCGAGGATATCGAATTCCTGCAGCC−3'(配列番号:7)および5'−CTCGAGCCCGATGATAAGACGACTATG−3'(配列番号:8)である。
増幅したDNA断片をXhoIで消化した後、上記のAflII、XhoI、NruIの制限酵素認識配列を挿入したpBac[3xP3−DsRed/pA]ベクターのXhoIサイトに挿入した。これをpMSG1.1Rと表記する。このベクターのマーカー遺伝子であるDsRed遺伝子を、緑色蛍光タンパクMonster GreenGFP(hMGFP)の遺伝子に置き換えたものも作製した。これをpMSG1.1MGと表記する。
実施例1で得られたIgG(H)/pCR4、および、IgG(L)/pCR4ベクターから、抗体H鎖、およびL鎖のcDNA断片をEcoRVで切り出し、上記のpMSG1.1R、およびpMSG1.1MGにそれぞれ挿入し、抗体H鎖、および抗体L鎖をそれぞれ発現するベクターIgG(H)/pMSG1.1R、およびIgG(L)/pMSG1.1MGを構築した(図1)。なお、この図1では、それぞれの略語の意味は、piggyBacR:piggyBac 3'末端側配列、3xP3−TATA:眼や神経系で発現を引き起こすプロモーター、DsRed:赤色蛍光タンパク質遺伝子、hMGFP:緑色蛍光タンパク質(Monster GreenGFP)の遺伝子、SV40 polyA:SV40由来ポリA付加シグナル、Pser1:カイコセリシン1遺伝子プロモーター、HR3:BmNP hr3、IgG(H):マウスIgG抗体H鎖遺伝子、IgG(L):マウスIgG抗体L鎖遺伝子、FibL polyA;カイコフィブロインL鎖ポリA付加シグナル、piggyBacL:piggyBac 5'末端側配列、Amp:抗生物質アンピシリン耐性遺伝子の通りである。
<実施例3>
抗体H鎖、抗体L鎖をセリシン層に分泌するトランスジェニックカイコの作出
IgG(H)/pMSG1.1Rを塩化セシウム超遠心法で精製した後、それぞれをヘルパープラスミドであるpHA3PIG(Nat.Biotechnol.18,81−84(2000))とプラスミド量が1:1になるように混合し、さらにエタノール沈殿を行った後、IgG(H)/pMSG1.1RとpHA3PIGの濃度がそれぞれ200μg/mlになるようにインジェクションバッファー(0.5mMリン酸バッファーpH7.0,5mM KCl)に溶解した。このIgG(H)/pMSG1.1Rを含むDNA溶液を、産卵後2〜8時間の前胚盤葉期のカイコ卵(カイコ胚)に、一つの卵あたり約15〜20nlの液量で微量注入した。合計2854個の卵に微量注入した。上記の操作を、IgG(L)/pMSG1.1MGについても同様の操作を行い、合計3154個の卵に微量注入した。
ベクターDNA(IgG(H)/pMSG1.1R、およびIgG(L)/pMSG1.1MG)を微量注入した卵を25℃でインキュベートしたところ、それぞれ516、および678個の卵が孵化した。孵化したカイコの飼育を続け、得られた生殖可能な成虫を交配し、それぞれ138、および、132グループのF1卵塊を得た。産卵日から5〜6日目のF1卵塊を蛍光実体顕微鏡で観察することにより、眼や神経系から赤色、または緑色蛍光を発するトランスジェニックカイコの卵をスクリーニングした。その結果、トランスジェニックカイコの卵を含む卵塊を、それぞれ11、および15グループ得ることができた。得られた卵塊を孵化させ飼育したところ、それぞれ9、および8グループの卵塊に由来するトランスジェニックカイコは、正常に繭を作り蛹となり、さらに羽化して生殖能力を有した成虫になった。そこで、野生型のカイコと交配して、トランスジェニック系統を樹立した。
<実施例4>
抗体H鎖およびL鎖を共発現するトランスジェニックカイコの作出
実施例3で得られた抗体H鎖と抗体L鎖のcDNAをゲノム中に持ったトランスジェニックカイコ成虫を交配し、H鎖とL鎖を共に発現するカイコを作製した。実施例3で得られた2種のカイコのうち任意の一系統ずつを交配し、産卵された卵を飼育した。4齢期に至った段階で、目で発現するマーカー遺伝子の蛍光色(H鎖−DsRedの赤色蛍光、L鎖−hMGFPの緑色蛍光)を観察し、H鎖およびL鎖両方を発現するカイコ(赤色と緑色蛍光が合わさって黄色の蛍光を発する)を選別した。
得られたH鎖およびL鎖を発現するカイコを、特開2006−109772号公報に記載の"バキュロウイルスIE1を発現するポリヌクレオチドが組み込まれているトランスジェニックカイコ"と交配し、次世代のカイコから、H鎖、L鎖、およびIE1の3つの遺伝子を発現するカイコを選別した。このカイコを25℃で飼育し、繭を作らせた。
<実施例5>
抗体の抽出および精製
繭1gをホモジナイザーで粉砕した後、100mlの3M 尿素、50mMトリス塩酸緩衝液pH8.0に懸濁し、4℃において24時間インキュベートした。遠心により繭断片を取り除き、抗体を含む抽出液を回収した。この抽出液を、20mMリン酸緩衝液pH7.0に対して透析した後、プロテインGカラム(GE Healthcare)にアプライした。カラムを20mMリン酸緩衝液pH7.0にて洗浄し、吸着した抗体を0.1Mグリシン塩酸pH2.7により溶出した。最後に、溶出液に1Mトリスを加えて中和した。以上の操作により、2.4mgの精製抗体を得た。
<実施例6>
抗体に付加された糖鎖の構造解析
本発明者等は、カイコで発現させたマウスIgG上に付加された糖鎖のピリジルアミノ化するために、カイコで発現させたマウスIgG(1.2mg)を下記のプロトコルからなる定法に従って、糖鎖の切り出し、糖鎖の蛍光標識を行った。
カイコで発現させたマウスIgGからのピリジルアミノ化糖鎖の調製法を説明するための実験プロトコルは以下のとおりである。
Mouse IgG
↓Lyophilization
↓ Hydrazinolysis (100°C, 10h)
↓ N-Acetylation
↓ Pyridylamination
↓Phenol/Chloroform Extraction
↓RP-cartridge
PA-oligosaccharides
なお、今回、糖タンパク質から糖鎖を切り出す際にヒドラジン分解を用いているが、この方法は酵素による切り出しと異なり、糖鎖やタンパク質の構造に関係なく糖鎖を切り出すことが可能であること、切り出し反応が定量的であることなどの利点がある。
また糖鎖の蛍光標識に用いたピリジルアミノ化法であるが、どのような糖鎖の還元末端に対してもピリジルアミノ基を導入することが可能であり、その反応が定量的であること、ピリジルアミノ化糖鎖(PA糖鎖)は非常に高感度に検出することが可能であること、定量性に優れていること、逆相HPLCでの分離がよいこと、ピリジルアミノ基が糖鎖構造解析を行う際に用いられる酸水解やスミス分解、メタノリシス、アセトリシスといった化学反応で脱離しないこと、質量分析器のような分析機器と非常に相性がよいことなどの利点が挙げられる。
具体的には、精製した抗体1.2mgを凍結乾燥し、無水ヒドラジンを加えて、100℃にて10時間処理した。次に、定法に従い、ヒドラジン分解により切り出した糖鎖の還元末端をN−アセチル化し、さらに、還元末端をピリジルアミノ化(PA化)した。
次いで、カイコで発現させたマウスIgG上の糖鎖の質量分析を行うために、上記のようにして得られたPA糖鎖を質量分析装置で分析した(図2)。その結果、図2に示すように、ハイマンノース型糖鎖であるM5やM6が検出された。また非還元末端にガラクトースを持たない糖鎖も検出された。
続いて、カイコで発現させたマウスIgG上の糖鎖の糖鎖構造解析を行うために、上述のようにして得られたPA糖鎖について、下記に示す手順でさらに構造解析をおこなった。
上述のようにして得られたピリジルアミノ化糖鎖の構造解析の手順を説明するための実験プロトコルは以下の通りである。
PA-oligosaccharides
↓ Mono-Q HPLC
↓ Size-fractionation HPLC
↓ Reversed-phase HPLC
↓MALDI-TOF-MS
具体的には、まず、カイコで発現させたマウスIgGから調製されたPA糖鎖のMono−Q HPLCによる分離を行った。得られたPA糖鎖を陰イオン交換HPLC(Mono−Q HPLC)で分離した結果を図3に示す。図3における矢印は中性糖(N)、シアル酸が1つ結合している糖鎖(S1)、シアル酸が2つ結合している糖鎖(S2)、シアル酸が3つ結合している糖鎖(S3)、シアル酸が4つ結合している糖鎖(S4)の溶出位置を示している。ピークは中性糖部分にのみに検出されたことからその部分を分取し、次の実験をおこなった。
次いで、カイコで発現させたマウスIgGから調製されたPA糖鎖のSize−fractionation HPLCによる分離を行った。得られた中性糖画分をサイズ分画HPLC(Size−fractionation HPLC)で分離した結果を図4に示す。図4における矢印はGNがN−アセチルグルコサミン−PAの溶出位置を示し、Mはハイマンノース糖鎖の溶出位置を示している。分析の結果、9種類のピークが得られ、それぞれを分取し、濃縮後、それぞれを使って次の実験をおこなった。
続いて、カイコで発現させたマウスIgGから調製されたPA糖鎖のReversed−phase HPLCによる分離を行った。サイズ分画HPLCで得られた9つの画分を逆相HPLC(Reversed−phase HPLC)で分離した結果を図5に示す。それぞれの画分を質量分析で分析した結果を図5の右側に示している。6つのメジャーなピークが検出されたので、それぞれを分取し、二次元糖鎖マップ、質量分析器を使って構造解析をおこなった。
カイコで発現させたマウスIgGから調製されたPA糖鎖の構造として、今回決定した糖鎖の構造をまとめた結果を図6に示す。図6におけるFraction No.は図5の対応するFractionを示しており、図中の括弧内の数値は、Fraction No.3からNo.8までに含まれる糖鎖のモル数と、合計モル数(792pmol)に対する、各Fraction中の糖鎖モル数を百分率(%)で表示したものである。糖鎖分析に用いた、カイコで発現させたマウスIgGの1.2mg(8,000pmol)には、糖鎖が16,000pmol含まれると推定される。Fraction No.3からNo.8までに含まれる糖鎖のモル数の合計は792pmolモルであり、糖鎖の回収率は5%であった。
図6に示したように、カイコ中部絹糸腺で発現させ、繭糸のセリシン層に分泌された抗体(マウスIgG)には糖鎖が付加されており、その糖鎖の構造については、主なもので6種類が存在する。この6種類の糖鎖のいずれにおいても、糖鎖の基部に存在するGlcNAcの6位に付加されたフコース(α1,6フコース)、およびGlcNAcの3位に付加されたフコース(α1,3フコース)の存在を認めることができなかった。このように、カイコ中部絹糸腺で発現した抗体に付加された糖鎖は、そのほとんどがフコシル化をうけていないことが明らかになった。検出された糖鎖の内、最も少ない量の糖鎖の割合が、2.7モル%であることから、フコシル化を受けた糖鎖の割合は、5モル%以下であると推定した。
また、従来の知見において昆虫由来の糖鎖の特徴といわれていたパウチマンノース型(少マンノース型)糖鎖は検出されず、かわりに、高マンノース型および、トリマンノシルコア構造(パウチマンノース)の1−3結合マンノース及び1−6結合マンノースにGlcNAcが1個または2個β1−2結合し、かつGalが結合していない二分岐型の構造を持った糖鎖が多く検出された。
<実施例7>
pnd−w1系統および実用品種系統(錦秋)におけるカイコ組織(中部絹糸腺、脂肪体)および繭の糖鎖構造解析
実施例6で得られた結果の理由について、A)カイコ品種に起因するもの、B)カイコ組織に起因するもの、および、C)発現させたタンパク質に起因するもの、の3つの理由が考えられた。これらについて検証するために、pnd−w1系統と実用品種系統(錦秋)の2種類のカイコ系統について、中部絹糸腺、脂肪体の2種類の組織と繭について、前記した方法に従い、糖鎖構造解析を行った。糖鎖構造解析の結果を図8-図13に示す。なお、図8-図13の中の%表記の数値は、逆相HPLCで分取したメジャーなピークの総糖鎖モル数より計算された存在比を百分率(%)で表示したものである。また、高マンノース型である、構造名M6、M7、M8、M9等の構造表記は構造異性体を含む。
pnd−w1系統の中部絹糸腺から得られた糖鎖は、繭から精製したマウスIgGの糖鎖と同様な構造をしていた。すなわち、昆虫由来の糖鎖構造でもっとも多いとされているパウチマンノース型(M3)が約6%と非常に少なく、M3にGlcNAcが少なくとも1つ付加した糖鎖が約40%検出された。この内、GlcNAcが2つ付加した糖鎖(GN2)は、23%も存在していた。また一部に高マンノース型の構造も含まれていた(図8)。一方脂肪体では、GlcNAc付加がなく、M3およびFM2なる構造が非常に多いという点で、中部絹糸腺と大きく異なっていた(図12)。脂肪体で見られた糖鎖の構造は、従来から知られている昆虫の糖鎖構造と一致している。pnd−w1系統の繭では、中部絹糸腺と同様に、M3が少なく、GlcNAcが2つ付加した構造(GN2)が約40%と非常に多かった(図10)。錦秋についても同様な解析を行ったが、pnd−w1と比較して、組織、繭ともに、糖鎖構造で大きな違いはなく品種の違いによる差異は見られなかった(図9、図11、図13)。
以上のことより、繭から精製したマウスIgGの糖鎖構造が、従来から報告されていた昆虫特有の糖鎖構造と異なる理由は、マウスIgGを合成した組織(絹糸腺)の特異性に起因することが明らかになった。
バキュロウイルス発現系では、ウイルスを脂肪体へ感染させて組換えタンパク質を発現させるのに対し、発明者らの技術は組換えタンパク質を発現させるための組織として中部絹糸腺を用いる。この中部絹糸腺での発現が、フコースの付加が無く、かつパウチマンノースが少ない糖鎖を、タンパク質に付加させることがわかった。これは、組換えタンパク質を中部絹糸腺で産生することが、ヒト型(哺乳動物型)糖鎖付加を目指す場合において非常に有利であることを意味している。
<実施例8>
β1,4ガラクトース転移酵素1とヒトβ1,2N−アセチルグルコサミン転移酵素2を発現するトランスジェニックカイコの作製
ヒトβ1,4ガラクトース転移酵素1(以下、hGalT1と表記する)、およびヒトβ1,2N−アセチルグルコサミン転移酵素2(以下、hGnT2と表記する)のcDNAのクローニングを行った。
ヒト線維芽細胞からmRNAを抽出し、逆転写酵素とoligo(dT)プライマーを用いてcDNAを合成した。hGalT1および、hGnT2それぞれのORFをコードするcDNAを、合成したcDNAをテンプレートとしたPCRによって取得した。
hGalT1のcDNAを増幅するために用いたプライマーの配列は、5'−ATGAGGCTTCGGGAGCCGCT−3'(配列番号:9)および5'−CTAGCTCGGTGTCCCGATGTCCA−3'(配列番号:10)であり、hGnT2のcDNAを増幅するための用いたプライマーの配列は、5'−ATGAGGTTCCGCATCTACAAA−3'(配列番号:11)および5'−TCACTGCAGTCTTCTATAACTTTTACAGAG−3'(配列番号:12)である。
得られたPCR産物をクローニングベクターpCR−blunt2−TOPO(Invitrogen)にクローニングした。DNAシークエンサーにより塩基配列を解析し、該PCR産物がhGalT1およびhGnT2をコードするcDNAであることを確認した。hGalT1およびhGnT2cDNAを含有するベクターを、以下、それぞれhGalT1/pCR2、hGnT2/pCR2と表記する。
実施例2に記載したpMSG1.1Rは、セリシンプロモーターとフィブロインL鎖polyA付加配列(以下、プロモーター−polyAカセットと表記する)を持ち、その間に目的タンパク質のcDNAを導入できるよう設計されている。本実験では、2つの遺伝子を同時に発現させるために、pMSG1.1Rの制限酵素AscIサイトに、さらにプロモーター−polyAカセットを組み込み、新たなベクター(pMSG3.1R)を構築した。
hGalT1およびhGnT2の翻訳効率を上げるため、カイコガ核多角体病ウイルス(Bombyx mori nuclear polyhedrosis virus:以下、BmNPVと表記)由来のポリヘドリン5'非翻訳領域(以下、5'UTRと表記、配列:AAGTATTTTACTGTTTTCGTAACAGTTTTGTAATAAAAAAACCTATAAAT(配列番号:13))を、hGalT1およびhGnT2のcDNAの5'側に付加し、さらに、cDNAの5'および3'の両端にNruIの制限酵認識配列を付加するために、以下に記載したプライマーを用いたPCRを行った。
プライマーの配列は、hGalT1用に、5'−CACCTCGCGAAAGTATTTTACTGTTTTCGTAACAGTTTTGTAATAAAAAAACCTATAAATATGAAGTTTCGGGAGCCGCTC−3'(配列番号:14)と、5'−TCGCGATTAGCTCGGCGTCCCGATGTC−3'(配列番号:15)の2種、hGnT2用に、5'−CACCTCGCGAAAGTATTTTACTGTTTTCGTAACAGTTTTGTAATAAAAAAACCTATAAATATGAGGTTCCGCATCTACA−3'(配列番号:16)と、5'−TCGCGATTACTGCAGTCTTCTATAACTTTTACAGAGT−3'(配列番号:17)の2種である。
hGalT1/pCR2、hGnT2/pCR2をテンプレートとして、それぞれPCR法にてDNA断片を増幅した。増幅産物をクローニングベクタ-pCR−blunt2−TOPO(Invitrogen)にクローニングし、得られたベクターを、UTR−hGalT1/pCR2、およびUTR−hGnT2/pCR2とした。
UTR−hGnT2/pCR2を制限酵素NruIで消化し、得られたUTR−hGnT2のDNA断片を、pMSG3.1MGの制限酵素Eco47IIIサイトに挿入した。つぎに、UTR−GalT1/pCR2をNruIで消化することにより得られたUTR−hGalT1断片を、UTR−hGnT2を挿入したベクターのNruIサイトに挿入し、塩基配列と挿入方向が正しい事を確認した。このベクターを、hGalT1−hGnT2/pMSG3.1Rと表記する(図14)。
図14には、中部絹糸腺において、hGalTおよびhGnT2を発現するトランスジェニックカイコを作出するためのベクターの構造を示した。この図14では、それぞれの略称の意味は、piggyBacR:piggyBac 3'末端側配列、3xP3−TATA:眼や神経系で発現を引き起こすプロモーター、DsRed:赤色蛍光タンパク質遺伝子、SV40 polyA:SV40由来ポリA付加シグナル、Pser1:カイコセリシン1遺伝子プロモーター、HR3:BmNP hr3、hGalT1:ヒトβ1,4−ガラクトース転移酵素1遺伝子、hGnT2:ヒトβ1,2−N−アセチルグルコサミン転移酵素2遺伝子、FibL polyA;カイコフィブロインL鎖ポリA付加シグナル、piggyBacL:piggyBac 5'末端側配列、Amp:抗生物質アンピシリン耐性遺伝子、の通りである。
<実施例9>
hGalT1およびhGnT2を発現するトランスジェニックカイコの作出
hGalT1−hGnT2/pMSG3.1Rを、実施例3に記載した方法と同様の方法により、合計2984個の卵に微量注入した。
DNAを微量注入した卵を25℃でインキュベートしたところ、それぞれ819個の卵が孵化した。孵化したカイコの飼育を続け、得られた生殖可能な成虫を交配し、188グループのF1卵塊を得た。産卵日から5〜6日目のF1卵塊を蛍光実体顕微鏡で観察することにより、眼や神経系から赤色蛍光を発するトランスジェニックカイコの卵をスクリーニングした。その結果、トランスジェニックカイコの卵を含む卵塊を、それぞれ15グループ得ることができた。得られた卵塊を孵化させ飼育したところ、14グループの卵塊に由来するトランスジェニックカイコ(以下、GalT−GnT2−TGカイコと表記する)は、正常に繭を作り蛹となり、さらに羽化して生殖能力を有した成虫になった。これらのカイコを野生型のカイコと交配して、8系統のGalT−GnT2−TGカイコを樹立した。
<実施例10>
GalT−GnT2−TGカイコの繭における糖鎖構造の解析
野生型カイコおよびGalT−GnT2−TGカイコの繭に含まれる糖鎖の構造を、実施例6に示した方法により解析した。
樹立した8系統のGalT−GnT2−TGカイコのうち、3系統について糖鎖の構造解析を実施した。これら解析に用いた系統名は、それぞれ、17−2、75−1、および65−4である。糖鎖の構造解析に先立ち、これら3系統のトランスジェニックカイコの中部絹糸腺におけるhGalT1の発現量を、抗hGalT1抗体を用いたウエスタンブロット法(方法は特開2006-109772の実施例などに記載)により解析した。その結果、hGalT1の発現量は、低い順より、17−2、75−1、65−4であった(図15)。
野生型カイコ、およびGalT−GnT2−TGカイコ3系統(17−2、75−1、65−4)の糖鎖構造解析の結果を図16に示す。図中の%表記の数値は、逆相HPLCで分取したメジャーなピークの総糖鎖モル数より計算された存在比を百分率(%)で表示したものである。なお、図中の%表記の数値は、逆相HPLCで分取したメジャーなピークの総糖鎖モル数より計算された存在比を百分率(%)で表示したものである。
βガラクトース(以下、Galと表記する)が少なくとも1つ付加した構造の糖鎖は、野生型カイコの繭では0%であったのに対し、最もhGalT1の発現量が低い17‐2の系統で9%であった。これは、βガラクトース糖転移酵素であるhGalT1遺伝子を発現するトランスジェニックカイコの中部絹糸腺において、Galが付加されたヒト型糖鎖を付加できることを示している。また、Galの付加率については、中部絹糸腺におけるhGalT1の発現量が高い系統(65‐4)では低く、発現量の低い系統(17‐2)の方が、Gal付加率が高いことが示された。このことにより、Galの付加率を上げる方法として、hGalT1の発現量を低くする方法が有効であることが示された。
<実施例11>
GalT−GnT2−TGカイコでは、さらに中部絹糸腺においてIgGを発現させ、そのIgGにおける糖鎖構造の解析を行うための実験も実施した。その結果、カイコの中部絹糸腺においてIgGを発現させ、さらにβガラクトース転移酵素も発現させることに成功した。なお、このカイコの系統としては、中部絹糸腺におけるhGalT1の発現量が高い系統(65‐4)よりも、発現量の低い系統(17‐2)の方が好ましい。なぜなら、既に説明したように、中部絹糸腺におけるhGalT1の発現量が高い系統(65‐4)では低く、発現量の低い系統(17‐2)の方が、Gal付加率が高いためである。このIgGにおける糖鎖構造の解析結果については、上述の実施例10のGalT−GnT2−TGカイコの繭における糖鎖構造の解析結果と同様の結果を得た(data not shown)。
<実験結果の考察>
今回分析したカイコ繭総蛋白質、カイコ脂肪体組織総蛋白質、カイコ絹糸腺組織総蛋白質における糖鎖の組成について分析した結果、さらに文献から得られるCHO細胞におけるIgGをはじめとする糖蛋白質の糖鎖の組成などを比較すれば、糖鎖ヒト型化に関するカイコ絹糸腺の優位性は明らかである。
すなわち、昆虫糖鎖のヒト型化には、二つの技術開発(一つは糖鎖の伸長、もう一つはα1,3フコースの除去)が必要となるが、α1,3フコースの除去については、本発明者等の実験によって初めて判明した予想外の結果ではあるが、そもそもカイコの絹糸腺で合成される糖蛋白質の糖鎖には当初からα1,3フコースが存在しないことが上述の実験結果の比較から明らかである。
また、同様に本発明者等の実験によって初めて判明した予想外の結果ではあるが、上述の実験結果の比較から明らかなように、そもそもカイコの絹糸腺で合成される糖蛋白質の糖鎖には、図8〜図16における略号GNb、GNaおよびGN2のような糖鎖構造を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質、すなわち別の表現をすれば、上述の化学式(2)、(3)または(4)で示される糖鎖構造を含むN−グリコシド結合糖鎖を有する糖蛋白質が20モル%以上含まれることが明らかとなった。
一方、従来の知見では、昆虫で合成される糖鎖は、マンノースを3つまたは2つもつ糖鎖(例えば、図8〜図16における略号M3、M2のような糖鎖)が大半であると言われていた。ところが、今回の実験で明らかになったように、カイコの繭から精製したIgGや、絹糸腺や繭に含まれる糖蛋白質の糖鎖ではマンノース5つ(例えば、図8〜図16における略号M5)や、GlcNAcが付いた糖鎖(例えば、図8〜図16における略号GNb、GNa、GN2)が多いことがわかった。
ここで、いわばポジティブコントロールとして用いた比較対象のCHOのデータは、従来公知の文献(Satoru Kamoda et. al, "Capillary electrophoresis with laser-induced fluorescence detection for detailed studies on N-linked oligosaccharide profile of therapeutic recombinant monoclonal antibodies", Journal of Chromatography A, 1133 (2006) 332-339)から引用したIgGの解析結果(上述の図8〜図16における略号を用いて説明すると、GN2 約51%、GNa+GNb 約1%、M5 約3%、GA2 37%、GAa/b 7%、M3 0%、M2 0%)であるが、その他は本発明者等が実際にカイコの繭または組織から切り出した全糖鎖の解析結果である(GalT−GnT2−TGカイコについては既に上述の通りに作製されたものを用いた)。
カイコの脂肪体総蛋白質では、従来公知のバキュロウイルス発現系での主な発現組織となる組織であるが、従来の知見どおりの結果(例えば、図8〜図16における略号M3、M2が大半)という予想通りの結果が得られた。一方、カイコの繭や絹糸腺の総蛋白質では、上述の絹糸腺でのIgGのデータと同様な結果(図8〜図16における略号M5、GN2、GNa、GNbが多い)が得られ、カイコの脂肪体よりも、むしろ哺乳動物細胞であるCHO細胞の糖鎖(哺乳動物型、ヒト型)に近いことがわかる。
このように、カイコの絹糸腺で合成し、カイコの繭に分泌された糖蛋白質の糖鎖は、糖鎖のヒト型化(糖鎖の伸長とα1,3フコース無し)に関して非常に有利であることがわかる。また、カイコの絹糸腺で抗体を生産する場合のADCC活性の向上には、α1,6フコースの除去が必要であるが、この点についても、本発明者等の実験によって初めて判明した予想外の結果ではあるが、そもそもカイコの絹糸腺で合成される糖蛋白質の糖鎖には当初からα1,6フコースが存在しないことが上述の実験結果の比較から明らかである。すなわち、カイコの絹糸腺で合成し、カイコの繭に分泌された糖蛋白質の糖鎖は、α1,3フコースが除去されており、α1,6フコースも除去されており、糖鎖が伸長されているため、糖鎖のヒト型化に関して非常に有利であり、さらに抗体を生産する場合のADCC活性の向上にも有利であることが明らかである。
また、本発明者等は、上述した通り、βガラクトース転移酵素(GalT)およびN−アセチルグルコサミン転移酵素(GnT)を絹糸腺で発現するトランスジェニックカイコを作製し、繭タンパク質の糖鎖解析を行った。その結果は、上述の実験結果の比較のとおりであり、比率的には改善の余地があるかもしれないが、GlcNAcの先にβGalが付いた糖鎖を作ることに成功した。これでほぼ糖鎖のヒト型化(哺乳動物化)が完了したことになる。このように、たった1個または2個の遺伝子の導入で、糖鎖のヒト型化(糖鎖の伸長およびα1,3フコ−スの除去)が可能であり、何も遺伝子改変しなくても(α1,6フコースの除去による)ADCC活性の向上が可能であることから、カイコの絹糸腺を糖蛋白質の発現組織として使うメリットははかりしれないと言える。
ここで、絹糸腺を発現組織として使っているわけではないが、GalT遺伝子を組み込んだカイコの作製については、特許文献および論文は無いが、学会等では発表されており、ホームページでも以下のURLに掲載されている。
http://www.jst.go.jp/shincho/db/seika/2006_s/2006_s_9/2006_s_9_koncyukinou/2006_s_9_koncyukinou_3_1_3.htm
しかしながら、図16に示したとおり、本発明者等は、GalT遺伝子を組み込んだトランスジェニックカイコを数系統樹立したが、従来公知の知見からは予想外なことに、GalTの発現量が高い系統ではβGalの付加は観察されなかった。一方、従来公知の知見からは予想外なことに、GalTの発現量がむしろ低い系統では、逆にβGalの付加が起こることが判明した。すなわち、本発明者等の実験によって初めて、正確な理由は判明していないが、カイコの絹糸腺細胞では、GalT発現量が高いと、かえって糖鎖伸長がうまくいかないことが明らかとなった。本発明者等は、この実験後に色々とその理由を検討したが、ヒト細胞では、GalTなどの糖転移酵素の発現量が低いため、トランスジェニックカイコでの発現量は、ヒト細胞の100〜1000倍高いことが判明した。しかしながら、糖転移酵素の発現量を下げた方がうまくいくことを示唆する記述は、他の発現系に関する従来公知の文献であっても文献的な記述は一切無く、糖鎖に関する専門の大学教員にとっても驚きの結果であった。
以上、本発明を実施例に基づいて説明した。この実施例はあくまで例示であり、種々の変形例が可能なこと、またそうした変形例も本発明の範囲にあることは当業者に理解されるところである。