しかしながら、上述のように3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなる機械部品の表層部に窒素富化層を形成した場合でも、当該機械部品の特性が十分に向上しない場合がある。すなわち、上述のような機械部品に応力が繰返し負荷された場合、早期に剥離や破断が発生することがある(疲労強度の低下)。また、上述のような機械部品に衝撃的な応力が負荷された場合、容易に破損が発生することもある(靭性の低下)。つまり、3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなる機械部品においては、単に窒素富化層を形成するのみでは、表層部の硬度は上昇するものの、特に疲労強度や靭性の点で、必ずしも十分な特性が得られない場合があるという問題があった。
そこで、本発明の目的は、3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなるとともに、表層部に窒素富化層が形成されており、かつ疲労強度および靭性が十分に確保された機械部品を提供することである。
本発明に従った機械部品は、0.77質量%以上0.85質量%以下の炭素と、0.01質量%以上0.25質量%以下の珪素と、0.01質量%以上0.35質量%以下のマンガンと、0.01質量%以上0.15質量%以下のニッケルと、3.75質量%以上4.25質量%以下のクロムと、4質量%以上4.5質量%以下のモリブデンと、0.9質量%以上1.1質量%以下のバナジウムとを含有し、残部鉄および不純物からなる鋼から構成されている。表面を含む領域には、窒素濃度が0.05質量%以上である窒素富化層が形成されている。そして、窒素富化層における炭素濃度と窒素濃度との合計値は0.82質量%以上1.9質量%以下である。
本発明者は、3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなる機械部品に窒素富化層を形成した場合に、疲労強度や靭性が低下する原因について詳細な検討を行なった。その結果、以下のような現象が起こることに起因して、機械部品の疲労強度や靭性が低下することが分かった。
すなわち、上述のようにプラズマ窒化により3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなる機械部品に窒素富化層を形成した場合、表層部における窒素量が、機械部品を構成する鋼の固溶限(析出物に含まれる窒素も含めた固溶限)を超える。そのため、機械部品を構成する鋼には、結晶粒界に沿って析出する鉄の窒化物(Fe3N、Fe4Nなど)が形成される。そして、アスペクト比2以上で、かつ7.5μm以上の長さで形成された鉄の窒化物(以下、アスペクト比2以上、かつ7.5μm以上の長さを有し、結晶粒界に沿って形成される鉄の窒化物を粒界析出物という)は、剥離や破断の起点となるおそれがある。
より具体的には、粒界析出物が形成された機械部品に応力が繰返し負荷された場合、当該粒界析出物が応力の集中源となり、亀裂が発生することがある。そして、この亀裂が進展し、剥離や破断に至るため、機械部品の疲労強度が低下する。また、粒界析出物が形成された機械部品に衝撃的な応力が負荷されると、当該粒界析出物が亀裂の発生や進展を助長するため、靭性が低下する場合がある。つまり、機械部品の表層部において過剰な量の窒素が侵入する結果、粒界析出物が形成され、これが原因となって機械部品の疲労強度や靭性が低下し得る。
これに対し、本発明の機械部品においては、適切な成分組成を有する鋼からなる機械部品の表面を含む領域に0.05質量%以上の窒素富化層を形成した上で、当該窒素富化層における炭素濃度と窒素濃度との合計値を適切な範囲とすることにより、粒界析出物の形成を抑制することが可能となっている。その結果、本発明の機械部品によれば、3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなるとともに、表層部に窒素富化層が形成されており、かつ疲労強度および靭性が十分に確保された機械部品を提供することができる。以下、本発明の機械部品を構成する鋼の成分範囲および窒素富化層における窒素および炭素の濃度を上記の範囲に限定した理由について説明する。
炭素:0.77質量%以上0.85質量%以下
機械部品を構成する鋼において、炭素が0.77質量%未満では、十分な母材硬度が得られないという問題が発生し得る。一方、炭素が0.85質量%を超えると、粗大な炭化物(セメンタイト;Fe3C)が形成されるという問題が発生し得る。したがって、炭素は0.77質量%以上0.85質量%以下とする必要がある。
珪素:0.01質量%以上0.25質量%以下
機械部品を構成する鋼において、珪素が0.01質量%未満では、鋼の製造コスト上昇という問題が発生し得る。一方、珪素が0.25質量%を超えると、素材の硬度が上昇し冷間加工性が低下するという問題が発生し得る。したがって、珪素は0.01質量%以上0.25質量%以下とする必要がある。
マンガン:0.01質量%以上0.35質量%以下
機械部品を構成する鋼において、マンガンが0.01質量%未満では、鋼の製造コスト上昇という問題が発生し得る。一方、マンガンが0.35質量%を超えると、素材の硬度が上昇し冷間加工性が低下するという問題が発生し得る。したがって、マンガンは0.01質量%以上0.35質量%以下とする必要がある。
ニッケル:0.01質量%以上0.15質量%以下
機械部品を構成する鋼において、ニッケルが0.01質量%未満では、鋼の製造コスト上昇という問題が発生し得る。一方、ニッケルが0.15質量%を超えると、残留オーステナイト量の増加という問題が発生し得る。したがって、ニッケルは0.01質量%以上0.15質量%以下とする必要がある。
クロム:3.75質量%以上4.25質量%以下
機械部品を構成する鋼において、クロムが3.75質量%未満では、焼戻し軟化抵抗の低下という問題が発生し得る。一方、クロムが4.25質量%を超えると、炭化物の固溶を阻害するという問題が発生し得る。したがって、クロムは3.75質量%以上4.25質量%以下とする必要がある。
モリブデン:4質量%以上4.5質量%以下
機械部品を構成する鋼において、モリブデンが4質量%未満では、焼戻軟化抵抗の低下という問題が発生し得る。一方、モリブデンが4.5質量%を超えると、鋼の製造コスト上昇という問題が発生し得る。したがって、モリブデンは4質量%以上4.5質量%以下とする必要がある。
バナジウム:0.9質量%以上1.1質量%以下
機械部品を構成する鋼において、バナジウムが0.9質量%未満では、焼戻軟化抵抗の低下やバナジウム添加による組織の微細化の効果が少なくなるという問題が発生し得る。一方、バナジウムが1.1質量%を超えると、鋼の製造コスト上昇という問題が発生し得る。したがって、バナジウムは0.9質量%以上1.1質量%以下とする必要がある。
窒素富化層の窒素濃度:0.05質量%以上
上記鋼からなる機械部品において、表層部に十分な硬度を付与して耐摩耗性等を確保するためには、表面を含む領域に窒素濃度が0.05質量%以上である窒素富化層が形成されている必要がある。また、耐摩耗性等を一層向上させるためには、機械部品の表面における窒素濃度は、0.15質量%以上であることが好ましい。
窒素富化層における窒素濃度と炭素濃度との合計値:0.82質量%以上1.9質量%以下
上記鋼からなる機械部品において、表層部に十分な硬度を付与して耐摩耗性等を確保するためには、窒素濃度だけでなく炭素濃度をも管理することが重要である。そして、窒素富化層における窒素濃度と炭素濃度との合計値が0.82質量未満では、表層部に十分な硬度を付与して耐摩耗性等を確保することが難しくなることを、本発明者は見出した。したがって、窒素富化層における窒素濃度と炭素濃度との合計値は、0.82質量%以上とする必要がある。また、表層部に十分な硬度を付与して耐摩耗性等を確保することを容易にするためには、窒素富化層における窒素濃度と炭素濃度との合計値は、0.97質量%以上とすることが好ましい。
一方、上記鋼からなる機械部品において、表層部の窒素濃度が高くなると粒界析出物が形成されやすくなり、炭素濃度が高くなるとその傾向がより強くなる。そして、窒素富化層における窒素濃度と炭素濃度との合計値が1.9質量%を超えると、粒界析出物の形成を抑制することが難しくなることを、本発明者は見出した。したがって、窒素富化層における窒素富化層における窒素濃度と炭素濃度との合計値は、1.9質量%以下とする必要がある。また、粒界析出物の形成を一層抑制するためには、窒素富化層における窒素濃度と炭素濃度との合計値は、1.7質量%以下とすることが好ましい。なお、上記炭素濃度および窒素濃度とは、鉄、クロムなどの炭化物以外の領域である素地(母相)における濃度をいう。
上記機械部品において好ましくは、上記窒素富化層の厚みは0.11mm以上である。軸受、ハブ、等速自在継手、歯車などの機械部品においては、表面および表面直下、具体的には表面からの距離が0.11mm以内の領域の強度が重要となる場合が多い。そのため、上記窒素富化層の厚みを0.11mm以上とすることにより、機械部品に十分な強度を付与することが可能となる。なお、機械部品の強度を一層十分なものとするためには、上記窒素富化層の厚みは0.15mm以上であることが好ましい。
上記機械部品において好ましくは、上記窒素富化層は、830HV以上の硬度を有している。表層部に形成される窒素富化層の硬度を830HV以上とすることにより、機械部品の強度を一層確実に確保することが可能となる。
上記機械部品において好ましくは、上記窒素富化層を顕微鏡にて観察した場合、アスペクト比2以上、長さ7.5μm以上の鉄の窒化物の数が、一辺150μmの正方形領域5視野内に1個以下である。
上述のように、アスペクト比2以上、長さ7.5μm以上の鉄の窒化物である粒界析出物は、機械部品の疲労強度、靭性などの特性を低下させるおそれがある。そして、本発明者が上記成分組成を有する鋼からなる機械部品について、機械部品の疲労強度と粒界析出物の数密度との関係について調査したところ、上記窒素富化層を顕微鏡にて観察した場合、粒界析出物が一辺150μmの正方形領域5視野内に1個を超える数密度で存在すると、機械部品の疲労強度が低下することが分かった。したがって、窒素富化層を顕微鏡にて観察した場合、粒界析出物の数が一辺150μmの正方形領域5視野内に1個以下であることにより、機械部品の疲労強度を向上させることができる。なお、機械部品の疲労強度を一層向上させるためには、上記粒界析出物の数は、一辺150μmの正方形領域60視野内に1個以下であることが好ましい。
上記本発明の機械部品は、軸受を構成する部品として用いられてもよい。表層部が窒化されることにより表層部が強化され、かつ粒界析出物の発生が抑制された本発明の機械部品は、疲労強度、耐摩耗性等が要求される機械部品である軸受を構成する部品として好適である。
なお、上述の機械部品を用いて、軌道輪と、軌道輪に接触し、円環状の軌道上に配置される転動体とを備えた転がり軸受を構成してもよい。すなわち、軌道輪および転動体の少なくともいずれか一方、好ましくは両方が、上述の機械部品である。表層部が窒化されることにより表層部が強化され、かつ粒界析出物の発生が抑制された本発明の機械部品を備えていることにより、当該転がり軸受によれば、長寿命な転がり軸受を提供することができる。
なお、窒素富化層における窒素および炭素の濃度は、たとえばEPMA(Electron Probe Micro Analysis)により調査することができる。また、上記鉄の窒化物(粒界析出物)の数密度は、たとえば以下のように調査することができる。すなわち、まず機械部品を表面に垂直な断面で切断し、当該断面を研磨する。その後、適切な腐食液にて当該断面腐食した上で、窒素富化層をSEM(Scanning Electron Microscope;走査型電子顕微鏡)あるいは光学顕微鏡にて観察して写真を撮影する。そして、表面が視野の一辺として規定された一辺150μmの正方形の視野を画像解析装置により解析し、粒界析出物の数を調査する。これをランダムに5視野以上において実施し、5視野あたりの粒界析出物の数を算出する。
以上の説明から明らかなように、本発明の機械部品によれば、3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなるとともに、表層部に窒素富化層が形成されており、かつ疲労強度および靭性が十分に確保された機械部品を提供することができる。
以下、図面に基づいて本発明の実施の形態を説明する。なお、以下の図面において同一または相当する部分には同一の参照番号を付し、その説明は繰り返さない。
図1は、本発明の一実施の形態における機械部品を備えた転がり軸受としての深溝玉軸受の構成を示す概略断面図である。また、図2は、図1の要部を拡大して示す概略部分断面図である。図1および図2を参照して、本発明の一実施の形態における転がり軸受としての深溝玉軸受について説明する。
図1を参照して、深溝玉軸受1は、環状の外輪11と、外輪11の内側に配置された環状の内輪12と、外輪11と内輪12との間に配置され、円環状の保持器14に保持された転動体としての複数の玉13とを備えている。外輪11の内周面には外輪転走面11Aが形成されており、内輪12の外周面には内輪転走面12Aが形成されている。そして、内輪転走面12Aと外輪転走面11Aとが互いに対向するように、外輪11と内輪12とは配置されている。さらに、複数の玉13は、玉転走面13Aにおいて内輪転走面12Aおよび外輪転走面11Aに接触し、かつ保持器14により周方向に所定のピッチで配置されることにより、円環状の軌道上に転動自在に保持されている。以上の構成により、深溝玉軸受1の外輪11および内輪12は、互いに相対的に回転可能となっている。
ここで、機械部品である外輪11、内輪12および玉13は、0.77質量%以上0.85質量%以下の炭素と、0.01質量%以上0.25質量%以下の珪素と、0.01質量%以上0.35質量%以下のマンガンと、0.01質量%以上0.15質量%以下のニッケルと、3.75質量%以上4.25質量%以下のクロムと、4質量%以上4.5質量%以下のモリブデンと、0.9質量%以上1.1質量%以下のバナジウムとを含有し、残部鉄および不純物からなる鋼から構成されている。そして、図2を参照して、外輪11、内輪12および玉13の表面である外輪転走面11A、内輪転走面12Aおよび玉転走面13Aを含む領域には、窒素濃度が0.05質量%以上である外輪窒素富化層11B、内輪窒素富化層12Bおよび玉窒素富化層13Bが形成されている。さらに、外輪窒素富化層11B、内輪窒素富化層12Bおよび玉窒素富化層13Bにおける炭素濃度と窒素濃度との合計値は0.82質量%以上1.9質量%以下である。ここで、上記不純物は、鋼の原料に由来するもの、あるいは製造工程において混入するものなどの不可避的不純物を含む。
本実施の形態における機械部品である外輪11、内輪12および玉13においては、上記適切な成分組成を有する鋼からなるとともに、表面に形成された外輪転走面11A、内輪転走面12Aおよび玉転走面13Aを含む領域に窒素濃度が0.05質量%以上である外輪窒素富化層11B、内輪窒素富化層12Bおよび玉窒素富化層13Bが形成されている。そして、外輪窒素富化層11B、内輪窒素富化層12Bおよび玉窒素富化層13Bにおける炭素濃度と窒素濃度との合計値が適切な範囲である0.82質量%以上1.9質量%以下とされることにより、表層部に十分な硬度が付与されるとともに、粒界析出物の形成が抑制されている。その結果、本実施の形態における機械部品である外輪11、内輪12および玉13は、3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなるとともに、表層部に窒素富化層が形成されており、かつ疲労強度および靭性が十分に確保された機械部品となっている。また、外輪11、内輪12および玉13を備えた転がり軸受である深溝玉軸受1は、長寿命な転がり軸受となっている。
さらに、外輪11、内輪12および玉13に形成された外輪窒素富化層11B、内輪窒素富化層12Bおよび玉窒素富化層13Bの厚みは、0.11mm以上であることが好ましい。これにより、外輪11、内輪12および玉13に十分な強度が付与される。
さらに、外輪窒素富化層11B、内輪窒素富化層12Bおよび玉窒素富化層13Bは、830HV以上の硬度を有していることが好ましい。これにより、外輪11、内輪12および玉13の強度を一層確実に確保することが可能となる。
さらに、外輪窒素富化層11B、内輪窒素富化層12Bおよび玉窒素富化層13Bを顕微鏡にて観察した場合、アスペクト比2以上、長さ7.5μm以上の鉄の窒化物の数が、一辺150μmの正方形領域5視野内に1個以下であることが好ましい。これにより、外輪11、内輪12および玉13の疲労強度を向上させることができる。
図3は、本実施の形態における第1の変形例である機械部品を備えた転がり軸受としてのスラストニードルころ軸受の構成を示す概略断面図である。また、図4は、図3の要部を拡大して示す概略部分断面図である。図3および図4を参照して、第1の変形例であるスラストニードルころ軸受について説明する。
図3を参照して、スラストニードルころ軸受2は、円盤状の形状を有し、互いに一方の主面が対向するように配置された転動部材としての一対の軌道輪21と、転動部材としての複数のニードルころ23と、円環状の保持器24とを備えている。複数のニードルころ23は、一対の軌道輪21の互いに対向する主面に形成された軌道輪転走面21Aに、その外周面であるころ転走面23Aにおいて接触し、かつ保持器24により周方向に所定のピッチで配置されることにより円環状の軌道上に転動自在に保持されている。以上の構成により、スラストニードルころ軸受2の一対の軌道輪21は、互いに相対的に回転可能となっている。
ここで、図4を参照して、本変形例におけるスラストニードルころ軸受2の軌道輪21は上記深溝玉軸受1の外輪11および内輪12に、ニードルころ23は玉13に該当し、同様の構成を有しており、同様の効果を奏する。すなわち、機械部品である軌道輪21およびニードルころ23は、0.77質量%以上0.85質量%以下の炭素と、0.01質量%以上0.25質量%以下の珪素と、0.01質量%以上0.35質量%以下のマンガンと、0.01質量%以上0.15質量%以下のニッケルと、3.75質量%以上4.25質量%以下のクロムと、4質量%以上4.5質量%以下のモリブデンと、0.9質量%以上1.1質量%以下のバナジウムとを含有し、残部鉄および不純物からなる鋼から構成されている。そして、図4を参照して、軌道輪21およびニードルころ23の表面である軌道輪転走面21Aおよびころ転走面23Aを含む領域には、窒素濃度が0.05質量%以上である軌道輪窒素富化層21Bおよびころ窒素富化層23Bが形成されている。さらに、軌道輪窒素富化層21Bおよびころ窒素富化層23Bにおける炭素濃度と窒素濃度との合計値は0.82質量%以上1.9質量%以下である。
本変形例における機械部品である軌道輪21およびニードルころ23においては、上記適切な成分組成を有する鋼からなるとともに、表面に形成された軌道輪転走面21Aおよびころ転走面23Aを含む領域に窒素濃度が0.05質量%以上である軌道輪窒素富化層21Bおよびころ窒素富化層23Bが形成されている。そして、軌道輪窒素富化層21Bおよびころ窒素富化層23Bにおける炭素濃度と窒素濃度との合計値が適切な範囲である0.82質量%以上1.9質量%以下とされることにより、表層部に十分な硬度が付与されるとともに、粒界析出物の形成が抑制されている。その結果、本変形例における機械部品である軌道輪21およびニードルころ23は、3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなるとともに、表層部に窒素富化層が形成されており、かつ疲労強度および靭性が十分に確保された機械部品となっている。また、軌道輪21およびニードルころ23を備えた転がり軸受であるスラストニードルころ軸受2は、長寿命な転がり軸受となっている。
図5は、本実施の形態における第2の変形例である機械部品を備えた等速ジョイントの構成を示す概略断面図である。また、図6は、図5の線分VI−VIに沿う概略断面図である。また、図7は、図5の等速ジョイントが角度をなした状態を示す概略断面図である。また、図8は、図5の要部を拡大して示す概略部分断面図である。また、図9は、図6の要部を拡大して示す概略部分断面図である。なお、図5は、図6の線分V−Vに沿う概略断面図に対応する。図5〜図9を参照して、第2の変形例である等速ジョイントについて説明する。
図5および図6を参照して、等速ジョイント3は、軸35に連結されたインナーレース31と、インナーレース31の外周側を囲むように配置され、軸36に連結されたアウターレース32と、インナーレース31とアウターレース32との間に配置されたトルク伝達用のボール33と、ボール33を保持するケージ34とを備えている。ボール33は、インナーレース31の外周面に形成されたインナーレースボール溝31Aと、アウターレース32の内周面に形成されたアウターレースボール溝32Aとにボール転走面33Aにおいて接触して配置され、脱落しないようにケージ34によって保持されている。
インナーレース31の外周面およびアウターレース32の内周面のそれぞれに形成されたインナーレースボール溝31Aとアウターレースボール溝32Aとは、図3に示すように、軸35および軸36の中央を通る軸が一直線上にある状態において、それぞれ当該軸上のジョイント中心Oから当該軸上の左右に等距離離れた点Aおよび点Bを曲率中心とする曲線(円弧)状に形成されている。すなわち、インナーレースボール溝31Aおよびアウターレースボール溝32Aに接触して転動するボール33の中心Pの軌跡が、点A(インナーレース中心A)および点B(アウターレース中心B)に曲率中心を有する曲線(円弧)となるように、インナーレースボール溝31Aおよびアウターレースボール溝32Aのそれぞれは形成されている。これにより、等速ジョイントが角度をなした場合(軸35および軸36の中央を通る軸が交差するように等速ジョイントが動作した場合)においても、ボール33は、常に軸35および軸36の中央を通る軸のなす角(∠AOB)の2等分線上に位置する。
次に、等速ジョイント3の動作について説明する。図5および図6を参照して、等速ジョイント3においては、軸35、36の一方に軸まわりの回転が伝達されると、インナーレースボール溝31Aおよびアウターレースボール溝32Aに嵌め込まれたボール33を介して、軸35、36の他方の軸に当該回転が伝達される。ここで、図7に示すように軸35、36が角度θをなした場合、ボール33は、前述のインナーレース中心Aおよびアウターレース中心Bに曲率中心を有するインナーレースボール溝31Aおよびアウターレースボール溝32Aに案内されて、中心Pが∠AOBの二等分線上となる位置に保持される。ここで、ジョイント中心Oからインナーレース中心Aまでの距離と、アウターレース中心Bまでの距離とが等しくなるように、インナーレースボール溝31Aおよびアウターレースボール溝32Aが形成されているため、ボール33の中心Pからインナーレース中心Aおよびアウターレース中心Bまでの距離はそれぞれ等しく、三角形OAPと三角形OBPとは合同である。その結果、ボール33の中心Pから軸35、36までの距離Lは互いに等しくなり、軸35、36の一方が軸まわりに回転した場合、他方も等速で回転する。このように、等速ジョイント3は、軸35、36が角度をなした場合でも、等速性を確保することができる。なお、ケージ34は、軸35、36が回転した場合に、インナーレースボール溝31Aおよびアウターレースボール溝32Aからボール33が飛び出すことをインナーレースボール溝31Aおよびアウターレースボール溝32Aとともに防止すると同時に、等速ジョイント3のジョイント中心Oを決定する機能を果たしている。
ここで、本変形例における等速ジョイント3のインナーレース31およびアウターレース32は上記深溝玉軸受1の外輪11および内輪12に、ボール33は玉13に該当し、同様の構成を有しており、同様の効果を奏する。すなわち、機械部品であるインナーレース31、アウターレース32およびボール33は、0.77質量%以上0.85質量%以下の炭素と、0.01質量%以上0.25質量%以下の珪素と、0.01質量%以上0.35質量%以下のマンガンと、0.01質量%以上0.15質量%以下のニッケルと、3.75質量%以上4.25質量%以下のクロムと、4質量%以上4.5質量%以下のモリブデンと、0.9質量%以上1.1質量%以下のバナジウムとを含有し、残部鉄および不純物からなる鋼から構成されている。そして、図8および図9を参照して、インナーレース31、アウターレース32およびボール33の表面に形成されたインナーレースボール溝31Aの表面、アウターレースボール溝32Aの表面およびボール転走面33Aを含む領域には、窒素濃度が0.05質量%以上であるインナーレース窒素富化層31B、アウターレース窒素富化層32Bおよびボール窒素富化層33Bが形成されている。さらに、インナーレース窒素富化層31B、アウターレース窒素富化層32Bおよびボール窒素富化層33Bにおける炭素濃度と窒素濃度との合計値は0.82質量%以上1.9質量%以下である。
本変形例における機械部品であるインナーレース31、アウターレース32およびボール33においては、上記適切な成分組成を有する鋼からなるとともに、表面に形成されたインナーレースボール溝31Aの表面、アウターレースボール溝32Aの表面およびボール転走面33Aを含む領域に窒素濃度が0.05質量%以上であるインナーレース窒素富化層31B、アウターレース窒素富化層32Bおよびボール窒素富化層33Bが形成されている。そして、インナーレース窒素富化層31B、アウターレース窒素富化層32Bおよびボール窒素富化層33Bにおける炭素濃度と窒素濃度との合計値が適切な範囲である0.82質量%以上1.9質量%以下とされることにより、表層部に十分な硬度が付与されるとともに、粒界析出物の形成が抑制されている。その結果、本変形例における機械部品であるインナーレース31、アウターレース32およびボール33は、3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなるとともに、表層部に窒素富化層が形成されており、かつ疲労強度および靭性が十分に確保された機械部品となっている。また、インナーレース31、アウターレース32およびボール33を備えた自在継手である等速ジョイント3は、長寿命な等速自在継手となっている。
次に、上記本発明の一実施の形態における機械部品、および上記機械部品を備えた転がり軸受、等速ジョイントなどの機械要素の製造方法について説明する。図10は、本発明の一実施の形態における機械部品および当該機械部品を備えた機械要素の製造方法の概略を示す図である。
図10を参照して、まず、0.77質量%以上0.85質量%以下の炭素と、0.01質量%以上0.25質量%以下の珪素と、0.01質量%以上0.35質量%以下のマンガンと、0.01質量%以上0.15質量%以下のニッケルと、3.75質量%以上4.25質量%以下のクロムと、4質量%以上4.5質量%以下のモリブデンと、0.9質量%以上1.1質量%以下のバナジウムとを含有し、残部鉄および不純物からなる鋼からなり、機械部品の概略形状に成形された鋼部材を準備する鋼部材準備工程が実施される。具体的には、たとえば、上記成分を含有する棒鋼、鋼線などを素材とし、当該棒鋼、鋼線などに対して切断、鍛造、旋削などの加工が実施されることにより、機械部品としての外輪11、軌道輪21、インナーレース31などの機械部品の概略形状に成形された鋼部材が準備される。
次に、鋼部材準備工程において準備された上述の鋼部材に対して、焼入処理および窒化処理を含む熱処理を行なう熱処理工程が実施される。この熱処理工程の詳細については後述する。
次に、熱処理工程が実施された鋼部材に対して、仕上げ加工などが施される仕上げ工程が実施される。具体的には、たとえば、熱処理工程が実施された鋼部材の内輪転走面12A、軌道輪転走面21A、アウターレースボール溝32Aなどに対する研磨加工が実施される。これにより、本実施の形態における機械部品は完成し、本実施の形態における機械部品の製造方法は完了する。
さらに、完成した機械部品が組合わされて機械要素が組立てられる組立て工程が実施される。具体的には、上述の工程により製造された本発明の機械部品である、たとえば外輪11、内輪12、玉13と保持器14とが組合わされて、深溝玉軸受1が組立てられる。これにより、本発明の機械部品を備えた機械要素が製造される。
次に、上述の熱処理工程の詳細について説明する。図11は、本実施の形態における機械部品の製造方法に含まれる熱処理工程の詳細を説明するための図である。図11において、横方向は時間を示しており右に行くほど時間が経過していることを示している。また、図11において、縦方向は温度を示しており上に行くほど温度が高いことを示している。図11を参照して、本実施の形態における機械部品の製造方法に含まれる熱処理工程の詳細について説明する。
図11を参照して、本実施の形態における機械部品の製造方法の熱処理工程においては、まず、被処理物としての鋼部材が焼入処理される焼入工程が実施される。具体的には、鋼部材が減圧雰囲気中(真空中)または塩浴中でA1変態点以上の温度である温度T1に加熱され、時間t1の間保持された後、A1変態点以上の温度からMS点以下の温度に冷却されることにより、鋼部材が焼入処理される。
ここで、A1点とは鋼を加熱した場合に、鋼の組織がフェライトからオーステナイトに変態を開始する温度に相当する点をいう。また、Ms点とはオーステナイト化した鋼が冷却される際に、マルテンサイト化を開始する温度に相当する点をいう。
次に、焼入処理が実施された鋼部材に対し、焼戻処理を行なう第1焼戻工程が実施される。具体的には、たとえば鋼部材が真空中でA1変態点未満の温度である温度T2に加熱され、時間t2の間保持された後、冷却されることにより鋼部材が焼戻処理される。これにより、鋼部材の焼入処理による残留応力を緩和し、熱処理によるひずみが抑制される等の効果が得られる。
次に、第1焼戻工程が実施された鋼部材に対し、サブゼロ処理を行なうサブゼロ工程が実施される。具体的には、鋼部材がたとえば液体窒素を噴霧されて0℃未満の温度である温度T3に冷却され、時間t3の間保持されることによりサブゼロ処理される。これにより、鋼部材の焼入処理により生成した残留オーステナイトがマルテンサイトに変態し、鋼の組織が安定化する等の効果が得られる。
次に、サブゼロ工程が実施された鋼部材に対し、焼戻処理を行なう第2焼戻工程が実施される。具体的には、たとえば鋼部材が真空中でA1変態点未満の温度である温度T4に加熱され、時間t4の間保持された後、冷却されることにより焼戻処理される。これにより、鋼部材のサブゼロ処理による残留応力が緩和され、ひずみが抑制される等の効果が得られる。
次に、第2焼戻工程が実施された鋼部材に対し、再度焼戻処理を行なう第3焼戻工程が実施される。具体的には、たとえば上記第2焼戻工程と同様に鋼部材が真空中でA1変態点未満の温度である温度T5に加熱され、時間t5の間保持された後、冷却されることにより、焼戻処理される。ここで、温度T5およびt5は第2焼戻工程の温度T4およびt4と同様の条件とすることができる。これにより、第2焼戻工程と同様に、鋼部材のサブゼロ処理による残留応力を緩和し、ひずみが抑制される等の効果が得られる。なお、第2焼戻工程および第3焼戻工程は、1つの工程で実施してもよい。
次に、第3焼戻工程が実施された鋼部材に対し、プラズマ窒化処理を行なうプラズマ窒化工程が実施される。具体的には、たとえば圧力50Pa以上5000Pa以下となるように窒素(N2)と、水素(H2)、メタン(CH4)およびアルゴン(Ar)からなる群から選択される少なくともいずれか1つ以上とが導入されたプラズマ窒化炉に、鋼部材が挿入され、放電電圧50V以上1000V以下、放電電流0.001A以上100A以下の条件下で温度T6に加熱されて時間t6の間保持された後、冷却されることにより鋼部材がプラズマ窒化処理される。これにより、鋼部材の表層部に窒素が侵入して窒素富化層が形成され、当該表層部の強度が向上する。ここで、温度T6は、たとえば300℃以上550℃以下、時間t6は1時間以上80時間以下とすることができる。この温度T6、時間t6などの熱処理条件は、仕上げ工程で実施される仕上げ加工における取りしろを考慮し、プラズマ窒化処理において形成される粒界析出物層の厚みが、仕上げ加工において除去可能な厚みとなるように決定することができる。
なお、鋼部材を構成する鋼がAMS規格6490(AISI規格M50)である場合、プラズマ窒化工程における上記圧力は50Pa以上1000Pa以下、放電電圧は50V以上600V以下、放電電流は0.001A以上300A以下、温度T6は350℃以上450℃以下、時間t6は1時間以上50時間以下とすることが好ましい。
次に、プラズマ窒化工程が実施された鋼部材に対し、拡散処理を行なう拡散工程が実施される。具体的には、たとえば真空中で温度T7に加熱され、時間t7の間保持されることにより鋼部材が拡散処理される。ここで、温度T7は、300℃以上480℃以下、好ましくは300℃以上430℃以下、時間t7は50時間以上300時間以下とすることができる。これにより、窒化層形成による表層部の硬度上昇が相殺されることを抑制しつつ、鋼に侵入した窒素を所望の領域にまで到達させることができる。そして、この拡散工程を実施することにより、プラズマ窒化工程において窒素が侵入する深さを、仕上げ加工での粒界析出物層の除去が可能な範囲にとどめても、鋼に侵入した窒素を所望の領域にまで到達させることができる。以上の工程により、本実施の形態における熱処理工程は完了する。
以上のように、本実施の形態における鋼の熱処理方法によれば、3.75質量%以上のクロムを含有する鋼の表層部を窒化処理して高硬度な窒素富化層を形成するとともに、拡散処理により粒界析出物の発生を抑制することができる。
また、上記実施の形態における機械部品の製造方法によれば、3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなり、表層部が窒化処理されて高硬度な窒素富化層が形成されるとともに、粒界析出物の発生が抑制された機械部品(外輪11、軌道輪21、インナーレース31など)を製造することができる。その結果、上述のように、本実施の形態における機械部品(外輪11、軌道輪21、インナーレース31など)の表面(外輪転走面11A、軌道輪転走面21A、インナーレースボール溝31Aの表面など)を含む領域に窒素濃度が0.05質量%以上、炭素濃度と窒素濃度との合計値が0.82質量%以上1.9質量%以下である厚み0.11mm以上、硬度830HV以上の窒素富化層を形成するとともに、当該窒素富化層を表面に垂直な断面で切断し、当該断面を光学顕微鏡またはSEMを用いて、表面を含む一辺150μmの正方形の視野をランダムに5視野観察した場合、粒界析出物の検出数を1個以下とすることができる。ここで、窒素富化層における炭素濃度および窒素濃度は、たとえばプラズマ窒化工程において実施されるプラズマ窒化の処理時間、および拡散工程において実施される拡散処理の処理時間を調整することにより、コントロールすることができる。
なお、上記実施の形態においては、本発明の機械部品の一例として、深溝玉軸受、スラストニードルころ軸受、等速ジョイントを構成する機械部品について説明したが、本発明の機械部品はこれに限られず、表層部の疲労強度、耐摩耗性等が要求される機械部品、たとえばハブ、ギア、シャフト等を構成する機械部品であってもよい。
以下、本発明の実施例1について説明する。本発明の機械部品と同様の構成を有するサンプルを、上記実施の形態における鋼の熱処理方法を採用した機械部品の製造方法により実際に作製し、表層部における粒界析出物の発生が抑制されていることを確認する実験を行なった。実験の手順は以下のとおりである。
まず、0.77質量%以上0.85質量%以下の炭素と、0.01質量%以上0.25質量%以下の珪素と、0.01質量%以上0.35質量%以下のマンガンと、0.01質量%以上0.15質量%以下のニッケルと、3.75質量%以上4.25質量%以下のクロムと、4質量%以上4.5質量%以下のモリブデンと、0.9質量%以上1.1質量%以下のバナジウムとを含有し、残部鉄および不純物からなる鋼であるAMS規格6490(AISI規格M50)の鋼材を準備し、これを加工することにより外径φ40mm、内径φ30mm、厚みt16mmの試験片を作製した。
次に、この試験片に対し、上記実施の形態において図11に基づいて説明した鋼の熱処理方法を用いた熱処理工程を実施した。ここで、T1、t1、T2、t2、T3、t3、T4、t4、T5およびt5は、第3焼戻工程後の試験片の硬度が58HRC以上65HRC以下となるように決定し、T6は430℃、t6は10時間、T7は430℃、t7は160時間とした。また、プラズマ窒化工程においては、プラズマ窒化時の処理温度T6が430℃となるように、放電電圧を200V以上450V以下、放電電流を1A以上5A以下の範囲で制御した。さらに、プラズマ窒化工程においては、プラズマ窒化時の炉内の圧力が267Pa以上400Pa以下となるように、窒素(N2):水素(H2)=1:1の割合で炉内にガスを導入した。
さらに、拡散工程では、窒素雰囲気に調整された雰囲気炉内において試験片が加熱され、試験片の表面における炭素濃度と窒素濃度との和が1.9質量%以下となるように、拡散処理が実施された。以上のように本発明の鋼の熱処理方法が実施された試験片を、本発明の実施例のサンプルとした(実施例A)。
一方、同様に作製されたAMS規格6490からなる試験片に対し、上記実施の形態において図11に基づいて説明した鋼の熱処理方法から、拡散工程を省略した熱処理工程を実施した。ここで、T1、t1、T2、t2、T3、t3、T4、t4、T5およびt5は、第3焼戻工程後の試験片の硬度が58HRC以上65HRC以下となるように決定し、T6は480℃、t6は30時間とした。また、プラズマ窒化工程においては、プラズマ窒化時の処理温度T6が480℃となるように、放電電圧を200V以上450V以下、放電電流を1A以上5A以下の範囲で制御した。さらに、プラズマ窒化工程においては、プラズマ窒化時の炉内の圧力が267Pa以上400Pa以下となるように、窒素(N2):水素(H2):メタン(CH4)=79:80:1の割合で炉内にガスを導入した。以上の熱処理方法が実施された試験片を、本発明の比較例のサンプルとした(比較例A)。
そして、上述のように作製された実施例Aおよび比較例Aのサンプルを表面に垂直な断面にて切断し、当該断面を研磨した。さらに、研磨された断面を腐食液にて腐食した後、表面を含む一辺150μmの正方形の視野をランダムに5視野観察した。
次に、実験結果について説明する。図12は、実施例Aの表面付近におけるミクロ組織の光学顕微鏡写真である。また、図13は、実施例Aの表面付近における硬度分布を示す図である。また、図14は、実施例Aの表面付近における炭素および窒素の濃度の分布を示す図である。また、図15は、比較例Aの表面付近におけるミクロ組織の光学顕微鏡写真である。また、図16は、比較例Aの表面付近における硬度分布を示す図である。また、図17は、比較例Aの表面付近における炭素および窒素の濃度の分布を示す図である。図12および図15において、写真上部がサンプルの表面側に該当する。また、図13および図16において、横軸は表面からの深さ(距離)、縦軸は硬度(単位はビッカース硬さ)を示している。また、図14および図17において、横軸は表面からの深さ(距離)、縦軸は炭素および窒素の濃度を示しており、図中に炭素濃度(C濃度)、窒素濃度(N濃度)および炭素濃度と窒素濃度との合計値(C+N濃度)が示されている。
図12を参照して、本発明の実施例Aのサンプルにおける表層部には、粒界析出物(アスペクト比2以上で、かつ7.5μm以上の長さで形成された鉄の窒化物)は観察されず、良好なミクロ組織となっている。また、図13および図14を参照して、実施例Aのサンプルの表面から深さ0.05mm以内の領域は、950HV以上という十分な硬度を有しているとともに、十分な量の窒素が侵入している。そのため、実施例Aと同様の熱処理を実施した鋼部材の表面に対して研磨などの仕上げ加工を施すことにより、窒素濃度が0.05質量%以上、炭素濃度と窒素濃度との合計値が0.82質量%以上1.9質量%以下、厚み0.11mm以上、硬度830HV以上の窒素富化層が形成されるとともに、当該窒素富化層を顕微鏡にて観察した場合、粒界析出物が一辺150μmの正方形領域5視野内に1個以下である機械部品を製造することができる。
一方、図15を参照して、本発明の範囲外である比較例Aのサンプルにおける表層部には、多数の粒界析出物90が観察される。また、図16および図17を参照して、比較例Aのサンプルの表面から深さ0.05mm以内の領域は、実施例Aと同様に、950HV以上という十分な硬度を有しているとともに、十分な量の窒素が侵入している。そのため、比較例Aと同様の熱処理を実施した鋼部材の表面に対して研磨などの仕上げ加工を施しても、高硬度な表層部が形成されているものの、表層部に粒界析出物が残存する機械部品が得られる。このような機械部品は、上述のように、十分な疲労強度や靭性を有しているとはいえない。
以上より、上記実施の形態における鋼の熱処理方法を採用した機械部品の製造方法によれば、3.75質量%以上のクロムを含有する鋼からなるとともに、表層部に窒素富化層が形成されており、かつ疲労強度および靭性が十分に確保された本発明の機械部品を製造可能であることが確認された。
以下、本発明の実施例2について説明する。上記実施の形態において説明した鋼の熱処理方法の拡散工程における、適切な加熱温度の範囲を調査する実験を行なった。実験の手順は以下のとおりである。
まず、0.77質量%以上0.85質量%以下の炭素と、0.01質量%以上0.25質量%以下の珪素と、0.01質量%以上0.35質量%以下のマンガンと、0.01質量%以上0.15質量%以下のニッケルと、3.75質量%以上4.25質量%以下のクロムと、4質量%以上4.5質量%以下のモリブデンと、0.9質量%以上1.1質量%以下のバナジウムとを含有し、残部鉄および不純物からなる鋼であるAMS規格6490(AISI規格M50)の鋼材を準備し、これを加工することにより外径φ40mm、内径φ30mm、厚みt16mmの試験片を作製した。
次に、この試験片に対し、上記実施の形態において図11に基づいて説明した鋼の熱処理方法を用いた熱処理工程のうち、焼入工程から第3焼戻工程までを上記実施例1の実施例Aの場合と同様に実施した。そして、当該試験片を430℃〜570℃の温度に種々の時間保持することにより、拡散工程と同様の工程を実施し、試験片の硬度を測定した。さらに、当該測定結果を反応速度論に基づき解析し、拡散工程の各加熱温度における加熱処理時間(拡散時間)と硬度との関係を算出した。
一方、同様の試験片に焼入工程から第3焼戻工程までを上記実施例1の実施例Aの場合と同様に実施した後、実際にプラズマ窒化工程および拡散工程を実施して、試験片の硬度分布を確認する実験も行なった。プラズマ窒化工程においては、プラズマ窒化時の処理温度T6が480℃となるように、放電電圧を200V以上450V以下、放電電流を1A以上5A以下の範囲で制御し、1時間保持することによりプラズマ窒化を行なった。さらに、プラズマ窒化工程では、プラズマ窒化時の炉内の圧力が267Pa以上400Pa以下となるように、窒素(N2):水素(H2)=1:1の割合で炉内にガスを導入した。さらに、プラズマ窒化工程が完了した試験片に対して、480℃で50時間保持する拡散工程を行なった。そして、拡散工程を実施する前後における試験片の表層部における硬度分布を測定した。
次に、実験の結果について説明する。図18は、上記反応速度論に基づく解析の結果得られた、拡散工程の各加熱温度における加熱処理時間(拡散時間)と試験片の硬度との関係を示す図(アブラミプロット)である。図18において、横軸は加熱処理時間(拡散時間)、縦軸は試験片の硬度を示している。また、図19は、拡散工程を行なう前の試験片、および480℃で50時間保持する拡散工程を行なった試験片の表層部の硬度分布を示す図である。図19において、横軸は表面からの深さ(距離)、縦軸は硬度を示している。また、図19において、菱形は拡散工程を行なう前の試験片、四角形は480℃で50時間保持する拡散工程を行なった試験片の硬度を示している。
図18を参照して、試験片の硬度は、拡散温度が高いほど短時間で低下しているが、拡散温度が480℃になると、200時間拡散処理を行なった場合でも硬度の低下幅が40HV以下となり、母材の硬度(プラズマ窒化による窒素の侵入の影響がない領域における硬度)の低下が表層部の硬度に及ぼす影響が小さくなる。また、拡散温度が460℃になると、200時間拡散処理を行なった場合でも硬度の低下幅が25HV以下となり、母材の硬度の低下が表層部の硬度に及ぼす影響が一層小さくなる。さらに、拡散温度が430℃になると、200時間拡散処理を行なった場合でも硬度の低下幅が10HV以下となり、母材の硬度の低下は、表層部の硬度にほとんど影響を及ぼさなくなる。
一方、図19を参照して、480℃で50時間保持する拡散工程を行なった場合、実際の母材硬度の低下幅は、図18の解析結果とほぼ一致しており、図18の解析結果は、実際の熱処理の結果に一致しているものと考えられる。
以上の実験結果より、拡散工程における加熱温度(拡散温度)は、母材の硬度の低下が表層部の硬度に及ぼす影響を抑制しつつ、鋼に侵入した窒素を所望の領域にまで到達させる観点から、480℃以下とする必要があり、460℃以下とすることが好ましい。さらに、当該加熱温度を430℃以下とすることにより、母材の硬度の低下を表層部の硬度にほとんど影響させることなく、拡散工程を実施することができる。なお、母材の硬度の低下が表層部の硬度に及ぼす影響を抑制する観点からは、拡散工程における加熱温度を一層低くすることが好ましいが、鋼に侵入した窒素を所望の領域にまで到達させるために要する時間が実際の生産工程における許容限度を超えて長くなることを回避するため、当該加熱温度は300℃以上とすることが好ましい。
今回開示された実施の形態および実施例はすべての点で例示であって、制限的なものではないと考えられるべきである。本発明の範囲は上記した説明ではなくて特許請求の範囲によって示され、特許請求の範囲と均等の意味、および範囲内でのすべての変更が含まれることが意図される。
1 深溝玉軸受、2 スラストニードルころ軸受、3 等速ジョイント、11 外輪、11A 外輪転走面、11B 外輪窒素富化層、12 内輪、12A 内輪転走面、12B 内輪窒素富化層、13 玉、13A 玉転走面、13B 玉窒素富化層、14,24 保持器、21 軌道輪、21A 軌道輪転走面、21B 軌道輪窒素富化層、23A ころ転走面、23B ころ窒素富化層、31 インナーレース、31A インナーレースボール溝、31B インナーレース窒素富化層、32 アウターレース、32A アウターレースボール溝、32B アウターレース窒素富化層、33 ボール、33A ボール転走面、33B ボール窒素富化層、34 ケージ、35,36 軸、90 粒界析出物。