JP4524894B2 - 複層組織Cr系ステンレス鋼およびその製造方法 - Google Patents
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Description
【発明の属する技術分野】
本発明は、高い強度と良好な加工性とを備えるCr系ステンレス鋼およびその製造方法に関する。本発明に係るCr系ステンレス鋼は、各種形状へ加工された後に、ばね、ばね部品、ばね特性が要求される電子機器、機械部品全般へ供される部材の材質として好適である。特に、加工後に高い疲労強度が要求されるエンジン用ガスケットの材質として最適である。
【0002】
【従来の技術】
エンジン用ガスケットは、燃焼ガス、冷却水、潤滑油を密閉することを目的として、シリンダーヘッドとブロックとの間の隙間に挿入されるシ−ル部品であり、エンジンの燃焼室(形状、数)に対応する穴を有する2〜3枚のステンレス薄鋼板を重ね合わせたものが通常用いられている。その基本構造は、燃焼室の周囲に対応する部位にプレス加工等により円環状の凸部(ビード)が形成されたものであり、燃焼時に発生する上記隙間をビ−ドの反発力により密閉するものである。
【0003】
エンジン用ガスケットに適用される材料には、高い強度と良好な加工性が要求される。このため、SUS301、SUS304に代表されるオーステナイト系ステンレス鋼板が従来から広く使用されている。上記鋼板は、加工誘起変態で生じるマルテンサイト相により強度を高めてばね特性を得たものである。上記鋼板は、素材メーカから冷間圧延状態で出荷され、加工メーカにおいて所望形状に加工される。加工後には、ばね特性の向上を目的として時効処理が施される場合が多い。
【0004】
オーステナイト系ステンレス鋼板は、高強度でありながら良好な加工性を有する優れた鋼板である。しかしながら、高価なNiを多量に含有するものであることから鋼材コストが高いという問題がある。また、厚さが0.3mm以下の極薄鋼板を製造する場合には、冷間圧延時の圧延負荷が高くなり、良好な形状の鋼板を得るのが困難であるという問題もある。
【0005】
上記課題の解決を試みたものとして、特開平7−278758号公報には、化学組成が重量%で、Cr:11〜18%、C:0.1〜0.5%、N:0.01〜0.2%を含有し、殆どNiを含有しないエンジンガスケット用ステンレス鋼(マルテンサイト系ステンレス鋼)およびその製造方法が開示されている。
【0006】
上記公報に開示されているエンジンガスケット用ステンレス鋼は、高温で安定なオーステナイト相領域から焼入れ熱処理を施し、成形加工前あるいは加工後に150〜500℃で焼戻し熱処理を施すことにより製造され、焼戻しマルテンサイトで400以上550以下のビッカース硬さを有するものである。
【0007】
【発明が解決しようとする課題】
近年、エンジンの高出力化および軽量化というユーザニーズに対応すべく、エンジンのシリンダーヘッドおよびシリンダーブロックの薄肉化が進められている。このため、エンジンの剛性が低下し、燃焼時に生じるシリンダーヘッドとシリンダーブロックとの間隙の変位量が増大する傾向にあり、エンジン用ガスケットには従来よりも大きな応力が繰返し負荷されるようになってきている。したがって、エンジン用ガスケットに適用する材料には、より高い疲労強度が要求されるようになってきている。
【0008】
一般に、疲労強度は材料の強度(硬さ)を高めることにより向上させることができる。しかしながら、材料の強度と加工性とは相反する関係にあり、高強度化に伴い加工性は劣化するため、所定の部材形状を確保するという加工性の制約により疲労強度を向上させることが困難となる場合がある。また、例え所定の形状に加工できたとしても、加工時に部材の表層部に微細割れなどの表面欠陥が導入され、その後に繰返し応力を受けることによって前記表面欠陥に応力が集中し、疲労破壊に至る場合がある。すなわち、高強度であっても良好な加工性を有しない材料は加工後の疲労強度に劣るのである。
【0009】
例えば、特開平7−278758号公報に開示されたエンジンガスケット用ステンレス鋼は、同公報の図1に示されているように、素材のビッカース硬さが550を超えると、ビード形成後の疲労強度が著しく低下しており、上述した現象により加工後の疲労強度が低下したものと推測される。
【0010】
したがって、加工後においても良好な疲労強度を得るためには、高い強度と良好な加工性とを材料に具備させることが必要であり、例えばエンジン用ガスケットのように従来よりも高い疲労強度が要求されるようになっている部材にCr系ステンレス鋼を適用していくには、Cr系ステンレス鋼の強度と加工性とをさらに向上させることが必要である。
【0011】
また、特開平7−278758号公報に開示されているエンジンガスケット用ステンレス鋼のようなマルテンサイト単相組織の鋼は、一般に、焼入れ熱処理後の高強度状態での成形加工が困難な場合が多く、成形加工前に焼戻し熱処理が必要となり、最終製品のコストが高くなる場合がある。また、焼戻し熱処理により炭窒化物の析出が生じ、耐食性が損なわれるという問題も有する。
【0012】
本発明は、上述した問題点に鑑み、高い強度(例えばビッカース硬さで550超)でありながら良好な加工性(例えば曲げ性)を有し、加工後において良好な疲労強度を有するCr系ステンレス鋼およびその製造方法を提供することを目的とする。
【0013】
【課題を解決するための手段】
本発明者らは、Cr系ステンレス鋼の上記のような各種の性能を改善すべく、鋼の結晶組織の影響等種々研究を重ねた結果、以下に記す新たな知見を得た。
【0014】
(A)鋼に曲げ加工などの加工を行った際の変形量は、鋼の内部(以下、「鋼内層部」若しくは「内層部」ともいう。)よりも表面(以下、「鋼表層部」若しくは「表層部」ともいう。)の方が大きい。鋼表層部に残留オーステナイト相を存在させ、加工時に生じる残留オーステナイト相の加工誘起変態に伴う変形能の向上効果を活用することにより、鋼の加工性を向上させることができ、加工後の疲労破壊の起点となる表面割れ(ミクロクラック)の発生を抑制できる。さらに、残留オーステナイト相の加工誘起変態により、表層部に強靭な組織を形成することができる。これらの作用により、加工後の疲労強度を向上させることができる。
【0015】
したがって、鋼表層部をマルテンサイト相と残留オーステナイト相とを含有する混合組織とし、内層部をマルテンサイト単相組織とすることにより、高い強度と良好な加工性を具備させることができ、加工後において良好な疲労強度を有する鋼が得られる。
【0016】
(B)質量%で、C:0.05%以上0.20%以下、Cr:10%以上16%以下を含有するCr系ステンレス鋼を、窒素含有雰囲気中で均熱してオーステナイト単相とし、前記窒素含有雰囲気中の窒素を鋼表層部に吸収させたのち、1℃/秒以上の冷却速度で冷却する複層化熱処理を行うことにより、鋼の表層部に残留オーステナイト相を生成させることができる。これは、均熱過程において鋼の表層部に窒素を吸収させることによりオーステナイト相が安定になるためと考えられる。
【0017】
なお、本明細書において用いる「表層部」とは、例えば雰囲気中から吸収した窒素が鋼内部を拡散することにより形成した鋼表面近傍の高窒素濃度領域を意味し、一般には、内層部に対する相対的用語であって、鋼材の表面を含む領域をいう。そして、上記例示した場合においては、表層部の厚さは、EPMA装置により鋼の表面から窒素濃度のプロファイルを測定することによって、あるいは断面を腐食した後にSEM観察等することによって求めることができ、表層部の組織は、上記高窒素濃度領域の組織をもって決定され、内層部の組織は、鋼内部の低窒素濃度領域の組織をもって決定される。ここで、高窒素濃度領域とは、複層化熱処理前の被熱処理材の窒素濃度に対して複層化熱処理により窒素濃度が高められた領域であり、低窒素濃度領域とは前記高窒素濃度領域に比して窒素濃度が低い領域である。
【0018】
また、「複層組織」とは、例えば上記のように、鋼表層部がマルテンサイト相と残留オーステナイト相とを含有する混合組織であり、内層部がマルテンサイト単相組織である組織をいい、一般には、表層部の組織と内層部の組織とが異なる組織をいう。「複層化熱処理」とは、例えば上記のように、質量%で、C:0.05%以上0.20%以下、Cr:10%以上16%以下を含有するCr系ステンレス鋼を、窒素含有雰囲気中で均熱してオーステナイト単相とし、前記窒素含有雰囲気中の窒素を鋼表層部に吸収させたのちに1℃/秒以上の冷却速度で冷却する熱処理をいい、一般には複層組織を形成せしめる熱処理をいう。
【0019】
本発明はこれらの新たに得られた知見を基にして完成されたものであり、その要旨は下記(1)および(2)に記載の複層組織Cr系ステンレス鋼ならびに(3)および(4)に記載の複層組織Cr系ステンレス鋼の製造方法にある。
【0020】
(1)質量%で、C:0.05〜0.20%、Si:2.0%以下、Mn:0.3〜2.0%、Cr:10〜16%、N:0.001〜0.04%、Al:0.05%以下、Ni:2.0%以下、Ti:0.001〜0.02%、Nb:0.1%以下、V:0.3%以下、Mo:2.0%以下、Cu:2.0%以下、を含有し、残部は鉄および不純物からなり、表層部がマルテンサイト相と残留オーステナイト相とを含有する混合組織からなり、内層部がマルテンサイト単相組織からなることを特徴とする複層組織Cr系ステンレス鋼。
【0021】
(2)前記表層部における残留オーステナイト相の比率が5体積%以上であることを特徴とする上記(1)項に記載の複層組織Cr系ステンレス鋼。
【0022】
(3)質量%で、C:0.05〜0.20%、Si:2.0%以下、Mn:0.3〜2.0%、Cr:10〜16%、N:0.001〜0.04%、Al:0.05%以下、Ni:2.0%以下、Ti:0.001〜0.02%、Nb:0.1%以下、V:0.3%以下、Mo:2.0%以下、Cu:2.0%以下、を含有し、残部は鉄および不純物からなるCr系ステンレス鋼を窒素含有雰囲気中で均熱してオーステナイト単相とし、前記窒素含有雰囲気中の窒素を鋼表層部に吸収させたのち、1℃/秒以上の冷却速度で冷却する複層化熱処理を行うことを特徴とする複層組織Cr系ステンレス鋼の製造方法。
【0023】
(4)前記窒素含有雰囲気は、水素:10体積%以上、窒素:10体積%以上90体積%未満を含有し、露点:−30℃以下であることを特徴とする上記(3)項に記載の複層組織Cr系ステンレス鋼の製造方法。
【0024】
【発明の実施の形態】
以下に、本発明の実施の形態について具体的に説明する。なお、以下に述べる化学組成の%表示は質量%を意味する。
【0025】
a.化学組成
Cr:Crは耐食性を確保するために必要な元素である。さらに、低露点窒素含有雰囲気中で均熱を施した際に、雰囲気中の窒素を吸収して鋼表層部のオーステナイト相を安定化させ、冷却後に残留オーステナイト相を生じさせるのに有効である。
【0026】
鋼表層部にオーステナイト相を生成させ、耐食性を確保するために、望ましくはCr含有量を10%以上とする。他方、Crを過剰に含有させると、鋼材コストが高価になるばかりでなく、鋼内層部にフェライト相が生成してしまい、安定した疲労特性が得られなくなる場合がある。これを避けるために、望ましくはCr含有量を16%以下とする。より望ましくは12%以上14%以下である。
【0027】
C:Cは、代表的なオーステナイト形成元素であり、また、マルテンサイト硬化能に大きく影響する。ばね用鋼を製造する場合には、オーステナイト系ばね用鋼を上回るばね特性を得るために、望ましくはC含有量を0.05%以上とする。C含有量を過度に増加させるとマルテンサイト相の硬度が増加し、熱間加工性および製品の加工性が低下する。さらに、複層化熱処理の冷却過程において鋭敏化現象を生じやすくなり耐食性が劣化する場合がある。これらの不都合を避けるためにC含有量を望ましくは0.20%以下とする。
【0028】
N:NはCと同様に代表的なオーステナイト形成元素であり、疲労強度の向上および鋼表層部に残留オーステナイト相を生じさせるのに効果的な元素である。しかしながら、鋼の溶製時にNを大量に含有させるのは通常の方法では困難であるうえに、Nを大量に含有した鋼は熱間加工性が悪く、熱間圧延時における耳割れ等の表面疵の発生原因となる。したがって、複層化熱処理以前の段階においては特に限定する必要はなく、通常の製造方法で得られる0.001〜0.04%程度の含有量でよい。
【0029】
本発明に係る複層組織Cr系ステンレス鋼の製造方法においては、窒素含有低露点雰囲気中で均熱を行うことにより鋼表層部にNを吸収させる。これによりオーステナイト相を安定化させ、冷却後の鋼表層部の金属組織をマルテンサイト相と残留オーステナイト相とを含有する混合組織とする。
【0030】
複層化熱処理後の鋼表層部におけるN含有量は、加工性の確保に必要な残留オーステナイトを鋼表層に存在させるために、0.05%以上とするのが望ましい。より望ましくは0.10%以上である。複層化熱処理後の鋼表層部におけるN含有量の上限は特に限定しないが、N含有量を増加させるには窒素含有雰囲気の露点を−50℃以下にまで低下させる必要が生じてくる場合があり、このように均熱雰囲気を低露点とする制御は工業的に困難であることから、その上限は0.50%とするとよい。
【0031】
Ti:Tiは、複層化熱処理において結晶粒の粗大化を抑制し、さらに冷却過程で生じる鋭敏化現象を抑制する作用を有する。したがって、上記効果を得るために0.001%以上含有させるのがよい。他方、Tiを過剰に含有させると、経済性を損なうばかりでなく、鋼中のCおよびNを固定して強度低下を招くので、含有させる場合でも0.02%以下とするのがよい。
【0032】
Ni、Mn、Cu:これらは、いずれもオーステナイト形成元素であり、均熱後のマルテンサイト相の量と硬さを調整するのに有効な元素である。また、これらの元素を含有させることにより、(C+N)含有量を低減することができるので、マルテンサイト相を軟質なものとすることができる。よって、鋼の加工性を向上させるのに好適である。
【0033】
したがって、これらの元素は必須元素ではないが、上記の効果を得るために含有させても構わない。鋼中に含有させる場合は、それぞれを0.3%以上含有させるのがよい。他方NiまたはCuを過剰に含有させると経済性を損なうだけでなく、複層化熱処理時の窒素吸収能を低下させる作用があるので、含有させる場合でもその上限をそれぞれ2.0%とするのがよい。Mnは複層化熱処理時の窒素吸収能を高める作用があるが、過剰に含有させると経済性を損なううえに、耐食性を低下させる作用があるので、含有させる場合でもその上限を2.0%とするのがよい。
【0034】
Nb:Nbは、複層化熱処理後の冷却過程で生じる鋭敏化現象を抑制し、さらに、オーステナイト相(冷却後にはマルテンサイト相と残留オーステナイト相とになる)に固溶し、加工性を然程低下させることなく強度を上昇させる作用を有する。したがって、必須元素ではないが、上記効果を得るために含有させても構わない。含有させる場合には0.01%以上含有させるのがよい。他方Nbを過剰に含有させると鋼中のCおよびNを固定して強度低下の原因となるので、含有させる場合でも0.1%以下とするのがよい。
【0035】
Mo:Moは、必須元素ではないが、耐食性を著しく向上させる作用があるので、Cr含有量が少ない場合でもMoを含有させることにより所期の耐食性を得ることができる。含有させる場合には0.1%以上含有させるのがよい。しかしながら、Moは高価であり過剰に含有させると経済性を損なうので、含有させる場合でもその上限は2.0%とするのがよい。
【0036】
V:Vは、必須元素ではないが、強度を向上させるのに効果的な元素であるため、含有させても構わない。含有させる場合には0.05%以上含有させるのがよい。しかしながら上記効果は0.3%を超えると飽和するので含有させる場合でも0.3%以下とするのがよい。
【0037】
Si:Siは、鋼の脱酸剤として有効な元素であるうえに、強度を高める作用もあるので含有させても構わない。しかしながら、過剰に含有させると鋼の靭性を損なうので、含有させる場合でもその上限は2.0%とするのがよい。
【0038】
Al:Alは、鋼の脱酸剤として有効な元素であるので含有させてもよい。しかしながら、Alは窒化物を形成するため、過剰に含有させると複層化熱処理時の固溶窒素量を減少させる作用がある。したがって、含有させる場合でもその上限を0.05%とするのがよい。
【0039】
希土類元素:通常は含有させないが、鋼の耐酸化性を向上させる作用があるので含有させても構わない。しかしながら、合計量で0.1%を超えて含有させると効果が飽和するうえにコストが高くなるので、含有させる場合でも0.1%以下とするのがよい。
【0040】
残部はFeおよび不可避的不純物である。
b.金属組織
本発明の鋼は、表層部をマルテンサイト相と残留オーステナイト相とを含有する混合組織、内層部をマルテンサイト単相組織とする。
【0041】
マルテンサイト相は、鋼の強度と硬さを高めるうえに、時効処理を施して固溶元素(C、N)を析出させることにより、鋼の硬さを高めて疲労強度を向上させる作用を有する。
【0042】
例えば、オーステナイト系ばね用鋼板SUS301L−CSP(H仕様材)を上回る疲労強度を得るには、表面硬さをHv450以上とする必要がある。そのため、表層部のマルテンサイト相の比率を60体積%以上とするのが好ましい。より好ましくは70体積%以上である。他方、マルテンサイト相の比率を95体積%超に高めると表面硬さがHv700以上となり、鋼の延性が低下し加工性が損なわれる。したがって、表面硬さの上限はHv700とし、表層部のマルテンサイト比率は95体積%以下とするのが好ましい。
【0043】
残留オーステナイト相は、マルテンサイト相に比べて軟質で加工性に富むうえに、加工を受けた際に加工誘起変態して組織を極めて強靭にする作用がある。また、鋼の靭性を増す作用もある。また、加工誘起変態して得られる強靭な組織を時効処理して固溶元素を時効析出させることにより、鋼の硬さを高めてさらに疲労強度を向上させる効果も得られる。これらの効果を得るために表層部における残留オーステナイト相の比率は5体積%以上とするのが好ましい。
【0044】
表層部には、上記2相以外に、鋼の特性に悪影響を及ぼさない範囲で、素材の偏析等に起因して不可避的に混入するフェライト相があっても差し支えない。
表層部におけるマルテンサイト相、残留オーステナイト相およびフェライト相の体積比率は、これらの総和が100%を超えない範囲である。なお、本発明における金属組織の比率は、体積%に替えて金属組織観察面における面積%で近似しても構わない。
【0045】
鋼の表層部を、マルテンサイト相と残留オーステナイト相とを含有する混合組織とすれば、加工性および加工後の疲労強度を向上させることができる。上記表層部の厚さは、より有効な効果を得るために、鋼の厚さの(線材や条鋼である場合にはその直径の)3%以上とするのが望ましい。鋼板であればその表裏面それぞれにおいて鋼板厚さの3%以上である。エンジン用ガスケットに適用する鋼板の場合には、0.01mm以上とするのが好ましい。
【0046】
表層部の厚さが厚くなるにつれて疲労強度が向上するが、過度に厚くすると複層化熱処理に要する時間が長くなり、生産性の低下を招く場合がある。したがって、表層部の厚さは、鋼の厚さの(線材や条鋼である場合にはその直径の)30%以下とするとよい。
【0047】
内層部の金属組織は、実質的にマルテンサイト単相組織とする。その理由は、鋼の内層部では曲げ加工などによる加工変形量が小さく、残留オーステナイト相があっても加工誘起変態による強度向上が期待できないからである。さらに、内層部に残留オーステナイト相を生成させるには、複層化熱処理に要する時間が長くなり生産性の低下を招く場合があるからである。
【0048】
本発明が規定する化学組成において、内層部にフェライト相が実質的に存在すると、内層部の硬さをHv350以上とすることが困難になる。例えば、オーステナイト系ばね鋼板SUS301L−CSP(H仕様材)を上回る疲労強度を得るためには、内層部の硬さをHv350以上とすることが必要である。したがって、内層部の金属組織は実質的にマルテンサイト単相組織とする。
【0049】
なお、「実質的にマルテンサイト単相組織」とは、マルテンサイト相以外に、鋼の特性に悪影響を及ぼさない範囲で、素材の偏析等に起因して不可避的に混入するフェライト相が存在する場合を含む意味である。
【0050】
c.製造方法
本発明の複層組織Cr系ステンレス鋼の好適な製造方法を、製品が冷間圧延鋼板である場合を例にとって説明する。
【0051】
a項で述べた化学組成範囲に調整した鋼のスラブを公知の方法、例えば、転炉や電気炉で鋼を溶解した後、真空脱ガス処理を施し、連続鋳造法や、鋼塊にした後に分塊圧延するなどの方法でスラブを製造する。得られたスラブを公知の方法で熱間圧延して熱間圧延鋼板を製造する。この熱間圧延鋼板を、常法にしたがって焼鈍し、酸洗など公知の方法でその表面のスケールを除去する。
【0052】
その後、公知の方法で冷間圧延して冷間圧延鋼板を製造する。冷間圧延は、中間焼鈍を含む複数回の冷間圧延としてもよいし、中間焼鈍を含まない冷間圧延としてもよい。冷間圧延鋼板の寸法は特に限定するものではなく、通常使用されている厚さ(例えば、0.1〜2.0mm)とすればよい。
【0053】
最終の冷間圧延を施した後、冷間圧延鋼板を窒素含有雰囲気中で均熱して、雰囲気中の窒素を吸収させ、その後冷却を行う複層化熱処理を施す。鋼の表層部のマルテンサイト相と残留オーステナイト相とを含有する混合組織は、上記のように複層化熱処理の均熱過程においてオーステナイト相に窒素を吸収させてオーステナイト相の安定性を増すことで得られる。
【0054】
上記窒素含有雰囲気は、複層化熱処理における鋼材への窒素吸収を効率よく行わせるために、以下のようにすることが望ましい。
上記窒素含有雰囲気中の水素濃度は、10体積%以上とすることが好ましい。鋼材表面に酸化皮膜が形成されると窒素含有雰囲気からの窒素吸収が阻害されるが、雰囲気中の水素濃度を上記範囲とし、かつ、露点を低くすることにより酸化皮膜の生成を抑制することができる。より望ましくは50体積%以上である。酸化皮膜の厚さは100Å未満にするのがよい。
【0055】
上記窒素含有雰囲気中の窒素濃度は、10体積%以上とすることが好ましい。より望ましくは20体積%以上である。
上記窒素含有雰囲気の露点が高いと、厚さが100Åを超える緻密な酸化皮膜が鋼材表面に形成され、鋼材への窒素吸収効率が低下するため、窒素含有雰囲気の露点は−30℃以下にすることが好ましい。より望ましくは−40℃以下である。
【0056】
なお、上記窒素含有雰囲気中には、鋼材の表面酸化作用のないArガス等の不活性ガスや窒化反応を促進させるNH3 等の触媒が含まれていても差し支えない。
【0057】
上記複層化熱処理の均熱過程における鋼材の表面温度(以下、「均熱温度」ともいう。)は900℃以上とするのが望ましい。均熱温度は均熱を行う加熱炉内に輻射温度計を配置して測定することができる。酸素ポテンシャルが低い低露点雰囲気中で均熱温度を900℃以上として均熱を行うと、鋼材表面の酸化皮膜が還元されるので、鋼材表面の酸化皮膜を100Å未満まで薄くすることができる。また、上記温度域では酸化皮膜中および鋼中の窒素原子の拡散速度が速く、鋼の窒素固溶量も大きくなるなどの相乗効果で、鋼材への窒素吸収が促進される。他方、均熱温度が1200℃を超えると、鋼材の高温強度が低下し、均熱作業に支障を来す場合があるので、均熱温度は1200℃以下とするのがよい。
【0058】
上記複層化熱処理の均熱過程の時間(以下、「均熱時間」ともいう。)は5秒以上とするのが望ましい。均熱時間が5秒未満では、所期の加工性を得るのに必要な表層部の厚さが得られない場合がある。均熱時間の上限は特に限定しないが、連続熱処理炉にて複層化熱処理を行う場合には、生産性の低下および均熱後の冷却速度低下に伴う鋭敏化現象の発生を抑制するために、3分以下とするとよい。また、連続熱処理炉にて複層化熱処理を行う場合には、通常の熱処理炉の昇温能力により均熱過程の鋼材の表面温度を900℃以上とするために、均熱時間を10秒以上とするとよい。
【0059】
本発明の鋼の表層部の厚さの制御は、均熱時間で調整してもよいが、均熱温度を調整することがより好適である。均熱温度が高いほど窒素の吸収速度が速くなるが、1000℃〜1150℃の範囲がよい。
【0060】
上記均熱の後は、鋭敏化現象の発生を抑制するために900〜500℃の温度域を1℃/秒以上の冷却速度で冷却を行う。冷却速度が1℃/秒未満では、複層化熱処理の冷却過程における鋭敏化現象の発生を充分に抑制できない場合がある。冷却速度の上限は特に限定しないが、冷却速度を1000℃/秒超とすることは実質的に困難であるので、1000℃/秒以下とするとよい。
【0061】
上記複層化熱処理後の鋼板は、そのままばね用鋼としても使用することができる。ばね用鋼として使用する場合には、ばね特性の向上を目的としてさらに時効熱処理などの熱処理を施しても構わない。
【0062】
以上の説明においては、本発明の複層組織Cr系ステンレス鋼の形状が鋼板である場合について説明したが、本発明の鋼の形状は鋼板に限定する必要はなく、線材、条鋼、管状など他の形態であっても本発明の効果は充分に発揮される。
【0063】
【実施例】
(実施例1)
表1に示す化学組成を有する板厚:0.25mmのCr系ステンレス鋼の冷間圧延鋼板を、窒素含有低露点雰囲気中(水素:75体積%、窒素:25体積%、露点:−45℃)で加熱し、均熱温度:1100℃、均熱時間:1分間の均熱を行い、次いで20℃/秒の冷却速度で冷却を行う複層化熱処理を行い、鋼板表層部に0.2質量%の窒素を吸収させ、表層部が85体積%のマルテンサイト相と15体積%の残留オーステナイト相との混合組織で、内層部がマルテンサイト単相組織である複層組織Cr系ステンレス鋼板を製造した。ここで、表層部の組織は鋼板表面からの深さが15μmの領域のそれをもって決定した。
【0064】
【表1】
比較材として、市販のオーステナイト系ばね鋼板SUS301L−CSP(H仕様材)、マルテンサイト系ばね鋼板SUS420J2−CSP(焼入れ・焼戻し材)を準備した。
【0065】
上記複層組織Cr系ステンレス鋼板および比較材よりサンプルを採取し、ビード加工後の疲労特性と、硬さに及ぼす時効処理の影響とを調査した。
疲労特性は、上記鋼板より幅:10mm×長さ:40mmの圧延方向(L方向)の短冊状試験片を採取し、ビ−ド加工を施した試験片を作製し、繰り返し平面曲げ試験機を用い、所定の曲げ応力を付与して破壊に至るまでの繰り返し曲げ回数を求めた。ここで、繰り返し曲げ回数の上限は106 回とした。また、時効処理条件は、時効処理温度:300〜600℃、時効処理時間:10分間とし、ビッカ−ス硬さ試験法により、1kg荷重の条件にて表面硬さおよび内層部の硬さを測定した。
【0066】
図1は、疲労試験に供した試験材の形状を示す斜視図である。
図2は、ビード加工後の疲労特性を示すグラフである。
同図に示すように、複層組織Cr系ステンレス鋼板は、SUS301−CSPを上回る優れた疲労特性を示した。これは、表層部の残留オーステナイト相の加工誘起変態に伴う変形能の向上により、ビ−ド加工後の疲労破壊の起点となる表面割れ(ミクロクラック)の発生が抑制され、さらに加工誘起変態して得られる強靱な組織により疲労強度の向上が図れたものと考えられる
図3は、硬さと時効処理温度との関係を示すグラフである。
【0067】
同図に示すように、複層組織Cr系ステンレス鋼板は、時効処理前後においてSUS301L−CSP(H仕様材)およびSUS420J2−CSPよりも高い表面硬さを示し、複層化熱処理ままでHv600を越える高い表面硬さを有し、さらに550℃の時効処理により表面硬さがHv650まで上昇した。このことは、複層化熱処理で鋼板表層に過飽和に固溶した窒素によるマルテンサイトの固溶強化、さらに固溶元素(C、N)の微細時効析出により表面硬さが向上したと考えられる。
(実施例2)
表2に示す種々の化学組成を有するCr系ステンレス鋼のスラブを1180℃に加熱し、仕上温度900℃で熱間圧延を終了して、厚さが3.2mmの熱間圧延鋼板を得た。
【0068】
【表2】
これらの熱間圧延鋼板に780℃で焼鈍を施したのち、ショットブラストと硝弗酸酸洗を施して脱スケールしたのち、中間焼鈍を挟む冷間圧延を施して厚さが0.25mmの冷間圧延鋼板とし、さらに以下に述べる条件で複層化熱処理施した。また、一部についてはさらに時効処理を施した。
【0069】
複層化熱処理は、連続光輝焼鈍炉を用いて行い、均熱雰囲気として、窒素:25体積%、水素:75体積%、露点:−40℃以下に制御した混合ガスを使用した。均熱温度は850〜1150℃とし、均熱時間を10〜60秒の範囲とし、均熱後の冷却速度は5〜40℃/秒とした。
【0070】
比較として、複層化熱処理における均熱雰囲気の露点以外の条件を上記と同一として、露点を+50℃とした熱処理についても連続焼鈍酸洗炉を用いて行った。
【0071】
さらに、比較材として、市販のオーステナイト系ばね鋼板SUS301L−CSP(H仕様材)、マルテンサイト系ばね鋼板SUS420J2−CSP(焼入れ・焼戻し材)を準備した。
【0072】
これらの鋼板より試験片を採取して、金属組織、ビッカース硬さ、曲げ加工性、疲労強度を以下の方法により評価した。さらに、疲労強度については、図1に示すビード加工を施した試験片についても測定した。また、時効処理は、時効処理温度を350℃、時効処理時間を10分として行い、試験片にビード加工を行う場合には、ばね疲労特性向上を目的としてビード加工後に施した。
【0073】
表層部の残留オーステナイト相の比率は、X線回折法によりα−Feとγ−Feの積分強度を測定し、γ−Feの積分強度値/(α−Feの積分強度値+γ−Feの積分強度値)×100により求めた。表層部のマルテンサイト相とフェライト相の比率は、鋼板表面を常法により研磨し腐食させた試料を顕微鏡観察して測定した。
【0074】
内層部のマルテンサイト相とフェライト相の体積率は、常法により腐食させた試験片の断面をSEMおよび顕微鏡観察して測定した。
表層部の窒素含有量は、窒素測定専用の分光結晶LAD(人工多層膜)を有するEPMA装置により定量した。表層部の厚さは、鋼板表面から板厚中心方向への窒素濃度プロファイルを測定して求めた。
【0075】
表3に各鋼板の金属組織を複層化熱処理条件と共に示す。
【0076】
【表3】
硬さは、ビッカ−ス硬さ試験法により、1kg荷重の条件にて測定した。
【0077】
疲労強度は、圧延方向(L方向)と圧延直角方向(T方向)の試験片を使用し、繰返し平面曲げ試験機により測定した。疲労強度は、30Hzの一定振幅の繰り返し曲げ試験において107 回を上限として試験片が破断に至らなかった最大応力とした。
【0078】
曲げ加工性は、L方向とT方向の試験片にJIS−Z2248に規定されているV曲げ試験を行い、曲げ加工可能な最小曲げ半径の鋼板厚さに対する比(R/t)を測定した。
【0079】
表4に各鋼板の試験結果を示す。
【0080】
【表4】
表3に示すように、符号1A、2Aおよび3Aの鋼板は、いずれも表層部にマルテンサイト相と残留オーステナイト相とを含有し、内層部にマルテンサイト単相組織を備えている。符号1B、2Bおよび3Bの鋼板は、いずれも表層部に残留オーステナイト相がないものである。
【0081】
表4に示すように、試番1、2、5、8、9および10の鋼板は、いずれも表面硬さがHv450超、内層部の硬さがHv350超であり、比較鋼であるSUS301L−CSP(H仕様材)を上回る疲労強度を示した。曲げ加工性は、SUS420J2−CSPより上位であり、SUS301L−CSP(H仕様材)と同等の性能を有していた。
【0082】
試番3、4、6、7、11および12では、疲労強度、曲げ加工性の内のいずれかの性能が劣っていた。試番3および4は、加工性を有するが、表面硬さがHv450未満であるために、ばね疲労特性に劣る。試番6および7は、表面硬さがHv450超であるが、曲げ加工性が悪いため、疲労強度が劣る。試番11および12は、フェライト−マルテンサイトの2相混合組織であり、良好な加工性が得られているものの、表面硬さがHv450未満であるために、疲労強度が劣る。
【0083】
【発明の効果】
本発明のCr系ステンレス鋼は、高い強度(例えばビッカース硬さで550超)でありながら良好な加工性(例えば曲げ性)を有し、加工後においても良好な疲労強度を有する。
【0084】
また、本発明のCr系ステンレス鋼は、製造コストの上昇あるいは生産性の低下を招くことなく、容易に製造することができる。
【図面の簡単な説明】
【図1】疲労試験に供した試験材の形状を示す斜視図である。
【図2】ビード加工後の疲労特性を示すグラフである。
【図3】硬さと時効処理温度との関係を示すグラフである。
Claims (4)
- 質量%で、C:0.05〜0.20%、Si:2.0%以下、Mn:0.3〜2.0%、Cr:10〜16%、N:0.001〜0.04%、Al:0.05%以下、Ni:2.0%以下、Ti:0.001〜0.02%、Nb:0.1%以下、V:0.3%以下、Mo:2.0%以下、Cu:2.0%以下、を含有し、残部は鉄および不純物からなり、表層部がマルテンサイト相と残留オーステナイト相とを含有する混合組織からなり、内層部がマルテンサイト単相組織からなることを特徴とする複層組織Cr系ステンレス鋼。
- 前記表層部における残留オーステナイト相の比率が5体積%以上であることを特徴とする請求項1記載の複層組織Cr系ステンレス鋼。
- 質量%で、C:0.05〜0.20%、Si:2.0%以下、Mn:0.3〜2.0%、Cr:10〜16%、N:0.001〜0.04%、Al:0.05%以下、Ni:2.0%以下、Ti:0.001〜0.02%、Nb:0.1%以下、V:0.3%以下、Mo:2.0%以下、Cu:2.0%以下、を含有し、残部は鉄および不純物からなるCr系ステンレス鋼を、窒素含有雰囲気中で均熱してオーステナイト単相とし、前記窒素含有雰囲気中の窒素を鋼表層部に吸収させたのち、1℃/秒以上の冷却速度で冷却する複層化熱処理を行うことを特徴とする複層組織Cr系ステンレス鋼の製造方法。
- 前記窒素含有雰囲気は、水素:10体積%以上、窒素:10体積%以上90体積%未満を含有し、露点:−30℃以下であることを特徴とする請求項3に記載の複層組織Cr系ステンレス鋼の製造方法。
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