GC/MSやLC/MSなどのクロマトグラフ質量分析装置では、試料に含まれる各種成分をクロマトグラフにより時間方向に分離し、その分離された各成分由来のイオンを検出する。GC/MSやLC/MSにより試料中の目的化合物の定量分析を行う際には、一般に、目的化合物に対応した質量電荷比のマスクロマトグラム(イオン抽出クロマトグラムとも呼ばれる)を作成し、そのマスクロマトグラムにおいて目的化合物の保持時間付近に現れるクロマトグラムピークの面積値を求める。そして、その面積値を、予め作成しておいた検量線(濃度と面積値とを対応付けた回帰曲線)に照らして、目的化合物の濃度つまり定量値を計算する。したがって、定量分析の精度を高めるためには、マスクロマトグラム上のクロマトグラムピークに目的化合物以外の成分、つまりは夾雑成分が重ならないようにすることが必要である。
そのため、従来、例えば試料に対して物理的或いは化学的な前処理を実行して夾雑成分を分析前にできるだけ除去したり、クロマトグラフの分離条件を工夫して目的化合物と夾雑成分との重なりをできるだけ避けたりすることが行われている。しかしながら、夾雑成分が多数である場合や未知の夾雑成分が混在している場合には、上述したような手法で、定量分析の妨害となる夾雑成分の重なりを完全に回避することは困難である。
目的化合物の定量精度を上げる他の手法としては、定量計算を行うマスクロマトグラムの質量電荷比を変更することが考えられる。即ち、或る1つの目的化合物に対してマススペクトル上で観測されるピーク(マススペクトルピーク)は通常、1つではなく複数存在する。そうした複数のピークが出現する質量電荷比の全てにおいて同じように夾雑成分の重なりの影響があることは考えにくく、夾雑成分の重なりがない又は少ない質量電荷比もあるため、定量分析用のマスクロマトグラムを作成する質量電荷比(以下「定量用質量電荷比」という)を適切に指定することにより、夾雑成分の影響を軽減して定量性を向上させることができる。
また、マススペクトル上で上記定量用質量電荷比にピークが現れるような夾雑成分が存在した場合、定量用質量電荷比だけでは目的化合物と夾雑成分とを区別することは困難である。そこで一般に、定量用質量電荷比とは別の確認用質量電荷比を指定しておき、定量用質量電荷比におけるマスクロマトグラムに現れたピークを代表するマススペクトル上で、確認用質量電荷比に対するピーク強度と定量用質量電荷比に対するピーク強度との相対比率(以下「確認イオン比」という)を求め、確認イオン比が所定範囲内に収まっていれば、そのマスクロマトグラムのピークが目的化合物由来のものであると判断する。こうした目的のために、確認用質量電荷比も、目的化合物以外の夾雑成分の重なりができるだけ少ない質量電荷比が選ばれる
従来のGC/MS、LC/MS用のデータ処理装置では、上記のような定量用質量電荷比及び確認用質量電荷比を分析者が定めて測定条件の1つとして設定しておくことができる。そのために、分析者は、既知である目的化合物の標準的なマススペクトルを目視で確認し、該マススペクトル上で明瞭なピークが観測される質量電荷比の中で、マスクロマトグラム上のクロマトグラムピークの形状が正規分布に近い形状であるような質量電荷比を試行錯誤的に選択している。
しかしながら、目的化合物が同じでも試料に含まれる他の夾雑成分が異なると定量用質量電荷比や確認用質量電荷比を変更しなければならない場合があるため、特に目的化合物の種類が多い場合には、定量用質量電荷比及び確認用質量電荷比の決定作業はたいへん面倒で時間を要する作業であった。また、目的化合物と夾雑成分とが完全に重なってしまっている場合には、複数の質量電荷比におけるマスクロマトグラムを比較して夾雑成分の影響の最も小さい質量電荷比を探すなど、分析者の経験や熟練に頼る作業が必要となり、分析者の経験や熟練の違いが分析結果に現れる可能性もあった。
ところで、本願出願人は、特許文献1、非特許文献1において、クロマトグラフで充分な成分分離ができず目的化合物と未知の夾雑成分とが混じった状態であっても、目的化合物のクロマトグラムピークの形状を正確に推定するアルゴリズム(以下、「時系列最小点プロット法」と称す)を提案している。この方法の基本的な考え方は次のとおりである。
即ち、試料中に目的化合物が存在する場合、特定の質量電荷比におけるマスクロマトグラム上でその目的化合物の保持時間の付近に該目的化合物由来のピークが現れる。この保持時間の前後に他の成分が存在しないならば、目的化合物の保持時間付近の各時間におけるマススペクトルは該目的化合物の標準的なマススペクトルの定数倍で表せる筈である。これに対し、目的化合物の保持時間付近に夾雑成分が存在する場合、実測のマススペクトルのピーク強度は夾雑成分の分だけ増加する。しかしながら、通常、目的化合物の標準マススペクトルには多数のピークが存在するため、或る時間における実測マススペクトル中の多数のピークの全てに夾雑成分の影響が及ぶことは考えにくい。したがって、各時間のマススペクトルにおいて、少なくとも一部の質量電荷比では、夾雑成分の影響を受けない目的化合物由来のピークが現れていると推測できる。つまり、目的化合物の保持時間付近の各時間でそれぞれ、夾雑成分の影響を受けない質量電荷比におけるピークの強度比を求めるようにすれば、夾雑成分の影響を除いた目的化合物のクロマトグラムピーク形状を推定することができる。
特許文献1、非特許文献1では、上記のように推定されたクロマトグラムピークと計算上のクロマトグラムピークとの類似性を判断して目的化合物が試料中に含まれるか否かを判断している。このような化合物同定の場合には、推定されたクロマトグラムピークが或る程度夾雑成分を含んでいるものであったとしても、同定精度が大きく低下することは少ない。これに対し、既知の目的化合物の定量を行う際には、その定量の基となるクロマトグラムピークに夾雑成分が重なっていると、その重なりが直接的に定量精度の低下に繋がる。したがって、高精度の定量分析のためには、上述した時系列最小点プロット法では不充分である。
本発明は上記課題を解決するために成されたものであり、その目的とするところは、多くの夾雑成分が混じっている試料中の目的化合物を定量するに際し高い定量精度を確保するために、マスクロマトグラム上で夾雑成分の重なりの影響がない又は少ない質量電荷比を自動的に且つ確実に抽出することができるクロマトグラフ質量分析データ処理装置を提供することにある。
上記課題を解決するためになされた本発明は、試料中の各成分をクロマトグラフにより時間方向に分離した後に所定の質量電荷比範囲に亘る質量分析を繰り返し実行して得られた、質量電荷比、時間、及び信号強度をディメンジョンとするデータを解析処理するクロマトグラフ質量分析データ処理装置であって、
a)解析対象である目的化合物の標準マススペクトル上のピークの強度と、前記目的化合物の保持時間付近の各測定時点における実測マススペクトル上で同じ質量電荷比を持つピークの強度と、の強度比を利用して、夾雑成分の重なりの影響を除去した前記目的化合物によるクロマトグラムピークの形状を推定するクロマトグラムピーク形状推定手段と、
b)前記クロマトグラムピーク形状推定手段により得られたクロマトグラムピークと、各質量電荷比について得られる前記目的化合物の実測マスクロマトグラム上のピークと、の形状の相関性を判定するクロマトグラムピーク相関性判定手段と、
c)前記目的化合物の標準マススペクトル上の複数のピークの強度比と該目的化合物の特定の測定時点における実測マススペクトル上の同じ質量電荷比を持つ複数のピークの強度比とに基づいて、該目的化合物にのみ由来するマススペクトルピークを判定するマススペクトルピーク純度判定手段と、
d)前記クロマトグラムピーク相関性判定手段の判定結果と前記マススペクトルピーク純度判定手段の判定結果とを用いて、前記目的化合物を定量するために利用される定量用質量電荷比及び/又は確認用質量電荷比としての質量電荷比を導出する質量電荷比導出手段と、
を備えることを特徴としている。
目的化合物は既知である。したがって、目的化合物を含む標準試料を予め測定することにより、目的化合物の標準マススペクトルや保持時間を求めておくことができる。また、例えば、様々な化合物に関してそうした情報を予めデータベースに格納しておき、目的化合物が指定されるとそれに対応した標準マススペクトルと保持時間とが得られるようにしてもよい。なお、保持時間はクロマトグラフの移動相の流速等の分析条件に依存するため、こうした分析条件に依存しない保持指標をデータベースに記憶しておき、その保持指標から保持時間を算出するようにしてもよい。
GC、LC等のクロマトグラフで時間方向に分離された目的化合物の保持時間の前後に夾雑成分が存在しない場合、つまり目的化合物単体のクロマトグラムピークしか存在しない場合には、目的化合物の保持時間付近の各測定時点におけるマススペクトルは該目的化合物の標準マススペクトルの定数倍で表すことができる。これに対し、目的化合物の保持時間の前後に夾雑成分が存在する場合には、実測マススペクトルのピーク強度は夾雑成分の分だけ増加する筈である。但し、上述したように、一般に目的化合物の標準マススペクトル上には複数のピークが現れるため、或る測定時点における実測マススペクトル中の複数のピークの全てに夾雑成分の影響が及ぶことは考えにくい。即ち、各測定時点におけるマススペクトル上で、少なくとも一部の質量電荷比では夾雑成分の影響を受けない、純粋に目的化合物由来のピークが現れていると推測できる。したがって、目的化合物の保持時間付近の各測定時点でそれぞれ、夾雑成分の影響を受けない質量電荷比におけるピークの強度と標準スペクトル上の同質量電荷比に対するピーク強度との比を求めるようにすれば、夾雑成分の影響の少ない目的化合物のクロマトグラムピーク形状を推定することができる。
或る測定時点における実測マススペクトル上で目的化合物由来のピークに夾雑成分が重なっている場合、そのピーク強度は夾雑成分がない場合に比べて大きくなる筈である。そこで、本発明の一態様として、前記クロマトグラムピーク形状推定手段は、前記目的化合物の標準マススペクトル上の全て又は一部の複数のピークの質量電荷比毎に、或る測定時点における実測マススペクトル上の同一質量電荷比を持つピークとの強度比Ps/Pr(但し、Ps:実測マススペクトル上のピーク強度、Pr:標準マススペクトル上のピーク強度)を求め、複数の強度比Ps/Prの中で最小のものを該測定時点における倍率として定め、各測定時点で求めた倍率を時系列順に並べることで前記目的化合物のクロマトグラムピークの形状を推定する構成とすることができる。ここで、「一部の複数のピーク」とは、例えば強度が所定値以上であるピーク、強度が大きい順に選んだ所定個数のピークなど、所定の基準の下に選択されたピークのことをいう。
また、本発明の別の態様として、前記クロマトグラムピーク形状推定手段は、前記目的化合物の標準マススペクトル上の全て又は一部の複数のピークの強度をそれぞれ定数倍して或る測定時点における実測マススペクトル上の同一質量電荷比を持つピークの強度と対比したときに、前者が後者を超えないように定数倍の倍率を定め、各測定時点で求めた倍率を時系列順に並べることで前記目的化合物のクロマトグラムピークの形状を推定する構成としてもよい。このようにした場合、実測マススペクトルの中で夾雑成分の影響が小さいピークによりその測定時点における倍率が決まるから、結果的に上記態様と同様に夾雑成分の影響を除去した目的化合物のクロマトグラムピークを推定可能である。
クロマトグラフ質量分析では、測定環境や測定条件等の要因によって、目的化合物のクロマトグラムピークにテーリングが発生することがある。また、目的化合物のクロマトグラムピークに異性体によるクロマトグラムピークが近接することもあり、たとえ標準試料を測定したとしてもクロマトグラムピークが正規分布様になるとは限らない。これに対し、クロマトグラムピーク形状推定手段では、夾雑成分の影響がない標準マススペクトルを基に目的化合物の倍率波形を作成しており、その形状はテーリングや異性体も含めた形状に類似するため、各質量電荷比におけるマスクロマトグラムが純粋な形状であるか否かの判断が容易である。
なお、上記クロマトグラムピーク形状推定手段による目的化合物のクロマトグラムピーク推定方法は、上述した時系列最小点プロット法に相当する。
本発明に係るクロマトグラフ質量分析データ処理装置において、クロマトグラムピーク相関性判定手段は、上記手法により推定されたクロマトグラムピークと、各質量電荷比について得られる目的化合物の実測マスクロマトグラム上のピークと、の形状の相関関数を計算し、例えばその相関係数を所定の閾値と比較することにより、高い相関性が得られる質量電荷比を抽出する。
一方、マススペクトルピーク純度判定手段は、上記クロマトグラムピーク相関性判定手段による判定とは別に、目的化合物の標準マススペクトル上の複数のピークの強度比と該目的化合物の各測定時点における実測マススペクトル上の同じ質量電荷比を持つ複数のピークの強度比とに基づいて、該目的化合物にのみ由来するマススペクトルピークを判定する。
より具体的には、マススペクトルピーク純度判定手段は、クロマトグラムピーク形状推定手段により得られたクロマトグラムピークのピークトップを与える基準測定時点及び基準質量電荷比を求め、目的化合物の標準マススペクトル上の基準質量電荷比に対するピーク強度と任意の質量電荷比におけるピーク強度との比を基準として、前記基準測定時点における実測マススペクトル上の基準質量電荷比に対するピーク強度と前記任意の質量電荷比におけるピーク強度との比が、前記基準に対して所定範囲に収まるか否かを判定することにより、該任意の質量電荷比に対するピークが前記目的化合物にのみ由来するマススペクトルピークであるか否かを判断する構成とすることができる。これにより、定量精度に最も大きな影響を与えるクロマトグラムのピークトップ付近において夾雑成分が重なっている質量電荷比を選択対象から排除することができる。
そして、質量電荷比導出手段は、クロマトグラムピーク相関性判定手段の判定結果とマススペクトルピーク純度判定手段の判定結果とを利用して、つまりは両方の判定結果で共に夾雑成分の影響が小さいと判断された質量電荷比を抽出して、これを定量用質量電荷比及び/又は確認用質量電荷比に適した質量電荷比として決定する。こうして決定された1乃至複数の質量電荷比は例えば表示画面上に表示され、分析者の指示に応じて定量用質量電荷比が選択されると、その定量用質量電荷比におけるマスクロマトグラムに現れるピークを用いて目的化合物の定量が行われる。また、分析者の指示に応じて確認用質量電荷比が選択されると、例えば上記マスクロマトグラムピークを代表するマススペクトル上での確認用質量電荷比及び定量用質量電荷比のピークの強度から求まる確認イオン比に基づいて、そのマスクロマトグラムピークが目的化合物由来であるか否かが判定される。或いは、上記のように決定された1乃至複数の質量電荷比におけるマスクロマトグラムに現れるピークを用いた目的化合物の定量が自動的に行われるようにしてもよい。
本発明に係るクロマトグラフ質量分析データ処理装置によれば、目的化合物の標準マススペクトルを利用したクロマトグラムピークの形状の類似性の判定と、同じく目的化合物の標準マススペクトルを利用した実測マススペクトル上のピークの純粋性の判定と、の2段階の判定を行っているので、例えば夾雑成分を含むような標準試料を測定して得られたデータからであっても、定量計算のために好適である純粋なクロマトグラムピークを持つ定量用質量電荷比やそのクロマトグラムピークが確かに目的化合物由来であるかを正確に判断することが可能な確認用質量電荷比を、自動的に抽出することができる。それにより、試料に含まれる夾雑成分が変わったときでも、定量用質量電荷比や確認用質量電荷比を確認する作業が簡単になる。また、目的化合物と夾雑成分との重なりが生じないように分析条件を細かく検討したり、試料の前処理を行ったりする手間も軽減される。
以下、本発明に係るクロマトグラフ質量分析データ処理装置を適用したGC/MSの一実施例について、添付図面を参照して説明する。
本実施例のGC/MSは、試料気化室10、インジェクタ11、カラム12、及びカラム12を内装するカラムオーブン13を含むGC部1と、イオン源20、四重極マスフィルタ21、イオン検出器22を含むMS部2と、を備え、イオン検出器22による検出信号がA/D変換器3でデジタルデータに変換されてデータ処理部4に入力される。
GC部1においては、ヘリウム等のキャリアガスが一定流量で試料気化室10を経てカラム12に供給される。図示しない制御部の指示により所定のタイミングでインジェクタ11から試料気化室10に微量の試料が注入されると、該試料は瞬時に気化し、キャリアガス流に乗ってカラム12に導入される。そして、カラムオーブン13により温調されたカラム12を通過する間に、試料に含まれる各種成分は分離され、時間的にずれてカラム12の出口から流出する。
カラム12から流出する試料ガスはMS部2においてイオン源20に導入され、試料ガスに含まれる成分分子は例えば電子イオン化法や化学イオン化法などによりイオン化される。生成されたイオンは四重極マスフィルタ21に導入され、四重極マスフィルタ21に印加される電圧に応じた特定の質量電荷比m/zを持つイオンのみが選択的に通過してイオン検出器22に到達する。図示しない四重極駆動部は四重極マスフィルタ21への印加電圧を所定電圧範囲で繰り返し走査することで、所定の質量電荷比範囲に亘る質量走査を行う。これにより、MS部2では、時間経過に伴って順次導入される試料ガスに対し所定の質量電荷比範囲のスキャン測定が実行され、データ処理部4には、質量電荷比、時間、信号強度をディメンジョンとするデータが入力される。
データ処理部4は、機能ブロックとして、データ収集部41、定量用質量選定部42、定量演算部43等を備える。このデータ処理部4には、測定データ記憶部5、化合物データベース(DB)6、入力部7、表示部8が接続されている。化合物DB6には、様々な化合物について、化合物名、構造式などの基本的な情報のほか、保持時間、標準マススペクトルなどが格納されている。なお、化合物DBが用意されていなくても、目的化合物の保持時間と標準マススペクトルとが標準試料等を用いて決定されていればよい。
データ収集部41は、測定実行に伴って上述したように入力されるデータを収集して測定データ記憶部5に格納する。測定終了後に、入力部7を介してデータ解析処理(目的化合物の定量処理)の実行の指示を受けると、定量用質量選定部42は測定データ記憶部5から解析対象であるデータを読み出すとともに、化合物DB6から目的化合物に関する保持時間等の情報を読み出し、後述する特徴的な処理を実行して定量に適した定量用質量電荷比を選定する。定量演算部43はその選定された質量電荷比におけるマスクロマトグラムに基づいて目的化合物の定量を行う。定量分析結果は表示部8に表示される。
データ処理部4及び図示しない制御部の実体はパーソナルコンピュータであり、そのコンピュータに予めインストールされた専用の制御・処理ソフトウエアを実行することにより、定量用質量選定部42などの機能を実現するものとすることができる。
カラム12の分離能が高い場合であっても、残留農薬検査などに要求される数百種類もの多成分同時分析においては、全ての成分を充分に分離することは困難であり、上述したようにカラム12の出口において目的化合物に別の化合物が重なることはよくある。そうした場合であっても本実施例のGC/MSでは、データ処理部4で実施される特徴的な処理により夾雑成分の重なりの影響を極力排除して、高い定量性能を達成できる。次に、定量用質量選定部42を中心に行われる特徴的なデータ処理動作について、図2により説明する。図2はこの処理動作のフローチャートである。
分析者は入力部7より、定量を行う目的化合物を指定するとともに、該目的化合物の保持時間付近に現れるマスクロマトグラムピークを包含する時間範囲[Ts, Te]等の処理条件を入力設定する(ステップS1)。なお、時間範囲は自動的に設定されるようにしてもよい。
処理実行開始が指示されると、定量用質量選定部42は指定された時間範囲[Ts, Te]の最初の測定時点(マススペクトル取得時点)に対応した測定データ、つまりは実測のマススペクトルデータを測定データ記憶部5から読み出す(ステップS2)。
次いで、定量用質量選定部42は、化合物DB6から読み出した目的化合物の標準マススペクトルと上記実測マススペクトルとを用いて、目的化合物の存在量を示す倍率値を計算する(ステップS3)。具体的な倍率値の計算方法は次のとおりである。
目的化合物の標準マススペクトル上での質量電荷比m
iにおけるマススペクトルピークの強度をInt_std(m
i)とする。ここで、iは1〜nであり、nは標準マススペクトル上のマススペクトルピークの総数である。また、測定時点tにおいて得られた実測マススペクトル上の、質量電荷比m
iにおけるマススペクトルピークの強度をInt(m
i,t)とする。このとき、倍率値F(t)を次の(1)式により算出する。
即ち、倍率値F(t)は、目的化合物の標準マススペクトルに存在する全ての(n個の)ピークの質量電荷比について、標準マススペクトル上のピーク強度に対する実測マススペクトル上のピーク強度の比(倍率)をそれぞれ求めたものの中の最小のものである。n個の倍率の中で最小の値を選択するのは、倍率が最小を示す質量電荷比は、夾雑成分の影響が最も小さい、換言すれば目的化合物の純粋性が高い、と考えられるからである。
続いて、指定された時間範囲[Ts, Te]全体についてステップS2、S3の処理を終了したか否かを判定し(ステップS4)、終了していなければステップS3へと戻る。したがって、時間範囲[Ts, Te]内の各測定時点でステップS2、S3の処理が実行される。これにより、ステップS4でYesと判定された時点で、目的化合物の存在量の時間的な変化を示す倍率波形を得ることができる。この倍率波形は、特定の質量電荷比ではなく、上述したように各測定時点において夾雑成分の影響が最も小さいと推定される質量電荷比における倍率値を時間経過に従って並べたものである。通常、或る化合物に対してスキャン測定を実行した場合、マススペクトル上には複数のピークが観測されるが、その全てのピークが夾雑成分の影響を受けているということはあまりない。換言すれば、複数のピークのうちの少なくとも1つは夾雑成分の影響を受けていない可能性が高い。そのため、上述したように作成された倍率波形は純粋な目的化合物のマスクロマトグラムピークの形状をよく表していると推定できる。
次に、定量用質量選定部42は、目的化合物の標準マススペクトル上でピークが存在する質量電荷比m
iについて、時間範囲[Ts, Te]内の各測定時点における実測データを測定データ記憶部5から読み出し、実測のマスクロマトグラムを生成する(ステップS5)。そして、この質量電荷比m
iにおける実測のマスクロマトグラムピーク波形と上記倍率波形との波形形状の相関性を示す相関係数Corr(m
i)を、次の(2)式により計算する(ステップS6)。
(2)式において、F'及びInt(m
i)'はそれぞれ、F={F(t)}及びInt(m
i)={Int(m
i,t)}の平均値である。全ての質量電荷比m
iについてステップS5、S6の処理を実行するまで、ステップS7からS5へ戻るから、ステップS7でYesと判定された時点では全ての質量電荷比m
iについての相関係数Corr(m
i)が揃うことになる。
ここで、上記相関係数の意義を、図3、図4を参照して説明する。いま、目的化合物の標準マススペクトルが図3(a)に示す状態である場合、目的化合物の保持時間前後の理想的なマスクロマトグラムは、図3(b)に示すようになる。即ち、標準マススペクトル中に現れる質量電荷比M1、M2、M3の3本のピークの強度の相対比を維持した状態のマススペクトルが時間軸方向(図3(b)ではt1、t2、t3のみを記載)に並び、質量電荷比M1、M2、M3において各測定時点のマススペクトル上のピーク強度を時間軸方向に繋ぐことにより、マスクロマトグラムピークが形成される。夾雑成分の重なりがない場合には、質量電荷比M1、M2、M3における3つのマスクロマトグラムピークの形状は相似形である。理想的には、上記倍率波形はこのマスクロマトグラムピークの形状と相似形状となる。
これに対し、目的化合物に何らかの夾雑成分が重なっている場合の実測マススペクトルとマスクロマトグラムの一例を図4に示す。図4(a)に示すように、マススペクトル上で目的化合物由来の質量電荷比M1、M3のピークに夾雑成分が重なり、その分、ピーク強度は大きくなっている。これによって、図4(b)に示すように、目的化合物の保持時間付近の時間範囲のマスクロマトグラムでも、ピークの形状が変形している。この例では、各測定時点において質量電荷比M2には夾雑成分が重なっておらず、質量電荷比M2のマスクロマトグラムは目的化合物単体のマスクロマトグラムに相似したピーク形状となっている。したがって、質量電荷比M1、M2、M3のマスクロマトグラムピーク波形と倍率波形との相関係数を求めれば、質量電荷比M2におけるマスクロマトグラムピーク波形と倍率波形との相関係数が他に比べて顕著に高くなる筈である。逆に言えば、実測のマスクロマトグラムが高い相関係数を示す質量電荷比は夾雑成分の影響の小さい質量電荷比であるということができる。
そこで定量用質量選定部42は、算出されたn個の相関係数Corr(mi)をそれぞれ所定の閾値Tと比較して、相関係数Corr(mi)が閾値Tを超える質量電荷比miについては実測のマスクロマトグラムピークの純粋性が高い(夾雑成分の重なりがない又は少ない)と判断し、該質量電荷比を定量用/確認用質量電荷比の候補として抽出する(ステップS8)。判定基準である上記閾値Tは実験的に求めた適宜の値とすればよい。以上が第1段階の定量用/確認用質量電荷比の選定である。
続いて、定量用質量選定部42は、目的化合物の標準マススペクトルに含まれるマススペクトルピークの強度比を基準とし、各測定時点における実測のマススペクトル上のピーク強度比が許容範囲内であるか否かを判定することで、目的化合物のみに由来する質量電荷比を絞り込む(ステップS9〜S11)。具体的な判定方法を図5を参照して説明する。
まず、図5(a)に示すような倍率波形において倍率値F(t)が最大となる測定時点tをt
m、その測定時点t
mにおける倍率値F(t
m)を決定した質量電荷比をm
mとする。また、判定基準となる許容範囲Aを適宜に定める。測定時点t
mで得られる実測マススペクトルにおいて、質量電荷比m
mのマススペクトルピークは夾雑成分の影響が最も少ないと考えられる。また、目的化合物の標準マススペクトルにおける各マススペクトルピークの強度比は実測マススペクトルでも維持される筈である。そこで、図5(b)に示すように、目的化合物の標準スペクトル上で、質量電荷比m
m(この例ではM2)のピーク強度P2とそれ以外の質量電荷比(この例ではM1)のピーク強度P1の比を基準として求める。そして、図5(c)に示すように、測定時点t
mで得られる実測マススペクトル上で、質量電荷比m
m(この例ではM2)のピーク強度P2’とそれ以外の質量電荷比(この例ではM1)のピーク強度P1’の比を求め、この強度比が上記基準に対して±Aの許容範囲に収まるか否かを判定する。これを式で表すと、各質量電荷比m
iのマススペクトルピークの強度が次の(3)式を満たすか否かを判定することになる。これが、上記第1段階に続く第2段階の定量用/確認用質量電荷比の選定である。
定量用質量選定部42は、ステップS8で抽出された定量用/確認用質量電荷比候補について(3)式を満たすか否かを判定し、満たしている場合に該質量電荷比は純粋なマスクロマトグラムを示す質量電荷比であるとして、定量用/確認用質量電荷比に採用する(ステップS11)。ステップS9〜S11の処理を、ステップS8で抽出された全ての定量用/確認用質量電荷比候補について実行し、ステップS12でYesと判定されたならば、定量用/確認用質量電荷比を決定する(ステップS13)。
以上のようにして自動的に定量用/確認用質量電荷比が決定されたならば、決定された定量用/確認用質量電荷比が表示部8の画面上に表示される。一般的には上記処理により、複数の定量用/確認用質量電荷比が抽出される。分析者はこれを表示部8の画面上で確認して、入力部7により、定量計算に利用する定量用質量電荷比及び確認用質量電荷比を指定する。通常、定量用質量電荷比は1つであるが、確認用質量電荷比は複数であってもよい。
この指定を受けて定量演算部43は、予め測定データ記憶部5に格納されている、複数の既知濃度の目的化合物の標準試料に対する測定データに基づいて、指定された定量用質量電荷比におけるマスクロマトグラムを作成し、目的化合物の濃度とクロマトグラムピーク面積との関係を示す検量線を作成する。その後に、定量演算部43は、指定された定量用質量電荷比における実測のマスクロマトグラムピークの面積を計算し、その面積値を上記検量線に照らして目的化合物の定量値を算出し、定量結果を表示部8の画面上に表示する。また、分析者の指示を経ずに、決定された1乃至複数の定量用質量電荷比における実測のマスクロマトグラムピークに基づいて定量値を算出するようにしてもよい。いずれにしても、夾雑成分の重なりの少ないマスクロマトグラムピークに基づいて定量計算がなされるので、高い精度の定量値が求まる。また、定量演算部43は、例えば定量用質量電荷比のマスクロマトグラムのピークトップの時間におけるマススペクトル上で、指定された定量用質量電荷比及び確認用質量電荷比に対するピーク強度を求め、それに基づく確認イオン比から、定量計算に使用されたマスクロマトグラムピークが目的化合物由来であるか否かを判断し、その結果を表示部8の画面上に出力する。
上述したデータ処理の実例を図6、図7により説明する。図6(a)は或る目的化合物に対して得られたm/z137、m/z179、m/z304及びm/z84のマスクロマトグラムである。また、図6(b)は上述した方法により、目的化合物の標準マススペクトル及び実測マススペクトルデータから求めた倍率波形である。この倍率波形は正規分布に近い形状となっている。図7は、図6(a)に示した実測マスクロマトグラムと図6(b)に示した倍率波形とから、相関係数等を計算した結果をまとめた図である。
図7で分かるように、m/z137、m/z179及びm/z304に対するマスクロマトグラムはいずれも、0.9を上回る良好な相関係数を示している。これに対し、m/z84は夾雑成分の存在のために相関係数が低い値になっている。その結果、第1段階の判定により、m/z137、m/z179及びm/z304は定量用/確認用質量電荷比の候補として含まれるが、m/z84は除外される。
さらに標準マススペクトル上でのマススペクトルピークの強度比を基準として、定量用/確認用質量電荷比の候補を絞り込む。図6(b)に示した倍率波形において最大倍率を与えたm/zが137であった場合、最大倍率を示す測定時点tの実測マススペクトルにおいて、m/z137のマススペクトルピーク強度は夾雑成分の影響が最も少ないと考えられる。そこで、目的化合物の標準マススペクトルにおいて、m/z137のピーク強度に対する各質量電荷比候補のマススペクトルピーク強度の比率(Int_std(mi)/Int_std(137))と、測定時点tの実測マススペクトルにおけるm/z137のピーク強度に対する各質量電荷比候補のマススペクトルピーク強度の比率(Int(mi)/Int(137))とを比較する。許容範囲Aを20に設定した場合、m/z304は許容範囲を超えた差が発生していることが分かる。これは、目的化合物以外の他の成分が同一時間に溶出している可能性を示す。この結果を受けて、定量用/確認用質量電荷比候補からm/z304を除外する。これにより、この例ではm/z137及びm/z179の2つが定量用/確認用質量電荷比として決定される。
なお、上記実施例は本発明の一例であり、本発明の趣旨の範囲で適宜変形、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは明らかである。
例えば上記実施例において、ステップS2〜S4において作成される倍率波形は別の手順によっても作成可能である。即ち、目的化合物の標準マススペクトル上の複数の質量電荷比に対して実測されたピーク強度を上回らないように標準マススペクトル上の各ピークの強度を定数倍し、その倍率を各測定時点で求めても、(1)式と同じように、夾雑成分の重なりの影響を受けない目的化合物単体のクロマトグラムピーク形状を求めることができる。
また、上記実施例は本発明をGC/MSに適用したものであるが、LC/MSにも適用可能であることは明らかである。