本発明の一実施形態について、以下に詳しく説明する。
図1および図2に示すように、本実施形態に係るマグネトロンスパッタ装置10は、両端が閉鎖された概略円筒形の真空槽12を備えている。この真空槽12は、当該円筒形の両端に当たる部分を上下に向けた状態で、つまり当該円筒形の中心軸Xaを垂直方向に延伸させた状態で、設置されている。この真空槽12の内径は、例えば約1100mmであり、当該真空槽12内の高さ寸法は、例えば約800mmである。なお、この真空槽12の形状および寸法は、飽くまでも一例であり、後述する被処理物100の大きさや個数等の諸状況に応じて適宜に定められる。また、真空槽12自体は、耐食性および耐熱性の高い金属製、例えばSUS304等のステンレス鋼製、であり、その壁部は、基準電位としての接地電位に接続されている。
この真空槽12の壁部の適宜位置、例えば下面を成す壁部の中央よりも僅かに外方寄り(図1における左寄り)の位置には、排気口14が設けられている。そして、この排気口14には、真空槽12の外部において、図示しない排気管を介して図示しない排気手段としての真空ポンプが結合されている。なお、真空ポンプは、真空槽12内の圧力Pを制御する圧力制御手段としても機能する。加えて、排気管の途中には、図示しない自動圧力制御装置が設けられており、この自動圧力制御装置もまた、圧力制御手段として機能する。
さらに、真空槽12の側面を成す壁部の内側の適宜位置(図1および図2における右側の位置)に、当該真空槽12とは電気的に絶縁された状態で、マグネトロンカソード16が配置されている。図3を併せて参照して、このマグネトロンカソード16は、概略矩形平板状のターゲット162と、このターゲット162の一方主面である背面側に設けられた磁石ユニット164と、を有している。そして、磁石ユニット164は、磁界形成手段としての永久磁石166と、この永久磁石166を収容する筐体168と、を有している。さらに、永久磁石166は、ターゲット162の背面に密着しつつ当該ターゲット162の周縁に沿うように設けられた概略矩形枠状の一方磁極としての例えばN極166aと、このN極166aの内側においてターゲット162の背面に密着しつつ当該ターゲット162の長手方向に沿って延伸するように設けられた概略角棒状の他方磁極としてのS極166bと、を有している。なお、ターゲット162の寸法は、例えばその長手方向(長さ寸法)が457mmであり、短手方向(幅寸法)が127mmであり、厚さ方向(厚さ寸法)が8mmである)。また、永久磁石166のN極166aとS極166bとの間には、概略矩形溝状の間隙166cが設けられている。そして、筐体168には、当該筐体168を含むマグネトロンカソード16全体を冷却するための図示しない冷却手段としての例えば水冷機構が付属されている。
このマグネトロンカソード16は、ターゲット162の他方主面(前面)である被スパッタ面を真空槽12の中心軸Xaに向け、かつ、当該ターゲット162の長手方向が真空槽12の中心軸Xaに沿って、つまり垂直方向に沿って、延伸するように、配置されている。そして、このマグネトロンカソード16は、ターゲット162の被スパッタ面を除いて、換言すれば当該被スパッタ面を露出させた状態で、アースシールド18によって覆われている。このアースシールド18は、耐食性および耐熱性の高い金属製、例えばSUS304等のステンレス鋼製、である。そして、このアースシールド18は、マグネトロンカソード16とは電気的に絶縁されており、かつ、真空槽12と電気的に接続されている。なお、図2に示すように、真空槽12の壁部のうちマグネトロンカソード16およびアースシールド18が設けられている部分12aについては、当該マグネトロンカソード16およびアースシールド18が設けられるのに適当な構造とされるのが、望ましい。とりわけ、当該部分12aについては、ターゲット162の交換を含むマグネトロンカソード16のメンテナンス時の作業性等を考慮して、引き戸や開き戸の如く開閉可能とされるのが、望ましい。
また、図1に示すように、マグネトロンカソード16は、真空槽12の外部において、スパッタ電力供給手段としての直流電源装置20に接続されている。そして、当該マグネトロンカソード16は、この直流電源装置20からスパッタ電力Esとして接地電位を基準とする負電位の直流電力の供給を受ける。言い換えれば、真空槽12を陽極とし、マグネトロンカソード16を陰極として、これら両者にスパッタ電力Esが供給される。なお、このスパッタ電力Esの供給源である直流電源装置20は、当該スパッタ電力Esの電力値が一定となるように動作する定電力モードと、当該スパッタ電力Esの電圧成分である言わばスパッタ電圧(またはターゲット電圧とも言う。)Vsが一定となるように動作する定電圧モードと、当該スパッタ電力Esの電流成分である言わばスパッタ電流(またはターゲット電流とも言う。)Isが一定となるように動作する定電流モードと、の3つの動作モードを備えており、ここでは、定電力モードで動作するように設定されている。
加えて、マグネトロンカソード16の前方、詳しくはターゲット162の被スパッタ面の前方に、熱電子放出手段としてのフィラメント22が設けられている。このフィラメント22は、例えば直径が約1mmの直線状の線状体であり、その素材としては、高融点金属製、例えばタングステン(W)製、である。ここで、図4を併せて参照して、特に図4(a)を参照して、このフィラメント22は、これをマグネトロンカソード16が配置されている方向とは反対の方向から、例えば真空槽12の中心軸Xa上から、見たときに、ターゲット162の被スパッタ面の中央を垂直方向に沿って、つまり当該ターゲット162の長手方向に沿って、延伸するように、設けられている。また特に、図4(b)に示すように、このフィラメント22は、ターゲット162の被スパッタ面との間に所定の距離Dを置いている。この距離Dは、後述する如く5mm〜50mmが適当であり、例えば10mmである。なお、フィラメント22の長さ寸法は、ターゲット162の長さ寸法と同等かそれ以上であり、厳密には当該ターゲット162の後述するエロージョン領域162aの長さ寸法と同等かそれ以上であり、例えば500mmである。
改めて図1を参照して、フィラメント22は、真空槽12の外部において、熱電子放出用電力供給手段としての例えば交流電源装置24に接続されている。そして、フィラメント22は、この交流電源装置24から熱電子放出用電力としてのカソード電力Ecの供給を受けて2000℃以上に加熱されることで、熱電子を放出する。なお、カソード電力Ecは、交流電力に限らず、直流電力であってもよい。
さらに、フィラメント22は、真空槽12の外部において、放電用電力供給手段としての上述とは別の直流電源装置26に接続されている。そして、フィラメント22は、この直流電源装置26から放電用電力Edとして接地電位を基準とする負電位の直流電力の供給を受ける。言い換えれば、真空槽12を陽極とし、フィラメント22を陰極として、これら両者に放電用電力Edが供給される。なお、この放電用電力Edの供給源である直流電源装置26もまた、上述のスパッタ電力供給手段としての直流電源装置20と同様、当該放電用電力Edの電力値が一定となるように動作する定電力モードと、当該放電用電力Edの電圧成分である言わば放電電圧Vdが一定となるように動作する定電圧モードと、当該放電用電力Edの電流成分である言わば放電電流Idが一定となるように動作する定電流モードと、の3つの動作モードを備えている。ただし、この放電用電力供給手段としての直流電源装置26は、定電圧モードで動作するように設定されている。
そして、真空槽12内のフィラメント22が設けられている位置よりも内側に注目すると、当該真空槽12内には、複数の被処理物100,100,…が配置される。具体的には、各被処理物100,100,…は、真空槽12の中心軸Xaを中心とする円の円周方向に沿って等間隔に配置されている。それぞれの被処理物100は、例えばドリル刃等のような細長い円柱状のものであり、垂直方向に沿って延伸するように、つまり真空槽12の中心軸Xaに沿う方向に延伸するように、保持手段としてのホルダ28によって保持されている。そして、それぞれのホルダ28は、ギア機構30を介して、円盤状の公転台32の周縁近傍に結合されている。この公転台32の中心は、真空槽12の中心軸Xa上に位置しており、当該公転台32の中心には、真空槽12の中心軸Xaに沿って延伸する回転軸34の一方端が固定されている。そして、回転軸34の他方端は、真空槽12の外部において、回転駆動手段としてのモータ36のシャフト36aに結合されている。
即ち、モータ36が駆動して、当該モータ36のシャフト36aが例えば図1に矢印200で示す方向に回転すると、公転台32が同方向に回転し、つまり図2においても矢印200で示す方向に回転する。これに伴って、それぞれの被処理物100が真空槽12の中心軸Xaを中心として回転し、言わば公転する。併せて、それぞれのギア機構30による回転駆動力伝達作用によって、それぞれのホルダ28が、自身を通る鉛直線Xbを中心として例えば図1および図2のそれぞれに矢印202で示す方向に回転する。そして、このホルダ28自身の回転に伴って、被処理物100もまた、同じ方向に回転し、言わば自転する。なお、被処理物100の公転経路の直径(PCD;Pitch Circle Diameter)は、例えば約600mmである。そして、被処理物100の公転速度(公転台32の回転速度)は、例えば0.5rpm〜1rpmである。これに対して、被処理物100の自転速度(ホルダ28自身の回転速度)は、例えば30rpm〜60rpmであり、つまり公転速度の60倍である。なお、図1および図2においては、12個の被処理物100,100,…(ホルダ28,28,…およびギア機構30,30,…)が設けられているが、この個数は一例であり、これ以外の個数であってもよい。
併せて、それぞれの被処理物100には、ホルダ28,ギア機構30,公転台32および回転軸34を介して、真空槽12の外部にあるバイアス電力供給手段としてのパルス電源装置38から基板バイアス電力Ebが供給される。この基板バイアス電力Ebは、その電圧成分である言わば基板バイアス電圧Vbが、接地電位を基準とする正電位のハイレベル電圧と、当該接地電位を基準とする負電位のローレベル電圧と、に交互に遷移する、いわゆるバイポーラパルス電力である。この基板バイアス電圧Vbのハイレベル電圧は、一定であり、例えば接地電位を基準として+37Vである。一方、基板バイアス電圧Vbのローレベル電圧は、任意に調整可能とされており、このローレベル電圧によって、当該基板バイアス電圧Vbの平均値(直流換算値)が任意に設定可能とされている。さらに、この基板バイアス電力Ebの周波数もまた、例えば50kH〜250kHの範囲内で任意に設定可能とされている。そして、当該基板バイアス電力Ebのデューティ比(基板バイアス電圧Vbの1周期において当該基板バイアス電圧Vbがハイレベル電圧となる期間の比率)もまた、任意に設定可能とされている。なお、ここでは、当該基板バイアス電力Edの周波数については、例えば100kHzとされ、デューティ比については、例えば30%とされる。
さらに、真空槽12の側面を成す壁部の内側の適宜位置であって、被処理物100,100,…の公転経路よりも外方の位置(図1および図2において左側の位置)に、温度制御手段としての例えばカーボンヒータ40が設けられている。このカーボンヒータ40は、真空槽12の外部において、図示しないヒータ加熱用電源装置に接続されている。そして、当該カーボンヒータ40は、このヒータ加熱用電源装置から直流または交流のヒータ加熱用電力の供給を受けて発熱し、とりわけ、被処理物100,100,…を加熱する。なお、図2に示すように、真空槽12の壁部のうちカーボンヒータ40が設けられている部分12bについても、上述のマグネトロンカソード16およびアースシールド18が設けられている部分12aと同様、当該カーボンヒータ40が設けられるのに適当な構造とされるのが、望ましい。
また、図1に示すように、真空槽12の壁部の適宜位置、好ましくはフィラメント22の近傍の位置に、放電用ガス導入手段,洗浄用ガス導入手段および反応性ガス導入手段として兼用されるガス導入管42が設けられている。即ち、このガス導入管42は、真空槽12内に放電用ガスとしての例えばアルゴン(Ar)ガスと、洗浄用ガスとしての例えば水素(H2)ガスと、反応性ガスとしての例えば窒素(N2)ガスと、を導入するためのものである。なお、図示は省略するが、このガス導入管42には、真空槽12の外部において、各ガスの流通を個別に開閉するための開閉手段としての開閉バルブと、当該各ガスの流量を個別に制御するための流量制御手段としてのマスフローコントローラと、が設けられている。
このような構成のマグネトロンスパッタ装置10によれば、従来よりも高硬度な被膜を形成することができる。例えば、当該被膜として窒化チタン膜を形成する場合について、説明する。この場合、ターゲット162としてチタン製のものが採用される。
まず、真空槽12内(ホルダ28,28,…)に被処理物100,100,…が設置される。その上で、真空槽12内が真空ポンプによって排気され、例えば2×10−3Pa程度の圧力Pになるまで排気される。このいわゆる真空引きの後、モータ36が駆動され、被処理物100,100,…の自公転が開始される。そして、カーボンヒータ40にヒータ加熱用電力が供給され、被処理物100,100,…が例えば150℃程度にまで加熱される。これにより、被処理物100,100,…に含まれている不純物ガスが排出され、いわゆる脱ガス処理が行われる。
この脱ガス処理が所定時間にわたって行われた後、カーボンヒータ40へのヒータ加熱電力の供給が停止され、続いて、放電洗浄処理が行われる。この放電洗浄処理においては、フィラメント22にカソード電力Ecが供給される。これにより、フィラメント22が加熱されて、当該フィラメント22から熱電子が放出される。併せて、フィラメント22に放電用電力Edが供給される。即ち、真空槽12を陽極とし、フィラメント22を陰極として、これら両者に当該放電用電力Edが供給される。これにより、陰極であるフィラメント22から放出された熱電子が、陽極である真空槽12の壁部に向かって、特に当該フィラメント22に近い位置にあって真空槽12と同電位であるアースシールド18に向かって、加速される。この状態で、ガス導入管42を介して真空槽12内に放電用ガスとしてのアルゴンガスが導入されると、加速された電子がアルゴンガスの粒子に衝突して、その衝撃により、当該アルゴンガス粒子が電離して、プラズマ300が発生する。ここで、フィラメント22の周囲を含むターゲット162の被スパッタ面の近傍には、上述した永久磁石166による磁界が形成されているので、当該フィラメント22から放出された熱電子は、この磁界の作用を受けて螺旋運動(サイクロイド運動またはトロコイド運動)する。これにより、熱電子がアルゴンガス粒子に衝突する頻度が増大して、プラズマ300が高密度化される。このようなプラズマ300の放電態様は、低電圧大電流のアーク放電である。さらに、ガス導入管42を介して真空槽12内に洗浄用ガスとしての水素ガスが導入される。すると、この水素ガスの粒子もまた電離して、プラズマ300を形成する。なお、真空槽12内へのアルゴンガスの導入と、当該真空槽12内への水素ガスの導入とは、同時に開始されてもよい。
このようにアーク放電によるプラズマ300が発生している状態で、それぞれの被処理物100に基板バイアス電力Ebが供給されると、当該プラズマ300中のアルゴンイオンと水素イオンとがそれぞれの被処理物100の表面、厳密には露出した状態にある被処理面に、積極的に入射される。この結果、アルゴンイオンによるスパッタ作用と、水素イオンによる化学反応作用と、によって、それぞれの被処理物100の被処理面から不純物が取り除かれ、つまり放電洗浄処理が行われる。なお、それぞれの被処理物100は、上述の如く自公転しているので、この自公転の過程でプラズマ300に晒される状態にあるときに、当該放電洗浄処理を施される。このことは、後述する成膜処理においても、同様である。
この洗浄処理においては、アルゴンガスの流量は、例えば50mL/minとされ、水素ガスの流量もまた、例えば50mL/minとされる。そして、真空槽12内の圧力Pは、例えば0.2Paに維持される。さらに、放電用電力Edは、例えば1000Wとされる。具体的には、この放電用電力Edの電圧成分である放電電圧Vdが50Vとなるように、当該放電用電力Edの供給源である直流電源装置26が上述の如く定電圧モードで動作しており、この状態で、当該放電用電力Edの電流成分である放電電流Idが20Aになるように、カソード電力Ecによってフィラメント22の加熱温度が制御され、つまりフィラメント22からの熱電子の放出量が制御される。加えて、基板バイアス電力Ebについては、その電圧成分である基板バイアス電圧(平均電圧値)Vbが−600Vとされる。
この放電洗浄処理が所定時間にわたって行われた後、真空槽12内への水素ガスの導入が停止される。そして、窒化チタン膜を形成するための成膜処理が行われる。そのためにまず、マグネトロンカソード16にスパッタ電力Esが供給される。即ち、真空槽12を陽極とし、マグネトロンカソード16を陰極として、これら両者にスパッタ電力Esが供給される。なお、このスパッタ電力Esの供給源である直流電源装置20は、上述の如く当該スパッタ電力Esが一定となるように定電力モードで動作する。すると、マグネトロンカソード16のターゲット162の被スパッタ面にプラズマ300中のアルゴンイオンが衝突して、その衝撃によって、当該ターゲット162の被スパッタ面からチタン粒子が叩き出される(スパッタされる)。そして、このターゲット162の被スパッタ面から叩き出されたチタン粒子は、被処理物100に向かって飛翔し、当該被処理物100の被処理面に入射する。この被処理物100の被処理面に入射したチタン粒子は徐々に堆積して、この結果、当該被処理物100の被処理面にチタン膜が形成される。また、各図からは分からないが、スパッタ電力Esが供給されることによって、ターゲット162の被スパッタ面の近傍にグロー放電が誘起される。即ち、プラズマ300は、上述のアーク放電による成分と、当該グロー放電による成分とを、含んだものとなる。
さらに、ガス導入管42を介して真空槽12内に反応性ガスとしての窒素ガスが導入される。すると、この窒素ガスもまた電離して、プラズマ300を形成する。そして、このプラズマ300中の窒素イオンは、被処理物100の被処理面に入射する。この被処理物100の被処理面に入射した窒素イオンは、当該被処理物100の被処理面に入射するチタン粒子、特にチタンイオン、と反応する。この結果、被処理物100の被処理面にチタンイオンと窒素イオンとの化合物である窒化チタン膜が形成される。
なお、真空槽12内への窒素ガスの流量は、適当な時間(数分間程度)を掛けて徐々に(連続的または段階的に)増大される。これにより、被処理物100の被処理面には、チタン膜が形成された後、窒素の含有量(含有率)が徐々に増大する窒化チタン膜の傾斜層が形成され、その上で、当該窒素の含有量が一定の窒化チタン膜が形成される。このようにチタン膜と傾斜層と窒化チタン膜とがこの順番で形成されることで、当該窒化チタン膜の密着力の向上が図られる。勿論、チタン膜および傾斜層の一方または両方の形成が省略されてもよいが、窒化チタン膜の密着力の向上を図るのであれば、これらチタン膜および傾斜層が形成されるのが、望ましい。また、この成膜処理における真空槽12内の圧力P等の成膜条件については、後で詳しく説明する。
この成膜処理が所定時間にわたって行われた後、真空槽12内へのアルゴンガスおよび窒素ガスの導入が停止される。併せて、マグネトロンカソード16へのスパッタ電力Esの供給が停止されると共に、被処理物100,100,…への基板バイアス電力Ebの供給が停止される。さらに、フィラメント22へのカソード電力Ecの供給が停止されると共に、当該フィラメント22への放電用電力Edの供給が停止される。これにより、プラズマ300が消失する。そして、真空槽12内の圧力が大気圧付近にまで徐々に戻されながら、一定の冷却期間が置かれる。その後、モータ36の駆動が停止されて、被処理物100,100,…の自公転が停止される。その上で、真空槽12内が外部に開放されて、当該真空槽12内から被処理物100,100,…が外部に取り出され、これをもって、一連の表面処理が完了する。
なお、上述のようないわゆるマグネトロンスパッタ法による成膜処理が行われることによって、ターゲット162の被スパッタ面にスパッタ痕であるエロージョン領域162aが形成される。このエロージョン領域162aは、図4に示したように、概ね永久磁石166の間隙166cに倣うように概略矩形ループ状(または長円ループ状)に形成される。このエロージョン領域162aは、大きいほど経済的であり、そのために例えば、上述の従来技術の如く永久磁石166がターゲット162の背面に沿って駆動するように構成されてもよい。ただし、このことは本発明の本旨に直接関係しないので、これ以上の説明は省略する。また、このエロージョン領域162aとフィラメント22との関係では、フィラメント22は、当該エロージョン領域162aの長さ寸法(ターゲット162の長手方向に沿う方向の寸法)と同等かそれ以上とされることは、上述した通りである。
ところで、本実施形態によれば、ターゲット162の被ターゲット面から叩き出されたスパッタ粒子としてのチタン粒子は、被処理物100に向かって飛翔する途中で、アーク放電による(成分を含む)極めて高密度なプラズマ300中を通過する。これにより、チタン粒子が活性化され、さらにはイオン化されて、少なくとも中性の状態よりは高いエネルギを持つようになる。そして、この高いエネルギを持つチタン粒子が被処理物100の被処理面に入射することで、当該被処理物100の被処理面に形成される窒化チタン膜の高硬度化が図られる。とりわけ、窒化チタン膜という化合物膜の形成においては、被処理物100の被処理面に入射されるイオンの量が多いほど好都合であり、スパッタ粒子のイオン化が促進される本実施形態は、極めて有益である。
このことを確認するために、次のような実験を行った。
まず、真空槽12内に被処理物100,100,…が設置された上で、当該真空槽12内が真空引きされる。そして、この真空引き後、真空槽12内にアルゴンガスが導入される。併せて、フィラメント22にカソード電力Ecが供給されると共に、当該フィラメント22に放電用電力Edが供給されることによって、当該フィラメント22とアースシールド18との間に、つまり当該フィラメント22の周囲に、上述したアーク放電によるプラズマ300が発生する。さらに、マグネトロンカソード16にスパッタ電力Esが供給され、詳しくは当該スパッタ電力Esが4kWとされる。加えて、被処理物100,100,…に基板バイアス電力Ebが供給され、詳しくは基板バイアス電圧(平均電圧値)Vbが−100Vとされる。なお、上述したように、この基板バイアス電力Ebの周波数は100kHzであり、デューティは30%である。ここで、放電電圧Vdが50Vとされる。そして、カソード電力Ecによって、放電電流Idが10Aとされる。この状態で、真空槽12内の圧力Pが0.1Pa〜1.0Paの範囲内で適宜に設定され、このときに被処理物100,100,…に流れる電流、厳密にはパルス電源装置38に流れる言わば基板バイアス電流Ib、を観測する。これと同様に、放電電流Idが20Aとされ、この状態にあるときの基板バイアス電流Ibについても、観測する。さらに、比較対象として、フィラメント22へのカソード電力Ecおよび放電用電力Edの供給が停止されることによって、放電電流Idが0Aとなる状態が形成され、つまり上述したグロー放電のみによってプラズマ300が発生する状態が形成され、この状態にあるときの基板バイアス電流Ibについても、観測する。
この結果を、図5に示す。この図5に示すように、例えば放電電流Idが0Aである比較対象(△印が付された短破線)の場合には、真空槽12内の圧力Pに拘らず、基板バイアス電流Ibは約0.3Aという略一定の値になる。そして、この約0.3Aという基板バイアス電流Ibに見合う量のイオンが被処理物100,100,…の被処理面に入射されることになる。なお、ここで言うイオンには、アルゴンイオンとチタンイオンとの両方が含まれる。これに対して、例えば放電電流Idが10A(□印が付された長破線)である場合には、当該放電電流Idが0Aである比較対象に比べて、基板バイアス電流Ibは遥かに大きく、また、真空槽12内の圧力Pが高いほど、当該基板バイアス電流Ibは大きくなる。例えば、真空槽12内の圧力Pが0.5Paであるときに注目すると、放電電流Idが10Aである場合の基板バイアス電流Ibは約2.5Aであり、つまり比較対象の8倍強であり、それだけ大量のイオンが被処理物100,100,…の被処理面に入射していることを示す。さらに、放電電流Idが20A(○印が付された実線)である場合には、基板バイアス電流Ibはより一層大きくなり、この場合も、真空槽12内の圧力Pが高いほど、当該基板バイアス電流Ibは大きくなる。例えば、真空槽12内の圧力が0.5Paであるときに注目すると、放電電流Idが20Aである場合の基板バイアス電流Ibは約4.1Aであり、つまり比較対象の13倍強であり、より大量のイオンが被処理物100,100,…の被処理面に入射していることを示す。
このようなことを確認した上で、続いて、実際に窒化チタン膜を形成して、特にその硬度を調べた。具体的には、被処理物100として、鏡面研磨された直径が31mmであり、厚さが3mmであるSCM415浸炭鋼(クロムモリブデン鋼)を用いる。そして、図6(a)に示す条件で、この被処理物100に成膜処理を施す。なお、この成膜処理に先立って、上述した要領による脱ガス処理を約30分間にわたって行った後、上述した要領による放電洗浄処理を約20分間にわたって行い、その上で、当該成膜処理を行う。また、放電用電力Edについては、その電圧成分である放電電圧Vdを50Vとし、カソード電力Ecの調整によって放電電流Idを10Aとすることで、放電用電力Edを500Wとする。そして、比較対象として、放電電流Idが0Aである場合についても、実際に窒化チタン膜を形成して、特にその硬度を調べた。
その結果、本実施形態によれば、2280HKというヌープ硬度が得られ、これに対して、比較対象によるヌープ硬度は400HKであった。即ち、この結果をグラフで示す図6(b)からも分かるように、アーク放電を誘起させる本実施形態によれば、当該アーク放電を誘起させない比較対象に比べて、極めて高硬度な窒化チタン膜を形成し得ること、言い換えれば当該窒化チタン膜の高硬度化を実現し得ることが、確認された。なお、図6(a)の膜厚に注目すると、本実施形態の膜厚は、3.7μmであり、これに対して、比較対象の膜厚は、5.1μmである。即ち、本実施形態の膜厚は、比較対象の膜厚に比べて、小さい。このことからも、本実施形態によれば、比較対象に比べて、緻密な窒化チタン膜を形成し得ること、つまりそれだけ高硬度な窒化チタン膜を形成し得ることが、分かる。そして、2280HKというヌープ硬度を持つ本実施形態の窒化チタン膜であれば、上述した金型や切削工具用として十分に実用に対応し得る。
また、被処理物100として、シリコン(Si)ウェハを用いて、これに窒化チタン膜を形成する実験をも行った。図7(a)に、比較対象の窒化チタン膜の断面を走査型電子顕微鏡(Scanning Electron Microscope:SEM)で観察した画像を示す。そして、図7(b)に、本実施形態の窒化チタン膜の断面を同走査型電子顕微鏡で観察した画像を示す。図7(a)に示す比較対象の窒化チタン膜は、細長い繊維状の物質が密集したような粗い構造であるが、図7(b)に示す本実施形態の窒化チタン膜は、極めて緻密な構造であることが、明らかに見て取れる。このことからも、本実施形態によれば、比較対象に比べて、緻密な窒化チタン膜を形成し得ること、つまりそれだけ高硬度な窒化チタン膜を形成し得ることが、分かる。
さらに、窒化チタン膜以外の被膜として、例えば窒化クロム膜を形成して、特にその硬度を調べる実験を行った。具体的には、図6を参照しながら説明した窒化チタン膜を形成する場合と同様、被処理物100として、鏡面研磨された直径31mm×厚さ3mmのSCM415浸炭鋼を用いる。そして、図8(a)に示す条件で、この被処理物100に窒化クロム膜を形成するための成膜処理を施す。なお、この成膜処理に先立って、上述した要領による脱ガス処理を約30分間にわたって行った後、上述した要領による放電洗浄処理を約20分間にわたって行い、その上で、当該成膜処理を行う。また、この成膜処理においては、クロム製のターゲット162を用いる。さらに、放電用電力Edについては、放電電圧Vdを50Vとし、カソード電力Ecの調整によって放電電流Idを20Aとすることで、放電用電力Edを1kWとする。そして、比較対象として、放電電流Idが0Aである場合についても、実際に窒化チタン膜を形成して、特にその硬度を調べた。
その結果、本実施形態によれば、1600HKというヌープ硬度が得られ、これに対して、比較対象によるヌープ硬度は、700HKであった。即ち、この結果をグラフで示した図8(b)からも分かるように、本実施形態によれば、比較対象に比べて、極めて高硬度な窒化クロム膜を形成し得ることが、確認された。なお、図8(a)の膜厚に注目すると、本実施形態の膜厚は、5.6μmであり、これに対して、比較対象の膜厚は、7.8μmである。即ち、窒化クロム膜についても、上述の窒化チタン膜と同様、本実施形態の膜厚は、比較対象の膜厚に比べて、小さい。このことからも、本実施形態によれば、比較対象に比べて、緻密な窒化クロム膜を形成し得ること、つまりそれだけ高硬度な窒化クロム膜を形成し得ることが、分かる。そして、1600HKというヌープ硬度を持つ本実施形態の窒化クロム膜もまた、金型や切削工具用として十分に実用に対応し得る。
以上のように、本実施形態によれば、つまり(主に)アーク放電によってプラズマ300が発生される言わばアーク放電式のマグネトロンスパッタ装置10によれば、窒化チタン膜および窒化クロム膜の形成において、それらの高硬度化を図ることができる。このことは、窒化チタン膜および窒化クロム膜以外の化合物膜についても、同様である。また、化合物膜に限らず、1つの元素のみによって形成されるいわゆる単元被膜についても、同様であることが、確認された。
さらに、本実施形態によれば、アーク放電によってプラズマ300が発生されるので、上述の比較対象の如く当該アーク放電が誘起されない構成に比べて、真空槽12内の圧力Pの低減を図ることができる。具体的には、図9を参照して、例えば比較対象については、真空槽12内の圧力Pの下限値が約0.1Paであり、これに対して、本実施形態によれば、当該真空槽12内の圧力Pの下限値が0.015Paである。このように真空槽12内の圧力の低減が可能となることは、イオンの直進性の向上に大きく貢献し、とりわけ、当該イオンの直進性の向上が要求されるコリメートスパッタに好適である。
加えて、本実施形態によれば、上述の如くアーク放電によってプラズマ300が発生されるので、スパッタ電圧Vsを低減させることができる。即ち、上述の比較対象の如くアーク放電が誘起されない構成においては、スパッタ電力Esの供給によってグロー放電によるプラズマ300が発生されるので、当該プラズマ300の密度を向上させるために、高いスパッタ電圧Vsが掛けられる。これに対して、本実施形態によれば、(主に)アーク放電によってプラズマ300が発生されるので、高いスパッタ電圧Vsを掛ける必要はない。その分、本実施形態によれば、スパッタ電圧Vsを低減させることができる。
ここで、図10に、スパッタ電力Esが4kWに設定されているときの放電電流Idに対するスパッタ電圧Vsおよびスパッタ電流Isそれぞれの関係を示す。この図10に示すように、放電電流Idが大きいほど、スパッタ電流Isが増大する。これは、グロー放電のみならずアーク放電による成分をも含むプラズマ300中のイオンの一部がターゲット162(マグネトロンカソード16)に流れ込むためである。そして、放電電流Idが大きいほど、つまりスパッタ電流Isが大きいほど、スパッタ電圧Vsが低下する。これは、スパッタ電力Esの供給源である直流電源装置20が上述の如く定電力モードで動作しているためである。このことからも、アーク放電の誘起に伴って適当な放電電流Idが流れる本実施形態によれば、スパッタ電圧Vsを低減し得ることが分かる。
スパッタ電圧Vsが低減されると、その分、被処理物100,100,…の被処理面に入射される電子のエネルギが低減される。即ち、ターゲット162の被スパッタ面がスパッタされると、当該スパッタ面からターゲット162のスパッタ粒子のみならず2次電子も叩き出される。そして、この2次電子もまた、被処理物100,100,…に向かって飛翔し、当該被処理物100,100,…の被処理面に入射する。この2次電子は、スパッタ電圧Vsに応じた大きさのエネルギを持ち、つまり当該スパッタ電圧Vsが高いほど大きなエネルギを持つ。そして、この2次電子のエネルギが大きいほど、被処理物100,100,…の温度が上昇することが、懸念される。本実施形態によれば、スパッタ電圧Vsが低減されるので、被処理物100,100,…に入射される2次電子のエネルギも低減され、ひいては当該被処理物100,100,…の温度上昇が抑制される。この点でも、本実施形態は、極めて有益である。
なお、本実施形態は、本発明の1つの具体例であり、本発明の範囲を限定するものではない。
例えば、本実施形態においては、マグネトロンカソード16に供給されるスパッタ電力Esとして、直流電力が採用されたが、これに限らない。具体的には、ターゲット162が金属等の導電性物質である場合には、当該直流電力が採用される。また、ターゲット162が導電性物質であるとしても、形成しようとする被膜が絶縁性被膜である場合には、高周波電力,パルス電力または高出力ハイインパルス電力が採用される。これは、ターゲット162の被スパッタ面のエロージョン領域162a以外の部分に絶縁性被膜が形成されることによる異常放電の発生を防止するためである。ここで、高周波電力とは、周波数が13.56MHの正弦波電力である。そして、パルス電力とは、例えば接地電位を基準としてその電圧成分が正電位と負電位とに交互に遷移するバイポーラパルス電力、或いは、当該電圧成分が接地電位と負電位とに交互に遷移するユニポーラパルス電力であり、当該電圧成分の波形としては、矩形波のものが一般的であるが、それ以外の例えば三角波のものや鋸歯状波のものであってもよい。そして、高出力ハイインパルス電力とは、瞬間的(数μs〜数十μs程度の時間にわたって)かつ周期的に(数十Hz〜数百Hzの周波数で)極めて大きな電力値(数十kW〜数百kW程度の電力値)を示すものであり、近年殊に注目されている。この高出力ハイインパルス電力によれば、アーク放電が誘起されなくても、スパッタ粒子のイオン化が促進されることが知られている。従って、この高出力ハイインパルス電力とアーク放電とを組み合わせた言わばハイブリッド化によって、スパッタ粒子のイオン化のさらなる促進が期待され、ひいては被膜のさらなる高硬度化が期待され、加えて、成膜処理時の温度の低減や成膜速度の向上等が期待される。なお、被処理物100が導電性物質である場合には、高周波電力が採用される。
そして、被処理物100,100,…に供給される基板バイアス電力Ebとして、バイポーラパルス電力が採用されたが、これに限らない。例えば、被処理物100,100,…が導電性物質であり、かつ、形成しようとする被膜もまた導電性被膜である場合には、直流電力が採用されてもよい。また、被処理物100,100,…が導電性物質であるとしても、形成しようとする被膜が絶縁性被膜である場合には、上述の高周波電力またはパルス電力が採用されるのが、適当である。なお、被処理物100,100,…が絶縁性物質である場合には、高周波電力が採用される。さらに極端には、この基板バイアス電力Ebが非供給とされてもよい。
加えて、フィラメント22については、垂直方向に延伸するように設けられたが、これに限らない。例えば、当該フィラメント22は、水平方向に延伸するように設けられてもよい。ただし、被処理物100,100,…が上述の如く直線状に延伸する細長いものである場合には、これらの延伸方向に沿って一様な膜質分布および膜質分布が得られるようにするためにも、フィラメント22は、当該被処理物100,100,…に沿って延伸するように設けられるのが、望ましい。
そして、フィラメント22とターゲット162の被スパッタ面との間の距離Dは、上述の如く5mm〜50mmとされるのが、適当である。例えば、この距離Dが過度に小さいと、フィラメント22とターゲット162の被スパッタ面とが互いに接触する虞があり、甚だ不都合である。とりわけ、フィラメント22が熱変形した場合には、その虞が顕著になる。このことから、フィラメント22とターゲット162の被スパッタ面との間の距離Dは、5mm以上であるのが、適当である。一方、当該距離Dが過度に大きいと、フィラメント22の周囲の磁界が弱くなり、アーク放電の誘起が困難になる。このことから、当該距離Dは、50mm以下であるのが、適当である。
さらに、複数のフィラメント22が設けられてもよい。複数のフィラメント22が設けられることによって、アーク放電の増強が図られ、つまりプラズマ300のさらなる高密度化が図られ、ひいてはスパッタ粒子の活性化およびイオン化が促進される。なお、この場合も、それぞれのフィラメント22とターゲット162の被スパッタ面との間の距離Dは、上述の如く5mm〜50mmとされるのが、肝要である。また、当該距離Dは、一様に揃えられることも、肝要である。
さらにまた、ターゲット162は、概略矩形平板状のものに限らず、例えば概略円板状のものであってもよく、極端には、その被スパッタ面が曲面状のものであってもよい。いずれにしても、このターゲット162の被スパッタ面と成膜対象となる被処理物100の被処理面との間に、フィラメント22が設けられることが、肝要である。そして、ターゲット16(被スパッタ面)の形状に応じて、フィラメント22もまた適宜の形状とされるのが、望ましい。
加えて、被処理物100,100,…については、自公転する必要はなく、適当に固定される構成とされてもよい。
そして例えば、特開2006−169562号公報や特開2010−209446号公報には、プラズマCVD(Chemical Vapor Deposition)装置にマグネトロンスパッタ装置が組み合わされた構成が開示されているが、本発明もまた、このような構成に適用することができる。