JP3545610B2 - 溶接ワイヤおよび溶接方法 - Google Patents

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Description

【0001】
【発明の属する技術分野】
本発明は、溶接ワイヤおよびこれを用いた溶接方法に関し、特に溶接構造物の信頼性向上のために、溶接部の残留応力を低減し、残留応力が関わる溶接構造物の諸特性、すなわち、応力腐食割れ特性、疲労特性、脆性破壊特性等の向上に寄与する溶接ワイヤ、およびこれを用いた溶接方法に関する。
【0002】
【従来の技術】
これまで最も一般的な溶接部の残留応力低減方法は、溶接継手作製終了後、溶接後熱処理(PWHT)を行うことであった。PWHTは、単に残留応力を低減するだけでなく、冶金的な意味において特性向上も期待できるため、この方法は最も重要な方法である。一方、PWHTは、溶接構造物のコストを押し上げる要因でもあり、PWHT無しで所定の特性を満足させることができれば、経済的なメリットが大きい。
【0003】
PWHT無しで所定の特性を得るための方法には、大きく分けて2つの方法に分類できる。1つは、溶接部の残留応力を溶接材料や溶接方法を工夫することにより低減する方法である。これは、残留応力が圧縮状態であれば、応力腐食割れ特性などが向上することを利用した方法である。もう1つの方法は、母材や溶接材料そのものに改良を加え、溶接残留応力が引っ張り応力状態であっても充分な特性が得られるようにする方法である。
【0004】
これら2つの方法のうち、母材や溶接材料に改良を加える方法は、多くの発明、改良がなされている。
一方、溶接材料や溶接方法に工夫を加え、特に圧縮残留応力にするという方法は、これまでにも、例えば溶接学会全国大会講演概要集(第51集、278−279ページ、1992年)などにみられるように、検討が加えられている。残留応力を低減する従来の方法は、オーステナイトからマルテンサイトに変態が開始する温度(以降Ms温度と呼ぶ)に着目し、Ms温度を低くし、低温度での変態膨張を利用し残留応力を低減することを目的とするものである。これは、残留応力の発生原因が溶接部の熱収縮であることから、変態に伴う膨張により一時的に熱収縮を(温度が低下することにより体積が膨張するという)熱膨張に反転させることにより残留応力低減を達成させることを目的とするものである。しかしながら、かなりの低Ms温度材を用いても溶接残留応力を低減することは難しい。この理由は、Ms温度でマルテンサイト変態膨張し、その温度で一時的に圧縮状態になったとしても、変態終了後の熱収縮により再び高い引っ張り応力状態になってしまうことによる。
【0005】
以上のように溶接部の残留応力を制御し応力腐食割れ、疲労強度などが問題となる部分の残留応力を低減することで溶接構造物の特性を向上させるという方法は、まだ実用に適した方法とはいえない。
【0006】
【発明が解決しようとする課題】
このように、溶接部の所定の部分(応力腐食割れなどが問題となる部分)の残留応力を低減することは、まだ達成されているとは言い難い状態にある。しかし、たとえ、母材や溶接材料に改良を加えたとしても、残留応力を制御することは継手信頼性を向上せしめる上でメリットが大きいことは明白である。従って、溶接部の残留応力を低減させる方法は、これまで母材や溶接材料に種々の改良を加えられている現在においても、その重要性は失われていない。特に、溶接部のように、応力集中が発生しやすく、全面的に引張り残留応力になる表面部分の残留応力を低減することができれば、信頼性向上の点から、その効果は絶大なものとなる。
【0007】
すなわち、溶接構造物の信頼性確保の点やPWHTを省略するという点から、たとえ特性のよい母材や溶接材料を用いて溶接継手を作製する場合においても、残留応力を制御し、応力腐食割れ等が問題となる部分の残留応力状態を低減させることは、非常に効果が大きい。本発明は、溶接部の残留応力を低減できる溶接ワイヤおよびそれを用いた溶接方法を提供することを目的とする。
【0008】
【課題を解決するための手段】
本発明者らは、以上のような事情を鑑み、溶接部の残留応力を種々検討し、これまで鋭意研究を重ねてきた結果、本発明を完成させたもので、その要旨は、次の通りである。
(1)(a)重量%で、C:0.01〜0.2%、Si:0.1〜0.5%、Mn:0.01〜1.5%、P:0.03%以下、S:0.02%以下、Ni:8〜12%を含有し、Ti:0.01〜0.4%、Nb:0.01〜0.4%、V:0.3〜1.0%の1種または2種以上をさらに含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、
(b)C、Ni、CrおよびMoをそれぞれの成分の重量%とし、Pa=C+Ni/12+Cr/24+Mo/19で定義されるパラメーターPa の範囲が、0.85以上、かつ1.15以下であり
(c)オーステナイトからマルテンサイトに変態を開始する温度が200℃以上350℃以下であり、かつ、
(d)オールデポ溶接継手の溶接金属の変態開始温度における降伏強度が60kg/mm2 以上、120kg/mm2 以下であることを特徴とする溶接ワイヤ。
【0009】
)重量%で、Cu:0.05〜0.4%、Cr:0.1〜3.0%、Mo:0.1〜3.0%、Co:0.1〜2.0%の1種または2種以上をさらに含有することを特徴とする前記()に記載の溶接ワイヤ。
【0010】
(a)重量%で、C:0.001〜0.05%、Si:0.1〜0.7%、Mn:0.4〜2.5%、P:0.03%以下、S:0.02%以下、Ni:4〜8%、Cr:10〜15%、N:0.001〜0.05%を含有し、C+N:0.001〜0.06%であり、残部が鉄及び不可避不純物からなり、
(b)C、Ni、CrおよびMoをそれぞれの成分の重量%とし、Pa=C+Ni/12+Cr/24+Mo/19で定義されるパラメーターP a の範囲が、0.85以上、かつ1.15以下であり、
(c)オーステナイトからマルテンサイトに変態を開始する温度が253℃以上350℃以下であり、かつ、
(d)オールデポ溶接継手の溶接金属の変態開始温度における降伏強度が60 kg/mm 2 以上、120 kg/mm 2 以下である、ことを特徴とする溶接ワイヤ。
)重量%で、Mo:0.1〜2.0%、Cu:0.05〜0.4%、Ti:0.005〜0.3%、Nb:0.005〜0.3%、V:0.05〜0.5%の1種または2種上をさらに含有する前記()に記載の溶接ワイヤ。
【0011】
(5)溶接用鋼と、前記(1)〜(4)のいずれかに記載の溶接ワイヤを使用することを特徴とする溶接方法。
【0012】
)前記溶接用鋼が、オーステナイトからマルテンサイトに変態を開始する温度が200℃以上350℃以下であり、かつ、変態開始温度における降伏強度が60kg/mm2 以上、120kg/mm2 以下であることを特徴とする前記()に記載の溶接方法。
【0013】
)前記溶接用鋼が、C、Ni、CrおよびMoをそれぞれの成分の重量%とし、Pa=C+Ni/12+Cr/24+Mo/19で定義されるパラメーターPa の範囲が、0.85以上、かつ1.15以下であることを特徴とする前記()に記載の溶接方法。
Pa=C+Ni/12+Cr/24+Mo/19
【0014】
)前記溶接用鋼が、重量%で、C:0.01〜0.2%、Si:0.01〜0.4%、Mn:0.2〜1.5%、P:0.03%以下、S:0.02%以下、Ni:8〜12%を含有し、Ti:0.005〜0.3%、Nb:0.005〜0.3%、V:0.05〜0.5%の1種または2種以上をさらに含有し、残部が鉄および不可避不純物からなることを特徴とする前記()に記載の溶接方法。
【0015】
)前記溶接用鋼が、重量%で、Cr:0.1〜3.0%、Mo:0.1〜3.0%の1種または2種以上をさらに含有することを特徴とする前記()に記載の溶接方法。
【0016】
10)前記溶接用鋼が、重量%で、C:0.001〜0.05%、Si:0.05〜0.5%、Mn:0.4〜2.5%、P:0.03%以下、S:0.02%以下、Ni:3〜7%、Cr:10〜15%、N:0.001〜0.05%を含有し、C+N:0.001〜0.06%であり、残部が鉄および不可避不純物からなることを特徴とする前記()に記載の溶接方法。
【0017】
11)重量%で、Mo:0.1〜2.0%、Ti:0.005〜0.3%、Nb:0.005〜0.3%、V:0.05〜0.5%の1種または2種以上をさらに含有することを特徴とする前記(10)に記載の溶接方法。
【0018】
【発明の実施の形態】
以下に、本発明を詳細に説明する。
初めに、本発明の技術思想について述べる。
溶接金属および溶接熱影響部の残留応力を低減させるためには、マルテンサト変態のように、変態膨張を利用する方法が最も有望な方法である。従来の技術では、この考えに基づき、低Ms温度の材料に着目して検討が加えられていた。しかし、変態終了後には熱収縮が再び生じるため、結果的に残留応力を低減させることが困難であった。これは、変態に伴う膨張が、たとえ5 〜10%あろうと、引っ張り降伏応力状態から圧縮降伏応力状態に必要な膨張量は、降伏強度が40kg/mmの場合は、線膨張に換算してせいぜい0.4 %程度であり、残りの変態膨張は、溶接変形には影響を及ぼすが残留応力低減には寄与していないためである。
【0019】
これは、マルテンサイト変態の特徴によるものと考えられる。すなわち、Ms温度直下でほとんど変態が終了してしまうという特徴によるものと考えられる。ここで、溶接部の冷却過程で温度がMs温度になった時点で変態が一気に終了するとした場合、溶接部が室温に達しても圧縮応力状態になっているMs温度はどの程度になるか考察してみる。
【0020】
溶接部の温度がMs温度に達すると、変態が始まり膨張する。この膨張により、溶接部は圧縮応力状態になり、その応力は圧縮降伏応力に達する。変態膨張は、圧縮降伏応力状態になってもさらに進むが、応力的には圧縮降伏応力にすでに達しているため応力状態はそのままで、溶接継手の変形が進む。変態が終了すると、温度低下に伴う熱収縮が再び発生し、それに伴い、圧縮降伏応力状態から次第に応力が増加し、ついには引張り応力状態に達する。このため、圧縮応力状態を保つためには、Ms温度から室温に至るまでの熱歪みが、圧縮降伏応力に対応する弾性歪みの絶対値より小さければよい。簡単のため、室温を20℃とし、Ms温度をTとおくと、降伏応力がσy 、ヤング率がE、熱膨張係数がαのとき、この条件を満たすためには、
α(T−20 )<σy /E (1)
すなわち、
T<20+σy /( Eα) (2)
なお、(1) 式の左辺は温度がT℃から20℃になるまでに生じる熱収縮量、右辺は、降伏応力状態に対応する弾性ひずみである。Eを21000kg /mm、αを1.5 ×10−5とすれば、(2) 式より、
T<150 ℃ (σy =40kg/mm) (3)
T<180 ℃ (σy =50kg/mm) (4)
T<210 ℃ (σy =60kg/mm) (5)
となる。すなわち、490MPa級高張力鋼(σy 〜40kg/mm)では、この考えによると、Ms温度を150 ℃以下にしない限りは、圧縮残留応力が得られないことになる。(1) 式は、溶接部が周囲より完全に拘束されている、1次元応力状態を考えている、などの仮定をおいているが、基本的には同じ現象が生じているものと考えることができる。従来の技術においてMs温度を低温度にすることにより圧縮残留応力にするためには、Ms温度が200℃を下回る必要があり、このような非常に低い温度にしない限りは圧縮応力状態にならないという事情があるため、これまで従来技術では溶接残留応力低減効果は充分なものではなかった。
【0021】
このように、Ms温度を低減させることに着目した溶接残留応力低減方法は、あまり現実的ではないレベルにまでMs温度を低くしなければならないという問題を抱えている。
しかし、前述の考察をふまえると、溶接部の残留応力を低減するための方針は、少なくとも2つあることがわかる。
【0022】
1つは、Ms温度を低減する方法である。すなわち、できるだけ低い温度で変態膨張すれば、変態膨張後の熱収縮量も小さくなり、結果として残留応力を低減することが可能となるはずである。これは、まさしく従来技術が達成しようとしていた方法である。しかし、この方法は、すでに述べたとおり、非常に低いMs温度でなければ充分な残留応力低減効果は得られない。
【0023】
従来技術において、このような問題を抱えているのは、Ms温度に着目しすぎるあまり、変態膨張のほとんどが溶接変形という形で影響してしまうことを見落としている点にある。すなわち、引張降伏応力状態から圧縮降伏応力状態にするための弾性歪み変化は、降伏強度が40kg/mmの場合で変態膨張が線膨張に換算してせいぜい0.4 %程度(σy =40kg/mmの場合で、σy /E=40/21000(約0.2 %)、従って引っ張り降伏強度レベルから圧縮降伏強度レベルに変化するには0.4 %でよい)であり、残りの変態膨張は、応力には直接は関係ない、塑性ひずみになってしまう点を見落としている。
【0024】
そこで、もう1つの方法として、むしろ、変態膨張が必ずしも全て圧縮弾性ひずみに変化するわけではないことに着目し、溶接金属や鋼材の降伏強度を高くすることにより、できるだけ、変態膨張によって得られる圧縮弾性ひずみを大きくするという方法が考えられる。得られる圧縮弾性ひずみが大きいと、その後の熱収縮が大きくとも(すなわちMs温度が高くても)圧縮応力状態にとどまっている可能性も大きい。実際、鋼材や溶接金属がオーステナイト(面心構造)からフェライトまたはマルテンサイト(体心構造)に変態する場合、体積は約9 %増加する。これは、線膨張に換算して、約3 %膨張することを意味する。従って、引張応力状態から圧縮応力状態にするためには、変態に伴う全膨張の数割程度あれば充分であることがわかる。残りの変態膨張は、応力には寄与しない塑性ひずみに変化しているのである。従って、実際生じている変態膨張は、その半分以上が塑性ひずみになっていることになる。このことは、変態開始時の温度における降伏強度を従来以上に高くすることにより、圧縮弾性ひずみへの変化量を多くする可能性がまだ残されていることを意味するものである。
【0025】
本発明者らは、これまでの技術を鋭意検討及び解析することにより、以上のような残留応力低減メカニズムを発見するに至った。本発明は、従来技術と異なり、Ms温度を低減することのみに頼らず、変態膨張を従来技術以上に有効に利用するために、すなわち変態膨張をできるだけ圧縮弾性ひずみに変化させるために、溶接金属の降伏強度、さらに好ましくは鋼材の降伏強度を新たにコントロールし、従来技術では残留応力低減を達し得なかったような高いMs温度でも低減効果が得られるようにすることを目的とするものである。
【0026】
本発明者らは、以上にような残留応力低減メカニズムを発見し、このメカニズムにより実際の溶接継手の残留応力を低減するためのMs温度とその温度おける降伏強度の適正範囲を求めるべく研究を重ね、ついに、実用的なMs温度範囲とその温度における降伏強度の範囲を決定するに至ったものである。次に、溶接ワイヤ及び鋼材のMs温度範囲とMs温度における降伏強度範囲を限定した理由を述べる。
なお、溶接ワイヤのMs温度における降伏強度とは、ワイヤから作製されるオールデポ継ぎ手の溶接金属の値である。
【0027】
Ms温度は、通常の鋼材および溶接金属においても、500℃以下の値を示しており、多くの場合は450℃以下である。この値は、成分に依存し、例えば日本鉄鋼協会が出している溶接構造用鋼の溶接CCT図集からわかるように、Niを5%程度添加すればMs温度を350℃程度まで下げることができる。しかし、Niを9%以上添加してもMs温度は必ずしも200℃を下回ることにはならない。すなわち、従来技術が要求するMs温度が200℃を下回る鋼材及び溶接金属は、非常に限定されるものであり、工業的価値は低いといわざるを得ない。一方、Ms温度を200〜350℃にするには、工業的価値のある材料で実現可能であることを考えると、この範囲内のMs温度で残留応力を低減効果が期待できる技術でなければ実用的な技術とは言い難い。Ms温度の下限200℃は、工業的価値のある材料で実現可能である値として設定した。Ms温度の上限350℃は、この値が350℃より高くとも降伏強度が充分高ければ残留応力低減効果が期待できるが、高すぎる降伏強度もまた工業的価値のある材料で実現可能かどうかという問題もあるため、その上限を350℃とした。なお、Ms温度はより低い方が残留応力低減には好ましくことから、好ましくは300℃以下になるように設定することが望ましい。
【0028】
次に、降伏強度の範囲を限定した理由について述べる。
下限の60kg/mmは、降伏強度がこれ未満であると、残留応力低減効果が確実に期待できるようになるためには、Ms温度が200℃より低くならなければならない。Ms温度がこれより低い場合は、前述の通り、工業的価値に低い材料に限定されてしまい、このことは本発明の本意に反するため、下限を60kg/mmとした。なお好ましくは、降伏強度の下限は70kg/mm以上であることが望ましい。上限の120kg/mmは、これ以上高い降伏強度を得るためには、多くの特殊合金元素を添加しなければならず、やはり工業的価値が低くなるため上限を120kg/mmとした。
【0029】
次に、下記式に示されるパラメーターPを導入し、その値の範囲を限定した理由について述べる。
Pa=C+Ni/12+Cr/24+Mo/19 (i)
パラメーターPaは、C、Ni、CrおよびMoの成分値で計算される。これら成分は、鋼材や溶接金属に添加することにより強度を向上させ、かつMs温度を低下させる働きを持つ。特に、Ms温度を低減させる元素という意味では、これらC、Ni、CrおよびMoは、最も有効利用すべき元素である。強度を向上させるという観点からは、Ti、NbおよびVなどのような炭化物を形成する元素の有効利用も考えられるが、Ti、NbおよびVなどでMs温度が充分低くなるほど添加すると、継手特性上大きな問題が生じ好ましくない。一方、C、Ni、CrおよびMoのMs温度を低減し残留応力を下げる働きは、必ずしも同一ではないため、それぞれの働きに応じた係数を定め、4つの元素全体としてその効果を表す指標を作成することは、工業的価値が高いと判断し、式(i)で示されるようなPaを作成したものである。但し、Paの値にもその適正範囲がある。例えば、Paが小さすぎるとMs温度を低減することが難しく、たとえ他の元素を添加することにより可能になったとしても、溶接継手特性の確保の点から好ましくない。逆に、Paが大きいことは、Ms温度がより低減され、残留応力も低減されることを意味するが、低すぎるMs温度は、既に述べたとおり、従来技術の範疇で残留応力を低減することであり、それは、本発明の本意に反するものである。本発明の本意は、従来技術では成しえなかった範囲のMs温度で、強度を高める効果を有効利用することにより残留応力を低減することを目的とするものだからである。以上のことにより、Paの範囲を0.85以上、1.15以下とした。
【0030】
次に、溶接用鋼(溶接母材)の成分範囲限定理由について述べる。溶接部の残留応力を低減するために必要な、上記Ms温度や降伏強度を得るための成分系は、必ずしも1つではない。それは、Ms温度を下げることのできる成分はNi、Crなど複数存在することによる。本発明における溶接用鋼は、前記()〜()に記述されているNiを主として用いる成分系と、前記(10)〜(11)に記述されているCrを主として用いる成分系の2つに分けることができ、以降、前者をNi系溶接用鋼、後者をCr系溶接用鋼と呼ぶことにする。
【0031】
まず、Ni系溶接用鋼における成分範囲限定理由について説明する。
Cは、それを鉄に添加することによりMs温度を下げる働きをする。しかし、その一方で、過度の添加は、溶接割れの問題や靱性劣化の問題を引き起こすため、その上限を0.2%とした。しかし、Cが無添加の場合は、マルテンサイトが得られにくく、また他の高価な元素のみで残留応力低減を図らなければならず経済的とはいえない。Cが0.01%以上添加する場合に限定したのは、安価な元素であるCを利用し、その経済メリットが出る最低限の値として設定した。
【0032】
Siは、脱酸元素として知られる。 まず、Siの下限についてであるが、Siは、本発明における降伏強度を確保する意味から、ある程度の添加は望ましい。母材の下限0.01%は、強度確保という効果を引き起こす最低限の値として定めた。一方、過度の添加は母材靱性確保上問題が多い。Siの上限、0.4%は母材靱性確保の観点より決定した。
【0033】
Mnは、強度を上げる元素として知られる。そのため、本発明における残留応力低減メカニズムである変態膨張時の降伏強度確保という観点から有効利用すべき元素である。Mnの下限、0.2%は強度確保という効果が得られる最低限の値として設定した。一方、過度の添加は、母材の靱性劣化を引き起こすためその上限を1.5%とした。
【0034】
PおよびSは、本発明では不純物である。しかし、これら元素は、母材および溶接金属に多く存在すると、靱性が劣化するため、その上限をそれぞれ0.03%、0.02%とした。
Niは、単体でオーステナイトすなわち面心構造を持つ金属であり、鋼材に添加することによりオーステナイトの状態をより安定な状態にする元素である。鉄そのものは、高温域でオーステナイト構造になり、低温域でフェライトすなわち体心構造になる。Niは、それを添加することにより、鋼の高温域における面心構造をより安定な構造にするため、無添加の場合に比べ、より低温度域においても面心構造となる。このことは、体心構造に変態する温度が低くなることを意味する。Niの下限、8%は、残留応力低減効果が現れる最低限の添加量という意味で決定した。Niの上限、12%は、残留応力低減の観点からはこれ以上添加してもあまり効果が変わらない上、これ以上添加するとNiが高価であるという経済的デメリットが生じてくるためである。
【0035】
Nbは、母材中においてCと結合し、炭化物を形成する。Nb炭化物は、少量で母材の強度を上げる働きがあり、従って、有効利用することの経済メリットは大きい。また、本発明における残留応力低減技術である、Ms温度における降伏強度を高める意味からもメリットは大きい。しかし、一方で過度の炭化物形成は、靱性劣化が発生するため自ずと上限が設定される。Nbの下限は、炭化物を形成せしめ、強度増加効果が期待できる最低の値として0.01%を設定した。上限は、靱性劣化による溶接部の信頼性が損なわれない値として0.3%とした。
【0036】
VもNbと同様な働きをする元素である。しかし、Nbと異なり、同じ析出効果を期待するためには、Nbより添加量を多くする必要がある。V添加の下限0.05%は、添加することにより析出硬化が期待できる最低値として設定した。Vの上限は、これより多く添加すると析出硬化が顕著になりすぎ、靱性劣化を引き起こすために0.5%とした。
【0037】
Tiも、Nb、V同様、炭化物を形成し析出硬化を生じせしめる。しかし、Vの析出硬化がNbのそれと違っていたようにTiの析出硬化もまたNb、Vと異なる。そのため、Tiの添加量の範囲もNb、Vと異なった範囲が設定される。Ti添加量の下限0.005%は、その効果が期待できる最低量として、上限の0.3%は靱性劣化を考慮して決定した。
Crは、Niと異なり、フェライトフォーマーである。しかし、Crは、それを鉄に添加すると、高温度域ではフェライトであるものの、中温度域ではオーステナイトを形成し、さらに温度が低くなると再びフェライトを形成する。溶接部の場合、溶接入熱量による熱履歴で、低い温度側のフェライトは一般的に得られず、マルテンサイトが得られることになる。これは、Crを添加することの利点は、焼入性の増加が原因であることを意味する。すなわち、Crを添加することによるマルテンサイト変態は、焼入性が増加することによるフェライト変態が生じない点と、Ms温度そのものが低くなるという2つの点が存在する。また、Crは析出元素であり、これを添加することにより強度増加も期待できるため、有効に活用することを望ましい。Cr添加範囲の下限は、産業上これら両方の効果を満たしながら残留応力を低減するための変態膨張を有効利用できる範囲として0.1%を設定した。上限3.0%は、Ni系溶接用鋼では、すでにNi添加によりMs温度が低減されているうえ、これを上回る量を添加してもその効果が大きくならなく、経済的にもデメリットが大きくなるため、この値を設定した。
【0038】
Moも、Nb、V、Ti同様析出硬化が期待できる元素である。しかし、Moは、Nb、V、Tiと同等な効果を得るためには、Nb、V、Ti以上に添加する必要がある。Mo添加量の下限0.1%は、析出硬化による降伏強度増加が期待できる最低値として設定した。また、上限の3.0%は、Nb、V、Ti同様、靱性劣化を考慮して決定した。
【0039】
次に、Cr系溶接用鋼の成分範囲限定理由について説明する。
Cは、それを鉄に添加することによりMs温度を下げる働きをする。しかし、その一方で、過度の添加は、溶接割れの問題や靱性劣化の問題を引き起こすため、その上限を0.05%とした。しかし、Cが無添加の場合は、マルテンサイトが得られにくく、また他の高価な元素のみで残留応力低減を図らなければならず経済的とはいえない。Cが0.005%以上添加する場合に限定したのは、安価な元素であるCを利用し、その経済メリットが出る最低限の値として設定した。
【0040】
Siは、脱酸元素として知られる。Siは、本発明における降伏強度を確保する意味から、ある程度の添加は望ましい。下限0.05%は、強度確保という効果を引き起こす最低限の値として定めた。Siの上限、0.5%は母材靱性確保の観点より決定した。
Mnは、強度を上げる元素として知られる。そのため、本発明における残留応力低減メカニズムである変態膨張時の降伏強度確保という観点から有効利用すべき元素である。Mnの下限、0.4%は強度確保という効果が得られる最低限の値として設定した。一方、過度の添加は、母材および溶接金属の靱性劣化を引き起こすためその上限を2.5%とした。
【0041】
PおよびSは、本発明では不純物でる。しかし、これら元素は、母材および溶接金属に多く存在すると、靱性が劣化するため、その上限をそれぞれ0.03%、0.02%とした。
Niは、単体でオーステナイトすなわち面心構造を持つ金属であり、鋼材に添加することによりオーステナイトの状態をより安定な状態にする元素である。鉄そのものは、高温域でオーステナイト構造になり、低温域でフェライトすなわち体心構造になる。Niは、それを添加することにより、鋼の高温域における面心構造をより安定な構造にするため、無添加の場合に比べ、より低温度域においても面心構造となる。このことは、体心構造に変態する温度が低くなることを意味する。また、Niはそれを添加することにより母材や溶接金属の靱性を改善するという効果を持つ。Niの下限、3%は、残留応力低減効果が現れる最低限の添加量および靱性確保の観点から決定した。Niの上限7%は、次に述べるCrが本発明におけるCr系溶接用鋼では既に添加されていることによりある程度Ms温度が低くなっていることから、残留応力低減の観点からはこれ以上添加してもあまり効果が変わらない上、これ以上添加するとNiが高価であるという経済的デメリットが生じてくるためこの値を設定した。
【0042】
Crは、Niと異なり、フェライトフォーマーである。しかし、Crは、それを鉄に添加すると、高温度域ではフェライトであるものの、中温度域ではオーステナイトを形成し、さらに温度が低くなると再びフェライトを形成する。溶接部の場合、溶接入熱量により熱履歴で、低い温度側のフェライトは一般的に得られず、マルテンサイトが得られることになる。これは、Crを添加することの利点は、焼入性の増加が原因である。すなわち、Crを添加することによるマルテンサイト変態は、焼入性が増加することによるフェライト変態が生じない点と、Ms温度そのものが低くなるという2つの点が存在する。これら両方の効果を満たしながら残留応力を低減するための変態膨張を有効利用するCr添加範囲として、下限10%を設定した。上限15%は、これを上回る量を添加してもその効果が大きくならない上、経済的にもデメリットが大きくなるため、この値を設定した。
【0043】
Nbは、母材および溶接金属中においてCと結合し、炭化物を形成する。Nb炭化物は、少量で母材および溶接金属の強度を上げる働きがあり、従って、有効利用することの経済メリットは大きい。また、本発明における残留応力低減技術である、Ms温度における降伏強度を高める意味からもメリットは大きい。しかし、一方で過度の炭化物形成は、靱性劣化が発生するため自ずと上限が設定される。Nbの下限は、炭化物を形成せしめ、強度増加効果が期待できる最低の値として0.005%を設定した。上限は、靱性劣化による溶接部の信頼性が損なわれない値として0.3%とした。
【0044】
VもNbと同様な働きをする元素である。しかし、Nbと異なり、同じ析出効果を期待するためには、Nbより添加量を多くする必要がある。V添加の下限0.05%は、添加することにより析出硬化が期待できる最低値として設定した。Vの上限は、これより多く添加すると析出硬化が顕著になりすぎ、靱性劣化を引き起こすために0.5%とした。
【0045】
Tiも、Nb、V同様、炭化物を形成し析出硬化を生じせしめる。しかし、Vの析出硬化がNbのそれと違っていたようにTiの析出硬化もまたNb、Vと異なる。そのため、Tiの添加量の範囲もNb、Vと異なった範囲が設定される。Ti添加量の下限0.005%は、その効果が期待できる最低量として、上限の0.3%は靱性劣化を考慮して決定した。
【0046】
Moも、Nb、V、Ti同様析出硬化が期待できる元素である。しかし、Moは、Nb、V、Tiと同等な効果を得るためには、Nb、V、Ti以上に添加する必要がある。Mo添加量の下限0.1%は、析出硬化による降伏強度増加が期待できる最低値として設定した。また、上限の2.0%は、Nb、V、Ti同様、靱性劣化を考慮して決定した。
【0047】
Nは、オーステナイトフォーマーとして知られている元素である。Nも添加することによりマルテンサイトが得られやすくなるため、最低限の添加は必要である。Nの下限、0.001%は、C同様、低Ms温度が得られるための最低値として定めた。しかし、過大な添加は窒化物を形成し、靱性劣化や延性劣化の問題が発生するためその上限を0.05%とした。
【0048】
CとNは、それぞれ炭化物、窒化物を形成する、オーステナイトフォーマーであるなど、その働きが似ており、それら合計、すなわちC+Nの量も上限、下限を設定する必要がある。C+Nの下限、0.001%は、マルテンサイトを得やすくし、かつMs温度を低くするための最低限の値として、また上限の0.06%は、炭化物、窒化物による靱性劣化および延性劣化の問題が発生しない限界値として定めた。
【0049】
次に、溶接ワイヤの成分範囲限定理由を説明する。溶接用鋼と同様に溶接ワイヤについても、前述のMs温度や降伏強度を得るための成分系は、必ずしも1つではない。本発明における溶接ワイヤは、前記()、()に記述されているNiを主として用いる成分系と、前記()、()に記述されているCrを主として用いる成分系の2つに分けることができ、以降、前者をNi系溶接ワイヤ、後者をCr系溶接ワイヤと呼ぶことにする。
【0050】
まず、Ni系溶接ワイヤについて、その成分範囲限定理由について説明する。Cは、それを鉄に添加することによりMs温度を下げる働きをする。しかし、その一方で、過度の添加は、溶接金属の靱性劣化および溶接金属割れの問題を引き起こすため、その上限を0.2%とした。しかし、Cが無添加の場合は、マルテンサイトが得られにくく、また他の高価な元素のみで残留応力低減を図らなければならず経済的とはいえない。Cが0.01%以上添加する場合に限定したのは、安価な元素であるCを利用し、その経済メリットが出る最低限の値として設定した。なお、Cの上限は、溶接金属割れの観点から、好ましくは0.15%に設定することが望ましい。
【0051】
Siは、脱酸元素として知られる。Siは、溶接金属の酸素レベルを下げる効果がある。特に溶接施工中においては、溶接中に空気が混入する危険性があるため、Si量を適切な値にコントロールすることはきわめて重要である。まず、Siの下限についてであるが、溶接ワイヤに添加するSi量として0.1%に満たない場合、脱酸効果が薄れ溶接金属中の酸素レベルが高くなりすぎ、機械的特性、特に靱性の劣化を引き起こす危険性がある。そのため、溶接ワイヤについては、その下限を0.1%とした。一方、過度のSi添加も靱性劣化を発生せしめるため、その上限を0.5%とした。
【0052】
Mnは、強度を上げる元素として知られる。そのため、本発明における残留応力低減メカニズムである変態膨張時の降伏強度確保という観点から有効利用すべき元素である。Mnの下限、0.01%は強度確保という効果が得られる最低限の値として設定した。一方、過度の添加は、母材および溶接金属の靱性劣化を引き起こすためその上限を1.5%とした。
【0053】
PおよびSは、本発明では不純物である。しかし、これら元素は、溶接金属に多く存在すると、靱性が劣化するため、その上限をそれぞれ0.03%、0.02%とした。
Niは、単体でオーステナイトすなわち面心構造を持つ金属であり、溶接ワイヤに添加することによりオーステナイトの状態をより安定な状態にする元素である。鉄そのものは、高温域でオーステナイト構造になり、低温域でフェライトすなわち体心構造になる。Niは、それを添加することにより、鉄の高温域における面心構造をより安定な構造にするため、無添加の場合に比べ、より低温度域においても面心構造となる。このことは、体心構造に変態する温度が低くなることを意味する。Niの下限、8%は、残留応力低減効果が現れる最低限の添加量という意味で決定した。Niの上限、1 2%は、残留応力低減の観点からはこれ以上添加してもあまり効果が変わらない上、これ以上添加するとNiが高価であるという経済的デメリットが生じてくるためである。
【0054】
Cuは、溶接ワイヤにメッキすることにより通電性をよくする効果があるため、溶接作業性を改善するために有効な元素である。また、Cuは焼入性元素でもあるため、マルテンサイト変態を促進させるという効果も期待できる。Cuの下限0.05%は作業性改善やマルテンサイト変態促進のために必要な最低限の値として設定した。しかし、過度の添加は、作業性改善の効果がないだけでなく、ワイヤ製造コストを上げるため産業上も好ましくはない。Cuの上限、0.4%はこのような理由により設定した。
【0055】
Nbは、溶接金属中においてCと結合し、炭化物を形成する。Nb炭化物は、少量で母材および溶接金属の強度を上げる働きがあり、従って、有効利用することの経済メリットは大きい。また、本発明における残留応力低減技術である、Ms温度における降伏強度を高める意味からもメリットは大きい。しかし、一方で過度の炭化物形成は、靱性劣化が発生するため自ずと上限が設定される。Nbの下限は、炭化物を形成せしめ、強度増加効果が期待できる最低の値として0.01%を設定した。上限は、靱性劣化による溶接部の信頼性が損なわれない値として0.4%とした。
【0056】
VもNbと同様な働きをする元素である。しかし、Nbと異なり、同じ析出効果を期待するためには、Nbより添加量を多くする必要がある。V添加の下限0.3%は、添加することにより析出硬化が期待できる最低値として設定した。Vの上限は、これより多く添加すると析出硬化が顕著になりすぎ、靱性劣化を引き起こすために1.0%とした。
【0057】
Tiも、Nb、V同様、炭化物を形成し析出硬化を生じせしめる。しかし、Vの析出硬化がNbのそれと違っていたようにTiの析出硬化もまたNb、Vと異なる。そのため、Tiの添加量の範囲もNb、Vと異なった範囲が設定される。Ti添加量の下限0.01%は、その効果が期待できる最低量として、上限の0.4%は靱性劣化を考慮して決定した。
【0058】
Crは、Nb、V、Ti同様析出硬化元素である。また、CrはMs温度を低減する効果も合わせ持つので有効活用すべき元素である。しかし、本発明における溶接ワイヤは、主としてNi添加によりMs温度低減を達成しているため、Cr添加量はNiより少なくすべきである。過度のCr添加は必ずしも残留応力低減効果を向上させず、Crが高価であるため産業上好ましくはない。Cr添加量の下限0.1%は、これを添加し、残留応力低減効果が得られる最低限の値として設定した。Cr添加量の上限3.0%は、Ni系溶接ワイヤについては、Ms温度がNi添加によりすでに低減されていること、他の析出元素により強度も確保されていることから、これ以上添加しても残留応力低減効果があまり変わらなくなる、靱性劣化が顕著になることにより設定した。
【0059】
MoもCr同様の効果を持つ元素である。しかし、Moは、Cr以上に析出硬化が期待できる元素である。そのため、添加範囲はCrより狭く設定した。下限の0.1%は、Mo添加の効果が期待できる最低限の値として設定した。上限の3.0%は、これ以上添加すると、硬化しすぎるため靱性劣化が顕著になってくるため設定した。
【0060】
Coは、Ti等と異なり、強い析出硬化を生じせしめる元素ではない。しかし、Coは、それを添加することにより強度増加をもたらし、かつ強度増加を期待しながら靱性を確保するという観点からは、Niより好ましい元素であることから有効利用すべき元素である。しかし、Niは、残留応力低減効果を期待できる程度の低Ms温度を確保するために溶接ワイヤに添加しているため、Co添加量の下限0.1%は、Co添加の効果が期待できる最低限の値として設定した。一方、過度の添加は、強度増加が過大となり靱性劣化をもたらすためその上限を2.0%とした。
【0061】
次に、Cr系溶接ワイヤについて、その成分範囲限定理由について説明する。Cは、それを鉄に添加することによりMs温度を下げる働きをする。しかし、その一方で、過度の添加は、溶接割れの問題や靱性劣化の問題を引き起こすため、その上限を0.05%とした。しかし、Cが無添加の場合は、マルテンサイトが得られにくく、また他の高価な元素のみで残留応力低減を図らなければならず経済的とはいえない。Cが0.005%以上添加する場合に限定したのは、安価な元素であるCを利用し、その経済メリットが出る最低限の値として設定した。
【0062】
Siは、脱酸元素として知られる。Siは、溶接金属や鋼材の酸素レベルを下げる効果がある。特に溶接金属では、溶接中に空気が混入する危険性があるため、Si量を適切な値にコントロールすることはきわめて重要である。まず、Siの下限についてであるが、溶接ワイヤに添加するSi量として0.1%に満たない場合、脱酸効果が薄れ溶接金属中の酸素レベルが高くなりすぎ、機械的特性、特に靱性の劣化を引き起こす危険性がある。そのため、溶接ワイヤについては、その下限を0.1%とした。一方、過度のSi添加も靱性劣化を発生せしめるため、その上限を0.7%とした。
【0063】
Mnは、強度を上げる元素として知られる。そのため、本発明における残留応力低減メカニズムである変態膨張時の降伏強度確保という観点から有効利用すべき元素である。Mnの下限、0.4%は強度確保という効果が得られる最低限の値として設定した。一方、過度の添加は、母材および溶接金属の靱性劣化を引き起こすためその上限を2.5%とした。
【0064】
PおよびSは、本発明では不純物であしかし、これら元素は、母材および溶接金属に多く存在すると、靱性が劣化するため、その上限をそれぞれ0.03%、0.02%とした。
Niは、単体でオーステナイトすなわち面心構造を持つ金属である。鉄そのものは、高温域でオーステナイト構造になり、低温域でフェライトすなわち体心構造になる。Niは、それを添加することにより、鉄の高温域における面心構造をより安定な構造にするため、無添加の場合に比べ、より低温度域においても面心構造となる。このことは、体心構造に変態する温度が低くなることを意味する。また、Niはそれを添加することにより溶接金属の靱性を改善するという効果を持つ。Cr系溶接ワイヤにおけるNi添加量の下限4%は、残留応力低減効果が現れる最低限の添加量および靱性確保の観点から決定した。Ni添加量の上限8%は、Cr系溶接ワイヤにおいては、次に述べるCr添加によりある程度Ms温度が低減されていることおよび、残留応力低減の観点からはこれ以上添加してもあまり効果が変わらない上、これ以上添加するとNiが高価であるという経済的デメリットが生じてくるためこの値を設定した。
【0065】
Crは、Niと異なり、フェライトフォーマーである。しかし、Crは、それを鉄に添加すると、高温度域ではフェライトであるものの、中温度域ではオーステナイトを形成し、さらに温度が低くなると再びフェライトを形成する。溶接部の場合、溶接入熱量により熱履歴で、低い温度側のフェライトは一般的に得られず、マルテンサイトが得られることになる。これは、Crを添加することの利点は、焼入性の増加が原因である。すなわち、Crを添加することによるマルテンサイト変態は、焼入性が増加することによるフェライト変態が生じない点と、Ms温度そのものが低くなるという2つの点が存在する。これら両方の効果を満たしながら残留応力を低減するための変態膨張を有効利用するCr添加範囲として、下限10%を設定した。上限15%は、これを上回る量を添加してもその効果が大きくならない上、経済的にもデメリットが大きくなるため、この値を設定した。
【0066】
Cuは、溶接ワイヤにメッキすることにより通電性をよくする効果があるため、溶接作業性を改善するために有効な元素である。また、Cuは焼入性元素でもあるため、マルテンサイト変態を促進させるという効果も期待できる。Cuの下限0.05%は作業性改善やマルテンサイト変態促進のために必要な最低限の値として設定した。しかし、過度の添加は、作業性改善の効果がないだけでなく、ワイヤ製造コストを上げるため産業上も好ましくはない。Cuの上限、0.4%はこのような理由により設定した。
【0067】
Nbは、溶接金属中においてCと結合し、炭化物を形成する。Nb炭化物は、少量で溶接金属の強度を上げる働きがあり、従って、有効利用することの経済メリットは大きい。また、本発明における残留応力低減技術である、Ms温度における降伏強度を高める意味からもメリットは大きい。しかし、一方で過度の炭化物形成は、靱性劣化が発生するため自ずと上限が設定される。Nbの下限は、炭化物を形成せしめ、強度増加効果が期待できる最低の値として0.005%を設定した。上限は、靱性劣化による溶接部の信頼性が損なわれない値として0.3%とした。
【0068】
VもNbと同様な働きをする元素である。しかし、Nbと異なり、同じ析出効果を期待するためには、Nbより添加量を多くする必要がある。V添加の下限0.05%は、添加することにより析出硬化が期待できる最低値として設定した。Vの上限は、これより多く添加すると析出硬化が顕著になりすぎ、靱性劣化を引き起こすために0.5%とした。
【0069】
Tiも、Nb、V同様、炭化物を形成し析出硬化を生じせしめる。しかし、Vの析出硬化がNbのそれと違っていたようにTiの析出硬化もまたNb、Vと異なる。そのため、Tiの添加量の範囲もNb、Vと異なった範囲が設定される。Ti添加量の下限0.005%は、その効果が期待できる最低量として、上限の0.3%は靱性劣化を考慮して決定した。
【0070】
Moも、Nb、V、Ti同様析出硬化が期待できる元素である。しかし、Moは、Nb、V、Tiと同等な効果を得るためには、Nb、V、Ti以上に添加する必要がある。Mo添加量の下限0.1%は、析出硬化による降伏強度増加が期待できる最低値として設定した。また、上限の2.0%は、Nb、V、Ti同様、靱性劣化を考慮して決定した。
【0071】
Nは、オーステナイトフォーマーとして知られている元素である。Nも添加することによりマルテンサイトが得られやすくなるため、最低限の添加は必要である。Nの下限、0.001%は、C同様、低Ms温度が得られるための最低値として定めた。しかし、過大な添加は窒化物を形成し、靱性劣化や延性劣化の問題が発生するためその上限を0.05%とした。
【0072】
CとNは、それぞれ炭化物、窒化物を形成する、オーステナイトフォーマーであるなど、その働きが似ており、それら合計、すなわちC+Nの量も上限、下限を設定する必要がある。C+Nの下限、0.001%は、マルテンサイトを得やすくし、かつMs温度を低くするための最低限の値として、また上限の0.06%は、炭化物、窒化物による靱性劣化および延性劣化の問題が発生しない限界値として定めた。
【0073】
【実施例】
表1に残留応力測定に用いたNi系溶接用鋼の成分、Ms温度、およびMs温度における降伏強度を示した。表2はNi系溶接ワイヤの成分を示した。表3はCr系溶接用鋼の成分、Ms温度、およびMs温度における降伏強度を、表4はCr系溶接ワイヤの成分を示している。表2および4における溶接ワイヤのMs温度及びMs温度における降伏強度は、ワイヤから直接試験片を採取して測定したものではなく、表2におけるワイヤを用い、オールデポ継ぎ手を作製し、その溶接金属より試験片を採取して試験した値である。すなわち、表2および4におけるMs温度とMs温度における降伏強度は、表2および4のワイヤから作製されるオールデポ継ぎ手の溶接金属の値である。次に、図1に、これら鋼板と溶接ワイヤを用いて溶接継手を作製するための開先形状を示す。この開先を用い、250A−12V−11cm/minの条件でTIG多層溶接を行い、その後溶接残留応力を測定した。また、残留応力測定溶接継手の溶接金属より試験片を採取してMs温度及びその温度における降伏強度を測定した。Ms温度とその温度における降伏強度は表2および4に示した通りである。残留応力測定方法は、溶接金属部表面や溶接熱影響部表面に歪みゲージを貼り付け、歪みゲージ貼り付け部分を機械切断することにより残留応力を解放し、解放されたひずみを歪みゲージで測定するという、いわゆる応力弛緩法を用いて測定した。
【0074】
表5にNi系溶接ワイヤを用いたときの溶接金属の表面における残留応力測定結果を示す。測定位置は、溶接ビード中央である。表5からわかるように、本発明例は全て残留応力は10kg/mm2 未満であり、さらにその中でもMs温度が低く、かつ降伏強度が高い、5-4、5-5 の例は、残留応力は圧縮状態になっている。次に、Ni系溶接用鋼とNi系溶接ワイヤを用いたときの溶接金属と溶接熱影響部(以降HAZと記す)両方における残留応力測定結果を表7に示す。なお、HAZの残留応力の測定位置は、HAZのビード止端側である。本発明の範囲内にある鋼材および溶接ワイヤの組み合わせで溶接継手を作製した7-2 、7-3のみ残留応力が10kg/mm2 未満の値、より詳しくは圧縮応力状態になっているが、他は全て大きな引っ張り残留応力が測定された。
【0075】
表8は、Cr系溶接ワイヤを用いたときの溶接金属の残留応力測定結果である。本発明例は、全て残留応力が10kg/mm2 未満であり、残留応力低減効果があることがわかる。また、表10は、Cr系溶接用鋼とCr系溶接ワイヤを用いたときのHAZ および溶接金属の残留応力測定結果であるが、本発明例では全て残留応力は10kg/mm2 未満という低い値を示している。
【0076】
表11はCr系溶接用鋼とNi系溶接ワイヤを用いた場合の残留応力を、表12はNi系溶接用鋼およびCr系溶接ワイヤを用いたときの残留応力測定結果を示しているが、いずれの場合にも、本発明例では残留応力は10kg/mm未満と低減されていることがわかる。
以上、表5から表12に示した実施例から理解できるように、本発明により、溶接部、すなわち、溶接金属及びHAZの残留応力を効果的に低減するすることが可能である。
【0077】
【表1】
Figure 0003545610
【0078】
【表2】
Figure 0003545610
【0079】
【表3】
Figure 0003545610
【0080】
【表4】
Figure 0003545610
【0081】
【表5】
Figure 0003545610
【0083】
【表7】
Figure 0003545610
【0084】
【表8】
Figure 0003545610
【0086】
【表10】
Figure 0003545610
【0087】
【表11】
Figure 0003545610
【0088】
【表12】
Figure 0003545610
【0089】
【発明の効果】
本発明により、溶接部に発生する残留応力を低減することが可能となり、これにより応力腐食割れ特性、脆性破壊特性、疲労特性の改善が可能となり、溶接構造物の信頼性向上に寄与することが大きく、産業上のメリットはきわめて大である。
【図の簡単な説明】
【図1】図1は、溶接継手を作製したときの開先形状を示す断面図である。

Claims (11)

  1. (a)重量%で、C:0.01〜0.2%、Si:0.1〜0.5%、Mn:0.01〜1.5%、P:0.03%以下、S:0.02%以下、Ni:8〜12%を含有し、Ti:0.01〜0.4%、Nb:0.01〜0.4%、V:0.3〜1.0%の1種または2種以上をさらに含有し、残部が鉄および不可避不純物からなり、
    (b)C、Ni、CrおよびMoをそれぞれの成分の重量%とし、Pa=C+Ni/12+Cr/24+Mo/19で定義されるパラメーターPa の範囲が、0.85以上、かつ1.15以下であり
    (c)オーステナイトからマルテンサイトに変態を開始する温度が200℃以上350℃以下であり、かつ、
    (d)オールデポ溶接継手の溶接金属の変態開始温度における降伏強度が60kg/mm2 以上、120kg/mm2 以下であることを特徴とする溶接ワイヤ。
  2. 重量%で、Cu:0.05〜0.4%、Cr:0.1〜3.0%、Mo:0.1〜3.0%、Co:0.1〜2.0%の1種または2種以上をさらに含有することを特徴とする請求項に記載の溶接ワイヤ。
  3. (a)重量%で、C:0.001〜0.05%、Si:0.1〜0.7%、Mn:0.4〜2.5%、P:0.03%以下、S:0.02%以下、Ni:4〜8%、Cr:10〜15%、N:0.001〜0.05%を含有し、C+N:0.001〜0.06%であり、残部が鉄及び不可避不純物からなり、
    (b)C、Ni、CrおよびMoをそれぞれの成分の重量%とし、Pa=C+Ni/12+Cr/24+Mo/19で定義されるパラメーターP a の範囲が、0.85以上、かつ1.15以下であり、
    (c)オーステナイトからマルテンサイトに変態を開始する温度が253℃以上350℃以下であり、かつ、
    (d)オールデポ溶接継手の溶接金属の変態開始温度における降伏強度が60 kg/mm 2 以上、120 kg/mm 2 以下である、ことを特徴とする溶接ワイヤ。
  4. 重量%で、Mo:0.1〜2.0%、Cu:0.05〜0.4%、Ti:0.005〜0.3%、Nb:0.005〜0.3%、V:0.05〜0.5%の1種または2種上をさらに含有する請求項3に記載の溶接ワイヤ。
  5. 溶接用鋼と、請求項1〜のいずれかに記載の溶接ワイヤを使用することを特徴とする溶接方法。
  6. 前記溶接用鋼が、オーステナイトからマルテンサイトに変態を開始する温度が200℃以上350℃以下であり、かつ、変態開始温度における降伏強度が60kg/mm2 以上、120kg/mm2 以下であることを特徴とする請求項に記載の溶接方法。
  7. 前記溶接用鋼が、C、Ni、CrおよびMoをそれぞれの成分の重量%とし、Pa=C+Ni/12+Cr/24+Mo/19で定義されるパラメーターPa の範囲が、0.85以上、かつ1.15以下であることを特徴とする請求項に記載の溶接方法。
  8. 前記溶接用鋼が、重量%で、C:0.01〜0.2%、Si:0.01〜0.4%、Mn:0.2〜1.5%、P:0.03%以下、S:0.02%以下、Ni:8〜12%を含有し、Ti:0.005〜0.3%、Nb:0.005〜0.3%、V:0.05〜0.5%の1種または2種以上をさらに含有し、残部が鉄および不可避不純物からなることを特徴とする請求項に記載の溶接方法。
  9. 前記溶接用鋼が、重量%で、Cr:0.1〜3.0%、Mo:0.1〜3.0%の1種または2種以上をさらに含有することを特徴とする請求項に記載の溶接方法。
  10. 前記溶接用鋼が、重量%で、C:0.001〜0.05%、Si:0.05〜0.5%、Mn:0.4〜2.5%、P:0.03%以下、S:0.02%以下、Ni:3〜7%、Cr:10〜15%、N:0.001〜0.05%を含有し、C+N:0.001〜0.06%であり、残部が鉄および不可避不純物からなることを特徴とする請求項に記載の溶接方法。
  11. 前記溶接用鋼が、重量%で、Mo:0.1〜2.0%、Ti:0.005〜0.3%、Nb:0.005〜0.3%、V:0.05〜0.5%の1種または2種以上をさらに含有することを特徴とする請求項10に記載の溶接方法。
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