JP5092513B2 - 液体マトリックスを用いたmaldi質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法 - Google Patents

液体マトリックスを用いたmaldi質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法 Download PDF

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本発明は、MALDI質量分析による糖タンパク質及び糖ペプチドの構造解析法に関する。本発明は、液体マトリックスを用いたMALDI質量分析法に関する。
これまでMALDI質量分析法においては、主として固体マトリックスが使用されている。固体マトリックスを用いて質量分析を行う場合、試料−マトリックス混合結晶をサンプルプレート(ターゲットプレート)上に作成する。試料−マトリックス混合結晶の大きさは試料量及びマトリックス量で殆ど変化はないが、結晶状態としては、使用するマトリックス及び混合結晶の作成方法に応じて特徴的で、これまで様々な結晶状態が報告されている。これらは一般に不均質であり、レーザー照射される結晶の場所ごとに得られるスペクトルが異なる。すなわち、試料イオンが得られるのは、不均質な混合結晶の限られた一部に特徴的に形成されるごく微量の試料の含まれる場所(sweet spot)のみであるため、結晶の場所によってイオン化の偏りが生じる。
固体マトリックスを使用して高感度の計測を行うためには、適切な組み合わせを有する試料とマトリックスとの混合結晶において、sweet spotを探して計測しなければならない。計測を行うためには、計測者にある程度の知識や技術(習熟度)が要求される。なぜなら、マトリックスの組み合わせ方や結晶作成方法でイオンピークの出方が変わるため、それらの不均質な結晶中で試料イオンの出るパターンを見つけなければならないためである。
固体マトリックスの中で最も均一な結晶状態を作ることで知られているのがα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸 (CHCA)だが、それでも結晶(固体)状態であるが故の不均質性は免れない。
このような不均質性は、MALDI分析法における計測の一般化の難しさ、及び、スペクトルの再現性や自動分析及び定量分析を困難にする原因の一つとなっている。
固体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質及び糖ペプチドの構造解析法が、例えばJMSSJ. 2004, 52, 323-338(非特許文献1)、及び特開2005−300420号公報(特許文献1)に報告されている。すなわちこれらの文献においては、MS分析で得られたスペクトルから、分子量関連イオンとして、糖タンパク質又は糖ペプチドのプロトン付加体及び金属付加体をプリカーサとして選択し、それぞれについてMSn分析を行い解析することで、プロトン付加体からは糖鎖部位の情報、金属付加体からはペプチド部位の情報を得る方法が報告されている。
固体マトリックスを用いたMALDI質量分析による硫酸化糖鎖分析では、イオン生成時に硫酸基の脱離が起こることが知られている。同様に、固体マトリックスを用いたMALDI質量分析によるシアル酸化糖鎖分析では、イオン生成時にシアル酸の脱離が起こることが知られている。
一方、イオン性液体は、いくつかの化学的用途に用いられているが、J. Am. Chem. Soc. 2002, 124, 14247-14254(非特許文献2)には、殆どのイオン性液体が、類似の極性をもつにも関わらず、有機合成反応の溶媒、MALDI質量分析におけるマトリックス、液−液抽出における液相、及びガスクロマトグラフィーにおける固定相として用いられる際に、まったく異なる挙動を示すことがあると記載されている。非特許文献2においては、MALDI質量分析におけるマトリックスとして、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸のイオンやシナピン酸のイオンを構成イオンとして含むイオン性液体が記載されている。
MALDI質量分析におけるマトリックスとして用いられるイオン性液体、すなわち液体マトリックスは、サンプルプレート上で比較的均質な試料−マトリックス混合液滴を作成することができる。すなわち、イオン化の偏りを少なくすることができる。このことから、液体マトリックスを用いることによる、計測のし易さ及び定量分析への適用性が注目されている。液体マトリックスは、従来の固体マトリックスに比べると未だ研究段階であり適用例も少ないが、液体マトリックスを用いたMALDI質量分析について、いくつか報告がされている。
例えば、Anal. Chem., 2004, 76, 2938-2950(非特許文献5)には、ターゲットプレート上で、液体マトリックス(具体的には2,5−ジヒドロキシ安息香酸のブチルアミン塩)水溶液中での3’−シアリルラクトースの酵素的脱シアル化をモニタリングし、3’−シアリルラクトースから、シアル酸とラクトースとが生成したことを、MALDI−MS分析で確認したことが報告されている。
そして、特表2005−536759号公報(特許文献2)には、液体マトリックスの使用例として、MALDIサンプルプレート上での糖タンパク質の脱グリコシル化反応の過程及び進行を、液体マトリックス(具体的にはα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸のブチルアミン塩、又は2,5−ジヒドロキシ安息香酸のブチルアミン塩)中で調べることが報告されている。
そのほかにも、液体マトリックスを用いたMALDI質量分析として、以下が報告されている。
例えば、Anal. Chem., 2006, 78, 1774-1779(非特許文献3)及びAnal. Chem., 2007, 79, 1604-1610(非特許文献4)には、特定の液体マトリックスを用いることにより、硫酸基の脱離の抑制とともに硫酸化糖鎖のMALDI質量分析が行われたことが報告されている。たとえば上記非特許文献4では、そのような液体マトリックスとして、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸のグアニジウム塩が報告されている。
Rapid Commun. Mass Spectrom. 2006; 20: 1761-1768(非特許文献6)には、アディティブとしてリン酸を使用して液体マトリックス(2,5−ジヒドロキシ安息香酸のピリジン塩あるいはブチルアミン塩)を用いたリン酸化ペプチドのMALDI質量分析が記載されている。
Rapid Commun. Mass Spectrom. 2003; 17: 553-560(非特許文献7)には、3−ヒドロキシピコリン酸や2,5−ジヒドロキシ安息香酸のイオンを構成イオンとして含む液体マトリックスを用いたDNAオリゴマーのMALDI質量分析が記載されている。
Rapid Commun. Mass Spectrom. 2004; 18: 141-148(非特許文献8)やAnal. Bioanal. Chem., 2006, 386: 24-37(非特許文献9)には、シナピン酸、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸、又は2,5−ジヒドロキシ安息香酸のイオンを構成イオンとして含む液体マトリックスを用いた、アミノ酸、糖、及びビタミンなどの低分子量化合物のMALDI質量分析が記載されている。非特許文献9には、そのような液体マトリックスの、プロテオーム解析、定量のためのMALDI MSの使用、及びMALDIイメージング分野へのアプリケーションが記載されている。
Anal. Bioanal. Chem., 2006, 384: 215-224(非特許文献10)には、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸を構成イオンとして含むピリジンベースの液体マトリックスによるペプチドマスフィンガープリンティングが記載されている。
ジャーナル・オブ・ザ・マス・スペクトロメトリ・ソサイエティ・オブ・ジャパン(Journal of the Mass Spectrometry Society of Japan)、2004年、第52巻、p.323−338 ジャーナル・オブ・アメリカン・ケミカル・ソサイエティ(Journal of American Chemical Society)、2002年、第124巻、p.14247−14254 アナリティカル・ケミストリ(Analytical Chemistry)、2006年、第78巻、p.1774−1779 アナリティカル・ケミストリ(Analytical Chemistry)、2007年、第79巻、p.1604−1610 アナリティカル・ケミストリ(Analytical Chemistry)、2004年、第76巻、p.2938−2950 ラピッド・コミュニケーションズ・イン・マス・スペクトロメトリ(Rapid Communications in Mass Spectrometry)、2006年、第20巻、p.1761−1768 ラピッド・コミュニケーションズ・イン・マス・スペクトロメトリ(Rapid Communications in Mass Spectrometry)、2003年、第17巻、p.553−560 ラピッド・コミュニケーションズ・イン・マス・スペクトロメトリ(Rapid Communications in Mass Spectrometry)、2004年、第18巻、p.141−148 アナリティカル・アンド・バイオアナリティカル・ケミストリ(Analytical & Bioanalytical Chemistry)、2006年、第386巻、p.24−37 アナリティカル・アンド・バイオアナリティカル・ケミストリ(Analytical & Bioanalytical Chemistry)、2006年、第384巻、p.215−224 特開2005−300420号公報 特表2005−536759号公報
まず、上記非特許文献1及び上記特許文献1に記載の方法は、MS分析の際に、十分な量の糖タンパク質分子イオン又は糖ペプチド分子イオンが検出されることを前提としている。そのため、糖タンパク質酵素消化物のような、多くのペプチドと糖ペプチドとの混合物に対して、糖ペプチドの有無を確認することに幾らか労力を要する。すなわち、ペプチドと糖ペプチドとの混合物のMALDI質量分析測定によって得られるマススペクトルのピークから、糖ペプチドイオンの識別を行うことが幾分困難である。
そして、上記非特許文献1及び上記特許文献1に記載の方法を含め、固体マトリックスを使用する方法は、不均質な試料−マトリックス混合結晶が得られることとなり、したがって、結晶の場所によってイオン化の偏りが生じる。
さらに、上記非特許文献2〜10及び上記特許文献2の方法においては、液体マトリックスを用いたMALDI質量分析についての記載があるが、液体マトリックスを用いた糖タンパク質又は糖ペプチドのMALDI質量分析測定を行い、糖ペプチドイオンのような、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンを検出し、当該糖−アミノ酸結合が維持されたイオンから得られる情報を用いて糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析を行った例はない。
そこで本発明の目的は、MALDI質量分析における糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析において、比較的均質な試料−マトリックス混合物の調製が可能で、且つ、糖ペプチドイオンのような糖−アミノ酸結合が維持されたイオンを優先的に検出することが可能な方法を提供することにある。
本発明者らは、鋭意検討の結果、液体マトリックスを用いた糖タンパク質消化物のMALDI質量分析で、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンが優先的に検出されるという驚くべき知見を見出し、本発明を完成するに至った。
本発明は、以下の発明を含む。
(1)
構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドと、糖タンパク質又は糖ペプチド以外の生体分子及び合成分子からなる群から選ばれる他の分子と、マトリックスとしてのイオン性液体とを少なくとも含む混合物を、MALDI質量分析測定に供し、前記混合物中から前記構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドに由来し且つ糖−アミノ酸結合が維持されたイオンを検出することを含む、液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法であって、
前記混合物は、
前記構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドと、前記他の分子と、前記イオン性液体とを溶媒中に少なくとも含む混合液であって、前記混合液中の前記イオン性液体の濃度が20pM〜200mMである混合液の液滴をターゲットプレート上に形成する工程と、
前記混合液の液滴から前記溶媒を除去して、前記液滴の体積の減少とともに、前記ターゲットプレートと前記混合液の液滴とが接する面積を縮小させることによって、前記混合液中に含まれる少なくとも前記構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドと前記イオン性液体とを前記面積の一部へ集め、前記混合物のフォーカススポットを得る工程と、
によって得られる混合物である、液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
「構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドと、糖タンパク質又は糖ペプチド以外の生体分子及び合成分子からなる群から選ばれる他の分子と、マトリックスとしてのイオン性液体とを少なくとも含む混合物」は、MALDI質量分析に供されるべき調製物、すなわちレーザー光を照射する対象物である。
「イオン性液体」は、室温で液体の状態で存在し、その実体は塩である物質をいう。本明細書において、「マトリックスとしてのイオン性液体」と、「液体マトリックス」とは、同じ意味で記載する。
「混合物」中は、「構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチド」と「糖タンパク質又は糖ペプチド以外の生体分子及び合成分子からなる群から選ばれる他の分子」と「マトリックスとしてのイオン性液体」とが均質性良く混在しうる。
「前記構造解析すべき糖タンパク質に由来し且つ糖−アミノ酸結合が維持されたイオン」とは、前記「構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチド」から、糖鎖とタンパク質との間の結合の開裂が起こることなく生じるイオンをいい、糖タンパク質イオン及び糖ペプチドイオンを含む。
「構造解析」とは、少なくとも、前記「糖−アミノ酸結合が維持されたイオン」から得られる情報を用いることを含む構造解析をいう。
特に好ましくは、「他の分子」がタンパク質又はペプチドである。このような場合の例としては、前記混合物がタンパク質の消化物から得られるもの、すなわち前記混合物が糖ペプチドとペプチドとの両方を含む場合が挙げられる。この場合、ペプチドなどの他の分子に由来するイオンより優先して、「糖タンパク質又は糖ペプチドに由来し且つ糖−アミノ酸結合が維持されたイオン」を検出することが可能である。
上記()に記載する「イオン性液体の濃度」は、従来から用いられてきた濃度に比べ低く設定されたものである。「イオン性液体の濃度」を低く設定しているため、「前記混合液の液滴から前記溶媒を除去して、前記液滴の体積の減少とともに、前記ターゲットプレートと前記混合液の液滴とが接する面積を縮小させること」によって、「前記混合液中に含まれる少なくとも前記構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドと前記イオン性液体とを前記面積の一部へ集め」ることが可能になる。
「前記混合液の液滴から前記溶媒を除去」することに伴う「前記液滴の体積の減少」は、前記混合液が濃縮されること、すなわち混合液中の「少なくとも前記構造解析すべき糖タンパク質と前記イオン性液体と」の濃度が高くなることを意味する。本発明では、当該濃縮が、「前記ターゲットプレートと前記混合液の液滴とが接する面積を縮小させること」とともに起こる(この現象を「フォーカス現象」と記載することがある)ため、「前記混合液中に含まれる少なくとも前記構造解析すべき糖タンパク質と前記イオン性液体とを前記面積の一部へ集め」ることができる。混合液中の溶媒の大部分ないしは全てが除去されれば、残渣として、「前記面積の一部」に、前記「混合物のフォーカススポット」が得られる。
「混合物のフォーカススポット」(フォーカススポット:focused spot)は、混合液中に含まれる少なくとも糖タンパク質又は糖ペプチドとイオン性液体とが、前記広がり面積領域の一部を占める微小な面積領域(すなわち下記()における「混合物のフォーカススポットとターゲットプレートとが接する面積」に相当する領域)へ集積されることによって形成されたものである。すなわち、混合物が広がり面積領域の一部において盛り上がった微小な塊状の形態で存在するものである。

前記混合物のフォーカススポットと前記ターゲットプレートとが接する面積は、形成された直後の前記混合液の液滴と前記ターゲットプレートが接する面積の80%以下に縮小される、()に記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。

上記の縮小率(80%以下)について、その下限値としては特に限定されるものではないが、例えば0.001%である。

前記溶媒は水を含む、(又は)のいずれかに記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
上記()のように、溶媒中に水が含まれることは、上記のフォーカス現象をより効果的に起こすことができる点、より再現性良く混合物を調製することができるという点などから好ましい。

前記ターゲットプレート上に形成された前記混合液の液滴1個に含まれる前記イオン性液体の量は、10fmol〜100nmolである、(1)〜()のいずれかに記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
「前記ターゲットプレート上に形成された前記混合液の液滴1個に含まれる前記イオン性液体の量」は、ターゲットプレート上に形成された前記の混合物のスポット1個に含まれる液体マトリックスの量と同じである。

前記イオン性液体は、アミンのイオンと酸性基含有有機物質のイオンとを含む、(1)〜()のいずれかに記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
「アミンのイオンと酸性基含有有機物質のイオンとを含む」イオン性液体は、アミンのイオンと酸性基含有有機物質のイオンとから構成される。

前記酸性基含有有機物質はp−クマル酸又はα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸である、()に記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
「p−クマル酸」は、すなわちtrans−4−ヒドロキシケイ皮酸である。

前記アミンは、1,1,3,3−テトラメチルグアニジンである、()又は()に記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質及び糖ペプチドの構造解析手法。

前記MALDI質量分析測定が、ポジティブモード及びネガティブモードの両モードにおいて行われる、(1)〜()のいずれかに記載の糖タンパク質及び糖ペプチドの構造解析手法。


本発明によると、MALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析において、比較的均質な試料−マトリックス混合物の調製が可能で、且つ、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンを優先的に検出することが可能になる。
本発明は、液体マトリックスを用いて、MALDI質量分析によって糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析を行う。具体的には、構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドとマトリックスとしてのイオン性液体とを少なくとも含む混合物を、MALDI質量分析測定に供し、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンを検出する。
[1.糖タンパク質又は糖ペプチドと液体マトリックスとを少なくとも含む混合物(糖タンパク質又は糖ペプチド−液体マトリックス混合物)の構成]
[1−1.糖タンパク質及び糖ペプチド]
本発明においては、解析すべき試料が糖タンパク質の場合と糖ペプチドの場合とを含む。以下、本明細書の説明においては、より実用的な場合として糖ペプチドを挙げて記載している箇所もあるが、本発明としては糖タンパク質の場合を除外するものではない。
[1−2.液体マトリックス]
本発明においては、マトリックスとしてイオン性液体を用いる。イオン性液体は、室温で液体の状態で存在し、その実態は塩である物質をいう。このようなイオン性液体は、特に限定されず、当業者が適宜選択することができる。
例えば、液体マトリックスとしては、アミンのイオンと酸性基含有有機物質のイオンとから構成されるイオン性液体を用いることができる。これらのアミンもしくは酸性基含有有機物質のいずれかは、紫外から可視領域から選ばれる波長を有するレーザー光を吸収する。前記アミンとしては、1,1,3,3−テトラメチルグアニジン、n-ブチルアミン、エチルアミン、N,N-ジエチルアミン、N,N-ジエチルアニリン、N,N-ジエチルメチルアミン、ジエチルベンゼンアミン、N,N-ジメチルアミン、トリエチルアミン、トリ-n-ブチルアミン、トリ-n-プロピルアミン、エタノールアミン、ポリエーテルテールドトリエチルアミン、ポリエステルテールドトリエチルアミン、ニトロフェノール、アニリン、2,4-ジニトロアニリン、2-ニトロフェニルオクチルエーテル、ピリジン、2-アミノ-4-メチル-5-ニトロピリジン、3-アミノキノリン、3-ヒドロキシピリジン、1-メチルイミダゾール、1-ブチル-3-メチルイミダゾール、1-(1-ヒドロキシプロピル)-3-メチルイミダゾール、1,3-ジメチルイミダゾール、1,5-ジアミノナフタレン、6-アザ-2-チオチミン、クマリン、6,7-ジヒドロキシクマリン、1,8-ジヒドロキシ-9[10H]-アントラセノン、カルボリン類(ノルハルマン、ハルマン、ハルミン、ハルモル、ハルマリン、ハルマロールなど)などから選択することができる。好ましくは、1,1,3,3−テトラメチルグアニジンが選択される。
一方、前記の酸性基含有有機物質としては、p−クマル酸、α−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸、α−シアノ−3−ヒドロキシケイ皮酸、2,5-ジヒドロキシ安息香酸、4-ヒドロキシ安息香酸、p-ヒドロキシ安息香酸、p-ヒドロキシフェニルピルビン酸、3-ヒドロキシピコリン酸、3,5-ジメソキシ-4-ヒドロキシケイ皮酸(シナピン酸)、4-ヒドロキシ-3-メソキシケイ皮酸(フェルラ酸)、カフェイン酸(3,4-ジヒドロキシケイ皮酸)、5-メソキシサリチル酸、2-(4-ヒドロキシフェニルアゾ)安息香酸、ニコチン酸、ピコリン酸、3-アミノピコリン酸、3-ヒドロキシピコリン酸、2-アミノ安息香酸、3-アミノ-4-ヒドロキシ安息香酸、6-アザ-2-チオチミン、2,4,6-トリヒドロキシアセトフェノン、1,4-ジヒドロ-2-ナフトエ酸、3-インドールアクリル酸、インドール-2-カルボン酸、チオグリコール酸などから選択される。好ましくは、p−クマル酸やα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸が選択される。
通常、液体マトリックスの使用形態は、固体マトリックスの使用形態に準じる。例えば、液体マトリックスにおける酸性基含有有機物質のイオンとしては、固体マトリックスとして用いられている酸性基含有有機物質のイオンが採用されることが多い。
しかしながら上記のイオン性液体のうち、p−クマル酸イオンを構成イオンとして含むイオン性液体は、本発明者らによって発明された新規のものである。p−クマル酸自体は、従来の固体マトリックスとしても用いられてこなかった物質である。このため、p−クマル酸を含むイオン性液体は、全く新しい観点からのアプローチによって見いだされたという点で、非常に重要な意義を有するマトリックスである。しかも、p−クマル酸を含むイオン性液体は、感度の点からみても優れたマトリックスであることが本発明者らによって確認されている。
液体マトリックスの調製方法としては特に限定されるものではない。具体的な調製方法としては従来からのイオン性液体の調製法に準じることができる。
例えば、本発明者らによって新規に見出されたp−クマル酸イオンを含むイオン性液体の場合は、p−クマル酸イオンを構成イオンとしてイオン性液体が生じるように、当業者が適宜調製法を決定することができる。もっとも簡便な調製法の一つとしては、アミンイオンの由来元となるアミン類と、p−クマル酸イオンの由来元となるp−クマル酸とを混合して反応させる方法が挙げられる。
双方の物質を反応させるためには、p−クマル酸をアミン類に加えても良いし、アミン類をp−クマル酸に加えても良い。当該双方の物質の反応は、溶媒中で行うことができる。そのため、p−クマル酸及びアミン類の少なくとも一方を予め溶液として調製して、p−クマル酸をアミン類に加えても良いし、アミン類をp−クマル酸に加えても良い。或いは、溶媒にp−クマル酸及びアミン類を同時に加えても良い。
互いに反応させるべきアミン類とp−クマル酸との比は、モル比で表して1:0.1〜1:10、好ましくは1:1〜1:4と設定することができる。溶媒中どのような濃度で双方の物質を反応させるかについては、当業者が適宜決定すればよい。
溶媒中で反応させた場合は、反応後、溶媒を除去することができる。溶媒の除去は、留去、好ましくは減圧下における留去によって行うことができる。溶媒の除去を行った後、液状の物質をイオン性液体として得ることができる。
本発明では、液体マトリックスが用いられるため、糖ペプチド−液体マトリックス混合物中で、構造解析すべき糖ペプチドと液体マトリクスとを均質性良く混在させることができる。このため、固体マトリックス使用時のように、質量分析測定に付される試料上の場所によるイオン化の偏りの問題が生じることがなく、したがって測定が容易になる。
[1−3.他の分子]
構造解析すべき糖ペプチドと液体マトリックスとを少なくとも含む混合物(糖ペプチド−液体マトリックス混合物)は、糖ペプチド及び液体マトリックス以外の他の分子を含んでいて良い。このような分子としては、糖タンパク質及び糖ペプチド以外の生体分子、及び合成分子からなる群から選ばれるものが許容される。具体的には、混合物調製時に混在しうる物質、及び液体マトリックスの作用を助けるためのアディティブなどのいかなるものも許容される。混合物調製時に混在しうる物質としては、タンパク質、ペプチドなどの生体分子が挙げられる。糖ペプチドがこのような生体分子と混在しうる場合としては、例えば当該混合物が糖タンパク質の消化を含む工程を経て調製される場合が挙げられる。
本発明においては、このように他の分子を含む場合に有用に用いることができる。この場合、本発明によって、当該他の分子に由来するイオンに優先して、解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドに由来するイオン(このイオンはさらに糖−アミノ酸結合が維持されている)を検出することができることが多いためである。特に、他の分子がタンパク質又はペプチドの場合には、高い確実性をもって、解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドに由来するイオンの方を優先的に検出することができる。このような場合の例としては、前記混合物がタンパク質の消化物から得られるもの、すなわち前記混合物が糖ペプチドとペプチドとの両方を含む場合が挙げられる。
[2.糖ペプチド−液体マトリックス混合物の形状]
当該混合物は、さまざまな形状を取りうる。混合物の形状は、例えば、その調製法などに依存する。混合物の形状の例としては、以下に詳述する塊状や扁平状などが挙げられる。どのような形状にしても、当該混合物は、構造解析すべき糖ペプチドと液体マトリクスとが均質性良く混在した状態で提供される。
[2−1.塊状混合物]
本発明において、糖ペプチド−液体マトリックス混合物は、塊状の形状を有してよい。ここで塊状とは、従来から調製されていたような糖ペプチド−液体マトリックス混合物が有する扁平な形状に比べ、厚さがより大きく(すなわちターゲットプレート面からの高さがより高く)、面がより狭い(すなわちターゲットプレートとの接触面積がより小さい)形状、すなわちより盛り上がった形状をいう。例えばターゲットプレート上に調製される場合は、ターゲットプレートのウェル内の狭い面積領域において、当該混合物が、集積或いは堆積したように盛り上がった微小な塊の状態で調製される。この微小な塊状の混合物を、混合物のフォーカススポットと記載することがある。
[2−2.扁平状混合物]
本発明において、糖ペプチド−液体マトリックス混合物は、扁平状の形状を有してよい。ここで扁平状とは、従来から調製されていたような糖ペプチド−液体マトリックス混合物が有する形状であり、厚さが少なく(すなわちターゲットプレート面からの高さが低く)、面が広い(すなわちターゲットプレートとの接触面積が大きい)形状、すなわち薄く広がった形状をいう。例えば、透明のフィルム状のものが挙げられる。扁平状の混合物の厚さは均等でなくても良く、例えば扁平状の混合物の縁部において、より厚くなっていても良い。例えばターゲットプレート上に調製される場合は、ターゲットプレートのウェル内の比較的広い面積領域にわたって広がった状態で調製される。
[3.糖ペプチド−液体マトリックス混合物の調製]
本発明において、糖ペプチド−液体マトリックス混合物は、どのような方法で調製されても良い。
例えば、ペプチダーゼを用いた解析すべき糖タンパク質のオンプレート消化物或いはインゲル消化物に、液体マトリックス溶液を添加することによって調製する方法;解析すべき糖タンパク質を含む組織切片などに対し、液体マトリックスを添加することによって調製する方法;及び、解析すべき糖タンパク質と液体マトリックスとを溶媒中に含む混合液から溶媒を除去することによって調製する方法などが挙げられる。
解析すべき糖ペプチドと液体マトリックスとを溶媒中に含む混合液から溶媒を除去することによって混合物の調製を行う例について、以下に説明する。
糖ペプチド−液体マトリックス混合物は、構造解析すべき糖ペプチドと、液体マトリックスとを溶媒中に少なくとも含む混合液の液滴をターゲットプレート上に形成する工程と、形成された前記混合液の液滴から前記溶媒を除去し、前記混合液中の不揮発分(すなわち少なくとも構造解析すべき糖ペプチドと液体マトリックス)を残渣として得る工程とによって得ることができる。このようにして得られる残渣を、当該混合物のスポットと記載する場合がある。
当該混合液には、糖ペプチド及び液体マトリックス以外に、すでに述べたような他の分子、具体的には混合液調製時に混在しうる物質、及び液体マトリックスの作用を助けるためのアディティブなどをさらに含んでいて良い。混合液に他の分子を含む場合としては、ペプチダーゼを用いた解析すべき糖タンパク質の消化物と液体マトリックス溶液を予め混合することにより得られた混合液を使用する場合などが相当する。
混合液の液滴をターゲットプレート上に形成する具体的方法としては特に限定されない。たとえば、糖ペプチド溶液と液体マトリックス溶液とを別々に調製し、両溶液を混合させて混合液を得て、得られた混合液をターゲットプレート上に滴下することによって、混合液の液滴を形成することができる。また、糖ペプチド溶液と液体マトリックス溶液とを別々に調製し、糖ペプチド溶液をターゲットプレート上に滴下して糖ペプチド溶液の液滴を形成し、形成された糖ペプチド溶液の液滴に液体マトリックス溶液を滴下することによってターゲットプレート上で両溶液を混合し、混合液の液滴を形成することができる。またこの場合、糖ペプチド溶液と液体マトリックス溶液との滴下順序を逆にしても良い。
形成されたターゲットプレート上の混合液液滴は、ある程度の広がり面積をもってターゲットプレートと接している。以下、液滴とターゲットプレートとが接する面積を、液滴の広がり面積と記載することがある。
[3−1.塊状混合物の調製過程及びフォーカス現象]
塊状の混合物は、以下のような過程を経て形成される。
ターゲットプレート上の混合液の液滴から溶媒が除去されるに伴い、液滴の体積が減少する。溶媒の除去としては、溶媒の自然蒸発を含む。これにより、混合液中の不揮発分(糖ペプチド及び液体マトリックスが少なくとも含まれる)の濃度が高くなる。すなわち混合液液滴が濃縮される。それに伴い、混合液液滴の広がり面積を縮小させる。混合液液滴の濃縮と混合液液滴の広がり面積の縮小とが相伴って起こるため、濃縮がより進行すれば、当該広がり面積領域のより小さい面積領域へ、混合液中の不揮発分がより濃い濃度で集められる。混合液中の溶媒の大部分ないしは全てが除去されることによって濃縮が完了すれば、試料−液体マトリックス混合物の微小な濃縮スポットが当該広がり面積の一部に残る。この状態は、室温下及び真空下でも維持される。
本発明においては、混合液液滴の濃縮とともに混合液液滴の広がり面積の縮小が起きる現象を、混合液中に含まれる不揮発分が、混合液液滴の広がり面積の一部へ集まることから、フォーカス現象と呼ぶ。フォーカス現象を利用することの利点は、構造解析すべき糖ペプチド−液体マトリックス混合物を非常に小さい面積領域に集中させることができることにある。混合物が非常に小さい面積領域に集中することは、レーザーを照射するポイントに存在する試料を密にすることであるため、高感度計測を可能にする。しかも、そのようにして得られた塊状混合物の表面は比較的均質な状態で保たれているため、混合物スポットの場所によるイオン化の偏りがほとんどないコンディションで計測を行うことが可能である。
フォーカス現象によってターゲットプレート上の液滴がどの程度縮小するかに関する具体的な量としては特に限定されるものではない。例えば、混合物のフォーカススポットとターゲットプレートとが接する面積が、形成された直後の混合液の液滴とターゲットプレートが接する面積の80%以下、好ましくは10%以下に縮小されれば、当該フォーカス効果は特に効果的に得られたといえる。当該縮小率の下限値としては特に限定されるものではないが、例えば0.001%である。
すでに述べたように、フォーカス現象によって、構造解析すべき糖ペプチド−液体マトリックス混合物が非常に小さい面積領域に集中するため、レーザーを照射するポイントに存在する試料が密になり、従って高感度計測をおこなうことが可能になる。
このため、形成された直後の混合液の液滴の広がり面積がフォーカス現象によってより小さい面積に縮小すると(すなわちより大きいフォーカス効果を得ると)、より密に凝集したタンパク質−液体マトリックス混合物が得られる。このことは、高感度計測の点から好ましい。フォーカス効果を効果的に得るためには、例えば後述のように、糖ペプチド及び液体マトリックスを含む混合液中の液体マトリックス濃度、使用する溶媒の種類、ターゲットプレートの表面の状態などを考慮すると良い。
[3−2.扁平状混合物の調製過程]
扁平状混合物が調製される場合、ターゲットプレート上の混合液の液滴から、溶媒が除去されることによって、形成直後の混合液の液滴の広がり面積とほぼ同じ面積領域において、糖ペプチド−液体マトリックス混合物が残る。形成された混合液の液滴から、溶媒が除去されることに伴う液滴の体積の減少過程において、ターゲットプレート上の液滴の広がり面積がおおよそ保たれるため、残渣として扁平状の混合物が得られる。
[3−3.液体マトリックスの量]
[3−3−1.混合液中の液体マトリックスの量]
液体マトリックス濃度としては特に限定されるものではない。
従来法において通常に用いられていた濃度の液体マトリックスは、過剰に高い濃度を有しているため、本発明において好ましいフォーカス現象は起こらない。この場合は、通常、薄く広がった形状の混合物が得られる。
本発明においては、フォーカス現象を利用して、微小な混合物の濃縮スポット(フォーカススポット)を得ることが好ましい。さらにこの場合、フォーカス効果をより効果的に得るために、混合液中の液体マトリックスの濃度を通常用いられていた濃度より低く設定することができる。
混合液中の液体マトリックスの量は、フォーカス現象を起こすことができる程度に少なく、且つ液体マトリックスがMALDI質量分析のマトリックスとして作用する程度に十分な量である。そのような量は、混合液中の不揮発分として含まれる物質の種類や、当該不揮発分の総量などの要因によって変動しうるものであるが、好ましくは20pM〜200mM、さらに好ましくは20μM〜200mMとすることができる。このような範囲とすることによって、フォーカス効果をより効果的に得ることができる。
上記の範囲は、特に糖タンパク質の消化物を液体マトリックスと混合して解析する場合に採用することができる。上記の範囲は、本発明で許容されるマトリックス量のうち、例えば上記の他の分子が含まれない場合よりも多く設定されている。これは、糖タンパク質の消化工程による試料のロス、消化工程で生じる糖ペプチド量が場合に応じて変動しうること、消化工程の段階から試料中に混在する不純物の量が増えることなどのために、最終的に得られる糖ペプチドの量が正確に予測できないことを考慮したものである。
一方で、糖タンパク質消化物の解析以外の場合のように、上記のようなことを考慮しなくて良い場合、或いは糖ペプチドの量が見出せる場合は、混合液中の液体マトリックスの量は、20pM〜40mM、好ましくは20μM〜20mMとすることもできる。
[3−3−2.ターゲットプレート上の液滴1個に含まれる液体マトリックスの量]
ターゲットプレート上に形成された混合液の液滴1個に含まれる液体マトリックスの量、すなわちターゲットプレート上に形成された混合物のスポット(スポットの形状は塊状及び扁平状を含む)1個あたりの液体マトリックスの量としては特に限定されない。
好ましくは、ターゲットプレート上に形成された混合物のスポット1個あたりの液体マトリックスの量を、10 fmol〜100 nmol、さらに好ましくは10 pmol〜100 nmolとすることができる。例えば、混合液の濃度を上記のように20pmol〜200mM、さらに好ましくは20μM〜200mMとした場合に、スポット1個あたりの液体マトリックスの量が上記範囲内に収まるように、混合液の液滴を形成することができる。
或いは、ターゲットプレート上に形成された混合物のスポット1個あたりの液体マトリックスの量を、10 fmol〜20 nmol、さらに好ましくは10 pmol〜10 nmolとすることができる。例えば、混合液の濃度を上記のように20pM〜40mM、好ましくは20μM〜20mMとした場合に、スポット1個あたりの液体マトリックスの量が上記範囲内に収まるように、混合液の液滴を形成することができる。
[3−4.解析すべき糖ペプチドの量]
なお、混合液中の解析すべき糖ペプチドの量としては、特に限定されるものではない。例えば、液体マトリックス5 nmolに対し、糖タンパク質の量は、10pmol〜数fmolの広い範囲で許容される。
[3−5.液滴の体積]
1個のスポットを形成する混合液の液滴の体積としては、特に限定されず、当業者が適宜決定することができる。
ターゲットプレート上にウェルが設けられている場合、混合液の液滴は、ウェル内に形成することができる。この場合、液滴は、当該ウェル内に収まる程度の体積をもって形成される。具体的には、10nL〜10μl程度、例えば0.5μl程度の液滴を形成することができる。
[3−6.溶媒]
混合液中に用いられる溶媒としては、特に限定されるものではなく、当業者が適宜決定することができる。例えば、メタノール、エタノール、プロパノール、アセトン、酢酸エチル、アセトニトリル、テトラヒドロフラン、ジエチルエーテル、トルエン、ジクロロメタン、クロロホルムなどの有機溶媒、及び水から適宜選択して用いることができる。例えば、メタノール−水系が好ましい。
溶媒中には水が含まれていることが好ましい。例えば、溶媒全体の10〜100体積%、好ましくは30〜100体積%を占めるように、水を含ませることができる。溶媒中に水が含まれることは、上記のフォーカス効果を特に効果的に得ることができる点、より再現性良く混合物を調製することができるという点などから好ましい。
[3−7.ターゲットプレート]
ターゲットプレートとしては、特に限定されない。通常MALDI質量分析に使用されるステンレス鋼ターゲットプレートなどや、化学的或いは物理的に表面処理がなされたターゲットプレートなど、さまざまなものを使用することができる。
特にターゲットプレート表面の表面粗さがより小さいものは、上記のフォーカス現象をより効果的に起こすという観点から好ましい。すなわち、ターゲットプレート表面が研磨などによってよりなめらかな状態としたものを用いたほうが、より大きいフォーカス効果が得られる。例えば、鏡面仕上げされたターゲットプレートを用いることは、フォーカス効果を特に効果的に得ることができる点で好ましい。
[4.構造解析]
[4−1.糖−アミノ酸結合が維持されたイオンの検出の意義と本発明における構造解析]
本発明においては、MALDI質量分析測定によって、構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドに由来し且つ糖−アミノ酸結合が維持されたイオンを検出する。当該糖−アミノ酸結合が維持されたイオンは、MALDI質量分析測定の際に、構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドから、糖鎖とタンパク質又はペプチドとの間の結合の開裂が起こることなく生じるイオンであり、具体的には、糖タンパク質イオンや糖ペプチドイオンが含まれる。本発明では、マトリックスとして液体マトリックスを使用することによって、このようなイオンが優先的に生じる。
ここで、糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析を行うためは、タンパク質又はペプチド部分の一次構造の特定、糖鎖部分の一次構造の特定、及び糖鎖結合部位の特定を行うことが必要である。
本発明のMALDI質量分析法において、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンを検出することの重要性は、糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析を行うために必要な情報の1つである、糖鎖結合部位の特定を行うための情報を得ることにある。また、糖タンパク質の構造解析を行うために必要なそれ以外の情報である、タンパク質又はペプチド部分の一次構造の特定を行うための情報、及び糖鎖部分の一次構造の特定を行うための情報も、当該糖−アミノ酸結合が維持されたイオンから得ることができる。
一方、糖タンパク質に由来する、タンパク質部分のみのイオン(ペプチドイオンも含まれる)や糖鎖部分のみのイオンからは、タンパク質部分の一次構造の特定を行うための情報、及び糖鎖部分の一次構造の特定を行うための情報を得ることができる。しかしながら、上記のような糖鎖結合部位の特定を行うための情報を得ることは、例えば糖鎖結合部位となるアミノ酸に化学的にタグを付加するなどのさらなる工程を行わない限り、不可能である。
マトリックスとして、固体マトリックスを用いた場合は、タンパク質部分のみのイオンが優先的に検出され、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンは非常に小さいピークとして検出されるに過ぎない。
このような理由で、本発明では、液体マトリックスを用いて、構造解析すべき糖タンパク質から、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンの検出を行う。すなわち、本発明において、構造解析とは、少なくとも糖−アミノ酸結合が維持されたイオンから得られる情報(すでに述べたとおり、糖鎖結合部位の特定を行うための情報、タンパク質部分の一次構造の特定を行うための情報、及び糖鎖部分の一次構造の特定を行うための情報を含む)を用いることを含む構造解析をいう。
[4−2.糖−アミノ酸結合が維持されたイオンの例]
本発明による糖タンパク質の構造解析においては、具体的には、例えば、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンをプリカーサイオンとして選択し、MSn分析を行うことで、糖タンパク質の構造解析を行うことができる。
さらに具体的には、例えばポジティブモード測定の場合、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンとして、タンパク質(ペプチドも含む)に付加しやすいプラスチャージイオンが付加したイオンと、糖に付加しやすいプラスチャージイオンが付加したイオンとを検出し、それぞれをプリカーサイオンとして選択しMSn分析を行うことで、前者のイオンからはタンパク質部分の一次構造と糖鎖結合部位を、後者のイオンからは糖鎖の一次構造を特定することができる。さらにこの場合、タンパク質に付加しやすいプラスチャージイオンとしてはプロトンが挙げられ、糖鎖に付加しやすいプラスチャージイオンとしては金属イオンが挙げられる。
一方、ネガティブモード測定の場合、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンとして、主に、タンパク質(ペプチドも含む)あるいは糖からプロトンが一つとれた脱プロトン化イオン[M-H]-として検出され、それをプリカーサイオンとして選択しMSn分析を行うことで、構造情報が得られる。ネガティブモードにおける分析結果は、ポジティブモードにおける分析結果と併せると、一台の装置で容易に、分子の有無の確認、それらの分子の分子量分析及び構造解析についてのクロスチェックを行うことができ、迅速でより正確な構造解析が可能となる。
[4−3.糖タンパク質消化物を測定対象とした構造解析の例]
例えば、本発明の方法によって、ペプチダーゼによる糖タンパク質の消化物を測定した場合、ペプチド鎖のイオンよりも、糖ペプチドイオン(糖−アミノ酸結合が維持されたイオン)を優先的に検出することができる。ポジティブモード測定においてもネガティブモード測定においても、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンが優先的に検出されるという傾向が本発明者らによって確認されている。特に、ネガティブモード測定においては、その傾向が顕著であり、ほとんどが糖−アミノ酸結合が維持されたイオンとして検出されうる。
さらに、すでに述べたような、固体マトリックスと液体マトリックスとで優先的に検出されるイオン種が異なることを構造解析の中で利用し、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンの識別をより正確に行うこともできる。
例えば、同じ構造解析すべき糖タンパク質について、固体マトリックスを用いた測定と液体マトリックスを用いた測定との両方を行い、それぞれの測定において得られたマススペクトルを互いに比較する。その結果、固体マトリックスを用いて得られたマススペクトルにおいて高いイオン強度をもって検出される一方で、液体マトリックスを用いて得られたマススペクトルにおいて検出されない又は低いイオン強度をもって検出されるイオンは、主にタンパク質部分のイオン(ペプチドイオンも含まれる)であるとすることができる。反対に、固体マトリックスを用いて得られたマススペクトルにおいて検出されない又は低いイオン強度をもって検出される一方で、液体マトリックスを用いて得られたマススペクトルにおいて高いイオン強度をもって検出されるイオンは、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンであるとすることができる。このようにして、糖−アミノ酸結合が維持されたイオンの識別を行うことができる。
以下に実施例を示し、本発明を具体的に説明するが、本発明は下記の実施例に制限されるものではない。
[実験例1:液体マトリックスG2CHCAを用いた糖タンパク質消化物のMALDI質量分析測定]
以下のようにして、1,1,3,3−テトラメチルグアニジンイオンとα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸イオンとから構成されるイオン性液体(G2CHCA)を調製した。
0.05 mmol (9.45 mg)のα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸をメタノール500μLに溶かし、0.1 mmol(12.5 μL)の1,1,3,3−テトラメチルグアニジンを加えて、手動及び自動振動器でしっかりと混合した。得られた混合溶液に対し、スピードバックを用いて約2時間減圧乾燥を行った。これをデシケータに入れて、一晩真空引きを行った。
このようにして得られたイオン性液体を液体マトリックスとして用いた。
液体マトリックスG2CHCAを9 mg/0.1 mLでメタノールに溶かし、さらにメタノールによって10倍希釈し、液体マトリックス溶液を得た。一方、糖タンパク質Ribonuclease B (RNase B)を、リジルエンドペプチダーゼで消化した。その後、脱塩を行うことなく水に溶解し、糖タンパク質消化物水溶液を得た。この糖タンパク質の酵素消化物水溶液と液体マトリックス溶液とを1:1(v/v)で混合した。得られた混合溶液を0.5 μLずつ鏡面仕上げされたサンプルターゲット上に滴下し、自然に溶媒を蒸発させ、小さく濃縮(凝縮)された糖タンパク質消化物−液体マトリックス混合物を得た。
質量分析装置としてMALDI-QIT-TOF型質量分析装置(島津製作所製AXIMA-QIT)を用い、サンプルターゲット上に調製した混合物について計測を行った。計測は、ポジティブモード及びネガティブモードの両方によって行った。
[比較例1:固体マトリックスDHBを用いた糖タンパク質消化物のMALDI質量分析測定]
マトリックス溶液として、市販の精製された固体マトリックス2,5-dihydroxybenzoic acid (DHB)を、5 mg/0.5 mLの濃度で50(v/v) %アセトニトリル水溶液に溶かして得たものを用いた。糖タンパク質Ribonuclease B (RNase B)を、上記実験例1と同様に準備した。この糖タンパク質の酵素消化物水溶液と液体マトリックス溶液を鏡面仕上げされたターゲット上で0.5 μLずつ滴下して混合し、自然に溶媒を蒸発させ、糖タンパク質消化物−DHBの混合結晶を得た。尚、最終的にターゲットのウェル上に搭載される糖タンパク質消化物の濃度が、液体マトリックス使用時と同じになるように調整した。質量分析装置による計測は上記実験例1と同様の操作を行った。
[実験例1及び比較例1で得られたマススペクトルの検証]
比較例1におけるポジティブモード測定によって得られたマススペクトルを図1(a)、実験例1におけるポジティブモード測定によって得られたマススペクトルを図1(b)、比較例1におけるネガティブモード測定によって得られたマススペクトルを図2(a)、実験例1におけるネガティブモード測定によって得られたマススペクトルを図2(b)に示す。
図1及び2が示すように、液体マトリックスを使用した場合(図1(b)及び図2(b))は、固体マトリックスを使用した場合(図1(a)及び図2(a))に比べ、ポジティブモード及びネガティブモードのいずれによっても、糖ペプチドピークが優先的にイオン化されたことが確認できた。また、その傾向は、ネガティブモードによるものにおいて顕著であった。
そして、液体マトリックスを用いた実験例1においては、サンプルプレート上に調製した糖タンパク質消化物−液体マトリックス混合物の表面上の比較的どの場所においても、このようなスペクトルを同様に得ることができた。すなわち、液体マトリックスを用いた場合、当該混合物の表面上のどの場所においても比較的均質であり、イオン化の偏りがほとんどないことが確認できた。
[実験例2]
以下のようにして、1,1,3,3−テトラメチルグアニジンイオンとp−クマル酸イオンとから構成されるイオン性液体(GCA)を調製した。
0.05 mmol(8.2 mg)のp−クマル酸をメタノール500μLに溶かし、0.15 mmol(18.75 μL)の1,1,3,3−テトラメチルグアニジンを加えて、手動及び自動振動器でしっかり混合した。得られた混合溶液に対し、スピードバックを用いて約2時間減圧乾燥を行った。これをデシケータに入れ、一晩真空引きを行った。
このようにして得られたイオン性液体を液体マトリックスとして用い、上記実験例1と同様の操作を行った。得られたマススペクトルのうち、ポジティブモード測定を行って得られたものを図3(a)に、ネガティブモード測定を行って得られたものを図3(b)に示す。図3(a)及び図3(b)が示すように、上記実験例1と同様の結果が得られたことを確認した。
[構造解析]
上記実験例1及び実験例2において十分な量で生成した糖ペプチドイオンをプリカーサとしてMSn測定を行えば、構造解析を行うことが可能であることが明らかである。
固体マトリックス2,5-dihydroxybenzoic acid (DHB)を用いた比較例1におけるポジティブモード測定によって得られたマススペクトル(a)、及び、液体マトリックスG2CHCAを用いた実験例1におけるポジティブモード測定によって得られたマススペクトル(b)である。矢印は糖ペプチド由来のイオンピークを示している。 固体マトリックス2,5-dihydroxybenzoic acid (DHB)を用いた比較例1におけるネガティブモード測定によって得られたマススペクトル(a)、及び、液体マトリックスをG2CHCA用いた実験例1におけるネガティブモード測定によって得られたマススペクトル(b)である。矢印は糖ペプチド由来のイオンピークを示している。 液体マトリックスGCAを用いた実験例2におけるポジティブモード測定によって得られたマススペクトル(a)、及びネガティブモード測定によって得られたマススペクトル(b)である。矢印は糖ペプチド由来のイオンピークを示している。

Claims (8)

  1. 構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドと、糖タンパク質又は糖ペプチド以外の生体分子及び合成分子からなる群から選ばれる他の分子と、マトリックスとしてのイオン性液体とを少なくとも含む混合物を、MALDI質量分析測定に供し、前記混合物中から前記構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドに由来し且つ糖−アミノ酸結合が維持されたイオンを検出することを含む、液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法であって、
    前記混合物は、
    前記構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドと、前記他の分子と、前記イオン性液体とを溶媒中に少なくとも含む混合液であって、前記混合液中の前記イオン性液体の濃度が20pM〜200mMである混合液の液滴をターゲットプレート上に形成する工程と、
    前記混合液の液滴から前記溶媒を除去して、前記液滴の体積の減少とともに、前記ターゲットプレートと前記混合液の液滴とが接する面積を縮小させることによって、前記混合液中に含まれる少なくとも前記構造解析すべき糖タンパク質又は糖ペプチドと前記イオン性液体とを前記面積の一部へ集め、前記混合物のフォーカススポットを得る工程と、
    によって得られる混合物である、液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
  2. 前記混合物のフォーカススポットと前記ターゲットプレートとが接する面積は、形成された直後の前記混合液の液滴と前記ターゲットプレートが接する面積の80%以下に縮小される、請求項に記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
  3. 前記溶媒は水を含む、請求項1又は2に記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
  4. 前記ターゲットプレート上に形成された前記混合液の液滴1個に含まれる前記イオン性液体の量は、10fmol〜100nmolである、請求項のいずれか1項に記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
  5. 前記イオン性液体は、アミンのイオンと酸性基含有有機物質のイオンとを含む、請求項1〜のいずれか1項に記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
  6. 前記酸性基含有有機物質はp−クマル酸又はα−シアノ−4−ヒドロキシケイ皮酸である、請求項に記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
  7. 前記アミンは、1,1,3,3−テトラメチルグアニジンである、請求項又はに記載の液体マトリックスを用いたMALDI質量分析による糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析法。
  8. 前記MALDI質量分析測定が、ポジティブモード及びネガティブモードの両モードにおいて行われる、請求項1〜のいずれか1項に記載の糖タンパク質又は糖ペプチドの構造解析手法。
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