VやMoは鋼の焼き入れ性の確保のみならず、鋼中にて微細炭窒化物を形成し、遅れ破壊の原因となる水素の拡散を抑制するため、高強度鋼には有益な元素である。しかしながら、本発明者等が、Ti、Zr、Hf、Nbを含まず、VやMoを合計で1.2%添加した鋼において、水素を一定量吸蔵させ、表面から水素が逃散しないように逃散防止めっきを施し、一定時間放置により水素濃度を均一化した試験片を用いて、そのまま遅れ破壊試験を行った場合と、同試験片を用いて、疲労が起きない程度に予め応力を加え、その応力を弾性域の一定範囲にてサイクル変動させた後、遅れ破壊試験を行った場合とを比較すると、後者の試験の方が、遅れ破壊が進行することがわかった。この現象は、予め熱負荷をかけた場合も生じる。しかしながら、この現象は、水素を吸蔵させない試験片では生じない。また、この現象は、Ti、Zr、Hf、Nbを含む鋼では、遅れ破壊の進行は緩和されることがわかり、これに基づき特開2003−253376号公報に記載の発明を成した。即ち、水素を吸蔵した状態で、応力をサイクル変動し、欠陥を強引に移動させることによって、VやMoの歪み欠陥部にて弱くトラップされた水素が開放されるため遅れ破壊が生じやすくなるが、Ti等が存在すれば、それらを再トラップするため、それを抑制することができる。これは、一方では、欠陥が移動することを抑制すれば、遅れ破壊の助長を抑制することができることを示唆していると考えられた。
本発明者等がさらに検討を続けた結果、BやLiを鋼中に添加し、固溶状態にて存在させることにより、上記試験での遅れ破壊の助長を抑制することができることが判明した。即ち、BやLiを固溶状態にて存在させることにより、欠陥の移動を抑制することに成功した。これにより、本発明を完成するに到った。
以下、本発明に係る高強度鋼について、その作用効果および数値限定理由等を詳細に説明する。
本発明に係る高強度鋼において、引張強度については1200N/mm2 以上であることとしている。引張強度が1200N/mm2 以上でなければ、最近の高強度鋼に対する要求特性を満足することができないからである。更には、従来一般的には引張強度:1200N/mm2 以上の場合に遅れ破壊が生じやすく、この強度の場合の耐遅れ破壊性の向上が望まれるからである。なお、本発明では、800〜1200℃の温度にて焼入れを行うことで炭化物、窒化物等を固溶させ、その後、450〜700℃の温度で焼き戻しを行い、析出硬化を十分に行って強度を確保することが望ましい。焼入れ時にB化合物を完全に固溶させ、焼戻し時に析出硬化をする析出物として窒素や酸素等の不純物を析出させ、Bの窒化物(BN)などの析出を防ぐのがポイントとなる。その温度条件は鋼種成分や鋼線径等で大きく変化するので、最適化を行う必要があり、このため本発明では特に定めない。なお、この強度要件を満足しない場合でも、本発明の適用を妨げるものではない。
本発明に係る高強度鋼において、組成成分としては、C、Cr、Mn、N、O、S、Siを含有し、Vおよび/またはMoを含有すると共に、B,Liの1種以上を含有する。
上記成分の中、先ずCについては、鋼の焼き入れ性を高め、高強度を確保するために必須の元素である。また、Cは、VやMo、Ti等を炭化物や複合化合物として鋼中に安定に存在させる作用も有する。強度の確保や炭化物形成効果の発現のためには、Cは0.3質量%(以降、質量%を%ともいう)以上含有されている必要があり、0.35%以上含有されていることが望ましい。しかし、C量が多すぎると、靭性が劣化して耐遅れ破壊性が低下するだけでなく、冷間加工性も悪くなる傾向にあるので、C量は0.50%以下に抑制する必要があり、0.45%以下に抑制することが望ましい。従って、本発明に係る高強度鋼において、C:0.3〜0.5%であることとしている。望ましくは、C:0.35〜0.45%である。
Crは、低コストで高強度化が図れる上に、耐食性を高めて、腐食速度を遅くする効果を有する。これらの効果を発現させるためには、0.5%以上の添加を必要とする。より好ましいCr量の下限値は1.0%である。一方、Crの添加量が増えると、腐食ピットを形成し易くなる傾向が認められた。これは、Crは鋼全体としての耐食性を高めるが、腐食ピットの先端部のpHを低下させる作用をも有しているため、一旦腐食ピットが形成されるとピット深さ方向へピットを拡げてしまうのではないかと考えられる。この腐食ピットの形成を抑え、耐遅れ破壊性に対する悪影響を小さくするには、Cr量を2.5%以下に抑制する必要があり、2.0%以下に抑制することが望ましい。従って、本発明に係る高強度鋼において、Cr:0.5〜2.5%であることとしている。望ましくは、Cr:1.0〜2.0%である。
Mnは、強度向上を図ることができる効果を有する。この効果を発現させるためには、0.2%以上添加する必要があり、0.5%以上添加することが望ましい。一方、Mnの添加量が増えると、Crの場合と同様に、腐食ピットを形成しやすくなる傾向が認められた。この腐食ピットの形成を抑え、耐遅れ破壊性に対する悪影響を小さくするには、Mn量を1.0%以下に抑制する必要があり、0.8%以下に抑制することが望ましい。従って、本発明に係る高強度鋼において、Mn:0.2〜1.0%であることとしている。望ましくは、Mn:0.5〜0.8%である。
N、O、Sは、鋼中にVやMo、Ti等の窒化物、酸化物、硫化物、これらの複合化合物を析出させる作用がある。これらの化合物は拡散性水素を捕捉(トラップ)して鋼の脆化を抑制する。しかし、N、O、Sの量が多すぎると析出物が粗大化するので、N、O、S量は通常の鋼の場合よりも少なくする必要がある。特にNはBと結合してBNを形成しやすく、Bの固溶を阻害するため、より少ない量とすることが必要である。定量的には以下の通りである。
Nは、窒化物を形成し、これらを安定的に析出物として微細分散させることができる。この析出物(窒化物)は、拡散性水素をトラップする作用(以降、水素トラップ作用ともいう)がある。即ち、水素トラップ作用を有する析出物(窒化物)を微細に分散させて存在させ、これにより水素トラップ作用を向上することができるという効果がある。しかし、NはBNを形成しやすく、Bの固溶を阻害するため、0.010%以下とすることが必要であり、0.007%以下とすることが望ましい。従って、本発明に係る高強度鋼において、N:0.01%以下であることとしている。望ましくは、N:0.007%以下である。
Oは、酸化物を形成し、これらを安定的に析出物として微細分散させることができる。この析出物(酸化物)は、水素トラップ作用がある。即ち、水素トラップ作用を有する析出物(酸化物)を微細に分散させて存在させ、これにより水素トラップ作用を向上することができるという効果がある。この効果を発現させるためには、Oは0.0005%以上含有させることが必要であり、0.001%以上含有させることが望ましい。しかし、O量が過剰になると粗大な酸化物が析出し易くなるので、0.005%以下とすることが必要であり、0.003%以下とすることが望ましい。従って、本発明に係る高強度鋼において、O:0.0005〜0.005%であることとしている。望ましくは、O:0.001〜0.003%である。
Sは、硫化物を形成し、これらを安定的に析出物として微細分散させることができる。この析出物(硫化物)は、水素トラップ作用がある。即ち、水素トラップ作用を有する析出物(硫化物)を微細に分散させて存在させ、これにより水素トラップ作用を向上することができるという効果がある。この効果を発現させるためには、Sは0.001%以上含有させることが必要であり、0.003%以上含有させることが望ましい。しかし、S量が過剰になると、水素トラップ作用の弱い粗大なMnS等が析出してくるので、0.025%以下とすることが必要であり、0.015%以下とすることが望ましい。従って、本発明に係る高強度鋼において、S:0.001〜0.025%であることとしている。望ましくは、S:0.003〜0.015%である。
Siについては、その含有量が多すぎると粗大なSi系析出物が形成されて、靭性や耐遅れ破壊性が低下するため、Si量は2.0%以下とする必要がある。従って、本発明に係る高強度鋼において、Si:2.0%以下であることとしている。
V、Moは、鋼中にて炭化物、窒化物、酸化物、硫化物、それらの複合化合物を微細に形成し、水素をトラップすることによって水素の拡散を抑制する働きがある。そのためには、VまたはMoを0.05%以上含有させるか、VおよびMoを合計で0.05%以上含有させることが必要である。Moについては、その添加によりBの固溶化を促進する効果もある。しかし、これら元素の含有量が多すぎると、構成部材等としての使用中に生じる熱変動、応力変動により水素を大量に開放し、遅れ破壊を助長する可能性があり、合計で1.5%以下とすることが必要であり、1.0%以下とすることが望ましい。従って、本発明に係る高強度鋼において、Vおよび/またはMo:合計で0.05〜1.5%であることとしている。望ましくは、Vおよび/またはMo:合計で0.05〜1.0%である。
B,Liは、欠陥を安定化することのできる元素(以下、欠陥安定化元素という)であり、欠陥が移動することを抑制し、ひいては遅れ破壊の助長を抑制することができるという効果がある。この効果を発現させるためには、B,Liの1種以上を下記式(1)、(2)、(3)および(4)を満足するように含有することが必要である。従って、本発明に係る高強度鋼において、B,Liの1種以上を下記式(1)、(2)、(3)および(4)を満足するように含有することとしている。この詳細を以下説明する。
0質量%≦B量≦0.01質量% ----------------------式(1)
0質量%≦Li量≦0.05質量% --------------------式(2)
0質量%<B量+Li量 ------------------------------式(3)
V量+Mo量/5≦(B量+Li量)×300 ----------式(4)
B、Liは、前述のように、欠陥安定化元素である。これらの元素は、これを鋼中に含有させておくと、欠陥にとどまりやすく、欠陥の移動を抑制することができる。また、応力負荷により移動する欠陥に捉えられ、それ以上の欠陥の移動を防ぐと考えられる。その結果、応力集中部への欠陥の濃化を防ぎ、このため、遅れ破壊の直接的な原因となる鋼の弱結合化を抑制することができると考えられる。この効果は、特に、耐遅れ破壊性が問題とされる機械構造用途、特に、カーエンジン周辺機器のような熱負荷や動的応力負荷が繰り返しかかる用途で使用される高強度鋼の場合に、有用性が増大する。
これらの元素(B、Li)は、上述のように、欠陥にトラップされて欠陥の移動を抑制し、その添加量が多いほど欠陥安定化効果は高くなるが、一方で、添加量が多すぎるとVやMoの周囲の歪み欠陥にもトラップされて安定化してしまうため、VやMoの周囲の歪み欠陥の水素トラップ能を低減化し、水素の拡散抑制効果を阻害する。また、多量に配合すると、鋼中で析出物を形成するため、応力集中の要因となると共に、析出物によるひずみが原因となって水素濃化を招き、耐遅れ破壊性が低下してしまう。更に、Bについては、鋼への固溶度が小さいため、溶鋼へ多量に添加しても鋼に残存する量が少ない。これらの点から、B量は0.01%以下(即ち、式(1)を満足する量)とすることが必要であり、0.005%以下とすることが望ましい。また、Li量は0.05%以下(即ち、式(2)を満足する量)とすることが必要であり、0.03%以下とすることが望ましい。従って、B量およびLi量については、先ず、B量は式(1)を満足する量、Li量は式(2)を満足する量であることとしている。望ましいB量は0.005%以下であり、望ましいLi量は0.03%以下である。なお、後述するように式(4)によっても各元素量(B量、Li量)は制限を受けるが、上記の不都合をより確実に招かなくするためには、式(4)によって定まる各元素の最低必要量(即ち、式(4)において左辺の値=右辺の値のときのB量、Li量)の+0.002%以内にすることが望ましい。
欠陥安定化元素であるB、Liの必要量については、それ自体で定まるものではなく、不安定な欠陥を形成しやすくするVおよびMoの量に応じて定まるものである。即ち、B量、Li量は、VおよびMoの量に応じて変化させることが必要である。このB、Liの必要量について検討した結果、式(4)を満足するようにすればよいことがわかった。従って、B、Liの必要量は式(4)を満足する量であることとしている。
即ち、上記式(4)の左辺では、Vの悪影響度を1とすれば、Moはその5分の1の悪影響の程度なので、Mo量は5で割ってV量に加算する。一方、右辺では、欠陥安定化効果の点で、B、Liは同レベルであったので、これらはそのまま加算している。そして、この右辺の値の300倍が、左辺の値よりも大きくなるように、これらの各元素量を調整することが必要である。これにより、VやMoに由来する水素拡散抑制効果や焼き入れ性と、BやLiに由来する欠陥安定化効果とをバランスよく発揮させることができるようになった。左辺の値の方が右辺の値よりも大きい場合は、欠陥安定化効果が充分発揮されないため、熱負荷や動的応力負荷が繰り返しかかる用途では、耐遅れ破壊性が低下する。従って、B、Liの必要量は式(4)を満足する量であることとしている。なお、B、Liはその両方を含有してもよいし、そのいずれかを含有してもよい。
従って、本発明に係る高強度鋼において、B,Liについては、B,Liの1種以上を前記式(1)、(2)、(3)および(4)を満足するように含有することとしている。
なお、B、Liはその両方を含有してもよいし、そのいずれかを含有してもよいので、式(1)においてはB量=0%(即ち、Bを含有しない)の場合を含ませ、式(2)においてはLi量=0%(即ち、Liを含有しない)の場合を含ませている。
式(1)でB量=0%であると共に、式(2)でLi量=0%である場合は、BもLiも含有しないことになり、これは本発明に係る高強度鋼においてはB,Liの1種以上を含有することと整合しなくなる。そこで、式(3)をも満たすことが必要であることとしている。即ち、この式(3)を満たすことにより、BもLiも含有しない場合が除外されて、B,Liのいずれか、または、両方を含有することになる。
前述の式(1)〜(4)において、B量はBの含有量(質量%)、Li量はLiの含有量(質量%)、V量はVの含有量(質量%)、Mo量はMoの含有量(質量%)を示すものである。
以上のことからもわかるように、本発明に係る高強度鋼は、ポイント的には、水素トラップ量が多い炭窒化物を形成する元素(V、Mo)と、欠陥の移動を抑制する欠陥安定化元素(B、Li)のバランスをとったものである。即ち、VやMoに由来する水素拡散抑制効果と、BやLiに由来する欠陥安定化効果とをバランスよく発揮させることができるようにしたものである。
鋼中での遅れ破壊は、欠陥の濃化と水素の拡散濃化が同時に起こることにより生じると考えられるが、本発明に係る高強度鋼は、欠陥安定化元素(B、Li)により欠陥の移動を抑制できることと、炭窒化物を形成する元素(V、Mo)により水素の拡散濃化を抑制できることにより、欠陥と水素の両方の挙動をともに抑制することができる。すなわち、たとえば、熱や応力エネルギーが与えられた結果、炭窒化物周辺の欠陥より水素が開放され、水素が拡散された場合、欠陥が濃化しやすい鋼では応力歪み部にできた欠陥濃化部に水素が濃化し、遅れ破壊に至る。しかしながら、本発明に係る高強度鋼では、欠陥の濃化が生じにくいため、水素もまた濃化しにくく、遅れ破壊に至りにくい。従って、本発明に係る高強度鋼は、従来の高強度鋼よりも耐遅れ破壊性に優れている。
このため、本発明に係る高強度鋼は、構造物や輸送機器等の機器あるいは機械などの構成部材等として好適に用いることができ、その耐遅れ破壊性の向上による耐久性の向上がはかれるようになる。特に、カーエンジン周辺機器のような熱負荷や動的応力負荷が繰り返しかかる用途で使用される場合に有用である。
B、Liは、前述のように欠陥安定化元素であるが、固溶状態にて存在させることにより、欠陥を安定化することができ、欠陥が移動することを抑制し、ひいては遅れ破壊の助長を抑制することができる。このB、Liの中、Liは固溶しやすく、固溶状態にて存在させやすい。しかし、Bについては、Nと結合してBNを形成したり、また、Fe23(C,B)6 を形成しやすいことが知られており、このように化合物を形成した場合、Bを固溶状態にて存在させるのは難しく、ひいてはBによる欠陥安定化効果は著しく低下する。従って、B、Liの中、Bのみを含有させる場合、充分な欠陥安定化効果を発現し得るようにBを固溶状態にて存在させることが重要である。
そこで、B、Liの中、Bのみを含有させる場合であっても、確実に、充分な欠陥安定化効果を発現し得るようにするため、鋭意検討を重ねた。その結果、鋼表面でのB濃度が鋼中のB濃度の10倍以上に濃化している場合、確実に、充分な欠陥安定化効果を発現し得ることがわかった。このように濃化している場合、充分な欠陥安定化効果を発現し得るのは、鋼中での固溶状態のBの量が充分な欠陥安定化効果を発現するに必要な量となるからであると考えられる。即ち、鋼中での固溶状態のBの量が多い程、鋼表面でのB濃度の濃化の程度が大きくなるので、鋼表面でのB濃度の濃化の程度が大きい程、鋼中での固溶状態のBの量が多いことになり、この鋼表面でのB濃度の濃化の程度が鋼中のB濃度の10倍以上である場合、鋼中での固溶状態のBの量が充分な欠陥安定化効果を発現するに必要な量となり、充分な欠陥安定化効果を発現し得るものと考えられる。
従って、B、Liの中、Bのみを含有させる場合、確実に、充分な欠陥安定化効果を発現し得るようにするためには、鋼表面でのB濃度が鋼中のB濃度の10倍以上に濃化しているものとすればよい。即ち、鋼表面でのB濃度が鋼中のB濃度の10倍以上に濃化しているものとすれば、確実に、充分な欠陥安定化効果を発現し得、このため、遅れ破壊の助長を抑制し得、これにより耐遅れ破壊性を向上し得る〔第2発明〕。
また、このように鋼表面でのB濃度が鋼中のB濃度の10倍以上に濃化していると、水素の侵入に対するバリアー効果を発揮し、水素の侵入をも抑制する。即ち、Bは鋼表面に濃化する特性があるが、この濃化は鋼自体の表面のみならず、熱処理によって形成される酸化皮膜や、腐食によって形成される皮膜、いわゆる「さび」にも生じる。その結果、水素還元反応を抑制し、水素の発生量を抑制し、さびを安定化させて水素の侵入に対するバリアー効果を発揮し、水素の侵入をも抑制することがわかった。特に、鋼表面でのBの濃化の程度が鋼中のB濃度の10倍以上である場合、水素の侵入に対するバリアー効果を発揮し、水素の侵入をも抑制することが判明した。従って、鋼表面でのB濃度が鋼中のB濃度の10倍以上に濃化していると、水素の侵入に対するバリアー効果を発揮し、水素の侵入をも抑制し、これによっても耐遅れ破壊性が向上する〔第2発明〕。
従って、B、Liの中、Bのみを含有させる場合、鋼表面でのB濃度が鋼中のB濃度の10倍以上に濃化しているものとすれば、確実に、充分な欠陥安定化効果を発現し得、このため、遅れ破壊の助長を抑制し得、これにより耐遅れ破壊性を向上し得ると共に、水素の侵入に対するバリアー効果を発揮し、水素の侵入をも抑制し、これによっても耐遅れ破壊性を向上し得るので、従来の高強度鋼に比較し、より確実に高水準で、耐遅れ破壊性に優れたものとすることができる〔第2発明〕。
B、Liの両方を含有させる場合、固溶状態のLiによっても欠陥安定化効果が発現されるので、そのLiの量(あるいは、Liによる欠陥安定化効果の程度)によって鋼中での固溶状態のBの必要量が変化し、固溶状態のLiの量が多いほど、固溶状態のBの必要量は小さくなる。固溶状態のBの量が多いほど、鋼表面でのB濃度の濃化の程度が大きくなる。従って、B、Liの両方を含有させる場合、確実に、充分な欠陥安定化効果を発現し得るようにするためには、鋼表面でのB濃度が鋼中のB濃度の10倍以上に濃化しているものとする必要は必ずしもなく、鋼表面でのB濃度が鋼中のB濃度のn倍(n<10)濃化しているものでもよく、このnは固溶状態のLiの量が多いほど小さいものとすることができる。
B、Liの両方を含有させる場合においても、鋼表面でのB濃度が鋼中のB濃度の10倍以上に濃化していると、特に、水素の侵入に対するバリアー効果を発揮し、水素の侵入をも抑制し、これによっても耐遅れ破壊性が向上する〔第3発明〕。
従って、B、Liの両方を含有させる場合、鋼表面でのB濃度が鋼中のB濃度の10倍以上に濃化しているものとすれば、確実に、充分な欠陥安定化効果を発現し得、遅れ破壊の助長を抑制し得、これにより耐遅れ破壊性を向上し得るだけでなく、鋼表面でのBの濃化により水素の侵入に対するバリアー効果を発揮し、水素の侵入をも抑制し、これによっても耐遅れ破壊性を向上し得るので、従来の高強度鋼に比較し、より確実に高水準で、耐遅れ破壊性に優れたものとすることができる〔第3発明〕。
なお、Bについては、オーステナイト粒界に偏析することにより焼き入れ性を高めると共に、未再結晶温度域を高温側に移行させる効果も有しており、伸張化したオーステナイト粒が得やすくなり、これにより耐遅れ破壊性を向上し得るという作用効果もある。これらの効果の面からもBは固溶状態で存在することが必要である。
Bの存在形態の確認は難しく、ppmオーダーにて評価できる手法として、(1)αトラックエッチング(ATE)法、(2)イオンビーム分析法、(3)アトムプローブ電界イオン顕微鏡法の三種類が提案されている。しかしながら、これらの手法は装置が著しく限られ、測定条件もまだ模索中の状態であり、課題が多い。
そこで、本発明において固溶状態のB濃度の程度を評価するに際しては、これらの手法よりも定量性は劣るが、より簡便に固溶状態のB濃度の程度を評価する方法として、焼鈍による強度、組織調整後、表面に形成した皮膜中に拡散してきた固溶B濃度を二次イオン質量分析装置を用いて評価する方法をとっている。この方法は、より具体的には、鋼試料を樹脂等に埋め込んで鏡面研磨した後、二次イオン質量分析装置(:SIMS )(CAMECA IMS5F型)を用いて、100×100μmの領域にて線分析幅約10μmにて、鋼試料に垂直に線分析を実施するというものである。このとき、一次イオンとしては、酸素イオンを用い、8kV−1nA以下の条件にて照射し、二次イオンを検出する。この方法の有効性について、以下説明する。
B濃化度を評価する際のSIMS線分析図を図2に示す。この図2に示すように、Bイオン濃度は表面部(図2のL1部)に濃化しており、鋼中(図2のL2部)ではほぼ一定のBイオン濃度を示している。鋼中(図2のL2部)の平均Bイオン強度を鋼材中のB濃度に比する値とし、鋼材表面付近や鋼材に形成する皮膜に該当する B曲線のピーク(図2のL1部)の最大B強度を鋼材表面のB濃度に比する値とし、この二つの値の比を計算して求めた。このようなSIMS線分析、鋼材中のB濃度と鋼材表面のB濃度の比の測定を3回実施し、これらの比の平均値を求めた。その結果、B、Liの中、Bのみを含有させる場合、鋼表面のBイオン強度が鋼中のBイオン強度の10倍以上であると、鋼中での固溶状態のBの量が充分な欠陥安定化効果を発現するに必要な量となり、確実に、充分な欠陥安定化効果を発現し得ることがわかった。鋼表面のBイオン強度が鋼中のBイオン強度の10倍未満の場合、鋼中のB濃度が高くても、鋼中での固溶状態のBの量が充分な欠陥安定化効果を発現するに必要な量を満たさず、欠陥安定化効果が低い。
従って、鋼材表面のB濃度を測定すれば、このB濃度と鋼材中のB濃度(B添加量や鋼中B量の分析により求められる)との比から、固溶状態のB濃度の程度を評価することができる。即ち、この比から鋼中での固溶状態のBの量が充分な欠陥安定化効果を発現するに必要な量となっているかどうかがわかる。例えば、この比が10以上であれば、鋼中での固溶状態のBの量が充分な欠陥安定化効果を発現するに必要な量となっていることがわかる。つまり、このような方法は、固溶状態のB濃度の程度を評価するに際し、有効である。
上記鋼材表面のB濃度は、二次イオン質量分析装置を用いて測定することができ、この測定は前述のATE法、イオンビーム分析法、アトムプローブ電界イオン顕微鏡法の場合に比較して簡便に行うことができる利点がある。
本発明に係る高強度鋼において、Al:0.05〜0.5質量%を含有することが望ましい〔第4発明〕。この詳細を以下説明する。Alは、特にNと微細析出物を形成し、鋼中の水素をトラップして、耐遅れ破壊性を向上させる効果を有する。また、このNと微細析出物を形成することにより、オーステナイト粒の粗大化を防止するのみならず、Bの固溶を促進するため、積極的な添加が望ましい。更には、Bと同様に、水素還元反応を抑制し、水素の発生、侵入を抑制する。かかる点から、0.05%以上含有することが望ましい。ただし、過剰に添加すると粗大介在物を形成するため、0.5%以下とすることが望ましい。従って、Al:0.05〜0.5%を含有することが望ましい。なお、粗大介在物形成の抑制の点から、より好ましい上限値は0.3%である。
本発明に係る高強度鋼において、Ti,Zr,Hf,Nbの1種以上を合計で0.03〜0.5質量%含有することが望ましい〔第5発明〕。この詳細を以下説明する。Ti,Zr,Hf,Nbは、いずれも微細析出物を形成し、鋼中の水素を強くトラップして、耐遅れ破壊性を向上させる効果を有する。即ち、環境変化等による水素の放出を抑制して耐遅れ破壊性を向上させる効果がある。また、Nbについては、作用は未解明であるが、Bの固溶を安定化させる効果もある。かかる点から、Ti,Zr,Hf,Nbの1種以上を合計で0.03%以上含有することが好ましい。ただし、これらが過剰になると、鋼の靭性が低下するため、0.5%以下とすることが望ましい。従って、Ti,Zr,Hf,Nbの1種以上を合計で0.03〜0.5%含有することが望ましい。
本発明に係る高強度鋼において、Niおよび/またはCuが含まれていてもよい。NiとCuは耐食性向上に寄与する。しかし、Ni:2.0%超の場合も、Cu:1.0%超の場合も、耐食性向上効果が飽和し、コストアップにつながるだけなので、Ni:2.0%以下、Cu:1.0%以下に抑えることが望ましい。従って、Niおよび/またはCuを含有させる場合は、Ni:2.0%以下および/またはCu:1.0%以下とすることが望ましい〔第6発明〕。なお、上記効果とコストに関する点から、Ni量については更に1.5%以下とすることが望ましく、更には1.0%以下とすることが望ましい。同様の点から、Cu量については更に0.8%以下とすることが望ましく、更には0.6%以下とすることが望ましい。
Pは粒界偏析を起こして耐遅れ破壊特性を劣化させる元素である。これを抑制するために、P量は0.03%以下とすることが望ましく、更に0.01%以下とすることが望ましく、更には0.005%以下に抑えることが望ましい。
本発明に係る高強度鋼は、残部がFe(鉄)および不可避的不純物(原料、資材、製造設備等の状況によって持ち込まれる不可避的不純物)からなるものである。
耐遅れ破壊性の評価方法としては特に限定されず、種々の方法を用いることができ、例えば、定歪み試験、定荷重試験、低歪み速度試験等を採用することができる。これらの試験に際し、水素を鋼に侵入させるには、酸浸漬法、陰極チャージ法、CCT試験機を用いる方法等、いずれでも構わない。なお、低歪み速度試験を行う場合は、2μm/min以下のクロスヘッドスピードで試験を行い、水素を侵入させた試料と水素を侵入させていない試料とを、破断応力や歪み量で比較するのが望ましい。
欠陥安定化効果の評価方法も特に限定されないが、欠陥を直接定量的に評価することは困難である。そこで、水素を侵入させた試験片を用いて遅れ破壊試験をした場合の耐遅れ破壊性(A)と、水素を侵入させた試験片に応力サイクル変動を付与した後に遅れ破壊試験を行った場合の耐遅れ破壊性(B)とを調べ、前者の耐遅れ破壊性(A)を基準とし、後者の耐遅れ破壊性(B)の低下の程度〔例えば、(B−A)/A〕を求める。そうすると、間接的ではあるが、欠陥安定化効果の評価が可能である。
本発明に係る高強度鋼は、前述のように、引張強度:1200N/mm2 以上であり、且つ、耐遅れ破壊性に優れた高強度鋼であるので、この高強度鋼よりなる高強度ボルトは耐遅れ破壊性に優れて耐久性に優れている〔第7発明〕。
本発明の実施例および比較例について、以下説明する。なお、本発明はこの実施例に限定されるものではなく、本発明の趣旨に適合し得る範囲で適当に変更を加えて実施することも可能であり、それらはいずれも本発明の技術的範囲に含まれる。また、Bを固溶させる熱処理条件は鋼材の形状やサイズにより異なるため、趣旨に適合し得る範囲で適宜変更を加えて実施することも可能である。
表1に示す化学成分(質量%)および0.05%Siを含有し、残部がFeおよび不可避不純物からなる鋼を、150kg真空溶解炉で溶製し、150kgのインゴットに鋳造して冷却した。次に、このインゴットを25mmφに鍛造し、1200℃、30分の溶体化処理と、焼きならし処理を施した後、800〜1200℃の温度にて焼入れを行って炭窒化物を十分に固溶させ、450〜700℃の温度範囲の内、引張強度が1400〜1500N/mm2 になる範囲でなるべく高温の温度にて焼き戻し処理を行った。なお、表1に示した鋼のC量は0.3%以上のみであるが、Cが0.3%より少ない鋼では引張強度が上記工程では1200N/mm2 以上にならなかったため、その後の試験を実施していない。
このようにして得られた鋼(上記焼き戻し処理後の鋼)を供試鋼とし、この鋼から、図1に示す形状の遅れ破壊試験片を作製した。この遅れ破壊試験片を用い、下記のようにして耐遅れ破壊試験を行った。
上記遅れ破壊試験片をアセトンで超音波脱脂した後、SSRT試験装置にセットし、30℃、大気中で、クロスヘッドスピード2×10-3mm/min で、SSRT試験を行い、大気中での試験片の伸びE0 を測定した。
一方、上記遅れ破壊試験片をアセトンで超音波脱脂した後、0.5 mol/リットル(以下、L という) H2SO4 +0.01mol/L KSCNの液中で、1A/dm2で60分、陰極チャージを行った。その後、水素逃散防止の目的で亜鉛めっきを施した。この亜鉛めっきは、硫酸亜鉛7水和物、硫酸ナトリウム、硫酸に錯化剤を添加した浴にて、50A/dm2の電流を3分流すことによって得た。
この亜鉛めっきの後、200 時間常温にて保管して鋼中水素濃度を平衡化した後、クロスヘッド速度2×10-3mm/min で、SSRT試験を行い、試験片の伸びE1 (陰極チャージ後の伸び)を測定した。
また、上記と同様に鋼中水素濃度を平衡化した後、引張強さの50%(700〜750MPa)を下限とし、引張強さの75%(1050〜1125MPa)を上限とした範囲にて応力負荷、除荷をクロスヘッド速度 200×10-3mm/min で繰り返す応力サイクル変動を20サイクル行い、しかる後、引張強さの50%よりクロスヘッド速度2×10-3mm/minでSSRT試験を行い、試験片の伸びE2 (陰極チャージ→応力サイクル変動後の伸び)を測定した。
上記の測定値(E0 、E1 、E2 )に基づき、遅れ破壊評価指標として、DF1 (%)=100 ×(1−E1 /E0 )により得られる遅れ破壊感受性(応力サイクル変動なし)、DF2 (%)=100 ×(1−E2 /E0 )により得られる遅れ破壊感受性(応力サイクル変動あり)を算出した。なお、上記応力サイクル変動では、水素無しの状態(超音波脱脂後、陰極チャージ前の遅れ破壊試験片)では引張強さ、歪み量に差異が見られないことを確認しており、疲労や組織変化による低下は無視できることを確認した。
この結果の評価としては、DF1 が70%を超えるものは耐遅れ破壊性(応力サイクル変動なし)(以下、耐遅れ破壊性(1) ともいう)に劣っており、DF1 が70%以下(但し60%超)のものは耐遅れ破壊性(1) が良好であり、DF1 が60%以下のものは耐遅れ破壊性(1) が極めて良好であると評価することができる。更に、DF2 とDF1 の差異が大きいほど、応力変動下での遅れ破壊助長が大きいと判断することができ、DF2 が70%を超えるものは応力変動があるような環境で用いられる場合の耐遅れ破壊性(以下、耐遅れ破壊性(2) ともいう)に劣っており、DF2 が70%以下(但し60%超)のものは応力変動があるような環境で用いられる場合でも耐遅れ破壊性が良好であり(耐遅れ破壊性(2) が良好であり)、DF2 が60%以下のものは耐遅れ破壊性(2) が極めて良好であると評価することができる。
上記試験の結果〔DF1 (%)、DF2 (%)〕を表2に示す。表2および表1からわかるように、No.1の場合は、V,Mo量が少なく、V+Moの量(V及びMoの合計含有量)が0.05〜1.5%を満たしておらず、水素拡散抑制効果に劣るため、DF1 が高く、80%超であって、耐遅れ破壊性(1) に劣っている。
No.2の場合は、V、Mo量が多く(V+Moの量:1.5%超)、No.1の場合よりはDF1 が低いが、V+Moの量が0.05〜1.5%を満たしておらず、DF2 が著しく高くなっている。これは、応力変動による水素放出量が著しく多くなったためであると考えられる。
No.3の場合は、前述の式(4)を満たしていない例であり、DF2 が最も大きくなり、89%であり、80%超であって耐遅れ破壊性(2) に劣っている。No.4、No.5の場合は、それぞれ前述の式(1)、式(2)を満足していない例であり、No.1〜3の場合よりはDF1 が低いが、本発明の実施例(No.10〜17)の場合と比較するとDF2 が高い。
No.6の場合は、N量が多く、N:0.01%以下を満たしていない。DF1 は低いが、DF2 が著しく高くなっている。これは、欠陥安定化元素のB、Liの中、Bのみを含有しており、このBの鋼中での固溶量が充分な欠陥安定化効果を発現するに必要な量を満たしていないためであると考えられる。即ち、B、Liの中、Bのみを含有しているので、このBの鋼中での固溶量が充分な欠陥安定化効果を発現するに必要な量を満たしていればDF2 は低くなるが、N量が多く、0.01%超であるため、BNを形成してBの固溶が阻害され、鋼中での固溶状態のBの量が少なくなり、充分な欠陥安定化効果を発現するに必要な量を満たせなくなったためと考えられる。
No.7の場合は、C量が多く、C:0.3〜0.5%を満たしておらず、DF1 が高く、本発明の実施例(No.10〜17)の場合よりも高い。
No.8の場合は、O量が多く、O:0.0005〜0.005%を満たしておらず、DF1 およびDF2 はNo.1〜7の場合と比較すると低いが、十分な耐遅れ破壊性とはいえない。No.9の場合は、S量が多く、S:0.001〜0.025%を満たしておらず、DF1 およびDF2 はNo.1〜7の場合と比較すると低いが、DF2 が70%以下ではなく、耐遅れ破壊性(2) が良好という水準には到達していないので、十分な耐遅れ破壊性とはいえない。
これらに対し、No.10〜17(本発明の実施例)の場合は、DF1 、DF2 ともに低く、耐遅れ破壊性(1) および(2) に優れている。特に、Al量、Ti系元素(Ti,Zr,Hf,Nb)量を、第4発明、第5発明でのAl量、Ti系元素量を満たすようにしたものは、DF1 とDF2 の差異が小さくなっている(No.13〜17)。
No.15〜No.17の場合は、Al量、Ti系元素を第4発明、第5発明に係るAl量、Ti系元素量を満たすようにすると共に、Ni量および/またはCu量を第6発明に係るNi量、Cu量を満たすようにしたものである。これらは、No.10〜17の中でも特に、DF1 及びDF2 が低く、耐遅れ破壊性(1) および(2) に優れている。