JP4253169B2 - 耐摩耗性に優れた硬質皮膜とその製造方法、および切削工具並びに硬質皮膜形成用ターゲット - Google Patents
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Description
【発明の属する技術分野】
本発明は、切削工具等の耐摩耗性を飛躍的に向上させることのできる硬質皮膜とその製造方法、並びに該硬質皮膜の製造に用いられるターゲット、更には該硬質皮膜を形成した切削工具に関するものである。尚、本発明の硬質皮膜は、超硬合金、サーメットまたは高速度工具鋼等を基材とする、エンドミル、ドリル、チップまたはホブ等の歯切り工具や、打ち抜きパンチ、スリッターカッター、押し出しダイス、鍛造ダイス等を含む塑性加工用治具等に適用できるが、以下では、代表的な用途例として切削工具に用いる場合を主体にして説明する。
【0002】
【従来の技術】
従来より、超硬合金、サーメットまたは高速度工具鋼を基材とする切削工具の耐摩耗性を向上させることを目的に、TiNやTiCN、TiAlN等の硬質皮膜をコーティングすることが行われている。
【0003】
特に、TiとAlの複合窒化皮膜は、優れた耐摩耗性を示すことから、前記チタン単独の窒化物や炭化物、炭窒化物等からなる皮膜に代わって高速切削用や焼き入れ鋼等の高硬度材切削用の切削工具に適用されつつある。
【0004】
前記TiAlN皮膜は、Alを添加することによって膜の硬度が上昇し、耐摩耗特性が向上することが知られており、下記組成のTiとAlの複合炭窒化皮膜(以下、TiAlCN膜と示すことがある)が提案されている(例えば、特許文献1参照。)。
(Ti1-x,Alx)(C1-yNy)
0.56≦x≦0.75、
0.6≦y≦1
【0005】
岩塩型(立方晶)構造のAlNは高温高圧相であるため、高硬度を有していると予想される。しかしながら岩塩型(立方晶)構造のAlNは、常温常圧や高温低圧では非平衡相であることから、気相コーティングを採用したとしても、通常は、もともと安定相である軟質な六方晶ウルツ鉱型のAlNしか生成せず、岩塩型(立方晶)構造のAlNを得ることができない。しかし、TiNは岩塩型(立方晶)構造であり、かつ岩塩型(立方晶)構造のAlNと格子定数が近似しているため、TiとAlを金属成分とする窒化物を成膜すれば、常温常圧や高温低圧条件下でも、岩塩型(立方晶)構造のTiNのTiのサイトにAlが置換して入り、岩塩型(立方晶)構造のAlNを形成するので、皮膜の高硬度化が可能となる。
【0006】
また、岩塩型(立方晶)構造のAlNとTiNの格子定数の違い(AlNの格子定数:4.12Å、TiNの格子定数:4.24Å)による格子の歪みを利用することによっても、皮膜の高硬度化を図ることができる。更に、TiNよりも耐酸化性に優れたAlNを形成することで、高温での切削にも耐え得る優れた耐酸化性を実現できる。
【0007】
しかしながら、TiAlN中のAlN含有率が高くなると、TiNとAlNとの格子長さの違いに起因して、皮膜の結晶構造が岩塩構造から軟質な六方晶へ転移しやすくなるので、Al含有率を増加させて硬度を高めるにしても限界があり、硬度と耐酸化性を共に高めて、耐摩耗性を更に向上させることは難しい。
【0008】
近年では、切削工具の使用条件としてより高速化・高能率化が要求されていることから、更に優れた耐摩耗性を発揮する硬質皮膜を得るべく、下記の様にTiとAlに加えて第3元素を添加した皮膜が提案されている。
【0009】
その様な皮膜として、第3元素がNbである皮膜であって、成分組成が、
(TixNbyAlz)(C1-aNa)であり、
0<x<0.6、
0.05≦y≦0.75、
0.1≦z≦0.65、
0.6≦a≦1、
x+y+z=1
を満たすものが提案されている(例えば、特許文献2参照。)。
【0010】
しかしながら、高硬度化を図るべく上記皮膜のAl含有率を高くし、かつ第3元素としてNbを上記範囲内で添加すると、軟質な六方晶が析出しやすくなるため、上記範囲内でNb添加を行うには、Alの添加量を抑制せざるを得ず、結果として十分な高硬度化を図ることができない。
【0011】
また皮膜の結晶配向について下記の通り制御することで、硬質皮膜の高硬度化を図る技術も開示されている。
【0012】
(200)結晶面のピーク高さをh(200)とし、
(111)結晶面のピーク高さをh(111)としたとき、
h(200)/h(111)≧4.0を満たし、
(200)結晶面のピークの半値幅をd(200)とし、
(111)結晶面のピークの半値幅をd(111)としたとき、
1.5≧d(200)/d(111)≧0.8
そしてこの様な要件を満たす具体的な皮膜として、第3元素(M)が4a、5a、6a族元素、Si、Mn、Mg、Bの中の少なくとも1種である下記組成の複合硬質膜が提案されている(例えば、特許文献3参照。)。
(Tia,Alb,M1-a-b)(Cx,Ny,Oz)w
0.8≧a≧0.4、
0.6>b>0.2、
x+y+z=1、
0.5≧x≧0、
1≧y≧0.5、
0.5≧z≧0、
1.05≧w≧0.7
また、Ti、Alおよび元素M(M:Hf、Zrの1種または2種)の複合窒化物、複合炭化物、複合ホウ化物、複合炭窒化物、複合ホウ窒化物、複合炭ホウ化物または複合炭窒ホウ化物よりなり、該Ti、AlおよびMの組成が、下記式(1)で示される組成の硬質皮膜が提案されている(例えば、特許文献4参照。)。しかし、高硬度化を図るにあたっては、Al含有率や第3元素として添加する元素Mの含有率をより厳密にコントロールする必要がある。
【0013】
Ti1-(x+y)MxAly …(1)
[上記式(1)中、0<x≦0.8、0<y≦0.8、x+y<1であり、MはHf、Zrの1種または2種]
【0014】
【特許文献1】
特許第2644710号公報 (第1頁)
【特許文献2】
特開平11−302831号公報 (第1頁)
【特許文献3】
特開平2001−234328号公報 (第2頁)
【特許文献4】
特開平9−104966号公報 (第1頁)
【0015】
【発明が解決しようとする課題】
本発明はこのような事情に鑑みてなされたものであって、その目的は、TiAlNよりも耐摩耗性に優れた硬質皮膜と、この様な硬質皮膜を得るための有用な製造方法、および本発明の硬質皮膜を効率よく得ることのできるターゲット、更には該硬質皮膜を形成した、特にステンレス鋼を被削対象とする切削工具を提供することにある。
【0016】
【課題を解決するための手段】
本発明に係る硬質皮膜とは、
(Ti1-a-b,Ala,Mb)(C1-cNc)からなる硬質皮膜であって、
M:Nb、Ta、HfおよびCrよりなる群から選択される1種以上、
0.5≦a≦0.67
(但し、前記元素MがHfのみの場合は、0.55≦a≦0.67)、
0.015≦b≦0.1
(但し、
前記元素MがNbのみの場合は、0.015≦b<0.05とし、
前記元素MがCrのみの場合は、0.015≦b<0.06とする)、
0.5≦c≦1
(a、b、cは、それぞれAl、M、Nの各原子比を示す。以下同じ)であるところに特徴を有するものである。
【0017】
本発明は、この様な硬質皮膜を製造する方法も規定するものであって、その方法とは、カソード放電型のアークイオンプレーティング法(AIP法)またはアンバランスドマグネトロンスパッタリング法(UBMS法)を用い、
被処理体(基板)バイアス電圧:30〜200V、
被処理体(基板)温度:300〜650℃、
反応ガスの全圧または分圧:AIP法では0.5〜6Pa、
UBMS法では0.05〜2Pa
の条件で成膜するところに特徴を有し、成膜方法として、前記カソード放電型のアークイオンプレーティング法(AIP法)を採用する場合には、ターゲット表面の磁束密度を5mT以上とし、かつ、磁力線がターゲット表面近傍から被処理体(基板)近傍に向かう状態で成膜を行うことが好ましい。
【0018】
また本発明は、硬質皮膜を製造する際に用いる硬質皮膜形成用ターゲットも規定するものであり、該ターゲットは、相対密度が92%以上であり、その組成が、(Ti1-x-y,Alx,My)からなり、
M:Nb、Ta、HfおよびCrよりなる群から選択される1種以上、
0.5≦x≦0.67
(但し、前記元素MがHfのみの場合は、0.55≦x≦0.67)、
0.015≦y≦0.1
(但し、
前記元素MがNbのみの場合は、0.015≦y<0.05とし、
前記元素MがCrのみの場合は、0.015≦y<0.06とする)
(x,yはそれぞれAl、Mの原子比を示す。以下同じ)
であるところに特徴を有している。
【0019】
更に本発明は、上記硬質皮膜が形成された、ステンレス鋼を被削対象とする切削工具も含むものである。
【0020】
【発明の実施の形態】
<硬質皮膜について>
本発明者らは、前述した様な状況の下で、既に実用化されている前記組成のTiAlCN膜を基に、より耐摩耗性に優れた硬質皮膜を得るべく様々な角度から検討を行った。その結果、
▲1▼Al原子比を可能な限り高くしつつ、
▲2▼TiNやAlNとの格子定数の差が大きい窒化物を形成する元素Mとして、Nb、Ta、HfおよびCrよりなる群から選択される1種以上を、皮膜の結晶構造が、岩塩型(立方晶)構造から軟質な六方晶へ転移しない範囲内で添加すれば、格子歪みの誘起により皮膜の更なる高硬度化を図ることができ、かつ、切削中の温度上昇により形成される酸化皮膜の緻密化が進んで、耐酸化性も向上できることを見出し、本発明に想到した。以下、本発明の硬質皮膜を規定した理由について詳述する。
【0021】
まず本発明の硬質皮膜は、Al原子比(a)が0.5〜0.67であることを前提とする。上述の通り、Alの添加は、岩塩型(立方晶)AlNの形成による高硬度化および耐酸化性向上を図るのに重要だからであり、所望の硬度を得るには、Al原子比(a)を0.5以上(後述する元素MがHfのみの場合は、0.55以上)とする必要がある。更なる高硬度化を図るには、Al原子比(a)を0.55以上とするのがより好ましく、更に好ましくは0.6以上である。
【0022】
一方、Al原子比が過剰になると、六方晶が析出しやすく皮膜が軟質化するので、Al原子比(a)の上限は0.67とする。好ましくは0.65以下である。尚、Al含有率が上限近傍の皮膜であって、実質的に岩塩型(立方晶)構造からなる皮膜を形成するには、製造条件等の制御が必要となるが、Al原子比を0.63以下とすれば、該条件等に左右されることなく、岩塩型(立方晶)構造の硬質皮膜を確実に形成することができる。
【0023】
本発明では、Ti、Alに加える第3番目の元素(M)として、岩塩型(立方晶)構造のTiN(格子定数:4.24Å)や、AlN(格子定数:4.12Å)と異なる格子定数を有する窒化物を形成する、Ta(TaNの格子定数:4.33Å)、Nb(NbNの格子定数:4.39Å)、Hf(HfNの格子定数:4.52Å)、Cr(CrNの格子定数:4.14Å)を選定した。
【0024】
表1は、上記元素Mの窒化物とTiNまたはAlNとの格子定数のミスマッチ率:
[(元素Mの窒化物の格子定数)−(TiNまたはAlNの格子定数)]/(TiNまたはAlNの格子定数)を示したものである。
【0025】
【表1】
【0026】
表1より、Ta、Nb、Hfの窒化物は、いずれもTiNやAlNよりも2%以上大きい格子定数を有しており、また、Crの窒化物はTiNよりも2%以上小さい格子定数を有していることがわかる。この様に格子定数の異なる窒化物が形成されて皮膜中に格子歪みが生ずることで、皮膜の高硬度化を達成できるのである。
【0027】
上記効果を達成させるには、元素Mの原子比(b)を0.015以上、より好ましくは0.03以上とする必要がある。
【0028】
しかし、上記元素Mは、上記の通りTiNまたはAlNと、格子定数の大きく異なる窒化物を形成することから、多量に添加すると、かえって六方晶が析出し易くなり、岩塩型(立方晶)構造の硬質皮膜を得ることができない。従って、元素Mの原子比(b)は0.1以下とするのがよい。特に元素MがNbのみの場合は、0.05未満とし、Crのみの場合は0.06未満とするのがよい。また、Alの原子比が0.6以上と高くなると、元素Mにいずれの元素を選択しても六方晶が析出しやすくなるので、この場合は、元素Mを原子比で0.07以下とするのが好ましく、より好ましくは0.05未満とするのがよい。
【0029】
また、上記元素Mの中でも、特にHfが、AlNと格子定数差の大きい窒化物を形成するので、元素MがHfのみであり、かつAl原子比が0.6以上と高い場合には、六方晶がより一層析出しやすくなる。従ってAl原子比が0.6以上の場合には、元素MがNb、TaおよびCrよりなる群から選択される1種以上を添加するのがよい。
【0030】
皮膜中のTi含有率は、上記AlとMの原子比によって決まるが、Ti含有率が多くなると相対的にAl含有率が小さくなり、Al添加による高硬度化を図るのが困難となる。従って、Tiの原子比は0.45以下とすることが望ましく、Alを原子比で0.55以上存在させる場合には、Tiの原子比を0.4以下に抑えるのがより好ましい。一方、Ti含有率が小さすぎると、相対的にAlが過剰となり六方晶が析出しやすくなるので、Tiは原子比で0.25以上とするのが望ましい。
【0031】
C、Nの含有率を規定した理由は次の通りである。即ち、皮膜中にCを添加し、高硬度の炭化物(TiC、TaC、NbC、HfC等)を析出させて皮膜の硬度を高める場合には、Cを存在させることが望ましく、この観点から、Cの原子比(1−d)は、(Ti+元素M)の添加量と同程度とするのがよい。しかしながら、Cを過剰に添加すると、化学的に不安定なAlの炭化物を過度に析出させることになり、耐酸化性が劣化し易くなる。従って、Cの原子比(1−d)は0.5以下、即ち、Nの原子比dを0.5以上とするのがよい。dは、Al量が0.6以上の場合には0.6以上とするのがよく、より好ましくは0.8以上であり、d=1の場合を最も好ましい形態とする。
【0032】
本発明の硬質皮膜には、これらの組成を満たす硬質皮膜が基材上に単層として形成されるものの他、上記規定の組成を満足するものであって、組成の異なる複数の硬質皮膜が2層以上形成されたものも含まれる。更に、従来より使用されているTiNやTiAlN等の硬質皮膜を、用途により適宜積層させてもよい。また、基材と硬質皮膜の高い密着性が要求される場合には、基材と本発明の硬質皮膜の間に、Tiおよび/またはCrの金属層または合金層を中間層として形成させてもよい。
【0033】
尚、前記硬質皮膜は、単層の場合であっても上記複数層の場合であっても、トータルとしての膜厚は、1〜5μm程度とすることが望ましい。薄すぎると良好な耐摩耗性が発揮されず、一方、厚すぎると切削中に皮膜の欠損や剥離が発生するからである。より好ましい膜厚は3〜4μm程度である。
【0034】
<硬質皮膜の製造方法について>
Alの原子比が大きくなると六方晶が析出し易くなるので、実質的に岩塩型(立方晶)構造を主体とする硬質皮膜を形成するには、成膜条件をコントロールする必要がある。本発明では、Alの原子比が大きくても結晶構造が実質的に岩塩型(立方晶)構造である硬質皮膜を形成する方法として、カソード放電型アークイオンプレーティング法(以下、AIP法という)、またはアンバランスドマグネトロンスパッタリング法(以下、UBMS法という)が大変有効であることがわかった。上記方法が有効である理由を以下に述べる。
【0035】
AIP法は、真空中に大電流(数十〜数百アンペア)が流れるアーク放電を生じさせて、金属(合金)ターゲットから金属原子を蒸発させた後、容器内に導入された反応ガス(窒素ガス等)と反応させて、窒化物等の皮膜を被処理体(基板)上に形成させる方法である。AIP法では、この様に大電流のアーク放電を生じさせて金属ターゲットから金属原子を蒸発させるときに、ターゲットの放電面近傍が、局部的に著しく高温(100000K以上)となるため、熱プラズマが形成され、この熱プラズマにより、金属原子と反応ガス(窒素ガス等)が効率よくイオン化されて(最大で全原子の90%がイオン化される)、金属原子と反応ガス(窒素ガス等)の反応が促進されるのである。
【0036】
また、UBMS法は、スパッタリング法の一種であり、ターゲットに印加する磁場のバランスを意図的に崩して被処理体(基板)へのイオン入射を強めた方法であり、ターゲットから蒸発する金属原子のイオン化率は、上記AIP法と比較して数%程度と低いが、ターゲット蒸発面近傍から、基材(試料)近傍に伸びる磁力線にトラップされた電子により、成膜ガス[反応ガス(窒素等)+アシストガス(Ar等)]のイオン化が促進されて、金属原子と反応ガス(窒素ガス等)の反応が進みやすくなり、かつ、基材に対して多くのイオンが入射するので、結果としてこの方法でも良好に成膜を行うことができるのである。
【0037】
本発明では、この様に強いイオン入射を利用した上記AIP法やUBMS法を採用することで、Al原子比が高く、結晶構造が実質的に岩塩型(立方晶)構造の皮膜、即ち、高硬度の皮膜を形成できることを見出した。この様な強いイオン入射は、高Al領域において準安定構造である岩塩型(立方晶)構造の安定化の役目を担っていると考えられる。
【0038】
また上記AIP法やUBMS法のいずれの方法を採用する場合でも、硬質皮膜の結晶構造は、前記イオンの入射エネルギーを決める被処理体(基板)のバイアス電圧に影響を受ける他、被処理体(基板)温度や、反応ガス圧にも影響を受けるので、Al原子比が比較的高く、結晶構造が実質的に岩塩型(立方晶)構造である耐摩耗性に優れた硬質皮膜を形成するには、これらの条件を制御すればよいこともわかった。
【0039】
▲1▼被処理体(基板)バイアス電圧
被処理体(基板)にバイアス電圧を印加することで、被処理体(基板)へのイオン入射が効率よく行われ、Al原子比の高い皮膜であっても、岩塩型(立方晶)構造のAlN形成が促進されると考えられる。この様な効果を発揮させるには、前記バイアス電圧を30V以上とすることが好ましく、より好ましくは50V以上である。
【0040】
一方、前記バイアス電圧が高すぎると、前記イオンのエネルギーが高くなりすぎて、被処理体(基板)温度が必要以上に上昇したり、イオン化した成膜ガス(反応ガスやアシストガス)によって形成された皮膜がエッチングされる、いわゆる逆スパッタリングが生じて、成膜時間が非常に長くなるので、前記バイアス電圧は200V以下に抑えるのがよい。好ましくは150V以下である。
【0041】
尚、バイアスの電位は、接地電位(アース電位)に対してマイナスとなるように印加しており、例えばバイアス電圧50Vとは、アース電位に対して被処理体(基板)のバイアス電位が−50Vであることを示す。
【0042】
▲2▼被処理体(基板)温度
被処理体(基板)温度が高すぎる場合にも、六方晶が形成されやすくなることから、成膜時の被処理体(基板)温度は650℃以下にするのがよい。上述の通り、形成する硬質皮膜のAl原子比が高くなるほど六方晶が析出し易いので、Al原子比が0.6以上の皮膜を形成するには、被処理体(基板)温度を600℃以下とすることが望ましい。より好ましくは550℃以下である。
【0043】
一方、被処理体(基板)温度が低すぎると、形成される硬質皮膜と被処理体(基板)との密着性が低下しやすくなる傾向が認められた。この傾向は被処理体(基板)の種類や用途にもよるが、被処理体(基板)温度が約300℃未満の場合には、被処理体(基板)の種類や用途に関係なく硬質皮膜と被処理体(基板)の密着性低下が確認され、密着性低下が著しい場合には、成膜直後の剥離も確認された。従って成膜は、被処理体(基板)温度を300℃以上に保持して行う必要がある。特に、切削工具のような過酷な使用環境下で優れた密着性を発揮する硬質皮膜を形成するには、被処理体(基板)温度を400℃以上にして成膜することが望ましい。
【0044】
▲3▼反応ガス圧(反応ガスの全圧または分圧)
前記AIP法の場合、反応ガスの分圧または全圧を0.5〜6Paとするのがよい。
【0045】
ここで反応ガスの「分圧または全圧」と表示しているのは、本発明が、前述のように窒素ガスやメタンガスといった皮膜の成分組成に必要な元素を含むガスを反応ガス、それ以外のアルゴンなどの様な希ガス等をアシストガスといい、これらをあわせて成膜ガスとしており、成膜ガスとして、アシストガスを用いず反応ガスのみを用いる場合には、反応ガスの全圧を制御することが有効であり、また、反応ガスおよびアシストガスの両方を用いる場合には、反応ガスの分圧を制御することが有効だからである(以下、単に「反応ガス圧」ということがある)。
【0046】
AIP法で成膜する場合、反応ガス圧が0.5Pa未満の場合には、形成される皮膜を構成する窒素量または炭素量が減少し、ほぼ軟質な金属成分からなるマクロパーティクル(ターゲットの溶融物:MPsまたはドロップレットとも示される)が皮膜上に多量に付着して、皮膜の耐摩耗性が劣化するので好ましくない。また、この様な場合、皮膜の表面粗度が大きくなり、皮膜を切削工具に適用した場合に被削材が工具表面に溶着しやすく、切削性能が低下するので好ましくない。そこで本発明では、反応ガス圧を0.5Pa以上(好ましくは1.5Pa以上)にして成膜することとした。
【0047】
一方、反応ガス圧が高すぎると、ターゲットから蒸発した金属原子が反応ガスと衝突して該金属原子の散乱が著しくなり、成膜速度が低下するため好ましくない。従って本発明では、反応ガス圧を6Pa以下(好ましくは4Pa以下)にして成膜するのがよい。
【0048】
また、前記UBMS法の場合には、反応ガス圧を0.05〜2Paとするのがよい。UBMS法の場合は、反応ガス圧が低くても、上記AIP法のように表面粗度が大きくなることはないが、反応ガス圧が低くなると、皮膜中の窒素が欠乏する傾向が生じ、所望の皮膜を得ることができないため、反応ガス圧を0.05Pa以上(好ましくは0.1Pa以上)にすることとした。
【0049】
一方、反応ガス圧が高すぎると、上記AIP法の場合と同様に成膜速度の低下が生じるので、その上限を2Paとした。好ましくは1Pa以下である。
【0050】
またAIP法は、上記UBMS法と比較して成膜速度が早いので、切削工具用硬質皮膜の形成方法として既に実用化されているが、大電流のアーク放電を発生させてターゲットから金属原子を蒸発させるときに、ターゲットの放電面で金属原子の蒸発とともにその周囲で局部的な溶解が生じ、溶融金属の液滴が放出される。この液滴が被処理体(基板)に到達して、金属凝固物であるマクロパーティクルが皮膜中に含まれると、形成された皮膜は硬度が低く、表面粗度の大きいものとなる。
【0051】
特に、低融点金属であるAlの含有率が高い本発明の硬質皮膜を、従来のアーク式蒸発源を用いて成膜しようとする場合には、上記マクロパーティクルが形成されやすい。しかし、AIP法で成膜を行う場合に、ターゲット表面に磁場を印加し、かつその磁束密度を5mT以上、好ましくは9mT以上とすれば、Alを多く含む本発明の皮膜を形成する場合であっても、マクロパーティクルの形成が抑制されることを見出した。磁場を印加する際の形態としては、図1または図2に例示するようなアーク式蒸発源を採用することができ、また、磁場の印加には、永久磁石や電磁コイル等を用いることができる。
【0052】
また、磁力線がターゲット近傍から被処理体(基板)近傍へ向かうような状態で成膜するのがよいこともわかった。従来のアーク式蒸発源は、図3に示すように、磁場印加用のコイル等がターゲット蒸発面に対し背面位置に設けられているので、磁力線は、ターゲット表面近傍にのみ形成される構造となっていた。この場合、アーク放電中の電子が磁力線にトラップされても、ターゲット近傍にとどまるので、ターゲットから蒸発する金属原子や反応ガス原子と電子との衝突も少なく、イオン化された金属原子や反応ガスの被処理体(基板)への入射も少ない。従って、この様な形態の装置を用いて成膜を行っても、Al含有率が高く、かつ実質的に岩塩型(立方晶)構造である硬質皮膜を形成するのは困難であった。
【0053】
これに対し、前記図1,2に示す形態を採用すれば、磁力線は、被処理体(基板)近傍にまで十分到達することから、アーク放電を構成する電子も被処理体(基板)近傍まで誘導される。この場合、該電子がターゲット近傍から被処理体(基板)近傍まで誘導される過程で、ターゲットから蒸発した金属原子や成膜ガスと衝突を繰り返し、これらのイオン化が促進される。従って、被処理体(基板)に到達するイオン数は、従来の蒸発源と比較して格段に多いものとなり、準安定相である岩塩型(立方晶)構造の形成に有利であると考えられる。
【0054】
<ターゲットについて>
本発明の硬質皮膜を形成する方法として、上述の如くAIP法やUBMS法でターゲットを蒸発・イオン化させて、被処理体(基板)上に成膜する方法が有効であるが、該ターゲットの特性が好ましくない場合には、成膜時に安定した放電状態が保てず、得られる皮膜の成分組成が均一でない等の問題が生じる。そこで、優れた耐摩耗性を発揮する本発明の硬質皮膜を得るにあたり、使用するターゲットの特性についても検討したところ、下記の様な知見が得られた。
【0055】
まず、ターゲットの相対密度を92%以上とすることで、成膜時の放電状態が安定し、効率よく本発明の硬質皮膜が得られることが分かった。特にAIP法の場合、大電流を流してターゲット上でアーク放電を生じさせるので、ターゲットの相対密度が低く、空孔などの欠陥が多く存在する場合には、その部分で異常放電が生じる。この様に成膜時に異常放電が生じると、金属成分の蒸発等が十分に行われず、形成される皮膜の組成が不均一で、特性の好ましくないものとなる。また、欠陥が著しい場合には放電が停止するおそれもある。従って、本発明の硬質皮膜の形成には、相対密度が92%以上のターゲットを使用するのがよく、好ましくは95%以上、より好ましくは99%以上のものを使用する。
【0056】
尚、相対密度が92%以上のターゲットを得るには、ターゲットの合金組成に応じた製造条件を適宜制御するのがよく、例えばHIP(Hot Isostatic Pressing)法でターゲットを製造する場合には、温度や圧力を制御することが推奨される。
【0057】
生産性向上の観点からは、上記Ti、Alおよび元素Mの合金ターゲットを使用することが好ましいが、Ti、Alまたは元素Mの個々の金属ターゲットを、成膜装置内に配置し、AIP法で成膜する場合にはアーク電流を調節し、UBMS法で成膜する場合には投入電力を調節することによって、本発明の硬質皮膜を形成することもできる。
【0058】
AIP法やUBMS法といった気相コーティング法では、使用するターゲットの成分組成が、形成される皮膜の成分組成を決定付けることから、ターゲットの成分組成は、目的とする皮膜の成分組成と同一であることが好ましい。即ち、耐摩耗性に優れた本発明の硬質皮膜を成膜する場合には、ターゲットとして、
(Ti1-x-y,Alx,My)からなるものであって、
M:Nb、Ta、HfおよびCrよりなる群から選択される1種以上、
0.5≦x≦0.67
(但し、前記元素MがHfのみの場合は、0.55≦x≦0.67)、
0.015≦y≦0.1
(但し、
前記元素MがNbのみの場合は、0.015≦y<0.05とし、
前記元素MがCrのみの場合は、0.015≦y<0.06とする)
(x,yはそれぞれAl、Mの原子比を示す。以下同じ)
を満足するものを用いるのがよい。
【0059】
更に本発明者らは、ターゲットの製造に用いる原料あるいはターゲット製造時の雰囲気が原因で、ターゲット中に不可避的に混入する不純物(酸素、水素、塩素、銅およびマグネシウム)の含有量が、成膜時の放電状態等に及ぼす影響についても調べた。
【0060】
その結果、酸素、水素および塩素がターゲット中に多量に含まれていると、成膜時にターゲットからこれらのガスが突発的に発生し、放電状態が不安定となる等して良好に成膜されないことがわかった。特に酸素と塩素は、形成される皮膜中に混入しやすく、皮膜の純度が低下することも分かった。従って、ターゲット中に含まれる酸素は0.3質量%以下、水素は0.05質量%以下、塩素は0.2質量%以下、Cuは0.05質量%以下、Mgは0.03質量%以下に抑えることが推奨される。
【0061】
<切削工具について>
本発明の硬質皮膜は、様々な用途に適用することができるが、例えば、基材が超硬合金製であるエンドミルや、基材がサーメット製であるチップ等の様な、切削工具に適用すれば本発明の硬質皮膜の特性が十分に発揮される。
【0062】
本発明の硬質皮膜を基材に被覆して切削工具として使用する場合、切削対象が、炭素鋼(S45C、S55C等)、構造用合金鋼(SCM、SNCM等)または金型用鋼(SKD11、SKD61等)の場合に、優れた耐摩耗性を発揮するのは勿論のこと、NiやCrの含有量が高いステンレス鋼を切削対象とする場合にも優れた耐摩耗性を発揮する。
【0063】
ステンレス鋼が被削対象である場合、上記炭素鋼等と比較して溶着しやすい上に、切削中に切り粉が加工硬化して切削工具が摩耗しやすくなることから、硬質皮膜には、より高い耐溶着性と耐摩耗性が求められる。本発明の硬質皮膜は、前記元素Mを添加することによって、皮膜の硬度を上昇させたので、ステンレス鋼を切削対象とする場合にも、優れた耐摩耗性が発揮されるのである。また、詳細なメカニズムは明らかでないが、本発明で規定する組成の皮膜を採用すると、切削時の溶着も少なくなることがわかった。
【0064】
【実施例】
以下、実施例を挙げて本発明をより具体的に説明するが、本発明はもとより下記実施例によって制限を受けるものではなく、前・後記の趣旨に適合し得る範囲で適当に変更を加えて実施することも可能であり、それらはいずれも本発明の技術的範囲に含まれる。
【0065】
[実施例1]
まず、硬質皮膜中のTi、Al、元素M、CおよびNの各原子比が、耐摩耗性に与える影響について調べた。
【0066】
硬質皮膜の形成は、組成の異なるTiAl合金ターゲットまたはTiAlM合金ターゲット(M:Ta、Hf、Nb、Cr)を使用し、前記図1に示した構造を有する図4のAIP装置に、反応ガス(窒素、メタン)を導入して行った。
【0067】
詳細には次の様にして成膜を行った。まず図4のAIP装置のカソードに上記合金ターゲット6を取り付け、さらに、支持台3上に被処理体(基板)Wとして超硬合金製チップ、超硬合金製ボールエンドミル(直径10mm、2枚刃)または白金を取り付け、容器1内を真空状態にした。その後、容器1内にあるヒーターで被処理体(基板)Wを400℃に加熱し、3×10-3Pa以下の真空度とした後、Arイオンによる被処理体(基板)Wのクリーニングを、0.66PaのArガス雰囲気中で被処理体(基板)Wに−700Vの電圧を印加して10分間行った。
【0068】
その後、窒素ガスを導入して容器1内の圧力を2.66Pa、アーク電流を150Aにしてアーク放電を開始し、被処理体(基板)Wの表面に膜厚3μm程度の皮膜を形成した。尚、成膜中には、被処理体(基板)Wの電位がアース電位に対してマイナス電位となるよう100Vのバイアス電圧を被処理体(基板)Wに印加した。成膜中の被処理体(基板)Wの温度は500℃とした。
【0069】
そして成膜終了後に、皮膜の成分組成、皮膜の結晶構造、ビッカース硬度、および皮膜の酸化開始温度を調べた。
【0070】
皮膜中の金属成分(Ti、Al、元素M)はEPMAで測定した。なお、皮膜中の不純物元素は、EPMAによる定量分析でO(酸素)が1at%以下、C含有皮膜を形成しないときのCが2at%以下のレベルであった。また、皮膜の結晶構造はX線回折法で同定した。ビッカース硬度は、マイクロビッカース硬度測定器を用い、荷重:0.245N、保持時間:15秒の条件で測定した。皮膜の酸化開始温度は、熱天秤を用い、人工乾燥空気中で、白金上に皮膜を形成した試料を室温から5℃/minの昇温速度で加熱したときに重量変化が生じる温度を測定し、該温度を酸化開始温度とした。
【0071】
また超硬合金製ボールエンドミルに皮膜を形成した試料を用い、下記の条件で切削試験を実施し、皮膜の耐摩耗性を評価した。耐摩耗性の評価は、側面部(境界部)の逃げ面摩耗幅で評価した。これらの結果を表2および表3に示す。
【0072】
[切削試験条件]
被削材:SKD61(HRC50)
切削速度:220m/分(7000rpm)
刃送り:0.06mm/刃(840mm/分)
軸切り込み:5.0mm
径方向切り込み:0.6mm
切削長:50m
その他の条件:ダウンカット、エアブロー
【0073】
【表2】
【0074】
表2は、硬質皮膜中のTi、Al、元素Mの各原子比が耐摩耗性に与える影響について調べた結果であり、表2から次の様に考察することができる。
【0075】
No.7〜9、11〜15、17、19、20の皮膜は、本発明で規定する成分組成を満たしているので、皮膜の硬度および酸化開始温度が高く、耐摩耗性に優れたものとなっている。これに対し、No.1〜6、10、16、18の皮膜は、本発明で規定する要件を満たしていないので、耐摩耗性に劣るものとなった。詳細には、No.1〜3の皮膜は元素Mが添加されておらず、No.4、6の皮膜はAl含有率が小さく、No.5の皮膜はAl含有率が高すぎること、また、No.10の皮膜は元素Mの含有率が小さく、No.16の皮膜は元素Mの含有率が高すぎであり、No.18の皮膜はAl含有率がやや高めであるため、耐摩耗性に劣るものとなった。
【0076】
【表3】
【0077】
また表3は、硬質皮膜中のC、Nの各原子比が耐摩耗性に与える影響について調べた結果であり、表3から次の様に考察することができる。No.4〜7の皮膜は、C、Nの各原子比が本発明の規定範囲内にあるので、皮膜の硬度および酸化開始温度が高く、耐摩耗性に優れていることがわかる。これに対し、No.1〜3の皮膜は、C、Nの各原子比が本発明の要件を満たしていないため、硬度および酸化開始温度が低く、耐摩耗性に劣っていることがわかる。
【0078】
[実施例2]
次に、成膜条件[被処理体(基板)のバイアス電圧、被処理体(基板)温度、反応ガス圧]が、形成される硬質皮膜の耐摩耗性に及ぼす影響を調べた。
【0079】
硬質皮膜の形成は、TiAlM合金ターゲット(M:Ta、Hf、Nb)を用い、前記図1に示す構造を有するAIP装置(図4)に、反応ガス(窒素、メタン)を導入して行った。
【0080】
詳細には次の様にして成膜した。前記図4のAIP装置のカソードに上記合金ターゲット6を取り付け、さらに、支持台3上に被処理体(基板)Wとして超硬合金製チップ、超硬合金製ボールエンドミル(直径10mm、2枚刃)、又は白金を取り付け、容器1内を真空状態にした。その後、容器1内にあるヒーターで被処理体(基板)Wを400℃に加熱し、3×10-3Pa以下の真空度とした後に、Arイオンによる被処理体(基板)Wのクリーニングを、0.66PaのArガス雰囲気中で被処理体(基板)Wに−700Vの電圧を印加して10分間行った。成膜時には、表4に示すように被処理体(基板)のバイアス電圧、被処理体(基板)温度および反応ガス圧を変化させて、被処理体(基板)Wの表面に膜厚3μm程度の皮膜を形成した。
【0081】
そして成膜終了後に、皮膜の成分組成、皮膜の結晶構造、ビッカース硬度、および酸化開始温度を前記実施例1と同様にして調べた。また、皮膜の耐摩耗性を前記実施例1と同様にして評価した。これらの結果を表4に示す。
【0082】
【表4】
【0083】
表4より次のように考察することができる。No.2〜5、8〜11、14〜17は、本発明で規定する条件で成膜したので、耐摩耗性に優れた皮膜を得ることができた。これに対し、No.1、6、7、12、13、18は、本発明の規定を外れる条件で成膜したので、得られた皮膜は耐摩耗性に劣るものとなった。即ち、No.1では被処理体(基板)バイアス電圧が低すぎること、No.6では被処理体(基板)バイアス電圧が高すぎること、No.7では被処理体(基板)温度が低すぎること、またNo.12では被処理体(基板)温度が高すぎること、No.13では反応ガス圧が低すぎること、No.18では反応ガス圧が高すぎることが原因で、形成された皮膜は、実質的に岩塩型(立方晶)構造からなるものでないか、十分な膜厚を確保できない等の不具合が生じ、耐摩耗性に劣るものとなった。
【0084】
[実施例3]
成膜時に形成される磁力線の配置の相違が、得られる硬質皮膜の耐摩耗性に及ぼす影響について調べた。
【0085】
TiAlM合金ターゲット(元素M=Nb)を用い、前記図1(本発明の蒸発源)または図3(従来の蒸発源)の構造を有する図4のAIP装置(ただし図4は、前記図1の構造を有する場合のみ示している)に、反応ガス(窒素)を導入して硬質皮膜を形成した。尚、前記図1に示すアーク式蒸発源のターゲット表面の磁束密度は、約10mTであり、図3に示すアーク式蒸発源のターゲット表面の磁束密度は、約1mTであった。
【0086】
詳細には次の様にして成膜を行った。前記図4のAIP装置のカソードに上記合金ターゲット6を取り付け、さらに、支持台3上に被処理体(基板)Wとして超硬合金製チップ、超硬合金製ボールエンドミル(直径10mm、2枚刃)、又は白金を取り付け、容器1内を真空状態にした。その後、容器1内にあるヒーターで被処理体(基板)Wを400℃に加熱し、3×10-3Pa以下の真空度とした後、Arイオンによる被処理体(基板)Wのクリーニングを、0.66PaのArガス雰囲気中で、被処理体(基板)Wに−700Vの電圧を印加して10分間行った。
【0087】
成膜は、被処理体(基板)バイアス電圧を100V、被処理体(基板)温度を500℃、成膜時の窒素圧力を2.66Paにして行い、被処理体(基板)Wの表面に膜厚3μm程度の皮膜を形成した。
【0088】
そして成膜終了後に、皮膜の成分組成、皮膜の結晶構造、ビッカース硬度、および酸化開始温度を前記実施例1と同様にして調べた。また、皮膜の表面粗度を調べた。更に、皮膜の耐摩耗性を前記実施例1と同様の方法で評価した。これらの結果を表5に示す。
【0089】
【表5】
【0090】
表5から次のように考察することができる。No.1〜4では、前記図1に略示する構造の成膜装置を用い、磁力線がターゲット表面近傍から被処理体(基板)近傍まで及ぶ状態で成膜を行ったので、結晶構造が実質的に岩塩型(立方晶)構造であり、表面粗度が小さく、耐摩耗性に優れた硬質皮膜を得ることができた。尚、No.5は、本発明で規定する磁力線の配置を構成する装置を用いて成膜したが、皮膜の成分組成が本発明範囲を外れるため、得られた皮膜は耐摩耗性に劣るものとなった。
【0091】
またNo.6〜10は、磁力線がターゲット表面近傍にとどまり、被処理体(基板)近傍まで及ばない従来の装置を用いて成膜した(No.10は、形成した皮膜の金属成分組成も本発明範囲を外れている)ので、得られた皮膜は六方晶が析出しているか表面粗度が大きく、耐摩耗性に劣るものとなった。
【0092】
[実施例4]
金属成分組成の異なる硬質皮膜を各々形成した試料を用い、ステンレス鋼を被削対象とする切削試験を行った。
【0093】
硬質皮膜の形成は、各々組成の異なるTiAl合金ターゲットまたはTiAlM合金ターゲット(M:Ta、Hf、Nb、Cr)を使用し、前記図1に示す構造を有するAIP装置(図4)に反応ガス(窒素)を導入して行った。
【0094】
詳細には次の様にして成膜を行った。前記図4のAIP装置のカソードに上記合金ターゲット6を取り付け、さらに、支持台3上に被処理体(基板)Wとして切削試験用の超硬合金製(型式CNMG432)チップを設置して容器1内を真空状態にした。その後、容器1内にあるヒーターで被処理体(基板)Wを400℃に加熱し、3×10-3Pa以下の真空度とした後、Arイオンによる被処理体(基板)Wのクリーニングを、0.66PaのArガス雰囲気中で被処理体(基板)Wに−700Vの電圧を印加して10分間行った。
【0095】
その後、窒素ガスを導入して容器1内の圧力を2.66Paとし、アーク電流を150Aとして、アーク放電を開始し、被処理体(基板)Wの表面に膜厚3μm程度の皮膜を形成した。なお、成膜中にアース電位に対して被処理体(基板)Wがマイナス電位となるよう100Vのバイアス電圧を被処理体(基板)Wに印加した。成膜中の被処理体(基板)温度は500℃とした。
【0096】
この様にして得られた硬質皮膜の成分組成、皮膜の結晶構造、ビッカース硬度、および酸化開始温度を前記実施例1と同様にして調べた。また、硬質皮膜を形成したチップを用い、下記の条件で、ステンレス鋼を切削する試験を行った。これらの結果を表6に示す。
【0097】
[切削試験条件]
切削形態:旋削試験
被削材:SUS316L
切削速度:270m/分
送り:0.1mm/回転
深さ切り込み:1.5mm
切削長:切削不能になるまで
その他の条件:エマルジョン湿式切削
【0098】
【表6】
【0099】
表6より次のように考察することができる。No.7〜9、11〜15、17、19、20は、本発明の硬質皮膜を形成した試料で試験を行ったので、切削時間が20分以上と長く、耐摩耗性に優れていることがわかる。
【0100】
これに対し、No.1〜6、10、16、18は、被覆した皮膜が本発明の規定を満たしていないため、耐摩耗性に劣る結果となった。詳細には、No.1〜3の皮膜は元素Mが添加されていないこと、No.4、6の皮膜はAl含有率が小さいこと、No.5の皮膜はAl含有率が高すぎること、また、No.10の皮膜は元素Mの含有率が小さいこと、No.16の皮膜は元素Mの含有率が高すぎること、No.18の皮膜はAl含有率が高すぎることが原因で、切削試験における切削時間は20分未満と短く、耐摩耗性に劣る結果となった。
【0101】
[実施例5]
硬質皮膜形成用ターゲットの相対密度が、放電状態および得られる硬質皮膜の特性に及ぼす影響を調べた。
【0102】
各々組成の異なるTiAlMターゲット(M:Ta、Nb、Cr)を作製するに当たり、それぞれ100メッシュ以下のTi粉末、Al粉末、および元素Mの粉末を所定量混合し、条件を種々変化させてHIP処理または常圧焼結処理を行い、表7に示す各成分組成のターゲットを作製した。
【0103】
得られたターゲットの成分組成はICP−MSで測定した。また、直径100mmの円盤状に形成したターゲットを、前記図1に示す構造を有するAIP装置(図4)に取り付けて成膜を行い、成膜時の放電状態を調べた。得られた皮膜の表面粗度を調べ、また、皮膜のビッカース硬度を前記実施例1と同様にして調べた。尚、ターゲットの相対密度は、アルキメデス法を用いTi、Al、元素Mの混合物の理論密度から算出した。これらの結果を表7に示す。
【0104】
【表7】
【0105】
表7より次の様に考察することができる。No.3〜8は、本発明の要件を満たす相対密度の高いターゲットであるので、放電状態は中断等が生じず良好であり、得られる硬質皮膜も表面粗度が小さく、かつ高硬度のものが得られた。
【0106】
これに対し、No.1、2のターゲットは、本発明の規定を外れる相対密度の小さいものなので、成膜時の放電状態が悪く、得られた硬質皮膜は、表面粗度が高くかつ硬度の小さいものとなった。
【0107】
【発明の効果】
本発明は以上の様に構成されており、本発明で規定する元素Mを添加し、かつAl量と該元素Mを本発明の如く制御することによって、従来の硬質皮膜よりも耐摩耗性に優れた硬質皮膜を得ることができた。こうした硬質皮膜の実現によって、高温下で使用される熱間加工用金型等の長寿命化を図ることができる他、特にステンレス鋼の切削に有用なチップ、ドリル、エンドミルなどの切削工具を供給できることとなった。
【図面の簡単な説明】
【図1】本発明の実施に供するアーク式蒸発源の要部を示した断面概略図である。
【図2】本発明の実施に供する別のアーク式蒸発源の要部を示した断面概略図である。
【図3】従来のアーク式蒸発源の要部を示した断面概略図である。
【図4】本発明の実施に使用するアークイオンプレーティング(AIP)装置の一例を示した概略図である。
【符号の説明】
1 真空容器
2 アーク式蒸発源
3 支持台
4 バイアス電源
6 ターゲット
7 アーク電源
8 磁石(磁界形成手段)
11 排気口
12 ガス供給口
13 磁力線
W 被処理体(基板)
S ターゲットの蒸発面
Claims (8)
- (Ti1−a−b,Ala,Mb)(C1−cNc)からなる硬質皮膜であって、
M:NbまたはCr、
0.55≦a≦0.67
前記元素MがNbの場合は、0.015≦b<0.05、
前記元素MがCrの場合は、0.015≦b<0.06、
1−a−b≦0.4
0.5≦c≦1
(a、b、cは、それぞれAl、M、Nの各原子比を示す。以下同じ)であることを特徴とする硬質皮膜。 - 前記硬質皮膜の結晶構造が、岩塩型(立方晶)構造である請求項1に記載の硬質皮膜。
- Al原子比が0.6以上である請求項1または2に記載の硬質皮膜。
- 請求項1〜3のいずれかに記載の硬質皮膜を製造する方法であって、カソード放電型のアークイオンプレーティング法(AIP法)またはアンバランスドマグネトロンスパッタリング法(UBMS法)を用い、
被処理体(基板)のバイアス電圧:30〜200V、
被処理体(基板)温度:300〜650℃、
反応ガスの全圧または分圧:AIP法では0.5〜6Pa、
UBMS法では0.05〜2Pa
の条件で成膜することを特徴とする硬質皮膜の製造方法。 - 前記カソード放電型のアークイオンプレーティング法(AIP法)において、ターゲット表面の磁束密度を5mT(ミリテスラ)以上とし、かつ、磁力線がターゲット表面近傍から被処理体(基板)近傍に向かう状態で成膜を行う請求項4に記載の製造方法。
- 請求項1〜3のいずれかに記載の硬質皮膜が形成されていることを特徴とする被削対象がステンレス鋼の切削工具。
- 請求項1〜3のいずれかに記載の硬質皮膜を製造する際に用いるターゲットであって、
相対密度が92%以上であり、その組成が、
(Ti1−x−y,Alx,My)からなり、
M:NbまたはCr、
0.55≦x≦0.67
前記元素MがNbの場合は、0.015≦y<0.05、
前記元素MがCrの場合は、0.015≦y<0.06、
1−x−y≦0.4
(x,yはそれぞれAl、Mの原子比を示す。以下同じ)
であることを特徴とする硬質皮膜形成用ターゲット。 - Al原子比が0.6以上である請求項7に記載のターゲット。
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