以下、本発明の実施の一形態が図面に基づき説明される。
本実施形態の原子間の結合解離ポテンシャルの計算方法(以下、単に「計算方法」ということがある)は、コンピュータを用いて、分子を構成する原子間の結合及び解離を表現するポテンシャルを求めるためのものである。
図1は、本実施形態の計算方法を実行するコンピュータの一例を示す斜視図である。コンピュータ1は、本体1a、キーボード1b、マウス1c及びディスプレイ装置1dを含んで構成されている。この本体1aには、例えば、演算処理装置(CPU)、ROM、作業用メモリ、磁気ディスクなどの記憶装置、及び、ディスクドライブ装置1a1、1a2が設けられている。また、記憶装置には、本実施形態の計算方法、及び、後述のシミュレーション方法を実行するための処理手順(プログラム)が予め記憶されている。
本実施形態の計算方法では、メタンチオール(CH3SH)の炭素原子と硫黄原子との間の結合解離ポテンシャルが計算される態様が例示される。なお、メタンチオールに限定されるわけではなく、様々な分子を構成している原子間の結合解離ポテンシャルを計算することができる。図2は、本実施形態の計算方法の処理手順の一例を示すフローチャートである。
本実施形態の計算方法では、先ず、分子モデルが、コンピュータ1に定義される(分子モデル定義工程S1)。図3は、分子モデルの一例を示す概念図である。
分子モデル2は、全原子モデルとして構成されている。分子モデル2は、複数の粒子モデル3を含んでおり、これらの粒子モデル3が互いに結合されている。本実施形態の分子モデル2には、粒子モデル3間を結合するボンドモデル4が含まれている。図4は、分子モデル定義工程S1の処理手順の一例を示すフローチャートである。
本実施形態の分子モデル定義工程S1では、先ず、図3に示されるように、コンピュータ1に、粒子モデル3が設定される(工程S11)。粒子モデル3は、後述する量子力学計算に基づいたシミュレーションにおいて、運動方程式の質点として取り扱われる。即ち、粒子モデル3は、質量、直径、電荷、又は、初期座標などのパラメータが定義される。
本実施形態の粒子モデル3は、分子(本実施形態では、メタンチオール)について、炭素原子をモデル化した炭素粒子モデル3C、水素原子をモデル化した水素粒子モデル3H、及び、硫黄原子をモデル化した硫黄粒子モデル3Sを含んでいる。
次に、本実施形態の分子モデル定義工程S1では、コンピュータ1に、ボンドモデル4が設定される(工程S12)。ボンドモデル4は、粒子モデル3、3間を拘束するものである。本実施形態のボンドモデル4は、炭素粒子モデル3Cと硫黄粒子モデル3Sとの間、炭素粒子モデル3Cと水素粒子モデル3Hとの間、及び、硫黄粒子モデル3Sと水素粒子モデル3Hとの間にそれぞれ設けられている。
次に、本実施形態の分子モデル定義工程S1では、隣り合う粒子モデル3、3間に、相互作用(斥力及び引力を含む)が生じさせるポテンシャルが定義される(工程S13)。図5(a)〜(c)は、ポテンシャルを説明する図である。
図5(a)〜(b)に示されるように、分子モデル2には、各粒子モデル3、3間の結合長さである結合距離(結合長)r、及び、ボンドモデル4を介して連続する3つの粒子モデル3がなす角度である結合角θが定義されている。さらに、図5(c)に示されるように、分子モデル2には、ボンドモデル4を介して連続する4つの粒子モデル3において、隣り合う3つの粒子モデル3が作る一方の平面5Aと他方の平面5Bとのなす角度ある二面角φが定義される。結合距離r、結合角θ及び二面角φは、分子モデル2に作用する外力又は内力によって変化する。
結合距離r、結合角θ及び二面角φは、下記式(1)で定義される結合ポテンシャルUbond(r)、下記式(2)で定義される結合角ポテンシャルUangle(θ)、及び、下記式(3)で定義される結合二面角ポテンシャルUtorsion(φ)によって設定される。
ここで、各定数及び変数は、次のとおりである。
r:結合距離
r0:平衡距離(平衡長)
k1、k2:ばね定数
θ:結合角
θ0:平衡角度
k3:二面角ポテンシャルの強度
N−1:二面角ポテンシャル多項式の次数
φ:二面角
An:二面角定数
なお、結合距離r及び平衡距離r0は、各粒子モデル3の中心3c(図6に示す)間の距離として定義される。
各結合ポテンシャルUbond(r)、結合角ポテンシャルUangle(θ)、及び、結合二面角ポテンシャルUtorsion(φ)の各定数については、適宜設定することができる。なお、これらのポテンシャルは、論文(J. Phys. Chem. 94, 8897(1990))に基づいて、分子鎖Mcの構造に応じて設定されるのが望ましい。
これらのポテンシャルが、隣り合う粒子モデル3、3間に定義されることにより、図3に示した分子モデル2が定義される。分子モデル2は、コンピュータに記憶される。
次に、本実施形態の計算方法では、粒子モデル3、3間に、後述の量子力学計算で使用する理論及び基底関数が定義される(工程S2)。本実施形態で定義される理論としては、例えば、密度汎関数法(汎関数:B3LYP)が定義される。また、基底関数としては、例えば、基底関数(6−31G(d))が定義される。これらの量子力学計算に使用する理論及び基底関数は、Gaussian社製の量子化学計算プログラムGaussian03、又は、Gaussian09を用いることによって定義することができる。これらの理論及び基底関数は、コンピュータ1に記憶される。
次に、本実施形態の計算方法では、量子力学計算で用いられる条件(制約)が定義される(工程S3)。条件は、分子軌道に関するものである。条件の一例としては、電荷、スピン多重度、空間軌道、及び、対称性に関する制限等が含まれる。これらの条件は、量子力学計算に用いられるパラメータであり、コンピュータ1に記憶される。
次に、本実施形態の計算方法では、コンピュータ1が、分子モデル2を用いた量子力学計算によって波動関数を計算する(計算工程S4)。計算工程S4では、上記工程S3で予め定められた条件(制約)に基づいて、量子力学計算が行われる。
量子力学計算では、分子モデル2が、原子核と電子とに基づく相互作用に従うものとして、シミュレーションの単位時間ステップ毎に、粒子モデル3の電子状態が追跡される。従って、量子力学計算は、分子力学計算に比べて計算精度が高い。このような量子力学計算は、上記した量子化学計算プログラムを用いて処理することができる。
図6は、図3の分子モデルの側面図である。図6に示されるように、分子モデル2は、上記理論及び基底関数により、原子核と電子とに基づく相互作用のバランスによって、粒子モデル3、3の平衡距離r0が決定されている。本実施形態の計算工程S4では、例えば、粒子モデル3、3が当接した状態から、粒子モデル3、3間の距離rが平衡距離r0よりも大(例えば、4.5Å)になるまでの間、粒子モデル3、3を単位時間ステップ毎に0.1Åずつ離間させる量子力学計算が実施され、波動関数のエネルギーが計算される。
本実施形態の計算工程S4では、スピン多重度が一重項(singlet)に設定されている。これにより、計算工程S4では、不対電子を有さない波動関数のエネルギーが計算される。波動関数のエネルギーは、コンピュータ1に入力される。
次に、図2に示されるように、本実施形態の計算方法では、コンピュータ1が、波動関数が安定しているか否かを判定する(評価工程S5)。波動関数は、そのエネルギーが低くなるほど安定している。一般に、現在の波動関数のエネルギーをその波動関数で2次変分した固有値に、負の固有値が含まれる場合、よりエネルギーの低い安定した波動関数が存在することを意味している。このような場合、現在の波動関数は、不安定であると判定することができる。このような波動関数の不安定性は、とりわけ単一の電子配置しか考慮しない密度汎関数法において、原子間距離が非常に長い分子を計算する場合に発生しやすい。本実施形態の評価工程S5は、波動関数のエネルギーをその波動関数で2次変分した固有値に、負の固有値が含まれない(即ち、全て正の固有値である)場合に、波動関数が安定していると判定している。これにより、本実施形態の評価工程S5では、安定した波動関数を確実に判定することができる。
評価工程S5において、コンピュータ1が、波動関数が安定していると判定した場合(評価工程S5で、「Y」)、安定した波動関数に基づいて、粒子モデル3、3(図6に示す)間の結合解離ポテンシャルが求められる(工程S6)。他方、コンピュータ1が、波動関数が安定していないと判定した場合(評価工程S5で、「N」)、現在の波動関数のエネルギーが低くなるように、波動関数を再計算する再計算工程S7が実施される。
結合解離ポテンシャルを求める工程S6では、波動関数に基づいて、単位時間ステップの結合解離ポテンシャルが求められている。即ち、結合解離ポテンシャルは、粒子モデル3、3(図6に示す)間の距離rと、波動関数のエネルギーとの関係に基づいて求められる。結合解離ポテンシャルは、コンピュータ1に入力される。
本実施形態の再計算工程S7では、現在の波動関数のエネルギーをその波動関数で2次変分した固有値に、負の固有値が無くなる(即ち、全て正の固有値になる)ように、電子の配置又は軌道の順序の入れ替えが行われる。このような電子の配置及び軌道の順序の入れ替えは、上記した量子化学計算プログラムにおいて、オプション「Stable=Opt」を追加することにより計算することができる。これにより、再計算工程S7では、よりエネルギーの低い波動関数を計算することができる。
次に、図2に示されるように、本実施形態の計算方法では、コンピュータ1が、粒子モデル3、3(図6に示す)が、予め定められた距離(例えば、4.5Å)まで離間したか否かが判断する(工程S8)。工程S8において、粒子モデル3、3が予め定められた距離まで離間したと判断された場合(工程S8で、「Y」)、本実施形態の計算方法の一連の処理が終了する。
他方、工程S8において、粒子モデル3、3(図6に示す)が予め定められた距離まで離間していないと判断された場合(工程S6で、「N」)、単位時間ステップを一つ進展させて(工程S9)、計算工程S4〜工程S8が再度実施される。これにより、粒子モデル3、3が当接した状態から、粒子モデル3、3間の距離rが平衡距離r0よりも大(例えば、4.5Å)になるまでの結合解離ポテンシャルを求めることができる。なお、計算工程S4では、再計算工程S7で緩和された条件を、元の条件に再定義した後に、波動関数が計算される。
図7は、結合解離ポテンシャルPuの一例を示すグラフである。図7のグラフにおいて、結合解離ポテンシャルPuは、図6に示した粒子モデル3、3間の距離rが平衡距離r0(本実施形態では、2.1)よりも小さくなるほど、波動関数のポテンシャルエネルギー(粒子モデル3、3間の斥力)が大きくなる。また、結合解離ポテンシャルPuは、距離rが2.1になるときにポテンシャルエネルギーが最小となり、粒子モデル3、3間に斥力や引力は作用しない。さらに、結合解離ポテンシャルPuは、距離rが平衡距離r0よりも大きくなるほど、波動関数のポテンシャルエネルギー(粒子モデル3、3間の引力)が大きくなる。このように、結合解離ポテンシャルPuは、距離rに応じて、斥力及び引力を定義することができる。
結合解離ポテンシャルPuは、粒子モデル3、3(図6に示す)間の距離rが平衡距離r0よりも大きい領域において、波動関数のエネルギーの増分が小さくなる変曲点8を有している。変曲点8は、変曲点8よりも距離rが大きいと予想される領域、及び、変曲点8よりも距離rが小さいと予想される領域において、結合解離ポテンシャルPuに近似する一対の直線9a、9bの交点で特定することができる。
変曲点8よりも距離rが小さい領域Tbでは、変曲点8よりも粒子モデル3、3(図6に示す)間の距離rが大きい領域Taに比べて、波動関数のエネルギーの増分が大きい。これは、変曲点8よりも小さい領域Tbにおいて、粒子モデル3、3間の結合が強固に維持されることを示している。また、変曲点8よりも距離rが大きい領域Taでは、粒子モデル3、3間で切断、又は、結合次数の減少が生じており、波動関数のエネルギーの増分が小さくなっている。従って、変曲点8は、粒子モデル3、3間の結合と解離との境界と考えることができる。従って、本実施形態の結合解離ポテンシャルPuは、原子間の結合及び解離を精度良く表現することができる。
このように、本実施形態の計算方法は、安定した波動関数のみを用いて、結合解離ポテンシャルPuを求めることができる。しかも、波動関数が安定していない場合には、波動関数が安定するまで再計算される。このため、本実施形態の計算方法は、原子間の結合及び解離を精度良く表現しうる結合解離ポテンシャルPuを確実に求めることができる。
また、本実施形態では、密度汎関数法(DFT)に基づいて量子力学計算が行われているため、他の理論(例えば、MP2、CCSDT、CASSCF及びMRCI等)に比べて、計算時間を短縮することができる。従って、本実施形態の計算方法では、原子間の結合及び解離を精度良く表現しうる結合解離ポテンシャルPuを、短時間で求めることができる。
次に、本実施形態の計算方法で求められた結合解離ポテンシャルを用いて、高分子材料の分子鎖の切断を解析するための高分子材料のシミュレーション方法(以下、単に「シミュレーション方法」ということがある)について説明する。
本実施形態のシミュレーション方法は、コンピュータ1(図1に示す)を用いて、高分子材料の分子鎖の切断を解析するための方法である。分子鎖の切断を計算するには、高分子鎖の原子間の結合及び解離を精度よく表現しうるポテンシャルを定義することが重要である。本実施形態では、上記した計算方法で求められた結合解離ポテンシャルPuが用いられるため、分子鎖の切断を、精度よく解析するのに役立つ。
高分子材料としては、例えば、ゴム、樹脂又はエラストマー等が含まれる。本実施形態の高分子材料は、cis-1,4ポリイソプレン(以下、単に「ポリイソプレン」ということがある。)である。図8は、ポリイソプレンの構造式である。
ポリイソプレンを構成する分子鎖11Aは、メチン基等(例えば、−CH=、>C=)、メチレン基(−CH2−)、及び、メチル基(−CH3)によって構成されるイソプレンのモノマー(イソプレン分子)12が、重合度nで連結されて構成されている。なお、高分子材料11には、ポリイソプレン以外の高分子材料が用いられてもよい。
図9は、本実施形態のシミュレーション方法の処理手順の一例を示すフローチャートである。本実施形態のシミュレーション方法では、先ず、図8に示した分子鎖11Aに基づいて、分子鎖モデルがコンピュータ1に定義される(分子鎖モデル設定工程S21)。図10は、分子鎖モデル13の一例を示す概念図である。
分子鎖モデル13は、全原子モデルとして構成されている。本実施形態の分子鎖モデル13は、一つの硫黄原子が架橋されたポリイソプレンとして設定されている。分子鎖モデル13は、複数の粒子モデル3と、粒子モデル3、3間を結合するボンドモデル4とを含んで構成されている。
粒子モデル3及びボンドモデル4は、図8に示した分子鎖11Aのモノマー12をなす単位構造に基づいて連結される。これにより、モノマーモデル14が設定される。このモノマーモデル14は、分子量(重合度)Mnに基づいて連結される。これにより、分子鎖モデル13が設定される。図11は、分子鎖モデル設定工程S21の処理手順の一例を示すフローチャートである。
本実施形態の分子鎖モデル設定工程S21では、先ず、図10に示されるように、粒子モデル3が設定される(工程S211)。粒子モデル3は、後述する分子動力学計算、分子力学計算、及び、量子力学計算に基づいたシミュレーションにおいて、運動方程式の質点として取り扱われる。即ち、粒子モデル3は、質量、直径、電荷、又は、初期座標などのパラメータが定義される。
本実施形態の粒子モデル3は、炭素粒子モデル3C、水素粒子モデル3H及び硫黄粒子モデル3Sを含んでいる。これらの粒子モデル3は、コンピュータ1に記憶される。
次に、分子鎖モデル設定工程S21では、ボンドモデル4が設定される(工程S212)。ボンドモデル4は、粒子モデル3、3間を拘束するものである。本実施形態のボンドモデル4は、主鎖4aと側鎖4bとを含んでいる。主鎖4aは、炭素粒子モデル3C、3Cを連結するものである。側鎖4bは、炭素粒子モデル3Cと水素粒子モデル3Hとの間、及び、炭素粒子モデル3Cと硫黄粒子モデル3Sとの間を連結するものである。これらのボンドモデル4は、コンピュータ1に記憶される。
次に、分子鎖モデル設定工程S21では、ボンドモデル4を介して隣り合う粒子モデル3、3間には、相互作用(斥力及び引力を含む)が生じさせるポテンシャルが定義される(ポテンシャル定義工程S213)。図10に示されるように、ポテンシャルには、ボンドモデル4を介して隣り合う粒子モデル3、3間に定義される第1ポテンシャルP1と、ボンドモデル4を介さずに隣り合う粒子モデル3、3間に定義される第2ポテンシャルP2とが定義される。第1ポテンシャルP1は、図3及び図5に示した分子モデル2と同様に、上記式(1)〜(3)に基づいて設定される。
第2ポテンシャルP2は、下記式(4)で定義される LJポテンシャルULJ(rij)である。
ここで、各定数及び変数は、Lennard-Jones ポテンシャルのパラメータであり、次のとおりである。
rij:粒子モデル間の距離
ε:粒子モデル間に定義されるLJポテンシャルの強度
σ:粒子モデルの直径に相当
なお、距離rijは、各粒子モデル3、3の中心(図示省略)間の距離として定義される。
第2ポテンシャルP2は、粒子モデル3、3間の距離rijがrcよりも小さくなるほど、粒子モデル3、3間に作用する斥力が大きくなる。また、第2ポテンシャルP2は、粒子モデル間の距離rijがrcになるときに最小となり、粒子モデル3、3間に斥力や引力は働かない。さらに、第2ポテンシャルP2は、粒子モデル間の距離rijがrcよりも大になると、粒子モデル3、3間に作用する引力が働く。このように、第2ポテンシャルP2は、粒子モデル間の距離rijに応じて、斥力及び引力を定義することができる。
本実施形態では、硫黄粒子モデル3S、3S間、炭素粒子モデル3C、3C間、炭素粒子モデル3Cと水素粒子モデル3Hとの間、硫黄粒子モデル3Sと炭素粒子モデル3Cとの間、及び、硫黄粒子モデル3Sと水素粒子モデル3Hとの間に、それぞれ異なる第2ポテンシャルP2が設定されている。各第2ポテンシャルP2は、上記式(4)の定数がそれぞれ異なっている。なお、各定数は、例えば、論文(J. Phys. Chem. 94, 8897(1990))に基づいて、適宜設定することができる。
次に、本実施形態のシミュレーション方法では、コンピュータ1に、高分子材料モデルが定義される(工程S22)。図12は、高分子材料モデルの一例を示す概念図である。高分子材料モデル15は、コンピュータ1上に定義された空間16に、少なくとも一つの分子鎖モデル13が配置されることによって定義される。
本実施形態の空間16は、互いに向き合う三対の平面16a、16bを有する直方体として定義されている。各平面16a、16bには、周期境界条件が定義されている。これにより、空間16では、例えば、一方の平面16aから出て行った分子鎖モデル13の一部が、反対側の平面16bから入ってくるように計算することができる。従って、一方の平面16aと、反対側の平面16bとが連続している(繋がっている)ものとして取り扱うことができる。
空間16の一辺の長さL1、L2、L3は、適宜設定することができる。本実施形態の長さL1は、分子鎖モデル13の慣性半径(図示省略)の2倍以上が望ましい。慣性半径は、分子鎖モデル13の拡がりを示す量である。このような空間16では、分子動力学計算において、周期境界条件による自己のイメージとの衝突が起こり難くなり、分子鎖モデル13の空間的拡がりを適切に計算することができる。さらに、空間16の大きさは、例えば1気圧で安定な体積に設定される。このような空間16は、高分子材料の少なくとも一部の体積を定義することができる。また、空間16に配置される分子鎖モデル13の個数については、適宜設定することができる。本実施形態の分子鎖モデル13の個数としては、例えば、1個以上、好ましくは30個以上に設定されるのが望ましい。
本実施形態では、分子鎖モデル13が配置された空間16を用いて、分子動力学( Molecular Dynamics : MD )計算による緩和計算が実施される。これにより、高分子材料モデル15が設定される。
本実施形態の分子動力学計算では、例えば、空間16について所定の時間、分子鎖モデル13が古典力学に従うものとして、ニュートンの運動方程式が適用される。そして、各時刻での粒子モデル3の動きが、単位時間ステップ毎に追跡される。このような構造緩和の計算は、例えばソフトマテリアル総合シミュレーター(OCTA)に含まれるCOGNACを用いて処理することができる。
分子動力学計算では、空間16において、圧力及び温度が一定、又は体積及び温度が一定に保たれる。また、分子動力学計算では、分子鎖モデル13の人為的な初期配置が十分に排除されたとみなせるまで行われる。これにより、工程S22では、実際の高分子材料の分子運動に近似させて、分子鎖モデル13の初期配置を精度よく緩和することができる。このような緩和計算を経て、高分子材料モデル15が定義される。高分子材料モデル15は、コンピュータ1に記憶される。
次に、本実施形態のシミュレーション方法では、コンピュータ1が、予め定められた条件に基づいて、分子鎖モデル13の切断を計算する(切断計算工程S23)。本実施形態の切断計算工程S23では、図12に示した高分子材料モデル15を、一軸方向(例えば、Z軸方向)に伸長させる伸長シミュレーションが実施される。
本実施形態の伸長シミュレーションでは、分子力学計算(Molecular Mechanics : MM)及び量子力学計算(Quantum Mechanics : QM)を用いて、単位時間ステップ毎に、高分子材料モデル15の伸長が計算される。そして、単位時間ステップを進展させることによって、予め定められた長さ(上限値)まで伸長した高分子材料モデル15が計算される。この高分子材料モデル15の伸長によって、分子鎖モデル13は、粒子モデル3、3間が離間する。この粒子モデル3、3間の離間に伴って、分子鎖モデル13が切断される状態が計算される。分子力学計算は、分子動力学計算と同様の上記ソフトウェアによって計算されうる。
量子力学計算では、分子鎖モデル13が、原子核と電子とに基づく相互作用に従うものとして、シミュレーションの単位時間ステップ毎に、粒子モデル3の電子状態と動きとが追跡される。従って、量子力学計算は、分子力学計算に比べて計算精度が高い。このような量子力学計算は、上記した量子化学計算プログラムを用いて処理することができる。
本実施形態では、高分子材料モデル15の全体領域を対象に、分子力学計算を用いて、伸長シミュレーションが実施される。そして、分子鎖モデル13のうち粒子モデル3、3間で切断しそうな部分のみを対象に、量子力学計算を用いて、分子鎖モデル13の切断が詳細に計算される。従って、本実施形態の切断計算工程S23では、例えば、高分子材料モデル15の全体領域を対象に量子力学計算を実施する場合に比べて、計算時間を大幅に短縮することができる。図13は、本実施形態の切断計算工程S23の処理手順の一例を示すフローチャートである。
本実施形態の切断計算工程S23では、先ず、高分子材料モデル15の伸長シミュレーションを実施するための初期条件が設定される(工程S31)。図14は、高分子材料モデル15の伸長シミュレーションの一例を説明する側面図である。初期条件としては、高分子材料モデル15のポアソン比に基づいて、各単位時間ステップでの高分子材料モデル15の長さL1、L2、L3が定義される。これにより、切断計算工程S23では、高分子材料モデル15のポアソン比に基づいて、高分子材料モデルを一軸方向(例えば、Z軸方向)に伸長させるシミュレーションを実施することができる。
高分子材料モデル15の一軸方向の伸長速度Vaについては、解析対象の高分子材料や、シミュレーション条件に応じて適宜設定することができる。本実施形態の伸長速度Vaは、例えば、50〜200m/秒に設定されている。これにより、本実施形態の切断計算工程S23では、高分子材料が高速に引き伸ばされた状態を計算することができる。これらの初期条件は、コンピュータ1に記憶される。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、分子力学計算で用いられる結合ポテンシャルPnが定義される(結合ポテンシャル定義工程S32)。結合ポテンシャルPnは、分子鎖モデル13において、ボンドモデル4を介して隣り合う粒子モデル3、3間に定義されるものである。本実施形態の結合ポテンシャルPnとしては、上記した計算方法で求められた結合解離ポテンシャルPu(図7に示す)に近似するポテンシャルが定義される。このような結合ポテンシャルPnは、量子力学計算でのポテンシャルに近似するため、分子力学計算の結果と量子力学計算の結果との差異を、最小限にすることができる。
結合解離ポテンシャルPu(図示省略)は、結合する粒子モデル3の種類に応じてそれぞれ異なる。本実施形態では、硫黄粒子モデル3S、3S間、炭素粒子モデル3C、3C間、炭素粒子モデル3Cと水素粒子モデル3Hとの間、硫黄粒子モデル3Sと炭素粒子モデル3Cとの間、及び、硫黄粒子モデル3Sと水素粒子モデル3Hとの間に、それぞれ異なる結合解離ポテンシャルPuが求められる。図15は、本実施形態の結合ポテンシャル定義工程の処理手順の一例を示すフローチャートである。図16は、結合解離ポテンシャルPuを求めるのに使用した分子モデル2の一例を示す図である。
本実施形態の結合ポテンシャル定義工程S32では、先ず、分子モデル2が設定される(工程S321)。分子モデル2は、分子鎖モデル13において、一対の粒子モデル3、3の全ての組み合わせが設定される。本実施形態では、硫黄粒子モデル3S、3Sを結合した分子モデル2A、炭素粒子モデル3C、3Cを結合した分子モデル(図示省略)、炭素粒子モデル3Cと水素粒子モデル3Hとを結合した分子モデル(図示省略)、硫黄粒子モデル3Sと炭素粒子モデル3Cとを連結した分子モデル(図示省略)、及び、硫黄粒子モデル3Sと水素粒子モデル3Hとを連結した分子モデル(図示省略)が設定される。図16では、硫黄粒子モデル3S、3Sを結合した分子モデル2Aが代表して示されている。
本実施形態の分子モデル2は、一対の粒子モデル3、3(本実施形態では、硫黄粒子モデル3S、3S)と、ボンドモデル4とを含んでいる。なお、各粒子モデル3には、粒子モデル3でモデル化された原子の原子価(例えば、硫黄原子の場合:2)から、粒子モデル3の結合数(例えば、1)を減じた数の水素粒子モデル3H(例えば、1個)が、ボンドモデル4を介して連結される。これにより、分子モデル2は、量子力学計算において、安定した構造を維持することができる。このような方法に基づいて、上記した各分子モデル2がそれぞれ設定される。これらの分子モデル2は、コンピュータ1に記憶される。
次に、本実施形態の結合ポテンシャル定義工程S32では、各分子モデル2の粒子モデル3、3間に、量子力学計算に使用する理論及び基底関数が定義される(工程S322)。理論及び基底関数は、上記した計算方法と同様のものが定義され、コンピュータ1に記憶される。
次に、本実施形態の結合ポテンシャル定義工程S32では、上記した計算方法に基づいて、分子モデル2の各粒子モデル3、3間の結合解離ポテンシャルPu(図7に示す)が求められる(工程S323)。工程S323では、上記した各分子モデル2の全てについて、量子力学計算がそれぞれ実施される。これにより、硫黄粒子モデル3S、3S間の結合解離ポテンシャルPu、炭素粒子モデル3C、3C間の結合解離ポテンシャルPu、炭素粒子モデル3Cと水素粒子モデル3Hとの間の結合解離ポテンシャルPu、硫黄粒子モデル3Sと炭素粒子モデル3Cとの間の結合解離ポテンシャルPu、及び、硫黄粒子モデル3Sと水素粒子モデル3Hとの間の結合解離ポテンシャルPuがそれぞれ求められる。各結合解離ポテンシャルPuは、コンピュータ1に記憶される。
次に、本実施形態の結合ポテンシャル定義工程S32では、結合解離ポテンシャルPuに近似するポテンシャル(結合ポテンシャル)Pnが求められる(工程S324)。図17は、結合解離ポテンシャルPu及び結合ポテンシャルPnを示すグラフである。本実施形態の工程S324は、フックの法則に基づいた調和振動子型の関数を、結合解離ポテンシャルPuに近似させている。これにより、結合ポテンシャルPnが求められる。調和振動子型の関数は、下記式(5)で定義される。
ここで、
V:分子モデルのエネルギー
k:バネ定数
r:粒子モデル間の距離
r0:粒子モデル間の平衡距離
上記式(5)の調和振動子型の関数は、粒子モデル3、3間の距離rと、分子モデルのエネルギー(波動関数のエネルギー)との関係を示す二次関数である。本実施形態では、図7に示した変曲点8よりも距離rが小さい領域Tbにおいて、調和振動子型の関数を、結合解離ポテンシャルPuに近似させることによって、結合ポテンシャルPnを求めている。従って、本実施形態の結合ポテンシャルPnは、粒子モデル3、3間で切断、又は、結合次数の減少が生じる前の結合解離ポテンシャルPuに近似するものである。
調和振動子型の関数を、結合解離ポテンシャルPuに近似させる方法としては、例えば、最小二乗法を用いることができる。このような結合ポテンシャルPnでは、複雑な結合解離ポテンシャルPuを、簡単な調和振動子型の関数で表すことができる。
工程S324では、結合解離ポテンシャルPuのエネルギー(分子モデル2のエネルギー)の下限値(即ち、平衡距離r0)から、エネルギーの上限値の50%〜80%までの範囲において、調和振動子型の関数を、結合解離ポテンシャルPuに近似させるのが望ましい。これにより、結合ポテンシャルPnは、図7に示した変曲点8よりも距離r0が小さい領域Tbにおいて、結合解離ポテンシャルPuに精度良く近似することができる。
なお、調和振動子型の関数に近似させる範囲において、結合解離ポテンシャルPuのエネルギーの上限値の80%を超えると、図7に示した変曲点8よりも距離が大きい領域Taを含めて、調和振動子型の関数を近似させるおそれがある。逆に、結合解離ポテンシャルPuのエネルギーの上限値の50%未満であると、結合解離ポテンシャルPuに近似させる範囲が小さくなり、結合解離ポテンシャルPuに精度良く近似できないおそれがある。このような観点より、調和振動子型の関数に近似させる範囲において、より好ましくは、結合解離ポテンシャルPuのエネルギーの上限値の70%以下であり、より好ましくは60%以上である。
工程S324では、図16に示した硫黄粒子モデル3S、3S間の結合解離ポテンシャルPu、炭素粒子モデル3C、3C間の結合解離ポテンシャルPu、炭素粒子モデル3Cと水素粒子モデル3Hとの間の結合解離ポテンシャルPu、硫黄粒子モデル3Sと炭素粒子モデル3Cとの間の結合解離ポテンシャルPu、及び、硫黄粒子モデル3Sと水素粒子モデル3Hとの間の結合解離ポテンシャルPuについて、結合ポテンシャルPnがそれぞれ求められる。
工程S324では、図10に示した分子鎖モデル13において、ボンドモデル4を介して隣り合う粒子モデル3、3間に、第1ポテンシャルP1に代えて、結合ポテンシャルPnがそれぞれ定義される。なお、ボンドモデル4を介さずに隣り合う粒子モデル3、3間に定義されている第2ポテンシャルP2については、維持される。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、高分子材料モデル15(図12に示す)を伸長させる変形計算が実施される(伸長工程S33)。本実施形態では、初期条件として設定されたポアソン比に基づいて、高分子材料モデル15の変形が計算される。
伸長工程S33では、現在の単位時間ステップにおいて、一軸方向に伸長した高分子材料モデル15(図14に示す)が計算される。この高分子材料モデル15の伸長により、図12に示した分子鎖モデル13も一軸方向に引き伸ばされ、ボンドモデル4を介して隣り合う粒子モデル3、3間の距離r(図10に示す)の少なくとも一部が大きくなる。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、伸長工程S33で変形した高分子材料モデル15に対して、分子力学計算(Molecular Mechanics : MM)が実施される(第1分子力学計算工程S34)。第1分子力学計算工程S34では、高分子材料モデル15のエネルギーEaと、高分子材料モデル15に作用する力Faとを含む物理量が計算される。このようなエネルギーEaと、力Faとを含む物理量は、コンピュータ1に記憶される。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、第1分子力学計算工程S34後の分子鎖モデル13について、ボンドモデル4を介して隣り合う粒子モデル3、3間の距離r(図10に示す)が、予め定められた第1距離Laよりも大きい離反粒子モデル部21が存在するか否かが判断される(工程S35)。
工程S35では、空間16に配置されている全ての分子鎖モデル13について、ボンドモデル4を介して隣り合う粒子モデル3、3間の距離rが計算される。なお、工程S35では、ボンドモデル4で拘束されていない粒子モデル3、3間の距離は計算されない。そして、粒子モデル3、3間の距離rが、第1距離Laよりも大きい一対の粒子モデル3、3及びボンドモデル4を、離反粒子モデル部21として判断される。
本実施形態の第1距離Laは、図17に示した結合解離ポテンシャルPuの変曲点8での粒子モデル3、3間の距離r(Ln)よりも小に設定されている。上述したように、変曲点8は、粒子モデル3、3間の結合と解離との境界点と考えることができる。このため、距離rが第1距離Laよりも大きい離反粒子モデル部21では、粒子モデル3、3間で切断する可能性が高いと考えることができる。従って、工程S35では、粒子モデル3、3間で切断する可能性が高い離反粒子モデル部21(図19に示す)の有無を判断することができる。
また、第1距離Laについては、変曲点8での距離rよりも小さい値であれば、適宜設定することができる。本実施形態では、図17に示されるように、結合解離ポテンシャルPuと、結合ポテンシャルPnとの交点22での距離rを、第1距離Laとして求めている。これにより、量子力学計算よりも計算時間を短縮しうる分子力学計算に基づいて、離反粒子モデル部21の存在の有無を、精度良く判断することができる。
工程S35において、離反粒子モデル部21が存在すると判断された場合(工程S35で、「Y」)、離反粒子モデル部21を対象に、次の量子力学計算工程S36が実施される。他方、離反粒子モデル部21が存在しないと判断された場合(工程S35で、「N」)、後述する工程S40が実施される。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、離反粒子モデル部21を含む第1領域23を対象に、量子力学計算が行われる(量子力学計算工程S36)。図18は、量子力学計算工程S36の処理手順の一例を示すフローチャートである。
本実施形態の量子力学計算工程S36では、先ず、離反粒子モデル部21を含む第1領域23が設定される(工程S361)。図19は、第1領域23を示す図である。第1領域23は、高分子材料モデル15の分子鎖モデル13から、離反粒子モデル部21のみを抜き出した非全体領域である。なお、高分子材料モデル15に、複数の離反粒子モデル部21が存在する場合、全ての離反粒子モデル部21が、第1領域23に含められる。
また、離反粒子モデル部21の各粒子モデル3には、粒子モデル3でモデル化された原子の原子価(例えば、炭素原子の場合:4)から、粒子モデル3の結合数(例えば、1)を減じた数の水素粒子モデル3H(例えば、3個)が、ボンドモデル4を介して連結される。これにより、量子力学計算において、安定した構造を有する離反粒子モデル部21を設定することができる。
次に、本実施形態の量子力学計算工程S36では、離反粒子モデル部21の粒子モデル3に、量子力学計算に使用する理論及び基底関数が定義される(工程S362)。工程S362では、離反粒子モデル部21の粒子モデル3、3間に設定されている結合ポテンシャルPnを無効にして、量子力学計算に使用する理論及び基底関数が定義される。なお、量子力学計算に使用する理論及び基底関数については、上述のとおりである。
次に、本実施形態の量子力学計算工程S36では、初期条件として設定されたポアソン比に基づいて、第1領域23を対象に、量子力学計算が実施される(工程S363)。上述したように、量子力学計算では、原子核と電子とに基づく相互作用に従うものとして、シミュレーションの単位時間ステップ毎に、粒子モデル3の電子状態と動きとが追跡される。従って、工程S363では、分子力学計算に比べて、第1領域23及び離反粒子モデル部21の伸長を、高い精度で計算することができる。また、工程S363では、高分子材料モデル15から抜き出された第1領域23のみを対象に、量子力学計算が実施されている。このため、図12に示した高分子材料モデル15の全体領域を対象に量子力学計算が実施される場合に比べて、計算時間を大幅に短縮することができる。
工程S363では、第1領域23のエネルギーEcと、第1領域23に作用する力Fcとを含む物理量が計算される。このようなエネルギーEc及び力Fcを含む物理量は、コンピュータ1に記憶される。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、第1領域23を対象に分子力学計算が行われる(第2分子力学計算工程S37)。図19に示されるように、第1領域23は、伸長工程S33で変形した高分子材料モデル15の分子鎖モデル13から、離反粒子モデル部21のみを抜き出した非全体領域である。従って、第2分子力学計算工程S37は、第1領域23のエネルギーEbと、第1領域23に作用する力Fbとを含む物理量が計算される。このようなエネルギーEbと力Fbとを含む物理量は、後述するONIOM法に従って、高分子材料モデル15のエネルギーEt、及び、高分子材料モデル15に作用する力Ftを求めるのに利用される。エネルギーEbと力Fbとを含む物理量は、コンピュータ1に記憶される。また、第2分子力学計算工程S37では、離反粒子モデル部21の粒子モデル3、3間に、結合ポテンシャルPnが設定される。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、高分子材料モデル15のエネルギーEtが計算される(工程S38)。本実施形態のエネルギーEtは、ONIOM( Our own N-layered Integrated molecular Orbital and molecular Mechanics ) 法に従って、下記式(6)に基づいて計算される。
Et=Ea−Eb+Ec … (6)
ここで、
Ea:第1分子力学計算工程で求められた高分子材料モデルのエネルギー
Eb:第2分子力学計算工程で求められた第1領域のエネルギー
Ec:量子力学計算工程で求められた第1領域のエネルギー
上記式(6)において、第1分子力学計算工程S34で求められたエネルギーEaは、高分子材料モデル15の全体領域のエネルギーである。また、第2分子力学計算工程S37で求められたエネルギーEbは、第1領域23でのエネルギーである。これらのエネルギーEa、Ebは、分子力学計算で求められているため、量子力学計算に比べて、計算精度が低い。量子力学計算工程S36で求められたエネルギーEcは、第1領域23のエネルギーである。このエネルギーEcは、量子力学計算で求められているため、分子力学計算に比べて、計算精度が高い。
ONIOM法は、計算精度の異なる階層構造を組み合わせることによって最適解を得る方法である。本実施形態では、計算精度が比較的低い高分子材料モデルのエネルギーEaのうち、第1領域のエネルギーEbを、計算精度が比較的高い第1領域のエネルギーEcに置き換えることによって、高分子材料モデル15のエネルギーEtを求めている。このようなエネルギーEtは、分子鎖モデル13の切断による影響を詳細に考慮することができるため、計算精度を高めることができる。また、本実施形態では、例えば、量子力学計算に基づいた高分子材料モデル15の全体領域のエネルギーを求めることなく、高分子材料モデル15のエネルギーEtを求めることができるため、計算時間を短縮することができる。エネルギーEtは、コンピュータ1に記憶される。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、高分子材料モデル15に作用する力Ftが計算される(工程S39)。本実施形態の力Ftは、高分子材料モデルのエネルギーEtと同様に、ONIOM法に従って、下記式(7)に基づいて計算される。
Ft=Fa−Fb+Fc … (7)
ここで、
Fa:第1分子力学計算工程で求められた高分子材料モデルに作用する力
Fb:第2分子力学計算工程で求められた第1領域に作用する力
Fc:量子力学計算工程で求められた第1領域に作用する力
本実施形態では、計算精度が比較的低い高分子材料モデル15の力Faのうち、第1領域23の力Fbを、計算精度が比較的高い第1領域23の力Fcに置き換えることによって、高分子材料モデル15の力Ftを求めている。このような力Ftは、分子鎖モデル13の切断による影響を詳細に考慮することができるため、計算精度を高めることができる。また、本実施形態では、量子力学計算に基づいた高分子材料モデル15の全体領域に作用する力を計算する必要がないため、計算時間を短縮することができる。この力Ftは、コンピュータ1に記憶される。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、現在の単位時間ステップにおいて、分子鎖モデル13の各粒子モデル3の座標値及び速度が更新される(工程S40)。本実施形態では、ONIOM法で計算されたエネルギーEt及び力Ftから加速度を求める。そして、エネルギーEt及び力Ftから加速度に基づいて、第1分子力学計算工程S34が実施される前の分子鎖モデル13の各粒子モデル3の座標値から、各粒子モデル3の新たな座標値(即ち、次の単位時間ステップで用いられる座標値)が計算される。
このような各粒子モデル3の座標値は、切断される可能性の高い第1領域23を量子力学計算した座標値が含められているため、分子鎖モデル13の切断を精度よく解析することができる。また、切断される可能性の低い部分については、比較的精度の低い分子力学計算が実施されるため、計算時間を短縮することができる。
本実施形態では、第1分子力学計算工程S34、及び、第2分子力学計算工程S37において、結合解離ポテンシャルPuに近似する結合ポテンシャルPnが定義されている。このため、第2分子力学計算工程S37後の各粒子モデル3に作用する力と、量子力学計算工程S36後の各粒子モデル3に作用する力との間に生じる差異を最小限に抑えることができる。従って、ONIOM法に基づく、座標値の計算精度を高めることができる。また、各粒子モデル3の速度は、分子鎖モデル13の各粒子モデル3の座標値、高分子材料モデル15のエネルギーEt、及び、高分子材料モデル15に作用する力Ftに基づいて計算される。
なお、上述した工程S35において、離反粒子モデル部21が存在しないと判断された場合(工程S35で、「N」)は、第1領域23を対象とした量子力学計算(工程S36)及び分子力学計算(工程S37)が実施されていない。この場合、工程S40では、高分子材料モデル15を対象とした分子力学計算によって求められた粒子モデル3の座標値、第1分子力学計算工程で求められたエネルギーEa、及び、第1分子力学計算工程で求められた力Faから、座標値及び速度が更新される。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、量子力学計算工程S36後、本実施形態では量子力学計算工程S36及び第2分子力学計算工程S37後の第1領域23について、粒子モデル3、3間の距離rが、予め定められた第2距離Lbよりも大きい離反粒子モデル部21が存在するか否かが判断される(工程S51)。工程S51では、工程S40で更新された分子鎖モデル13の各粒子モデル3の座標値に基づいて、第1領域23に配置されている全ての離反粒子モデル部21について、粒子モデル3、3間の距離rが計算される。
本実施形態の第2距離Lbは、図17に示した結合解離ポテンシャルPuの変曲点8での粒子モデル3、3間の距離Lnに基づいて定義されている。本実施形態の第2距離Lbは、第1距離Laよりも大に設定されている。さらに、第2距離Lbは、変曲点8での粒子モデル間の距離Ln以上に設定されている。
上述したように、変曲点8は、粒子モデル3、3間の結合と解離との境界点と考えることができる。このため、粒子モデル3、3間の距離rが第2距離Lbよりも大きい場合、粒子モデル3、3間で切断すると判断できる。従って、工程S51では、粒子モデル3、3間の距離rが第2距離Lbよりも大きいか否かが判断されることにより、粒子モデル3、3間で切断される離反粒子モデル部21の有無を判断できる。なお、粒子モデル3、3間で切断される離反粒子モデル部21を精度良く判断するために、第2距離Lbは、変曲点8での粒子モデル3、3間の距離Lnよりも大が望ましく、変曲点8での距離Lnの100%より大が望ましく、また、130%以下が望ましい。
工程S51において、粒子モデル3、3間の距離rが第2距離Lb以上の離反粒子モデル部21が存在すると判断された場合(工程S51で、「Y」)、次の切断工程S52が実施される。他方、全ての離反粒子モデル部21において、粒子モデル3、3間の距離が第2距離Lb未満であると判断された場合(工程S51で、「N」)、高分子材料モデル15が予め定められた条件まで伸長したか否かを判断する後述の工程S53が実施される。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、粒子モデル3、3間が切断される(切断工程S52)。切断工程S52では、距離rが第2距離Lb以上であると判断された粒子モデル3、3について、粒子モデル3、3間のボンドモデル4の定義を無効にする。これにより、粒子モデル3、3間の切断が定義される。なお、粒子モデル3、3間の切断が定義されるのは、図19に示した第1領域23の粒子モデル3ではなく、第1領域23の粒子モデル3に対応する分子鎖モデル13(図10に示す)の粒子モデル3、3間において、切断が定義される。
このように、本実施形態のシミュレーション方法では、離反粒子モデル部21を含んだ第1領域23を対象として、分子力学計算よりも計算精度の高い量子力学計算の結果に基づき、粒子モデル3、3間を切断している。従って、本実施形態では、分子鎖モデル13の切断を、実際の分子鎖の切断に近似させることができ、高分子材料を精度良く解析するのに役立つ。
また、結合解離ポテンシャルPuは、本実施形態の計算方法に基づいて求められるため、原子間の結合及び解離を精度良く表現しうる。このため、本実施形態のシミュレーション方法では、粒子モデル3、3間の切断を、実際の分子鎖の切断により近似させることができる。
さらに、量子力学計算が実施される離反粒子モデル部21の有無は、工程S35において、量子力学計算よりも計算時間が短い分子力学計算の結果に基づいて判断される。このため、高分子材料モデル15の全体領域を対象とした量子力学計算を実施する必要がない。従って、本実施形態のシミュレーション方法では、計算時間を短縮することができる。
なお、切断の定義は、粒子モデル3、3間を拘束しているボンドモデル4を無効にすることによって設定することができる。また、切断された粒子モデル3、3間に定義されていた結合ポテンシャルPnが無効とされ、ボンドモデル4を介さずに隣り合う粒子モデル3、3間に定義される第2ポテンシャルP2が定義される。
切断された粒子モデル3、3には、例えば、粒子モデル3でモデル化された原子の原子価(例えば、硫黄原子の場合:2)から、粒子モデル3の結合数(例えば、1)を減じた数の水素粒子モデル3H(例えば、1個)が、ボンドモデル4を介して連結される。これにより、分子鎖モデル13は、安定した構造を維持することができる。
次に、本実施形態の切断計算工程S23では、高分子材料モデル15が、予め定められた条件まで伸長したか否かが判断される(工程S53)。工程S53では、高分子材料モデル15が上限値まで伸長したと判断された場合(工程S53で、「Y」)、次の工程S24が実施される。他方、高分子材料モデル15が上限値まで伸長していないと判断された場合は(工程S53で、「N」)、単位時間ステップを一つ進展させて(工程S54)、工程S33〜工程S53が再度実施される。これにより、切断計算工程S23では、高分子材料モデルを上限値まで伸長させて、分子鎖モデル13の切断を解析することができる。
次に、本実施形態のシミュレーション方法では、高分子材料モデル15の物理量が、許容範囲内であるか否かが判断される(工程S24)。物理量の許容範囲としては、例えば、高分子材料に求められる性能に基づいて、適宜設定されうる。工程S24において、高分子材料モデル15の物理量が許容範囲内であると判断された場合(工程S24で、「Y」)、高分子材料モデル15に基づいて、高分子材料が製造される(工程S25)。他方、高分子材料モデル15の物理量が、許容範囲外と判断された場合は(工程S24で、「N」)、分子鎖モデル13の諸条件が変更されて(工程S26)、工程S21〜工程S24が再度実施される。このように、本実施形態では、高分子材料モデル15の物理量が許容範囲内になるまで、分子鎖モデル13の諸条件が変更されるため、所望の性能を有する高分子材料を、効率よく設計することができる。
以上、本発明の特に好ましい実施形態について詳述したが、本発明は図示の実施形態に限定されることなく、種々の態様に変形して実施しうる。
[実施例A]
図2及び図4に示した処理手順に従って、分子を構成する原子間の結合解離ポテンシャルが計算された(実施例1)。実施例1では、密度汎関数法(DFT)の理論に基づいて量子力学計算が行われ、安定した波動関数のみから結合解離ポテンシャルが計算された。
比較のために、従来の方法と同様の手順に基づいて、波動関数が安定しているか否かを判定する評価工程を行わずに、結合解離ポテンシャルが計算された(比較例1〜5)。即ち、比較例1〜5の結合解離ポテンシャルは、安定した波動関数、及び、不安定な波動関数の双方から計算される。比較例1〜5では、表1に示した理論に基づいて、量子力学計算が実施された。共通仕様は次のとおりである。
コンピュータ:SGI社のワークステーション
CPUのコア数:12コア
搭載メモリ:64GB
分子:メタンチオール
図20は、実施例1及び比較例1〜5の結合解離ポテンシャルのグラフである。計算時間を表1に示す。
テストの結果、実施例1の結合解離ポテンシャルは、実施例1と同一の理論(DFT)に基づいて計算された比較例1に比べて、最も計算精度が高い理論(MRCI)に基づいて計算された比較例2の結合解離ポテンシャルに近似させることができた。従って、実施例は、原子間の結合及び解離を精度よく表現できるポテンシャルを定義できた。表1に示されるように、実施例1は、比較例2〜5に比べて、計算時間を大幅に短縮できた。従って、実施例1は、計算時間を短縮しつつ、結合解離ポテンシャルを精度よく求めることができた。
[実施例B]
図9及び図11に示した処理手順に従って、分子鎖モデル及び高分子モデルが定義され、分子鎖モデルを切断する切断工程が実施された(実施例2、比較例6)。
実施例2の切断工程では、図13、図15及び図18に示した処理手順に従って、高分子材料モデルに基づいて分子力学計算を行う工程、粒子モデル間の距離が第1距離Laよりも大きい離反粒子モデル部を含む第1領域を対象に、量子力学計算を行う工程、及び、第1領域を対象に分子力学計算を行う工程が実施され、上記式(6)、(7)に基づいて、高分子材料モデルのエネルギーEt及び高分子材料モデルに作用する力Ftが計算された。
分子力学計算を行う工程では、分子鎖モデルの粒子モデル間に、結合解離ポテンシャルに近似する近似ポテンシャルが定義された。なお、結合解離ポテンシャルは、図2及び図4に示した処理手順に従って、安定した波動関数のみから求められた。実施例2の切断工程では、粒子モデル間の距離が第2距離Lbよりも大きいときに、それらの間を切断する工程が実施された。
比較例6の切断工程では、高分子材料モデルの全体領域について、量子力学計算が実施され、粒子モデル間の距離に応じて、分子鎖モデルの切断が計算された。なお、粒子モデル間に設定されるポテンシャルは、明細書に記載のとおりである。共通仕様は、次のとおりであり、使用されたコンピュータは、実施例Aと同一である。
高分子モデル:
1辺の長さL1:2.3nm
分子鎖モデルの個数:1個
分子鎖モデル:
ポリイソプレン(イソプレン分子:100重合)に硫黄(1原子)を架橋
粒子モデル(原子)の個数:1301個
変曲点での距離Ln:3.09Å
第1距離La:2.69Å
第2距離Lb:3.35Å
伸長シミュレーション:
伸長方向:一軸方向(Z軸方向)
伸長速度Va:250m/sec
図21は、実施例2の粒子モデル間の切断個数と、高分子材料モデルの伸長率との関係を示したグラフである。図21に示されるように、実施例2では、高分子材料モデルが伸長するに従って、粒子モデル間で切断する個数が増加する状態を示すことができた。また、実施例2では、伸長率が300%程度でC−S結合の切断が計算され、伸長率が560%程度からC−C結合の切断が計算された。このように、実施例2では、粒子モデル毎に、切断が開始する伸長率を計算することができた。
図22は、実施例2の高分子材料の応力と、高分子材料モデルの伸長率との関係を示したグラフである。図15に示されるように、伸長率が500%程度から応力が急激に大きくなっているが、伸長率が600%程度から応力が急激に減少している。これは、C−C結合の切断によって、応力が減少したためである。
このように、実施例2では、高分子材料モデルを用いた伸長シミュレーションにより、分子鎖モデルの切断を精度良く計算できたため、高分子材料を精度良く解析することができた。また、実施例2では、本発明の計算方法に基づいて、安定した波動関数のみから結合解離ポテンシャルが計算されるため、実際の分子鎖の切断に近似させることができた。さらに、実施例2では、粒子モデル間で切断する可能性が高い離反粒子モデル部を含む第1領域のみを対象に、量子力学計算が実施されるため、計算時間を短縮することができた。
他方、比較例6では、高分子材料モデルの全体領域について、量子力学計算が実施されるため、実施例2と同様の変形シミュレーションを実施するには、上記コンピュータの処理能力において、事実上不可能であると考えられる。従って、比較例6では、分子鎖モデルの切断を計算することができなかった。