上述のように、従来では、低トルク化において有利な構造を有する玉軸受において、窒化珪素などの加工コストが高い材料を用いずに塑性変形を防ぐことが困難であった。また、低トルク化とともに軸受の寿命を向上させることも必要である。
そこで、本発明の目的は、安価でかつ降伏強度および寿命が向上した軸受部品および当該軸受部品を備える転がり軸受を提供することである。
本発明の一の局面に従った軸受部品は、軸受鋼からなり、転走面または転動面を含む表層部が窒化された軸受部品である。上記軸受部品では、上記表層部における窒素濃度が0.4質量%以上となっている。また、上記軸受部品では、窒化されていない内部における析出物の面積率が11%以上となっている。
本発明者は、転がり軸受に使用される軸受部品において、加工コストが高い材料を用いずに降伏強度を向上させ、かつ寿命も向上させるための方策について詳細な検討を行った。その結果、以下のような知見を得て、本発明に想到した。
軸受部品は、浸炭窒化および焼入処理などが施された後、さらに焼戻処理が施されて製造される。本発明者の検討によると、焼戻処理時の加熱温度を従来よりも高くすることにより、浸炭窒化処理により窒化されない内部(以下、未窒化領域という)における析出物の面積率が11%以上にまで増大し、その結果材料の降伏強度が向上する。つまり、未窒化領域における析出物の面積率が増大した上記軸受部品においては、加工コストが高い窒化珪素などの材料を用いることなく材料の塑性変形を抑制することができる。
また、軸受部品においては、浸炭窒化処理により表層部における窒素濃度を高めることで寿命を向上させることができる。しかし、従来の軸受部品では、表層部の窒素濃度が高くなるのに伴い材料の降伏強度が低下するため、降伏強度の向上と寿命の向上とを両立することは困難であった。これに対し、本発明者の検討によると、焼戻温度を従来よりも高くした場合には、降伏強度と寿命との相反関係が解消される。つまり、焼戻温度を上げて未窒化領域の析出物の面積率を11%以上とすることにより、単に降伏強度が向上するだけでなく、表層部の窒素濃度を0.4質量%以上にまで高めた場合でも降伏強度の低下を抑制することができる。したがって、表層部における窒素濃度が0.4質量%以上であり、かつ未窒化領域における析出物の面積率が11%以上に規定された上記本発明の一の局面に従った軸受部品によれば、安価でかつ降伏強度および寿命が向上した軸受部品を提供することができる。
上記軸受部品において、析出物の面積率は12%以上であってもよい。焼戻温度をさらに高くした場合には、未窒化領域の析出物の面積率が12%以上にまで増大する。これにより、材料の降伏強度をさらに向上させることができる。
上記軸受部品では、上記表層部における残留オーステナイト量が8体積%以下であってもよい。
上述のように焼戻温度を従来より高くした場合には、未窒化領域の析出物の面積率が増大するだけでなく、表層部における残留オーステナイト量が8体積%以下にまで減少する。この場合、同様に材料の降伏強度が向上した軸受部品を得ることができる。
上記軸受部品では、残留オーステナイト量が5体積%以下であってもよい。上述のように焼戻温度をさらに高くした場合には、未窒化領域の析出物の面積率がさらに増大するだけでなく、表層部における残留オーステナイト量が5体積%以下にまで低下する。この場合、同様に材料の降伏強度をさらに向上させることができる。
上記軸受部品は、JIS規格SUJ2からなっていてもよい。代表的な軸受鋼であるJIS規格SUJ2は、上記本発明の一の局面に従った軸受部品の構成材料として好適である。
本発明の他の局面に従った軸受部品は、軸受鋼からなり、転走面または転動面を含む表層部が窒化された軸受部品である。上記軸受部品では、上記表層部における窒素濃度が0.4質量%以上となっている。また、上記軸受部品では、上記表層部における残留オーステナイト量が8体積%以下となっている。
上述のように、焼戻温度を従来よりも高くした場合には、表層部における残留オーステナイト量が8体積%以下にまで減少し、その結果材料の降伏強度が向上する。また、焼戻温度を従来よりも高くした場合には、材料の降伏強度と寿命との相反関係が解消し、表層部の窒素濃度を0.4質量%以上にまで高めた場合でも降伏強度の低下を抑制することができる。したがって、本発明の他の局面に従った軸受部品によれば、上記本発明の一の局面に従った軸受部品と同様に、安価でかつ降伏強度および寿命が向上した軸受部品を提供することができる。
上記軸受部品において、表層部における残留オーステナイト量は5体積%以下であってもよい。
上述のように焼戻温度をさらに高くした場合には、表層部における残留オーステナイト量が5体積%以下にまで低下する。これにより、材料の降伏強度をさらに向上させることができる。
上記軸受部品は、JIS規格SUJ2からなっていてもよい。代表的な軸受鋼であるJIS規格SUJ2は、上記本発明の他の局面に従った軸受部品の構成材料としても好適である。
上記軸受部品において、窒化されていない内部における旧オーステナイト結晶粒の粒度番号が9番以上11番以下であってもよい。
旧オーステナイト結晶粒の大きさは、浸炭窒化処理時の加熱温度などに依存する。そのため、上記軸受部品における旧オーステナイト結晶粒の大きさが上記範囲であれば、浸炭窒化処理が適切な温度で行われていることを確認することができる。
上記軸受部品では、上記表層部は、浸炭窒化処理により窒化されていてもよい。そして、上記浸炭窒化処理は、軸受部品中の炭素の活量をac、浸炭窒化処理の際に軸受部品が配置される熱処理炉内の未分解アンモニア濃度をCNとした場合に、γ=ac/CNで定義されるγの値が2以上5以下の範囲となるように実施されてもよい。
軸受鋼(炭素濃度が0.8質量%以上である鋼)においては、γの値が5となったときに軸受部品への窒素の侵入速度が最大となり、γの値が5以下では窒素の侵入速度は一定となる。つまり、γの値を5以下とすることにより、軸受鋼からなる軸受部品への窒素の侵入速度を最大にすることができる。なお、acは、下記の式(1)により算出される値であり、PCOは一酸化炭素(CO)の分圧、PCO2は二酸化炭素(CO2)の分圧、Kは、<C>+CO2⇔2COにおける平衡定数である。
一方、γの値が2未満である場合には、熱処理炉へのアンモニアの供給速度が高くなり、これに伴い熱処理炉内における一酸化炭素の分圧が低下する。そのため、カーボンポテンシャルを保持するためには熱処理炉内へのエンリッチガスの導入量を増加させる必要が生じ、その結果スーティング(熱処理炉内にすすが発生し、軸受部品に付着すること)が発生し易くなり、軸受部品に表面浸炭などの品質上の不具合が発生するおそれがある。このような理由から、γの値は2以上5以下であることが好ましい。
本発明に従った転がり軸受は、内周面に転走面を有する外輪と、外周面に転走面を有し、外輪の内側に配置される内輪と、転動面において転走面に接触し、円環状の軌道上に並べて配置される複数の転動体とを備えている。上記転がり軸受において、外輪、内輪および転動体のうち少なくともいずれかは、上記本発明に従った軸受部品である。
本発明に従った転がり軸受は、安価でかつ降伏強度および寿命が向上した軸受部品を備えている。そのため、軸受部品に過大な接触面圧が加わることによる塑性変形が抑制され、その結果機械の回転運動時の低トルク化を達成することができる。したがって、本発明に従った転がり軸受によれば、安価でかつ機械の回転運動の低トルク化が可能であり、さらに寿命が向上した転がり軸受を提供することができる。
以上の説明から明らかなように、本発明に従った軸受部品によれば、安価でかつ降伏強度および寿命が向上した軸受部品を提供することができる。また、本発明に従った転がり軸受によれば、安価でかつ機械の回転運動の低トルク化が可能であり、さらに寿命が向上した転がり軸受を提供することができる。
以下、図面に基づいて本発明の実施の形態を説明する。なお、以下の図面において同一または相当する部分には同一の参照番号を付し、その説明は繰返さない。
まず、本発明の一実施の形態に係る転がり軸受である深溝玉軸受の構造について説明する。図1を参照して、本実施の形態に係る深溝玉軸受1は、環状の外輪11と、環状の内輪12と、外輪11と内輪12との間に配置され、円環状の保持器14に保持された転動体である複数の玉13とを備えている。外輪11は、内周面に外輪転走面11Aを有している。内輪12は、外周面に内輪転走面12Aを有しており、内輪転走面12Aが外輪転走面11Aと対向するように外輪11の内側に配置されている。複数の玉13は、転動面13Aにおいて外輪転走面11Aおよび内輪転走面12Aと接触している。複数の玉13は、保持器14により外輪11および内輪12の円環状の軌道上に並べられ、周方向に所定のピッチで配置されている。これにより、複数の玉13は、当該軌道上において転動自在に保持されている。このような構成により、深溝玉軸受1の外輪11および内輪12は、互いに相対的に回転可能となっている。なお、外輪11、内輪12および玉13は、後述する本実施の形態に係る軸受部品である。
次に、本実施の形態に係る軸受部品(外輪11、内輪12および玉13)について詳細に説明する。上記軸受部品は、JIS規格SUJ2などの軸受鋼からなっている。図2を参照して、上記軸受部品の表面(外輪転走面11A,内輪転走面12A、転動面13A)を含む領域には、内部11C,12C,13Cと比べて窒素濃度が高い窒素富化層11D,12D,13Dが、それぞれ形成されている。窒素富化層11D,12D,13Dの表面である外輪転走面11A、内輪転走面12Aおよび転動面13Aを含む表層部11B,12B,13Bは、浸炭窒化処理により窒化されており、窒素濃度が0.4質量%以上となっている。これにより、上記軸受部品(外輪11、内輪12および玉13)の寿命が向上している。なお、表層部11B,12B,13Bは、外輪転走面11A、内輪転走面12Aおよび転動面13Aからの距離が20μm以内の領域である。
上記軸受部品の表層部11B,12B,13Bにおける残留オーステナイト量は、8体積%以下となっており、好ましくは5体積%以下となっている。また、上記軸受部品において、窒化されていない内部11C,12C,13Cにおける析出物の面積率は11%以上となっており、好ましくは12%以上となっている。これにより、後述するように上記軸受部品の材料の降伏強度が向上している。また、「析出物」とは、鉄の炭化物または当該炭化物の炭素の一部が窒素に置き換わった炭窒化物などであり、Fe−C系の化合物およびFe−C−N系の化合物を含む。また、この炭窒化物は、クロムなど、鋼に含まれる合金成分を含んでいてもよい。
上記軸受部品では、内部11C,12C,13Cにおける旧オーステナイト結晶粒の大きさがJIS規格で9番以上11番以下となっている。旧オーステナイト結晶粒の大きさは、浸炭窒化処理時の加熱温度などに依存する。そのため、上記軸受部品における旧オーステナイト結晶粒の大きさが上記範囲であれば、浸炭窒化処理が適切な温度(850℃)で行われていることを確認することができる。
次に、本実施の形態に係る転がり軸受の製造方法および軸受部品の製造方法について説明する。図3を参照して、本実施の形態に係る転がり軸受の製造方法では、工程(S10)〜(S50)が順に実施されることにより、上記本実施の形態に係る深溝玉軸受1が製造される。また、本実施の形態に係る転がり軸受の製造方法では、工程(S10)〜(S40)が本実施の形態に係る軸受部品の製造方法として実施される。
図3を参照して、まず、工程(S10)として、鋼材準備工程が実施される。この工程(S10)では、まず、JIS規格SUJ2などの過鋼析鋼からなる鋼材が準備される。そして、当該鋼材が軸受部品の概略形状に成形される。たとえば、棒鋼、鋼線などを素材とし、当該棒鋼、鋼線などに対して切断、鍛造、旋削などの加工が施されることにより、軸受部品である外輪11、内輪12および玉13などの概略形状に成形された鋼材が準備される(図1参照)。
次に、工程(S20)として、焼入硬化工程が実施される。この工程(S20)では、上記工程(S10)において準備された鋼材に対して浸炭窒化処理を施した後、A1変態点(以下、単にA1点という)以上の温度からMs点(マルテンサイト変態開始点)以下の温度へ冷却される。浸炭窒化処理は、軸受部品中の炭素の活量をac、浸炭窒化処理において軸受部品が配置される熱処理炉内の未分解アンモニア濃度をCNとした場合に、γ=ac/CNで定義されるγの値が2以上5以下の範囲となるように、好ましくは5となるように実施される。これにより、軸受部品の表層部が窒化される。この工程(S20)の詳細については後述する。
次に、工程(S30)として、焼戻工程が実施される。この工程(S30)では、上記工程(S20)において焼入硬化された鋼材に対して、A1点以下の温度の加熱処理が施される。より具体的には、浸炭窒化処理の後、A1点以下の温度である240℃以上の温度、好ましくは240℃以上260℃以下の温度で鋼材を所定時間(たとえば2時間)保持することにより当該鋼材に焼戻処理が施される。そして、その後室温の空気により鋼材が冷却される(空冷)。これにより、鋼材の靭性などを向上させることができる。
次に、工程(S40)として、仕上げ加工が施される。この工程(S40)では、焼戻処理が施された鋼材の外輪転走面11A、内輪転走面12Aおよび転動面13Aに対する研削および仕上げ加工が施される。これにより、上記本実施の形態に係る軸受部品である外輪11、内輪12および玉13が製造される(図1参照)。
次に、工程(S50)として、組立て工程が実施される。この工程(S50)では、上記工程(S10)〜(S40)において製造された外輪11、内輪12および玉13と、別途準備された保持器14などとが組合わされて、上記実施の形態における深溝玉軸受1が組立てられる(図1参照)。
次に、焼入硬化工程(S20)の詳細について説明する。図4は、本実施の形態に係る軸受部品の製造方法に含まれる焼入硬化工程の詳細を説明するための図である。また、図5は、図4の浸炭窒化工程に含まれる加熱パターン制御工程における加熱パターンの一例を示す図である。図5において、横方向は時間を示しており右に行くほど時間が経過していることを示している。また、図5において、縦方向は温度を示しており上に行くほど温度が高いことを示している。図4および図5を参照して、本実施の形態に係る軸受部品の製造方法に含まれる焼入硬化工程の詳細について説明する。
図4を参照して、本実施の形態に係る軸受部品の製造方法の焼入硬化工程においては、まず、被処理物である鋼材が浸炭窒化される浸炭窒化工程が実施される。その後、当該鋼材がA1点以上の温度からMS点以下の温度に冷却される冷却工程が実施される。
浸炭窒化工程は、熱処理炉内の雰囲気が制御される雰囲気制御工程と、熱処理炉内において被処理物に付与される温度履歴が制御される加熱パターン制御工程とを備えている。この雰囲気制御工程と加熱パターン制御工程とは、独立に、かつ並行して実施することができる。そして、雰囲気制御工程は、熱処理炉内の未分解アンモニア濃度を制御する未分解アンモニア濃度制御工程と、熱処理炉内の一酸化炭素および二酸化炭素の少なくともいずれか一方の分圧を制御する分圧制御工程とを含んでいる。
分圧制御工程では、熱処理炉内の一酸化炭素および二酸化炭素の少なくともいずれか一方の分圧が制御されることにより、鋼材中の炭素の活量(aC)値が制御されてγ値が調整されるとともに、カーボンポテンシャル(CP)値が調整される。さらに、雰囲気制御工程においては、γの値が2以上5以下の範囲になるように、好ましくは5になるように未分解アンモニア濃度制御工程および分圧制御工程が実施される。
具体的には、未分解アンモニア濃度制御工程では、まず、熱処理炉内の未分解アンモニア濃度(CN)を測定する未分解アンモニア濃度測定工程が実施される。未分解アンモニア濃度の測定は、たとえばガスクロマトグラフを用いて実施することができる。そして、未分解アンモニア濃度測定工程において測定された未分解アンモニア濃度に基づいて熱処理炉へのアンモニアガスの供給量を増減させるアンモニア供給量調節工程の実施の要否を判断する未分解アンモニア濃度判断工程が実施される。当該判断は、γ(aC/CN)の値が2以上5以下の範囲になるように予め決定された目標の未分解アンモニア濃度と、測定された未分解アンモニア濃度を比較することにより実施される。
未分解アンモニア濃度が目標の未分解アンモニア濃度になっていない場合には、熱処理炉内の未分解アンモニア濃度を増減させるためのアンモニア供給量調節工程が実施された後、未分解アンモニア濃度測定工程が再度実施される。アンモニア供給量調節工程は、たとえば、熱処理炉に配管を介して連結されたアンモニアガスボンベから単位時間に熱処理炉に流入するアンモニアの量(アンモニアガスの流量)を当該配管に取り付けられたマスフローコントローラなどを備えた流量制御装置により調節することにより実施することができる。すなわち、測定された未分解アンモニア濃度が目標の未分解アンモニア濃度よりも高い場合、上記流量を低下させ、低い場合、上記流量を増加させることにより、アンモニア供給量調節工程を実施することができる。このアンモニア供給量調節工程において、測定された未分解アンモニア濃度と目標の未分解アンモニア濃度との間に所定の差がある場合、どの程度流量を増減させるかについては、予め実験的に決定したアンモニアガスの流量の増減と未分解アンモニア濃度の増減との関係に基づいて決定することができる。
一方、未分解アンモニア濃度が目標の未分解アンモニア濃度になっている場合には、アンモニア供給量調節工程が実施されることなく、未分解アンモニア濃度測定工程が再度実施される。
分圧制御工程では、エンリッチガスとしてのプロパン(C3H8)ガス、ブタンガス(C4H10)などの供給量が調節されることにより、COおよびCO2の分圧の少なくともいずれか一方の分圧が制御され、aC値が調整される。具体的には、たとえば、赤外線ガス濃度測定装置を用いて雰囲気中の一酸化炭素の分圧PCOおよび二酸化炭素の分圧PCO2が測定される。そして、当該測定値に基づいて、aC値が目標の値となるように、エンリッチガスとしてのプロパン(C3H8)ガス、ブタンガス(C4H10)などの供給量が調節される。
γの値は、未分解アンモニア濃度制御工程により未分解アンモニア濃度を一定に保持した状態で、分圧制御工程によりaC値を変化させて制御してもよいし、逆に、分圧制御工程によりaC値を一定に保持した状態で、未分解アンモニア濃度制御工程により未分解アンモニア濃度を変化させて制御してもよい。また、未分解アンモニア濃度制御工程および分圧制御工程により未分解アンモニア濃度およびaC値を変化させて、γの値を制御してもよい。
加熱パターン制御工程では、被処理物としての鋼材に付与される加熱履歴が制御される。具体的には、図5に示すように、鋼材が上述の雰囲気制御工程および分圧制御工程によって制御された雰囲気中で、A1点以上の温度である800℃以上1000℃以下の温度、たとえば850℃に加熱され、60分間以上300分間以下の時間、たとえば150分間保持される。当該保持時間が経過するとともに加熱パターン制御工程は終了し、同時に雰囲気制御工程も終了する。
その後、鋼製部材が油中に浸漬(油冷)されることにより、A1点以上の温度からMS点以下の温度に冷却される冷却工程が実施される。以上の工程により、鋼材の表層部が浸炭窒化されるとともに焼入硬化される。これにより、本実施の形態の焼入硬化工程(S20)は完了する。
このように、本実施の形態に係る軸受部品の製造方法では、焼入硬化工程(S20)において表層部における窒素濃度が0.4質量%以上となるように浸炭窒化処理が施され、かつ焼戻工程(S30)において240℃以上260℃以下の温度で焼戻処理が施される。その結果、表層部11B,12B,13Bにおける残留オーステナイト量が8体積%以下であり、かつ窒化されていない内部11C,12C,13Cにおける析出物の面積率が11%以上であり、降伏強度および寿命に優れた外輪11、内輪12および玉13を製造することができる(図1および図2参照)。
安価でかつ降伏強度および寿命が向上した軸受部品を得ることを目的として以下の実験を行った。まず、JIS規格SUJ2からなる鋼材を準備し、当該鋼材に浸炭窒化、焼入および焼戻処理を順に施し、その後研削および仕上げ加工後を施して軸受部品を製造した。そして、表層部における窒素濃度および焼戻温度を変更した場合において以下の試験を行った。
浸炭窒化処理時の雰囲気は、γの値を4.75、加熱温度を850℃とした。γの値が5より大きい場合には、窒素侵入速度が低下して窒素濃度が高い領域が表層に留まり易くなり、研削加工における取代を考慮すると浸炭窒化処理の時間が非常に長くなり実用的ではない。また、SUJ2材を用いた場合には、850℃よりも大幅に高い温度では未分解アンモニア分率を高く保つために多量のアンモニアが必要となるためプロセスが高コスト化する。一方、850℃よりも大幅に低い温度では窒素の鋼中への拡散速度が遅くなり処理時間が長くなる。そのため、SUJ2材の浸炭窒化処理においては850℃付近の温度が適切であるといえる。
(1) 表層部における窒素濃度および焼戻温度と残留圧痕深さとの関係
まず、表面部における窒素濃度および焼戻温度が残留圧痕深さに及ぼす影響について調査した。まず、表層部における窒素濃度および焼戻温度を変更した平面試験片を作製した。具体的には、当該窒素濃度が0質量%(mass%)、0.1mass%、0.25mass%および0.4mass%の試験片を準備し、それぞれの試験片について180℃、210℃、240℃および260℃の温度で焼戻処理を行った。そして、当該試験片の平面に最大接触面圧が4.5GPa(完全弾性体として仮定)となる荷重でセラミック球(サイズ:3/8インチ)を押し付け、荷重を除いた後の残留圧痕深さを調査した。なお、4.5GPaの値は、市場において転がり軸受に付与される最大接触面圧の最大値とほぼ同じ値である。
図6に、表層部における窒素濃度および焼戻温度と残留圧痕深さとの関係を調査した結果を示す。図6において、横軸は窒素濃度(mass%)を示し、縦軸は残留圧痕深さ(μm)を示している。図6から明らかなように、焼戻温度が180℃および210℃である場合に比べて、焼戻温度が240℃および260℃である場合には残留圧痕深さが大きく低下した。また、焼戻温度が180℃および210℃である場合には、窒素濃度が高くなるに伴い残留圧痕深さが大きくなったのに対し、焼戻温度が240℃および260℃である場合には窒素濃度が高くなるに伴い残留圧痕深さは逆に小さくなった(塑性変形し難くなる)。この結果より、上記実験の範囲(焼戻温度が180℃以上260℃以下)では、窒素を含むSUJ2材において、焼戻温度が高くなるに伴い降伏強度が高くなり、高い静的負荷容量が得られることが分かった。
(2) 表層部における窒素濃度と圧痕起点型はく離寿命との関係
次に、高温焼戻(240℃、260℃)を施した場合における表層部における窒素濃度と圧痕起点型はく離寿命との関係について調査した。まず、玉軸受(軸受型番:6206)の内輪形状に加工した試験片を作製した。そして、当該試験片の転走面溝底部において6°等配の人工圧痕を形成し、転動疲労試験を実施した。人工圧痕は、ロックウェル圧子を荷重196Nで負荷することにより形成した。転動疲労試験は、最大接触面圧を3.2GPa、内輪回転数を3000rpmとし、潤滑油をタービン油VG56の循環給油とした。
図7に、表層部における窒素濃度と圧痕起点型はく離寿命との関係について調査した結果を示す。図7は、圧痕起点型はく離寿命のワイブルプロットであり、横軸は寿命(h)、縦軸は累積破損確率(%)を示している。また、図7中において、窒素濃度および焼戻温度は、「窒素濃度−焼戻温度」の表示により示されている。たとえば、「0.4mass%−240℃」の表示は、窒素濃度が0.4mass%であり、焼戻温度が240℃であることを示している。また、参考として、窒素濃度が0.4mass%で焼戻温度が180℃である場合の結果も示している。図7から明らかなように、窒素濃度が0.4mass%で焼戻温度が240℃である場合には、窒素濃度が0mass%で焼戻温度が180℃である場合とほぼ同じ結果が得られた。しかし、窒素濃度が小さくなるに伴い、圧痕起点型はく離寿命は低下した。したがって、降伏強度の向上と寿命の向上とを両立させるためには、上述のように焼戻温度を高温(240℃、260℃)とし、かつ表層部における窒素濃度を0.4mass%以上にまで高くすることが必要であることが分かった。
(3) 表層部における窒素濃度および焼戻温度と水素脆性はく離寿命との関係
次に、表層部における窒素濃度および焼戻温度が、転動疲労における耐水素性に及ぼす影響について調査した。ここで、転動疲労における水素源は、潤滑剤そのものや潤滑剤に混入した水であり、これらが接触要素間で生じるすべりなどにより分解して水素が発生し、この水素の一部が鋼中に侵入すると考えられている。
スラスト軸受(軸受型番:51106)の軌道輪を試験片として用いて転動疲労試験を行った。運転パターンは、図8に示す急加減速パターンを用いた。図8において、横軸は時間(sec)を示し、縦軸は回転速度(min−1)を示している。また、図8に示すように、0〜0.1secの間に2500min−1の回転速度にまで加速し、その後0.3secの間当該回転速度を維持し、0.1secの間に0min−1にまで減速する。このサイクルを繰り返すことにより試験を行った。ボールは、SUS440C製のものを用い、数は17個(標準個数)から12個に減らした。保持器としては、12等配にするための樹脂製のものを作製し、最大接触面圧を2.3GPaとした。潤滑油には水溶性のポリグリコール油を用い、これに水素源としての純水を混合した(純水濃度:40mass%)。試験機は、軌道輪にはく離が起こり、振動が大きくなった時に自動で停止するようにした。
ここで、水素源である純水が寿命に及ぼす影響(耐水素寿命)が、純水濃度が20mass%以上においては変化ないことは予め確認されている。試験後には、潤滑油における純水の割合が若干低下する。そのため、試験後に純水の混合割合を測定して20mass%以上であることを確認することで、上記実験の耐水素性の評価としての妥当性を担保している。なお、上記実験後には、35mass%程度の純水が残留していた。
図9および表1に、表面窒素濃度および焼戻温度と水素脆性はく離寿命との関係を調査した結果を示す。図9は、耐水素寿命のワイブルプロットであり、横軸は寿命(h)を示し、縦軸は累積破損確率(%)を示している。また、図9中において、窒素濃度および焼戻温度は、図7の場合と同様に「窒素濃度−焼戻温度」の表示により示されている。表1には、各熱処理条件(窒素濃度−焼戻温度)毎のL10寿命(h)、L50寿命(h)およびワイブルスロープの値を示している。
図9および表1から明らかなように、0mass%−180℃の場合にはL10寿命が44hであったのに対し、0.4mass%−180℃の場合には138h(3.1倍)、0.4mass%−240℃の場合には173h(3.9倍)、0.4mass%−260℃の場合には185h(4.2倍)となっており、焼戻温度が高くなるに伴い寿命が長くなった。これは、図6に示す結果を用いて説明したように、焼戻温度が高くなるに伴い塑性変形し難くなることに起因すると考えられる。塑性変形に対して水素が及ぼす作用としては、転位の動きを容易にすることや、転位間の相互作用で生成した原子空孔を安定化し増殖をもたらすことなどが知られている。したがって、塑性変形し難いほど長寿命化したものと考えられる。
なお、最長寿命は、0mass%−180℃の場合には212hであり、0.4mass%−180℃の場合には242hであり、0.4mass%−240℃の場合には251hであり、0.4mass%−260℃の場合には266hであったため、最長寿命としては大きな差はなかった。一方、0mass%−180℃の場合には寿命のばらつきが大きく、その結果L10寿命が短くなっているのに対し、0.4mass%−180℃、0.4mass%−240℃および0.4mass%−260℃の場合はいずれも安定して長寿命になると考えられる。
(4) 焼戻温度と残留オーステナイト(γ)量との関係
次に、焼戻温度と残留オーステナイト量との関係について調査した。上述のように、焼戻温度により軸受の静的負荷容量や寿命が変化するが、製品状態の軸受から焼戻温度の条件を直接的に得ることは困難である。しかし、焼戻温度が一定である場合、窒素濃度が0.4mass%である位置における残留オーステナイト量と焼戻温度との間に相関があるため、当該残留オーステナイト量から間接的に焼戻温度を明らかにすることが可能である。
図10は、焼戻温度と残留オーステナイト量との関係を示している。図10において、横軸は焼戻温度(℃)、縦軸は窒素濃度が0.4mass%の位置における残留オーステナイト量(vol.%)を示している。また、焼戻処理の保持時間は2hで一定である。図10に示すように、焼戻温度が240℃である場合には残留オーステナイト量が8体積%(vol.%)以下となり、焼戻温度が260℃である場合には5vol.%以下にまで低下することが分かった。
(5) 内部の析出物の面積率と焼戻温度との関係
次に、内部の析出物の面積率と焼戻温度との関係について調査した。製品状態から焼戻温度を間接的に明らかにする方法としては、残留オーステナイト量の他に析出物の面積率を測定する方法がある。これは、焼入処理時の加熱温度(ここでは850℃であり、旧オーステナイト結晶粒はJIS規格で9〜11番になる)および焼戻処理時の保持時間が一定である場合には、焼戻温度が高くなるに伴い母地に固溶した炭素が析出し、大きなセメンタイト(Fe3C)が形成されるからである。
図11は、内部の未窒化領域における析出物の面積率と焼戻温度との関係を調査した結果を示している。図11において、横軸は焼戻温度(℃)を示し、縦軸は析出物の面積率(%)を示している。また、焼戻処理における保持時間は2時間で一定とした。また、図12〜図15は、焼戻温度を180℃、210℃、240℃および260℃とした場合における鋼材断面の写真であり、鋼材中の析出物が黒く見えている。図11は、図12〜図15の写真より黒く見える析出物の面積率を算出し、焼戻温度との関係を示したものである。また、図16は、焼入処理時の加熱温度を850℃とした場合での、内部の未窒化領域における旧オーステナイト結晶粒の写真である。
図11より、焼戻温度が240℃である場合には面積率が11%以上となり、260℃である場合には12%以上にまで増加することが分かった。なお、析出物の面積率の判定を内部の未窒化領域で行う理由は、窒化された表層部は炭素の固溶限濃度が変化しているため、析出物の面積率が大きく変動するからである。また、浸炭窒化処理温度や焼入加熱温度でも当該面積率は変動するが、これらは旧オーステナイト結晶粒の平均粒径により推定することが可能である。図16に示すように、加熱温度が850℃である場合での未窒化領域における旧オーステナイト結晶粒の粒度番号は9.5番であった。上記(1)〜(5)の検討より、JIS規格SUJ2からなる鋼材に浸炭窒化処理および焼入処理を施して表面(転走面または転動面)における窒素濃度を0.4mass%以上とし、かつ240℃以上の温度で焼戻処理を行うことにより、安価でかつ降伏強度および寿命が向上した軸受部品が得られることが分かった。
今回開示された実施の形態および実施例はすべての点で例示であって、制限的なものではないと考えられるべきである。本発明の範囲は上記した説明ではなく特許請求の範囲によって示され、特許請求の範囲と均等の意味、および範囲内でのすべての変更が含まれることが意図される。