本件発明は、回復現象を利用して強化した析出硬化型銅合金条に関する。
従来から、銅合金系の材料は機械強度に優れ、導電率も比較的良好であって安価であることから、端子やコネクターなどの通電部材や、機構部品には、主に銅合金条が多用されてきた。そして、自動車の軽量化や電気電子部品の軽薄短小化に伴い、端子などの通電部材の小型化が図られてきた。その結果、通電部材を形成するための材料には、従来の銅合金条では実現困難なレベルの機械強度が必要とされる分野が存在する。従って、引張強さ、伸び率、曲げ加工性及び導電性に良好なバランスを要求される通電部材には、新規に開発された析出硬化型の銅合金条から必要に応じて選択し、経済性を考慮した上で用いている。
ここで、一般的な析出硬化型銅合金条の製造工程について触れておく。一般的な析出硬化型銅合金条の製造工程では、熱間圧延後、最終厚みの1段階前又は2段階前までは冷間圧延と再結晶焼鈍とを施し、その後溶体化処理を施す。溶体化処理後は、冷間圧延を施した後、又は冷間圧延を施さずにそのまま時効析出処理を施す。そして、最終冷間圧延は比較的低い圧延率で施し、歪み取り焼鈍を施して製品を仕上げている。このような工程では、比較的大きな機械強度は溶体化処理と時効析出処理とで達成している。しかし、更に機械強度を大きくするために最終の冷間圧延の圧延率を高めると、伸び率が低下し、曲げ加工性が劣る銅合金条になる。そして、一般的な製造工程を経て得られた銅合金条の結晶組織は、溶体化処理で形成された再結晶粒が、冷間圧延により多少扁平化した形状で観察される。即ち、通常の製品である銅合金条の結晶粒は、溶体化処理で形成され、双晶を多く含むものであって、結晶粒子径も数十μmであることが通常である。
そして、前記析出硬化型銅合金条を通電部材として用いる用途は、要求される導電率のレベルによって3分野に大別することが出来る。第1の分野は導電率70%IACS以上を要求される分野であり、発熱が大きな問題となるパワー半導体用のリードフレームや、高電流を通電する端子等がその対象製品である。この第1分野では、高導電率の他に耐熱性が要求されるが、機械強度としては比較的小さい、引張強さで500N/mm2〜550N/mm2が要求水準の上限レベルとなっている。
第2の分野は、導電率30%IACS〜70%IACS未満を要求される分野であり、パワー系に用いられる中型の端子やスイッチ等がその対象製品である。この第2分野では、比較的大きな機械強度、引張強さで500N/mm2〜550N/mm2以上が要求されている。しかし、端子などの更なる小型化により、より機械強度の大きな通電部材への要求もある。
第3の分野は、導電率が30%IACS未満でも構わない分野であり、導電率よりも機械強度を重視する、メカニカルリレーや信号ラインの端子等がその対象製品である。しかし、最近では信号の高速処理が一般的になっており、第3分野でも高電気抵抗による信号伝達速度の低下が問題視されることもある。その結果、機械強度は維持したままで、より高い導電率を備える通電部材への要求もある。
上記背景から、第2分野と第3分野とにおいて共通の要求である大きな機械強度と高い導電率とを両立させることを目的として、析出元素の添加量を増やす方法、溶体化処理温度を高める方法、新たな析出物を加えるか析出の形態を変える新たな元素を添加する方法等が検討されている。また、溶体化・時効析出処理の前後の加工熱処理方法を改善する方法も検討されている。しかし、上記一般的な析出硬化型銅合金条の製造方法は、高温を必要とする溶体化処理を施すため、エネルギー消費が大きく、コストの上昇を免れ得ない製造方法でもある。そこで、上記の析出硬化型銅合金条の改善の際に良く用いられる方法以外にも、結晶粒を微細化するなど、新しい方法も提案されている。
具体的な方法として、特許文献1には、通電部品に適した銅−ニッケル−ケイ素系合金の製造において、導電性、強度、加工性の同時改善と、工程の簡素化を一挙に達成することを目的として、熱間加工後に、溶体化処理すること無く再結晶温度未満の温度に加熱して、時効析出温度を含む温度域で、例えば85%以上の温間加工を行い、平均結晶粒径1μm以下の組織とする技術が開示されている。特許文献1の実施例によれば、銅−ニッケル−ケイ素系合金を対象として、平均結晶粒子径が0.2μm〜0.4μmで、温間圧延上がりの引張強さは850N/mm2以上を達成し、低温焼鈍後は導電率45%IACS以上、引張強さ700N/mm2以上、伸び率5%以上を達成したとしている。また、特許文献2には、特許文献1とは組成の異なる銅−ニッケル−ケイ素系合金を対象として、同様の温間圧延を施し、平均結晶粒子径が0.35μm〜0.80μmで、低温焼鈍後の導電率50%IACS以上、引張強さ700N/mm2以上、伸び率5%以上をクリアし、曲げ加工性も最小R/tが2.0以下であったとしている。
また、特許文献3には、銅−ニッケル−ケイ素系合金や銅−クロム−ジルコニウム系合金において、強度、加工性のバランスに優れた銅合金を得ることを目的として、最終冷間圧延における加工度ηを[η=ln(T0/T1):但し、T0は圧延前の板厚、T1は圧延後の板厚]で表す場合に、η≧3なる圧延加工を施すことで、最終冷間圧延後に粒径1μm以下の微細な結晶を持ち、引張試験により2%以上の伸びを示すことを特徴とする銅合金が開示されている。特許文献3の実施例によれば、得られた銅−ニッケル−ケイ素系合金は、平均結晶粒子径が0.15μm〜0.40μmで、引張強さ800N/mm2〜830N/mm2、破断伸び2.3%〜4.5%、導電率48%IACS〜51%IACSの優れた強度、伸び、曲げ性を有しているとしている。
上記の、ニッケルとケイ素とを必須添加成分としているコルソン合金系に対し、ニッケルとリンとを必須添加成分とした合金系に関する検討もなされている。特許文献4には、70%IACS以上の高い導電性レベルを有しながら、強度、曲げ加工性、プレス打ち抜き性、耐応力緩和性特性及びその異方性を同時に高レベルに改善した新たな銅合金材料を提供することを目的として、質量%で、鉄が0.1〜0.3%、ニッケルが0.05〜0.3%、リンが0.04〜0.2%、スズが0.03〜0.15%、銅と上記元素とを除く元素の合計含有量が0.1%以下で残部が銅からなる組成を有し、圧延方向と板厚方向に平行な断面における結晶粒について平均アスペクト比(長径/短径)Aが10以上、アスペクト比の最大値Amaxと最小値Aminの比Amax/Aminが1.0〜3.0である組織を有する銅合金が開示されている。特許文献4の実施例によれば、得られた銅合金材料は、平均アスペクト比Aが10以上、アスペクト比の最大値Amaxと最小値Aminの比Amax/Aminが1.0〜3.0を満たす板材が製造でき、導電率70%IACS以上、引張強さ400N/mm2以上を有し、且つ、優れた曲げ加工性とプレス打ち抜き性を有し、耐応力緩和性にも優れていたとしている。
また、特許文献5には、強度、導電性、曲げ加工性、耐応力緩和特性を同時に改善した、薄肉通電部材やバスバーに好適な銅合金を提供することを目的として、質量%で、ニッケルが0.2〜2.5%、スズが0.1〜2.5%、リンが0.04〜0.2%、亜鉛が0〜5%、鉄が0〜0.7%、マンガンが0〜0.7%、コバルトが0〜0.7%、マグネシウムが0〜0.2%で、残部が銅及び不可避的不純物からなり、ニッケル/(鉄+マンガン+コバルト)≧1を満たす組成を持ち、溶体化処理と時効析出処理により実現する平均析出物間距離が10nm以下、析出物の個数が2500nm2あたり10個以上であるニッケル−スズ−リン系銅合金が開示されている。特許文献5の実施例によれば、組成及び製造履歴が適正なものは、平均結晶粒径が6μm〜13μmで、30%IACS以上の導電率を有するとともに、600N/mm2以上の引張強さ、190HV以上の硬さを具備し、且つ熱間加工性にも優れていたとしている。
更に、非特許文献1には、黄銅に強加工を加え、その後200℃付近で焼鈍すると微細な(α+β’)2相混合組織が得られ、曲げ加工性が良好であることが報告されている。
特開2006−169548号公報
特開2006−89763号公報
特開2002−356728号公報
特開2006−299409号公報
特開2006−291356号公報
日本金属学会誌63、9(1999)、1125−1128
上述したように、大きな機械強度と高い導電率とを合金で両立させることを目的として、多岐に亘る検討がなされている。しかし、析出元素を増量したり、析出元素の種類を追加した合金系とする技術を用いて銅合金条を製造すると、これらの元素が高価であり製造原価の上昇を招く。また、鋳造が困難になったり、溶体化温度を上昇させざるを得なくなる場合がある。すると、特殊な設備の導入が必要になったり、製造上の管理が困難になるなどのコストアップ要因が発生する。従って、これらの技術は、製品歩留まりの低下を含むランニングコストの上昇と、設備負荷の増大という問題を避けて通ることが出来ない技術である。
そして、コルソン合金系に関する特許文献1や特許文献2に開示の技術は、温間加工の実施を基本としている。従って、温度制御には高精度が要求され、特別な圧延機を必要とする。即ち、特許文献1や特許文献2に開示の技術は、機械強度と導電率とのバランスは良好ではあっても、設備コストの上昇、歩留まり低下によるランニングコストの上昇などから、従来材と同レベルの価格で銅合金条を供給することは困難な技術である。
また、銅−ニッケル−ケイ素系合金や銅−クロム−ジルコニウム系合金に関する特許文献3に開示の技術は、時効析出処理後の冷間加工の圧延率が高すぎるため、製造途中の銅合金条にエッジ割れを起こす可能性が高い。この様なエッジ割れは、割れの発生した部分で製品歩留まりを低下させる。また、エッジ割れで発生した小片が圧延中の銅合金条に付着することもあり、入念な外観検査が必要になる。即ち、歩留まりが更に低下するだけではなく、余分なランニングコストが発生してしまう。よって、特許文献3に開示の技術は、伸び率が不足気味ではある点を除き、機械強度と導電率とのバランスが良好ではあるが、生産の安定性と製造コストに難点がある技術である。
一方、銅−ニッケル−リン系の合金に関する特許文献4に開示の技術は、仕上げ前焼鈍前後の冷間圧延率を、比較的小さく設定している。その結果、特許文献4に開示の技術を用いて得られる銅合金条の機械強度は、引張強さが400N/mm2を超える程度であり、前述した市場の要求を満足することは出来ない。そして、特許文献5に開示の技術を用いて得られる銅合金条も、銅−ニッケル−リン系の合金であり、コストのかかる溶体化処理を用いているが、導電率が市場要求の30%IACSを僅かにクリアしたレベルが通常である。従って、特許文献4及び特許文献5に開示の技術は、前記第2分野と第3分野との両分野で好適に用いることが出来る銅合金条を製造できる技術ではない。
また、非特許文献1に開示の技術は、銅と亜鉛の二元系の合金を対象としているため、本件発明に係る析出硬化型銅合金条に、直接適用できる技術ではない。
従って、製造コストの上昇要因となる、析出元素の追加、溶体化処理の適用や溶体化処理条件の変更、温間加工や無理な強加工等を採用しなくても製造が可能であり、従来の導電部材に要求されている導電率を維持しながら、電子電気部品の小型化に対応できる、高強度化した通電部材に対する要求があった。
そこで、鋭意研究の結果、本件発明者は、析出硬化型銅合金条の結晶状態を最適に調整して得られた、以下に示す大きな機械強度を備える導電部材に想到した。
本件発明に係る析出硬化型銅合金条: 本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、銅を95.0wt%〜99.5wt%含む析出硬化型銅合金条であって、常態における引張強さが500N/mm2以上、且つ、常態における伸び率が5%以上であり、回復現象を利用して強化したことを特徴としている。
本件発明に係る析出硬化型銅合金条においては、表面の電子後方散乱パターン(以下、EBSPと称する。)分析で検出される結晶方位において、隣接する結晶の方位差が15°未満の結晶粒界の存在割合が30%を超え95%未満であることも好ましい。
本件発明に係る析出硬化型銅合金条においては、光学顕微鏡を用いた表面観察(×800)において双晶が無く加工組織の中に再結晶粒が確認できる表面を備えることも好ましい。
本件発明に係る回復現象を利用して強化した析出硬化型銅合金条においては、ニッケルを含み、リンとケイ素から選択される1種以上を含むものであることも好ましい。
本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、銅を95.0wt%〜99.5wt%含み、常態における引張強さが500N/mm2以上、且つ、常態における伸び率が5%以上の、回復現象を利用して強化した析出硬化型銅合金条である。この析出硬化型銅合金条は、表面のEBSP分析で検出される結晶方位において、隣接する結晶の方位差が15°未満の結晶粒界の存在割合が30%を超え95%未満である。EBSP分析を実施した際に前記結晶方位を備える銅合金条の結晶組織をミクロ的に見ると、TEM観察では析出粒子を除くと、転位が網状になったサブグレインと微細な再結晶粒との混合組織となっており、光学顕微鏡観察(×800)では、再結晶粒は変形帯模様と考えられる加工組織の中に確認される。従って、本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、回復現象を利用して結晶組織を整えている故に、汎用の製造設備を用い歩留まり良く製造が可能でありながら、引張強さ500N/mm2以上を達成しつつ、曲げ加工性や伸び率も改善されている。
本件発明に係る析出硬化型銅合金条の形態: 本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、銅を95.0wt%〜99.5wt%含む析出硬化型銅合金条であって、常態における引張強さ500N/mm2以上、常態における伸び率5%以上を備える、回復現象を利用して強化した析出硬化型銅合金条である。該析出硬化型銅合金条は、電気電子部品の小型化への対応を目的としているため、主に、導電率が70%IACS未満で、常態の引張強さが500N/mm2〜550N/mm2以上の銅合金条を対象としている。そこで、銅を95.0wt%〜99.5wt%含む銅合金条として導電率の低下を避け、機械強度は回復現象を利用して強化している。
しかし、添加成分量が0.5wt%未満の銅合金条は、導電率は良好であるが、大きな機械強度の達成が困難であるため含まない。一方、添加成分を5%を超えて含む、極めて大きな機械強度を備える析出強化型銅合金条は、曲げ加工性を維持しつつ、機械強度を更に大きくすることが困難であるため含まない。この様な、銅を95.0wt%〜99.5wt%含む析出硬化型銅合金条としては、銅−鉄系合金、銅−クロム−ジルコニウム系合金、銅−ニッケル−ケイ素系合金、銅−鉄−リン系合金や銅−マグネシウム−リン系合金などが良く知られており、銅−ニッケル−リン系合金も含まれる。
そして、本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、エネルギー消費が大きな溶体化処理を施すこと無く、常態における引張強さ500N/mm2以上を達成している。本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、回復現象を利用して結晶状態を整えている。その結果、該析出硬化型銅合金条は、常態における引張強さ500N/mm2以上を備え、より好ましい製造条件範囲から得られた銅合金条は、常態における引張強さ550N/mm2以上を備えるものとなる。この様に、回復現象を利用することによって、顕著な焼鈍軟化なしに機械強度を強化することが可能になった析出硬化型銅合金条である。
前記析出硬化型銅合金条は、常態における伸び率が5%以上である。該析出硬化型銅合金条に最終の回復熱処理を施した後の結晶状態は、冷間圧延後に再結晶焼鈍を施した場合と異なり、光学顕微鏡を用いた観察(×800)で視認できる双晶が無い。しかし、加工組織の中には、回復熱処理時に形成された微細な再結晶粒が存在しており、双晶が形成される通常の意味合いでの再結晶は始まっていないが、広義の再結晶が始まっている。その結果、本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、常態における伸び率5%以上を備え、より好ましい製造条件範囲から得られた銅合金条は、常態における伸び率6%以上を備えるものとなる。
本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、上記機械特性を備える故に、曲げ加工性においても良好な特性を発揮する。即ち、圧延方向と平行に曲げ軸を設定する、いわゆるBad Way曲げ試験であっても、クラックの生じない最小曲げ半径Rと板厚との関係において、R/tが1.0以下となり、一般の部品加工には耐えられる。更に、より好ましい製造条件範囲から得られた銅合金条では、曲げ加工性の指標であるR/tは0.5以下となり、より微細な加工にも耐えられる。
前記析出硬化型銅合金条は、表面のEBSP分析で検出される結晶方位において、隣接する結晶の方位差が15°未満の結晶粒界の存在割合が30%を超え95%未満である。本件発明では、加工組織と再結晶組織との存在割合は、表面のEBSP分析で明らかにされる隣接する結晶の方位差を特定し、その特定の方位差を備える結晶粒界の存在頻度分布で表す。EBSP分析では、EBSP検出装置を取り付けた走査型電子顕微鏡(Scanning Electron Microscope:以下、SEMと称する。)を用いて、ミクロな結晶方位や結晶系を測定し、結晶粒毎の情報を得ている。そして、得られた結晶方位データから、結晶粒の方位分布(集合組織や結晶粒分布)が解析可能である。従って、隣接する結晶粒の結晶方位を比較すれば、特定の結晶粒界方位差を備える結晶粒界の存在割合を頻度分布として得ることが出来る。
そして、EBSP分析では、再結晶状態の結晶粒界方位差は15°以上あるとされている。従って、再結晶していない強加工により形成された加工組織から形成された回復過程にあるサブグレインにおける結晶粒界方位差は15°未満である。即ち、サブグレインが多く、機械強度が大きい銅合金条では、結晶粒界方位差が15°未満の結晶粒界の比率が多くなる。そして、結晶粒界方位差が15°以上を占める部分は、再結晶が進行した結晶粒界になる。以上の観点を実験結果と対比して考えると、結晶粒界方位差が15°未満の結晶粒界の存在割合が30%以下の銅合金条は、本発明に係る回復現象を利用するには焼鈍が過剰で、双晶を伴う再結晶が起こっており、機械強度が不足した銅合金条であるため好ましくない。一方、結晶粒界方位差が15°未満の結晶粒界の存在割合が95%以上になると、回復熱処理による微細な再結晶粒の形成が不足し、伸び率が低く、曲げ加工性に劣る銅合金条であるため好ましくない。なお、本件発明における前記EBSP分析は、SEM観察の倍率(×1500)の視野で実施し、結晶粒界方位差2.00°を起点として、結晶粒界が存在する数を集約するピッチを3.15°に設定して実施するものである。
また、本件発明に係る析出硬化型銅合金条においては、表面のEBSP分析で検出される結晶粒界方位差が19.325°〜53.975°の範囲にある結晶粒界において、最大の存在割合を示す結晶粒界は結晶粒界方位差が35.075°の結晶粒界であり、且つ、結晶粒界方位差が35.075°の結晶粒界の存在割合と結晶粒界方位差が3.575°の結晶粒界の存在割合との比の値[(結晶粒界方位差が35.075°の結晶粒界の存在割合)/(結晶粒界方位差が3.575°の結晶粒界の存在割合)]が0.05以上である。前述のように、サブグレインの存在下では、EBSP分析で検出される結晶粒界方位差が15°未満となる。一方、双晶が存在すると、EBSP分析で検出される結晶粒界方位差は60°付近が多くなる。従って、結晶粒界方位差が19.325°〜53.975°の結晶粒界を備える結晶は、静的連続再結晶により形成された、微細な再結晶粒であると判断できる。
前述のように、本件発明では、特定の結晶粒界方位差を備える結晶粒界の存在割合は、EBSP分析において、結晶粒界方位差2.00°を起点として、結晶粒界が存在する数を集約するピッチを3.15°に設定した結晶粒界数から求めている。従って、上記結晶粒界方位差が3.575°の結晶粒界の存在割合とは、結晶粒界方位差が2.00°から5.15°の範囲に分布している結晶粒界数の合計を、全結晶粒界数で除して得られた存在割合である。よって、EBSP分析のデータ解析において、結晶粒界が存在する数を集約するピッチを3.15°と異なる設定とすれば、同じ銅合金条のEBSP分析結果であっても、上記特定の結晶粒界方位差の結晶粒界の存在割合や、存在割合が最大となる結晶粒界方位差の値等が異なる場合があることを断っておく。
本件発明に係る析出硬化型銅合金条においては、光学顕微鏡を用いた表面観察(×800)において、双晶が無く加工組織の中に再結晶粒が確認できる表面を備える。従来の製造方法で得られる析出硬化型銅合金条に対し、本件発明に係る析出硬化型銅合金条には、光学顕微鏡を用いた観察(×800)で視認できる双晶が無い。即ち、析出硬化型銅合金条に施す熱処理が回復熱処理であれば、一般の再結晶焼鈍工程で発生するような明らかな再結晶は起こらない。再結晶焼鈍工程で発生するような再結晶が起こらないのは、時効析出処理により析出した粒子が、通常の粒界大移動を伴う再結晶を抑制するからである。この抑制効果によって、回復熱処理中に、転位が整理されたサブグレイン(回復粒)と粒界大移動の無い微細な再結晶粒(静的連続再結晶粒)が出現する。即ち、本件発明に係る析出硬化型合金条では、回復熱処理を施した後に光学顕微鏡を用いて表面観察(×800)を行うと、双晶が無く、変形帯模様と考えられる加工組織の中に再結晶粒が確認できる。そして、この様な結晶組織を備えると、良好な機械特性が得られるとの新たなコンセプトを実現した故に、本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、引張強さ、伸び率、曲げ加工性に優れているのである。
本件発明に係る析出硬化型銅合金条を製造するには、組成を調整して鋳造した銅合金のインゴットを準備し、熱間圧延後、直ちに時効析出処理を施す。一般的な銅合金条を製造する中間工程では、冷間圧延と再結晶焼鈍とを行うが、本件発明に係る析出硬化型銅合金条を製造する工程では、冷間圧延後の再結晶焼鈍に代えて、回復熱処理を施す。再結晶焼鈍に代えて施す回復熱処理は、最終冷間圧延後にも最終回復熱処理として施す。回復熱処理の実施回数と加熱条件とは、合金組成と、引張強さと伸び率の確保、曲げ加工性の向上、エッジ割れの防止、残留歪みの解放などの回復熱処理の目的に適した条件設定とすれば良い。なお、後の実施例に示すように、最終冷間圧延における圧延率は、一般的な製造方法における、溶体化処理・時効析出処理後の冷間圧延の圧延率よりも高く設定できる。最終冷間圧延の圧延率を高く設定することで本件発明に係る析出硬化型銅合金条は大きな機械強度を達成しており、この様に最終冷間圧延で圧延率を高く設定できるのは、回復現象を利用するためである。
例えば、ニッケルを0.5wt%〜1.5wt%、リンを0.05wt%〜0.20wt%含む銅合金条であれば、組成を調整した合金インゴットを鋳造し、該合金インゴットを800℃〜950℃で熱間圧延した後、400℃〜550℃で1時間〜10時間維持して時効析出処理を行う。このとき、粒子径が1μm程度の粗大析出物が生ずるが、その数は少なく、分布がまばらであるため、曲げ加工性に悪影響を与えることは無い。その後、該時効析出処理済み銅合金条を、圧延率50%〜90%で中間の冷間圧延を施す。冷間圧延を施した銅合金条に対しては、炉内温度を300℃〜600℃とした連続焼鈍設備を用い、通板時間を3分以内として中間の回復熱処理を施す。そして、この中間の冷間圧延と中間の回復熱処理との組み合わせを1回以上実施する。また、中間の回復熱処理の少なくとも1回は、回復熱処理前の冷間圧延上がりの銅合金条のビッカース硬度を基準としたときに、回復熱処理後のビッカース硬度の低下率が4%以上となるように加熱条件を設定する。このとき、最終製品の機械特性として、引張強さを犠牲にしてでも伸び率や曲げ特性を重視するのであれば、回復熱処理後のビッカース硬度の低下率を大きく設定する。
そして、前記中間回復熱処理済み銅合金条に対して、圧延率20%〜95%で最終冷間圧延を施す。更に、最終冷間圧延後の銅合金条には、最終冷間圧延上がりの銅合金条のビッカース硬度を基準としたときに、最終回復熱処理後のビッカース硬度の低下率が15%以下となるように、加熱条件を設定した最終回復熱処理を施す。この場合も、最終製品の機械特性として、引張強さを犠牲にしてでも伸び率や曲げ特性を重視するのであれば、回復熱処理後のビッカース硬度の低下率を大きく設定する。具体的には、引張強さを重視する場合には5%以下、曲げ加工性や導電率を重視する場合には15%近くが、回復熱処理前後のビッカース硬度低下率の目安となる。また、上記製造工程においては、時効析出処理済み銅合金条を冷間圧延した後に再度の時効析出処理を施すことも出来る。また、最終の時効析出処理後に実施する複数回の冷間圧延の累積圧延率は、95%以上とすることが好ましい。
本件発明に係る析出硬化型銅合金条においては、前記再結晶粒は、その大きさが3μm以下である。この再結晶粒は、最終又は中間の回復熱処理で形成された微細な再結晶粒である。結晶粒界の大移動が無い状態で微細な再結晶粒が形成されるレベルの最終の回復熱処理を施された銅合金条は、熱処理を施してあっても、双晶の形成が光学顕微鏡(×800)では確認できず、良好な機械特性と導電性とを併せ持つ銅合金条である。また、この銅合金条は、光学顕微鏡(×800)での双晶の形成は確認できないが、微細な再結晶粒を視認できる状態であれば、双晶の存在による機械強度の低下が無い。即ち、加工硬化作用による大きな機械強度を備える銅合金条である。また、冷間圧延工程で付与された歪みは解放されており、応力緩和性及びバネ限界値に優れ、曲げ加工性も改善されている。
本件発明に係るニッケルを必須成分として含み、リンとケイ素から選択される1種以上を含む析出硬化型銅合金条は、一般的な析出硬化型銅合金条として例示されることの多い銅合金条であり、本件発明でも好適に用いることが出来る。そして、ニッケルとリンとを含む析出硬化型銅合金条は、機械的な強度よりも導電性を重視する前述の第2分野に向けて開発されている銅合金条である。そして、本件発明に係るニッケルとリンとを含む析出硬化型銅合金条の好適な例を示せば、ニッケルの含有量を0.5wt%〜1.5wt%、リンの含有量を0.05wt%〜0.20wt%、スズの含有量が0.00%〜0.04%、亜鉛の含有量を0.00%〜0.50%である。この様な合金組成とすれば、常態の引張強さが500N/mm2以上、常態の伸び率が5.0%以上で、導電率は50%IACS以上となる。
一方、ニッケルとケイ素とを含む析出硬化型銅合金条は、いわゆるコルソン合金条であり、前述の第2分野の中でも、導電性よりも機械的な強度を重視する用途に多く用いられている銅合金条である。しかしながら、溶体化処理を必須とするなど、製造コストが高いという欠点を有する。これに対し、本件発明に係るニッケルとケイ素とを含む析出硬化型銅合金条においては、ニッケルの含有量を0.4wt%〜4.0wt%、ケイ素の含有量を0.1wt%〜1.0wt%とし、その他任意の添加成分として、ホウ素、スズ、亜鉛、クロム、コバルト、マンガン、マグネシウム、アルミニウム、チタン、鉄、ジルコニウムから選択される1種又は2種以上を含むものを用いる。この組成であれば、既存の製造設備を用いても、常態の引張強さが600N/mm2以上、常態の伸び率が5.0%以上で、導電率は30%IACS以上と出来る。
上記では、析出硬化型銅合金の添加元素のうち、必須元素成分としてのニッケルと、リン及び/又はケイ素を中心に例示している。しかし、その他の元素を更に添加することも可能である。例えば、亜鉛を添加した組成とすれば、半田めっきやスズめっきを施して長時間加熱した場合のめっき皮膜の剥がれを防止することが出来る。この様に、添加元素の選択に際しては、得られる析出硬化型銅合金条の特性として、機械特性を重視するか、電気特性を重視するか等、重視する特性項目と目標とするレベルに適した元素配合とする。しかし、添加の効果を十分に発揮した銅合金条を製造するためには、これら元素の添加量を、合計で0.01%以上とすることが好ましい。しかし、これら元素の添加量が合計で3%を超えると、熱間圧延又は冷間圧延における加工性の低下を招くことがあるので留意すべきである。
以下、実施例及び比較例の記述に先立ち、それぞれで得られた銅合金条の評価項目とその評価方法について述べる。
一般物性: 引張強さ及び伸び率はJIS Z 2241に準拠し、万能試験機を用いて測定した。ビッカース硬度(HV)はJIS Z 2244に準拠して測定した。導電率は、日本ホッキング社製デジタル導電率計(オートシグマ3000)で測定した。
曲げ加工性: 銅合金条の曲げ加工性は、日本伸銅協会の技術標準JCBA−T307に準拠し、W曲げ試験で評価した。具体的には、曲げ軸を圧延方向に垂直方向に取ったGood Way、曲げ軸を圧延方向に平行方向に取ったBad Wayの両方向にW曲げ試験を行い、クラックを生じない最小曲げ半径Rを求め、試験片の厚みtを用いて曲げ加工性の指標であるR/tを算出した。
耐応力緩和性: 銅合金条の耐応力緩和性は、日本伸銅協会の技術標準JCBA−T309に準拠して測定した。具体的には、試験片が備える0.2%耐力の80%相当の曲げ応力を負荷し、150℃×1000時間後の応力緩和率で評価した。使用環境の厳しい自動車用端子用途で要求されている耐応力緩和性は、この評価方法で得られる応力緩和率で30%未満である。
結晶状態の観察: 銅合金条の結晶状態は、光学顕微鏡と透過型電子顕微鏡(Transmission Electron Microscope:以下、TEMと称する。)とを用い、光学顕微鏡を用いた表面の結晶状態の観察は倍率(×800)、TEMを用いた表面の結晶状態の観察は倍率(×5000)で実施した。
EBSP分析: 銅合金条表面のEBSP分析には、株式会社TSLソリューションズ製のEBSP検出器を取り付けた日立製作所株式会社製のSEM(S4300)と、解析ソフトVer.4を用いた。具体的には、SEMの倍率を(×1500)として視野範囲内を評価し、特定の結晶粒界方位差に対応する結晶粒界の存在割合の分布を得た。そして、結晶粒界方位差15°未満の結晶粒界の存在割合は、EBSP分析により得られた結晶粒界方位差が16.175°以下の結晶粒界の存在割合と結晶粒界方位差13.025°以下の結晶粒界の存在割合との平均値とした。
銅合金板の作成: 実施例1では、ニッケルを1.0wt%、リンを0.11wt%、スズを0.03wt%、亜鉛を0.15wt%含む銅合金組成を選択した。具体的には、上記成分調整に必要な材料を高周波溶解炉に投入し、木炭カバーをして溶解した。そして、この溶湯を金型に流し込んで、厚さ30mmのインゴット5kgを作成した。このインゴットの温度を900℃として熱間圧延を施し、厚さ13mmの銅合金板を得た。その後、この銅合金板に460℃で2時間の時効析出処理を施した。
前記時効析出処理を施した銅合金板の表面を研磨してスケールを除去した後、圧延率86%で1回目の冷間圧延を施し、厚さ1.8mmの銅合金板を得た。1回目の冷間圧延上がりの銅合金板に対する1回目の回復熱処理は、回復熱処理前後のビッカース硬度の低下率が4%になるように、熱処理温度を460℃に設定して行った。1回目の回復熱処理を施した銅合金板に対し、更に圧延率82%で2回目の冷間圧延を施して、厚さ0.33mmの銅合金板を得た。上記から、実施例1における時効析出処理後の累積圧延率は、97.5%であった。そして、2回目の冷間圧延上がりの銅合金板に、1回目の回復熱処理と同様の条件で2回目の回復熱処理を施した。2回目の回復熱処理前後におけるビッカース硬度の低下率は11%であった。そして、2回目の回復熱処理を施した銅合金板の引張強さは568N/mm2、伸び率は10.0%、ビッカース硬度は185、導電率は56.3%IACSであった。2回目の冷間圧延以降に得られた銅合金板の特性評価結果を、実施例2、実施例3、比較例1及び比較例2の結果と併せて後の表1に示す。
実施例1で得られた銅合金板の曲げ加工性を評価した結果、W曲げ試験でクラックを生じない最小曲げ半径Rは、Good Wayで0.05mm以下、Bad Wayで0.15mm以下であった。従って、曲げ加工性の指標であるR/tは、Good Wayで0.15以下、Bad Wayでは0.45以下である。この、実施例1で得られた銅合金板表面の光学顕微鏡観察(×800)では、双晶は観察されず、加工組織の中に微細な結晶粒が視認できた。EBSP分析の結果得られた、結晶粒界方位差に対応する結晶粒界の存在割合の分布を図1に示す。図1の頻度分布によれば、結晶粒界方位差が15°未満の存在割合は47.6%である。以上の評価結果を、実施例2、実施例3、比較例1及び比較例2の結果と併せて、後の表2に示す。
実施例2では、実施例1で得られた2回目の回復熱処理を施した銅合金板に対して、最終冷間圧延を圧延率39%で実施して、厚さ0.2mmの銅合金板を得た。上記から、実施例2における時効析出処理後の累積圧延率は、98.5%であった。この最終冷間圧延上がりの銅合金板のビッカース硬度は198であった。そして、最終冷間圧延上がりの銅合金板への最終回復熱処理は、回復熱処理前後のビッカース硬度の低下率が1%になるように、熱処理温度を385℃に設定して行った。その結果、最終回復熱処理を施した後の銅合金板のビッカース硬度は197であった。また、最終回復熱処理を施した銅合金板の導電率は、55.5%IACSであり、引張強さは618N/mm2、伸び率は9.3%であった。最終冷間圧延以降に得られた銅合金板の特性評価結果を、実施例1、実施例3、比較例1及び比較例2の結果と併せて後の表1に示す。
実施例2で得られた銅合金板の曲げ加工性を評価した結果、W曲げ試験でクラックを生じない最小曲げ半径Rは、Good Wayで0.05mm以下、Bad Wayで0.1mmであった。従って、曲げ加工性の指標であるR/tは、Good Wayで0.25以下、Bad Wayでは0.50である。そして、応力緩和率は24%であった。この、実施例2で得られた銅合金板表面の光学顕微鏡観察(×800)では、双晶は観察されず、加工組織の中に微細な結晶粒が視認できた。表面観察写真を図2に示す。そしてTEM観察では、加工組織の中に、再結晶粒、サブグレインと析出粒子の混在が確認できた。TEM写真を図3に示す。また、EBSP分析の結果得られた、結晶粒界方位差に対応する結晶粒界の存在割合の分布を図4に示す。図4の頻度分布によれば、結晶粒界方位差が15°未満の存在割合は68.2%である。以上の評価結果を、実施例1、実施例3、比較例1及び比較例2の結果と併せて、後の表2に示す。
銅合金板の作成; 実施例3では、ニッケルを2.1wt%、ケイ素を0.50wt%、スズを0.33wt%、亜鉛を0.98%含む銅合金組成を選択した。具体的には、上記成分調整に必要な材料を高周波溶解炉に投入し、木炭カバーをして溶解し、溶湯を金型に流し込んで厚さ30mmのインゴット5kgを作成した。このインゴットの温度を850℃として熱間圧延を施し、厚さ13mmの銅合金板を得た。その後、この銅合金板を460℃で4時間の時効析出処理を施した。
この時効析出処理を施した銅合金板の表面を研磨してスケールを除去した後、圧延率86%で1回目の冷間圧延を施し、厚さ1.8mmの銅合金板を得た。この1回目の冷間圧延上がりの銅合金板に対する1回目の回復熱処理は、熱処理温度を550℃に設定して行った。1回目の回復熱処理を施した銅合金板に対し、更に圧延率82%で2回目の冷間圧延を施して厚さ0.33mmの銅合金板を得、1回目の回復熱処理と同じ条件で2回目の回復熱処理を施した。2回目の回復熱処理前後のビッカース硬度の低下率は10%であった。
前記2回目の回復熱処理を施した銅合金板に対する最終冷間圧延は圧延率39%で実施して、厚さ0.2mmの銅合金板を得た。上記から、実施例3における、時効析出処理後の累積圧延率は、98.5%であった。最終冷間圧延上がりの銅合金板への最終回復熱処理は、回復熱処理前後のビッカース硬度の低下率がほぼ0%になるように、熱処理温度を460℃に設定して行った。最終回復熱処理後の銅合金板の導電率は35.1%IACS、引張強さは698N/mm2、伸び率は7.7%であった。最終回復熱処理後の銅合金板の物性評価結果を、実施例1、実施例2、比較例1及び比較例2の結果と併せて、後の表1に示す。
実施例3で得られた銅合金板の曲げ加工性は、W曲げ試験で用いる試験片の幅を、厚みの10倍である2mmとして実施した。その結果、クラックを生じない最小曲げ半径Rは、Good Wayで0.10mm以下、Bad Wayで0.1mmであった。従って、曲げ加工性の指標であるR/tは、Good Wayで0.50以下、Bad Wayでは0.50である。そして応力緩和率は22%であった。この、実施例3で得られた銅合金板表面の光学顕微鏡観察(×800)では、双晶は観察されず、加工組織の中に微細な結晶粒が視認できた。また、EBSP分析の結果得られた、結晶粒界方位差に対応する結晶粒界の存在割合の分布を図5に示す。図5の頻度分布によれば、結晶粒界方位差が15°未満の存在割合は75.5%である。以上の評価結果を、実施例1、実施例2、比較例1及び比較例2の結果と併せて、後の表2に示す。
比較例
[比較例1]
銅合金板の作成: 比較例1では、ニッケルを0.91wt%、リンを0.098wt%、スズを0.04wt%、亜鉛を0.11%含む銅合金組成を選択した。具体的には、上記成分調整に必要な材料を量産ラインのガス炉に投入して溶解し、縦型半連続鋳造機を用いて、厚さ160mmのインゴット3500kgを作成した。このインゴットの温度を860℃とし、量産ラインの熱間圧延機を使用して熱間圧延を施し、厚さ13mmの銅合金条を得た。両面を各0.5mm面削した該銅合金条から試験用の銅合金板をサンプリングし、冷間圧延と焼鈍とを施して厚さ0.60mmの銅合金板を得た。その後、この銅合金板を850℃に加熱して溶体化処理し、その後、460℃で4時間時効析出処理を施した。
前記溶体化・時効析出処理を施した銅合金板を、圧延率25%で最終冷間圧延し、板厚0.45mmの銅合金板を得た。上記から、比較例1における時効析出処理後の累積圧延率は、最終冷間圧延の圧延率である25%である。この最終冷間圧延上がりの銅合金板のビッカース硬度は151であった。最終冷間圧延上がりの銅合金板に対する最終回復熱処理は、回復熱処理前後のビッカース硬度の低下率がほぼ0%になるように、熱処理温度を380℃に設定して行った。最終回復熱処理後の銅合金板のビッカース硬度は152であった。また、導電率は61.8%IACS、引張強さは441N/mm2、伸び率は3.0%であった。上記溶体化・時効析出処理以降に得られた銅合金板の物性評価結果を、実施例1〜実施例3及び比較例2の結果と併せて、後の表1に示す。
比較例1で得られた銅合金板の曲げ加工性を評価した結果、クラックを生じない最小曲げ半径Rは、Good Wayで0.30mm、Bad Wayで0.2mmであった。従って、曲げ加工性の指標であるR/tは、Good Wayで0.67、Bad Wayでは0.44である。この、比較例1で得られた銅合金板表面の光学顕微鏡観察(×800)では、双晶4が視認できた。表面観察写真を図6に示す。また、EBSP分析の結果得られた、結晶粒界方位差に対応する結晶粒界の存在割合の分布を図7に示す。図7の頻度分布によれば、結晶粒界方位差が15°未満の存在割合は7.7%であり、本件発明が規定する30%を超え95%未満の範囲外であった。そして、この比較例1の銅合金板では、最大の存在割合を示す結晶粒界の結晶粒界方位差は、60.275°であった。以上の評価結果を、実施例1〜実施例3及び比較例2の結果と併せて、後の表2に示す。
[比較例2]
銅合金板の作成: 比較例2では、比較例1と同様の、ニッケルを0.91wt%、リンを0.098wt%、スズを0.04wt%、亜鉛を0.11%含む銅合金組成を選択した。具体的には、上記成分調整に必要な材料を生産ラインのガス炉に投入して溶解し、縦型半連続鋳造機を用いて、厚さ160mmのインゴット3500kgを作成した。このインゴットの温度を860℃とし、量産ラインの熱間圧延機を使用して熱間圧延を施し、厚さ13mmの銅合金条を得た。この銅合金条から試験用の銅合金板をサンプリングし、両面を研磨して酸化膜を取り除いた。この銅合金板を、試験冷間圧延機を用いて1回目の冷間圧延を施し、厚さ2.5mmの銅合金板を得た。この1回目の冷間圧延上がりの銅合金板を790℃で20分間維持して溶体化処理を施し、その後430℃で16時間時効析出処理を施した。この時効析出処理を施した銅合金板に対して、最終冷間圧延を圧延率90%で実施して、厚さ0.25mmの銅合金板を得た。上記から、比較例2における時効析出処理後の累積圧延率は、1回のみ実施した最終冷間圧延の圧延率である90%である。この最終冷間圧延上がりの銅合金板への最終回復熱処理は、最終回復熱処理前後のビッカース硬度の低下率が3%になるように、熱処理温度を385℃に設定して行った。上記結果のうち、最終冷間圧延以降の銅合金板の物性評価結果を、実施例1〜実施例3及び比較例1の結果と併せて、以下の表1に示す。
比較例2で得られた銅合金板の曲げ加工性を評価した結果、曲げ半径を0.3mmとしたBad Way評価でクラックと判定される深いしわが観察された。従って、曲げ加工性の指標であるR/tは、Bad Wayで1.20を超えている。表面の光学顕微鏡観察の添付は省略する。また、EBSP分析の結果得られた、結晶粒界方位差に対応する結晶粒界の存在割合の分布を図8に示す。図8の頻度分布によれば、結晶粒界方位差が15°未満の存在割合は97.7%であり、本件発明が規定する30%を超え95%未満の範囲外であった。以上の評価結果を、実施例1〜実施例3及び比較例1の結果と併せて、以下の表2に示す。
[実施例と比較例との対比]
顕微鏡観察: 実施例2の銅合金板の表面を光学顕微鏡で観察すると、図2に示すように、微細な再結晶粒1が楕円状に点々と観察されるが、比較例1の図6に見られるような双晶4は見あたらない。そして、図3に示すTEM観察像では、転位が絡まって粒塊状となっているサブグレイン2と、再結晶粒1及び微細な析出粒子3が確認できる。なお、上記TEM観察像では再結晶粒が観察された部分を示しているが、視野が異なれば再結晶粒が認められない場合があることを断っておく。
これに対し、溶体化・時効析出処理を実施して双晶を発生させた比較例1の銅合金板では、表面を光学顕微鏡で観察した図6に見られるように、双晶4が明らかに観察される。
物性: 実施例で得られた銅合金板の引張強さは、銅−ニッケル−リン系合金の実施例1では550N/mm2を超えており、実施例2では600N/mm2を超えている。そして、コルソン合金系の実施例3では、ほぼ700N/mm2が得られている。また、伸び率も、実施例1では10.0%、実施例2では9.3%、実施例3では7.7%と、良好な値が得られている。以上の機械特性を反映し、曲げ試験では、曲げ加工性の指標であるR/tが共に0.5以下であり、良好な曲げ加工性を示している。そして、導電率では、実施例1及び実施例2の銅−ニッケル−リン系の銅合金板は50%IACSを満足し、実施例3の銅合金板は、35%IACSを示している。即ち、実施例1〜実施例3で得られた銅合金板の導電率は、合金組成から来る傾向が現れてはいるものの、良好なレベルを達成できている。
これに対し、比較例1の銅合金板は、引張強さが440N/mm2程度であり、市場の要求を満たすことは出来ていない。また、伸び率も3.0%と小さい値となっている。その結果、曲げ試験では、Good Wayで0.30mm(R/t=0.67)、Bad Wayで0.20mm(R/t=0.44)であり、実施例の銅合金板と比べると、曲げ加工性が明らかに劣っている。また、圧延率を高めにとっているにもかかわらず、引張強さに十分大きな数値を得ることが出来ていない。また、圧延率を高くしているために伸び率と曲げ加工性にも良好な値は得られていない。即ち、ここで採用した合金組成では、従来の方法で製造できる銅合金板には機械特性に限界があることを示している。そして、比較例2の銅合金板は、引張強さが600N/mm2をクリアしている。しかし、伸び率が4.3%であり、実施例で得られたいずれの銅合金板と比較しても低レベルである。その結果、曲げ加工性の評価試験ではクラックが入ってしまった。また、比較例2の銅合金板は導電率も57%IACS前後で実施例2と同等であり、特性バランスが良好であるとは言えない銅合金板である。
EBSP分析: 結晶粒界方位差が15°未満の結晶粒界の存在割合は、実施例1で47.6%、実施例2で68.2%、実施例3では75.5%である。また、図1、図4、図5の頻度分布図によれば、結晶粒界方位差が15°以上を備える結晶粒界の存在割合のピークは、双晶領域を除けば、いずれも35.075°に存在している。これに対し、比較例1の銅合金板の、結晶粒界方位差が15°未満の結晶粒界の存在割合は、図7に見られるように7.7%にすぎない。そして、比較例1の銅合金板で最大の存在割合を示す結晶粒界の結晶粒界方位差は60.275°である。この60.275°の結晶粒界方位差は、光学顕微鏡でも確認されている双晶の存在を示している。即ち、比較例1の銅合金板には、圧延率25%の最終冷間圧延と最終回復熱処理とを施しているにもかかわらず、溶体化・時効析出処理の際の再結晶の影響が強く残っている。一方、比較例2の、溶体化・時効析出処理後の圧延率が90%と高く、回復熱処理を1回しか施していない銅合金板では、結晶粒界方位差が15°未満の結晶粒界の存在割合が、図8に見られるように97.7%である。即ち、再結晶粒が極めて少ないことが、伸び率が小さく、曲げ加工性も不良となった要因である。
なお、結晶粒界方位差が35.075°の結晶粒界の存在割合と結晶粒界方位差が3.575°の結晶粒界の存在割合との比の値[(結晶粒界方位差が35.075°の結晶粒界の存在割合)/(結晶粒界方位差が3.575°の結晶粒界の存在割合)]に着目すると、実施例1で0.21、実施例2で0.078、実施例3では0.051であり、全て0.05を超えている。これに対し、比較例1の銅合金板は0.553であるが、その前後の結晶方位差を備える結晶粒界が示す値よりも小さい。また、比較例2の銅合金板は0.01にすぎない。また、双晶の存在を示す結晶粒界方位差が60.275°の結晶粒界の存在割合が実施例1で3.8%、実施例2で2.5%、実施例3で3.6%である。ところが、比較例2の銅合金板では0.4%である。従って、実施例1〜実施例3の銅合金板には、光学顕微鏡観察(×800)では視認できないが、回復熱処理により双晶も僅かに発生していることが推察できる。更に、図示していない別視野のTEM観察では、1μm程度の粗大析出粒子が視認されている。従って、光学顕微鏡を用いた観察においても、この粗大析出粒子が視認される可能性がある。
上述のように、機械強度、曲げ加工性と導電率とのバランスが良好な銅合金条であるためには、最終仕上げ後の、サブグレインと再結晶粒との混在比率が重要である。そして、製造の都度のEBSP分析を必要とせず、仕上がり状態が簡便に把握できることも好ましい。この観点から、光学顕微鏡を用いた表面観察(×800)において双晶が無く加工組織の中に再結晶粒が確認できる表面状態を備えている銅合金条が、特性バランスに優れた析出硬化型銅合金条なのである。
本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、銅を95.0wt%〜99.5wt%含み、常態における引張強さが500N/mm2以上、且つ、常態における伸び率が5%以上の物性を備える回復現象を利用して強化した析出硬化型銅合金条である。そして、表面のEBSP分析で検出される結晶方位において、隣接する結晶の方位差が15°未満の結晶粒界の存在割合が30%を超え95%未満である。EBSP分析を実施した際に前記結晶方位分布を備える回復現象を利用して強化した銅合金条の結晶組織をミクロ的に見ると、析出粒子を除く部分は転位が網状になったサブグレインと微細な再結晶粒との混合組織となっており、光学顕微鏡を用いた観察(×800)の視野のもとでは、再結晶粒が変形帯模様と考えられる加工組織の中に存在している。その結果、本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、引張強さ500N/mm2以上を達成しつつ、曲げ加工性や伸び率も改善されている。従って、本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、自動車の軽量化や電気電子部品の軽薄短小化に伴う、端子などの通電部材の小型化に寄与できる。そして、実際の製造工程における短時間の回復熱処理は、全て連続焼鈍炉で対応できる。即ち、本件発明に係る銅合金条は、溶体化処理を必要としていないため、その製造に当たっては、半連続鋳造機、熱間圧延機、ベル型焼鈍炉、冷間圧延機、連続焼鈍酸洗ラインなどの汎用の製造設備を用いた生産が可能であり、歩留まりも良好で、製造コストの上昇も抑制された析出硬化型の銅合金条である。また、本件発明に係る析出硬化型銅合金条は、比較的少ない添加成分量で大きな機械強度を実現しているため、省資源化された銅合金であり、リサイクルも容易である。
符号の説明
1 再結晶粒
2 サブグレイン
3 析出粒子
4 双晶
実施例1で得られた析出硬化型銅合金板断面の、特定の結晶粒界方位差を備える結晶粒界の存在割合を示す頻度分布である。
実施例2で得られた析出硬化型銅合金板表面の、光学顕微鏡観察写真(×800)である。
実施例2で得られた析出硬化型銅合金板表面の、TEM観察写真(×5000)である。
実施例2で得られた析出硬化型銅合金板表面の、特定の結晶粒界方位差を備える結晶粒界の存在割合を示す頻度分布である。
実施例3で得られた析出硬化型銅合金板表面の、特定の結晶粒界方位差を備える結晶粒界の存在割合を示す頻度分布である。
比較例1で得られた析出硬化型銅合金板表面の、光学顕微鏡観察写真(×75)である。
比較例1で得られた析出硬化型銅合金板表面の、特定の結晶粒界方位差を備える結晶粒界の存在割合を示す頻度分布である。
比較例2で得られた析出硬化型銅合金板表面の、特定の結晶粒界方位差を備える結晶粒界の存在割合を示す頻度分布である。