本発明は、電界の作用下で機能を発現する新規な機能性分子素子及び機能性分子装置に関するものである。
ナノテクノロジーは、大きさが1億分の1メートル(10-8m=10nm)程度の微細構造を観察・作製・利用する技術である。
1980年代後半に、走査型トンネル顕微鏡と呼ばれる超高精度の顕微鏡が発明され、原子1個、分子1個を見ることができるようになった。走査型トンネル顕微鏡を用いれば、原子や分子を観察できるばかりでなく、1個ずつ操作することができる。
例えば、結晶の表面に原子を並べて文字を書いた例等が報告されている。しかし、原子や分子を操作できると言っても、莫大な個数の原子や分子を1個ずつ操作して、新材料やデバイスを組み立てるのは実際的ではない。
原子や分子やその集団を操作して、ナノメートルサイズの構造体を形成するには、それを可能にする新しい超精密加工技術が必要である。そのようなナノメートル精度の微細加工技術として、大きく分けて2つの方式が知られている。
1つは、従来から様々な半導体デバイスの製造に用いられてきた方法で、例えば大きなシリコンウエハを限界まで小さく精密に削り込んで行き、集積回路を作り込むような、所謂トップダウン型の方法である。他の1つは、極微の単位である原子や分子を部品として、小さな部品を組み上げて目的のナノ構造体を作製する、所謂ボトムアップ型の方法である。
トップダウン方式によって、どの位小さな構造体を作製できるかという限界に関しては、インテルの共同創設者であるゴードン・ムーアが1965年に提示した有名なムーアの法則がある。これは、「トランジスタの集積度は18ヶ月で2倍になる。」という内容である。1965年以後、半導体産業界は、30年以上にわたって、ムーアの法則どおりにトランジスタの集積度を高めてきた。
米半導体工業会(SIA)から発表されている今後15年間の半導体産業のロードマップITRS(International Technology Roadmap for Semiconductor)は、ムーアの法則は引き続き有効であるという見解を示している。
ITRSは、2005年までの短期ロードマップと、2014年までの長期ロードマップからなる。短期ロードマップは、2005年に半導体チップのプロセスルールは100nmに、マイクロプロセッサのゲート長は65nmになるとしている。長期ロードマップは、2014年のゲート長は20〜22nmになるとしている。
半導体チップは、微細化するほど高速化し、同時に電力消費を抑えられる。更に、1枚のウエハから取れる製品数も多くなり、生産コストも下げられる。マイクロプロセッサのメーカーが、新製品のプロセスルールとトランジスタ集積度を競うのもそのためである。
1999年11月、米国の研究グループが微細化技術の画期的な研究成果を明らかにした。それは、米国カリフォルニア大学バークレー校でコンピュータサイエンスを担当するチェンミン・フー教授らのグループによって開発された、FinFETと名づけられたFET(電界効果トランジスタ)上のゲートの設計方法である。この方法は、従来に比べ400倍の個数のトランジスタを半導体チップの上に形成することを可能にする。
ゲートは、FETのチャネルにおける電子の流れを制御する電極で、現在の一般的な設計では半導体の表面に平行に置かれ、チャネルを片側から制御する構造となっている。この構造では、ゲートが一定以上の長さがないと電子の流れを遮断することができないので、そのためのゲート長がトランジスタの微細化を制限する1つの要因になると考えられていた。
これに対し、FinFETは、ゲートをチャネルの両側にまたがるフォーク型にして効果的にチャネルを制御する。FinFETの構造では、従来の構造に比べ、ゲート長とトランジスタをさらに小さくすることが可能となる。
同研究グループが製造したプロトタイプのFETのゲート長は、18nmで、現在の一般的なゲート長の10分の1であり、これは、ITRSの長期ロードマップで示された2014年のサイズに匹敵する。さらにこの半分のゲート長も可能だという。フーらは、広く半導体業界で採用されていくことを期待して特許をとらないとしているため、FinFETが製造技術の主流になっていく可能性もある。
しかしながら、「ムーアの法則」も、いずれは自然法則に基づく限界にぶつかるとも指摘されている。
例えば、現在主流になっている半導体技術では、シリコンウエハ上にリソグラフィ技術で回路パターンを焼き付けて、半導体チップを製造する。より微細化するためには解像度を上げねばならず、解像度を上げるためには、より波長の短い光を利用する技術を実用化しなければならない。リソグラフィ技術で利用できる光の波長には物理的な限界があるため、その限界を突破するためには、別の角度からのブレークスルーが必要となる。
また、集積度の増大によって半導体チップ当たりの発熱量が大きくなりすぎ、高温になった半導体チップが誤動作したり、熱的に破壊されてしまう心配もある。
更に、専門家の予測によると、半導体業界がこのままチップを小さくしつづければ、設備コストやプロセスコストが膨らみ、歩留まりの悪化もあって、2015年あたりで経済的に成り立たなくなるとも考えられている。
上記のようなトップダウン方式の技術的な壁を打開する新たな技術として、個々の分子に電子部品としての機能を持たせようとする研究が注目を集めている。単一分子からなる電子デバイス(分子スイッチなど)であり、ボトムアップ方式で作製する。
金属やセラミックス、半導体についても、ボトムアップ方式でナノメートルサイズの構造体を作る研究が行われている。しかし、もともと1個1個が独立していて、形の違い、機能の違いなど数100万種類に及ぶ多様性のある分子こそ、それを生かせば、従来とはまったく異なる特徴を持つデバイス(分子デバイス)を、ボトムアップ方式で設計し作製することができる。
例えば、導電性分子の幅はわずか0.5nmである。この分子の線材は、現在の集積回路技術で実現されている100nm程度の線幅に比べて、数千倍の高密度の配線を実現できる。また、例えば、1個の分子を記憶素子として使うと、DVDの1万倍以上の記録が可能となる。
分子デバイスは、従来の半導体シリコンとは異なり、化学的工程で合成する。1986年、三菱電機の肥塚裕至は、ポリチオフェン(高分子)からなる世界初の有機トランジスタを開発した。
さらに、米国ヒューレット・パッカード(HP)社とカリフォルニア大学ロサンゼルス校の研究グループは、有機電子デバイスの製造に成功し、1999年7月にScience誌に発表するとともに、特許も出願した(特許文献1及び2参照。)。彼らは、有機分子であるロタキサン数百万個からなる分子膜を使ってスイッチをつくり、この分子スイッチをつなぎ合わせて、基本的な論理回路であるANDゲートを作製した。
また、米ライス大学とエール大学の共同研究グループは、電界印加下での電子注入によって分子構造が変化してスイッチング動作を行う分子スイッチを作ることに成功し、1999年11月にScience誌に発表した(非特許文献1及び2参照。)。繰り返しオン、オフできる機能は、HPとカリフォルニア大学ロサンゼルス校のグループでは実現されていなかった機能である。大きさは通常のトランジスタの100万分の1で、小さく高性能のコンピュータを作る基礎となる。
合成に成功したJ.Tour教授(ライス大学・化学)は、分子スイッチの生産コストは、通常半導体製造に使われる高価なクリーンルームが不要のため、従来の数千分の1にできるとしている。5〜10年以内に分子とシリコンのハイブリッド型コンピュータを作る予定だとしている。
1999年にベル研究所(ル−セントテクノロジー社)が、ペンタセン単結晶を用いて有機薄膜トランジスタを作製し、これは、無機半導体に匹敵する特性を示した。
電子部品としての機能を持つ分子デバイスの研究が盛んに行われているといっても、これまでの分子デバイスに関する研究は、ほとんどが、光・熱・プロトン・イオンなどで駆動するものであり(例えば、非特許文献3参照。)、電界によって駆動するものは限られていた。
従来の電界で駆動される分子素子は、電界の作用を受けた分子自身の物性の変化を利用する素子、即ち、分子自体を1個の素子と考えて、その分子の電子状態を電界によって変化させる素子しかなかった。例えば、有機FETでは、チャネル領域の有機分子に作用する電界の変化によって、有機分子中のキャリア移動が変調される。
本発明の目的は、上記のような実情に鑑み、その機能が、新しい原理に基づいて電界によって効果的に制御される機能性分子素子及び機能性分子装置を提供することにある。
即ち、本発明は、誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子と、金属イオンと、共役系分子とを含み、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子と前記共役系分子とは、前記金属イオンと錯体を形成している、機能性分子素子に係わるものである。
更に、本発明は、誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子と、金属イオンと、共役系分子とを含み、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子と前記共役系分子とは、前記金属イオンと錯体を形成しており、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子に電界を印加する電界印加手段と、前記共役系分子に対する入出力手段とを有する、機能性分子装置にも係わるものである。
本発明の機能性分子素子によれば、誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子と、金属イオンと、共役系分子とを含み、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子と前記共役系分子とが、前記金属イオンと錯体を形成するので、前記共役系分子によって、例えば導電性等の前記機能性分子素子の電気的特性等が得られ、他方、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子によって、例えば電界の変化に対応する錯体形成部等のコンフォメーション変化が得られ、前記電気的特性等が前記錯体形成部等のコンフォメーション変化によって変調される。
この際、電気的特性の発現及び電界によるその変調の2つの機能が、別々の分子、即ち前記共役系分子と前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子とによって担われるので、それぞれの分子として目的に最適な分子を選択できる。このため、高性能の電気的特性を電界応答性よく制御できる機能性分子素子を構成することができる。
前記機能性分子素子における電界の作用機構は、前記電界によって前記機能性分子素子の電子状態を直接制御してその機能を変調しようとする、従来の前記機能性分子素子、例えば電界効果トランジスタ等には見られなかったものであり、この新しい電界の作用機構に基づけば、電気的特性を電界応答性よく制御できる機能性分子素子を構成することができる。
本発明の機能性分子装置は、それぞれ、前記機能性分子素子に電界を印加する電界印加手段と入出力手段とを設けたものであり、前記電界に対応した出力を、それぞれ、前記共役系分子及び前記電界で誘起される分子構造変化によって前記π電子共役系が変化する系から取り出すことができる。
本発明の機能性分子素子において、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子は、ルイス塩基分子であり、前記金属イオンは、ルイス酸であるのがよい。また、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子は、電界の作用で配向変化し、それによって、前記共役系分子の導電性が変化するのがよい。
また、前記共役系分子がポリピロールであり、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子が4-ペンチル-4’-シアノビフェニルであり、前記金属イオンが銀イオンであるのがよい。
本発明の機能性分子装置において、前記入出力手段が電子を入出力するのがよい。そして、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子が前記電界を印加するための電極上で配向しており、前記金属イオン及び前記共役系分子が少なくとも対向電極間に配置されて、この対向電極の少なくとも一方から前記電界に対応した出力が取り出されるのがよい。
また、例えば、前記共役系分子によって導電路が形成され、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子に作用する前記電界の変化によって、前記導電路の導電性が制御されるのがよい。この場合、前記電界の印加に先だって、前記錯体に対して前処理用の高周波電界が印加され、前記導電路の導電性が望ましい特性をもつように変更されているのもよい。
また、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子に作用する前記電界の変化によって、この分子の電界方向との位置関係が変化し、この分子と前記共役系分子とがなす角度(前記金属イオンを介しての結合角)、前記金属イオンの作用部位または前記錯体の立体構造が変化するのがよい。
また、前記共役系分子の層と、前記誘電率異方性及び/又は双極子モーメントを有する分子の層とが積層体をなしているのがよい。
この場合、第1の電極上に絶縁層が設けられ、この絶縁層の上に互いに接触しないように第2の電極と第3の電極が形成され、少なくともこれらの第2の電極と第3の電極との間に前記積層体が配され、この積層体の前記ルイス塩基分子の層上に直接もしくは絶縁層を介して第4の電極が設けられる構成になっているのがよい。
次に、本発明の好ましい実施の形態を図面参照下に具体的に説明する。
実施の形態1:機能性分子素子
電界の印加により立体構造が変化して機能を発現する分子素子1の機能の1例として、スイッチング動作が考えられる。図1は、金属イオン3にルイス塩基分子及び共役系を有する導電性基軸分子2が錯体を形成してなる機能性分子素子1を例として、機能性分子素子1に電界を印加した時、金属イオン3の周辺で起こる変化をモデル化して図示した概略側面図である。図1では、説明のため、ルイス塩基分子は、正の誘電率異方性を有する分子、または分子の長軸方向に双極子モーメントを有する分子14であるとした。
正の誘電率異方性を有する分子、または分子の長軸方向に双極子モーメントを有する分子14は、印加された電界に対して、その長軸方向を電界の向きと一致させるように配向しようとする。なお、ルイス塩基分子が、負の誘電率異方性を有する分子である場合には、短軸方向を電界の向きと一致させるように配向しようとするから、長軸方向と短軸方向を入れ替えて考えれば、下記の説明と同様の説明が成り立つ。
電界印加時に分子14が示すスイッチング動作のダイナミクスについては、電界の印加方向の違いによって2種類の動作モードが考えられる。図1では、その違いを(b)及び(c)において示している。
図1(a)に示した、電圧が印加されていない初期状態では、機能性分子素子1のルイス塩基分子14は、その長軸方向が共役系を有する導電性基軸分子2の軸方向(図面の左右方向)と平行になるように配列しているものとする。
これに、図1(b)に示すように、図の面に直交する方向に電界Iを印加すると、ルイス塩基分子14は、その長軸方向を電界Iの向きに向けようとして、図面の上下方向を軸にして90度の首振り運動を行おうとする。また、図面左右方向に電界を印加することにより、ルイス塩基分子14の配向を、もとの図面左右方向に強制的にもどすこともできる。
他方、図1(c)に示すように、図面の上下方向に電界IIを印加すると、ルイス塩基分子14は、その長軸方向を電界IIの向きに向けようとして、図の面に直交する方向を軸にしてシーソー型の運動を行おうとする。電界を印加するのをやめると、自然に緩和して、図1(a)に示した元の配向状態にもどる。
上記のような電界印加によるルイス塩基分子14の構造或いは配向の変化が、金属イオン3との錯体形成部の構造変化を引き起こし、その結果として、金属イオン3と導電性基軸分子2とのπ錯体形成部の結合性或いは導電性基軸分子2の分子構造を変化させ、導電性基軸分子2の導電性を変化させる。
図2は、上記の機能性分子素子1のスイッチング機能が発現する形態の一例を分子レベルで説明するための概念的な概略斜視図である。機能性分子素子1では、共役系を有し非局在化したπ電子により導電性を示す線状または膜状の基軸分子2に対して、ルイス酸として働き得る金属イオン3を介して、誘電率異方性または双極子モーメント等を有するルイス塩基分子4がペンダント状に配置されている。共役系を有する導電性基軸分子2及びルイス塩基分子4は、それぞれ、金属イオン3に対して錯体6を形成している。
ペンダント部を形成するルイス塩基分子4は、誘電率異方性または双極子モーメント等を有するため、電界中では電界の向きに対して特定の方向(具体的には、分子の長軸方向が電界の向きと一致する方向あるいは直交する方向)に配向しようとする傾向を持つ。
従って、ルイス塩基分子4に作用させる電界を変化させることにより、ペンダント部の位置を電界方向に対して変化させ、その結果として、ルイス塩基分子4と共役系基軸分子2とがなす角度、金属イオンが結合している配位子の部位または立体構造等の錯体形成部6の構造を変化させ、これを通じて、共役系基軸分子2の導電性(電子の流れ)を制御することができる。
例えば、図2(a)は、ルイス塩基分子4と共役系基軸分子2との位置関係が不適切である場合を示す。この状態では、共役系を通じて行われる導電性基軸分子2内の電子の流れは、錯体形成部6において遮られて流れることができず、機能性分子素子1はオフの状態にある。
他方、図2(b)は、ルイス塩基分子4の配向が変化したため、ルイス塩基分子4と共役系を有する基軸分子2との位置関係が適切になった場合を示す。この状態では、共役系を通じて行われる導電性基軸分子2内の電子の流れは、錯体形成部6において妨げられることなく流れることができ、機能性分子素子1はオンの状態にある。
このように、機能性分子素子1では、電界は、導電性基軸分子2に直接作用してその導電性を変調するのではなく、ルイス塩基分子4を動かし、それを介して錯体形成部6の電子の流れを変調する。基軸分子2の共役系を通じる電子の流れを水道管での水の流れに例えるなら、従来の有機FET等での電界の作用は、水道管の太さを変化させようとするものである。それに対し、本実施の形態に基づく電界の作用は、ハンドル(ルイス塩基分子4に対応する。)を操作することによって水道管(導電性基軸分子2に対応する。)に設けられたバルブ(錯体形成部6に対応する。)を開閉する作用に例えられる。
機能性分子素子1には、錯体形成部6やペンダント部の構成等の違いにより、いくつかの組み合わせが考えられる。
例えば、ペンダント部が、共役性を持つ複数の分子から構成されていてもかまわない。また、ペンダント部を構成する分子が誘電率異方性を有する分子である場合、それが正の誘電率異方性であっても、負の誘電率異方性であってもよい。
実施の形態2:電界効果型分子デバイス
ここでは、共役系を有し、導電性を示す基軸分子2としてポリピロール22を用い、金属イオン3として銀(I)イオン23を用い、分子の長軸方向に双極子モーメントを有するルイス塩基分子14として4-ペンチル-4’-シアノビフェニル(以下、5CBと略記することもある。)24を用いて、これらを組み込んだ電界効果型分子デバイス21及びその作製工程を説明する。
4-ペンチル-4’-シアノビフェニル24及びピロールの分子構造は下記のとおりであり、ポリピロール22はピロール分子が鎖状に重合した高分子である。
図3は、電界効果型分子デバイス21の構造を示す概略図である。図3(b)は、それに用いられているくし形電極33及び34を示し、図3(a)は、図3(b)に示したA−A線で電界効果型分子デバイス21を切断した概略断面図である。
電界効果型分子デバイス21では、制御電界印加用電極を兼ねる第1の基板31の上に絶縁層32が形成され、その上にポリピロール22の導電率を測定するためのくし形電極33及び34が形成されている。他方、第2の基板35の上には、もう一方の制御電界印加用電極であるITO(Indium Tin Oxide)膜36が形成され、その上にホモジニアス配向膜37が積層されている。ポリピロール22、銀(I)イオン23及び4-ペンチル-4’-シアノビフェニル24は、2枚の基板31と35との間にスペーサ(図示は省略した。)とともに挟み込まれ、端部を封止材38によって封止されている。実際には、ポリピロール22の層と4-ペンチル-4’-シアノビフェニル24の層とは、積層されていてよい。
制御電界印加用電極を兼ねる第1の基板31と、もう一方の制御電界印加用電極であるITO膜36は、制御電界印加用電源41に電気的に接続される。また、くし形電極33と34とは、導電性測定用電源42及び電流計43に電気的に接続される。
図4は、電界効果型分子デバイス21の構造を分子レベルで説明するための概念的な概略断面図である。図4上では、ポリピロール22、銀(I)イオン23及び4-ペンチル-4’-シアノビフェニル24は、それぞれ、1単位のみ示されているが、これは、代表として示したものであり、実際には多数の同種化学種が含まれていることは、言うまでもない。以下、図4を参照しながら、電界効果型分子デバイス21の作製工程を説明する。
初めに、4-ペンチル-4’-シアノビフェニル24に制御用の電界を印加するための制御電界印加用電極31及び36と、ポリピロール22の導電性を測定するためのくし形電極33及び34を作製する。
制御電界印加用電極を兼ねる第1の基板31としては、例えば高濃度にドープされたシリコン基板を用いる。第1の基板31の表面に熱酸化により酸化シリコン膜を形成して絶縁層32とする。その絶縁層32上に金電極等のくし形電極33及び34をスパッタリング等により形成する。
一方、第2の基板35として例えばガラス基板を用い、その表面上に真空蒸着等によりITO膜を形成して、もう1つの制御電界印加用電極36とする。
更に、ITO膜36上に塗布等によりポリビニルアルコール等のホモジニアス配向膜37を形成する。ホモジニアス配向膜37は、4-ペンチル-4’-シアノビフェニルを面方向に整列させる役割をもつとともに、絶縁層を兼ねている。ホモジニアス配向膜37は、加熱処理した後、ラビング処理を施す。
次に、上記の電極間に機能性分子素子の材料を組み込み、導電性変調測定が可能な電界効果型分子デバイス21の主要部を作製する。
ポリピロール膜22を電界重合法で作製したあと、電界重合用電極から剥離し、第1の基板31の絶縁層32上に形成したくし形電極33及び34の上に貼り付け、乾燥させて電極との密着性を向上させる。その後、あらかじめ合成しておいた4-ペンチル-4’-シアノビフェニル−銀(I)錯体をポリピロール膜22上に塗布する。
この4-ペンチル-4’-シアノビフェニル−銀(I)錯体層に、第2の基板35上に形成したホモジニアス配向膜37が密着するように、第1の基板31と第2の基板35とを貼り合わせる。
この貼り合わせによって、ホモジニアス配向膜37に接触した4-ペンチル-4’-シアノビフェニル分子24は、ラビング方向へホモジニアス配向する。この時、ポリピロール鎖22に含まれるアミノ基−NHの一部が4-ペンチル-4’-シアノビフェニルのシアノ基−CNと水素結合を形成するので、ポリピロール鎖22もラビング方向へ配向する。配向したポリピロール鎖22は、ランダムコイル状のポリピロール膜とは異なり、高い導電性を示すことができる。この結果、後述するように、電界の印加をオン・オフしたとき、ポリピロール鎖22の導電性が大きく変調されることが可能になる。但し、上記の水素結合が、ポリピロールのπ電子共役系に直接の影響を及ぼすことはない。
なお、4-ペンチル-4’-シアノビフェニル(5CB)24のシアノ基−CNは、ほとんどがシアノ基同士の双極子-双極子相互作用によって結合して、5CB分子24のダイマーを形成する。そして、一部のシアノ基−CNが銀(I)イオンに配位するか、あるいは、周囲のポリピロールのアミノ基−NHと水素結合する。銀(I)イオンとシアノ基との配位結合は強いので、5CB分子24が電界の印加によって配向変化を起こすとき、切れることはない。一方、シアノ基とアミノ基との水素結合は弱いので、5CB分子24が配向変化する際、切断される。
最後に、貼り合わせた2枚の基板31及び35の端部をエポキシ樹脂等の封止材38によって封止して、電界効果型分子デバイス21を完成する。
このようにして作製された電界効果型分子デバイス21の制御電界印加用電極31及び36に加える電圧をオン、オフして、くし形電極33と34との間のポリピロール膜22の導電率を測定すると、電界オフ時には高い抵抗値を示すが、電界印加によって抵抗が低下する変調作用が観測される。
印加前の初期配向状態は、ホモジニアス配向であり、5CB24は配向膜に平行に配向している。5CB24は、分子長軸方向にシアノ基由来の双極子モーメントを有する分子であり、図3及び4に示した電界効果型分子デバイス21では、電界は図面の上下方向に印加されるので、ペンダント部の動作モードは、先に図1(c)に示したシーソー型の動作になる。図4に示した5CB24の状態は、駆動電圧の印加によって立ち上がった状態を示している。
電界の印加による導電率の変調が観測される原因は、次の通りである。電界印加前、銀(I)イオンとピロール環π電子はπ錯体を形成している。電界の印加による5CB24の配向の変化で、ピロール環に対する5CB24の位置が変化することにより、ピロール環面(π共役系)外に5CB−銀(I)錯体形成部分が移動することになり、銀(I)イオンとピロール環がσ錯体を形成する。この結果、ピロール環間の二面角のねじれエネルギーが低下することになり、導電性が向上する。
使用した4-ペンチル-4’-シアノビフェニル(5CB)分子は液晶性を有しているが、スイッチング自体に液晶性(単一分子では液晶性を発現することはない)は必要ないことから、もちろん分子レベルでの素子としても活用できる。
このように、本実施の形態は、線状または膜状の導電性基軸分子に、金属イオンを介して、誘電率異方性または双極子モーメントを有する分子をペンダント状に配し、電界印加によりペンダント部の配向を電界方向に対して変化させ、錯体分子の構造を変調し、その結果として、導電性基軸分子の導電性(電子のフロー状態)を制御する、新規な機能性分子素子を提案するものである。
上記の機能性分子素子は、あたかも水道の蛇口をひねることによって、水道パイプ中の水の流れを制御するように、ペンダント部4の分子の配向状態を変化させることにより、導電性基軸分子2中の電子の流れを制御するものである。これまで提案されてきた、分子自体を1個の素子と考えて、その分子の電子状態を変化させて、導電性の変化を引き起こすものとは異なり、まったく新しい視点から分子素子を実現するものである。
一般に、導電性を示す有機物は、π電子共役系をもつ。π電子をもっていれば、必ずπ錯体を形成することができるから、上記の原理は、導電性を示すすべての有機分子に適用できる。即ち、上記のポリピロール以外にも、ポリパラフェニレン、ポリナフタレン、ポリアントラセン、ポリピレン、ポリアズレン、ポリフラン、ポリチオフェン、ポリセレノフェン、ポリ(パラフェニレンスルフィド)、ポリ(パラフェニレンオキシド)、及びポリアニリンなどの導電性高分子に適用でき、その他に、これらの高分子の重合度が20以下であるオリゴマーでもよいし、モノマーでもよい場合もある。また、カーボンナノチューブなどのπ電子共役系を有する炭素分子にも適用できる。
また、電界に応答するルイス塩基分子として、上記の4-ペンチル-4’-シアノビフェニル以外にも、いずれも窒素原子を含むピリミジン系液晶分子やピリジン系液晶分子やシアノ系液晶分子、及びリン原子を含む液晶分子などが挙げられる。
また、錯体を形成する金属イオンとして、上記の銀(I)イオン以外にも、バナジウム、クロム、マンガン、鉄、コバルト、銅、亜鉛、ルテニウム、ルビジウム、カドミウム、水銀などの遷移金属のイオンが挙げられる。
また、この分子素子は、スイッチ、トランジスタ、メモリ、ロジック回路などさまざまな電子デバイス分野に応用が可能である。
本発明に基づく有機分子等からなる機能性分子素子の優れている点として、既に述べた、通常のサイズの素子からナノメートルサイズの素子まで同じ材料分子を用いて構築できることや非常に多種類の材料分子の中から目的に適したものを選択できることに加えて、次の点を指摘することができる。
<1.低消費電力である。>
動作の単位が分子1個、電子1個であるので、基本的に低消費電力で動作し、発熱量 が少ないので、高集積化しても発熱による問題が起こりにくい。
<2.駆動周波数を選ばない。>
最近の液晶の高速応答性の改善に見られるように、材料や構造を工夫することで、従 来の無機半導体結晶以上の高速応答性も期待できる。
<3.低公害性である。>
通常の有機化合物の合成では、無機半導体の製造プロセスで使われるような人体や環 境に有害な試薬等を必要としない。
<4.多機能性。>
多様な有機分子の特性を生かせば、例えば味覚センサやにおいセンサ等、従来実現で きなかった機能を実現できる。
次に、本発明の好ましい実施例として図3及び図4に示した電界効果型分子デバイス21を作製した例をより具体的に説明する。
実施例1
まず、4-ペンチル-4’-シアノビフェニル24に制御用の電界を印加するための制御電界印加用電極31及び36と、ポリピロール22の導電度を測定するための導電度測定用電極33及び34とを作製した。
第1の基板(制御電界印加用電極)31としては、高濃度にドープされたシリコン基板を用いた。第1の基板31の表面に、加熱処理を施して酸化シリコン薄膜を形成し絶縁層32とした。その絶縁層32上にポリピロール22の導電度測定用電極として金のくし形電極33及び34をスパッタリングにより形成した。
次に、第2の基板(ガラス基板)35上にもう1つの制御電界印加用電極としてITO電極36を真空蒸着によって形成した後、ITO電極36上にホモジニアス配向膜(絶縁層を兼ねる。)37を形成した。配向膜の材料として、ポリビニルアルコールを選択し、ポリビニルアルコールの10質量%水溶液を調製して、ITO電極36上にスピンコート法で塗布し、110℃で30分間加熱処理した。
加熱処理後のポリビニルアルコールは、ラビング処理を施した後、3μm径のスペーサを散布して、真空中で3昼夜乾燥させた。
ポリピロール膜22作製用のガラス基板上にITO電極を形成し、還元ポリピロール膜22を電界重合法により作製した(作製は定電流法によった。条件は、1.0mA/cm2、50mC/cm2で重合し、続いて−0.5mA/cm2、16mC/cm2で還元した。)。その膜を剥離し、第1の基板のくし形電極33と34上に貼り付けた。第1の基板と第2の基板とをスペーサを介して貼り合わせ、両基板のギャップを40μmとした。
硝酸銀水溶液と、4-ペンチル-4’-シアノビフェニルとを混合し、140℃にて3時間反応させた。得られた4-ペンチル-4’-シアノビフェニル−銀(I)錯体溶液を、第1の基板31と第2の基板35との間に毛細管現象を利用して注入した。ポリピロールと銀(I)イオンと4-ペンチル-4’-シアノビフェニルとの錯体が形成されると、膜の色が顕著に変化する(黄色から紺色に変化する)が、この色の変化が観察され、錯体が形成されたことが確認された。
最後に、貼り合わせた2枚の基板31及び35の端部をエポキシ樹脂等の封止材38によって封止して、電界効果型分子デバイス21を完成した。
このようにして作製した電界効果型分子デバイス21の制御電界印加用電極31と36との間に加える電圧をオン、オフして、くし形電極33と34との間のポリピロール膜22の導電率を直流バイアス電圧の下で測定すると、電界オフ時には高い抵抗値を示すが、電界印加によって抵抗が低下する変調作用が観測された。
図5は、電界効果型分子デバイス21の制御電界印加用電極31と36との間に、バイポーラ矩形波形状の10kHzの高周波電界を印加して、そのときのくし形電極33と34との間の抵抗値を測定した結果を、印加電圧の大きさに対して図示したグラフである。印加電圧からみると、全体は3つの領域に分類できる。図5の上部には、それぞれの領域に対して、電極31と36との間での5CB24からなるペンダント部の配向状態を模式的に示す付図を記した。
印加電圧が7〜8V未満の領域Iでは、抵抗値は、印加電圧の増加に対してほとんど変化しないか、若しくはやや増加する。増加の原因は明らかではないが、この領域Iでは印加電圧が小さすぎるため電界の作用が不十分で、ペンダント部の配向は、付図に示すように元の状態からほとんど変化せず、その結果、抵抗値の変化も小さいものと考えられる。
印加電圧が9〜20Vの領域IIでは、印加電圧の増加によって、抵抗値は著しく減少する。領域IIでは、印加電圧が十分大きくなり、印加電圧の大きさに応じてペンダント部の配向状態が決まるため、抵抗値が印加電圧の影響を顕著に受けるものと考えられる。
印加電圧が20Vをこえる領域IIIでは、抵抗値は、印加電圧の増加による抵抗値の変化は小さい。領域IIIでは、ペンダント部の配向変化が飽和するため、ペンダント部の配向変化は付図に示すように小さくなり、その結果、抵抗値の変化も小さいものと考えられる。
図6は、電界効果型分子デバイス21の制御電界印加用電極31と36との間に、バイポーラサイン波形状の10kHz、1V/μmの高周波電界を断続的に印加して、その際のくし形電極33と34との間の抵抗値を測定した結果を、時間に対して図示したグラフである。電界のオン、オフによって導電性が効果的に変調されることがわかる。
比較例1
実施例1において両基板間に注入した4-ペンチル-4’-シアノビフェニル−銀(I)錯体を、4-ペンチル-4’-シアノビフェニルのみに置き換える他は実施例1と同様にして、銀(I)イオンを含まない擬似電界効果型分子デバイスを作製し、この構造体の導電性を測定した(このとき、還元ポリピロール膜の色は黄色のままである。)。電界印加による導電性の変化はみられなかった。これは、銀(I)イオン23が存在せず、4-ペンチル-4’-シアノビフェニル24とポリピロール22の結びつきが形成されないため、4-ペンチル-4'-シアノビフェニル24に対する電界の作用がポリピロール22の導電性の変化につながらなかったからであると考えられる。
実施例2
電界印加の効果の作用機構を可視紫外光の吸収スペクトルに基づいて明らかにするために、第1の基板31及び第2の基板35としてフッ化カルシウム基板を用い、その基板上に制御電界印加用電極として透明導電膜からなる透明電極を設け、くし形電極33及び34を設けない他は実施例1と同様にして、電界効果型分子デバイス21と同じ物質系を有する可視紫外光吸収スペクトル測定用セルを作製した。
透明導電膜上にポリピロール膜を貼り付けた第1の基板31と第2の基板35との間に、毛細管現象を利用して4-ペンチル-4’-シアノビフェニル−銀(I)錯体溶液を注入すると、ポリピロールと銀(I)イオンと4-ペンチル-4’-シアノビフェニルとの錯体が形成され、膜の色の顕著な変化(黄色から紺色に変化)が観察され、錯体が形成されたことが確認された。
この可視紫外光吸収スペクトル測定用セルの制御電界印加用電極間に、バイポーラサイン波形状の10kHz、1V/μmの高周波電界を断続的に印加して、その際の可視紫外光吸収スペクトルを測定したところ、図7に示すように電界のオン、オフによって吸収極大値がシフトすることが観測された。
比較例2
実施例2において両基板間に注入した4-ペンチル-4’-シアノビフェニル−銀(I)錯体の代わりに、4-ペンチル-4’-シアノビフェニルのみを注入し、銀(I)イオンを含まないことの他は実施例2と同様にして、擬似吸収スペクトル測定用セルを作製した。実施例2と同様に、疑似セルの制御電界印加用電極間にバイポーラサイン波形状の10kHzの高周波電界を断続的に印加して、擬似セルの可視紫外光吸収スペクトルを測定し、図8に示す結果を得た。
図8では、0Vから40Vまでの様々な印加電圧の下で測定されたスペクトルが重ねて示されているが、吸収スペクトルが極大を示す波長が印加電圧の有無によってシフトする現象は見られなかった。これは、銀(I)イオン23が存在せず、4-ペンチル-4’-シアノビフェニル24とポリピロール22の結びつきが形成されないため、4-ペンチル-4'-シアノビフェニル24に対する電界の作用がポリピロール22の導電性の変化につながらなかったからであると考えられる。
実施例3
実施例1と同様にして作製した電界効果型分子デバイス21の制御電界印加用電極31と36との間に加える電界Vg をゼロから徐々に増加させていき、くし形電極33と34との間のポリピロール膜22を流れる電流密度Ids を交流バイアス電圧の下で測定すると、電界Vg がオフの時には電流密度Ids は小さいが、印加する電界Vg の増加に応じて電流密度Ids が徐々に増加する変調作用が観測された。また、印加する電界Vg を徐々に減少させていくと、電流密度Ids は減少して行くものの、履歴現象が観測された。即ち、同じ大きさの印加電界Vg に対して、印加電界Vg を減少させていく場合に測定された電流密度Ids は、印加電界Vg を増加させていく場合に測定された電流密度Ids に比べて大きかった。
図9は、電界効果型分子デバイス21の制御電界印加用電極31及び36間に、バイポーラ矩形波形状の10kHz高周波電界を印加した場合の、電界Vg の強さと電流密度Ids との関係を示したグラフである。図9によると、印加電界Vg を増加させていく場合には、Vg が0.4(V/μm)をこえる付近でようやくIds が有意の大きさを示し始めるのに対し、Ids が最大値(約0.3mA/μm)に達した後、印加電界Vg を減少させていく場合には、Vg が0.4(V/μm)まで減少してもまだ最大値の60%程度のIds を維持し、Vg が0.1(V/μm)程度まで減少したところでようやくIds がゼロ近辺に復帰しており、履歴現象の存在が示されている。
この電界印加の効果の作用機構を赤外光吸収スペクトルの測定に基づいて明らかにするために、第1の基板31及び第2の基板35としてフッ化カルシウム基板を用い、その基板上に制御電界印加用電極として透明導電膜からなる透明電極を設け、くし形電極33及び34を設けない他は実施例1と同様にして、電界効果型分子デバイス21と同じ物質系を有する赤外光吸収スペクトル測定用セルを作製した。
実施例2と同様に、赤外光吸収スペクトル測定用セルの制御電界印加用電極間に、バイポーラ矩形波形状の10kHzの高周波電界を印加して、その電界をゼロから徐々に増加させて行き、その際の赤外吸収スペクトルを観測したところ、ポリピロールと銀(I)イオンとがσ錯体を形成している証拠となるN+H伸縮振動バンド(2337cm-1)と、π錯体を形成している証拠となるCH伸縮振動バンド(3185cm-1)に変化が生じることが観測された。即ち、図10に示すように、制御電界を大きくしていくと、π錯体の形成を示すCH伸縮振動バンドの強度は小さくなり、σ錯体の形成を示すN+H伸縮振動バンドの強度は大きくなっていった。
この事実から、電界効果型分子デバイス21に印加する電界Vg を大きくしていくときに観察されるポリピロール膜22を流れる電流密度Ids の増加の原因は、π錯体が優勢に存在する状態からσ錯体が優勢に存在する状態への移行にあると考えられ、また、σ錯体が形成されている状態の方が、π錯体が形成されている状態よりも、ポリピロール膜22の導電性は向上するものと推測される。
図11(a)は、図11(b)に示した5CBペンダント部がピロール環となす相対角度θを変えながら、σ錯体とπ錯体の構造安定性を示す錯体のエネルギーを理論計算した結果である。計算によると、π錯体とσ錯体はどちらも安定に存在し得ること、そして、それぞれの錯体においてペンダント部がピロール環に対し最小のエネルギーを実現する相対角度θをとった場合には、π錯体の方がσ錯体に比べて10kcal/mol程度安定であることがわかった。従って、電界が印加されていない時には、π錯体がσ錯体よりも優勢に存在すると考えられる。
しかしながら、ペンダント部とピロール環との相対角度θが大きくなると、π錯体とσ錯体とのエネルギー差が次第に減少し、θが150°より大きくなるとσ錯体とπ錯体とがほぼ同等のエネルギーを有することもわかった。これは、外力によって大きな相対角度θをとらせた場合には、π錯体からσ錯体への移行が誘発され得ることを意味している。
図12は、σ錯体およびπ錯体におけるピロール環間の二面角α(錯体を形成しているピロール環の面と、その隣のピロール環の面とがなす角)と、ペンダント部がピロール環となす相対角度θとの関係を理論計算で求めた結果である。計算によると、π錯体では、ピロール環間の二面角αは相対角度θにほとんど依存せず、常に20°をこえている。このようにピロール環間の二面角αが大きいと、ピロール環の間の共役関係が損なわれるため、共役系を通じた導電性も損なわれ、高抵抗の状態になる。
これに対し、σ錯体では、相対角度θの変化によってピロール環間のねじれエネルギーや二面角αが大きく変化する。図13は、σ錯体における低抵抗状態と高抵抗状態とを示す分子モデルである。図13(a)に示すように、例えばθが130°である場合には、図12から二面角αは5°になり、ピロール環の向きは互いにほぼ一致する。このため、ピロール環の間の共役関係は損なわれず、共役系を通じた導電性は良好で、低抵抗の状態になる。他方、図15(b)に示すように、例えばθが50°である場合には、図12から二面角αは17°になり、ピロール環の向きの相違が大きく、ピロール環の間の共役関係が損なわれるため、共役系を通じた導電性も損なわれ、高抵抗の状態になる。
以上の理論計算の結果をまとめると、電界が印加されていない通常の状態では、電気抵抗の大きいπ錯体が優勢に存在するが、外力によって大きな相対角度θをとらせた場合には、π錯体からσ錯体への移行が誘発され得ること、しかもそのσ錯体は、ピロール環間の二面角が小さく、共役系を通じた導電性が良好で、低抵抗の状態をとることがわかった。
上記の理論計算の結果は、赤外吸収スペクトルの測定から得られていた推測と一致し、両者を結びつけると、電界効果型分子デバイス21に印加する電界Vg を大きくしていったときに観察されたポリピロール膜22を流れる電流密度Ids の増加は、印加電界Vg の増加によって4-ペンチル-4’-シアノビフェニル(5CB)分子の配向が変化し、これによるペンダント部とピロール環とがなす相対角度θの増加が、π錯体からσ錯体への移行と二面角αの減少を誘起し、ピロール鎖の導電性を高抵抗状態から低抵抗状態に変調したことによると結論することができる。
比較例3
実施例1において作製したポリピロール膜を作製せずに、両基板間に注入した4-ペンチル-4’-シアノビフェニル−銀(I)錯体を、4-ペンチル-4’-シアノビフェニルのみに置き換える他は実施例1と同様にして、ポリピロール膜と銀(I)イオンを含まない擬似電界効果型分子デバイスを作製し、実施例3と同様に、印加する制御電界を変化させながら電流密度の変化を測定し、この構造体の導電性を調べた。図14に示すように電界印加による変化はみられなかった。なお、図14の上部の「5CB only 」は、疑似電界効果型分子デバイスの構成成分を示す注釈である(以下、同様。)
比較例4
実施例1において作製したポリピロール膜を作製しなかった他は実施例1と同様にして、両基板間に4-ペンチル-4’-シアノビフェニル−銀(I)錯体を注入し、ポリピロール膜を含まない擬似電界効果型分子デバイスを作製し、実施例3と同様に、印加する制御電界を変化させながら電流密度の変化を測定し、この構造体の導電性を調べた。図15に示すように電界印加による変化はみられなかった。
比較例5
実施例1において作製したポリピロール膜を作製後に還元して用い、両基板間に注入した4-ペンチル-4’-シアノビフェニル−銀(I)錯体を注入しなかった以外は実施例1と同様にして擬似電界効果型分子デバイスを作製し、実施例3と同様に、印加する制御電界を変化させながら電流密度の変化を測定し、この構造体の導電性を調べた。図16に示すように電界印加による変化はみられなかった。なお、注釈の「redPPy」は、「還元したポリピロール膜」を示す(後述の比較例6も同様。)。
比較例6
実施例1において作製したポリピロール膜を作製後還元して用い、両基板間に注入した4-ペンチル-4’-シアノビフェニル−銀(I)錯体を4-ペンチル-4’-シアノビフェニルのみに置き換える他は実施例1と同様にして擬似電界効果型分子デバイスを作製し、実施例3と同様に、印加する制御電界を変化させながら電流密度の変化を測定し、この構造体の導電性を調べた。図17に示すように電界印加による変化はみられなかった。
上記の比較例3〜6と実施例3との比較から、電界の印加による電界効果型分子デバイスの導電性の変調には、ポリピロール膜の導電性が本質的な役割をはたしており、その導電性に4-ペンチル-4’-シアノビフェニル−銀(I)錯体が関与していることがわかる。
実施例4
実施例1と同様に作製したポリピロール−銀(I)−5CB錯体に対して、使用に先立って高周波電界を印加する前処理(10kHz、100V、1時間)を施した以外は、実施例1と同様にして、電界効果型分子デバイス21Bを作製した。この前処理用の電界印加を行う時間は10分以上あれば十分である。
この前処理を行った電界効果型分子デバイス21Bの制御電界印加用電極31及び36に加える電圧Vg をゼロから徐々に増加させていき、くし形電極33と34との間のポリピロール膜22を流れる電流密度Ids を交流バイアス電圧の下で測定すると、電界Vg がオフの時には電流密度Ids は高いが、印加する電界Vg の増加に応じて電流密度Ids が徐々に減少する変調作用が観測された。その後、印加電界を徐々に減少させていくと、電流密度は増加していくものの、履歴現象が観測された。
図18は、上記の電界効果型分子デバイス21Bの制御電界印加用電極31と36との間に、バイポーラ矩形波形状の10kHzの高周波電界を印加した場合の、電界の大きさVg と電流密度Ids との関係を示すグラフである。
上記の変調作用は、実施例1および3で観察された変調作用の逆の傾向をもつ変調作用である。また、電流密度Ids の大きさ自体も、実施例1および3の場合と大きく異なっている。このように高周波電界印加による前処理によって、電界効果型分子デバイスが示す導電性を変更できる可能性が示された。
前処理用の高周波電界印加の効果の作用機構を赤外光吸収スペクトルの測定に基づいて明らかにするために、第1の基板31及び第2の基板35としてフッ化カルシウム基板を用い、その基板上に制御電界印加用電極として透明導電膜からなる透明電極を設け、くし形電極33及び34を設けない他は実施例1と同様にして、電界効果型分子デバイス21Bと同じ物質系を有する光吸収スペクトル測定用セルを作製した。
図19は、前処理用の高周波電界印加の前後における光吸収スペクトル測定用セルの赤外光吸収スペクトルである。前処理用高周波電界印加の前には、図19(a)に示されるように、ポリピロールと銀(I)イオンとがσ錯体を形成している証拠となるN+H伸縮振動バンド(2337cm−1)は弱い。それに対し、前処理用高周波電界印加の後には、図19(b)に示されるように、ポリピロールと銀(I)イオンとがσ錯体を形成している証拠となるN+H伸縮振動バンド(2337cm−1)が強い強度で観測された。また、π錯体を形成している証拠となるCH伸縮振動バンド(3185cm−1)はほとんど観測されなかった。
以上、本発明を実施の形態及び実施例に基づいて説明したが、本発明はこれらの例に何ら限定されるものではなく、発明の主旨を逸脱しない範囲で適宜変更可能であることは言うまでもない。
本発明の新しい電界の作用機構に基づく機能性分子素子は、スイッチ、トランジスタ、メモリ、ロジック回路などさまざまな電子デバイス分野に応用が可能であり、従来のマクロサイズの素子からナノサイズの素子まで、同一の材料と原理で作製可能である。
本発明の実施の形態1に基づく機能性分子素子が示す2つのスイッチング動作モードを例示した概略側面図である。
同、機能性分子素子のスイッチング機能が発現する形態の一例を分子レベルで説明するための概念的な概略斜視図である。
本発明の実施の形態2に基づく電界効果型分子デバイス21を示す概略断面図(a)と、くし形電極の平面図(b)である。
同、電界効果型分子デバイス21を示す概略断面図(概念図)である。
本発明の実施例1による電界効果型分子デバイス21における、導電性と印加電圧との関係を示すグラフである。
同、電界効果型分子デバイス21の導電性が、電界の印加によって変調可能であることを示すグラフである。
本発明の実施例2による電界効果型分子デバイス21と同じ物質系を有する吸収スペクトル測定用セルの可視紫外光吸収スペクトルである。
本発明の比較例2による疑似吸収スペクトル測定用セルの可視紫外光吸収スペクトルである。
本発明の実施例3による電界効果型分子デバイス21における、くし形電極間に流れる電流密度と印加した電界の強さとの関係を示すグラフである。
同、電界効果型分子デバイス21と同じ物質系を有する吸収スペクトル測定用セルにおける、赤外光吸収強度と印加した電界の強さとの関係を示すグラフである。
同、電界効果型分子デバイス21における、σ錯体及びπ錯体のエネルギー(理論計算値)と、ピロール環と5CBペンダント部との相対角度θとの関係を示すグラフである。
同、電界効果型分子デバイス21における、σ錯体及びπ錯体におけるピロール環間の二面角αと相対角度θとの関係を示すグラフである。
同、電界効果型分子デバイス21における、σ錯体の低抵抗状態と高抵抗状態を示す分子モデルである。
比較例3の疑似電界効果型分子デバイスにおける、印加電界と電流密度との関係を示すグラフである。
比較例4の疑似電界効果型分子デバイスにおける、印加電界と電流密度との関係を示すグラフである。
比較例5の疑似電界効果型分子デバイスにおける、印加電界と電流密度との関係を示すグラフである。
比較例6の疑似電界効果型分子デバイスにおける、印加電界と電流密度との関係を示すグラフである。
本発明の実施例4による電界効果型分子デバイス21Bにおける、くし形電極間に流れる電流密度と印加した電界の強さとの関係を示すグラフである。
同、電界効果型分子デバイス21Bと同じ物質系を有する光吸収スペクトル測定用セルの、前処理高周波電界印加の前後における赤外光吸収スペクトルである。
符号の説明
1…機能性分子素子、2…共役系を有し導電性を示す基軸分子、
3…ルイス酸金属イオン、
4…誘電率異方性または双極子モーメントを有するルイス塩基分子、
6…錯体(錯体形成部)、7…π電子、8…電子の流れ、
14…分子の長軸方向に双極子モーメントを有する分子、
21…電界効果型分子デバイス、22…ポリピロール、23…銀(I)イオン、
24…4-ペンチル-4’-シアノビフェニル、
31…第1の基板(制御電界印加用電極、高濃度にドープされたシリコン)、
32…絶縁層(酸化シリコン膜)、33、34…導電度測定用くし形電極、
35…第2の基板(ガラス基板)、
36…ITO電極(もう1つの制御電界印加用電極)、37…ホモジニアス配向膜、
38…封止材、41…制御電界印加用電源、42…導電性測定用電源、43…電流計