以下、添付の図面を参照しながら、本発明の実施形態について詳細に説明する。図1は、本発明の実施形態に係る電磁鋼板の構造を示す断面図である。
本発明の実施形態に係る電磁鋼板1には、図1に示すように、電磁鋼の母材2、及び母材2の表面に形成され、多価金属りん酸塩を含む絶縁被膜3が含まれる。母材2は方向性電磁鋼板又は無方向性電磁鋼板に適した組成を有する。絶縁被膜3は、蟻酸、酢酸及びシュウ酸からなる群から選択された1種以上を含有し、絶縁被膜3に含まれるカルボン酸の量は、0mg/m2超15mg/m2以下である。多価金属りん酸塩は、例えばAl、Zn、Mg若しくはCa又はこれらの任意の組み合わせを含む。以下、Al、Zn、Mg若しくはCa又はこれらの任意の組み合わせをMで表すことがある。
詳細は後述するが、上記のような絶縁被膜3は従来の電磁鋼板に含まれる絶縁被膜よりも緻密であり、優れた耐錆性を有する。従って、電磁鋼板1によれば、6価クロムを絶縁被膜3の原料に使用せずに、溶接性及びかしめ性を低下させることなく優れた耐錆性を得ることができる。
絶縁被膜3に含まれるカルボン酸の量は、例えば、次のようにして特定することができる。この方法では、絶縁被膜3をイオン交換水に浸漬し、大気中で、100℃で20分以上煮沸し、その後、イオン交換水に溶出したカルボン酸の量を測定する。イオン交換水中のカルボン酸の量は、イオンクロマトグラフィーにより定性および定量測定することができる。
ここで、本発明の実施形態に想到した経緯について説明する。
従来の電磁鋼板の製造方法では、多価金属りん酸塩の水溶液を電磁鋼の母材に塗布し、焼き付けている。多価金属のりん酸塩としては、第一りん酸アルミニウム、第一りん酸亜鉛、第一りん酸マグネシウム及び第一りん酸カルシウムが例示される。以下、りん酸アルミニウム、りん酸亜鉛、りん酸マグネシウム、りん酸カルシウムは、それぞれ第一りん酸アルミニウム、第一りん酸亜鉛、第一りん酸マグネシウム、第一りん酸カルシウムを示す。
水溶液の焼き付けの際にりん酸塩が脱水縮合反応で架橋して絶縁被膜が形成される。このとき、水溶液中の全てのりん酸塩が架橋反応して高分子化するのではなく、一部のりん酸塩は、脱水縮合しないオルトりん酸、りん酸2分子が脱水縮合した二量体のピロりん酸又はりん酸3分子が脱水縮合した三量体のトリポリりん酸として絶縁被膜中に残存する。
りん酸塩の架橋反応には、様々な因子が影響するが、耐食性、特に、耐錆性を高めるには、りん酸塩の架橋反応を促進して、腐食原因の水、塩分等が透過しにくい緻密で均一な架橋状態(被膜構造)を形成することが重要である。しかしながら、オルトりん酸、ピロりん酸及び/又はトリポリりん酸を多量に含む絶縁被膜では、りん酸塩の架橋反応が不十分であり、十分な耐錆性が得られない。
本発明者が、このような問題点に着目して種々の試験を行った結果、多価金属りん酸塩、キレート剤及び水からなる塗布液を用い、所定の条件下で絶縁被膜を形成することにより、優れた耐錆性が得られることが判明した。
ここで、耐錆性の評価方法について説明する。
電磁鋼板の耐錆性を評価する試験として、JIS K 2246に規定される湿潤試験及びJIS Z 2371に規定される塩水噴霧試験が例示される。しかしながら、これらの試験における腐食環境は、電磁鋼板に錆が生じるような腐食環境とは大きく異なっており、必ずしも、電磁鋼板の耐錆性を適切に評価できるとはいえない。
そこで、本発明者らは、電磁鋼板に錆が生じるような腐食環境における耐錆性を適切に評価できる方法について検討した。この結果、次のような方法により耐錆性を適切に評価できることが判明した。この方法では、絶縁被膜を有する電磁鋼板の表面に濃度が相違する塩化ナトリウム水溶液の液滴を0.5μlずつ付着させて乾燥させ、温度が50℃、相対湿度RHが90%の恒温恒湿の雰囲気に電磁鋼板を48時間保持する。恒温恒湿槽を用いてもよい。その後、錆の有無を確認し、当該電磁鋼板において錆が発生しない塩化ナトリウムの濃度を特定する。そして、錆が発生しない塩化ナトリウムの濃度に基づいて耐錆性を評価する。
つまり、この方法では、電磁鋼板が塩化ナトリウム水溶液の液滴の付着及び乾燥の後に湿潤雰囲気に曝される。このような過程は、保管、輸送及び使用の際に電磁鋼板の表面に塩が付着し、その後に湿度が上昇して塩が潮解するという、電磁鋼板が曝される腐食環境に類似している。塩化ナトリウムの濃度が高いほど、乾燥後に残存する塩化ナトリウムの量が多く、錆が生じやすい。従って、塩化ナトリウム水溶液の濃度を段階的に低下させながら観察を行い、錆が発生しない濃度(以下、「限界塩化ナトリウム濃度」ということがある)を特定すれば、この限界塩化ナトリウム濃度に基づいて、電磁鋼板が実際に曝される腐食環境における耐錆性を定量的に評価することができる。
図2(a)〜(e)に、上記の方法による試験結果の例を示す。この試験では、塩化ナトリウム濃度を、1.0質量%(図2(a))、0.3質量%(図2(b))、0.1質量%(図2(c))、0.03質量%(図2(d))又は0.01質量%(図2(e))とした。そして、図2(a)〜(e)に示すように、塩化ナトリウムの濃度が1質量%、0.3質量%、0.1質量%又は0.03質量%の場合に錆が確認され、塩化ナトリウムの濃度が0.01質量%の場合に錆が確認されなかった。このため、この電磁鋼板の限界塩化ナトリウム濃度は0.01質量%である。本発明者らは、恒温恒湿の雰囲気での保持時間が48時間を超えても、このような発錆状況がほとんど変化しないことを確認してある。
図3(a)に、キレート剤を含まない塗布液を用いて絶縁被膜を形成した電磁鋼板についての上記の方法による試験結果の例を示し、図3(b)に、キレート剤を含む塗布液を用いて絶縁被膜を形成した電磁鋼板についての上記の方法による試験結果の例を示す。いずれの塗布液にも多価金属りん酸塩としてりん酸アルミニウムが含まれる。キレート剤を含まない塗布液を用いて絶縁被膜を形成した電磁鋼板では、図3(a)に示すように、濃度が0.03質量%の塩化ナトリウム水溶液を用いた場合に錆が確認された。一方、キレート剤を含む塗布液を用いて絶縁被膜を形成した電磁鋼板では、図3(b)に示すように、濃度が0.2質量%の塩化ナトリウム水溶液を用いた場合でも錆が確認されなかった。
このように、キレート剤を含む塗布液を用いて絶縁被膜を形成した場合には、キレート剤を含まない塗布液を用いて絶縁被膜を形成した場合よりも、限界塩化ナトリウム濃度が高く、優れた耐錆性が得られる。
前述したように、キレート剤を含まない塗布液を用いたのでは、架橋反応は十分に進行し難く、オルトりん酸、ピロりん酸及び/又はトリポリりん酸が絶縁被膜中に残存して、絶縁被膜内に緻密で均一な架橋状態(被膜構造)が形成されない。また、キレート剤を含む塗布液を用いたとしても、架橋反応が十分でなければ、優れた耐錆性は得られず、結果的にキレート剤やその分解により生じた物質(分解生成物)が絶縁被膜に残存する。絶縁被膜に残存するキレート剤やその分解生成物は、主としてカルボン酸であり、蟻酸、酢酸あるいはシュウ酸といった低分子量のカルボン酸が含まれる。
そこで、本発明者らは、絶縁被膜に含まれるカルボン酸の量と耐錆性との関係について調査した。この調査では、上記のイオン交換水により抽出し、抽出水のイオンクロマトグラフィーによる方法によりカルボン酸種の定性および定量を行った。
この結果、同じ組成の塗布液を用いて絶縁被膜を形成したとしても、その形成条件に応じて耐錆性が相違し、耐錆性が低い絶縁被膜ほど多く、特に蟻酸、酢酸、シュウ酸といった低分子量のカルボン酸を含んでいることが判明した。また、絶縁被膜に含まれるカルボン酸の種類は、キレート剤と同種であったり、キレート剤の分解生成物と同種であったりした。絶縁被膜に含まれるカルボン酸としては、先に示したように酢酸、蟻酸及びシュウ酸が例示される。
このように、耐錆性に優れる絶縁被膜に含まれるカルボン酸の量は少ないことが確認できた。本発明者らは、これらの知見に基づいて本発明の実施形態に想到した。
絶縁被膜に酢酸、蟻酸及びシュウ酸からなる群から選択された1種以上が含有される場合に、絶縁被膜に含まれるカルボン酸の量が15mg/m2超では、キレート剤の架橋反応が十分に進行しておらず、優れた耐錆性が得られない。従って、絶縁被膜に含まれるカルボン酸の量は15mg/m2以下とし、好ましくは10mg/m2以下とする。絶縁被膜3に含まれるカルボン酸の量が少ないほど耐蝕性は良好であるが、キレート剤を用いて形成された絶縁被膜3には少なからず酢酸、蟻酸又はシュウ酸が残存するため、絶縁被膜3に含まれるカルボン酸の量は0mg/m2超である。
実際に、本発明者らは、図3(b)に示す、りん酸アルミニウム及びキレート剤を含む塗布液を用いて絶縁被膜を形成し、この絶縁被膜に含まれるカルボン酸の量を測定したところ、蟻酸、酢酸及びシュウ酸からなる群から選択された1種以上が含まれ、かつ15mg/m2以下であることを確認した。更に、本発明者らは、耐錆性が劣る絶縁被膜に含まれるカルボン酸の量は15mg/m2を超え、耐錆性に優れる絶縁被膜に含まれるカルボン酸の量は15mg/m2以下であることも確認した。
次に、電磁鋼板1を製造する方法について説明する。この方法では、Mを含む多価金属りん酸塩、キレート剤並びに水からなる塗布液を電磁鋼の母材に塗布し、焼き付ける。水としては、Caイオン及びMgイオンの合計濃度が100ppm以下のものを用いる。多価金属りん酸塩としては、第一りん酸アルミニウム、第一りん酸亜鉛、第一りん酸マグネシウム及び第一りん酸カルシウムが例示される。以下、りん酸アルミニウム、りん酸亜鉛、りん酸マグネシウム、りん酸カルシウムは、それぞれ第一りん酸アルミニウム、第一りん酸亜鉛、第一りん酸マグネシウム、第一りん酸カルシウムを示す。
塗布液の焼き付けの際にりん酸塩の末端同士が脱水縮合反応で架橋して絶縁被膜が形成される。脱水縮合反応の反応式として、以下のものが例示される。ここでは、キレート剤を「HO−R−OH」、金属を「M」と記載している。
P−OH+HO−P → P−O−P (化学式1)
P−OH+HO−P+HO−R−OH → P−O−R−O−P (化学式2)
P−OH+HO−P+HO−R−OH+M
→ P−O−M−O−R−O−P (化学式3)
P−OH+HO−P+HO−R−OH+2M
→ P−O−M−O−R−O−M−O−P (化学式4)
一方、多価金属りん酸塩及び水からなり、キレート剤が含まれない塗布液が用いられた場合は、化学式1の反応が生じるものの、化学式2〜化学式4の反応は生じない。従って、キレート剤を含む塗布液が用いられた場合は、キレート剤が含まれない塗布液が用いられた場合よりも絶縁被膜中に多くの架橋点が存在し、高い耐錆性が得られる。キレート剤の結合手が多いほど架橋点の数が多く、より高い耐錆性が得られる。
キレート剤としては、例えば、オキシカルボン酸系、ジカルボン酸系又はホスホン酸系のキレート剤を用いる。オキシカルボン酸系キレート剤として、リンゴ酸、グリコール酸及び乳酸が例示される。ジカルボン酸系キレート剤として、シュウ酸、マロン酸及びコハク酸が例示される。ホスホン酸系キレート剤としては、アミノトリメチレンホスホン酸、ヒドロキシエチリデンモノホスホン酸及びヒドロキシエチリデンジホスホン酸が例示される。
絶縁被膜の耐錆性を向上させるためには、化学式2〜化学式4の反応を促進させて、りん酸塩及びキレート剤の分子レベルでの結合を多数形成することが重要である。即ち、キレート剤「HO−R−OH」の「R」をりん酸塩と結合させることが重要である。
りん酸塩と結合しないキレート剤は、りん酸塩と結合しない状態で絶縁被膜中に残留し、絶縁被膜が腐食環境に置かれたときに絶縁被膜から溶出する。キレート剤が、オキシカルボン酸系、ジカルボン酸系又はホスホン酸系のキレート剤の場合、りん酸塩と結合しないキレート剤の一部は、蟻酸、酢酸及びシュウ酸といった低分子のカルボン酸として残留し、絶縁被膜が腐食環境に置かれたとき、絶縁被膜からカルボン酸が溶出する。
絶縁被膜からのカルボン酸の溶出は、りん酸塩との架橋反応が十分に進行していないキレート剤が絶縁被膜内に残留していることを示す現象である。また、絶縁被膜に含まれるカルボン酸は、電磁鋼板が腐食環境に置かれて溶出すると、絶縁被膜の表面に付着する水膜を酸性化し、絶縁被膜の耐錆性を更に低下させ得る。
キレート剤がりん酸塩と直接反応すれば、絶縁被膜の耐錆性は向上するが、競合反応として、下記化学式5で表されるように、キレート剤の末端の「−OH」基の「H」が、金属イオン(M´)に置換される架橋反応が生じる。
P−OH+HO−P+M´(金属イオン)
→ P−O−M´−O−P (化学式5)
化学式2〜化学式4の架橋反応により形成される絶縁被膜は化学式5の架橋反応により形成される絶縁被膜より緻密であるため、化学式2〜化学式4の架橋反応が化学式5の架橋反応より優勢な条件を選択することが重要である。そして、りん酸塩系の絶縁被膜の形成に一定量の金属イオンが必要であるので、耐錆性に優れた絶縁被膜を形成するためには、金属イオンの量とりん酸塩の量との関係が適切な塗布液を用いることが重要である。
本発明者らが金属イオンの量とりん酸塩の量との適切な関係について検討した結果、キレート剤及び多価金属りん酸塩を含む塗布液において、Al、Zn、Mg及びCaの個々の物質量(モル)を[M]とし、Al、Zn、Mg及びCaの個々の価数をnMとし、リンの物質量(モル)を[P]としたとき、ΣnM[M]/[P]の値を1.1以下とすることが重要であることが判明した。
ΣnM[M]/[P]が1.1超では、金属イオンが過剰であるため、化学式5の架橋反応が化学式2〜化学式4の架橋反応よりも優勢に進行し、絶縁被膜の緻密性が低く、優れた耐錆性が得られないことがある。従って、ΣnM[M]/[P]の値は、好ましくは1.1以下とし、より好ましくは1.0以下とし、更に好ましくは0.9以下とする。その一方で、ΣnM[M]/[P]の値が0.5未満では、金属イオンが不足し、十分な絶縁被膜が得られないことがある。従って、ΣnM[M]/[P]の値は、好ましくは0.5以上とし、より好ましくは0.7以上とする。
塗布液に含まれるキレート剤の量は、焼き付け後の絶縁被膜の質量に対して1質量%〜30質量%である。りん酸塩を含む塗布液は酸性であるため、塗布液の乾燥が終了せず、かつ、塗布液が酸性に保持されている間、母材からFeが塗布液中に溶出する。そして、Feが過度に溶出し、キレート剤の反応限界を上回ると、りん酸鉄及び水酸化鉄が生成され、十分な耐錆性が得られない。このような現象はキレート剤の量が1質量%未満の場合に顕著である。従って、キレート剤の量は焼き付け後の絶縁被膜の質量に対して1質量%以上である。一方、キレート剤の量が30質量%超では、塗布液中のりん酸塩が70質量%未満であり、絶縁被膜に十分な耐熱性が得られない。従って、キレート剤の量は焼き付け後の絶縁被膜の質量に対して30質量%以下である。
キレート剤は活性な化合物であるが、金属と反応するとエネルギ的に安定になり、十分な活性を示さなくなる。従って、キレート剤の活性を高く維持すべく、りん酸塩に含まれる金属以外の金属が、塗布液の焼き付けが完了する前にキレート剤と反応しないようする。このため、水中のキレート剤との反応性が高い金属イオンの濃度が低いことが好ましい。このような金属イオンとして、Caイオン及びMgイオンが例示される。Caイオン及びMgイオンの合計濃度が100ppm超では、キレート剤の活性が低下する。従って、Caイオン及びMgイオンの合計濃度は100ppm以下であり、好ましくは70ppm以下である。Caイオン及びMgイオン以外のアルカリ土類金属イオンも少なければ少ないほど好ましい。
キレート剤は末端に水酸基を有しており、水酸基は化学式6で表される会合状態(水素結合)をとりやすい。
R−OH・・・O=R (化学式6)
キレート剤の水酸基の会合度(水素結合の程度)が高くなると、化学式2〜化学式4で表される架橋反応が生じ難い。このため、塗布液の塗布は、会合度がなるべく小さくなるように行うことが好ましい。例えば、ローラを用いた塗布(ロールコーティング)を行う場合には、塗布液にせん断力を付与して、キレート剤の会合度を低下させつつ塗布液を塗布することが好ましい。ローラの直径を小さくし、かつ、母材の移動速度を高くすることにより、会合状態を解くのに適切なせん断力を付与することができる。例えば、直径が700mm以下のローラを用いて母材の移動速度を60m/分以上とすることが好ましく、直径が500mm以下のローラを用いて母材の移動速度を70m/分以上とすることがより好ましい。
塗布液の焼き付けは250℃以上の温度で行い、塗布時の母材の温度、例えば30℃程度の室温から100℃までの昇温速度(第1昇温速度)を8℃/秒以上とし、150℃から250℃までの昇温速度(第2昇温速度)を第1昇温速度よりも低くする。塗布時の温度は実質的に塗布液の温度に等しい。
前述のキレート剤の会合の進行は、塗布液の流動性がなくなれば生じなくなる。従って、会合度をなるべく低くするために、水の沸点(100℃)までの第1昇温速度は高くすることが好ましい。第1昇温速度が8℃/秒未満では、昇温中にキレート剤の会合度が急激に高まるため、化学式2〜化学式4で表される架橋反応が生じ難くなる。従って、第1昇温速度は8℃/秒以上とする。
化学式1〜化学式4のりん酸塩及びキレート剤の架橋反応及びキレート剤の分解及び揮散は150℃〜250℃の温度範囲で生じる。このため、150℃から250℃までの第2昇温速度を小さくすることで、キレート剤の分解を抑制しながら架橋反応を促進することができる。しかし、昇温速度の低下は生産性の低下を招くことがある。一方、キレート剤の架橋反応は、前述のキレート剤の会合度により変化する。そのため、第1昇温速度を大きくし、キレート剤の会合度を小さくしておけば、第2昇温速度を大きくしても、りん酸塩とキレート剤との架橋反応を促進することができる。他方、第1昇温速度が小さく、キレート剤の会合度が大きい場合には、それに応じて第2昇温速度を低くしなければ、キレート剤とりん酸塩との架橋反応を十分に進行させることができない。本発明者らの検討により、第1昇温速度が8℃/秒以上であり、第2昇温速度が第1昇温速度より低ければ、キレート剤の会合度に応じてりん酸塩とキレート剤との架橋反応が進行し、優れた耐錆性が得られることが判明している。ただし、第2昇温速度が過度に大きい場合、例えば18℃/秒超では、第1昇温速度が8℃/秒以上であっても、架橋が十分に完了せず、優れた耐錆性が得られない。従って、第2昇温速度は18℃/秒以下とする。一方、第2昇温速度が低いほど生産性が低くなり、5℃/秒未満で顕著となる。従って、第2昇温速度は好ましくは5℃/秒以上とする。
このような電磁鋼の母材への塗布液の塗布及び焼き付けを経て電磁鋼板1を製造することができる。
絶縁被膜中に残存するりん酸塩と反応していないキレート剤及びその分解生成物のカルボン酸は、絶縁被膜の耐錆性を低下させ得る。このため、優れた耐錆性を維持するために、絶縁被膜の形成後に、早急にキレート剤及びカルボン酸を絶縁被膜から除去することが好ましい。例えば、カルボン酸が可溶な水を絶縁被膜の冷却に用いることで、電磁鋼板の冷却及び絶縁被膜からのカルボン酸の除去を並行して行うことができる。このような冷却は、水を電磁鋼板に接触させて行ってもよく、ミスト状にした水を電磁鋼板に接触させて行ってもよい。冷却むらによる電磁鋼板の変形等を回避する点で、ミスト状にした水を用いた徐冷却が好ましい。
冷却に用いる水としては、Caイオン及びMgイオンの合計濃度が200ppm以下、好ましくは100ppm以下のものを用いる。Caイオン及びMgイオンは、絶縁被膜に残留するカルボン酸と反応して塩を生成する。この塩は、絶縁被膜の表面に残留すると結露起点となって、多くの塩分及び水分を捕捉するため、絶縁被膜の耐錆性が低下する。このような現象はCaイオン及びMgイオンの合計濃度が200ppm超の場合に顕著である。従って、冷却に用いる水のCaイオン及びMgイオンの合計濃度は200ppm以下とし、好ましくは100ppm以下とする。
塗布液が有機樹脂を含んでいてもよい。塗布液に含まれる有機樹脂は打抜き金型の摩耗を抑制する作用を備える。このため、有機樹脂を含む塗布液を用いることで、電磁鋼板の打抜き加工性が向上する。有機樹脂は好ましくは水分散性有機エマルジョンとして用いられる。水分散性有機エマルジョンが用いられる場合、これに含まれるCaイオン、Mgイオン等のアルカリ土類金属イオンは少なければ少ないほど好ましい。有機樹脂として、アクリル樹脂、アクリルスチレン樹脂、アルキッド樹脂、ポリエステル樹脂、シリコーン樹脂、フッ素樹脂、ポリオレフィン樹脂、スチレン樹脂、酢酸ビニル樹脂、エポキシ樹脂、フェノール樹脂、ウレタン樹脂及びメラミン樹脂が例示される。
本実施形態に係る電磁鋼板1によれば、6価クロムを絶縁被膜3の原料に使用せずに優れた耐錆性を得ることができる。例えば、電磁鋼板1は、海上輸送時等の高飛来塩分環境下でも、亜熱帯又は熱帯に相当する高温多湿環境下でも十分な耐錆性を呈する。絶縁被膜3を厚く形成する必要がないため、溶接性及びかしめ性の低下を回避できる。
なお、上記実施形態は、何れも本発明を実施するにあたっての具体化の例を示したものに過ぎず、これらによって本発明の技術的範囲が限定的に解釈されてはならないものである。すなわち、本発明はその技術思想、又はその主要な特徴から逸脱することなく、様々な形で実施することができる。
次に、本発明の実施例について説明する。実施例での条件は、本発明の実施可能性及び効果を確認するために採用した一条件例であり、本発明は、この一条件例に限定されるものではない。本発明は、本発明の要旨を逸脱せず、本発明の目的を達成する限りにおいて、種々の条件を採用し得るものである。
本発明者らは、表1に示すりん酸塩、キレート剤、有機樹脂及び水からなる塗布液を作製し、これを電磁鋼の母材の両面に塗布して焼き付けた。りん酸塩の物質量比(ΣnM[M]/[P])、並びに水に含まれるCaイオン及びMgイオンの合計濃度(イオン合計濃度)も表1に示す。塗布の条件、焼き付けの条件及び冷却の条件も表1に示す。第1昇温速度は30℃から100℃までの昇温速度であり、第2昇温速度は150℃〜250℃までの昇温速度である。母材はSiを0.3質量%含み、母材の厚さは0.5mmであった。試料No.27では、参考のために、りん酸塩に代えてクロム酸塩を用いて絶縁被膜を形成した。
次いで、絶縁被膜に含まれるカルボン酸の量の測定並びに耐錆性及び溶接性の評価を行った。
絶縁被膜に含まれるカルボン酸の量の測定では、各電磁鋼板から試験片を切り出し、試験片をイオン交換水に浸漬し、大気中で、100℃で20分以上煮沸し、その後、イオン交換水に溶出したカルボン酸の量をイオンクロマトグラフィーで測定した。イオンクロマトグラフィーの分析装置として、DIONEX社製のDX−600を用い、分離カラムとして、DIONEX社製のIonPacAG11−HCを用い、検出器として電気伝導度検出器を用いた。溶離液には、1ミリモル/L〜35ミリモル/Lの水酸化カリウム水溶液を用い、溶離液の流速は0.38mL/分とした。
事前に、イオン交換水に溶出したカルボン酸種をイオンクロマトグラフィーにて同定したところ、絶縁被膜に含まれる主なカルボン酸種は酢酸及び/又はシュウ酸であった。このため、酢酸及びシュウ酸を標準物質として各種濃度でクロマトグラフィーを測定し、各標準物質に相当するリテンションタイムでの、濃度と検出時の電導度との関係を明らかにしておき、各試験片に含まれるカルボン酸の定量を行った。この結果を表2に示す。表2中の下線は、その数値が本発明の範囲から外れていることを示す。
耐錆性の評価では、各電磁鋼板から試験片を準備し、試験片の表面に濃度が相違する塩化ナトリウム水溶液の液滴を0.5μlずつ付着させて乾燥させ、温度が50℃、相対湿度RHが90%の恒温恒湿の雰囲気に試験片を48時間保持した。塩化ナトリウム水溶液の濃度は、0.001質量%、0.01質量%、0.02質量%、0.03質量%、0.10質量%、0.20質量%、0.30質量%及び1.0質量%とした。その後、錆の有無を確認し、各試験片の限界塩化ナトリウム(NaCl)濃度を特定した。この結果も表2に示す。
溶接性の評価では、溶接電流を120Aとし、電極としてLa−W(2.4mmφ)を用い、ギャップを1.5mmとし、Arガスの流量を6l/分、締付圧力を50kg/cm2として、種々の溶接速度で溶接を行った。そして、ブローホールが発生しない最大溶接速度を特定した。この結果も表2に示す。
表2に示すように、本発明の範囲内にある試料No.6〜No.13、No.15〜No.26において、0.10質量%以上の限界塩化ナトリウム濃度及び100cm/分の溶接速度の両方が得られた。つまり、優れた耐錆性及び溶接性が得られた。
試料No.1〜No.5、No.13、No.28〜No.31では、限界塩化ナトリウム濃度が0.03質量%以下であったり、溶接速度が50cm/分であったりした。つまり、耐錆性若しくは溶接性又はこれらの両方が低かった。