本実施形態に係る鋼裏金層2の表面に高パーライト相部8を形成した摺動部材1について、図1乃至図4を参照して説明する。図1は、鋼裏金層2と摺動層3とからなる円筒形状の摺動部材1の正面図である。図2は、鋼裏金層2の表面に高パーライト相部8を形成した円筒形状の摺動部材1を平面展開させた場合の周方向断面を示す模式図である。図3は、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部付近の組織を示す拡大図であり、図4は、鋼裏金層2の表面付近の高パーライト相部の組織を示す拡大図である。
図1に示すように、円筒形状の摺動部材1は、鋼裏金層2と摺動層3とからなる。また、図2に示すように、摺動層3は、鋼裏金層2上に形成された多孔質焼結層4と樹脂組成物5とからなり、多孔質焼結層4は、粒状のFeまたはFe合金相6とNi−P合金相7とからなる。このNi−P合金相7は、FeまたはFe合金相6の粒どうし、あるいは、FeまたはFe合金相6の粒と鋼裏金層2の表面とをつなぐバインダとなっている。また、図2に示すように、FeまたはFe合金相6の粒どうし、あるいは、FeまたはFe合金相6の粒と鋼裏金層2の表面とは、Ni−P合金相7を介して接合している。なお、FeまたはFe合金相6の粒どうし、あるいは、FeまたはFe合金相6の粒と鋼裏金層2の表面とは、直接、接触、あるいは、焼結により接合している部分が形成されていてもよい。また、FeまたはFe合金相6の粒は、表面の一部がNi−P合金相7により覆われていない部分が形成されていてもよい。また、多孔質焼結層4は、樹脂組成物5を含浸させるための空孔を有し、その空孔率は10〜60%である。より好ましくは、空孔率は20〜40%である。
鋼裏金層2には、炭素成分の含有量が0.05〜0.3質量%である炭素鋼(亜共析鋼)を用いる。炭素成分の含有量が0.05質量%未満の炭素鋼を用いる場合には、鋼裏金層2の強度が低く、摺動部材1の強度が不十分となる。一方、炭素の含有量が0.3質量%を超える炭素鋼を用いる場合には、鋼裏金層2の高パーライト相部8に遊離セメンタイト相(パーライト相10を構成する層状のセメンタイト相以外のセメンタイト相)が多く形成される場合があり、鋼裏金層2が脆くなることがある。
鋼裏金層2の組織は、フェライト相9とパーライト相10とからなる。鋼裏金層2におけるフェライト相9は、炭素成分の含有量が最大で0.02質量%と少なく、純鉄に近い組成の相である。一方、鋼裏金層2におけるパーライト相10は、フェライト相と鉄炭化物であるセメンタイト(Fe3C)相とが薄い板状に交互に並んで形成されるラメラ組織の相である。このパーライト相10は、フェライト相9よりも炭素成分の量が多い。このため、鋼裏金層2は、組織中のパーライト相10の割合が多いほど、変形抵抗が高くなる。
図3に示すように、鋼裏金層2の厚さ方向(摺動層3との界面となる鋼裏金層2の表面に対して垂直方向)の中央部における組織は、フェライト相9を主体とし、組織中のパーライト相10の割合が30体積%以下である。この組織は、炭素成分の含有量に応じてパーライト相10の割合が決められる通常の亜共析鋼の組織であり、変形抵抗はそれほど高くなく、延性が高い。また、このような組織の鋼裏金層2は、円筒形状の軸受等への摺動部材1の成形性に優れるとともに、軸受を軸受ハウジング部16の軸受保持穴17(図5参照)に圧入した際に、軸受の外周面(鋼裏金層2)が軸受保持穴17の内周面に密着しうるため、好適である。
図4に示すように、摺動層3との界面となる鋼裏金層2の表面付近は、組織中のパーライト相10の割合が50体積%以上である高パーライト相部8が形成されており、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部付近に比べて、変形抵抗が高くなっている。また、鋼裏金層2の高パーライト相部8の組織中のパーライト相10の体積割合は、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部における組織中のパーライト相10の体積割合に対して2倍以上とすることが好ましい。なお、鋼裏金層2の組織は、高パーライト相部8を除き、厚さ方向の中央部付近の組織と概ね同じになっている。
図2に示すように、摺動層3の多孔質焼結層4との界面となる鋼裏金層2の表面には、高パーライト相部8が形成される。この高パーライト相部8は、円筒形状の摺動部材1の周方向で厚さが増減を繰り返すように変化し、厚さが減少した薄領域8Sと厚さが増加した厚領域8Lとが交互に形成される。そして、鋼裏金層2の表面に積層されるFeまたはFe合金相6の粒のうち、鋼裏金層2の表面近傍に位置するFeまたはFe合金相6の粒は、主に高パーライト相部8の厚さが増加した厚領域8L上に位置した構成となる。換言すれば、高パーライト層部8の厚さが増加した厚領域8Lは、多孔質焼結層4のFeまたはFe合金相6の粒の近傍の鋼裏金層2の表面から、鋼裏金層2の内部へ向かって放射状に形成される。なお、図示してないが、高パーライト相部8は、円筒形状の摺動部材1の軸線方向においても厚さが増減を繰り返して変化するように形成されている。
なお、鋼裏金層2は、前記炭素成分を含有し、さらに、0.1質量%以下のSi、1質量%以下のMn、0.04質量%以下のP、0.04質量%以下のSのいずれか一種以上を含有し、残部Feおよび不可避不純物からなる組成であってもよい。また、鋼裏金層2の組織は、フェライト相9とパーライト相10とからなるが、微細な析出物(走査電子顕微鏡を用い1000倍で組織観察を行っても検出できない析出物相)を含むことは許容される。
本実施形態では、電子顕微鏡を用いて摺動部材1の厚さ方向に平行な方向に切断された摺動部材1の周方向の断面組織において、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部付近、及び、摺動層3との界面となる鋼裏金層2の表面付近のそれぞれの複数個所(例えば3箇所)を倍率500倍で電子像を撮影し、その画像を一般的な画像解析手法(解析ソフト:Image−Pro Plus(Version4.5);(株)プラネトロン製)を用いて、組織中のパーライト相10の面積率を測定した。そして、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部における組織中のパーライト相10の割合(面積率)が30%以下となっていること、及び、摺動層3との界面となる鋼裏金層2の表面付近における組織中のパーライト相10の割合(面積率)が50%以上となっていることで、摺動層3との界面となる鋼裏金層2の表面に高パーライト相部8が形成されていることが確認できる。なお、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部付近におけるパーライト相10の面積率の観察部は、厳密な意味での鋼裏金層2の厚さ方向に中央部位置でなくてもよい。これは、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部位置から高パーライト相部8までの間、および、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部位置から鋼裏金層の高パーライト相部8とは反対側の表面までの間の組織が、実質的にほぼ同じ組織(同じパーライト相10の面積率)になっているからである。なお、本実施形態では、鋼裏金層2の組織中のパーライト相10の割合は、断面視における面積率として測定したが、この面積率の値は、鋼裏金層2の組織中のパーライト相10の体積率に相当するものである。
上記した高パーライト相部8の平均厚さは、摺動層3との界面から50〜400μmである。より好ましくは、高パーライト相部8の平均厚さは50〜200μmである。なお、鋼裏金層2の厚さは、一般的な摺動部材では最小で0.5mmのものがあるが、このような薄い厚さの鋼裏金層2を用いる場合には、鋼裏金層2の厚さに対し、高パーライト相部8の平均厚さを30%以下にするべきである。
高パーライト相部8は、厚さが高パーライト相部8の平均厚さ以上である厚領域8Lと、厚さが高パーライト相部8の平均厚さ未満である薄領域8Sとで区分した場合、厚領域8Lにおける高パーライト相部8の平均厚さと、薄領域8Sにおける高パーライト相部8の平均厚さとの差は、高パーライト相部8の平均厚さの30%以上とし、円筒形状の摺動部材1の周方向において隣り合う厚領域8Lの間の平均長さ(すなわち、薄領域8Sの平均長さ)は、50〜400μmとすることが好ましい。この隣り合う厚領域8Lの間の平均長さは、摺動層3との界面となる鋼裏金層2の表面における周方向の長さである。さらに、摺動層3との界面となる高パーライト相部8の表面における厚領域8Lの面積率は、20〜50%とすることが望ましい。
なお、高パーライト相部8における厚領域8Lと薄領域8Sとの区分方法は、まず、段落[0028]に記載した方法により倍率を200倍に変えて撮影した画像を、一般的な画像解析手法(解析ソフト:Image−Pro Plus(Version4.5);(株)プラネトロン製)を用いて、鋼裏金層2の表面からの高パーライト相部8の平均厚さを求める。次に、画像に、鋼裏金層2の表面に対して平行な仮想線Mを、鋼裏金層2の表面から高パーライト相部8の平均厚さの値Tだけ離間させて描いた後、該平行な仮想線Mと高パーライト相部8の輪郭線(高パーライト相部8と高パーライト相部8以外との境界線であり、図2に示す破線)との交点から鋼裏金層2の表面に向かう仮想の垂線を描く。これらの隣り合う仮想の垂線に挟まれる領域の高パーライト相部8が、平行な仮想線Mに達しない場合には、この領域が薄領域8Sであり、これ以外の領域が厚領域8Lとして区分する(図2参照)。そして、区分された各々の厚領域8Lと各々の薄領域8Sは、前記画像解析手法により高パーライト相部8の平均厚さを測定し、厚領域8Lにおける高パーライト相部8の平均厚さと、薄領域8Sにおける高パーライト相部8の平均厚さとの差が、高パーライト相部8の全体の平均厚さの30%以上となっていることを確認する。また、隣り合う厚領域8Lの間の平均長さは、鋼裏金層2の表面における長さであり、隣り合う厚領域8Lを区分する2本の仮想の垂線の間の長さをそれぞれ測定し、その値を平均することで確認できる。なお、摺動層3との界面となる鋼裏金層2の表面における厚領域8Lの面積率は、直接は測定できないが、前記画像解析手法を用いて、画像中の摺動層3との界面となる線の全長に対する高パーライト相部8の厚領域8Lによる長さの割合を測定することにより確認できる。
また、摺動層3との界面となる鋼裏金層2の高パーライト相部8の表面には、多孔質焼結層4におけるNi−P合金相7から拡散したNi成分が含まれている。多孔質焼結層4のNi−P合金相7から鋼裏金層2の高パーライト相部8に拡散したNi成分は極微量であるが、EPMA(エレクトロンプローブマイクロアナライザー)測定により高パーライト相部8に拡散したNi成分が確認される。また、高パーライト相部8の摺動層3との界面となる表面から内部へ向かって次第にNi成分の濃度が減少していることが確認できる。
図3に示すように、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部付近の組織は、粒状のフェライト相9からなる素地に粒状のパーライト相10が分散した通常の亜共析鋼の組織であるが、図4に示すように高パーライト相部8の組織は、網目状のフェライト相9と、該網目状のフェライト相9に囲まれた粗大なパーライト相10と、からなる。ここで、高パーライト相部8の組織中の粗大なパーライト相10の平均粒径は、高パーライト相部8と鋼裏金層2の厚さ方向中央部付近との変形抵抗の差を大きくするため、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部付近の組織中のパーライト相10の平均粒径に対して3倍以上大きくすることが好ましい。
なお、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部および高パーライト相部8におけるパーライト相10の平均粒径の確認方法としては、具体的には、段落[0028]に記載した方法により撮影した画像を、一般的な画像解析手法(解析ソフト:Image−Pro Plus(Version4.5);(株)プラネトロン製)を用いて、各パーライト相10の面積を測定し、それを円と想定した場合の平均直径に換算して求めることができる。
また、図4に示すように、鋼裏金層2の高パーライト相部8は、摺動層3との界面となる表面の大部分が、前記した網目状のフェライト相9によって構成されるため、摺動層3の多孔質焼結層4や樹脂組成物5との接合強度が高くなる。これは、パーライト相10は、鉄炭化物であるセメンタイト(Fe3C)相を含むため、フェライト相9に比べると、摺動層3の多孔質焼結層4や樹脂組成物5との接合が弱くなるからである。なお、高パーライト相部8の摺動層3との界面となる表面における網目状のフェライト相9の面積率は、鋼裏金層2と摺動層3との接合強度を高めるため、90%以上とすることが好ましい。
また、高パーライト相部8の摺動層3との界面における網目状のフェライト相9の厚さは、最大で5μm以下とすることが好ましい。網目状のフェライト相9の厚さが5μmを超えると、高パーライト相部8の組織中のフェライト相9の体積割合が増加し、パーライト相10の体積割合が減少することで、高パーライト相部8の変形抵抗が低くなるからである。
なお、高パーライト相部8の摺動層3との界面におけるフェライト相9の面積率は、直接、測定はできないが、段落[0028]に記載した方法により撮影した画像を、一般的な画像解析手法(解析ソフト:Image−Pro Plus(Version4.5);(株)プラネトロン製)を用いて、その画像中の摺動層3との界面となる線の全長に対するフェライト相9による長さの割合を測定することにより確認できる。
Ni−P合金相7の組成は、9〜13質量%のPと残部Niおよび不可避不純物からなる。このNi−P合金相7の組成は、Ni−P合金の融点が低くなる組成範囲である。なお、Ni−P合金相7の組成は、10〜12質量%のPと残部Niおよび不可避不純物からなることがより望ましい。
鋼裏金層2上に多孔質焼結層4を焼結するときの昇温過程では、後述するが、鋼裏金層2のフェライト相9とパーライト相10とからなる組織は、オーステナイト相に変態する高温度にまで昇温させる必要があり、鋼裏金層2の組織が十分にオーステナイト相に変態する温度にて、上記組成範囲のNi−P合金相7成分の全てを液相化することで、Ni−P合金相7が、粒状のFeまたはFe合金相6どうし、あるいは、粒状のFeまたはFe合金相6と鋼裏金層2の表面とをつなぐバインダとなり、鋼裏金層2上に粒状のFeまたはFe合金相6とNi−P合金相7とからなる多孔質焼結層4が形成される。そして、焼結後の冷却過程においては、鋼裏金層2の多孔質焼結層4との界面となる表面の冷却速度を速くすることで、高パーライト相部8が形成される。ここで、Ni−P合金相7の組成は、Pの含有量が9質量%未満、あるいは、13質量%を超えると、Ni−P合金の融点が高くなり、焼結温度を高くする必要があるが、上記組成範囲である場合には、Ni−P合金の融点が低く、過度に焼結温度を高くする必要がないので、焼結後の冷却過程において鋼裏金層2の表面に高パーライト相部8が形成される速度で冷却することが容易となる。
なお、Ni−P合金相7は、前記組成に、さらに、選択成分として1〜4質量%のB、1〜12質量%のSi、1〜12質量%のCr、1〜3質量%のFe、0.5〜5質量%のSn、0.5〜5質量%のCuから選択される1種以上を含有させて、Ni−P合金相7の強度を調整してもよい。なお、選択成分の中でCu成分をNi−P合金相7に含有させる場合、Ni−P合金相7の耐食性に影響を及ぼさないようにするため、その含有量は5質量%以下にする必要がある。また、これら選択成分を含有するNi−P合金相7は、Ni素地部が必須成分であるP及び選択成分であるB、Si、Cr、Fe、Sn、Cuを固溶した形態の組織が好ましいが、Ni素地部が含有成分による2次相(析出物、晶出物)を含んだ形態の組織であってもよい。
多孔質焼結層4におけるNi−P合金相7の割合は、多孔質焼結層4の100質量部に対してNi−P合金相7が5〜40質量部であり、より好ましくは、10〜20質量部である。このNi−P合金相7の割合は、Ni−P合金相7がFeまたはFe合金相6の粒どうし、あるいは、FeまたはFe合金相6の粒と鋼裏金層2の表面とを結びつけるバインダとなり、鋼裏金層2の表面に多孔質焼結層4を形成するために好適な範囲である。Ni−P合金相7の割合が5質量部未満であると、多孔質焼結層4の強度や、多孔質焼結層4と鋼裏金層2との接合が不十分となる。一方、Ni−P合金相7の割合が40質量部を超えると、焼結時、空孔となるべき部分がNi−P合金で充填されてしまうので、多孔質焼結層4の空孔率が小さくなりすぎる。
多孔質焼結層4における粒状のFeまたはFe合金相6は、平均粒径が45〜180μmであればよい。また、粒状のFe合金の組成は限定されない。一般市販される、純鉄、亜共析鋼、共析鋼、過共析鋼、鋳鉄、高速度鋼、工具鋼、オーステナイト系ステンレス、フェライト系ステンレス等の粒を用いることができる。いずれのFe合金を用いても、有機酸や硫黄成分に対する耐食性は、従来の銅合金を用いるよりも優れている。なお、多孔質焼結層4を構成する粒状のFeまたはFe合金相6は、その表面(Ni−P合金相7との界面となる表面)に、Ni−P合金相7の成分との反応相が形成されていてもよい。
樹脂組成物5は、多孔質焼結層4の空孔部および表面に含浸被覆される。樹脂組成物5としては、一般的な摺動用樹脂組成物を用いることができる。具体的には、フッ素樹脂、ポリエーテルエーテルケトン、 ポリアミド、ポリイミド、ポリアミドイミド、ポリベンゾイミダゾール、エポキシ、フェノール、ポリアセタール、ポリエチレン、ポリプロピレン、ポリオレフィン、ポリフェニレンサルファイドのいずれか一種以上の樹脂に、さらに、固体潤滑剤としてグラファイト、グラフェン、フッ化黒鉛、二硫化モリブデン、フッ素樹脂、ポリエチレン、ポリオレフィン、窒化ホウ素、二硫化錫のいずれか一種以上を含む樹脂組成物を用いることができる。また、樹脂組成物5には、さらに充填剤として、粒状、あるいは、繊維状の金属、金属化合物、セラミック、無機化合物、有機化合物のいずれか一種以上を含有させることができる。なお、樹脂組成物5を構成する樹脂、固体潤滑剤、充填剤は、ここで例示したものに限定されない。
次に、従来の摺動部材11における多孔質焼結層14と樹脂組成物15とからなる摺動層13と、鋼裏金層12と、の接合について、図5及び図6を参照して説明する。図5は、摺動部材11が軸受として用いられる軸受装置の軸受ハウジング部16の軸受保持穴17の内径の変形を説明するための図であり、図6は、従来の鋼裏金層12上に多孔質焼結層14と樹脂組成物15とからなる摺動層13を形成した摺動部材11を示す模式図である。
例えば、燃料噴射ポンプ用等のように回転軸からの動荷重(変動荷重)を支承する軸受装置は、円筒形状の軸受(摺動部材11)が、軸受ハウジング部16に形成された円筒形状の軸受保持穴17の内面に圧入固定され、軸受の内周面(摺動面)が回転軸を支承するように構成される。近年、軸受装置の軽量化のため、軸受ハウジング部16は低剛性化される傾向にあり、軸受装置の運転時、図5に示すように、回転軸からの動荷重負荷の作用方向(矢印F)が変化する毎に軸受ハウジング部16の軸受保持穴17の内径は、弾性変形を繰り返す。この軸受保持穴17の弾性変形に伴い軸受(図5では不図示)は、周期的に周方向長さが増加する変形と減少する変形とが交互に繰り返し起こる。
図6に示すように、従来の鋼裏金層12上に多孔質焼結層14と樹脂組成物15とからなる摺動層13を形成した摺動部材11において、鋼裏金層12の組織は、厚さ方向の全体で、フェライト相を主体とし、粒状のパーライト相がフェライト相の素地部に分散した通常の亜共析鋼の組織(図3に示す組織に相当)である。このような組織の鋼裏金層12は、外力に対する変形抵抗はそれほど高くなく、また、その変形抵抗が鋼裏金層12の厚さ方向で概ね均一になっている。従来の摺動部材11は、図5に示す軸受装置で使用されると、周方向長さが増加および減少する弾性変形は、まず、軸受保持穴17の内周面と直接、接触する鋼裏金層12の表面(外周面)で起こり、鋼裏金層12の厚さ方向に内部で伝播し、さらに鋼裏金層12の表面に接触する多孔質焼結層14へ伝播しているが、鋼裏金層12と多孔質焼結層14との界面では、鋼裏金層12と多孔質焼結層14との弾性変形率の違いにより、せん断応力が発生しやすく、鋼裏金層12と摺動層13とのせん断が起こり易い。
本実施形態に係る摺動部材1において、鋼裏金層2は、炭素の含有量が0.05〜0.3質量%の炭素鋼であるとともに、組織がフェライト相9とパーライト相10とからなり、鋼裏金層2の厚さ方向の中央部における組織中のパーライト相9の割合は、30体積%以下であり、炭素の含有量に応じてパーライト相9の割合が決まる通常の亜共析鋼の組織であるが、摺動層3との界面となる鋼裏金層2の表面には、組織中のパーライト相9の割合が50体積%以上である高パーライト相部8が形成されることで、鋼裏金層2の中央部付近に比べて、変形抵抗が高くなるようにしている。このため、軸受ハウジング部16の軸受保持穴17の内径の弾性変形に伴い、摺動部材1の周方向長さが増加および減少する弾性変形が起こっても、その弾性変形は、主に、摺動層3との界面となる鋼裏金層2の表面の高パーライト相部8を除いた部位で起こり、高パーライト相部8では弾性変形量が小さくなる。換言すれば、軸受保持穴17の内周面と接する鋼裏金層2の表面(外周面)の弾性変形は、高パーライト相部8の手前までは鋼裏金層2の厚さ方向に伝播しやすいが、変形抵抗が高い高パーライト相部8の内部へは伝播しがたくなっており、且つ、高パーライト相部8を除いた部位の鋼裏金層2の弾性変形量が多くなることで、多孔質焼結層4との界面となる鋼裏金層2の表面の高パーライト相部8の弾性変形量が小さくなる。さらに、高パーライト相部8は、摺動部材1の周方向で厚さが増減を繰り返すように変化しており、高パーライト相部8の厚さが減少している薄領域8Sの弾性変形量が大きくなることで、主に多孔質焼結層4のFeまたはFe合金相6の粒が近接あるいは接触している高パーライト相部8の厚さが増加している厚領域8Lは、弾性変形量が小さくなる。このため、鋼裏金層2と多孔質焼結層4との界面では、せん断応力が小さくなる。なお、鋼裏金層2として、例えば、厚さ方向の全体で、高パーライト相部8の変形抵抗と同等の変形抵抗を有する合金鋼等を用いた場合、鋼裏金層の厚さ方向の全体で同じように弾性変形が起こるため、摺動層との界面となる鋼裏金層の表面の弾性変形量は、本実施形態の摺動部材1よりも大きくなり、鋼裏金層と摺動層との界面でのせん断応力が大きくなる。
また、高パーライト相部8の平均厚さは、摺動層3との界面から50〜400μmであり、高パーライト相部8は、厚さが高パーライト相部8の平均厚さ以上である厚領域8Lと、厚さが高パーライト相部8の平均厚さ未満である薄領域8Sとで区分した場合、厚領域8Lにおける高パーライト相部8の平均厚さと、薄領域8Sにおける高パーライト相部8の平均厚さとの差は、高パーライト相部8の平均厚さの30%以上になされ、円筒形状の摺動部材1の周方向(周方向の断面視)において隣り合う厚領域8Lの間の平均長さ(すなわち、薄領域8Sの平均長さ)は、50〜400μmとすることで、鋼裏金層2と多孔質焼結層4との界面では、せん断応力がさらに小さくなる。さらに、摺動層3との界面となる鋼裏金層2の表面における高パーライト相部8の厚領域8Lの面積率は、20〜50%とすることで、鋼裏金層2と多孔質焼結層4との界面では、せん断応力がさらに小さくなる。
次に、本実施形態に係る摺動部材1の作製方法について説明する。まず、FeまたはFe合金の粉末とNi−P合金の粉末との混合粉を準備する。この混合粉の準備時には、多孔質焼結層4のNi−P合金相7となる成分を、Ni−P合金の粉末の形態で含ませることが好ましいが、複数の異なる組成の粉末を混合した形態で含ませてもよい。そして、室温で、準備した混合粉を鋼板上にFeまたはFe合金の粉末が0.2〜1mm離間するように散布した後、粉末散布層を加圧することなく焼結炉を用いて、930〜1000℃の還元雰囲気中で焼結する。
焼結時において、昇温途中の880℃になると、9〜13質量%のPと残部Niの組成からなるNi−P合金の粒が溶融を始める。その液相は、FeまたはFe合金の粒どうしや、FeまたはFe合金の粒と鋼裏金層2の表面との間で流動し、多孔質焼結層4の形成が開始される。そして、9〜13質量%のPと残部Niの組成からなるNi−P合金の粒は、950℃で完全に液相となる。なお、Pの含有量範囲を少なくした10〜12質量%のPと残部Niの組成からなるNi−P合金の粒は、930℃で完全に液相となる。
焼結温度は、Ni−P合金の粒が、完全に溶融する温度以上に設定されている。また、Ni−P合金の組成は、後述するが、鋼裏金層2の組織が完全にオーステナイト相となる温度(A3変態点)以上で、完全に溶融する組成になされている。
鋼裏金層2は、焼結時の昇温過程で727℃(A1変態点)になると、フェライト相9とパーライト相10とからなる組織は、オーステナイト相への変態を始め、炭素の含有量が0.05〜0.3質量%の鋼裏金層2は、900℃では完全にオーステナイト相からなる組織となる。このオーステナイト相は、フェライト相9よりもFe原子間の隙間(距離)が大きくなるので、多孔質焼結層4におけるNi−P合金相7のNi原子が、この隙間に侵入する拡散が起こり易い状態となる。上記したように、Ni−P合金の組成は、鋼裏金層2の組織が完全にオーステナイト相となる温度(A3変態点)以上で、完全に溶融する組成になされており、焼結温度は、Ni−P合金の粒が、完全に溶融する温度以上に設定されている。これは、液相状態のNi−P合金相7中のNi原子は、固相状態のNi−P合金相7中のNi原子よりも、鋼裏金層2の表面におけるオーステナイト相中への拡散が起こり易いからである。なお、液相状態にあったNi原子は、鋼裏金層2の表面におけるオーステナイト相へ拡散し、固溶されるのと同時に固相となるので、Ni原子が鋼裏金層2の極表面付近にしか拡散しない。焼結時の昇温過程での鋼裏金層2の表面へのNi原子の拡散により、鋼裏金層2の表面付近の組織は、内部の組織に比べてオーステナイト相への変態が促進され、表面付近のオーステナイト相の粒は、内部のオーステナイト相の粒よりも粗大に成長すると考えられる。また、液相状態となったNi−P合金相7は、鋼裏金層2の表面に離間するように配置されたFeまたはFe合金の粒の表面と鋼裏金層2の表面との間の隙間へ多く流動するため、FeまたはFe合金の粒が近接あるいは接触する鋼裏金層2の表面付近のオーステナイト相の粒が、特に粗大に成長すると考えられる。そして、鋼裏金層2の表面におけるオーステナイト相中へのNi成分の拡散、および、オーステナイト相の粒の粗大化は、後述する冷却過程での鋼裏金層2の表面への高パーライト相部8の形成に関係している。
焼結後の冷却過程では、900℃から700℃に降温する間、鋼裏金層2の表面のうち、多孔質焼結層4を形成した側(多孔質焼結層4との界面となる側)と、多孔質焼結層4を形成しない側と、で冷却速度を変える必要がある。多孔質焼結層4を形成した側の鋼裏金層2の表面は、組織がオーステナイト相であったものが、727℃(A1変態点)まで降温する間に組織中に初析フェライト相が多量に析出したり、727℃(A1変態点)でオーステナイト相がフェライト相9とパーライト相10とに共析変態したりすることを防ぎ、700℃になったときにオーステナイト相と該オーステナイト相の粒界に網目状に析出する少量の初析フェライト相とからなる組織となるように急速に冷却する。なお、前述したように、昇温過程にて液相化したNi−P合金相7のNi成分は、多孔質焼結層4を形成した側の鋼裏金層2の表面、特に、多孔質焼結層4のFeまたはFe合金の粒が近接あるいは接触する鋼裏金層2の表面付近におけるオーステナイト相へ拡散させる。このように、Ni成分を含むことでオーステナイト相が安定化し、冷却過程の727℃(A1変態点)でのフェライト相9とパーライト相10への共析変態が起き難くなるので、700℃になったときでも多孔質焼結層4を形成した側の鋼裏金層2の表面の組織中にオーステナイト相を残留させることが容易になる。一方、多孔質焼結層4を形成しない側の鋼裏金層2の表面は、727℃(A1変態点)となったときに、オーステナイト相がフェライト相9とパーライト相10とに完全に変態する速度で冷却する。また、鋼裏金層2の内部は、多孔質焼結層4を形成しない側の鋼裏金層2の表面よりも冷却速度が遅くなるので、727℃(A1変態点)となったときに、オーステナイト相がフェライト相9とパーライト相10とに完全に変態する。
具体的な冷却方法としては、多孔質焼結層4を形成した側の鋼裏金層2の表面側のみに、直接、冷却ガス(例えば、窒素ガス)の噴射流(例えば、多孔質焼結層4の表面での衝突圧1MPa以上)を吹付けて急速に冷却し、その反対側となる多孔質焼結層4を形成しない側の鋼裏金層2の表面には、直接、冷却ガスの噴射流を吹付けないで、冷却装置内の雰囲気(多孔質焼結層4を形成した側の鋼裏金層2の表面側に吹き付けられた後の冷却ガス)との熱交換のみにより緩やかに冷却されるようにすればよい。また、鋼裏金層2を700℃から室温まで降温させる間は、多孔質焼結層4を形成した側の鋼裏金層2の表面の組織中のオーステナイト相がパーライト相10に変態するような冷却速度で徐冷すればよい。なお、多孔質焼結層4を形成しない側の鋼裏金層2の表面付近や、鋼裏金層2の内部の組織(組織中のパーライト相10の割合や、パーライト相10の平均粒径)は、727℃(A1変態点)での共析変態によって決まり、700℃から室温まで降温するまでの間の冷却速度の影響を受けない。
なお、焼結時の昇温過程で完全にオーステナイト相からなる組織とした鋼裏金層2を、冷却過程において本実施形態の鋼裏金層2の組織に変態させるための冷却速度、冷却時間は、亜共析鋼に関するCCT曲線図(連続冷却変態曲線図)やTTT曲線図(等温変態曲線図)を参照して決められる。
以上の機構により、鋼裏金層2の内部は、フェライト相9とパーライト相10とからなる通常の組織(炭素成分の含有量によってパーライト相10の割合が決められる通常の亜共析鋼の組織)となり、そのパーライト相10の平均粒径は、1〜8μm程度となる。一方、摺動層3との界面となる鋼裏金層2の表面には、組織中のパーライト相10の割合が50体積%以上である高パーライト相部8が形成される。また、高パーライト相部8は、鋼裏金層2の表面と平行な方向に、厚さが増減を繰り返して変化するように形成される。また、高パーライト相部8は、網目状のフェライト相9と該網目状のフェライト相9に取り囲まれた粗大な粒状のパーライト相10とからなる組織となり、摺動層3との界面となる高パーライト相部8の表面は、ほぼ、網目状のフェライト相9によって形成されるようになる。また、粗大な粒状のパーライト相9の平均粒径は、10〜50μmであり、鋼裏金層2の内部のパーライト相10の平均粒径よりも3倍以上大きくすることが好ましい。なお、高パーライト相部8は、ベイナイト相、ソルバイト相、トールースタイト相、マルテンサイト相、セメンタイト相、オーステナイト相を少量(組織中の割合で3%以下)含んでいてもよい。
上記のように鋼裏金層2の表面上に多孔質焼結層4が形成された部材には、予め準備された樹脂組成物5(有機溶剤にて希釈してもよい)が、多孔質焼結層4の空孔部を充填し、多孔質焼結層4の表面を被覆するように含浸される。そして、この部材は、樹脂組成物5の乾燥、焼成のための加熱が施され、鋼裏金層2の表面上に多孔質焼結層4と樹脂組成物5とからなる摺動層3が形成される。なお、樹脂組成物5としては、段落[0043]に記載した樹脂組成物を用いることができる。そして、上記のように製造された平板形状の摺動部材は、図1に示すように、摺動層3が内周面、鋼裏金層2が外周面となるように円筒形状に成形され、円筒形状の摺動部材1が製造される。