自動車,その他の機械部品の製造において,省エネ,低コスト化の要求から,あるいは環境に対する負荷の低減に対する要求から,切削加工による製造に比較して使用する材料が少なく,加工時間の短縮等のメリットが期待できる鍛造等の塑性加工が採用されるようになっており,特に自動車部品の製造においては,製造の効率化を目的として,従来,切削加工により製造されていた複雑な形状の部品についても冷間鍛造への切り替えが試みられるようになっている。
このような塑性加工の一例として,機械部品等の製造方法として主流となりつつある冷間鍛造を例に挙げて説明すると,この冷間鍛造は,大別して,図4に示すように,「素材取り」,「熱処理」,「潤滑処理」,及び「プレス(鍛造)」の工程によって構成されている。
このうちの「素材取り」は,打ち抜き,突切り,せん断,鋸切断等の方法によって板材や棒材等の形で提供された金属素材から製造する製品1個分の材料に切り出す工程であり,このようにして切り出した材料は,「熱処理」において焼なまし,低温焼きなまし,球状焼なまし等の処理を行って変形し易い状態に改質した後,「潤滑処理」に付されて金型との焼き付きを防止して離型性を高めるための潤滑被膜の形成や潤滑剤の塗布等,表面に潤滑性を付与する処理を行い,その後の「プレス(鍛造)」において所定の形状に加工する。
上記工程中の「潤滑処理」は,前述したように被処理材料の表面に潤滑性を付与するための処理であり,冷間鍛造では,このような潤滑処理として,ボンデ・ボンダリューベ法と呼ばれる方法で処理を行うのが一般的となっている。
このボンデ・ボンダリューベ法による潤滑処理は,化成処理によって被加工材の表面にリン酸亜鉛結晶を析出させる工程と,金属セッケン等の潤滑剤を塗布する工程を含み,これにより,被加工材の表面には,図5に示すように,リン酸亜鉛被膜と,その上に形成された金属セッケン等の潤滑剤の塗布層が形成される。
このようにして被加工材の表面に析出されたリン酸亜鉛結晶は,結晶格子間の結合力が弱いへき開面を有しており,鍛造時に摩擦界面でのせん断力に対してへき開を生じることによって摩擦を低減する機能を発揮する。又,被加工材の表面を補修被覆する機能を有しており,これらの機能によってリン酸亜鉛被膜は金型との焼付防止に高い効果を発揮すると共に,その上に潤滑剤として塗布された金属セッケンが摩擦抵抗を減少させる。これと相俟って,過酷な冷間鍛造を可能にする高い潤滑性を被加工材の表面に付与している。
このようなボンデ・ボンダリューベ法による潤滑処理では,リン酸亜鉛被膜の付着性を向上させるために,被処理材の表面に付着した油脂等の汚れや酸化被膜,錆等の除去と,被加工材の表面に微細な凹凸を形成することを目的として,化成処理を行う前に,ドライブラストやウェットブラスト等のブラスト処理,脱脂や酸洗等の処理が行われる。
このようなブラスト処理や,脱脂,酸洗を含めた,ボンデ・ボンダリューベ法による潤滑処理の全体の流れは,一例として図4のようになる(特許文献1の図6,[0005]〜[0016]欄参照)。
図4に示す潤滑処理では,「ドライブラスト」によって前工程である熱処理時に生じた酸化被膜を除去すると共に,被加工材の表面に潤滑被膜の付着性を向上させる凹凸を形成した後,「脱脂」で被加工材の表面に付着した油分,汚れ,ドライブラストで生じた切削粉等を除去し,その後の「水洗」で脱脂剤を洗い落とし,「酸洗」で被加工材表面の錆等を除去した後,「水洗」でこの酸を洗い流す。
その後,「化成処理」でリン酸塩溶液に被加工材を浸漬して,被加工材の表面にリン酸亜鉛の結晶を析出させて潤滑被膜を形成し,その後の「水洗」でリン酸塩溶液を洗い流した後,「中和」で化成処理工程後の水洗工程で除去できなかった余分な被膜処理剤を中和剤で中和し,「水洗」でこの中和剤を洗い流し,その後,「潤滑剤塗布」で被処理材を金属セッケン溶液に浸漬し,その後の「乾燥」によってこれを乾燥させて被処理材の表面に定着させる。
このように,冷間鍛造に際し,プレス(鍛造)前に行われる潤滑処理は,極めて多くの工程によって構成されていることから,大掛かりな処理設備が必要であると共に,化成処理を含むために薬品による化学反応を待たなければならず,処理速度が遅く,量産性が悪くコスト高であり,廃液その他の産業廃棄物の処理が必要となることから,プレス(鍛造)前に行う潤滑処理を,より少ない工数で,公害を発生することなく,簡単に行うことができるようにする手段の開発が切望されている。
特に,熱処理と潤滑処理は,プレス(鍛造)を行う毎に必要な工程であることから,複雑な形状の機械部品にまで冷間鍛造が適用されるようになり,1回のプレス(鍛造)で被加工材を最終形状まで変形させることができずにこれを複数回に分けて行うようになると,熱処理や潤滑処理もその都度必要となるため,潤滑処理の簡略化に対する要望はより大きなものとなっている。
かような要望に対応するために,反応を必要とするため処理時間が長く,且つ,処理設備に多大な初期投資が必要であると共に,廃液処理等の問題を有する化成処理を無くすことにより,潤滑処理を簡略化することが提案されている。
そこで,潤滑処理から化成処理を無くすことを目的として,化成処理による被膜の形成を行うことなく,被加工材の表面に直接塗布,乾燥させるだけで,必要な潤滑性を得られるようにした「一液型(非反応型)」と呼ばれる冷間鍛造用の潤滑剤も開発されている。
前記一液型(非反応型)潤滑剤の一例として,水溶性無機塩と固体潤滑剤,油成分,界面活性剤とを所定の比率で配合した潤滑剤が提案されている(特許文献2の請求項1)。
また,被処理材の表面に対し,潤滑剤として塗布される金属セッケンの付着性を高めることにより化成処理(リン酸亜鉛結晶被膜の形成)を不要とすることを目的として,被加工材に金属セッケンを塗布する処理を行う前に,液体と砥粒との混合物であるスラリを噴射するブラスト処理を行い,被加工材の表面に潤滑剤の付着性を向上させる凹凸を形成することも提案されている(特許文献1の請求項1)。
なお,本発明の発明者は,化成処理によらずに金属やセラミック製品の摺動部表面に潤滑性を有する被膜を形成する方法として,亜鉛,二硫化モリブデン,すずなどの固体潤滑剤の粉体を所定の噴射速度又は噴射圧力以上で摺動部の表面に噴射することで,潤滑剤粉体の組成物中の元素を摺動部表面に拡散浸透させて潤滑被膜を形成する方法を提案している(特許文献3)。
また,潤滑性の付与に関する発明ではないが,本発明の発明者は,金属材料から成る被処理成品の表面に,SiC等の炭化物粉体を噴射すると,前記炭化物粉体中の炭素元素を被処理成品の表面に拡散させて表面硬度の向上等が得られる「浸炭」を行うことができることを見い出し,これを「常温浸炭処理方法」として出願している(特許文献4参照)。
特許文献1,特許文献2として紹介した発明は,潤滑処理を簡略化するために,ボンデ・ボンダリューベ法による潤滑処理で必須であった化成処理を工程中より排除することを目的して開発された処理手段である。
しかし,特許文献1の請求項1に記載されているように,液体と砥粒との混合物であるスラリを噴射して被処理材の表面に凹凸を形成したとしても,その後,化成処理を行うことなしに金属セッケンを塗布乾燥させる処理を行っただけでは,ボンデ・ボンダリューベ法による潤滑処理が行われた,図5に示す被加工材の表面に対し,単にリン酸亜鉛被膜が無くなっただけの構成となることから,ボンデ・ボンダリューベ法による潤滑処理に比較して潤滑性は大きく劣る筈で,過酷な冷間鍛造に耐え得る潤滑性を付与できるとは考え難い。
そうすると,特許文献1に記載の構成において,化成処理によるリン酸亜鉛被膜の形成を省略しても冷間鍛造に耐え得る高い潤滑性が得られるとすれば,塗布する潤滑剤として,特許文献2に記載されているような「一液型(非反応型)」の潤滑剤の使用が前提であると考える他なく,特許文献1は,一液型(非反応型)の潤滑剤を使用する場合にも,ボンデ・ボンダリューベ法を行う場合と同様,事前に,ブラスト処理を行うことが効果的であることを示しているに過ぎない。
所謂「一液型(被反応型)」の潤滑剤(特許文献2)は,水溶性無機塩中に,粉末状の固体潤滑剤を分散させた構成を備えており,これを被加工材の表面に塗布し乾燥させると,水溶性無機塩をバインダとして粉末状の固体潤滑剤が被加工材の表面に付着することで,潤滑性を付与できるものとなっている。
従って,水溶性無機塩中に分散させる固体潤滑剤として,雲母,二硫化モリブデン,黒鉛等(同文献[0010]欄),へき開性を有する固体潤滑剤を使用すれば,ボンデ・ボンダリューベ法において化成処理で形成していたリン酸亜鉛被膜と同様の機能を備えた被膜を形成することができるものと考えられる。
しかし,この手段では,水溶性無機塩をバインダとして固体潤滑剤を被加工材の表面に付着させていることから,付着性を向上させるために水溶性無機塩を増量すれば潤滑性が低下してかじりや焼き付きが発生し,潤滑性を向上させるために固体潤滑剤を増量(水溶性無機塩を減量)すれば,付着強度が低下して膜切れを起こす(同文献[0016]欄)。そのため,添加できる固体潤滑剤の量に制約があり,バインダを介在させることなくリン酸亜鉛の結晶を析出させて被膜を形成する場合に比較して,付着させることができる固体潤滑剤の量は少なく,潤滑性能が劣るものと考えられる。
これに対し,特許文献3の潤滑被膜の形成方法では,被加工材の表面に,亜鉛,二硫化モリブデン,すずなどの固体潤滑剤の粉体を,所定の噴射速度あるいは所定の噴射圧力で噴射することで,バインダ等を介在させることなく固体潤滑剤の成分を被加工材の表面に拡散,浸透させて潤滑被膜を形成することができることから,噴射する固体潤滑剤として,リン酸亜鉛と同様,へき開性を有する例えば二硫化モリブデンを使用することで,化成処理を行うことなく,且つ,バインダを使用することなしに,被加工材の表面に直接,へき開による摩擦抵抗の低減や,焼き付き防止,離型性の向上等の効果を発揮し得る潤滑被膜を形成することができる。
しかし,前述した二硫化モリブデンは比較的高価な物質であるため,これを噴射粉体として潤滑被膜を形成すると,処理費用が嵩み,この処理費用を製品に転嫁すれば市場における価格競争力が低下する。
本発明は,発明者による多年にわたる潤滑技術の蓄積と,実験の結果得られた知見に基づき成されたものであり,比較的簡単な方法により,比較的安価に,しかも,粉塵火災や粉塵爆発等の危険性が少ない安全な方法で,塑性加工用の被加工材に対し,従来の方法に比較して高い潤滑性を付与することができる潤滑処理方法,及び前記潤滑処理方法で処理された被加工材を提供することにより,塑性加工時における不良率の減少,金型寿命の延長等を可能とすることを目的とする。
すなわち,本発明の発明者は,粉体の噴射という比較的簡単な方法を使用して(特許文献3),リン酸亜鉛や二硫化モリブデンと同様に優れた潤滑性を発揮する固体潤滑の被膜を,より安価に形成するため,このような潤滑被膜を,二硫化モリブデンに比較して安価である,炭素(C)によって形成する手段についての研究を行った。
しかし,固体潤滑剤の粉体を噴射することによって固体潤滑剤被膜を形成しようとした場合,炭素の被膜を形成するためには,黒鉛等の炭素粒子を噴射することになるが,黒鉛等の炭素粒子は極めて発火性の高い物質であり,ブラスト加工装置を使用して噴射すれば,粉塵火災や粉塵爆発が発生する危険があり,安易に取り扱うことはできない。
また,本発明の発明者は,金属材料から成る被処理成品の表面に炭化物粉体を噴射すると,この炭化物粉体中の炭素元素を被処理成品の表面に拡散浸透させて,被処理成品の表面硬度を向上させる『浸炭』を行うことができることを見出し,この方法について「常温浸炭処理方法」として既に特許を受けている(特許文献4)。
しかし,同文献に記載の発明は,被処理成品の表面硬度を向上させる「浸炭」についての提案であり,塑性変形によって成形する冷間鍛造の前処理として特許文献4に記載の方法で被加工材に対し「浸炭」を行えば,表面硬化によって被加工材の塑性変形性が低下して不良率が増加することが予測される。
また,同文献に記載の発明において,噴射粉体である炭化物中の炭素元素は,被処理成品の表面に拡散,浸透するもの,すなわち,内部に入って「浸炭」を生成する知見に基づくものであり,このように表面の内部に拡散,浸透した炭素が,被処理成品の表面に潤滑性を与えることの予測は無理がある。
かように,塑性加工に際し前処理として行う「潤滑処理」に,塑性変形性の低下をもたらすことを予測させる「浸炭」を組み合わせることは,当業者であれば適用を回避する手段であると言えるが,本発明の発明者は,ボンデ・ボンダリューベ法による潤滑処理における化成処理に代えて,特許文献4に記載の「常温浸炭処理方法」について実験と検討を試みた。
その結果,前述した予測に反し,この処理を行った被加工材では塑性加工時における成形不良の減少,焼き付きの減少や離型性の向上に伴う金型寿命の向上が得られる等,被加工材の表面潤滑性が向上していることを裏付ける実験結果が得られた。
また,図4を参照して説明した従来の潤滑処理において行っていたドライブラストに代え,特許文献4に記載の「常温浸炭処理方法」を実施すると共に,その後,酸洗処理等を省略して化成処理以降の処理を実施する潤滑処理を行った被加工材を使用して塑性加工実験を行ったところ,この場合にも,図4に示した工程に従って潤滑処理を行った被加工材を使用して塑性加工を行った場合に比較して,不良率の減少や金型寿命の延長等,潤滑性の向上を裏付ける結果が確認された。
上記実験と研究の結果得られた,本発明の塑性加工用被加工材の潤滑処理方法は,
塑性変形させる前の被加工材に対し前処理として行われる,前記被加工材の表面に潤滑性を付与するための潤滑処理において,
前記被加工材の表面に,炭化物粉体を乾式で噴射することにより,前記炭化物粉体中の炭素元素を前記被加工材の表面に付着させて成る潤滑被膜を形成する処理を含むことを特徴とする(請求項1)。
上記の潤滑処理方法において,前記炭化物粉体は,SiC(α)等の六方結晶構造を有する炭化物の粉体を使用することが好ましい(請求項2)。
更に,前記潤滑処理方法において,前記潤滑被膜が形成された前記被加工材の表面を,算術平均粗さ(Ra)で0.2μm以上の凹凸に形成することが好ましい(請求項3)。
なお,上記炭化物粉体の噴射は,粒径が♯220〜♯1000の前記炭化物粉体を,噴射速度80〜250m/sec,又は噴射圧力を0.2〜0.6MPaで噴射して行うことができる(請求項4)。
なお,本発明の潤滑処理方法は,前記潤滑被膜が形成された前記被加工材の表面に,更に潤滑剤を塗布する工程を含むものとすることができる(請求項5)。
また,本発明の潤滑処理方法は,前記潤滑被膜が形成された前記被加工材の表面に,更に化成処理により潤滑性を有する化成被膜を形成する工程と,前記化成被膜上に更に潤滑剤を塗布する工程を含むものとすることができる(請求項6)。
更に,本発明の塑性加工用被加工材は,塑性変形前の被加工材の表面に,六方結晶構造を有する炭化物粉体中の炭素元素が付着した潤滑被膜を有すると共に,前記潤滑被膜の表面が,算術平均粗さ(Ra)で0.2μm以上の凹凸であることを特徴とする(請求項7)。
以上で説明した本発明の構成により,本発明の方法で潤滑処理が行われた被加工材を使用して塑性加工を行うことで,以下の顕著な効果を得ることができた。
被加工材の表面に,炭化物粉体の噴射によって潤滑被膜を形成したことで,被加工材の表面に潤滑性を付与することができた。
このような潤滑被膜は,炭化物粉体を乾式で噴射するという,比較的簡単な方法で形成することができ,しかも,SiC等の等炭化物粉体を使用することで,黒鉛等の炭素粉体を噴射する場合のように粉塵火災や粉塵爆発の危険性がなく,安全に形成することができた。
しかも,炭化物粉体を噴射することで,熱処理工程によって表面に生じた酸化被膜の除去や,錆等の汚れの除去も同時に行えることから,別途,これらを除去するために酸洗等の処理を行う必要がなく,工程の省略が可能である。
前述のようにして形成された潤滑被膜は,従来技術として説明したボンデ・ボンダリューベ法によるリン酸亜鉛被膜に代わる層として,又は,リン酸亜鉛被膜と共にその下地層のいずれとしても使用することができ,いずれの用途で使用した場合共に,ボンデ・ボンダリューベ法による従来の潤滑処理を行った場合に比較して,潤滑性の向上に伴う不良率の減少や,金型寿命の延長を得ることができた。
また,従来のリン酸亜鉛被膜の代わりに前述の潤滑被膜を使用する場合には,図4を参照して説明した潤滑処理の工程中,化成処理やこの化成処理に付随する水洗や中和等の処理,酸洗やこれに付随する水洗が不要となる結果,潤滑処理における工程数を大幅に減少させることができる。
また,前述した潤滑被膜をリン酸亜鉛被膜等の化成被膜の下地層として使用する場合であっても,前述したように,本願ではブラスト加工後の酸洗処理を行わない結果,図4を参照して説明した従来の潤滑処理に比較して,大幅に処理工程を減少することが可能である。
更に,前記炭化物粉体の噴射によって,被加工材の表面に凹凸が形成されて所定の表面粗さに形成されることで,形成された潤滑被膜上に更に水溶性,あるいは油性の潤滑剤,金属セッケン,その他,既知の潤滑剤の塗布を行う場合,塗布された潤滑剤が被加工材の表面に付着し易く,また,一旦付着した潤滑剤は表面の凹凸に毛細管現象等によって保持されて膜切れが生じ難くなることで,潤滑性の一層の向上が得られると共に,潤滑被膜上に更にリン酸亜鉛等の化成被膜を形成する処理を行う場合であっても,この化成被膜の付着性を向上させることができた。
以上のように,本発明の方法で潤滑処理を行うことで,被加工材の潤滑性を従来の方法に比較して改善することができることから,従来,冷間鍛造では不可能であった物の製造を冷間鍛造での成型可能性,あるいは,熱間鍛造でしか成形できなかった物の温間鍛造での成型可能性を得ることができた。
なお,前述したように,被加工材の表面には,炭化物粉体中の炭素元素が付着することで,塑性加工後に被加工材に焼き入れ等の熱処理を行う場合,表面に付着した炭素が焼入れ性を向上させる効果を発揮する。
次に,本発明の実施形態につき添付図面を参照しながら以下説明する。
なお,以下の説明では,塑性加工の一例として鍛造,特に,冷間鍛造を例に挙げて説明するが,金型等の表面と接触する被加工材の表面に対し潤滑性を付与することが重要であることは,鍛造に限らず,圧延や引き抜きなどのその他の塑性加工においても共通する課題であり,本発明の適用範囲は冷間鍛造や,冷間鍛造に代表される鍛造に限定されず,その他の塑性加工用の被加工材に対しても適用可能である。
塑性加工が一例として冷間鍛造である場合,図4に示したように大別して「素材取り」,「熱処理」,「潤滑処理」,及び「プレス(鍛造)」の各工程によって構成されている点は既に説明した通りであり,このような冷間鍛造用の被加工材に対し本発明を適用する場合,本発明が,このうちの「潤滑処理」に関するものである点は,図4を参照して説明した,ボンデ・ボンダリューベ法による潤滑処理と同様である。
但し,本発明の潤滑処理方法では,従来技術として説明したボンデ・ボンダリューベ法における化成被膜の形成に代え,あるいは,この化成被膜を形成する下地処理として炭化物粉体を乾式で噴射することによる潤滑被膜の形成を行うものである点において,従来の潤滑処理とは異なる。
前述したように,対象とする塑性加工が一例として冷間鍛造である場合,本発明の処理対象となる被加工材とは,素材取りによって製造される製品1個分の大きさに切り出され,且つ,塑性変形性を向上等させるための所定の熱処理が施された後の被加工材である。
なお,本発明の潤滑処理では,前工程である熱処理によって被加工材の表面に形成されている酸化被膜や,被加工材の表面に生じている錆等の汚れは,後述する炭化物粉体の噴射・衝突によって除去されることから,熱処理後の被加工材に対し,炭化物粉体の噴射を行う前に酸洗等の処理を行う必要は無い(但し,行っても差しつかえない。)。
対象とする被加工材の材質としては,塑性加工,本実施形態では冷間鍛造の対象となる金属材料であれば特に限定されず,各種の金属材料を加工対象とすることができ,鋼等の鉄系金属に限定されず,アルミニウム合金等の非鉄系金属についても対象とすることができる。
本発明の表面処理方法における炭化物粉体の噴射は,これを乾式で行うものであれば,既知のサンドブラスト処理乃至はショットピーニング処理等に適用される各種のブラスト加工装置を使用することができる。
このようなブラスト加工装置としては,遠心力によって粉体を投射する遠心式等を使用することも可能であるが,噴射速度,噴射圧力等の制御が比較的容易である,エア式のブラスト加工装置を好適に使用することができる。
このようなエア式のブラスト加工装置としては,重力式(サクション式),直圧式等の各種方式のブラスト加工装置が提供されているが,本発明の処理方法では圧縮気体と共に噴射粉体を所定の噴射速度,あるいは噴射圧力で噴射することができるものであれば,いずれの型式のブラスト加工装置を使用しても良く,その噴射形式等は特に限定されない。
前述の被加工材の表面に対する潤滑被膜の形成は,炭化物粉体を噴射して,この炭化物粉体中の炭素元素を被加工材の表面に付着させることにより行われる。
噴射する炭化物粉体としては,既知の各種の炭化物の粉体を使用可能であるが,好ましくは,その結晶構造が,六方結晶構造を有する炭化物の粉体を使用する。
このような六方結晶構造を有する炭化物としては,炭化ケイ素〔SiC(α)〕,炭化タングステン(WC),炭化モリブデン(Mo2C)を挙げることができる。
使用する噴射粉体の粒径と,噴射速度又は噴射圧力は,被加工材の材質や寸法精度等に応じて適宜設定可能であるが,炭化物粉体の好ましい粒径の範囲は,♯220〜♯1000の範囲で,噴射速度は80〜250m/sec,噴射圧力は0.2〜0.6MPaの範囲である。
このようにして炭化物粉体を被加工材の表面に乾式で噴射すると,被加工材の表面に高速で衝突した炭化物粉体は,衝突時の発熱により被加工材の表面で瞬間的に変態温度〔一例としてSiC(α)で2100℃〕以上の温度に迄上昇して,その一部が炭素(C)とその他の成分〔炭化物粉体がSiC(α)の場合には,Si〕に分解され,単独の成分として被処理成品の表面に付着する。
このようにして被加工材の表面に付着する炭素(C)は,その一部は被加工材の内部に迄拡散浸透しているものの,被加工材の表面において最も高濃度に分布しており,しかも,被加工材の表面に偏ることなく均一に分布して,被加工物の表面部分に炭素の層(潤滑被膜)を形成する。
また,炭化物粉体との衝突によって被加工物の表面には微少な凹凸が形成されることで,図1に示すように梨地状に変化する。好ましくは,被加工材の表面を,算術平均粗さ(Ra)で0.2μm以上の粗さを有する梨地状となるように炭化物粉体の噴射を行う。
表面を前述した表面粗さとすることで,後述するように,被加工材の表面に更に潤滑剤(潤滑油)の塗布を行う場合,あるいは,化成被膜を形成する場合に,潤滑剤や化成被膜の付着性を向上させて,良好な潤滑性を得ることができる。
以上のようにして,炭化物粉体の噴射による潤滑被膜の形成が行われた被加工材の表面に対しては,必要に応じてエアの吹きつけや水洗による粉塵等の除去,脱脂等を行っても良い。
但し,本願の潤滑処理では,図4を参照して説明した従来の潤滑処理とは異なり,ブラスト処理後の被加工材に対する酸洗処理は行わない。
すなわち,本発明の方法では,噴射粉体としてSiC等の硬質材料である炭化物系セラミックスを噴射することから,熱処理時に被加工材の表面に付着している酸化被膜や錆に等の汚れは炭化物粉体の噴射によって除去できるために酸洗を別途行う必要が無い一方,酸洗を行うと,炭化物粉体の衝突によって被加工材の表面に形成された潤滑被膜が除去されるおそれがあり,炭化物粉体の噴射後における酸洗はむしろ好ましくない。
以上のようにして,炭化物粉体の噴射によって形成された潤滑被膜は,従来技術として説明したボンデ・ボンダリューベ法において化成処理で形成していたリン酸亜鉛被膜に代わるものとして使用するものとしても良く,あるいは,この潤滑被膜を下地層とし,その上に,更にリン酸亜鉛被膜などの化成被膜の形成を行っても良い。
炭化物粉体の噴射によって形成した潤滑被膜を,従来技術として説明した化成被膜に代えて使用する場合,この潤滑被膜が形成された被加工材をそのままプレス(鍛造)工程に付すものとしても良いが,好ましくは,この潤滑被膜上に,更に,潤滑剤を塗布する。
潤滑被膜上の塗布する潤滑剤としては,金属セッケン等の潤滑剤,一液(被反応)系の潤滑剤,固体潤滑剤の粉体等を水や鉱物油,油脂類,カルボン酸塩等に分散させた,水溶性あるいは油性の潤滑剤等,既知の各種の潤滑材を使用することができ,塗布する潤滑剤の種類によっては,塗布後,乾燥を行っても良く,このようにして被加工材に対する潤滑処理が終了する。
炭化物粉体の噴射によって形成した潤滑被膜を,従来技術として説明した化成被膜の下地層として使用する場合には,この潤滑被膜が形成された被加工材に対し,更に化成処理を行って,リン酸亜鉛被膜に代表される化成被膜を形成すると共に,この潤滑被膜上に,更に,潤滑剤を塗布し,必要に応じて乾燥工程を経て,潤滑処理を終了する。
以上のように,炭化物粉体の噴射による潤滑被膜の形成を工程中に含む本発明の潤滑処理を行った被加工材を使用して行った塑性加工では,潤滑被膜を従来の化成被膜の代わりに使用した場合,及び,従来の化成被膜の下地層として使用した場合のいずれの例においても,不良率の発生を大幅に低減することができ,また,金型の寿命を延ばすことができた。
ここで,製品に生じる不良,例えば,肌あれ,しわ傷,かじり傷,型ずれ等の不良は,金型との接触部分において被加工材が良好な塑性流動性を示さないこと,すなわち,潤滑不良が原因の一つと考えられることから,このような不良の発生が減少して,不良率の低下が得られている本発明の潤滑処理では,従来の処理に比較して,被加工材の表面に対しより高い潤滑性を付与することができていることが判る。
また,金型の寿命の延長より,被加工材表面と金型との摩擦抵抗が減少していること,焼き付きの防止や離型性の向上等が得られていることが予測でき,この点からも,本発明の潤滑処理では,従来の潤滑処理に比較して,より高い潤滑性を被加工材の表面に付与することができていることが判る。
このような潤滑性の向上は,被加工材の表面に炭素が付着することにより潤滑被膜が形成されていること,被加工材の表面に形成された微細な凹凸が,塗布された潤滑剤や化成被膜の付着性を向上させて膜切れが防止されたこと,更に,被加工材の表面は,前述した表面粗さの凹凸に形成されて梨地状とされることで,表面の小さなキズが変形の起点となり均一な変形を生じ易く,且つ,力が一点に集中せずに均一に及ぶために割れ等が発生し難くなることで,塑性変形を生じ易い表面に改質されたことの相乗効果によって得られたものと考えられる。
もっとも,図4を参照して説明したように,従来の潤滑処理においても化成処理に先立ってドライブラストによる表面凹凸の形成が行われていたことを考えれば,上記潤滑性の向上は,主として,炭化物粉体の噴射によって炭化物粉体中の炭素元素が付着することにより形成された,前述の潤滑被膜を設けたことによる潤滑性の向上が大きく貢献しているものと考えられる。
〔潤滑被膜の形成〕
直径20mm,長さ40mmの円柱形状を有するSUS304製の被加工材に対し,下記の表1に示す条件で炭化物粉体の噴射を行い,被加工材の表面に,炭化物粉体中の炭素元素の付着と,炭素層(潤滑被膜)が形成されることを確認した。
表1に示す条件で炭化物粉体を噴射した後の被加工材のラマン分光分析結果を図2に示す。
図2の分析結果(図中の矢印部分を参照)より,噴射粉体であるSiC中のケイ素(Si)と炭素(C)がそれぞれ被加工材の表面に単独の成分で付着していること,すなわち,噴射されたSiC粉体が,SiとCに分解されて被加工材の表面に付着していることが判る。
また,上記表面処理を行った後の被加工材のEPMAマッピング図〔図3(A),(B)〕より,分解した成分中,ケイ素(Si)成分については部分的に偏在していることが確認されたが,炭素(C)については,被加工材の表面に均一に分布していることが確認された〔図3(A)参照〕。
この炭素Cは,その一部は被加工材の内部に迄拡散浸透しているものの,被加工材の表面部分において最も高濃度に分布しており,噴射されたSiC中の炭素C,及び一部がSi又は,SiO2の状態で,被加工物の表面に付着して層(潤滑被膜)を形成していることが判る。
〔温間鍛造試験〕
以上のようにして炭化物粉体の噴射を行った後の被加工材をパーツフィーダで1個ずつコーティング装置に搬送して,更に表面に潤滑剤として温間鍛造油(固体潤滑剤としてグラファイトを含有)を塗布して,潤滑処理を終了した。
上記潤滑処理を行った後の被加工材を,加熱炉に導入して加熱して温間鍛造を行った。
実施例1と同様の加工条件で,アランダム(Al2O3)を用いた処理を行った被加工材では,潤滑不良によって5%前後の不良率が発生していたが,本実施例の潤滑処理を行った被加工材では,不良率が1%以下に減少した。
また,本実施例の潤滑処理を行った被加工材を使用した温間鍛造では,従来技術に比較して,金型の寿命を30%以上延長できることが確認された。
更に,温間鍛造で得られた製品の表面粗さが向上し,後加工を簡略化できた。
以上の結果から,炭化物粉体の噴射によって形成された潤滑被膜が,被加工材の表面における潤滑性の向上に大きく寄与していることが確認された。
直径40mm,長さ60mmの円柱形状を有するSCM415製の被加工材(ピーリング仕上げ)に対し,熱処理として球状焼なまし処理を行った後,潤滑処理を行った。
本実施例における潤滑処理は,下記の表2に示す条件で炭化物粉体を噴射して潤滑被膜を形成し,その後,既知の方法によりリン酸亜鉛の化成被膜を形成すると共に,化成被膜上に更に潤滑剤として冷間鍛造用潤滑油〔固体潤滑剤として二硫化モリブデン(MoS2)を含有〕を塗布した。
上記潤滑処理後の被加工材に対し,冷間圧延を行ってピニオンギヤに成形し,従来の潤滑処理(ボンデ・ボンダリューベ法)を行った被加工材に対する冷間鍛造の場合における不良率及び金型寿命と比較した。
本実施例の潤滑処理を行った被処理材を使用した冷間鍛造では,従来の潤滑処理を行った場合に比較して,実施例1の場合と同様の不良率の低下と,金型寿命の延長が得られることが確認された。
このことから,炭化物粉体の噴射により被加工材の表面に炭素元素を付着させることにより形成した潤滑被膜は,化成被膜の下地層として形成した場合であっても,被加工材の表面における潤滑性の向上に貢献するものであることが確認された。
また,本実施例で行った潤滑処理では,ブラスト加工後の酸洗処理は行わないため,図4を参照して説明した従来の潤滑処理に比較して,酸洗,及び酸洗に付随して行われる水洗が不要となる分,処理工程を少なくでき,また,処理設備の縮小,酸洗に伴う廃液処理の減少等が可能となる。
なお,本実施例の潤滑処理を行った後,冷間鍛造を施して得られた成形品に対し浸炭処理を行ったところ,従来の潤滑処理を行った被加工材を使用して製造した成形品に比較して,浸炭時間を30%短縮することができ,また,浸炭歪みの発生を減少させることができた。
このことから,潤滑処理において炭化物粉体を噴射することにより被処理材の表面に付着した炭素元素は,塑性変形時における潤滑性の付与に貢献するのみならず,塑性変形後に行う熱処理において,焼き入れ性の向上等にも貢献することが確認された。