JP5633485B2 - 飛行時間型質量分析装置 - Google Patents

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Description

本発明は飛行時間型質量分析装置に関し、さらに詳しくは、飛行時間型質量分析装置における、マトリクス支援レーザ脱離イオン化法などのイオン化法を用いたイオン源に関する。
飛行時間型質量分析装置(以下「TOFMS」と称す)は一般に、電場により加速したイオンを電場及び磁場を有さない飛行空間内に導入して自由飛行させ、検出器に到達するまでの飛行時間に応じて各種イオンを質量電荷比m/z毎に分離するものである。TOFMSにおいて質量分解能を高めるには飛行距離を長くする必要があることから、単純にイオンを直線的に飛行させるリニア型の構成のほかに、電場や磁場を利用してイオンを折返し飛行させるリフレクトロン型の構成や、略同一の閉じた軌道を複数回周回させる周回型の構成も知られている。
TOFMSのイオン源としては、マトリクス支援レーザ脱離イオン化(MALDI=Matrix Assisted Laser Desorption/Ionization)法によるMALDIイオン源が広く利用されている。MALDI法では、例えば測定対象物質の溶液をマトリクス溶液と混合し、さらに必要であれば別のイオン化助剤を混合した上で試料プレート上に塗布し、溶媒を乾化などにより除去して試料を調製する。こうして調製された試料は測定対象物質が多量のマトリクスとほぼ均一に混合された状態にある。この試料にレーザ光を照射すると、マトリクスがレーザ光のエネルギを吸収して熱エネルギに変換する。このときにマトリクスの一部が急速に加熱され測定対象物質とともに気化し、その過程で測定対象物質がイオン化される。
MALDIイオン源を用いたTOFMSでは、上記のようにレーザ光照射によって試料から発生した各種イオンが電場の作用により試料近傍から引き出され、加速されて飛行空間に送り込まれる。高い質量分解能を得るためには、イオンが飛行空間に導入される際に同一種の(同一の質量電荷比を有する)イオンの初期速度が揃っている必要がある。しかしながら、MALDIイオン源では、一般にイオン発生時点でイオンが持つ初期エネルギのばらつきが大きく、そのために初期速度のばらつきが大きくなって時間収束性が悪化する。そこで、この問題を回避するために遅延引出し法と呼ばれる手法が広く利用されている(特許文献1、特許文献2など参照)。
図6は遅延引出し法によるイオン引出し動作を説明するための概略図である。図6(a)に示すように、マトリクスが混合された試料Sは導電性の試料プレート1上に保持されており、該試料Sにイオン化のためのレーザ光が短時間照射される。レーザ光照射によって試料Sから飛び出したイオンは、試料プレート1に対向して配置された引出し電極3及びベース電極4cに印加された電圧により形成される電場の作用によって、試料S近傍から図において右方向に引き出されるとともに加速され、図示しない飛行空間に送られる。
より詳しく述べると、試料Sにレーザ光を照射する時点では、試料プレート1と引出し電極3とには同一電圧VEが印加され、ベース電極4cには所定のベース電圧VBが印加される。一般的にはベース電極4cは接地されるので、ここではVB=0とする。これにより、イオン光軸C上の電位分布は図6(b)に示すようになる。即ち、試料プレート1と引出し電極3との間の引出し領域には電位勾配がない(実質的に電場がない)ため、レーザ光照射によって試料Sから発生したイオンは加速されない。この状態では、イオン発生時に大きな初期エネルギを持つイオンほど試料Sから遠ざかる(図で右方に移動する)ため、イオン発生から或る一定の時間が経過した時点では、イオンの質量電荷比とは無関係に、初期エネルギが大きなイオンほど引出し電極3に近い位置に存在する。
レーザ光照射から一定の遅延時間(通常数十〜数百nsec程度)が経過すると、試料プレート1への印加電圧はVEからVSにステップ状に増加される。これにより、図6(c)に示すように、試料プレート1から引出し電極3に向かって下向き傾斜の電位勾配を有する電場が引出し領域に形成される。この電場によって、その直前に引出し領域に存在していた各種イオンは一斉に加速される。このとき、試料プレート1に近い位置にあるイオンほど、つまり初期エネルギが小さなイオンほど加速電圧は高いから、イオンに与えられる運動エネルギは大きい。したがって、同種のイオンであっても、イオン発生時の初期エネルギが小さなものほど大きな速度で飛行空間に送り込まれるので、遅れて飛行空間に導入されたイオンは飛行途中で、先行している初期エネルギが相対的に大きな同種のイオンに徐々に追いつき、最終的にほぼ同時に検出器に到達する。このようにして同種イオンにおける初期エネルギのばらつきの影響が排除され、高い時間収束性を達成することができる。
以上が従来一般的な遅延引出し法による時間収束性改善効果の原理である。しかしながら、こうした遅延引出し法では次のような問題がある。即ち、上記のような初期エネルギのばらつきの補正は、各イオンが持つポテンシャルエネルギの変化を通した運動エネルギの補正により達成される。レーザ光照射により試料Sから発生したイオンの初速(又は初期エネルギ)の平均値は質量電荷比に依存することなくほぼ一定である。そのため、補正に必要なエネルギは質量電荷比に比例することになり、補正に必要な電圧値(図6(c)におけるVEとの電位差ΔV)も質量電荷比に依存する。一方、イオンは試料S表面付近の非常に小さな空間内で発生し、遅延引出し実行時において試料プレート1への電圧がVEからVSに増加されるまでの自由移動期間中には引出し領域には電場が作用しないため、一定遅延時間経過後に加速電圧を印加する時点におけるイオンの空間分布は質量電荷比とは無関係である。図8(b)はこのときのイオンの空間分布を示す概念図である。
質量分解能を高めるべく同種イオンの時間収束性をできるだけ高めるには、初期エネルギのばらつき補正を適切に行う必要があり、そのためには質量電荷比毎にイオンに適切な加速電圧(上記電位差ΔV)を印加する必要がある。しかしながら、上述したように加速電圧印加時点におけるイオンの空間分布は質量電荷比とは無関係であるため、加速電圧を或る値に設定したときに或る質量電荷比を持つイオン種に対しては適切な補正が行えるものの、別の質量電荷比を持つイオン種に対しては十分な補正が行えないことがある。このため、従来の遅延引出し法によって質量分解能が改善される質量電荷比範囲はかなり限られてしまい、広い質量電荷比範囲に亘って質量分解能を改善することが難しいという問題があった。
なお、ここではイオン源としてMALDIイオン源を例に挙げているが、TOFMSのイオン源として利用される他のイオン化法によるイオン源、例えば、マトリクスを利用しないレーザ脱離イオン化(LDI)法、二次イオン質量分析(SIMS=Secondary Ion Mass Spectrometry)法、脱離エレクトロスプレイイオン化(DESI=Desorption Electrospray Ionization)法、プラズマ脱離イオン化法(PDI=Plasma Desorption Ionization)法など、短時間の間に試料からイオンを発生させ、そのイオンを電場により引き出し加速して飛行空間に送り込む構成のイオン源でも同様の問題が生じる。
特開平11−185697号公報 特開2009−52994号公報
上記課題に鑑み、本願発明者は特願2010−39883号において、MALDIイオン源などに適用可能である新規な遅延引出し法を提案している。図7はこの新規な遅延引出し法(以下「傾斜場遅延引出し法」と呼ぶ)の原理的動作を説明するための概略図である。
この傾斜場遅延引出し法では、試料Sにレーザ光を照射してイオンを発生させる時点において、試料プレート1にVEではなくVEよりも高い電圧VS1を印加することにより、試料プレート1から引出し電極3に向けて緩やかに下がる電位勾配をもつ電場を形成しておく(図7(b)参照)。上述したように試料S表面付近で発生したイオンは質量電荷比に依存しない初速を持つが、電位勾配を示す電場の作用によって質量電荷比に応じた速度も持つ。そのため、質量電荷比が小さなイオンほど試料Sから遠ざかり、試料S近傍には質量電荷比が大きなイオンが残ることになる。図8(a)はこのときのイオンの空間分布を示す概念図である。
そして、レーザ光照射から所定の遅延時間が経過した時点で試料プレート1への印加電圧がVS1からVS2へと増加されると(図7(c)参照)、試料プレート1に近い位置に存在する質量電荷比が大きなイオンは質量電荷比が小さなイオンに比べて相対的に大きな加速エネルギを受ける。これによって、質量電荷比毎に適切なポテンシャルエネルギ変化をイオンに与えることができるので、従来の遅延引き出し法に比べて広い質量電荷比範囲に亘ってエネルギ収束を適切に行い質量分解能を改善することができる。
ただし、上記の傾斜場遅延引出し法では、後述する理由により、或る程度以上の質量電荷比の大きなイオンに対しては加速エネルギの補正が必ずしも十分ではなく、その結果、質量分解能を改善する質量電荷比範囲の拡大に限界がある。
本発明はこうした点に鑑みてなされたものであり、遅延引出し法を利用して試料から発生したイオンを引き出して加速するイオン源を備える飛行時間型質量分析装置において、従来の一般的な遅延引出し法や傾斜場遅延引出し法よりもさらに広い質量電荷比範囲に亘ってイオンの初期エネルギのばらつきを適切に補正することにより質量分解能を向上させることを主たる目的としている。
上記課題を解決するためになされた本発明は、試料から発生したイオンを加速して飛行空間に導入し、該飛行空間内で質量電荷比に応じてイオンを分離して検出する飛行時間型質量分析装置において、
a)試料を保持する試料保持部から所定距離離間して配設された引出し電極と、
b)前記試料保持部と前記引出し電極との間に配設された1又は複数の補助電極と、
c)前記試料保持部と前記引出し電極との間の空間にイオンを試料表面から引き出して加速する電場を形成するために、該試料保持部、補助電極及び引出し電極にそれぞれ所定の電圧を印加する電圧発生手段と、
d)イオン発生開始時点から所定の遅延時間が経過するまでの期間中に、試料表面から前記引出し電極に向けてイオン質量電荷比に応じて移動させるべく、該試料表面と該引出し電極との間の空間に該試料表面から該引出し電極に向かって直線的に下傾する電位勾配を有する引出し電場が形成されるように、前記試料保持部の電位を前記引出し電極の電位よりも第1電位差だけ高く保ち、
前記遅延時間が経過した時点及びそれ以降には、前記試料保持部と前記引出し電極との間の空間に存在するイオン該引出し電極の方向に一斉に加速し、且つ該試料保持部に近い位置に存在するイオンほど大きな加速エネルギを与えるべく、イオン光軸に沿った電位勾配の傾斜が前記引出し電極側よりも前記試料保持部側で相対的に大きい折れ線様である加速電場が形成されるように、前記遅延時間が経過した時点において、前記引出し電極、前記補助電極、及び前記試料保持部の電位その順に高く且つ、前記引出し電極の電位に対する前記試料保持部の電位前記第1電位差よりも大きな第2電位差だけ高くなるように印加電圧を変化させるべく、前記電圧発生手段を制御する制御手段と、
を備えることを特徴としている。
ここで、試料からイオンを発生させるためのイオン化法としては、MALDI、LDIなどのレーザ光を利用した方法、SIMSなどのイオン線を利用した方法、DESIなどの帯電噴霧流を利用した方法、PDIなどのプラズマを利用した方法、などが考えられる。
従来の一般的な遅延引出し法では、イオン発生開始時点より所定の遅延時間が経過するまでの期間中に、試料保持部と引出し電極とは略同電位に維持され、試料保持部と引出し電極との間の空間には実質的な電場は形成されない。このため、試料から発生したイオンは初期エネルギに応じて自由に拡散する。これに対し、本発明に係る飛行時間型質量分析装置では、イオン発生開始時点において既に試料保持部と引出し電極との間の空間に、イオンを試料表面から引出し電極の方向に引き出す引出し電場が形成されている。ただし、この引出し電場は全てのイオンを一斉に且つ大きな加速度でもって加速するほどは強くなく、即ち、イオン光軸に沿った電位勾配の傾斜は緩やかであり、試料から飛び出した各種イオンは該引出し電場の作用により緩慢に試料表面から引出し電極に向かって移動する。
電位勾配の傾斜が直線的である一様電場の下では、イオンの速度はサイズに逆比例する。そのため、引出し電場の下では、小さな(一般的には質量電荷比が小さな)イオンほど引出し電極に近づき、逆に大きなイオンは試料に近い位置に存在する。もちろん、各イオンの初期エネルギは質量電荷比とは関係なくばらついており、移動速度はこの初期エネルギの影響も受ける。そのため、所定の遅延時間経過時点で、各イオンは質量電荷比に応じた整然とした分布となるわけではないものの、引出し電場が全くない場合に比べれば、質量電荷比に依存した空間分布となる。つまり、同一の質量電荷比を有するイオンの空間的な拡がりは小さくなる。
なお、引出し電場形成時に、補助電極には、上記のように電位勾配の傾斜が直線的となるように適宜の電圧を印加すればよいが、もし、一様な引出し電場の形成に支障とならなければ補助電極に電圧を印加しなくてもよい。
イオン発生時点から所定の遅延時間が経過すると、制御手段の制御の下に電圧発生手段は、イオンを一斉に加速させるべく試料保持部と引出し電極との電位差を拡大する。また、イオン光軸に沿った電位勾配の傾斜が引出し電極側よりも試料保持部側で相対的に大きい折れ線様となるように、試料保持部の電位と引出し電極の電位との間の適宜の電圧を補助電極に印加する。加速電場形成の直前に、同一イオン種は空間的に比較的近い位置に存在するため、加速電場の形成により、同一イオン種に対してはほぼ同程度の加速エネルギが与えられる。また、質量電荷比が大きいイオンは相対的に試料に近い位置にあり、その付近では電位勾配の傾斜が引出し電極に近い位置よりも大きくなっているので、電位勾配の傾斜が直線的である場合に比べてより大きな加速エネルギが質量電荷比が大きいイオンに与えられる。
後述するように、全てのイオンの初期エネルギを補償するための理想的な加速電場は、引出し電極側から試料保持部側へ向かう電位勾配が略放物線状に増加し、試料保持部に近い或る位置で電位が無限大に発散する形状となる電場である。本発明では、上述したように、試料保持部と引出し電極との間イオン光軸に沿った電位勾配を直線的ではなく折れ線様としているので、理想的な略放物線状の電位勾配に対して近似性を高めることができ、それによって、特に比較的大きな質量電荷比を有するイオンに与える加速エネルギを理想に近い状態とすることができる。その結果、各種イオンに対し質量電荷比に応じた適切な加速エネルギを与えることが可能となり、広い質量電荷比範囲に亘って質量分解能を改善することができる。
もちろん、引出し電極と試料保持部との間に配設される補助電極の数が多いほど、折れ線様の電位勾配を略放物線状に近付けることができる。したがって、配置する上で支障がなく、且つ、各補助電極にそれぞれ異なる電圧を印加する煩雑さを厭わないのであれば、補助電極の数を増やして各補助電極にそれぞれ適宜の電圧を印加する構成とすることが好ましい。
本発明に係る飛行時間型質量分析装置によれば、MALDIイオン源等のイオン源において試料から発生したイオンを遅延引出し法により引き出して加速する際に、単に初期エネルギや初速のばらつきの補正を行うのみならず、質量電荷比に応じた運動エネルギの変化による補正を行うため、従来の一般的な遅延引出し法と比較し、幅広い質量電荷比範囲に亘って質量分解能を改善することができる。
本発明の一実施例であるMALDI−TOFMSの概略構成図。 本実施例によるMALDI−TOFMSの効果を検証するためのシミュレーション結果を示す図。 既提案の傾斜場遅延引出し動作の説明図。 本実施例によるMALDI−TOFMSにおけるイオン加速動作の説明図。 別の実施例によるMALDI−TOFMSにおけるイオン加速動作の説明図。 従来の一般的な遅延引出し法によるイオン加速動作の説明図。 既提案の傾斜場遅延引出し法によるイオン加速動作の説明図。 イオン引き出し時のイオン空間分布を示す概念図。
まず、上述した既提案の傾斜場遅延引出し法によるエネルギ補償の限界と本発明に係るTOFMSにおいて用いられる新傾斜場遅延引出し法の原理について図7に加え、図3、図4を参照して説明する。図3は既提案の傾斜場遅延引出し動作の説明図、図4は本発明における新傾斜場遅延引出し動作の説明図である。
図7(b)、(c)に示すように、傾斜場遅延引出し法では、レーザ光照射時点から所定の遅延時間が経過するまでの期間中の引出し領域における引出し電場は、試料プレート1側から引出し電極3に向かって直線的に下がる電位勾配を示す電場であり、所定の遅延時間経過後に試料プレート1への印加電圧を増加させたときに形成される加速電場も、試料プレート1から引出し電極3に向かって直線的に下傾する電位勾配を有する電場である。その違いは電位勾配の傾斜だけある。加速電場の電位勾配がこのように直線的である場合、全ての質量電荷比のイオンについて初期エネルギの補償がされているわけではない。そこで、イオンを一斉に加速して引出し領域から送り出すための加速電場が理想的にはどのようになるのかを考察する。
まず、加速電場形成前、つまり引出し電場形成時における試料プレート1の電位をVS1とすると、このときの引出し電場のイオン光軸C上の電位勾配は直線となるので、その一様電場の強さをE0とおく。引出し電場は試料プレート1から引出し電極3に向かって作用するので、試料プレート1と引出し電極3との間のイオン光軸C上の電位V0(x)は試料プレート1からの距離をxとすると、次の(1)式で表される。
0(x)=VS1−E0x …(1)
また、イオンの初速をv0、電荷をq、質量をm、試料プレート1表面である初期位置をx=0とすると、レーザ光照射によるイオン発生時点からt0だけ時間が経過したときに加速電圧を印加する(試料プレート1への印加電圧をVS1からVS2へと増加させる)場合、そのときのイオンの速度vは電場E0によって加速されているために(2)式となる。
v=v0+(qE0/m)t0 …(2)
またイオンの位置xは(3)式となる。
x=v00+(1/2)(qE0/m)t0 2 …(3)
さらに同じ質量のイオンの初速がv0±Δv0というばらつきを持つ場合、時間t0での位置のばらつきを±Δxとすると、(3)式から次の(4)式が求まる。
{x+Δx}−{x−Δx}={(v0+Δv0)t0+(1/2)(qE0/m)t0 2 }−{(v0−Δv0)t0+(1/2)(qE0/m)t0 2 } …(4)
また、初速がそれぞれv0+Δv0とv0−Δv0である同質量の2つのイオンの初期運動エネルギの差ΔK0は、次の(5)式で表される。
ΔK0=(1/2)m(v0+Δv02−(1/2)m(v0−Δv02=2mv0Δv0 …(5)
この運動エネルギの差ΔK0をパルス電圧ΔV(x)で補償する場合、位置xでパルス電圧によって得られるエネルギはqΔV(x)となるので、(4)、(5)式から、次の(6)式が導出される。
qΔV(x−Δx)−qΔV(x+Δx)=ΔK0=2mv0Δv0=(2mv0/t0)Δx
{ΔV(x+Δx)−ΔV(x−Δx)}/2Δx=−(v0/qt0)m …(6)
一方、(3)式より、mは次の(7)式で表される。
m=(1/2){qE00 2/(x−v00)} …(7)
したがって、Δx→0のときに(6)式に(7)式を代入すると(8)式が得られる。
dΔV(x)/dx=−(E000/2){1/(x−v00)} …(8)
この(8)式を積分すると、ΔV(x)は(9)式で表すことができる。
ΔV(x)=−(E000/2)ln{(x−v00)/C} …(9)
ここでCは積分乗数である。したがって、加速電場形成後の電位V1(x)は(10)式となる。
1(x)=V0(x)+ΔV(x)=VS2−E0[x+(v00/2)ln{(x−v00)/C}] …(10)
この(10)式から、直線的な傾斜を示す電位によってイオンを質量分離したあとに初速のばらつきによる運動エネルギの差を加速電圧(エネルギ)で補う場合、加速電場形成後のイオン光軸C上の電位は位置x=v00で無限大に発散する曲線となることが理解できる。x=v00は加速電場形成時に質量mが無限大である仮想的なイオンが存在する位置である。図3、図4中ではこの曲線をQで示している。
なお、(10)式に示される電位を示す電場は初期運動エネルギの補償作用を有するのみであるので、自由飛行空間では同質量のイオンは同じ速度で飛行し時間収束しない。即ち、上記理論では、無限遠の位置に収束点が存在することになる。そのため、同じ質量を持つイオンの飛行時間を或る地点で収束させるには、(10)式の電位で補償されるエネルギよりもさらに大きなエネルギを初速の遅いイオンに与える必要がある。しかしながら、その場合でも、電位を示す関数は(10)式と同様に、x=v00において無限に発散することは容易に推測し得る。
上述のように加速電場形成後の加速電場における理想的な電位は位置x=v00 において無限大に発散するものであるため、図3(b)に示すように、単純な直線的傾斜を示す電位勾配Pでは曲線Qを近似し得る範囲がそれほど広くない。加速電場形成時点においてこの近似が良好な範囲に存在するイオンについては十分なエネルギ補償がなされるが、この範囲を外れた位置にあるイオンについてはエネルギが十分に補償されない。換言すれば、上述した傾斜場遅延引出し法を用いても、加速電圧を印加する直前に引出し領域で近似が良好な範囲の外側に位置する質量電荷比が大きなイオンについてはエネルギ補償による質量分解能の改善効果が望めない。
そこで本発明に係るTOFMSでは、位置x=v00において無限に発散する理想的な電位勾配にできるだけ近い電位勾配を実現するために、図4(a)に示すように、試料プレート1と引出し電極3との間に新たに補助電極2を配設し、該補助電極2に試料プレート1及び引出し電極3とは異なる直流電圧を印加することにより、試料プレート1と補助電極2との間の空間と、補助電極2と引出し電極3との間の空間とで、電位勾配の傾斜の異なる直流電場を形成するようにしている。即ち、図4(b)に示すように、補助電極2に電圧VA2を印加し、試料プレート1に電圧VS3(VS3>VS1、VA2)を印加することにより、引出し領域に形成される加速電場の電位勾配Rは補助電極2の位置において折れ曲がった折れ線様となる。これによって、引出し領域における加速電場の電位勾配Rは上述した理想的な電位勾配曲線Qに対して近似性が良好になり、エネルギ補償による質量分解能の改善がなされる質量電荷比範囲を拡げることができる。
上記原理を利用した新傾斜場遅延引出し法を用いた本発明の一実施例であるMALDI−TOFMSについて図1を参照して説明する。図1はこの実施例のMALDI−TOFMSの概略構成図である。
本実施例のMALDI−TOFMSでは、試料Sを保持する試料プレート1に略直交するイオン光軸Cに沿って、補助電極2、引出し電極3、イオン光学系4、飛行空間7、検出器8が配置されている。制御部11の指示の下に、レーザ照射部5から出射したレーザ光はミラー6で反射され、試料S表面の微小径の領域に照射される。試料プレート1は金属製又は導電ガラス製であって、図示しないステージにより保持され、該ステージを介して電圧が印加されるようになっているが、図1では便宜上、試料プレート1に直接、電圧が印加されるように記載してある。
引出し電圧発生部12は制御部11の指示に従って、試料プレート1、補助電極2、及び引出し電極3にそれぞれ所定の直流電圧を印加する。イオン光学系4は所定の電位(VB)が与えられるベース電極4cを含む複数の電極からなり、図示しない電源部からこれら電極に印加される電圧により、イオンの拡がりを抑えイオン光軸C付近にイオンを収束させる。図6と同様に、この例でもベース電極4cの電位(VB)は0であるものとする。検出器8は例えば光電子増倍管であり、飛行空間7を通過する過程で質量電荷比に応じて時間的に分離されて順次到達するイオンを検出し、イオン量に応じた検出信号を信号処理部10に送る。信号処理部10は検出信号に基づいて飛行時間とイオン強度との関係を示す飛行時間スペクトルを作成し、予め求めた校正情報に基づいて飛行時間を質量電荷比に換算することによりマススペクトルを作成する。
本実施例のMALDI−TOFMSに特徴的な遅延引出し・加速動作を含む分析動作を説明する。
制御部11からレーザ照射部5に開始信号が送られると、それに対応してレーザ照射部5は所定パルス幅のレーザ光を出射する。このレーザ光はミラー6で反射されて試料プレート1上の試料Sに照射される。一方、レーザ光が出射されるとそのごく一部のレーザ光をモニタして得られた信号がレーザ照射部5から制御部11にフィードバックされ、それによって制御部11はレーザ出射を認識する。そして、制御部11はその時点がイオン発生開始時点であるとみなして内部タイマの計時を開始する。
また制御部11は、レーザ光が照射される以前の適宜時点で、引出し電極3への印加電圧VeをVE、試料プレート1への印加電圧VsをVEよりも高いVS1、補助電極2への印加電圧VaをVE以上VS1以下である所定電圧VA1、とするように引出し電圧発生部12を制御する。従来の一般的な遅延引出し法であればVS=VEであるのに対し、本実施例ではVS1>VEである。ただし、このときの電位差VS1-VEは後述するイオン加速時の電位差VS3−VEに比べると遙かに小さい。その理由は後述する。ベース電極4cの電位VBは0である。イオン光軸C上の電位分布は図4(b)中にUで示す直線状である。即ち、試料プレート1と引出し電極3との間の空間(引出し領域)には、試料プレート1から引出し電極3に向かって緩やかに直線的に下傾する電位勾配を有する引出し電場が形成され、引出し電極3とベース電極4cとの間の空間(加速領域)には引出し電極3からベース電極4cに向かって急峻に下傾する電位勾配を有する電場が形成されている。なお、この引出し電場は図7(b)に示した既提案の傾斜場遅延引出し法の場合と同様である。
試料Sにレーザ光が照射されると、試料S中のマトリクスと目的試料とが共に気化し、目的試料がイオン化される。試料S表面近傍の狭い空間で発生した各種イオンには上述した引出し電場が作用するから、イオンは引出し電極3に向かう方向(図4(a)で右方向)に誘引される。このとき引出し電場により与えられるポテンシャルエネルギに由来するイオンの速度は質量電荷比が小さいほど大きい。そのため、質量電荷比の小さなイオンほど引出し電極3に近付くことになる。
もちろん、各イオンは発生時点で質量電荷比に依存しない初期エネルギを有しており、それによる速度成分もあるため、単純に質量電荷比の順に並ぶわけではない。しかしながら、例えばイオン発生時に同一の初期エネルギが付与された異なる質量電荷比を有するイオンをみると、質量電荷比が小さいイオンがより早く引出し電極3に近付くから、全体的には図8(a)に示すように、質量電荷比の小さな(図8では小さなサイズで描かれた)イオンが先行し、質量電荷比の大きな(図8では大きなサイズで描かれた)イオンは相対的に試料Sに近い位置にある。略同一の質量電荷比を有するイオンの集まりを子細にみると、大きな初期エネルギを持つイオンほど引出し電極3に近い位置に存在する。
イオン発生時点において引出し電場の電位勾配の傾斜が急すぎると、各イオンは発生直後に加速されて短時間で引出し電極3を通り過ぎてしまう。即ち、これは実質的な遅延引出しにはならない。そこで、後述する遅延時間が経過するまでに試料S表面付近から引き出されたイオンが引出し電極3を通りすぎてしまわない程度の運動エネルギをイオンに付与するように、電位勾配の傾斜を緩くしておく。つまりは、図4(b)における電位差VS1−VEを小さくしておく必要がある。一方で、電位差VS1−VEが小さすぎて電位勾配の傾斜が緩すぎると、引出し電場によってイオンが受ける運動エネルギよりもイオンが持つ初期エネルギの影響のほうが大きく、イオンが質量電荷比に応じて分離されない。こうしたことから、試料プレート1と引出し電極3との間の距離、遅延時間などの条件に基づいて、引出し領域中で遅延時間内に各種イオンが適度に質量電荷比に応じて分離されるように、電位差VS1−VEを適切に定めておくことが望ましい。これが決まれば、補助電極2に印加する電圧VA1は一義的に決まる。上記適切な電位差VS1−VEは例えば後述するシミュレーション計算や実装置による実験で決めることができる。
制御部11は内部タイマの計時開始から所定の遅延時間tが経過したときに、試料プレート1への印加電圧VsをそれまでのVS1からVS3に増加させ、補助電極2への印加電圧VaをそれまでのVA1からVA2に増加させるように引出し電圧発生部12を制御する。一方、引出し電極3への印加電圧VEはそれ以前と同一電圧値に維持される。これにより、イオン光軸C上の電位分布は図4(b)中にRで示す状態に変化する。即ち、引出し領域には、試料プレート1から引出し電極3に向かって急峻に下傾し、且つ、試料プレート1と補助電極2との間の傾斜が補助電極2と引出し電極3との間の傾斜よりも大きい折れ線様の電位勾配を有する加速電場が形成される。
その結果、その直前に引出し領域中に存在しているイオンに対し最大VS3−VEなる加速電圧が一斉に与えられ、イオンは引出し電極3に向かって引き出される。さらに、イオンが加速領域に突入した後には、引出し電極3の電位とベース電極4cの電位VB(=0)との電位差VE−VB(=VE)により一層加速されて飛行空間7に送り出される。飛行空間7に導入されたイオンは飛行中に質量電荷比に応じて分離され、検出器8に到達する。引出し領域において試料プレート1に近い位置に存在するイオンほど大きな加速エネルギが与えられ、しかも加速電圧は大きな質量電荷比を持つイオンに対するエネルギ補償を行う理想状態に近くなる。それにより、質量電荷比が大きなイオンほど大きな速度を有し、同じ質量電荷比であれば初期エネルギが小さなイオンほど大きな速度を有して飛行空間7に送られる。
引出し領域中で試料プレート1に近い位置に存在した相対的に質量電荷比が大きなイオンは、同じ質量電荷比であって引出し電極3により近い位置に存在したイオンよりも時間的に後から飛行空間7に導入される。しかしながら、飛行速度はより大きいので、先行しているイオンに飛行中に徐々に追いつき、ほぼ同一時刻に検出器8に到達することができる。即ち、同一質量電荷比のイオンのエネルギ収束が行える。
一方、質量電荷比が大きなイオンには質量電荷比が小さなイオンに比べて相対的に高い加速エネルギが与えられ、さらにまた、図4(b)中に示したように、形成される加速電場の電位勾配Rは理想的な電位勾配曲線Qに対し広い範囲で近似しているので、広い質量電荷比範囲に含まれるイオンそれぞれに対して適切なポテンシャルエネルギの変化を与えることができる。それにより、広い質量電荷比範囲に亘るイオンについて、質量電荷比による初速のばらつきの補正効果の差異が軽減できる。これにより、特定の質量電荷比に片寄らず、幅広い質量電荷比範囲に亘って初速のばらつきを軽減し、高い質量分解能を達成することができる。
なお、理想的な電位勾配曲線Qの形状やv00の位置はイオン化条件、特に試料Sの調製に使用されるマトリクスの種類、レーザ光パワーなどの影響を受ける。したがって、目的試料を分析する際と同じイオン化条件の下で標準試料などの分析を実行する校正作業を実行し、その結果に基づいて電圧VS3、VA2などの適正値を求めておくとよい。
次に、本実施例のMALDI−TOFMSにおける遅延引出し動作の効果を検証するためのシミュレーションについて説明する。このシミュレーションでは、図1に示したようなイオン光軸Cを中心とする軸対称のイオン輸送系を想定し、リニア型の飛行空間7における自由飛行軌道の距離を約1200[mm]とした。また、500〜5000[Da]の質量電荷比範囲で100[Da]ずつ質量電荷比を変化させ、検出器8へのイオンの到達時間について数値計算を行い、その分解能を調べた。分解能が5000を超える範囲を遅延引出しの効果がある質量電荷比範囲の目安とし、その質量電荷比範囲の下限がおおよそ1000[Da]となるように、各遅延引出し法、つまり、新傾斜場遅延引出し法(本発明)、既提案の傾斜場遅延引出し法、及び従来の遅延引出し法におけるパラメータ(印加電圧)を調整した。
図2はこのシミュレーション結果である。従来法では分解能5000を超える質量電荷比の上限は1800[Da]で、質量電荷比範囲は800[Da]にすぎない。これに対し、既提案の傾斜場遅延引出し法では、分解能5000を超える質量電荷比の上限は2800[Da]で、質量電荷比範囲は1800[Da]となっており、従来法に比べて質量電荷比範囲を2倍強に拡大できている。さらに本発明における新傾斜場遅延引出し法では、分解能5000を超える質量電荷比の上限は4000[Da]で、質量電荷比範囲は3000[Da]にも及ぶ。これは、従来法に比べて3倍強、既提案の傾斜場遅延引出し法と比べても1.5倍強の質量電荷比範囲であることを示しており、これまでの遅延引出し法に比べて十分に高い効果が得られることが確認できる。
上記実施例では、試料プレート1と引出し電極3との間に補助電極2を1つのみ設けていたが、図5に示すように、イオン光軸Cに沿って複数(図5の例では3つ)の補助電極2a、2b、2cを設け、加速電場形成時に各補助電極2a、2b、2cにそれぞれ適切な電圧VAa、VAb、VAcを印加するようにしてもよい。これにより、折れ線様の電位勾配を理想的な電位勾配曲線Qにより近似させることができ、高い分解能を実現できる質量電荷比範囲をさらに広げることができる。
なお、上記実施例はいずれも本発明の一例であり、本発明の趣旨の範囲で適宜変形、修正、追加を行っても本願特許請求の範囲に包含されることは当然である。
1…試料プレート
S…試料
2、2a、2b、2c…補助電極
3…引出し電極
4…イオン光学系
4c…ベース電極
5…レーザ照射部
6…ミラー
7…飛行空間
8…検出器
10…信号処理部
11…制御部
12…引出し電圧発生部
C…イオン光軸

Claims (2)

  1. 試料から発生したイオンを加速して飛行空間に導入し、該飛行空間内で質量電荷比に応じてイオンを分離して検出する飛行時間型質量分析装置において、
    a)試料を保持する試料保持部から所定距離離間して配設された引出し電極と、
    b)前記試料保持部と前記引出し電極との間に配設された1又は複数の補助電極と、
    c)前記試料保持部と前記引出し電極との間の空間にイオンを試料表面から引き出して加速する電場を形成するために、該試料保持部、補助電極及び引出し電極にそれぞれ所定の電圧を印加する電圧発生手段と、
    d)イオン発生開始時点から所定の遅延時間が経過するまでの期間中に、試料表面から前記引出し電極に向けてイオン質量電荷比に応じて移動させるべく、該試料表面と該引出し電極との間の空間に該試料表面から該引出し電極に向かって直線的に下傾する電位勾配を有する引出し電場が形成されるように、前記試料保持部の電位を前記引出し電極の電位よりも第1電位差だけ高く保ち、
    前記遅延時間が経過した時点及びそれ以降には、前記試料保持部と前記引出し電極との間の空間に存在するイオン該引出し電極の方向に一斉に加速し、且つ該試料保持部に近い位置に存在するイオンほど大きな加速エネルギを与えるべく、イオン光軸に沿った電位勾配の傾斜が前記引出し電極側よりも前記試料保持部側で相対的に大きい折れ線様である加速電場が形成されるように、前記遅延時間が経過した時点において、前記引出し電極、前記補助電極、及び前記試料保持部の電位その順に高く且つ、前記引出し電極の電位に対する前記試料保持部の電位前記第1電位差よりも大きな第2電位差だけ高くなるように印加電圧を変化させるべく、前記電圧発生手段を制御する制御手段と、
    を備えることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。
  2. 請求項1に記載の飛行時間型質量分析装置であって、
    試料に対するイオン化は、MALDI法、LDI法、DESI法、PDI法、SIMS法のいずれかのイオン化法により行われるものであることを特徴とする飛行時間型質量分析装置。
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