次に、本発明の実施形態について、適宜図面を参照しながら詳細に説明する。なお、各図において、共通する部分には同一の符号を付し重複した説明を省略する。
図1は、本発明の実施形態に係る電動パワーステアリングシステム(EPS)1の全体構成図である。ハンドル2は、自在継ぎ手13a、13bを介して、操舵軸21の上端に連結されている。操舵軸21の下端にはピニオンギヤ11bが取り付けられている。ピニオンギヤ11bはラックギヤ11aに噛み合っており、ラックギヤ11aとピニオンギヤ11bとでラック&ピニオンギヤ11を構成している。ラック&ピニオンギヤ11は、操舵軸21の操舵トルクTsをラック軸6の軸方向の推力に変換する。ラックギヤ11aは、ラック軸6に刻まれて設けられている。
ラック軸6にはボールねじ7も刻まれて設けられており、ウォームホイールギヤ5bの内側にボールナットが設けられ、このボールナットに複数のボールを介して係合されている。ウォームホイールギヤ5bの外歯は、ウォームギヤ5aに噛み合わされている。ウォームギヤ5aは、ブラシレスモータ4の回転軸に連結している。ブラシレスモータ4は、運転者の操舵に対して動力補助をする。ウォームギヤ5aとウォームホィールギヤ5bとで減速装置5が構成されている。減速装置5は、ブラシレスモータ4の発生させる補助トルクAHを倍力する。ボールねじ7は、倍力された補助トルクAHをラック軸6の軸方向の推力に変換する。ラック軸6の両端にはタイロッド14の一端が固定され、各タイロッド14の他端には前輪となるタイヤ10が取り付けられる。
ラック軸6は、一端がボールねじ7を介して軸受け27によって、他端が図示されないラックガイドによって支持され、ステアリングギヤボックス12内に回転させないで軸方向に移動が自在にできるように保持されている。操舵軸21は、軸受け24、25、26によって、ステアリングギヤボックス12内に回転自在に保持されている。
操舵軸21には、操舵軸21と自在継ぎ手13bとを締結する締結部22が設けられている。また、操舵軸21には、操舵軸21とステアリングギヤボックス12との間をシールするシール23が設けられると共にフラット面29と固定部28も設けられている。
操舵軸21には、磁歪式トルクセンサ3が設けられている。磁歪式トルクセンサ3は、ハンドル2から運転者によって入力される操舵トルクTsを検出する。磁歪式トルクセンサ3は、操舵軸21の全周にわたり形成された円環状の、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとを有している。第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとには、Fe−Ni系やFe−Cr系の磁歪材が好適である。第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとは、メッキ法や蒸着法等により、操舵軸21上等、例えば、操舵軸21の表面上や、操舵軸21を圧入させる中空管に成膜し、操舵軸21と第1磁歪膜3a、第2磁歪膜3bとを一体化してもよいし、あらかじめ作製された第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bを、接着剤を用いて操舵軸21に接着にて設けてもよい。
さらに、磁歪式トルクセンサ3は、第1磁歪膜3aの周囲に第1メインコイル31と第1サブコイル32を有している。同様に、磁歪式トルクセンサ3は、第2磁歪膜3bの周囲に第2メインコイル33と第2サブコイル34を有している。
運転者がハンドル2を操舵することによって、操舵トルクTsが生じ、操舵トルクTsは操舵軸21に伝達される。伝達された操舵トルクTsは、磁歪式トルクセンサ3に検出され、検出した信号として、第1メインコイル31からVT1メインを出力する。同様に、第1サブコイル32からVT1サブを出力する。第2メインコイル33からVT2メインを出力する。第2サブコイル34からVT2サブを出力する。VT1メイン、VT1サブ、VT2メイン、VT2サブは、制御装置ECUに入力される。制御装置ECUはコンピュータで構成され、自動車の車速を検出する車速センサ8から車速信号V等を受信する。また、制御装置ECUは、ブラシレスモータ4を流れるモータ電流を計測した電流計測信号Doと、ブラシレスモータ4の回転子の回転角を計測したモータ回転角信号aなども受信する。
制御装置ECUは、受信したVT1メイン、VT1サブ、VT2メイン、VT2サブと、車速信号V、電流計測信号Do、モータ回転角信号a等に基づいて、ブラシレスモータ4の回転動作させるモータ電流信号Dを出力する。
ブラシレスモータ4は、モータ電流信号Dにより、操舵トルクTsを補助する補助トルクAHを出力し、補助トルクAHは、減速装置5を経由して、ラック軸6に伝達するとともに直線運動に変換される。なお、運転者が直に発生させた操舵トルクTsも、ラック&ピニオンギヤ11を経由して、ラック軸6に伝達するとともに直線運動に変換される。
ラック軸6に伝達した操舵トルクTsの直線運動と補助トルクAHの直線運動とは合わさって、タイロッド14を動かし、タイヤ10の走行方向を変化させる。操舵トルクTsに補助トルクAHが合わさることで、運転者の操舵に必要な操舵トルクTsを軽減することができる。そして、ハンドル2の回転θによりタイヤ10の走行方向を回転αさせることができる。
例えば、操舵トルクTsの値の理解を容易にするためにTsとし、補助トルクAHの値をAHとし、補助トルクAHの係数を定数kAとすると、AH=kA×Tsであり、負荷であるピニオントルクをTpとすると、ピニオントルクTpは操舵トルクTsと補助トルクAHの和(Tp=Ts+AH)であるから、Ts=Tp/(1+kA)となる。したがって操舵トルクTsは、ピニオントルクTpの1/(1+kA)、(kA≧0)となりピニオントルクTpより小さくなり、操舵トルクTsは軽減されることになる。なお、上記では、理解を容易にするためにkAを定数としたが、kAは車速の増大に伴って小さくなることが好ましい。このことにより、自動車が高速走行になるに従ってタイヤ10を路面に対して回転αさせる負荷が減少しても、タイヤ10を回転αさせるに要する操舵トルクTsを大きくして手応え感を付与することができる。
図2は、電動パワーステアリングシステム1における磁歪式トルクセンサ3の周辺の構成図である。図2に示すように、制御装置ECUは、インターフェイス部15を有している。インターフェイス部15は、変換回路35と増幅回路AMPを有している。増幅回路AMPは、VT1メインを増幅する増幅回路35aと、VT2メインを増幅する増幅回路35bと、VT1サブを増幅する増幅回路35cと、VT2サブを増幅する増幅回路35dとを有している。変換回路35は、VT3メインを算出するVT3メイン算出部36と、VT3サブを算出するVT3サブ算出部37とを有している。また、制御装置ECUは、VT3メインとVT3サブからトルク検出信号VSを算出するトルク検出信号算出部16と、VT3メインにVT3サブを加算して故障検出信号VEを算出する加算部17とを有している。さらに、制御装置ECUは、トルク検出信号VSと車速信号Vと電流計測信号Doとモータ回転角信号aに基づいて、ブラシレスモータ4を回転動作させるモータ電流Dを出力するモータ電流制御部18を有している。制御装置ECUは、故障検出信号VEに基づいて、磁歪式トルクセンサ3の故障を検出する故障検出部19を有している。
図3は、モータ電流制御部18とブラシレスモータ4の構成図である。図3に示すように、モータ電流制御部18は、アシスト制御部51と、フィルタFと、応答性向上(微分)制御部52と、操舵軸回転速度算出部54と、ダンパ制御部53と、三相変換加減算部55と、PID制御部56とを有している。
アシスト制御部51は、トルク検出信号VSと車速信号Vに基づいて、補助トルクAHを出力可能なモータ電流信号DTを決定する。モータ電流信号DTは、トルク検出信号VSが大きくなるにつれ大きくする必要があり、逆に車速信号Vが大きくなるにつれ小さくする必要がある。また、トルク検出信号VSが大きい領域ではモータ電流DTは一定となる領域を有している。これらのことにより、車速信号Vの増大に応じてしっかりとした操舵トルクの手応え感を付与することができる。なお、このことが、前記したkAが車速の増大に伴って小さくすることに対応している。また、このモータ電流信号DTの決定には、トルク検出信号VSと車速信号Vを引数とする関数f(VS,V)として、モータ電流DTを定義しておくことが好ましく、定義される関数は、数式に限らずテーブルによって定義してもよい。
フィルタFは、ブラシレスモータ4の応答性や安定性を向上させることができ、具体的には、トルク検出信号VSの微分値Fを算出する。応答性向上(微分)制御部52では、算出された微分値FのゲインkTを車速信号Vに応じて調整する。ゲインkTは、車速信号Vが大きくなるにつれ小さくする傾向にある。なお、ゲインkTの調整には、車速信号Vを引数とする関数f(V)として、ゲインkTを定義しておくことが好ましく、定義される関数は、数式に限らずテーブルによって定義してもよい。モータ電流信号DTDは、トルク検出信号VSと微分値FとゲインkTを積算して(DTD=VS・F・kT)求めることができる。
操舵軸回転速度算出部54は、モータ回転角信号aを微分して求めたモータ回転(操舵)速度信号Sを算出する。ダンパ制御部53は、モータ回転速度信号Sと車速信号Vに基づいて、モータ電流信号Dの削減量となるモータ電流信号Dsを決定する。モータ電流Dsは、モータ回転速度信号Sが大きくなっても、車速信号Vが大きくなっても、大きくする傾向にある。三相変換加減算部55において、車速信号Vが高い程大きなモータ電流Dsを減じ、ブラシレスモータ4の回転速度、即ちモータ回転速度信号Sが高い程大きなモータ電流Dsを減じているので、ダンパ効果を持たせることができる。これによりハンドル2の収斂性などを向上させて車両の高速での安定性を向上させている。なお、このモータ電流信号Dsの決定には、モータ回転速度信号Sと車速信号Vを引数とする関数f(S,V)として、モータ電流信号Dsを定義しておくことが好ましく、定義される関数は、数式に限らずテーブルによって定義してもよい。
三相変換加減算部55では、モータ電流信号DTとモータ電流信号DTDは加算され、モータ電流信号Dsは減算されることにより、目標トルク電流信号が算出される。ブラシレスモータ4は、ブラシレスモータ本体40とレゾルバ41と電流センサ42、43とから構成されている。レゾルバ41はブラシレスモータ本体40の回転子のモータ回転角を検出し、モータ回転角信号aを送信する。電流センサ42、43は、ブラシレスモータ本体40を流れるモータ電流を計測した電流計測信号Doを送信する。三相変換加減算部55では、電流計測信号Doは、モータ回転角信号aにより三相からdq変換される。
PID制御部56では、三相変換加減算部55で算出された目標トルク電流に、dq変換された電流計測信号Doを一致させるように、モータ電流Dをブラシレスモータ本体40へ出力する。
図4は、VT1メイン、VT1サブ、VT2メイン、VT2サブの出力特性を示すグラフである。
第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bに、交流を通電しておき、トルク入力時におけるこれらの第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bの磁歪特性である透磁率の変化を、第1メインコイル31、第1サブコイル32、第2メインコイル33、第2サブコイル34によって、出力特性(VT1メイン、VT1サブ、VT2メイン、VT2サブ)として検出する。
磁気異方性を付与される前の第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bによる出力特性VTOは、トルクの作用方向(右回転(+)、左回転(−))に対して、略対称的な出力特性(例えば、インピーダンス特性)を示す。そこで、使用範囲Rtより十分大きい右回転のトルク+Toと十分大きく左回転のトルク−Toを、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bに残留させて磁気異方性を与える。トルク+Toにより磁気異方性を付与された第1磁歪膜3aの出力特性が、VT1メインとVT1サブであり、トルク−Toにより磁気異方性を付与された第2磁歪膜3bの出力特性が、VT2メインとVT2サブである。
そして、使用範囲Rtにおいて、「VT3メイン=VTlメイン−VT2メイン」のような演算処理と、「−VT3サブ=VTlサブ−VT2サブ」のような演算処理を、VT3メイン算出部36とVT3サブ算出部37(図2参照)で行っている。これらの演算処理により、トルクの作用方向と大きさの検出が可能になると共に、感度(図4のグラフの傾き)を向上させている。また、磁歪式トルクセンサ3の故障を検出するために、故障検出信号であるVEを、(VTlメイン+VT2メイン)/2と、(VTlサブ+VT2サブ)/2のように設定すると、正常であれば概ね一定になるので、適当な許容幅である出力最大値VTmaxと出力最小値VTminとで上限と下限を規定する使用範囲Rvtを設定することができる。この故障検出信号VEが、上限である出力最大値VTmaxと下限である出力最小値VTminとの間に存在しない場合に故障であるとする検出が可能である。また、この故障検出信号VEは、電圧に変換して約2.5[V]に設定する場合が多い。
図5は、使用範囲Rtに限った、VT1メイン、VT1サブ、VT2メイン、VT2サブ、VT3メイン、VT3サブ、トルク検出信号VS、故障検出信号VEの出力特性を示すグラフである。VT3メインは、VT3メイン算出部36において、VTlメインからVT2メインを減算し、この減算値に係数kを積算することによって算出((VT3メイン)=k・(VTlメイン−VT2メイン))している。さらに、VT3メインは、トルクが0(ゼロ)のときに、2.5Vを出力するように、VT3メイン算出部36によってシフトされている。
VT3サブは、VT3サブ算出部37において、VT2サブからVT1サブを減算し、この減算値に係数kを積算することによって算出((VT3サブ)=k・(VT2サブ−VTlサブ))している。さらに、VT3サブは、トルクが0(ゼロ)のときに、2.5Vを出力するように、VT3サブ算出部37によってシフトされている。
トルク検出信号VSは、トルク検出信号算出部16において、VT3メインからVT3サブを減算することによって算出(VS=(VT3メイン)−(VT3サブ))している。使用環境温度が変化したり、磁場環境が変化したりして、VTlメイン、VT2メイン、VTlサブ、VT2サブが変化しても、夫々同様に変化するので変化分をキャンセルすることができる。また、VT3メインとVT3サブとは、トルクが0のときにともに2.5Vであるので、トルクが0のときにトルク検出信号VSも0(ゼロ)に設定することができる。トルク検出信号VSによれば、トルクの作用方向(右回転(+)、左回転(−))と大きさの検出が可能になる。また、トルク検出信号VSは、図5のグラフの傾きが大きいので、高感度にトルクの大きさを検出することができる。
故障検出信号VEは、加算部17において、VT3メインにVT3サブを加算し、この加算値に1/2を積算することによって算出(VE=(VT3メイン+VT3サブ)/2)している。故障検出部19において、故障検出信号VEが、使用範囲Rvt内に入っているか否かを判定し、入っていれば正常の判定を出力し、入っていなければ故障の判定を出力する。具体的には、故障検出信号VEが、出力最大値VTmaxより大きいか否かを判定し、大きければ故障の判定を出力し、大きくなければ正常の判定を出力する。同様に、故障検出信号VEが、出力最小値VTminより大きいか否かを判定し、大きければ正常の判定を出力し、大きくなければ故障の判定を出力する。
以上では、磁歪式トルクセンサ3の構造とトルク検出のメカニズムについて説明したが、以下では、これらを踏まえて、いわゆる「据え切り」操作をしたときに、課題であるハンドルの右回転と左回転とで補助操舵力の大きさが異なることとなった現象について説明する。
図6(a)に示すように、磁歪式トルクセンサ3が、使用環境温度にさらされていない例えば雰囲気20 [℃]では、初期値において、操舵トルクが加わっていないので、トルクが0であり使用範囲Rvtの中点Vdで、VT3メインとVT3サブは交わっているので、トルク検出信号VSは、原点を通る。このときトルク+T1を作用させると出力値Vaを得ることができるとすると、トルク+T1に対して逆方向で同じ大きさのトルク−T1を作用させれば、出力値Vaに対して逆方向で同じ大きさの出力値−Vaを得ることができる。また、故障検出信号VEの値は中点Vdと同じ値になり、使用範囲Rvt内に設定することができる。
ところが、図6(b)に示すように、磁歪式トルクセンサ3が、使用環境温度にさらされた後、例えば、110℃の温度雰囲気で、400時間程度放置した後には、たとえば、VT3サブよりもVT3メインの方が、大きくドリフトしたとする。VT3メインとVT3サブの交点の出力値Veは、初期の中点VdよりVfだけ大きくなり、VTmaxより大きくなっている。故障検出信号VEの値も出力値Veと同じ値になるので、使用範囲Rvt内に設定することができなくなって、故障が検出されることになる。トルク検出信号VSは、トルクが0であるときに原点を通らず0でない出力値Vgを出力する。このため、トルク+T1を作用させると出力値Vbを得ることができるとして、トルク+T1に対して逆方向で同じ大きさのトルク−T1を作用させても、出力値Vaに対して逆方向ではあるが同じ大きさの出力値は得ることはできず、異なる大きさの出力値Vcが得られる。この相異により、ハンドルを右回転させたときと、左回転させたときで、操舵トルクの大きさが異なるという現象が生じることになる。
なお、トルク検出信号VSは、トルクが0であっても出力値Vgを出力するので、操舵トルクが作用していないとき、即ち、ハンドルを操作していないときでも、トルク検出信号VSが出力値Vgだけ出力されて、ブラシレスモータ4にモータ電流制御部18で設定されるモータ電流信号Dが通電されることが考えられる。
VT3メインとVT3サブのドリフトは、VT1メイン、VT1サブ、VT2メイン、VT2サブのドリフトによって起こるので、使用環境温度下における第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとの何らかの変質に起因していると考えられる。
そこで、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bに対して、昇温脱離ガス分析法(TDS)で試料中の水素量を測定した。測定では、まず第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bを操舵軸21上に例えば、電気めっき法で組成Ni−35%Fe、厚さ40[μm]に成膜し、成膜後に第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bを操舵軸21から機械的に剥離させ、剥離した第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bを表面の面積が30[mm2]程度になるようにカットして試料を作製した。なお、剥離した第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bの膜厚は、成膜時と同じ40[μm]であった。次に作製した試料をガラス製のアンプルに入れて真空に引き、5[℃/分]の昇温速度で500[℃]まで加熱した。加熱中のアンプル内の圧力変化をピラニ真空計で測定し、試料から放出された水素のモル数を求めた。さらにこれから、試料重量に対する脱離した水素ガス重量比x(水素脱離量)を算出した。算出結果を図7に示す。横軸は、試料を5[℃/分]の昇温速度で加熱した際の試料温度tである。縦軸は水素の脱離量xである。水素の脱離速度は、100[℃]付近から急激に上昇し、400[℃]付近まで脱離が続くことがわかった。また、500[℃]までの加熱により放出されたガスは、質量分析計により、すべて水素(H2)であることを確認している。
次に、図8に示すように、脱離量xを試料温度tで微分し、脱離速度(dx/dt)を算出した。脱離速度のプロファイルは、120[℃]前後にピークを持つモード1の水素と、250[℃]から350[℃]の広い範囲に渡ってピークを持つモード2の水素の分布が重なっているものと考えられる。また、400[℃]付近に鋭敏なピークが存在するが、このピークはピーク温度以下の熱処理によって変化が無いことから、相変化や熱分解によって脱離された水素と考えられる。ここでモード1の水素は、めっきしてからの時間経過に伴い、脱離量の減少やピーク温度が高温側にシフトすることから磁歪膜の状態変化の主因であると考えられる。このモード1の水素の脱離を加速し磁歪膜の状態を安定化するには、磁歪膜と母材の特性を損なわない範囲で、できるだけ高温で熱処理すれば良く、例えば構造用材料などの場合、焼戻し温度に設定することが望ましい。なお、低温で熱処理する場合は熱処理時間を延長すれば良い。エンジンなどの高温環境での使用においては、更に高温で脱離するモード2の水素も安定化しておくことが望ましく、250℃以上の高温で熱処理すれば良い。
図9(a)は、モード1の水素が、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bに含有されている際の状態を示している。第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bを構成する金属原子Mの格子間(隙間)に水素原子Hが固溶している。この水素原子が移動するための活性化エネルギは小さく、室温程度でも拡散することができる。したがって、市場環境下でも拡散により水素は第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bから脱離していく。
図9(b)は、モード2の水素が、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bに含有されている際の状態を示している。成膜時に、発生する多量の水素が空孔の生成を誘起し、空孔−水素クラスタを形成し準安定状態となる。この場合、格子間位置に固溶している場合よりも、結合エネルギが高いためより高温になって初めて、水素の移動(拡散)が起こる。この、空孔−水素クラスタからの水素の脱離は200℃以上の温度域から急激に増加することがわかった。
そして、モード1とモード2の水素原子Hの拡散移動により、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3b中の内部応力変化が発生し、磁歪特性を変化させる。更に、モード2については、過剰に空孔57が存在するため、ニッケル(Ni)原子および鉄(Fe)原子等の金属原子Mの拡散移動が容易になり、この拡散移動によっても内部応力が変化し磁歪特性を変化させていると考えられる。
したがって、磁歪特性を変化させないためには、水素原子Hと空孔57を拡散移動させなければよいと考えられる。そこで、使用環境温度下で水素原子Hと空孔57が拡散移動しないように、それ以前に、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとから水素原子Hと空孔57を低減しておけばよく、特に、水素原子Hに関しては、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとから脱離させればよい。そこで、自動車の製造過程で、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとを熱処理し、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとから水素を脱離させ、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとの中の水素濃度を低減させることとした。
以下では、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとの熱処理工程について検討した。
図10に熱処理工程に用いた熱処理装置61を示す。熱処理装置61には、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとが成膜された操舵軸21が複数本入れられ、同時に同一条件で加熱することができる。操舵軸21は、チャンバ62内に入れられ、チャンバ62内に配置された台63に差し込まれて立てられる。そして、電源64を用いて第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bが加熱される。なお、操舵軸21の1本は、TDS用試料65として、TDSの測定に提供され、脱離可能な水素が第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bの中にどの程度あったのかを評価される。他の操舵軸21は、使用環境温度下で磁歪特性がどの程度変化するかが評価される。
ところで、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとには、磁気異方性を付与する必要がある。磁気異方性の付与方法としては、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3b自身のクリープ特性を利用する。第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bに同じ大きさで逆回転方向のトルクを同時にそれぞれ加えて、300〜400[℃]程度に加熱する。室温で放置して降温した後に、加えていたトルクから開放する。
なお、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bを操舵軸21に接着する場合は、同じ大きさで逆回転方向のトルクを同時にそれぞれ加えている操舵軸21上に接着し固定した後に加えていたトルクを開放すればよいので、磁気異方性の付与方法において、必ずしも、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bを加熱する必要はない。
しかし、磁気異方性の付与方法において、加熱する場合は、熱処理工程を兼ねるので、磁気異方性を付与しつつ、水素を脱離させて残存する水素を低減できるはずである。
以下では、図11(a)と図11(b)とを用いて、磁気異方性の付与方法を詳細に説明する。
まず、図11(b)に示すように、高周波数の交流電流を通電する高周波コイル67aと67bを操舵軸21に通し、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bの周囲にそれぞれを配置する。そして、図11(a)の締結部22を固定冶具65aに取り付けて固定し、固定部28を固定冶具65bに取り付けて固定する。第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとの間に設けられたフラット面29にトルク付加冶具66をかみ合わせて操舵軸21をねじるように固定し、操舵軸21にトルクを作用させる。ここで作用させるトルクの大きさは、図4に示すトルク+Toの大きさに相当し、使用範囲Rtの上限値の1.5倍以上が望ましい。具体的には、15〜100[Nm]程度の大きさのトルクを作用させる。このトルクが操舵軸21に作用することにより、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bには互いに反対方向のトルクが作用する。トルクを作用させたままの状態で、高周波数の交流電流を高周波コイル67aと67bに同時に1〜10[秒]程度の時間の間通電する。この通電により第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bは加熱されて、クリープし、互いに反対方向の入力されていたトルクが開放される。この高周波加熱(HFH)において、特長的なことは、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bが加熱されても、操舵軸21は殆ど加熱されないことである。したがって、高周波加熱によって、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bの熱処理温度が例えば400℃になっても、操舵軸21は加熱されないので、操舵軸21が、クリープしたり結晶構造が遷移したりする影響を受けることがない。そして、この高周波加熱が、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとの中の水素濃度を低減させるための熱処理工程を兼ねることができると考えられる。
最後に、トルクを作用させたままの状態で、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bの温度を室温まで下げる。そして、トルク付加冶具66をフラット面29から除いて、操舵軸21に作用しているトルク付加冶具66からのトルクを開放する。この開放によって、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bには、互いに反対方向のトルクが操舵軸21から作用し、いわゆる磁気異方性が付与されたことになる。
以上により、高周波加熱(HFH)により、熱処理工程を行い、図10のTDS用試料65と出力変化率測定用試料66を得た。高周波加熱の熱処理条件は、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bの熱処理温度が400[℃]であり、熱処理時間が1秒間以上10秒間以下であった。
TDS用試料65を用いて、図12に示すように、昇温脱離ガス分析法の測定を行った。測定は、図7で説明した測定方法と同じ手順で行った。図12中、「400℃(HFH)」と記載されているスペクトルは、高周波加熱(HFH)による熱処理工程を行った第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bのスペクトルである。また、図12中、「熱処理前」と記載されているスペクトルは、熱処理工程を行っていない第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bのスペクトルであり、図7に示したスペクトルに対応している。
図12中、「400℃(HFH)+180℃で2時間(アニール処理)」と記載されているスペクトルは、2段階の熱処理工程を施した場合を示している、第1段階として、高周波加熱(HFH)による磁気異方性付与を兼ねる熱処理工程を行い、この後に引き続き、第2段階の熱処理工程として、熱処理装置61で180[℃]の熱処理温度で2[時間]の熱処理時間におよぶアニール処理を行っている。
これらの昇温脱離ガス分析法の測定から、高周波加熱(HFH)による熱処理工程を行うことにより、熱処理を行わない場合に比べて、(室温から500℃まで加熱したときの)水素の脱離量を12[ppm]低減できている。また、アニール処理を加えることにより、さらに水素脱離量を低減でき、熱処理を行わない場合に比べて14[ppm]低減できている。
このことから、熱処理工程は、磁気異方性付与工程とアニール工程のように、熱処理温度が互いに異なる、あるいは、熱処理時間が分けられた複数の熱処理により行われても、それぞれの段階の熱処理で水素を低減させることができるので、水素の低減を本来の目的としない熱処理も、水素低減のための熱処理の1段階として考慮することができる。
また、熱処理工程を行うことにより、熱処理を行わない場合に比べて、水素の脱離量を低減できていることから、熱処理工程により、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bから水素が脱離し、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとに含有される水素が低減している。このため、昇温脱離ガス分析法の測定では、脱離する水素の脱離量xが低減していると考えられる。このことから、熱処理工程を行った第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとが、使用環境温度下に置かれても、昇温脱離ガス分析法の測定時と同様に、脱離する水素の脱離量xを低減できると考えられる。使用環境温度下において脱離する水素の脱離量xが低減できていれば、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bの内部では、水素の拡散移動も減少して、内部応力も変化しにくいので、磁歪特性も変化しにくいと考えられる。
以上のことを明らかにするために、図10の出力変化率測定用試料66を用いて、図13に示すように、出力変化率を測定した。出力変化率として、トルク検出信号VSの図5のグラフにおける傾き(感度)の変化率、いわゆる感度の変化率ΔVSと、故障検出信号VEの図5のグラフの出力値(中点)の変化率、いわゆる中点の変化率ΔVEとを測定した。
また、測定では、まず、出力変化率測定用試料66を用いて、出力変化率測定用試料66を図1の電動パワーステアリングシステム1に組み込んで、初期値の感度と中点と測定した。この後、出力変化率測定用試料66を使用環境温度110[℃]の下に400[時間]放置した。そして、再度、出力変化率測定用試料66を電動パワーステアリングシステム1に組み込んで、使用環境放置後の感度と中点と測定した。使用環境放置後の感度から初期値の感度を引いた差を、初期値の感度で割って感度の変化率ΔVSを算出した。同様に、使用環境放置後の中点から初期値の中点を引いた差を、初期値の中点で割って中点の変化率ΔVEを算出した。
そして、出力変化率測定用試料66とTDS用試料65としては、3種類の異なる熱処理工程を行ったものを用意した。1種類目は、図13中に、「400℃(HFH)」と記載したもので、図12中の「400℃(HFH)」と同じ条件で熱処理している。2種類目は、図13中に、「400℃(HFH)+180℃(アニール処理)」と記載したもので、図12中の「400℃(HFH)+180℃(アニール処理)」と同じ条件で熱処理している。3種類目は、図13中に、「345℃(HFH)」と記載したもので、図12中の「400℃(HFH)」の熱処理条件に対して、熱処理温度のみを400[℃]から345[℃]に変更した条件で熱処理している。
図13の横軸は、3種類のTDS用試料65を用いて昇温脱離ガス分析法の測定を行い、分析温度400[℃]までに脱離した水素の脱離量xである。縦軸は、3種類の出力変化率測定用試料66を用いて算出した感度と中点の出力変化率である。出力変化率の−5[%]以上5[%]以下の使用範囲が、図5の使用範囲Rvtに対応していると考えることができる。出力変化率が−5[%]以上5[%]以下の使用範囲を外れると、故障検出部19によって故障と判定されたり、運転者がハンドル操作する際に違和感を覚えさせたりする。したがって、出力変化率が−5[%]以上5[%]以下の使用範囲に入るような熱処理工程を行えばよいことになる。実施した3種類の熱処理工程はどれも、出力変化率−5[%]以上5[%]以下の使用範囲を満足していた。3種類の熱処理工程から、分析温度400[℃]までに脱離した水素の脱離量xが増加するほど、感度と中点の出力変化率も増加する傾向があることがわかった。
この傾向は、前記した熱処理工程を行い、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bとから水素を多く脱離させておく程、使用環境温度下において脱離する水素の脱離量xが低減でき、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bの内部では、水素の拡散移動も減少して、内部応力も変化しにくいので、磁歪特性も変化しにくいということを示している。
このことから、感度の変化率ΔVSによって規定するのであれば、500[℃]までに脱離した水素の脱離量xが15[ppm]以下であれば、出力変化率−5[%]以上5[%]以下の使用範囲を満足することができる。同様に、中点の変化率ΔVEによって規定するのであれば、500[℃]までに脱離した水素の脱離量xが27[ppm]以下であれば、出力変化率−5[%]以上5[%]以下の使用範囲を満足することができる。
図14には、図12に示した「熱処理前」のスペクトルと、「400℃(HFH)」のスペクトルを再度記載している。この2つのスペクトルから、分析温度400[℃]までに脱離した水素の脱離量xが15[ppm]であるスペクトルを慨そうしたものが、許容量69である。すなわち、分析温度400℃までに脱離した水素の脱離量xが15[ppm]であるスペクトルであれば、分析温度300[℃]に脱離した水素の脱離量xは10[ppm]であると予想でき、分析温度150[℃]までに脱離した水素の脱離量xは3[ppm]であると予想できる。
このことから、逆に、分析温度300[℃]までに脱離した水素の脱離量xが10[ppm]以下であれば、感度の出力変化率−5[%]以上5[%]以下の使用範囲を満足すると判定することができる。同様に、分析温度150[℃]までに脱離した水素の脱離量xが3[ppm]以下であれば、感度の出力変化率−5[%]以上5[%]以下の使用範囲を満足すると判定することができる。以上から、スペクトルが通過可能な通過可能領域68を設定することができる。
図15は、水素の脱離量xを同じにしたときの熱処理温度と熱処理時間の関係を示している。水素の脱離量xとしては、熱処理温度を、使用環境温度の110[℃]とし、熱処理時間を、「据え切り」操作をしたときに、ハンドルの右回転と左回転とで補助操舵力の大きさが異なると運転者に認識される時間である400[時間]とした場合の脱離量とした。そして、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bの主成分であり、同じ結晶構造を持つNi中の空孔(図9の57に相当)の拡散移動の活性化エネルギと拡散係数から、シミュレーションにより、熱処理温度と熱処理時間の関係を求めた。これより、400[℃]の熱処理温度では、1.8[秒間]の熱処理時間ですむことがわかった。この結果は、高周波加熱(HFH)で400[℃]の熱処理温度で1〜10秒程度の熱処理時間で、感度と中点の出力変化率−5[%]以上5[%]以下の使用範囲を満足した図13の結果とよい一致を示している。
また、図15より、150[℃]の熱処理温度では、20[時間]の熱処理時間で、感度と中点の出力変化率−5[%]以上5[%]以下の使用範囲を満足すると推察できる。同様に、300[℃]熱処理温度では、36[秒間](1×10−2 [時間])の熱処理時間で、感度と中点の出力変化率−5[%]以上5[%]以下の使用範囲を満足すると推察できる。
これらのことによれば、熱処理工程における熱処理温度と熱処理時間を、熱処理装置61に応じて設定することができる。例えば、熱処理温度を高温に設定できない低温用の恒温槽を熱処理装置61として用いるのであれば、その恒温槽の低温の熱処理温度に応じて熱処理時間を設定することができる。熱処理温度を高温に設定する焼入れ装置や焼きならし装置を熱処理装置61として用いるのであれば、高温の熱処理温度に応じて熱処理時間を設定することができる。このように、熱処理装置61の選択の自由度を向上させることができる。
また、図15に示す熱処理温度と熱処理時間の関係に基づいて、熱処理温度と熱処理時間とを設定する熱処理条件設定工程を、熱処理工程に先立って実施してもよい。熱処理条件設定工程では、熱処理温度に応じて、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bから水素を低減するのに必要な熱処理時間を設定することができる。逆に、熱処理時間に応じて、第1磁歪膜3aと第2磁歪膜3bから水素を低減するのに必要な熱処理温度を設定することができる。
以上のように、自動車でいうと400時間かかる一生分の経年変化を、短時間の熱処理工程により、加速させることができ、その後は、経年変化の変化率を抑制できる。このため、使用環境温度下でも、検出される操舵トルクの信号の大きさがシフトせず、同じ操舵力でハンドルを切れば、右回転させたときと、左回転させたときで、検出される操舵トルクの信号の大きさが等しくなる磁歪式トルクセンサを提供できる。