JP5912570B2 - 筆跡鑑定方法,筆跡鑑定装置及び筆跡鑑定プログラム - Google Patents

筆跡鑑定方法,筆跡鑑定装置及び筆跡鑑定プログラム Download PDF

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Description

本発明は、鑑定対象標本が特定人によって筆記されたものであるかどうかの筆者異同識別を行うための技術に関する。
一般に行われる筆跡鑑定は、二つの筆跡が同一人によって筆記されたものかどうかを鑑定する筆者の異同識別(筆者照合)と、筆跡の模倣や韜晦を含む筆跡の記載方法の識別に大別される。そして、前者の筆者異同識別については、従来,収集済みの筆跡標本から得られた基礎データ(即ち、筆跡個性[書き癖],恒常性,希少性,個人内変動[書きムラ]を含有する基礎データ)に基づいて、ほぼ確立されている検査体系に沿って運筆状態,字画形態,字画構成に関する各種の多面的な検査を適用することによって、なされている。従って、筆者異同識別は、筆記の早さや書き順などの動的情報を機械的に取り出すことが困難であるテキスト依存のオフライン型筆者照合の範疇に、分類される。法科学(科学捜査)分野における筆者異同識別は、かかるテキスト依存のオフライン型筆者照合の代表的応用分野の一つである。
そして、従来、筆者異同識別に関する上記問題の低減や筆者認識に関して、文字の切り出し・正規化などの前処理から、特徴選択・抽出、識別に至る全般にわたって、様々な研究が古くから継続されてきている(非特許文献1〜16)。
栗津勇作,上田勝彦著「筆跡鑑定支援システムの開発」電子情報通信学会総合大会論文集、2006年発行、p.75 大川学,丸山稔著「正規化によるオフライン筆者認識への影響分析」第6回情報科学技術フォーラム論文集、2007年発行、p.105〜106 鈴木通孝,渡辺秀人,伊藤章義著「一般的な四角形枠による2次元形状正規化」信学技法、2007年発行、p.117〜120 鈴木圭介,塩山忠義著「パターンマッチング法のための非線形正規化手法の検討」信学技法、1993年発行、p.1〜7 清田公保,櫻井敏彦,山本眞司著「ストローク代表点の相対的位置情報に基づく視覚障害者用オンライン文字認識」電子情報通信学会論文誌D-II, Vol. J80-D-II, No. 3、1997年発行、P.715〜723 小高和己,荒川弘熊,増田功著「ストロークの点近似による手書き文字のオンライン認識」電子通信学会論文誌,Vol. J63-D, No. 2、1980年発行、p.153〜160 田中敬子,安藤慎吾,中島真人著「局所的なストローク方向に着目したオフライン署名照合」信学技報、2003年発行、p.1〜6 梅田三千雄,三好建生,三崎揮市著「自己想起型ニューラルネットワークによる筆者識別と照合」電学論C,Vol. 122, No. 11、2002年発行、p.1869〜1875 福井隆文,梅田三千雄著「背景伝搬法による手書き漢字認識」信学技報,2008年発行、p.111〜116 澤田武志,大橋剛介,下平美文著「視覚の誘導場理論を用いたテキスト独立型筆者照合法」映像情報メディア学会誌,Vol. 56, No. 7、2002年発行、p.1124〜1126 安藤慎吾,中島真人著「オフライン署名照合における局所的な個人性特徴のアクティブ探索法」電子情報通信学会論文誌,Nol. J84-D-II, No. 7、2001年発行、p.1339〜1350 尾崎正弘,足達義則,石井直宏著「ファジィ理論を用いた筆者識別」電学論C, Vol. 120, No. 12、2000年発行、p.1933〜1939 吉村ミツ,吉村功著「DPマッチング法の逐次適用による日本字署名のオフライン照合法」電子情報通信学会論文誌, Vol. J81-D-II, No. 10、1998年発行、p.2259〜2266 吉田恵,相澤優秀,鮎川哲也,小林裕幸著「固有空間法の筆者識別への適用」日本鑑識科学技術学会誌,Vol. 9別冊、2004年発行、p.189 高澤則美著「筆跡鑑定」科学警察研究所報告法科学編,Vol. 51, No. 2、1998年発行、p.1〜111 山崎恭,近藤維資,小松尚久著「筆跡情報に重み付けを施した筆者照合方式」画像電子学会誌,Vol. 23, No. 5、1994年発行、p.438〜444
しかし、テキスト依存のオフライン型筆者照合においては、計測から識別までの鑑定作業全体を通して,コンピュータによる画像処理を用いた定量的検査手法は部分的な利用にとどまり、その殆どの作業は、鑑定人の学識・経験に基づいた定性的検査にとどまっている。その理由の一つとして、上述したように筆跡標本から得られた基礎データには、多少なりとも個人内変動,即ち書きムラの要素が含まれているので、同一人が筆記した文字の外形は異なるものとなっており、その為、単純なマッチングを行っただけでは、恒常性を有する筆跡個性,即ち書き癖の異同を判定することが困難であることが、挙げられる。そして、従来の研究では、この個人内変動を筆跡採取後に抑制するという発想はなく、それを通して異同識別精度を向上させるという試みはなされていなかった。
そこで、本発明は、筆者不明の鑑定対象筆跡と対照者(法科学においては被疑者,被告人,証人等)が自ら筆記したことが確実である参照用筆跡とを比較する際に、それぞれの筆跡に包含される個人内変動を抑制し、当該鑑定対象筆跡が当該対照者によって筆記されたものであるかどうかの筆者異同識別を精度良く行うことができる鑑定方法,このような筆跡鑑定方法に用いられる筆跡鑑定装置,コンピュータをかかる筆跡鑑定装置として機能させる筆跡鑑定プログラムの提供を、課題とする。
上記課題を解決するために、本発明による筆跡鑑定では、ある特定文字(「東」とか「京」などの文字種)について、筆者不明だが同一人が筆記した複数の筆跡と筆者が既知の複数の筆跡の夫々の筆跡に含まれる各特徴点の座標を抽出して、特徴点の座標のみから構成される複数の鑑定対象筆跡データおよび参照筆跡データを取得し、前記特定文字の各特徴点の標準的な座標を規定したデータである標準パターンデータを参照し、各特徴点についての前記各鑑定対象筆跡データと前記標準パターンとの座標の差が当該文字全体において最小となるように、前記各鑑定対象筆跡データを夫々正規化する処理を行とともに、前記各参照筆跡データに対して、夫々、各特徴点についての各参照筆跡データと前記標準パターンとの座標の差が当該文字全体において最小となるように、前記参照筆跡データを正規化する処理を行い、前記特定文字についての正規化された複数の前記鑑定対象筆跡データにおける各特徴点についての平均座標を算出するとともに、前記特定文字についての正規化された複数の前記参照筆跡データにおける各特徴点についての平均座標を算出し、各特徴点についての正規化された何れかの前記鑑定対象筆跡データ中の座標と前記平均座標との差が当該文字全体において最小となるように、正規化された前記鑑定対象筆跡データに対して射影変換処理を施すとともに、各特徴点についての正規化された何れかの複数の前記参照筆跡データ中の座標と前記平均座標との差が当該文字全体において最小となるように、正規化された前記参照筆跡データに対して射影変換処理を施し、前記射影変換処理が施された鑑定対象筆跡データ中の各特徴点の座標と前記射影変換処理が施された前記参照筆跡データ中の対応する特徴点の座標との差を当該文字についての特徴量とし、複数文字を鑑定に使用する場合は夫々について求めた特徴量の総計を新たに特徴量として算出し、その特徴量の大小に基づいて、鑑定対象筆跡の筆者と対照者との異同を判断する。
本発明によれば、鑑定対象筆跡を正規化した後に、書きムラによって発生する歪み除去のための射影変換処理を施すことにより個人内変動を抑制することができるので、筆者異同識別を精度良く行うことができる。
実施形態にかかる筆跡鑑定装置の構成を示すブロック図 筆跡サンプルを示す図 筆跡サンプルを示す図 特徴点の説明図 正規化処理の具体例を示す図 正規化処理の具体例を示す図 射影変換の概念を示す図 射影変換処理の具体例を示す図 射影変換処理の具体例を示す図 射影変換処理の具体例を示す図 射影変換による幾何変換RMS残差の変化を示す表 個人内変動分布と個人間変動分布を示すグラフ 被験者の年代別性別構成を示すグラフ 射影変換による個人内変動分布及び個人間変動分布の変化を示すグラフ 各文字毎の個人内変動抑制の効果を示す表 識別誤差を示すグラフ 文字数ごとの射影変換処理による平均識別精度を示すグラフ 4文字を用いた場合における個人内変動抑制の効果を示す表 2次等角変換の概念を示す図 疑似アフィン変換の概念を示す図 実施例及び比較例による平均識別精度を示すグラフ
以下、本発明を実施するための形態を実施形態として説明する。なお、本発明は、以下に説明する実施形態に限定されることはない。本発明は、以下に説明する実施形態を変形して実施することも可能である。
(システム構成)
最初に、汎用のコンピュータにプログラム(筆跡鑑定プログラム)を読み込ませて実行させることによって実現される筆跡鑑定装置のシステム構成を、図1に示す。
図1に示すように、この筆跡鑑定装置(コンピュータ)は、相互にバス(データバス,コマンドバス)Bを介して接続されたCPU10,RAM11,ディスプレイ12,キーボード13,ポインティングデバイス14,ストレージ15及びスキャナ16を備えている。このうち、キーボード13は、オペレータによる操作に応じてデータやコマンドをなすコード情報を発生してCPU10に入力する入力装置である。
ディスプレイ12は、CPU10による処理結果として出力された画面データに基づいて画面を表示する表示装置である。ポインティングデバイス14は、例えばマウスやタッチパネルであり、オペレータによる操作に応じて、ディスプレイ12上に表示されている画面内における特定位置を示す座標値(例えば、タッチパネルの場合),若しくは、画面内に表示されているカーソルの移動方向及び移動量を示す相対座標値を発生したり、これらの座標値によって特定された特定位置に対してクリック信号を発生して、これらをCPU10に入力する入力装置である。スキャナ16は、紙のような媒体上に記載された可視情報を読み取ってイメージデータに変換してCPU10に入力する入力装置である。
RAM11は、CPU10による作業領域が展開される主記憶装置である。CPU10は、RAM11上に読み込まれたプログラムを実行して、当該プログラム及び各入力装置13,14から入力された情報に応じた処理を実行する中央処理装置である。
ストレージ15は、各種プログラムや各種データを格納した外部記憶装置であり、例えば、ハードディスク,光ディスク,メモリなどから構成される。このストレージ15に格納された各種プログラムには、各ハードウェア12〜14,16のドライバを含むオペレーティングシステム(図示略)の他、アプリケーションプログラムとして、筆跡鑑定プログラム20が、含まれている。また、このストレージ15に格納された各種データには、鑑定可能な筆跡の言語を構成するあらゆる文字について予め作成された標準パターンデータ24,並びに、CPU10が筆跡鑑定プログラム20を実行することによって蓄積された鑑定対象筆跡データ21,参照筆跡データ22及び多数の被験者筆跡データ23が、含まれている。筆跡鑑定プログラム20は、CPU10に対して夫々独自の機能を発揮させる複数のプログラムモジュール(OCR部201,特徴点座標計測部202,幾何学的正規化部203,個人内変動抑制処理部204,幾何変換係数算出部205,筆者異同識別部207,識別パラメタ生成部208)から構成される。
OCR部201は、イメージデータに対してOCR(Optical Charactor Reader)処理を施して、処理対象イメージデータに含まれる文字を認識する。
特徴点座標計測部202(抽出部に相当)は、オペレータに対して、筆者は不明であるものの或る同一文字について同一人が筆記したことが事前に判明している複数の鑑定対象筆跡をスキャナ16を用いて読み込むことを促すメッセージを、ディスプレイ12上に表示し、これに応じてスキャナ16から出力されたイメージデータ(その例を図2、図3に示す)を夫々鑑定対象筆跡データ21としてストレージ15に格納するとともに、OCR部201に対して、各鑑定対象筆跡データ21に含まれる文字を認識させる。なお、特徴点座標計測部202は、キーボード13を用いて各鑑定対象筆跡が示す文字を入力することを促すメッセージをディスプレイ12上に表示し、これに応じてキーボード13から入力された文字に基づいて、各鑑定対象データ21に含まれる文字を認識してもよい(この場合には、OCR部201は省略可能である。)。
さらに、特徴点座標計測部202は、各鑑定対象筆跡データ21に基づいて各鑑定対象筆跡をディスプレイ12上に表示するとともに、ポインティグデバイス14を用いて各鑑定対象筆跡に含まれる文字の特徴点の位置を指定してクリック信号を入力する様オペレータに促すメッセージを、ディスプレイ12上に表示する。ここで、特徴点とは、図4に示すように、文字を構成する各字画の始筆部(図中○印にて示す),転折部(図中△印にて示す)及び終筆部(図中×印にて示す)をいう。なお、特徴点座標計測部202は、各文字の種類をOCR部201からの通知又はオペレータによる入力に基づいて認識しているので、その知見に基づき、各特徴点の位置を、画像処理によって動的に特定しても良い。
そして、特徴点座標計測部202は、このようにして抽出(指定,特定)された各文字の全特徴点の位置を、それらが含まれる鑑定対象筆跡データ201全体についてのローカル座標の座標値として、夫々計測する。特徴点座標計測部202は、このようにして、各鑑定対象筆跡に含まれる全特徴点の座標値のみから夫々構成される複数の鑑定対象筆跡データを取得する。そして、特徴点座標計測部202は、前記鑑定対象筆跡データを、OCR部から通知された文字の種類情報とともに、幾何学的正規化部203に通知する。
他方、特徴点座標計測部202は、オペレータに対して鑑定対象筆跡の主であると疑われている者(例えば、法科学における被疑者,被告人,証人等,以下、「対照者」という。)に鑑定対象筆跡と同じ文字を複数回筆記させて、筆記された複数のサンプルを夫々スキャナ16を用いて読み込むことを促すメッセージをディスプレイ12上に表示し、これに応じてスキャナ16から出力されたイメージデータを、参照筆跡データ22としてストレージ15に格納し、上述した鑑定対象筆跡データ21に対する処理と同様の処理を行って、各参照筆跡データ22に含まれる全特徴点の座標値を計測し、全特徴点の座標値のみから夫々構成される複数の参照筆跡データを取得し、文字の種類情報とともに幾何学的正規化部203に通知する。
幾何学的正規化部(正規化部に相当)203は、幾何変換係数算出部205と協働して、特徴点座標計測部202から通知された複数の鑑定対象筆跡データに対して、夫々、正規化処理を実行する。
即ち、幾何学的正規化部203は、各鑑定対象筆跡中の各文字について、特徴点座標計測部202から通知された文字種類に対応する標準パターンデータ24を読み込む。この標準パターンデータ24は、その文字についての標準的な大きさの標準的な書体のフォントデータに基づき、その特徴点の位置をローカル座標上で定義したデータである。そして、幾何学的正規化部20は、当該文字に含まれる全特徴点について、特徴点座標計測部202から通知された各特徴点の座標値(u,v)と標準パターンデータ中の各特徴点の座標値(u´,v´)とを幾何変換係数算出部205に渡すとともに、幾何変換の種類としてヘルマート変換を指定して、幾何変換式の変換係数の算出を依頼する。
この依頼を受けた幾何変換係数算出部205は、幾何学的正規化部203から渡された各特徴点の座標値(u,v)と標準パターンデータ中の各特徴点の座標値(u´,v´)とに基づいて、最小二乗法を用いてヘルマート変換式(式1)の各変換係数k〜kの特定の組み合わせ(即ち、これらを用いてヘルマート変換式を完成させ、当該文字についての鑑定対象筆跡データの各特徴点の座標値[u,v]に対して完成後のヘルマート変換式を夫々実行することによって得られた変換後の座標値[u´,v´]を夫々算出した場合には、算出された変換後の各座標値[u´,v´]と対応する標準パターンデータ中の座標値との間の位置ズレ量[幾何変換残差]の文字全体におけるRMS値[以下、「RMS残差」と称する]が最小となる変換係数k1〜k4の組み合わせ)を、算出する。
つまり、或る筆跡についての画像データ中に含まれる或る特徴点の座標を(u,v),その特徴点に対応する標準パターンの特徴点座標を(u´,v´)としたとき、ヘルマート変換を表す式(1)にこれらの値を代入して、k(i=1,2,3,4)を未知数とする2つの方程式を得る。このように、1つの特徴点あたり2つの式が得られるので,その文字にN個の特徴点が存在していたとすると,2N個の式が得られる。そこで、これら2N個の連立方程式を最小2乗法で解けば,ヘルマート変換の変換係数k (i=1,2,3,4)が求まり,これらを式(1)に代入すれば、当該文字について、鑑定対象筆跡データの画像座標系から標準パターンの画像座標系へのヘルマート変換式を決定することができるのである。
幾何変換係数算出部205は、このようにしてヘルマート変換の変換係数k(i=1,2,3,4)を算出すると、これを幾何学的正規化部203に応答する。
幾何学的正規化部203は、幾何変換係数算出部205から応答された各変換係数k(i=1,2,3,4)を式(1)に夫々代入することにより、当該文字に対するヘルマート変換式を完成させる。そして、幾何学的正規化部203は、当該文字について完成したヘルマート変換式に基づく演算を、特徴点座標計測部202から通知された当該文字の画像データに含まれる全特徴点の座標値(u,v)について実行することにより、正規化された全特徴点の座標値(u´,v´)からなるデータ(以下、「正規化データ」という)を算出する。
これにより、各筆跡ごとに、画像データに含まれる特徴点群の座標を、対応する標準パターン群に平均的に合わせこみ、これにより、その筆跡の形状を維持しつつ、鑑定対象筆跡データ21を移動,回転,拡大又は縮小する。その結果、その文字のローカル座標系における位置,大きさ及び向きを、一定に揃えることができるのである。
幾何学的正規化部203は、以上のようにして、複数の鑑定対象筆跡の夫々について、正規化データ(正規化された鑑定対象筆跡データ)を取得する。そして、幾何学的正規化部203は、このようにして得られた複数の正規化データを、個人内変換抑制処理部204に通知する。
なお,標準パターンデータ24は、どのようなものであってもよいが、筆跡を高解像度でディジタル化したときでも十分な解像度を保持する500×500画素のサイズの大きさをもったものとした。すなわち,ディジタル化された筆跡標本すべての特徴点座標は、正規化によりサイズ500×500画素の画像座標系に変換される。
図4に示すサンプルを標準パターンデータ24とした場合に、鑑定対象筆跡データ21中の文字「東」を正規化した様子を、概念的に、図5及び図6に示す。各図において、(a)は正規化前の文字を示し、(b)は正規化後の文字を示す。ただし、実際には、正規化処理は各特徴点の座標に対して実行されるのであって、ストレージ15上の鑑定対象筆跡データ21が描くイメージそのものが変換される訳ではない。そして、図5の例においては、正規化前の筆跡が標準パターンデータ24のものよりも小さいので、正規化によって拡大されている。また、図6の例においては、正規化前の文字が反時計方向に傾いているので、正規化によって時計方向に回転されている。
他方、幾何学的正規化部203は、特徴点座標計測部202から通知された各参照筆跡データに対しても、上述した正規化処理を実行する。そして、幾何学的正規化部203は、正規化処理によって得られた各参照筆跡データ22についての正規化データ(正規化された参照筆跡データ)も、個人内変動抑制処理部204に通知する。
個人内変動抑制処理部204(平均座標算出部,及び、幾何学変換部に相当)は、幾何学的正規化部203から通知された複数の正規化された鑑定対象筆跡データから任意の一つを選択し、その正規化された鑑定対象筆跡データに対して、幾何変換係数算出部205と協働して、個人内変動抑制処理を実行する。本実施形態においては、個人内変動抑制処理部204は、正規化された鑑定対象筆跡データについて、射影変換処理を実行する。射影変換処理は、3次元空間中において、ある平面上の点を、それとは別の平面に投影する変換であり、直線は直線に変換される。図7は、射影変換処理の概念を示す図であり、斜交いの付いた矩形の格子模様に対して、射影変換処理を実行した結果を示している。
具体的には、個人内変動抑制処理部204は、まず、鑑定対象筆跡に含まれる各特徴点について、幾何学的正規化部203から通知された正規化された鑑定対象筆跡データの平均を算出する。即ち、文字を構成する全て(N個)の全特徴点P(j=1,2,…, Np)について、夫々、下記式(2)に従い、正規化された各鑑定対象筆跡データデータに含まれる座標値の平均(u,v)を、算出する。
但し、式2において、Nsは平均を求める鑑定対象筆跡データの数であり、(u,v)は正規化画像座標系におけるPに対応する或る筆跡s(s=1,2,…, N)中の特徴点座標値である。
このようにして算出された平均座標値(u,v)を夫々有する特徴点群からなる筆跡形状は、筆者の筆跡の特徴を備えるとともに個人内変動を捨象した歪みのないものであると、みなすことができる。この平均座標値を夫々有する特徴点群から構成される仮想的な筆跡を、以下「平均筆跡」と称し、この平均筆跡を規定する特徴点座標データを、以下「平均筆跡データ」と称する。
次に、個人内変動抑制処理部204は、幾何学的正規化部203から通知された正規化された複数の鑑定対象筆跡データから任意の1つを鑑定対象データとして選択し、当該鑑定対象データに含まれる各特徴点の座標値(u,v)と平均筆跡データ中の平均座標値(u,v)とを幾何変換係数算出部205に渡すとともに、幾何変換の種類として射影変換を指定して、幾何変換式の変換係数の算出を依頼する。
この依頼を受けた幾何変換係数算出部205は、個人内変動抑制処理部204から渡された鑑定対象データ中の各特徴点の座標値(u,v)と平均筆跡データ中の各特徴点の平均座標値(u,v)とに基づいて、最小二乗法を用いて射影変換式(式3)の各変換係数k〜kの特定の組み合わせ(即ち、これらを用いて射影変換式を完成させ、当該文字についての正規化データの各特徴点の座標値[u,v]に対して完成後の射影変換式を夫々実行することによって得られた変換後の座標値[u´,v´]を夫々算出した場合には、算出された変換後の各座標値[u´,v´]と対応する平均座標値[u,v]との間の位置ズレ量[幾何変換残差]の文字全体におけるRMS残差が最小となる変換係数k〜kの組み合わせ)を算出する。
つまり、筆跡のある特徴点の座標を(u,v),その特徴点に対応する平均座標値を(u´=u,v´=v)としたとき,射影変換を表す式(3)にこれらの値を代入してkを未知数とする2つの方程式を得る。このように、1つの特徴点あたり2つの式が得られるので,その文字にN個の特徴点が存在していたとすると,2N個の式が得られる。但し、式(3)では、未知数である幾何変換係数kの数は8であるので4点以上の特徴点が必要である。そのため2画以上の文字に対象筆跡が制限されることになる。そして、これら2N個の連立方程式を最小2乗法で解けば,射影変換の変換係数k (i=1,2,3,4,5,6,7,8)が求まり,これらを式(3)に代入すれば、当該文字について、正規化データの筆跡上の特徴を維持したまま幾何学的歪みのみを捨象するための幾何変換式を、決定することができるのである。
幾何変換係数算出部205は、このようにして射影変換の変換係数k(i=1,2,3,4,5,6,7,8)を算出すると、これを個人内変動抑制処理部204に応答する。
個人内変動抑制処理部204は、幾何変換係数算出部205から応答された各変換係数k(i=1,2,3,4,5,6,7,8)を式(3)に夫々代入することにより、当該文字に対する射影変換式を完成させる。そして、個人内変動抑制処理部204は、当該文字について完成した射影変換式に基づく演算を、幾何学的正規化部203から通知された当該文字の全特徴点の座標値(u,v)について実行することにより、射影変換された全特徴点の座標値(u´,v´)からなるデータ(以下、「個人内変動抑制済鑑定対象データ[射影変換された鑑定対象筆跡データに相当]」という)を算出する。なお,射影変換は式(3)に示したように有理式で表されるので、分母がたまたま0に近くなるような場合,得られる(u´,v´)が不安定になる。この問題を低減するために本実施形態では経験的な知見から、完成した幾何変換係数を用いて座標変換を行う際に、分母の(u,v)を(u,v)に置き換える。
これにより、正規化データに含まれる特徴点群を、対応する平均座標(u,v)群に平均的に合わせこみ、これにより、その筆跡個性を維持しつつ、正規化データが示す筆跡形状から幾何学的歪みを捨象する。その結果、個人内変動が抑制されるのである。
図8乃至図10は、鑑定対象筆跡データ21中の筆跡「京」についての正規化データに対して、個人内変動抑制処理を施した様子を、概念的に示すものであり、各図において、(a)は正規化後の筆跡を示し、(b)は個人内変動抑制処理後の筆跡を示す。ただし、実際には、個人内変動抑制処理は各特徴点の座標に対して実行されるのであって、鑑定対象筆跡データ21が描くイメージそのものが変換される訳ではない。そして、図8に示す例では、射影変換前後で横幅が少し小さくなっている程度で大きな幾何学的変形はなされていないことから、鑑定対象筆跡はその筆者にとって多少横長には筆記されているが概ね平均的な特徴点パターンであったことがわかる。これに対して、図9の例では、図8(a)と図9(a)とを比べるとわかるように、縦長に筆記されており、かつ右払いが短く、文字の下側で横幅が特に小さい。このため、射影変換後は全体的には横方向に引き伸ばされ、特に右下方向にやや拡大された画像となっている。図10の例では、図8(a)と図10(a)とを比べるとわかるように、逆に横長に筆記されており、かつ文字の下半分が上半分とくらべ小さく筆記されている。このため、射影変換後は全体的には縦に伸ばされ、かつ右下方向に拡大された画像となっている。結果として、射影変換後の筆跡の個人内変動は射影変換前の画像より低減されているのがわかる。
射影変換によって個人内変動がどの程度抑制されたかを示すために、図8乃至図10の三つの筆跡の相互間において、射影変換前後の幾何変換RMS残差を算出し、それがどの程度変化したかを図11に挙げた。図11に示すように、三つの筆跡のどの組み合わせについても、射影変換を施すことによって、幾何変換RMS残差が半減することが確認できた。即ち、射影変換によって、個人内変動に基づく幾何学的歪みが捨象され、個人内変動が抑制されることがわかる。
個人内変動制御処理部204は、このようにして得られた個人内変動抑制済鑑定対象データを、筆者異同識別部207に通知する。
他方、個人内変動制御処理部204は、幾何学的正規化部203から通知された正規化された参照筆跡データから任意の一つを「参照データ」として選択し、上述した個人内変動抑制処理を実行する。この場合、幾何変換係数算出部205に渡すべき各特徴点についての座標値は、参照筆跡データ中の座標値(u,v)と平均筆跡データ中の平均座標値(u,v)である。そして、個人内変動抑制処理部204は、個人内抑制処理によって得られた参照筆跡データについての変換済みデータ(以下、「個人内変動抑制済参照筆跡データ[射影変換された参照筆跡データに相当]」という)も、筆者異同識別部207に通知する。
筆者異同識別部207(特徴量算出部及び識別部に相当)は、個人内変動抑制処理部204から通知されてくる鑑定対象筆跡の個人内変動抑制済鑑定対象データの各特徴点座標値(u,v)と、これに対応して個人内変動抑制処理部204から通知された個人内変動抑制済参照筆跡データの各特徴点座標(u’,v’)とを比較して、幾何変換係数算出部205と協働して、筆者異同識別処理を実行する。具体的には、筆者異同識別部207は、個人内変動抑制処理部204から通知されてくる個人内変動抑制済鑑定対象データの座標値(u,v)と個人内変動抑制済参照筆跡データの座標値(u´,v´)とを幾何変換係数算出部205に渡すとともに、幾何変換の種類としてヘルマート変換を指定して、幾何変換式の変換係数の算出を依頼する。
この依頼を受けた幾何変換係数算出部205は、筆者異同識別部207から渡された個人内変動抑制済鑑定対象データの各特徴点の座標値(u,v)と個人内変動抑制済参照筆跡データ中の各特徴点の座標値(u´,v´)とに基づいて、最小二乗法を用いてヘルマート変換式(式1)の各変換係数k〜kの特定の組み合わせ(即ち、これらを用いてヘルマート変換式を完成させ、当該文字についての個人内変動抑制済鑑定対象データの各特徴点の座標値[u,v]に対して完成後のヘルマート変換式を夫々実行することによって得られた変換後の座標値[u´,v´]を夫々算出した場合には、算出された変換後の各座標値[u´,v´]と対応する個人内変動抑制済参照筆跡データ中の座標値との間の位置ズレ量[幾何変換残差]の文字全体におけるRMS値[以下、「RMS残差」と称する]が最小となる変換係数k〜kの組み合わせ)を、算出する。
幾何変換係数算出部205は、このようにしてヘルマート変換の変換係数k(i=1,2,3,4)を決定すると、当該変換係数k(i=1,2,3,4)の決定過程において算出されていた、当該変換係数k(i=1,2,3,4)を代入したヘルマート変換式を実行することによって得られた変換後の個人内変動抑制済鑑定対象データと個人内変動抑制済参照筆跡データとのRMS残差を、筆者異同識別部207に応答する。
筆者異同識別部207は、幾何変換係数算出部205から応答されたRMS残差を、当該文字iについての特徴量xとする。
そして、筆者異同識別部207は,鑑定対象とする文字が複数ある場合、上述した処理を同様に行って、各文字i(i=1,2,…,n)について算出した特徴量xの総和を、下記式(4)に基づいて算出する。
ただし、nは鑑定対象とした文字数であり、x (i=1,2,…,n)は、i番目の文字について算出された幾何変換RMS残差である。このようにして算出されたxが、鑑定対象筆跡の筆者と対照者との異同の判定に用いられる特徴量である。
筆者異同識別部207は、上記の如く算出した特徴量xに基づき、鑑定対象筆跡の筆者と対照者との異同の判定を行う。判定の手法としては、本実施形態においては、筆者異同識別部207は、最大尤度法による判定を行う。以下その原理の説明を行う。
いま、正規化後のある2つの筆跡間の位置ズレ量(幾何変換RMS残差)を横軸に、その特徴量を持つ筆跡対の出現頻度を縦軸にして、数多くの筆跡対についての頻度分布を調べると、図12に示すような分布が得られる。同一筆者の筆跡対の間では、字形の違いが小さくなることが予想されるところ、その予想どおりに、特徴量は原点寄りに分布する。同一筆者の筆跡の特徴量が0にならず、ある程度の大きさで広がっているのは、複数の筆跡が全く同じ字形ではなく、筆記するたびに少しづつ異なった字形で筆記されていることを意味する。いわゆる書きむらである。一般に筆跡個性の恒常性が完全ではないことを個人内変動というが、特徴空間でみたそれを個人内変動分布とよぶ。一方、異なる筆者の筆跡対の場合は字形が異なっている可能性が高いことから、個人内変動分布より右側の原点から離れる方向寄りに分布する。この分布を個人間変動分布とよぶ。
そして、鑑定対象筆跡の筆者と対照者との筆者異同識別は、ある未知標本(筆跡標本対)の特徴量が図12に示したような個人内変動分布又は個人間変動分布の何れかに所属すべきか、即ち、筆者が同一人というカテゴリー又は筆者が異なるというカテゴリーの何れかに所属すべきかを決定することで、行うことができる。従来の研究では、筆跡対の類似度あるいは相違度を評価するという視点で異同識別がなされていることが多いが、本実施形態では、個人内変動と個人間変動という2つの母集団(カテゴリー)を考え、どちらの母集団から生起した筆跡標本対であるのかを判定することで異同識別を行う。即ち、多くの分野で使用実績が豊富で、その挙動も明確かつパラメータも少ないという意味で、適用も容易な統計的識別法の1つである最大尤度法(最尤法ともよばれる)を採用したのである。
最大尤度法では、よく知られているように、母集団の確率密度が正規分布で表されると仮定し、カテゴリーcに対する特徴量xの尤度p(x|c)が最大となるcにxを所属すると決定する。本実施形態では、特徴量xはスカラーである(特徴空間が1次元である)ので、母集団の平均と分散をそれぞれm,vとするとp(x|c)は式(5)で表される。
ここで、m,vはサンプルから得られる標本平均と標本分散である。逆にいうと、この方法を採用するということは、標本平均及び標本分散を得るために、ある程度の数の筆跡標本対が、或る1つの筆跡対を識別する前に必要であることを意味する。
その為、本実施形態においては、筆者が既知の収集済み筆跡(被験者筆跡とよぶ)について、上述した特徴点座標計測部202、幾何学的正規化部203、個人内変動抑制処理部204及び幾何変換係数算出部205と同様の処理を施し、それを被験者筆跡データ23としてストレージ15に保持しておく。また、新たに参照筆跡データ22(筆者が既知である)が得られた場合は、個人内変動抑制処理済みの参照筆跡データを逐次被験者筆跡データ23に追加する。
識別パラメータ生成部208は、被験者筆跡データ23から同一人が筆記した筆跡対と異なる筆者による筆跡対のすべての組合せについて特徴量xを導出し、同一人による筆跡対グループと異なる筆者による筆跡対グループ夫々について特徴量xの標本平均m及び標本分散vを算出する。そして、識別パラメータ生成部208は、算出した標本平均m及び標本分散vを筆者異同識別部207に通知する。
なお、このようにして算出される標本平均mと標本分散vとは、文字数及び処理の方法が同一であれば定数とみることが可能である。そこで、識別パラメータ生成部208は、標本平均m及び標本分散vを固定的に持つものであってもよい。さらに、このようにして各カテゴリーcごとの標本平均m及び標本分散vが確定しておれば、任意の特徴量xが個人間変動のグループに分類されるべきであるのか個人内変動グループに分類されるべきであるかの識別境界(図16参照)の値Lは、一義的に定まる。識別パラメタ生成部208は、このようにして決定した識別境界の値Lを、筆者異同識別部207に与えるものであっても良い。
筆者異同識別部207は、幾何変換係数算出部205より通知された鑑定対象筆跡と参照筆跡との間の特徴量x、および識別パラメタ生成部208から通知された同一人の筆跡対のグループ(カテゴリーC1とする)の標本平均mc1及び標本分散vc1と異なる筆者の筆跡対のグループ(カテゴリーC2とする)の標本平均mc2及び標本分散vc2を式(5)にそれぞれ代入して尤度P(x|c1)と尤度P(x|c2)を算出する。そして、尤度P(x|c1)の方が尤度P(x|c2)より大きければ鑑定対象筆跡の筆者が被疑者と同一人であると判定し、尤度P(x|c1)の方が尤度P(x|c2)より小さければ鑑定対象筆跡の筆者が対照者とは異なると判定する。あるいは、上述したように算出した特徴量xを識別パラメタ生成部208から通知された識別境界の値Lと比較し、前者が後者よりも小さな値であれば、鑑定対象筆跡の筆者が対照者と同一人であると判定し、前者が後者よりも大きな値であれば、鑑定対象筆跡の筆者が対照者とは異なると判定する。そして、筆者異同識別部207は、判定結果を、ディスプレイ12上に表示する。
本実施形態に適用された筆跡鑑定(筆者異同識別)法によりどの程度の識別精度が得られるのか、また、筆跡個性を低下させずに個人内変動を抑制するような幾何変換が存在するのかを明らかにするため、識別実験を行った。
即ち、被験者320人に、線など何も書かれていない白紙のA4コピー用紙1枚あたり文字列「東京都渋谷区」を横1行で筆記してもらい、これを5回反復して被験者1人あたり5枚の筆記済みA4コピー用紙を収集した。筆記に際しては、できるだけ自然に筆記された筆跡を収集することを念頭に、横書きすること以外は格別、字体を例えば楷書体にしなければならないといった筆記の仕方についての制約は特に課さず、「使いなれている筆記具で、また書き慣れている字体、大きさ、スピードでA4コピー用紙の中央付近に、特に緊張せずにいつものように筆記してください」という指示を、被験者に伝えた。
次に、収集した筆記済みA4コピー用紙の筆記されている領域を解像度600dpi,量子化レベル数256階調でフラットベッドスキャナを使用してディジタル化した。したがって、筆跡標本は漢字「東京都渋谷区」の6文字であり、文字あたり1,600標本である。このとき生成可能な個人内標本対の数は3200対,個人間標本対の数は1276000対となる。なお、個人内標本対の数をN,個人間標本対の数をNとすると、これらは式(6)及び式(7)で与えられる。ただし、Nは筆者数(=320),Nは筆者あたりの筆跡数(=5)である。
実験対象サンプルとしては、ノイズや濃淡むらがほとんどな無く、紙のしわや凹凸など平面性も良好で、画質の高いサンプルである。ただ、本実施形態に適用された鑑定方法では、人手で安定的に採取可能な特徴点の座標を識別に使用するため、この実験に使用したサンプルの画質の良さが過度に識別性能を向上させる恐れは大きくないのではないかと思われる。なお、被験者の性別構成および年齢構成を図13に示す。性別構成についてはあまり大きな偏りはないが、年齢構成については20代の被験者が43%と多くを占めている。
図14に文字「東」について、射影処理をしなかった場合と射影処理をした場合の個人内変動分布及び個人間変動分布を示す。この図を見ると、射影処理を行うと、個人内変動分布の重心(平均)が左側(幾何変換RMS残差が小さくなる方向)に移動するとともに、拡がり(分散)が大幅に小さくなっている。一方、個人間変動も左側に移動しているものの、その移動量は個人内変動分布より小幅であり、分布の広がりはほとんど変化していない。その結果として、個人内変動分布と個人間変動分布の分離度が向上しているのがわかる。これは、射影変換が筆跡個性を大きく損なうようには働いていないことを意味している。結果として、射影変換処理を行わなかった場合、個人内変動分布及び個人間変動分布は相互にややオーバーラップしているが、射影変換を施すと、ほとんどオーバーラップが見られなくなり、よって、二つの分布の分離度が向上していることがわかる。
これを確認するために、“東京都渋谷区”の6文字それぞれについて、個人内変動と個人間変動の2つの分布間の距離を計測した結果を図15に示す。距離としては、個人内変動分布からみた個人間変動分布の重心位置までのマハラノビス距離dM1と、個人間変動分布からみた個人内変動分布の重心位置までのマハラノビス距離dM2,およびバタチャリヤ距離dの3種類の距離を求めた。dM1とdM2はそれぞれ個人内変動分布と個人間変動分布の標準偏差で互いの重心位置間のユークリッド距離を正規化したものを表し、dは2つの分布の分離度を表す。なお、これらの距離は、個人内変動分布の平均と分散をそれぞれμ,v,個人間変動分布のそれらをそれぞれμ,vとすると、式(8)乃至式(10)により与えられる。
図15から、いずれの文字種でも、個人内変動分布の平均と分散が小さくなったために、個人内変動の抑制処理を行うことによりdM1が2〜3倍程度大きくなっている一方で、dM2も数割大きくなっていることから、抑制処理は個人間変動に悪影響を与えていないことがわかる。また、その結果、2つの分布の分離度を表すdも2〜3倍程度大きくなっていることが確認できる。
識別誤差は,一般にFMR(false match rate:他人受け入れ率)とFNMR(false non−match rate:本人拒否率),及び、平均識別誤差によって、表される(図16参照)。ここで、FNMRは、同一人の筆跡対であるにも拘わらず異なる筆者の筆跡であると判定した誤識別率であり、同一筆者の筆跡対の総数に対する誤識別した筆跡対の割合で与えられる。FMRは、異なる筆者による筆跡であるにも拘わらず同一筆者によるものであると判定した誤識別率であり、異なる筆者の筆跡対の総数に対する誤識別した筆跡対の割合で与えられる。FMRとFNMRの平均を平均識別誤差とよび、平均識別誤差を1から引いたものを平均識別精度とよぶ。
射影変換処理をしなかった場合と射影変換処理を施した場合に夫々得られた平均識別精度の平均を図17のグラフに示す。図17において、横軸は、識別に使用した文字の数である。一文字の場合は、「東京都渋谷区」の6文字中のいずれか1文字を識別に使用したときに得られた平均識別精度を、6文字について平均した値で示している。複数文字の場合、例えば2文字を識別に使用した場合は、6文字中2文字の組み合わせは「東」と「京」、「東」と「都」など15種類あるが、それら15種類に対する平均識別精度の平均値を示している。図17に示すように、識別に1文字を使用したとき8%程度、2〜6文字を使用したとき、それぞれ6%,4%,3%,3%,2%程度の精度向上がみられ、平均識別精度の平均は、4文字以上を使用したときに99.9%を超えている。99.9%という精度は、従来の法科学分野の鑑定において最高レベルの目安とされている値であり、姓名でよく使用される4文字で、それを達成できることがわかる。ちなみに、射影変換処理をしなかった場合の平均識別精度の平均は、4文字のとき96.7%であり、これは従来の鑑定においては最低レベルの目安とされている値にとどまるものである。
図18は、「東京都渋」の4文字を識別に使用した場合について、個人内変動と個人間変動の二つの分布間の距離(dM1,dM2,d)を求めた。図18から、個人内変動分布の平均と分散が小さくなったために、dM1,dM2は、射影変換前後でそれぞれ2.5倍、1.3倍大きくなっており、その結果、dが2.3倍大きくなっていることが確認できる。この二つの分布の分離度の向上が、異同識別精度が向上した直接の理由である。
比較例
本実施形態では、個人内変動抑制処理部204において実行される個人内変動抑制処理として射影変換処理を用いたが、その優位性を示すために、個人内変換抑制処理部204が他の幾何学変換処理(歪みを捨象するための変換処理)を用いた場合に得られる平均識別精度を、以下に算出する。
(比較例1)
比較例1は、個人内変動抑制処理として2次等角変換処理を用いる例である。2次等角変換とは、変換前の座標(u,v)に対して下記式(11)に示す演算を実行することで、直線が2次曲線に変換されるが、微小部分では2つの線分がなす角(交角)が保存される幾何学変換である。
なお、式(11)において、(u´,v´)は変換後の座標値である。また、k(i=1〜6)は変換係数であり、上述した射影変換の場合と同様に、全特徴点につき(u,v)及び(u´,v´)の具体値を式(11)に代入して得られた連立方程式を、最小二乗法で解くことにより、求められる。図19は、2次等角変換処理の概念を示す図であり、斜交いの付いた矩形の格子模様に対して、射影変換処理を実行した結果を示している。
(比較例2)
比較例2は、個人内変動抑制処理としてアフィン変換処理を用いる例である。アフィン変換とは、変換前の座標(u,v)に対して下記式(12)に示す演算を実行することで、拡大・縮小,回転,せん断等を表す一次変換(線形変換)に平行移動を組み合わせた幾何学変換である。
なお、式(12)において、(u´,v´)は変換後の座標値である。また、k(i=1〜6)は変換係数であり、上述した射影変換の場合と同様に、全特徴点につき(u,v)及び(u´,v´)の具体値を式(12)に代入して得られた連立方程式を、最小二乗法で解くことにより、求められる。
(比較例3)
比較例3は、個人内変動抑制処理として疑似アフィン変換処理を用いる例である。疑似アフィン変換とは、上記アフィン変換の式(12)に交差項uvを追加してなる式(13)に示す演算を変換前の座標(u,v)に対して実行することで、座標軸に平行な直線は直線に変換されるが、そうでない直線は二次曲線に変換される幾何学変換である。
なお、式(13)において、(u´,v´)は変換後の座標値である。また、k(i=1〜8)は変換係数であり、上述した射影変換の場合と同様に、全特徴点につき(u,v)及び(u´,v´)の具体値を式(13)に代入して得られた連立方程式を、最小二乗法で解くことにより、求められる。図20は、疑似アフィン変換処理の概念を示す図であり、斜交いの付いた矩形の格子模様に対して、射影変換処理を実行した結果を示している。
(比較例4)
比較例4は、個人内変動抑制処理として2次多項式による変換処理を用いる例である。この変換は、変換前の座標(u,v)に対して下記式(14)に示す演算を実行することで、直線を2次曲線に変換する幾何学変換である。
なお、式(14)において、(u´,v´)は変換後の座標値である。また、k(i=1〜12)は変換係数であり、上述した射影変換の場合と同様に、全特徴点につき(u,v)及び(u´,v´)の具体値を式(14)に代入して得られた連立方程式を、最小二乗法で解くことにより、求められる。
(比較例5)
比較例5は、個人内変動抑制処理とし3次多項式による変換処理を用いる例である。この変換は、変換前の座標(u,v)に対して下記式(15)に示す演算を実行することで、直線を3次曲線に変換する幾何学変換である。
なお、式(15)において、(u´,v´)は変換後の座標値である。また、k(i=1〜20)は変換係数であり、上述した射影変換の場合と同様に、全特徴点につき(u,v)及び(u´,v´)の具体値を式(15)に代入して得られた連立方程式を、最小二乗法で解くことにより、求められる。
(比較)
上述した実施例1の場合に得られた標本に基づいて、上述した比較例1〜比較例5の幾何変換を用いて、平均識別精度の平均を夫々算出した。図21は、上記実施例1による射影変換処理を用いた場合、比較例1による2次等角変換処理を用いた場合、比較例2によるアフィン変換処理を用いた場合、比較例3による疑似アフィン変換を用いた場合、比較例4による2次多項式による変換を用いた場合、比較例5による3次多項式による変換を用いた場合及び幾何学変換処理をしなかった場合の夫々につき、図17と同様に、1乃至6個の文字を用いて算出した平均識別精度の平均を列挙した棒グラフである。図17における奥行方向が、識別に使用した文字の数を示し、高さ方向が平均識別精度の値を示す。
なお、3次多項式の幾何変換係数の幾何変換係数の数は20であるので、幾何変換係数を決定するには最低10個の特徴点が必要である。しかし、実験対象文字の「区」は、計4 画であり、転折部を含めて計9 点しか特徴点が存在しない。このため「区」に対しては、3次多項式を適用することができず、「区」の一文字および「区」を含む複数文字(例えば「東」と「区」の2 文字の組合せ時)の識別を行うことはできない。従って、「区」を含む場合の平均識別精度は平均値には含まれていない。図17より、識別に使用する文字数に拘わらず、射影変換を施した場合、最も高い平均識別精度(の平均)が得られているのがわかる。3文字以上を識別に使用した場合、射影変換についで高い性能を示したのは2次多項式であるのに、3次多項式の方が低い精度となっていることから、単に自由度が高ければよいというわけでないことがわかる。この傾向は、uとvの交差項がある疑似アフィン変換や2次の項が存在する2次等角変換と基本的には線形な変換がなされるアフィン変換との間で大差がないことからもわかる。これより、筆跡の個人内変動は、幾何学的にむやみに歪むのではなく、射影歪みを伴うような変動であることが類推できる。
(実施形態の利点)
以上に説明したように、筆者異同識別は、筆跡個性とその恒常性の存在を前提になされる。ところが、実際には、個人内変動とよばれるいわゆる書きむらがあり、その恒常性は高いとは言えない。そこで、本発明者は、個人内変動を抑制する幾何変換モデルについて検討し、その結果、検討した2次等角変換,アフィン変換,疑似アフィン変換,射影変換, 2次多項式,3次多項式の6種類のうち、射影変換が最適であり、それによって筆者異同識別精度は、4文字を識別に使用したときに99.9%以上と実用レベルにまで向上することが明らかになった。
さらに、字形に関する個人内変動は、射影歪みでその多くを説明できること、それ故、射影変換による個人内変動の抑制処理は、筆跡個性の低下という副作用をほとんど与えず、個人内変動分布と個人間変動分布の2つの分布の分離度を向上させることを通して、筆者異同識別精度の向上に寄与していることも確認した。
上記実施例において実験対象とした筆跡標本は、楷書体で筆記してもらうとか記入用の文字枠を設けるなどの制約は設けておらず、白紙に自由筆記されたものであることから、法科学分野で実際に扱うことが多い筆跡とは、大きくは違っていないと考えられる。
1 筆跡鑑定装置
10 CPU
11 RAM
12 ディスプレイ
14 ポインティングデバイス
16 スキャナ
15 ストレージ
20 筆跡鑑定プログラム
21 鑑定対象筆跡データ
22 参照筆跡データ
24 標準パターンデータ
202 特徴点座標計測部
203 幾何学的正規化部
204 個人内変動抑制処理部
205 特徴点平均座標算出部
206 幾何変換残差算出部
207 筆者異同識別部

Claims (4)

  1. 鑑定対象筆跡の筆者と対照者との異同を判断する筆跡鑑定装置であって、
    或る特定の文字について、筆者は不明であるが同一人が筆記した複数の鑑定対象筆跡の夫々に含まれる各特徴点の座標を抽出して、特徴点の座標のみから構成される複数の鑑定対象筆跡データを取得するとともに、対照者による前記特定文字についての複数の筆跡に対して、夫々、前記特定文字の各特徴点の座標を抽出して、特徴点の座標のみから構成される参照筆跡データを取得する抽出部と、
    前記特定文字の各特徴点の標準的な座標を規定したデータである標準パターンデータを参照し、各特徴点についての前記各鑑定対象筆跡データと前記標準パターンとの座標の差が当該文字全体において最小となるように、前記各鑑定対象筆跡データ夫々を正規化するとともに、前記各参照筆跡データに対して、夫々、各特徴点についての各参照筆跡データと前記標準パターンとの座標の差が当該文字全体において最小となるように、前記各参照筆跡データを正規化する処理を行う正規化部と、
    前記特定文字についての正規化された複数の前記鑑定対象筆跡データにおける各特徴点についての平均座標を算出するとともに、前記特定文字についての正規化された複数の前記参照筆跡データにおける各特徴点についての平均座標を算出する平均座標算出部と、
    各特徴点についての正規化された何れかの前記鑑定対象筆跡データ中の座標とそれらの前記平均座標との差が当該文字全体において最小となるように、正規化された前記鑑定対象筆跡データに対して射影変換処理を施すとともに、各特徴点についての正規化された何れかの前記参照筆跡データ中の座標とそれらの前記平均座標との差が当該文字全体において最小となるように、正規化された前記参照筆跡データに対して射影変換処理を施す幾何学変換部と、
    前記射影変換処理が施された鑑定対象筆跡データ中の各特徴点の座標と前記射影変換処理が施された前記参照筆跡データ中の対応する特徴点の座標との差の当該文字全体についての総計を特徴量として算出する特徴量算出部と、
    前記特徴量の大小に基づいて、鑑定対象筆跡の筆者と対照者との異同を判断する識別部と
    を備えることを特徴とする筆跡鑑定装置。
  2. 前記特徴量算出部は、前記射影変換処理が施された2つの筆跡(鑑定対象筆跡と被疑者筆跡)中の各特徴点の座標の差の当該文字全体についての二乗平均平方根を前記特徴量として算出する
    ことを特徴とする請求項記載の筆跡鑑定装置。
  3. 鑑定対象筆跡の筆者と対照者との異同を判断する筆跡鑑定方法であって、
    或る特定文字について、筆者は不明であるが同一人が筆記した複数の鑑定対象筆跡の夫々に含まれる各特徴点の座標を抽出して、特徴点の座標のみから構成される複数の鑑定対象筆跡データを取得するとともに、対照者による前記特定文字についての複数の筆跡に対して、夫々、前記特定文字の各特徴点の座標を抽出して、特徴点の座標のみから構成される参照筆跡データを取得し、
    前記特定文字の各特徴点の標準的な座標を規定したデータである標準パターンデータを参照し、各特徴点についての前記鑑定対象筆跡データと前記標準パターンとの座標の差が当該文字全体において最小となるように、前記各鑑定対象筆跡データの夫々を正規化するとともに、前記各参照筆跡データに対して、夫々、各特徴点についての各参照筆跡データと前記標準パターンとの座標の差が当該文字全体において最小となるように、前記各参照筆跡データを正規化する処理を行い、
    前記特定文字についての正規化された複数の鑑定対象筆跡データにおける各特徴点についての平均座標を算出するとともに、前記特定文字についての正規化された複数の前記参照筆跡データにおける各特徴点についての平均座標を夫々算出し、
    各特徴点についての正規化された何れかの前記鑑定対象筆跡データ中の座標とその前記平均座標との差が当該文字全体において最小となるように、正規化された前記鑑定対象筆跡データに対して射影変換処理を施すとともに、各特徴点についての正規化された何れかの前記参照筆跡データ中の座標とその前記平均座標との差が当該文字全体において最小となるように、正規化された前記参照筆跡データに対して射影変換処理を施し、
    前記射影変換処理が施された鑑定対象筆跡データ中の各特徴点の座標と前記射影変換処理が施された前記参照筆跡データ中の対応する特徴点の座標との差の当該文字全体についての総計を特徴量として算出し、
    前記特徴量の大小に基づいて、鑑定対象筆跡の筆者と対照者との異同を判断する
    ことを特徴とする筆跡鑑定方法。
  4. コンピュータに読み込まれ、当該コンピュータを
    或る特定文字について、筆者は不明であるが同一人が筆記した複数の鑑定対象筆跡の夫々に含まれる各特徴点の座標を抽出して、特徴点の座標のみから構成される複数の鑑定対象筆跡データを取得するとともに、対照者による前記特定文字についての複数の筆跡に対して、夫々、前記特定文字の各特徴点の座標を抽出して、特徴点の座標のみから構成される参照筆跡データを取得する抽出部,
    前記特定文字の各特徴点の標準的な座標を規定したデータである標準パターンデータを参照し、各特徴点についての前記各鑑定対象筆跡データと前記標準パターンとの座標の差が当該文字全体において最小となるように、前記各鑑定対象筆跡データの夫々を正規化するとともに、前記各参照筆跡データに対して、夫々、各特徴点についての参照筆跡データと前記標準パターンとの座標の差が当該文字全体において最小となるように、前記各参照筆跡データを正規化する処理を行う正規化部,
    前記特定文字についての正規化された複数の前記鑑定対象筆跡データにおける各特徴点についての平均座標を算出するとともに、前記特定文字についての正規化された複数の前記参照筆跡データにおける各特徴点についての平均座標を夫々算出する平均座標算出部,
    各特徴点についての正規化された何れかの前記鑑定対象筆跡データ中の座標とその前記平均座標との差が当該文字全体において最小となるように、正規化された前記鑑定対象筆跡データに対して射影変換処理を施すとともに、各特徴点についての正規化された何れかの前記参照筆跡データ中の座標とその前記平均座標との差が当該文字全体において最小となるように、正規化された前記参照筆跡データに対して射影変換処理を施す幾何学変換部,
    前記射影変換処理が施された鑑定対象筆跡データ中の各特徴点の座標と前記射影変換処理が施された前記参照筆跡データ中の対応する特徴点の座標との差の当該文字全体についての総計を特徴量として算出する特徴量算出部,及び、
    前記特徴量の大小に基づいて、鑑定対象筆跡の筆者と対照者との異同を判断する識別部として機能させる筆跡鑑定プログラム。
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