上記電子源を設置する技術では、構造が複雑になると共に、磁極間空間は通常は非常に狭いために、電子源を設置するのは非常に難しい。しかも、電子源を設置すると、そのぶんイオンビームの通過可能面積が減少するので、電子源にイオンビームが衝突しやすくなり、それによってイオンビームの輸送効率を低下させる。
また、イオンビーム付近の電子は、イオンビーム自身が作る電場Eと偏向電磁石が作る磁場BとによるE×B(イー・クロス・ビー)ドリフトのためにすぐに磁極間空間の外部に流出して消失してしまうので、E×Bドリフトを抑制しない限り、たとえ電子源から電子を磁極間空間に供給したり、イオンビームライン中の電子の閉じ込めをカスプ磁場によって改善しようとしても、イオンビームの空間電荷を中和する効果はあまり期待できない。
それを以下に詳述する。まずE×Bドリフトについて説明する。
磁場Bがある場合、図2に示すように、電子38は磁場Bに巻き付くようにサイクロトロン運動をする。48はその旋回中心である。
更に上記磁場Bと直交する方向に電場Eが加わると、図3に示すように、E×Bの外積の方向に電子38の旋回中心の軌道40がずれていく現象が起こる。これがE×Bドリフトである。このE×Bドリフトは、電場E中の電子38の位置によって電子38の運動エネルギーが変わり、それによってラーモア半径が変化することによって、サイクロトロン運動がずれていくことによるものである。
また、図4に示すように、磁場Bが上下方向に向かっている場合、電子38は磁力線に平行な速度成分を持っているので、磁力線に沿って上下に移動する。更に、イオンビーム4が作る電場E(図5、図6参照)が存在すると、それが復元力となって、電子38は磁力線に沿って上下に往復運動をすることになる。そのために、磁場Bと電場Eとが存在すると、水平方向にはE×Bドリフトが起こり、かつ電子38は磁力線に沿って上下に移動するため、電子38は上下方向に往復運動しながら、水平方向にはE×Bドリフトするような複雑な軌道40をとることになる。50は軌道40の中心軌道である。
イオンビーム4は正の電位(ビームポテンシャル)を持っており、図5に示すように、イオンビーム4をビーム電流密度が均一な円柱として考えると、イオンビーム4が作る電場Eは、イオンビーム4の半径方向に放射状に生じる。
イオンビーム4の電位VB は、図6に示すように、イオンビーム4の中央に最大値を持ち、イオンビーム4の両端a、b付近で電場Eの絶対値の最大値ができる。その辺りで、電位VB の傾き、即ち|E|=|dVB /dY|が最大になるからである。電場Eの方向は、Y軸を境にして上下で反転している。
この電場Eに磁場Bが加わると、図7に示すように、電場Eが零となるイオンビーム4の中央ではE×Bドリフトが零になり、イオンビーム4の両端a、b付近では電場Eが最大になるためにE×Bドリフトが最大になる。イオンビーム4の中心からの距離が両端a、bから大きく離れると、電場Eは殆ど零になるために、E×Bはほぼ零になり、E×Bドリフトは殆ど起こらなくなる。E×Bドリフトの方向は、Y軸を境にして上下で反転している。
図8は、従来の偏向電磁石における電子のE×Bドリフトの概要を示す側面図である。図9は、図8の線D−Dに沿う断面図である。
この偏向電磁石30は、イオンビーム4が通過する磁極間空間34をあけて相対向する第1の磁極32aおよび第2の磁極32bを有していて、両磁極32a、32bによって磁極間空間34に発生させる磁場Bによって、磁極間空間34を通過するイオンビーム4を曲げる(この例では紙面の表裏方向に曲げる)構成をしている。この磁場Bを形成する磁力線36の一例を図示している。イオンビーム4は、例えば、矢印42で示す方向に通過するが、その逆方向でも良い。
この磁極間空間34における電子38のE×Bドリフトは、図2〜図7を参照して前述したとおりであり、当該E×Bドリフトの方向は、図9において、イオンビーム4に対して右側では紙面の表から裏方向に向き、左側ではその逆に紙面の裏から表方向に向き、それによって、電子38が磁極間空間34外へイオンビーム4に沿う方向に流出して損失する。その様子を図10に示す。イオンビーム4の左右で電子38のドリフト方向が反転しており、損失方向44、46が反転しているが、いずれにしてもE×Bドリフトによって、磁極間空間34外へ電子38が流失して損失する。なお、図10では、電子38のドリフトの様子を図示しやすくするために、上側にある磁極32aは想像線で示している。
上記電子38は、例えば、磁極間空間34を形成する壁面等にイオンビーム4の周辺の一部が衝突することによって発生する2次電子や、磁極間空間34における残留ガスがイオンビーム4の衝突によって電離されて発生する電子である。
また、特許第3399117号公報には、偏向電磁石(より具体的には質量分析電磁石)の外側に、イオンビームの軸に沿う方向の磁界を発生させて電子の閉じ込め(イオンビーム半径方向における閉じ込め)を磁気的に行う磁界発生手段と、その両端付近に配置されていて電子の閉じ込め(イオンビーム軸方向における閉じ込め)を静電的に行う第1および第2の筒状の電子閉じ込め電極を配置して、閉じ込めた電子によってイオンビームの空間電荷を抑制する技術が記載されているけれども、この技術は偏向電磁石内に適用することはできない。
なぜなら、偏向電磁石内では強力な磁場がイオンビームの進行方向にほぼ垂直に加わるので、上記のようにイオンビームの軸に沿う方向の磁界を発生させることができないからである。偏向電磁石内でイオンビームの空間電荷を中和することが重要であることは前述のとおりである。また、上記筒状の電子閉じ込め電極は単に負電圧によって電子を押し戻す作用しか奏しないので、その空間部から、E×Bドリフトによる電子の磁極間空間外への流出を抑制することもできない。
そこでこの発明は、磁極間空間からのE×Bドリフトによる電子の損失を軽減して磁極間空間における電子の閉じ込めを良くして、閉じ込めた電子によってイオンビームの空間電荷を効率良く中和して、イオンビームの発散を抑制することを主たる目的としている。
この発明に係る偏向電磁石の一つは、イオンビームが通過する磁極間空間をあけて相対向する第1および第2の磁極を有していて、当該磁極間空間を通過するイオンビームを曲げる偏向電磁石であって、前記磁極間空間に、前記第1および第2の磁極と同方向からイオンビームの経路を挟むように配置された一対の電位調整電極と、前記一対の電位調整電極に正の電圧を印加する直流の電位調整電源とを備えていることを特徴としている。
この偏向電磁石においては、電位調整電源から正の電圧が印加される電位調整電極によって、イオンビーム周辺の電位を調整することができ、それによって、イオンビーム周辺の電場と磁極が作る磁場とによる電子のE×Bドリフトの軌道として、磁極間空間を含む空間において閉じたものを存在させることができる。その結果、イオンビーム内やその近傍に、軌道が捕捉された状態の電子を存在させることができる。これによって、磁極間空間からのE×Bドリフトによる電子の損失を軽減して、磁極間空間における電子の閉じ込めを良くすることができる。
上記電子は、例えば、磁極間空間を形成する壁面等にイオンビームの周辺の一部が衝突することによって発生する2次電子や、磁極間空間における残留ガスがイオンビームの衝突によって電離されて発生する電子である。以下に述べる他の偏向電磁石においても同様である。
前記電位調整電源から前記電位調整電極に印加する電圧は、前記電位調整電極のイオンビーム入口側端においてイオンビームが作る電位およびイオンビーム出口端においてイオンビームが作る電位の内の高い方よりも高い電圧にするのが好ましい。
この発明に係る偏向電磁石の他のものは、イオンビームが通過する磁極間空間をあけて相対向する第1および第2の磁極を有していて、当該磁極間空間を通過するイオンビームを曲げる偏向電磁石であって、前記磁極間空間のイオンビーム通過方向における中央よりも入口寄りの所に、前記第1および第2の磁極と同方向からイオンビームの経路を挟むように配置された第1の対の補正電極と、前記第1の対の補正電極よりもイオンビーム通過方向における外側に位置するように第1の対の補正電極に並べて配置された第2の対の補正電極と、前記磁極間空間のイオンビーム通過方向における中央よりも出口寄りの所に、前記第1および第2の磁極と同方向からイオンビームの経路を挟むように配置された第3の対の補正電極と、前記第3の対の補正電極よりもイオンビーム通過方向における外側に位置するように第3の対の補正電極に並べて配置された第4の対の補正電極と、前記第2の対の補正電極の電位を前記第1の対の補正電極の電位よりも低く保つ直流の第1の補正電源と、前記第4の対の補正電極の電位を前記第3の対の補正電極の電位よりも低く保つ直流の第2の補正電源とを備えていることを特徴としている。
この偏向電磁石においては、第1の対の補正電極と第2の対の補正電極とが作る電場と、イオンビームが作る電場とを合成した電場と、磁極が作る磁場とによる電子のE×Bドリフトは、イオンビームに交差する方向になる。第3の対の補正電極と第4の対の補正電極とが作る電場と、イオンビームが作る電場とを合成した電場と、磁極が作る磁場とによる電子のE×Bドリフトも、第1および第2の対の補正電極側とは逆向きで、イオンビームに交差する方向になる。
一方、イオンビームが作る電場と磁極が作る磁場とによる電子のE×Bドリフトの方向は、イオンビームに沿う方向になる。
従って、磁極間空間において電子は、上記イオンビームに交差する方向であって入口寄りと出口寄りとで互いに逆向きの2種類のドリフトと、イオンビームに沿う方向のドリフトとが合成された方向にドリフトすることになり、これによって、イオンビーム内やその近傍で電子の軌道に閉じたものが存在するようになる。即ち、イオンビーム内やその近傍に、軌道が捕捉された電子を存在させることができる。従って、磁極間空間からのE×Bドリフトによる電子の損失を軽減して、磁極間空間における電子の閉じ込めを良くすることができる。
前記第1の補正電源と第2の補正電源とは互いに同一の電源であっても良い。
前記第1および第2の対の補正電極を、前記磁極間空間のイオンビーム通過方向における入口端付近に配置し、前記第3および第4の対の補正電極を、前記磁極間空間のイオンビーム通過方向における出口端付近に配置しておいても良い。
前記第1の対の補正電極を、前記磁極間空間のイオンビーム通過方向における入口端付近に配置し、前記第2の対の補正電極を、前記磁極間空間のイオンビーム通過方向における入口端よりも外側に配置し、前記第3の対の補正電極を、前記磁極間空間のイオンビーム通過方向における出口端付近に配置し、前記第4の対の補正電極を、前記磁極間空間のイオンビーム通過方向における出口端よりも外側に配置しておいても良い。
前記第1および第2の磁極の表面またはその近傍であって、前記第1の対の補正電極と第2の対の補正電極との間に、イオンビームの経路に交差させてそれぞれ配置されていて、前記第1および第2の磁極が作る磁場を強める方向の磁場を作る第1の対の永久磁石と、前記第1および第2の磁極の表面またはその近傍であって、前記第3の対の補正電極と第4の対の補正電極との間に、イオンビームの経路に交差させてそれぞれ配置されていて、前記第1および第2の磁極が作る磁場を強める方向の磁場を作る第2の対の永久磁石とを更に備えていても良い。
この発明に係るイオンビーム照射装置は、イオン源から引き出したイオンビームをターゲットに照射する構成の装置であって、前記イオン源からターゲットまでのイオンビームの経路に、前記偏向電磁石を1以上備えていることを特徴としている。
請求項1に記載の発明によれば次のような効果を奏する。
(1)前記電位調整電極およびそれ用の前記電位調整電源を備えているので、イオンビーム内やその近傍に、軌道が捕捉された状態の電子を存在させることができる。これによって、磁極間空間からのE×Bドリフトによる電子の損失を軽減して、磁極間空間における電子の閉じ込めを良くすることができる。その結果、閉じ込めた電子によってイオンビームの空間電荷を効率良く中和して、イオンビームの発散を抑制することができ、ひいてはイオンビームの輸送効率を向上させることができる。
(2)電子をイオンビーム軌道の近傍内に閉じ込めることができるので、イオンビームが残留ガスと衝突することによってイオンビーム付近から発生する電子の閉じ込めを効率良く行うことができ、これによってイオンビームの空間電荷を中和する効果がより大きくなる。
(3)カスプ磁場のような複雑な磁場を形成する必要がないので、偏向電磁石の構造の簡素化が可能である。また、イオンビームの軌道を余分な磁場で乱す恐れもない。
(4)イオンビームを原因にして発生した電子を閉じ込めてイオンビームの空間電荷を中和するため、磁極表面や外部から磁極間空間に電子を供給する電子源を設置する必要がない。しかも、イオンビーム電流が多いと、イオンビームを原因にして発生する電子も多くなり、自然に空間電荷中和が調整されるため、大がかりな制御を必要としない。
(5)イオンビームが走査される場合でも、電子は軽くてイオンビームの電場に引きずられて移動し、かつ電子のドリフト速度は速いので、偏向電磁石が走査マグネットのようにイオンビームを走査するものである場合にも、上記効果を奏することができる。
請求項2に記載の発明によれば、前記補正電極およびそれ用の前記補正電源を備えているので、イオンビーム内やその近傍に、軌道が捕捉された状態の電子を存在させることができる。これによって、磁極間空間からのE×Bドリフトによる電子の損失を軽減して、磁極間空間における電子の閉じ込めを良くすることができる。その結果、閉じ込めた電子によってイオンビームの空間電荷を効率良く中和して、イオンビームの発散を抑制することができ、ひいてはイオンビームの輸送効率を向上させることができる。
更に、請求項1に記載の発明の上記(2)〜(5)の効果と同様の効果を奏する。
請求項3に記載の発明によれば、電源構成の簡素化を図ることができる、という更なる効果を奏する。
請求項4に記載の発明によれば、第1および第2の対の永久磁石が作る磁力線の湾曲を利用して、補正電極の近傍における電子のE×Bドリフトの減少を抑制して、電子の弱閉じ込め領域を減少させることができる。更に、上記永久磁石が作る磁場の勾配によるグラディエントBドリフトによって、電子の閉じ込め領域を拡大することができる。従って、電子の閉じ込め性能をより一層高めることができる。その結果、イオンビームの空間電荷をより効率良く中和して、イオンビームの発散をより抑制することができ、ひいてはイオンビームの輸送効率をより向上させることができる。
請求項5に記載の発明によれば、前記のような偏向電磁石を1以上備えていて、当該各偏向電磁石において前記効果を奏するので、イオン源から引き出したイオンビームのターゲットへの輸送効率を向上させることができる。
図11は、この発明に係る偏向電磁石の第1の実施形態を示す概略縦断面図である。図8〜図10に示した従来例と同一または相当する部分には同一符号を付し、以下においては当該従来例との相違点を主に説明する。
この偏向電磁石30aは、前記第1の磁極32aと第2の磁極32b間の磁極間空間34に、両磁極32a、32bと同方向からイオンビーム4の経路を挟むように配置された一対の電位調整電極52を備えている。より具体的には、磁極32a、32bの表面33a、33bの近傍に、磁極32a、32bとは電気的に絶縁して、一対の板状の電位調整電極52をそれぞれ配置している。
磁極間空間34における互いに直交する座標軸X、Y、Zを図11等に示すように取ると、即ち、磁極間空間の中心の座標を原点とし、イオンビーム4の通過方向42に向かう方向をX軸、それと横に直交する方向をY軸、縦に直交する方向(即ち磁極32a、32b間の上下方向)をZ軸とすると、一対の電位調整電極52は、Z方向においてイオンビーム4を、それとの間に空間をあけて挟むように配置されている。
各電位調整電極52のX方向およびY方向の長さは、磁極間空間34をできるだけ広く覆う長さにするのが好ましい。その方が、磁極間空間34のより広い領域において、イオンビーム周辺の電位を調整することができるからである。この実施形態では、磁極間空間34のほぼ全域を覆う長さにしている。
この偏向電磁石30aは、更に、上記一対の電位調整電極52に正の電圧V1 をそれぞれ印加する直流の電位調整電源54を備えている。この電位調整電源54の正極端は一対の電位調整電極52にそれぞれ接続されており、負極端は接地されている。磁極32a、32bも電気的に接地されている。
仮に、電位調整電源54から各電位調整電極52に印加する電圧V1 を0Vにした場合(この場合は、電位調整電極52は磁極32a、32bと同電位になるので、イオンビーム周辺の電位分布は図9等に示した従来の偏向電磁石30の場合と同様になる)、磁極間空間34におけるイオンビーム周辺の電位分布および電子38(図示されていない場合は、例えば図8〜図10、図22〜図27参照。以下同様)のE×Bドリフトの概要を図12および図13に示す。磁場Bは磁極32a、32bが作る磁場であり、電場Eはイオンビーム4が作る電場である。符号56は等電位線を示す。電子38は、前述したように、例えば、磁極間空間34を形成する壁面等にイオンビーム4の周辺の一部が衝突することによって発生する2次電子や、磁極間空間34における残留ガスがイオンビーム4の衝突によって電離されて発生する電子である。以下に述べる電子38も同様である。
なお、図13、図15では、等電位線56等を図示しやすくするために、上側の磁極32aは図示を省略し、かつ上側の電位調整電極52を想像線で示している。また、図11以降において、イオンビーム4は便宜上、円柱状で図示しているが、これに限られるものではない。イオンビーム4は、本来、磁極32a、32bが作る磁場によって曲げられるが、図示を簡略化するために、当該磁場による曲がりは無視して直線で示している。
イオンビーム4は前述したように(図6およびその説明参照)正の電位を持っているが、上記電圧V1 を0Vにした場合は、イオンビーム4の周囲の壁面(即ち磁極32a、32bおよび電位調整電極52)の電位は0Vになり、その影響を受けてイオンビーム4の周辺の電位分布は電子38の閉じ込めに適さないものになる。即ち、図12に等電位線56の概要を示すように、イオンビーム4付近の電位は、周囲の壁面の電位の影響で中央では低くなっており、磁極間空間34の入口付近および出口付近では、壁面から離れるために電位が復帰して高くなっている。言わば鞍形をしている。例えば、磁極間空間34の入口部でのイオンビーム4の電位を100Vとした場合、イオンビーム4付近の電位は、高い所(図中に「高」で示す。他の図においても同様)では100V近くに、中間の所(図中に「中」で示す。他の図においても同様)では50V程度に、低い所(図中に「低」で示す。他の図においても同様)では10V以下になる。
この場合の電子38のE×Bドリフトの方向は、図12に示すように、磁極間空間34のイオンビーム入口側で+Y方向(即ち紙面の表から裏方向)になり、イオンビーム出口側で−Y方向(即ち紙面の裏から表方向)になる。また、図12(および図14等)中に、E×Bドリフトの大きさ|E×B|を、斜線を付した平行四辺形の面積で示している。
図12は縦断面図でありイオンビーム4を側方から見たものであるが、イオンビーム4の周辺の電位分布は、上から見ても、図13に示すように、図12と同様な分布をしており鞍形をしている。これは、上述したように、電位調整電極52に印加する電圧V1 が0Vであるために、イオンビーム4の周囲の壁面の電位は0Vであり、図12と図13との主な違いは、磁場Bの向きだけだからである。
イオンビーム周辺の等電位線56の分布、即ち電位の分布が鞍形をしている場合は、図13に示すように、電子38のドリフト軌道58は左右に分かれて閉じないので、電子38は磁極間空間34外へイオンビーム4に沿う方向に流出して損失する。
一方、電位調整電源54から各電位調整電極52に正の電圧V1 を印加した場合の、磁極間空間34におけるイオンビーム周辺の電位分布および電子38のE×Bドリフトの概要を図14および図15に示す。これは、上記図12および図13にそれぞれ対応している。
図14および図15は、磁極間空間34の入口部でのイオンビーム4の電位が100Vであり、かつ上記電圧V1 を100Vにした場合の例である。この場合、磁極間空間34におけるイオンビーム周辺の電位は、電位調整電極52の電位の影響を受けて、イオンビーム4の中央付近で最も高い凸型の分布になる。例えば、高い所で150V程度になり、そこから周囲に向かって電位が徐々に低くなる。電位調整電極52の近くでは100V程度になる。
イオンビーム周辺の等電位線56の分布、即ち電位の分布が上記のように凸型をしている場合は、図15に示すように、電子38のE×BドリフトはXY平面内において周回する向きに生じ、電子38のドリフト軌道58には、磁極間空間34を含む空間において閉じたものが含まれるようになる。即ち、この偏向電磁石30aにおいては、電位調整電極52に正の電圧V1 を印加することによって、イオンビーム周辺の電位を調整することができ、それによって、イオンビーム周辺の電場Eと磁極が作る磁場Bとによる電子のE×Bドリフトの軌道として、磁極間空間34を含む空間において閉じたものを存在させることができる。
その結果、イオンビーム4内やその近傍に、軌道が捕捉された状態の電子38を存在させることができる。これによって、磁極間空間34からE×Bドリフトによる電子38の損失を軽減して、磁極間空間34における電子38の閉じ込めを良くすることができる。
更には、閉じ込めた電子38によってイオンビーム4の空間電荷を効率良く中和して、イオンビーム4の発散を抑制することができ、ひいてはイオンビーム4の輸送効率を向上させることができる。
また、電子38をイオンビーム軌道の近傍内に閉じ込めることができるので、イオンビーム4が残留ガスと衝突することによってイオンビーム付近から発生する電子の閉じ込めを効率良く行うことができ、これによってイオンビーム4の空間電荷を中和する効果がより大きくなる。
また、カスプ磁場のような複雑な磁場を形成する必要がないので、偏向電磁石30aの構造の簡素化が可能である。また、イオンビーム4の軌道を余分な磁場で乱す恐れもない。
また、イオンビーム4を原因にして発生した電子、即ち磁極間空間34を形成する壁面等にイオンビーム4の周辺の一部が衝突することによって発生した2次電子や、磁極間空間34における残留ガスがイオンビーム4の衝突によって電離されて発生した電子を閉じ込めてイオンビーム4の空間電荷を中和するため、磁極表面や外部から磁極間空間34に電子を供給する電子源を設置する必要がない。しかも、イオンビーム電流が多いと、イオンビーム4を原因にして発生する電子も多くなり、自然に空間電荷中和が調整されるため、大がかりな制御を必要としない。
更に、イオンビーム4が走査される場合でも、電子は軽くてイオンビーム4の電場に引きずられて移動し、かつ電子のドリフト速度は速いので、偏向電磁石30aが走査マグネットのようにイオンビーム4を走査するものである場合にも、上記効果を奏することができる。
上記電位調整電源54から電位調整電極52に印加する電圧V1 は、電位調整電極52のイオンビーム入口端52aにおいてイオンビーム4が作る電位およびイオンビーム出口端52bにおいてイオンビーム4が作る電位の内の高い方よりも高い電圧にするのが好ましい。
そのようにすると、イオンビーム4の中央付近の電位を入口端52aおよび出口端52bの電位よりも高めて、イオンビーム周辺の電位分布をより確実に凸型にすることができるので、電子38のE×Bドリフトの軌道の内に、磁極間空間34を含む空間において閉じたものをより確実に存在させることができ、電子38の閉じ込め性能をより高めることができる。その結果、イオンビーム4の空間電荷をより効率良く中和して、イオンビーム4の発散をより抑制することができ、ひいてはイオンビーム4の輸送効率をより向上させることができる。
図16は、この発明に係る偏向電磁石の第2の実施形態の出口側半分を示す概略縦断面図である。図17は、図16に示す偏向電磁石における電子のE×Bドリフトの方向の概要を示す平面図である。図16において、入口側半分は、図示を省略しているが、対称中心線78を中心にして図示と対称の構造をしている(図17参照)。これは図18および図19においても同様である。なお、図17においては、電子のドリフト方向等を図示しやすくするために、上側にある磁極32aは想像線で示している。また、電位調整電極52は、説明に必要がないので省略している。
この偏向電磁石30bは、前記磁極間空間34のイオンビーム通過方向における中央よりも入口寄りの所に、上記第1および第2の磁極32aおよび32bと同方向からイオンビーム4の経路を挟むように配置された第1の対の補正電極61(図17参照)と、この第1の対の補正電極61よりもイオンビーム通過方向における外側に位置するように第1の対の補正電極61に並べて配置された第2の対の補正電極62(図17参照)と、磁極間空間34のイオンビーム通過方向における中央よりも出口寄りの所に、上記第1および第2の磁極32aおよび32bと同方向からイオンビーム4の経路を挟むように配置された第3の対の補正電極63と、この第3の対の補正電極63よりもイオンビーム通過方向における外側に位置するように第3の対の補正電極63に並べて配置された第4の対の補正電極64とを備えている。
上記第1〜第4の対の補正電極61〜64は、いずれも、板状をしており、前述したZ方向においてイオンビーム4を、それとの間に空間をあけて挟むように配置されている。より具体的には、各対の補正電極61〜64は、磁極32a、32bの表面33a、33bの近傍に、磁極32a、32bとは電気的に絶縁して配置されている。
各対の補正電極61〜64のY方向の長さは、磁極間空間34をできるだけ長く覆う長さにするのが好ましい。その方が、より広い領域において電子を閉じ込めることができるからである。この実施形態では、磁極間空間34のY方向の長さと同程度の長さにしている。各対の補正電極61〜64のX方向の長さは、後述する同心半円状の電場(電気力線70参照)を作ることができる長さがあれば良い。
この偏向電磁石30bは、更に、前記第2の対の補正電極62の電位を第1の対の補正電極61の電位よりも低く保つ直流の第1の補正電源(図示省略。それに対応する第2の補正電源66参照)と、前記第4の対の補正電極64の電位を第3の対の補正電極63の電位よりも低く保つ直流の第2の補正電源66とを備えている。
第2の補正電源66は、この例では、正極端が第3の対の補正電極63にそれぞれ接続された直流電源67と、負極端が第4の対の補正電極64にそれぞれ接続された直流電源68とを有している。直流電源67の負極端および直流電源68の正極端は接地されている。直流電源67、68から出力する電圧をそれぞれV2 、V3 とすると、補正電極63、64の電位はそれぞれV2 、V3 となる。図示しないけれども、入口側の第1の補正電源も例えばこれと同様の構成をしている。
第1の補正電源と第2の補正電源とは、互いに別の電源にすれば電場補正の自由度が高まる。また、互いに同一の電源にしても良く、そのようにすれば電源構成の簡素化を図ることができる。同一にする場合は、補正電極61と63とに同一の電圧(この例ではV2 )を印加し、補正電極62と64とに同一の電圧(この例ではV3 )を印加する。
なお、この偏向電磁石30bでは、前述した電位調整電極52も備えているけれども、この電位調整電極52は、補正電極61〜64と必ず組み合わせて用いなければならないものではない。電位調整電極52を設けなくても良い。電位調整電極52を設けてそれに前述したような正の電圧V1 を印加すると、電位調整電極52による前述した効果と、補正電極61〜64による以下に述べる効果の両方の効果を奏することができる。
この偏向電磁石30bにおいては、補正電極63よりも補正電極64の方が電位が低いので(換言すれば、補正電極63の方が補正電極64よりも電位が高いので)、補正電極63から補正電極64に向かう、断面が同心半円状の電気力線70が形成される。この補正電極63と補正電極64とが作る電場E1 と、イオンビーム4が作る前記電場(これをここではE2 とする)とを合成した電場Eと、磁極32a、32bが作る磁場BとによるE×Bドリフトは、図16に示すように、イオンビーム4に交差する方向になる。より具体的には、+Y方向になる。このE×Bドリフトの方向を図17中に矢印82で示す。またこのE×Bドリフトの大きさ|E×B|を、前記と同様に、図16中に、斜線を付した平行四辺形の面積で示している。なお、電場E1 と電場E2 とについては、図19中により詳しく図示しているので、それも参照するものとする。
入口寄りの第1の対の補正電極61と第2の対の補正電極62とが作る電場と、イオンビーム4が作る電場とを合成した電場Eと、磁極32a、32bが作る磁場BとによるE×Bドリフトは、補正電極61、62が作る電場の向きが反対になって合成の電場Eの向きも反対になるので、第3および第4の対の補正電極63、64側とは逆向きで、イオンビーム4に交差する方向になる。より具体的には、−Y方向になる。このE×Bドリフトの方向を、図17中に矢印81で示す。
一方、イオンビーム4が作る電場と磁極32a、32bが作る磁場とによるE×Bドリフトの方向は、先に図10等を参照して説明したように、イオンビーム4に沿う向きになる。より具体的には、イオンビーム4の通過方向42に向かって左側では図17中に矢印83で示すように−X方向になり、右側では矢印84で示すように+X方向になる。
従って、磁極間空間34において電子38は、上記イオンビーム4に交差するY方向であって入口寄りと出口寄りとで互いに逆向き(図17中の矢印81、82で示す方向)の2種類のE×Bドリフトと、イオンビーム4に沿うX方向(図17中の矢印83、84で示す方向)のE×Bドリフトが合成された方向にドリフトすることになり、これによって、矢印81〜84で示す方向のドリフトが互いにつながるので、イオンビーム4内やその近傍で電子の軌道に閉じたものが存在するようになる。そのような電子の閉じたドリフト軌道86の一例を図17中に示す。これによって、イオンビーム4内やその近傍に、軌道が捕捉された電子38を存在させることができる。従って、磁極間空間34からのE×Bドリフトによる電子38の損失を軽減して、磁極間空間34における電子38の閉じ込めを良くすることができる。その結果、閉じ込めた電子38によってイオンビーム4の空間電荷を効率良く中和して、イオンビーム4の発散を抑制することができ、ひいてはイオンビーム4の輸送効率を向上させることができる。
上記第1および第2の対の補正電極61および62は、磁極間空間34のイオンビーム通過方向における入口端付近に配置し、第3および第4の対の補正電極63および64は、磁極間空間34のイオンビーム通過方向における出口端付近に配置するのが好ましい(図19中の補正電極63、64参照)。そのようにすると、第1、第2の対の補正電極61、62と第3、第4の対の補正電極63、64との間の距離を長く取って、イオンビーム通過方向に沿う方向における電子38の往復の閉じ込め長を長く取ることができるので、イオンビーム4の空間電荷を中和する領域を広く取ることができる。その結果、イオンビーム4の空間電荷をより効率良く中和して、イオンビーム4の発散をより抑制することができ、ひいてはイオンビーム4の輸送効率をより向上させることができる。
ところで、上記偏向電磁石30bでは、図16に示すように、上下の補正電極63、64の近傍では、補正電極63、64の作る電場E2 は補正電極63、64にほぼ垂直になるので、その電場E2 とイオンビーム4が作る電場E1 とを合成した電場Eは磁場Bとほぼ平行になり、E×Bドリフトの大きさ|E×B|が小さくなって、電子38の閉じ込めが弱くなる。即ち、図16中に斜線を付して示すように、弱閉じ込め領域71、72が生じる。
そこで、この弱閉じ込め領域の課題を改善することができる実施形態(第3の実施形態)を図18に示す。図16に示した実施形態との相違点を主体に説明すると、この偏向電磁石30cでは、前記第3の対の補正電極63を、磁極間空間34のイオンビーム通過方向における出口端付近に配置し、第4の対の補正電極64を、磁極間空間34のイオンビーム通過方向における出口端よりも外側に配置している。入口側についても、図示を省略しているけれども同様である。即ち、前記第1の対の補正電極61を、磁極間空間34のイオンビーム通過方向における入口端付近に配置し、前記第2の対の補正電極62を、磁極間空間34のイオンビーム通過方向における入口端よりも外側に配置している。
このようにすると、磁極32a、32bの端部付近では漏れ磁場が存在し、当該磁極32a、32bが作る磁力線36は磁極間空間34の外側方向に湾曲したものとなるので、補正電極64の近傍において上記合成電場Eと磁場Bとが互いに平行になるのを防止して、図16に示した弱閉じ込め領域72が生じるのを防止することができる。また、補正電極63の近傍に生じる上記弱閉じ込め領域71を小さくすることができる。これは、入口側の補正電極61、62の近傍においても同様である。
このように、図18に示す偏向電磁石30cによれば、磁極32a、32bの端部付近における磁力線36の湾曲を利用して、補正電極61〜64の近傍における電子38のE×Bドリフトの減少を抑制して、電子38の弱閉じ込め領域を減少させることができるので、電子38の閉じ込め性能をより高めることができる。しかも、第1、第2の対の補正電極61、62と第3、第4の対の補正電極63、64との間の距離を長く取って、イオンビーム通過方向に沿う方向における電子38の往復の閉じ込め長を長く取ることができるので、イオンビーム4の空間電荷を中和する領域を広く取ることができる。その結果、イオンビーム4の空間電荷をより効率良く中和して、イオンビーム4の発散をより抑制することができ、ひいてはイオンビーム4の輸送効率をより向上させることができる。
上記弱閉じ込め領域の課題を解決することができる他の実施形態(第4の実施形態)を図19に示す。図16に示した実施形態との相違点を主体に説明すると、この偏向電磁石30dは、前記磁極32a、32bの表面33a、33bであって、前記第3の対の補正電極63と第4の対の補正電極64との間に、イオンビーム4の経路に交差させてそれぞれ配置されていて、磁極32a、32bが作る磁場を強める方向の磁場を作る一対(第2の対)の永久磁石75を備えている。上下の永久磁石75のイオンビーム4に向かう面の極性は、磁極32a、32bの表面33a、33bの極性とそれぞれ同じにしている。また、各永久磁石75は、イオンビーム4の通過方向と交差する方向に伸びる棒状をしている。
入口側についても、図示を省略しているけれども、上記永久磁石75と同様の永久磁石を備えている。即ち、前記磁極32a、32bの表面33a、33bであって、前記第1の対の補正電極61と第2の対の補正電極62との間に、イオンビーム4の経路に交差させてそれぞれ配置されていて、磁極32a、32bが作る磁場を強める方向の磁場を作る一対(第1の対)の永久磁石を備えている。
この偏向電磁石30dにおいては、磁極32a、32bが作る磁場に、永久磁石75が作る磁場が重畳されて、合成磁場Bが形成される。永久磁石75が作る磁場が湾曲しているので、この合成磁場Bも磁極間空間34の内外方向(換言すれば+X方向および−X方向)に湾曲したものとなる。この磁場Bを表す磁力線76の幾つかを図19中に示している。このように磁場Bが湾曲しているので、補正電極63および64の近傍において当該磁場Bと上記合成電場Eとが互いに平行になるのを防止して、図16に示した弱閉じ込め領域71および72が生じるのを防止または減少させることができる。これは、入口側の補正電極61、62の近傍においても同様である。
更に、永久磁石75の近くではY軸付近よりも上記合成の磁場Bが強いために、磁場Bの大きさに不均一性が生じ、電子38のラーモア半径が場所によって変化し、やはりサイクロトロン運動がずれていき電子38がドリフトする現象が起きる。これはグラディエント(勾配)Bドリフトと呼ばれる。これは当然、永久磁石75に近い所でより強くなる。
図20に、上記磁場Bの勾配∇Bの、磁力線76に垂直な成分を∇B⊥で示している。なお、この図20では、磁力線76は磁極間空間34の内側方向(換言すれば−X方向)に湾曲しているもののみを図示しているが、磁極間空間34の外側方向(換言すれば+X方向)に湾曲しているものも存在する。磁場密度勾配∇Bは磁力線76に垂直な成分∇B⊥と平行な成分∇B‖とに分けられるが、∇B‖×B=0であるので、垂直成分∇B⊥のみを考慮すれば良い。従って、それによる∇B⊥×Bドリフトを、以下ではグラディエントBドリフトと呼ぶことにする。磁力線76は磁極間空間34の内外方向に湾曲しているので、グラディエントBドリフトは、磁力線76が磁極間空間34の内側方向に湾曲した側の半分では図20に示すように+Y方向になり、外側方向に湾曲した側の半分では反対に−Y方向になる。このドリフトは当然、電場の影響を受けない。
図20に示したグラディエントBドリフト(∇B⊥×Bドリフト)の大きさと向きは、図21に示すように、Y軸上で最小値を持ち、上下の永久磁石75付近で最大となる。Y軸方向、即ち棒状の永久磁石75の長手方向では磁力線76の湾曲形状に変化はないので、同図(A)〜(C)に示すように、Y座標位置(例えば+Y1 、0、−Y1 )による上記ドリフトの変化はない。
磁極間空間34の入口側の永久磁石付近においても上記と同様にグラディエントBドリフトが生じるが、磁力線の湾曲方向が反対であるために、当該ドリフトの向きは出口側とは反対になる。即ち、磁力線が磁極間空間34の内側方向に湾曲した側の半分ではグラディエントBドリフトは−Y方向になり、外側方向に湾曲した側の半分では+Y方向になる。
上記入口側の永久磁石および出口側の永久磁石の磁場によるグラディエントBドリフトの、補正電極61付近および補正電極63付近でのドリフト方向に着目すると、それはそれぞれ図17に示した矢印81および82の方向になる。従って、このグラディエントBドリフトによって、補正電極61および63の近傍における電子のY方向のドリフトを強化して、電子の閉じ込め領域を拡大することができる。即ち、図17中に矢印81〜84で示す方向のドリフトが、Z方向におけるより広い領域で互いにつながるようになるので、Z方向におけるより広い領域において電子の軌道に閉じたものが存在するようになる。
このように、図19に示す偏向電磁石30dによれば、第1の対の永久磁石および第2の対の永久磁石を設けたことによって、補正電極61〜64の近傍において電子の弱閉じ込め領域が生じるのを防止または減少させることができ、かつグラディエントBドリフトによってY方向のドリフトを強化することができるので、電子の閉じ込め領域を拡大することができる。従って、電子38の閉じ込め性能をより一層高めることができる。その結果、イオンビーム4の空間電荷をより効率良く中和して、イオンビーム4の発散をより抑制することができ、ひいてはイオンビーム4の輸送効率をより向上させることができる。
なお、上記第1および第2の対の永久磁石は、磁極32a、32bの表面33a、33bに配置する代わりに、当該表面33a、33bの近傍に配置しても良い。その場合でも上記と同様の効果を奏する。
ところで、図18に示した第3の実施形態の偏向電磁石30cをより詳しく検討すると、磁極32a、32bの端部において当該磁極による磁力線36が外側にはみ出し、そこの磁場Bが弱くなるために、当該磁場Bの強い方向に(即ち磁極間空間34の内側向きに)グラディエントBが発生し、∇B×Bの向きにグラディエントBドリフトが発生する。図18中の|∇B×B|は、その大きさを示す。また、符号88は、磁極32a、32bが作る磁場Bの大きさ|B|の等高線を示す。上記グラディエントBドリフトが、前述したE×Bドリフトによる電子38の閉じ込め作用を打ち消す方向に働くために、その分、電子38の閉じ込め性能が若干悪くなる。ちなみに、例えば図16に示した偏向電磁石30bのように、補正電極61〜64が磁極間空間34の端(即ち磁極32a、32bの端)よりも内側にある場合は、その場所において、磁極32a、32bが作る磁力線36の湾曲は無いかまたは小さいので、即ち磁極32a、32bが作る磁場は均一またはほぼ均一であるので、上記グラディエントBは発生しないかまたは非常に小さい。磁極間空間34の内側ほど、磁極32a、32bが作る磁場は均一である。
第3の実施形態の偏向電磁石30cの上記課題を解決するためには、例えば、図22に示す第5の実施形態の偏向電磁石30eのように、第3の対の補正電極63と第4の対の補正電極60との間であって磁極32a、32bの端部または端部付近に、上記のような一対の永久磁石75を設ければ良い。図示は省略しているけれども、入口側についても同様に、第1の対の補正電極61と第2の対の補正電極62との間であって磁極32a、32bの端部または端部付近に、上記永久磁石75と同様の一対の永久磁石を設ければ良い。そのようにすると、永久磁石75が作る磁場(その磁力線の例を符号76で示す)によって、磁極32a、32bが作る磁場の曲がりを補正して(抑えて)、上記グラディエントBひいては上記グラディエントBドリフトを小さくすることができる。その結果、電子38の閉じ込め性能が向上する。
なお、従来例および上記第1〜第5の実施形態の偏向電磁石における電子38の閉じ込め性能の比較は、以下において、電子軌道のシミュレーション結果および電子の閉じ込め領域を参照して説明する。
従来の偏向電磁石30、第1〜第5の実施形態の偏向電磁石30a〜30eにおける電子軌道のシミュレーション結果の例を図23〜図29にそれぞれ示す。なお、図23〜図29では、磁極32a、32bは、その表面33a、33bのみを図示している。図24では、磁極の代わりにその表面に設けた電位調整電極52を図示している。
このシミュレーションでは、磁極32a、32bの寸法は、X方向に全長0.3m、Y方向に全長0.16m、磁極32a、32b間の間隔は0.065mとした。図28、図29に示す偏向電磁石30d、30eでは、残留磁束密度が1T(テスラ)、幅(X方向の寸法)が5mm、厚み(Z方向の寸法)が3mmの永久磁石75を磁極32a、32bの表面33a、33bにそれぞれ取り付けている。磁極32a、32bが磁極間空間34のX、Y方向の中央に作る磁場の大きさは、約10mTである。イオンビーム4は、円柱状の均一電流のものとし、その半径は0.02m、電流は1mA、エネルギーは5keV、イオン種は1価のホウ素とした。このイオンビーム4の等電位線56を各図中に併せて示している。電子38は、図中の矢印Pで示す位置、即ち磁極間空間34の中央の原点付近から発射した。この電子38のエネルギーは10eVとした。
図23に示すように、従来の偏向電磁石30においては、磁極間空間34のX方向の端部付近で、電子38の軌道がイオンビーム4から大きく外れており、電子38を閉じ込めることができない。電位調整電極52を設けてそれに印加する電圧V1 を0Vにした場合も同様である。
図24に示す第1の実施形態の偏向電磁石30aでは、電位調整電極52に印加する正の電圧V1 を180Vにした。電子38の軌道が閉じ、電子38を閉じ込めることができている。
図25に示す第2の偏向電磁石30bでは、電位調整電極52、補正電極63、64に印加する電圧V1 、V2 、V3 をそれぞれ15V、15V、−15Vにした。入口側の補正電極61、62(図に表れていない)に印加する電圧V2 、V3 もそれぞれ15V、−15Vにした。電子38の軌道が閉じ、電子38を閉じ込めることができている。図24に示す第1の実施形態では電子を閉じ込めるのに180Vという高い電圧を必要としたが、この第2の実施形態では電圧を15Vまで下げることができる。
図26に示す第3の実施形態の偏向電磁石30cでは、電位調整電極52、補正電極63、64に印加する電圧V1 、V2 、V3 をそれぞれ30V、30V、−30Vにした。入口側の補正電極61、62(図に表れていない)に印加する電圧V2 、V3 もそれぞれ30V、−30Vにした。電子38の軌道が閉じ、電子38を閉じ込めることができている。この実施形態では、電圧は少し高く30Vである。
第3の実施形態の偏向電磁石30cにおいて、電位調整電極52、補正電極63、64に印加する電圧V1 、V2 、V3 をそれぞれ8V、8V、−8Vにして、電子38を閉じ込められなかった場合を図27に示す。このとき、入口側の補正電極61、62(図に表れていない)に印加する電圧もそれぞれ8V、−8Vにした。
図28に示す第4の実施形態の偏向電磁石30dのように永久磁石75を追加すると(図に表れていないが、入口側にも永久磁石75に対応する永久磁石を追加している)、上記電圧V1 、V2 、V3 をそれぞれ5V、5V、−5Vに下げても、電子38の軌道が閉じ、電子38を閉じ込めることができている。即ち、図25に示す第2の実施形態よりも電圧を下げることができる。
図27に示す場合は電子38を閉じ込めることができなかったが、図29に示す第5の実施形態の偏向電磁石30eのように永久磁石75を追加すると(図に表れていないが、入口側にも永久磁石75に対応する永久磁石を追加しいてる)、図27の場合と同じ電圧で、即ち上記電圧V1 、V2 、V3 をそれぞれ8V、8V、−8Vにしても、電子38の軌道が閉じ、電子38を閉じ込めることができている。
図23〜図29に示した構造の偏向電磁石において、電子38の閉じ込め範囲を調べるために、磁極間空間34の中央の原点付近から電子38を発射し、発射位置に対する電子38の、YZ平面における閉じ込め領域AC (ハッチングを付した領域)と非閉じ込め領域AN (ハッチングを付していない領域)との概要を図30〜図40に示す。
図30に示すように、従来の偏向電磁石30においては、閉じ込め領域は存在せず、イオンビーム4内およびその周面の全域が非閉じ込め領域AN である。
図31は、第1の実施形態の偏向電磁石30aにおいて、電圧V1 を180Vにした場合であり、イオンビーム4内およびその周辺の全域が閉じ込め領域AC である。
第1の実施形態の偏向電磁石30aにおいて、電圧V1 を30Vにすれば、図32に示すように、閉じ込め領域AC は非常に狭くなる。
図33は、第2の実施形態の偏向電磁石30bにおいて、電圧V1 、V2 、V3 をそれぞれ30V、30V、−30Vにした場合であり、イオンビーム4内およびその周辺の全域が閉じ込め領域AC である。図31の場合よりも低い電圧で済むので、かなり効果が大きい。
図35は、第3の実施形態の偏向電磁石30cにおいて、電圧V1 、V2 、V3 をそれぞれ30V、30V、−30Vにした場合であり、イオンビーム4内およびその周辺の全域が閉じ込め領域AC である。図31の場合よりも低い電圧で済むので、かなり効果が大きい。
第2の実施形態の偏向電磁石30bと第3の実施形態の偏向電磁石30cとの効果の差を調べるために、電圧V1 、V2 、V3 をそれぞれ15V、15V、−15Vにして電圧を下げて閉じ込め領域を調査した。その結果を図34、図36にそれぞれ示す。図34の方が図36よりも少し閉じ込め領域AC が広いので閉じ込め性能が少し良い。
図37は、第4の実施形態の偏向電磁石30dにおいて、電圧V1 、V2 、V3 をそれぞれ15V、15V、−15Vにした場合である。同じ電圧で永久磁石を設けていない場合(第2の実施形態)の結果が図34であり、それと比べると閉じ込め領域AC が広くなっている。
図39は、第5の実施形態の偏向電磁石30eにおいて、電圧V1 、V2 、V3 をそれぞれ15V、15V、−15Vにした場合である。同じ電圧で永久磁石を設けていない場合(第3の実施形態)の結果が図36であり、それと比べると閉じ込め領域AC が広くなっている。
第4の実施形態の偏向電磁石30dおよび第5の実施形態の偏向電磁石30eにおいて、電圧V1 、V2 、V3 をそれぞれ8V、8V、−8Vに下げた場合を図38、図40にそれぞれ示す。図38の方が図40よりも少し閉じ込め領域AC が広いので閉じ込め性能が少し良い。
以上のように、第4および第5の実施形態の偏向電磁石30dおよび30eが、低い電圧で電子38の閉じ込め性能が高い。両者を厳密に見れば、第4の実施形態の偏向電磁石30dの方が電子38の閉じ込め性能が幾分高い。また、第4の実施形態の偏向電磁石30dは、第5の実施形態の偏向電磁石30eのように補正電極61、64を磁極32a、32bの外側に配置しなくて済むので、配置が容易である。従って、第4の実施形態の偏向電磁石30dが実用性が一番高いと言える。
上記各実施形態の偏向電磁石30a〜30eは、イオンビーム照射装置に用いることができる。即ち、イオン源から引き出したイオンビーム4をターゲットに照射する構成のイオンビーム照射装置において、当該イオン源からターゲットまでのイオンビーム4の経路に、上記第1〜第5の実施形態の偏向電磁石30a〜30eのいずれかを1以上備えていても良い。例えば、上記偏向電磁石30a〜30eのいずれかを、図1に示したイオンビーム照射装置の質量分離マグネット6、エネルギー分離マグネット10、走査マグネット12および平行化マグネット14の内の一つ以上に用いても良い。
そのようにすれば、各偏向電磁石において、前記効果を奏して、イオンビーム4の空間電荷を効率良く中和してイオンビーム4の発散を抑制することができるので、イオン源2から引き出したイオンビーム4のターゲット16への輸送効率を向上させることができる。