以下、本発明に係る環境設定方法および装置並びに環境設定のための情報、具体的には、都市再生方法および装置並びに都市再生のための情報に関わる「音と文明」の実施形態について図面を参照して説明する。なお、同様の構成要素については同一の符号を付している。
<1−1>知覚圏外の音.
<1−1−1>聴こえない音を狩る道具.
1.環境から私たちに到来するメッセージの中には、ある種の栄養素や毒物がそうであるように、感覚では捉えられないのに生命に決定的な作用を及ぼすものがある。
MEスペクトルアレイが初めて描き出した尺八やガムランの音のミクロな構造やその変容も、それがどのようなものかを意識で捉え言葉で描写することができない。ところが、たとえば楽器をとり換えたり演奏者を代えてそうした構造を変化させると、それは音の味わいの違いとして感じられてくる。また、スペクトルの複雑なゆらぎを電子的に平坦にすると、やはり音の質は違って感じられる。つまり、ミクロな領域に現れる知覚を超えた構造や変容を本発明者らが何らかのメッセージとして感じとり、反応していることは、否定できない。
これを音の環境学が導いた「音楽は時間的に連続して変容する非定常な情報構造をとる」というモデルからみると、「連続して変容する情報構造」の肝心の部分がミクロで不可視の領域の中に暗黙のメッセージとして姿を隠していることになる。本発明者らは、己れの棲む文明がこれまで無視し、あるいは忘却してきたこの知覚圏外のメッセージの存在と効果をあらためて掘り起こしていくことにした。
ここで、暗黙性から明白性に至るメッセージの違いに対する人間の応答のありようを簡単に整理しておこう。もっとも暗黙性が深いであろうメッセージ、たとえば気配のようなものに対して、本発明者らは、情報の媒体もわからないままそれを〈察知〉することがある。もうすこし暗黙性がうすれて媒体が音か光か念頭に浮かぶ程度になると、それを〈感知〉することだろう。メッセージを担う使者がどの感覚を窓口にして語りかけているかが明瞭になってくると、本発明者らはそれらに対して〈知覚〉というかなりはっきりした反応を呈するようになる。その中でもメッセージが言葉で描写できるまでに明示的な時、それは〈意識〉するものになる。もちろん察知・感知・知覚・意識という暗黙明白の度合の違いは連続していて、はっきりした切れ目はない。この中で知覚と意識とは〈認知〉の枠組に重なる。
マイケル・ポラニーは、「知覚は暗黙知の最も貧しい形式を演じる」という。これを音楽を符号化し記録しようとする場合にあてはめて考えると、ポラニーの発言は、知覚できる限りの音を忠実に符号化すれば、暗黙性の情報をとり逃がすことがないであろうことを言外に支持している。たしかに、意識でき言語記号化できる構造だけを描写する五線譜による符号化はこの点でまったく不備だった。それに対して、知覚できる限りの音の構造をほとんど完璧に符号化し、万全の体制をもってその記録再生を可能にしたのが、PCM方式によって符号化されたビット配列を搭載するCD(コンパクト・ディスク)に他ならない。これは、人間に音として聴こえる空気振動の全周波数領域20Hzないし20kHzをゆとりをもってカバーするよう、標本化周波数44.1kHz、量子化ビット数16ビットでデジタル変換し、符号列に記述している。つまり、CDは、知覚できる音のすべてを精密に描写した「楽譜の一種」と考えることが可能な媒体なのである。ポラニーの言に依らずとも、こうしたCDは、明白、暗黙の両次元にわたって音を捉え切っているに違いない。暗黙知の概念とはかかわりなく、現代社会はそれを信じた。
しかし、CDの実用化が惹き起こしたLP―CD論争とかスタジオ・ミュージシァンやエンジニアたちがデジタルオーディオ機器に示した負の反応がもしもまったくのたわごとでないならば、ポラニーの考え方と違って、知覚できる音のすべてを符号化したCDにもなお捉え切れない暗黙の次元が存在する可能性を否定し去ることができなくなる。CDという音の媒体をめぐって私たちが出逢ってきたいくつかの事象や体験は、知覚領域外の空気振動の中にも人間に影響を及ぼす暗黙的構造が潜む可能性について吟味することを求めているのではないだろうか。これを「可聴域を超える高周波成分が人間に及ぼす影響」という切り口で自分流に捉えると、それは音の料理人でもある大橋力にとって確固たる自明の体験の中にある。たとえばそれは、暗黙の森の中に潜む獲物の気配であり、狩人にとっては、次にはそれを狩り立てることが手順となることに何の不自然もない。1980年代の後半、大橋力は仲間たちとともに、この不可視の獲物を追いつめ、捕えることに邁進する「音の狩人」になっていた。
2.知覚圏外の音の狩りに旅立とうとした時、眼前に立ち塞がったのは、この未知の獲物を狩る不可欠の道具のいくつもが、この世に存在していないという現実だった。
まず、空気振動を電気振動に変換するマイクロフォンに深刻な問題があった。さまざまな事象から発生する空気振動を、聴こえるか聴こえないかにかかわらず十全に捉えようとすると、その応答周波数の上限を100kHz以上まで確保したマイクロフォンが必要になることが過去の知見から推定された。しかし、マイクロフォンは元来「聴こえる音」を電気信号に変換すればよいものだから、当時スタジオ録音用として開発された最高級のマイクロフォンでも、人類の可聴域の上限となる20kHzを超える成分に対して忠実な応答を考慮していないのは当然だった。それらは当初から、本発明者らの検討対象になりえない。ただし、研究用であれば、たとえば物体の破壊とか爆発の振動を計測する必要から、人間には音として聴こえない空気振動を拾うマイクロフォンが存在し、デンマークや日本のメーカーが製造していた。ところが、これらには別の限界があった。それらは、音楽を念頭においていないために、ノイズや音質の面でとうてい感性にかかわる音を収録できるものではない。また、極限的な性能を引きだすため、制約された条件下でなければ安全に使えない代物だった。たとえば熱帯雨林やバリ島の庭園のような高温多湿になりやすい環境では、振動板上の結露がスパークを起こし、再起不能の致命傷を負ってしまう。しかし、他に代替できるものがないために、電子回路を改造して信号対雑音比(SN比)を向上させたり、結露防止の方法を工夫したりして、そして最終的には現場での運用技術、つまり職人の技によって、これを使いこなすこととなった。
次の関門になる録音機の仕様も、可聴域上限とされる20kHz前後までの応答を示せば、一級の業務用機器として通用していた。すべてアナログテープレコーダーの時代である。この性能は問題にならないのでNAGRA製のレコーダーを改造して、40kHzくらいまでの応答を平坦にした。しかし、多くの楽器音や環境音がその周波数上限をこえ、限界が明らかになった。データ記録用のレコーダーの中に、60kHzに及ぶ応答特性をもつものが開発されたが、実際に音をとってみると、なおその周波数上限には限界があった。もちろん、この間策定されたDAT(デジタルオーディオテープ)の国際規格は周波数上限24kHzで、本発明者らの研究目的にはとうてい適合しなかった。一方で本発明者らは、信号構造の解析をはじめとする研究遂行上の必要に迫られて、D‐RAMを記録媒体とする500kHz標本化16ビット量子化のデジタル信号処理システムを構築したりもした。しかしそれは大型の複雑な装置系であるうえに、わずか2分12秒にして記録容量が尽きるものだった。
この非常に困難をきわめたデータ記録の問題を一挙に解決したのが、信号処理の天才、山崎芳男早稲田大学教授による高速標本化一ビット量子化アナログ=デジタル変換方式の発明だった。この信号処理方式の存在は、パイオニア株式会社の山本武夫副社長(当時)から教示をいただき、そのご紹介によって、山崎教授から、まず小型で可搬性のきわめて優秀なシステムを造っていただいた。これは、DCから100kHzまでマイナス3dBという周波数応答を示し、それまでのあらゆるオーディオ信号レコーダーの概念を覆すものとして完成した。この第1号機を起点にして次々に開発していただいた山崎教授の実に美しい音色をもった数々のレコーダーによって本発明者らの研究は一気に加速し、軌道に乗ることができた。
記録の次の関門は、音響分析である。ここでも、オーディオ用スペクトル分析機がすべて20kHzを限界としている点でマイクロフォンやレコーダーと同じ問題があった。そして、その問題への対応は、すくなくとも当初は、マイクロフォンやレコーダーよりもさらに困難を極め、ほとんど悲惨な状況を呈した。本発明者らが対象にしつつある音たちの成分が実際どのあたりの周波数にまで及んでいるのかまったく見当がつかない。研究システム全体の仕様を決めていくうえでも、どうしても100kHzくらいまでは分析したい。しかしそれは、1980年代当初の音響分析の世界では狂気の沙汰以外の何物でもなかったろう。もちろんそれを可能にする機器の片鱗もない。
そこで、音響学以外の可能な限りの他分野にわたって、100kHzまでのFFT解析が行われていないかを探索した。その結果、音とはまったくかかわりのない気象観測の先端領域にレーザーレーダーを使う技術があり、その中で100kHzに及ぶFFT解析が行われていることがわかった。さらに、その解析ソフトウェアが、筑波研究学園都市に所在する気象庁気象研究所(当時)のメインフレームに搭載されていることをつきとめた。そこで、八方手をつくして、そして見知らぬ方がたのご好意によって、本発明者らの音のデータを、おそらくは非公式的にこのメインフレームにわり込ませ、FFTにかけることができた。その結果は、本発明者らが実際に接している音の中には可聴域上限をはるかにこえる超高周波域にまで及ぶ成分がすくなからず存在し、実験科学的にそれらを対象にするうえでは、周波数の解析は、常に100kHz程度までは視野に入れておかなければ安全とはいえないという判断を導いた。しかし、一体どこにそのようなFFT分析機があるのだろうか。
このやっかいな事態は、日本の有力な計測器メーカー〈小野測器〉から、救いの神のように100kHzまで解析が可能な自動FFTアナライザーが発売されたことで曙光をえた。ご縁のある東京大学の山崎弘郎教授(当時)の研究室にこの機器が導入され、これを時々拝借することで事態は大きく前進した。とはいうものの、この救いの神は80キログラムという人間の体重としてもかなりな重量級であったため、これを日本人としても小柄な女性の研究者たちが東京から筑波まで電車で手運びするといった相当に悲壮な事態にも出合っている。しかし、やがてより小型高性能の機材が登場して事情は好転した。
次の段階として、さまざまな音を被験者に呈示するための再生系を構築しなければならない。特に、この研究が100kHzまでの高周波成分を視野に入れるとすると、そこまでの電気信号を空気振動に変換するための非常に高性能のスピーカーシステムや、それを駆動する優秀なアンプリファイア類が必要となる。本来は非常に困難であるべきこの課題は、個々のパーツのほとんどすべてを市販の高級オーディオ用部材の中から調達することでとりあえずのり切ることができた。その背景は、絶頂期のLPがその溝に刻み込んでいた100kHzになんなんとする信号が、再生系をいかに向上させようとそれでも汲み尽くせぬひびきの含蓄を秘めていたことにある。そのため、高級オーディオの分野で開発された公式的な技術仕様からするとあまりにも過剰品質であるはずの部品やシステムが、実際に使ってみると理論的には考えられない音質向上をもたらす。結果的にみると、厳密には力不足かもしれないが実用的には、本発明者らの実験に耐えるレベルの機材や部材がオーディオ市場に蓄積していたのである。ただし、超高周波を再生するためのスピーカーユニットについてはあまりにも課題が大きく、ダイアモンドを気化させてドーム型に再結晶させるという荒技でようやく解決をみた。
むしろ既存の再生系についての最大の衝撃は、音響学の分野で高周波成分が音質差を導く状態を調べる目的で使われている「正統的」な回路の構成だった。それは、音源となる原電気信号をふたつに分岐させ、一方はそのまま、一方は一定の特性をもったローパスフィルター(定められた値よりも高い周波数成分をカットする作用をもつ電子回路)を通過させるように構成されている。これによって全帯域成分を含む信号と高周波成分だけを除いた成分とがつくれるので、被験者にわからない状態でそれぞれを切り換えながら聴かせ、それが音質差として感じ取られたか否かを質問紙上に答えてもらい、統計処理にかけるのである。
本発明者らは、最初に、この方法に従って豊富な高周波を含むいくつかの音源について実験を行い、素朴なレベルではあるが、20kHz以上の高周波の有無が聴き分けられていることを支持する結果をえた。この時、大橋力自身が遮断周波数を任意に選択できるフィルターを使って、いわば音の料理人風に直観的に音質差を味わってみたところ、20kHzや30kHzはもちろん、50kHzをこえる高周波をカットしても、それは音質差を感じさせた。
大橋力自身のそうした体験も背景にして、萌芽的ながら十分それに値すると判断した私は、1984年この実験結果を日本でもっとも権威ある音響学の学会で発表することにした。大学院の学生が行ったその講演発表は、科学ジャーナリズムから高い注目を浴びる一方、22kHz以上の成分をカットするフォーマットで市場化されたCDの関係者をはじめ、当時のPCMデジタルオーディオ関係者の反撥を、当然のことながら激しく浴びた。
もちろん、正統的な聴覚関係の研究者の中に、真摯に関心を払う人びとも存在した。そうした人びととの論議の中で、世界中で使われ、ここでも採用されている正統的な回路、すなわち、ローパスフィルターを通ったハイカット信号とそれを通さず単なる銅線を通ってきたフルレンジ信号とを切り換え、以後は同一の再生系を通し、出てきた再生音を聴き較べるという公定方式への疑義が浮上した。
フィルター回路はいかに単純に造っても複数の素子からなる電子的回路を構成しなければならない。それは遮断の対象にならなかったフラットであるべき周波数領域に、単なる銅線と比較すれば無視できない特性の凹凸をもつことを原理的に避けられない。また周波数成分によって回路を通過する速度が不均質化する〈群遅延特性〉も無視できない。さらに、フィルター回路以後のアンプやスピーカーの中で、それを通過する互いに異なる周波数成分間の相互作用によって〈非線型歪み(IM歪み)〉が発生する可能性があり、それが回路を通過する信号の成分の差によって等しくなくなることを避けられない。そして、この三つはいずれも、音質の違いの原因となりうる。つまり、このようなフィルター回路を通った信号と、それを通らず単なる銅線を直行してきた信号との間には、実験目的として設定した周波数成分の差以外にそれとは無関係な原因群による信号の差が現れることを避けられず、それが音質の違いを導かないという保証は、まったくないのである。
このような性格をもった現行の正統的なシステムでは、そこに音質差が検知されなかった場合には問題はないけれども、もし音質差が検出された場合、その音の違いが問題とする周波数成分の差によるのか、フィルターの平坦性の限界によるのか、群遅延の差によるのか、あるいは非線型歪みの差によるのか、何人にもわからない。恐らく実際には、これらが協調したものになるだろう。大橋力自身が周波数可変フィルターでどこへ遮断周波数を動かしても音質差を感じとってしまったのは、単に周波数成分の差を聴き分けていたのではなかったのかもしれない。
ちなみに、音の料理人としての本発明者らは、スタジオやオーディオルームの中で、信号を運ぶケーブルの種類を換えただけで音質が無視できない変化をすることを承知しており、その選択に注意している。しかし、ケーブル間の音質差に較べて、複雑なフィルター回路と単なる銅線との間に発生する音質差の方がより小さいとは考え難いのではないだろうか。このように考えると、現在なお正統的であるのかもしれないこの回路モデルは、音質差が検知されない場合にのみ有効性を主張できるたいへん独特なものであり、論理上の欠陥をもつものという批判を躱すのは困難だろう。
このことを生命科学者としての訓練を受けた大橋力からみると、現代生物学の実験モデルとしては、この回路構成のロジックはアカデミックには恐らく承認され難いレベルにあるかもしれない。そこでこの論理上の欠陥を回避できる回路モデルを構成できないか検討した。これについては江川三郎、芝崎功の両オーディオ評論家から良いヒントをいただき、先の論理上の欠陥をすべて回避しうる〈バイチャンネル再生系〉と名付けたシステムを構成することができた。その骨子は、原再生電気信号をまず可聴域成分と超可聴域高周波成分とに分け、それぞれをスイッチでオン/オフできるようにしたうえで、双方を完全に独立させて空気振動にまで再生するように回路をつくるところにある。その上で両方のスイッチをオンにすればすべての成分を含むフルレンジ音、可聴域成分のスイッチだけをオンにすればハイカット音、超可聴域成分のスイッチだけをオンにすればローカット音(聴こえない高周波)を再生できる。この回路では、現行の正統的な回路のもつ音源からスピーカーに至る経路内の先に挙げた論理上の不備は、すべて解消されている(ただし、空間的に離れたスピーカーから放出された空気振動間に相互作用が発生し音質に影響を及ぼす可能性は残るので、実験条件の設定に注意を要する)。このようにして骨格を確立した再生系は、その後折をみては強化と再開発が計られ続けた。特に重要なその発展として、静的にだけでなく動的にも通常のシステムよりも忠実度が高く、鋭敏強力であり、音質も優れたスピーカーシステム〈オオハシモニター(OOHASHI MONITOR)〉シリーズの開発、DVDを媒体としSACDフォーマットを使って特別な仕様を設定して100kHzをこえる信号のパッケージ化を実現したプレイヤーの開発、これらを統合し本発明者らの研究をほぼ全面的に追試可能にしたオーセンティック・ハイパーソニック・オーディオ・システムの構築と公開などがある。
3.続く課題として、知覚圏外の音が人間に及ぼす影響を検出する実験モデルを構築しなければならない。1980年前後、PCM方式によるデジタルオーディオの実用化に先だって、どの周波数までの高周波成分が音質に影響を及ぼすかを評価する実験が日本を中心にしていくつも行われた。その中には、日ごろ20kHz以上の超高周波成分の効果を認めそれを活用しているスタジオ・エンジニアたちを含む被験者群を使った厳密性の高い大規模な実験があった。世界的に権威を認められることになったその実験の結果は、音楽の中の高周波成分の有無が人間に音質差として検知されうる限界は14kHz止まりであり、16kHz以上の高周波成分の有無は人間には音質の差として感じられないというものだった。同じ目的のもとにドイツで行われたホワイトノイズの高域を段階的に遮断して呈示する実験からは、10kHz以上の高周波成分の有無は音質差に何の影響も及ぼさないことが示された。これらが、デジタルオーディオにおける標本化周波数の規格(32kHz、44.1kHz、48kHz)の根拠になっている。
これらの実験およびその結果と、それを背景にした専門研究者たちの姿勢は、実験の被験者となったとりわけ優れた感覚をもつ一部の真摯なスタジオ・エンジニアに対してその鋭敏な感覚を事実に反して否定するという作用を及ぼした。その結果、忍び難い悩みにつき落とされ体調を崩すといったまったく不当で深刻な悲しむべき事例さえ導いている。そうした状況に身近に接していた大橋力は、実験データが権威ある理論に裏付けられ、十分に整備された実験から導かれた知見であることを承知していながら、この鉄壁の権威に疑義を呈しそれを実験的に検証しようとすることにほとんどためらいを感じることはなかった。なぜなら、音の料理人としての発明者、〈山城祥二〉にとっては、20kHzはおろか50kHzをこえ100kHzになんなんとする「知覚圏外の音」が己れに固有の味創りのエッセンスになっているのだから、非言語性の内観として、それは自明の真実に他ならない。同時にそれは、ある種の感覚感性をもつスタジオ・エンジニアやミュージシァンたちとの間で「以心伝心」で共有された体験知でもあった。次に、この山城祥二と同じ生命体の中に棲む科学者大橋力から見ると、これほど自明な体験的事実を現行の研究手法が検出できないならば、それは、研究手法それ自体の限界の存在を視野に入れ、その克服を計らなければならないことを意味する。
こうした課題にアプローチするには、既存の手法とはできるだけ距離の大きい別の原理にのっとった複数の手法を総合的に結びつけて包囲網を作り、獲物を確実に追い込む作戦が有効となる。それは、高度に専門化し単機能化を深めている学問の通念としては困難かもしれないが、たまたま音の料理人と自然科学者とが一個人の中に融合している大橋力固有の状態からの出発ならば、成り立つ可能性はゼロとはいえないと考えた。
このスタンスに立って、知覚圏外の音が人間に及ぼす影響を捉える研究の手はじめとして、現行の心理学的手法とはまったく異なる切り口を新たに開くことにし、当時ほとんど未着手だった生理学的手法に注目した。その対象として、音を受容しその味わいを導き出す装置「脳」に勝るものはない。幸運なことに、人類史上初めて、本発明者らはさまざまな非侵襲脳機能解析手法を利用できる機会を得つつあった。いくつかの手法は、それぞれ違った切り口から脳の活性を描き出すことに道を開いている。これらを適切に組み合わせると、すこし前の時代には想像もできなかったほどの価値ある知見を手にすることも夢ではない。
ただし、これらの手法のほとんどすべてが元来、医療目的のために開発されたもので、大方は莫大な設備投資を必要とするうえに、音を呈示したりその音を聴取する際に計測機器や手法それ自体が障害となるような性質をもつものもすくなくない。しかも、測定時に無視できないネガティブな心理的情動的バイアスを被験者に与える恐れをもっている。つまり、こうした既存の方法は、病気や生理的異常の発見など医療目的の用途には有効であっても、本発明者らがこれまでその精妙さのゆえに検出できずにいる知覚圏外の音の応答に迫ろうとする目的のためにそのまま使用することは難しい。あわせて、実験場所・機会・頻度なども著しく限定される。ことに、新しい研究を始めた時訪れる〈探索的研究〉の段階では、できるだけ多数の実験を幅広く行うこと、そして頻繁に統計処理をほどこさなければならないことを配慮する必要がある。そこで、この探索的研究に達した生理的指標として何があるのかを模索した。その結果、既成技術の根本的見直しと二、三の問題点を克服することを前提にすれば、脳活動の指標としてよく知られた頭皮上の電位のゆらぎ、すなわち脳波(EEG)を捉える方法の再構築を行うことがもっとも有望であろうという結論に達した。
脳波の研究史では、まず〈自発脳波〉が注目され、α波(=αリズム:8〜13Hz)、β波(13〜30Hz)、θ波(4〜8Hz)、δ波(1〜4Hz)などの周波数帯域別に分析することが古くから行われてきた。その後、〈誘発脳波(EP)〉への注目がたかまり、最近ではそれをより発展させた〈事象関連電位(ERP)〉の応用が盛んになっている。これらの方法がもつ音質評価指標としての有効性を考えると、単発刺激に対する一過性の反応を検出する誘発電位系の方法の適合性は、環境音あるいは音楽など、長時間連続して聴取される音現象と人間の脳との調和を評価するこの研究の目的に対して決して高くはない。まとまった時間連続して入力する環境情報に対する心身の反応をトータルに把握しようとするこの研究の目的には、より不安定で計測・分析が困難なものではあるが、脳の「基底状態」を反映する自発脳波の方が指標としてより妥当といえる。とくに、覚醒状態下での平安感・快適性あるいは集中性などの指標としてよく知られているだけでなく不快な音によって抑制されることも周知されているα波は、指標の候補として注目される。そこで、このα帯域の電気的活性を脳と情報環境との適合性の指標とする作業仮説を次のように構成して、脳波による生体影響評価法の開発を進めた。
誘発脳波の研究では、「刺激=反射」モデルに基づき、ある情報入力に対する反射的出力として脳電位活性を捉える。一方、自発脳波については、入力=出力関係で捉えるモデル化は明確にはなされていない。しかし、実態は、誘発脳波の発想に近い入力=出力関係で捉える考え方が暗黙裡に支配的な状態にある。それをあえていえば、「α波は初期条件としては発生しておらず、なんらかの情報入力のレスポンスとして出現する」という考え方である。この発想は、音の影響を脳波を指標として評価しようとするとき、「無音状態」をスタンダードとし、そこになんらかの音が呈示されたとき脳波にどのようにパワーが出力してくるかを測る、という方法の中に描き出されている。
しかし、このモデルでスタンダードとする無音状態とは、人類またはその祖先の大型類人猿が森林性の環境の中で進化したとすると、その過程を通じて、例外としてもほとんど遭遇することのない生物学的にはきわめて特異な音環境といわなければならない。それは、人類の遺伝子を育んだ「本来の音環境」ともっとも隔たりのある音環境の一典型といえよう。従って、無音状態は人類にとって異常な負の刺激としてきわめて強く作用する可能性が高い。そこで、これをスタンダードあるいはコントロールとする現在の通念に同調することは危険と考えた。
人類の遺伝子を育んだ本来の環境と推定される熱帯雨林では、環境音がきわめて豊かである。つまり人間と音との適合性を評価する際の音環境のスタンダードは、無音よりは、熱帯雨林型の情報構造をもつ豊かな音環境とする方が妥当性が高い。そこで、「本来―適応モデル」を援用して、α波の活性を「脳の本来の状態」または「ストレスフリー状態」の指標として位置づけ、元来、相当なレベルで常時発生しているとするひとつの作業仮説を導いた。すなわち、人類がその本来の環境の中で、適応反応がもっともすくなく本来の生命活性がもっとも高度に実現している平安な状況下においてストレスは最少レベルに低下し、α波はその活性をもっとも高める。本来からの乖離にあわせてストレスが発生し、あるいは増大し、適応の高度化を促すとともにそれに対応してα波の活性が低下すると考える。このようにα波が〈本来性〉の指標であるならば、環境が本来からずれてストレスを生む情報的な要因が現れた場合、脳波α波のパワーは抑制されるはずである。このことを視野に入れると、従来の脳波測定法がα波の出現を抑制するような情報環境要因を排除する措置をとっていたかどうかが新しい問題として浮上してくる。
脳波計測は、わずかの例外を除いて、医療機関というそれ自体心理的に負のバイアスを伴いやすい環境内で行われてきた。ことに脳波は、微弱な電気現象で外来の電磁誘導ノイズの影響を受けやすいため、高感度でS/N比の低い機材が使われていた時代の名残りもあって、電磁シールド化され密室化した十分に脅迫的な雰囲気をもつ専用の検査室に被験者をおき、目を閉じて視覚を遮断し、体動を禁じて測定を行うことが推奨されてきた。そうでない場合でも、検査室内の医療目的のしつらえや調度のつくる環境は、普通の人びとの心には不安や恐怖をかきたてずにはおかない。もちろん、疾病の指標となる異常脳波の検出やきわめて短時間の反射的な誘発脳波反応の観察のためには、こうした測定環境はほとんど結果に影響を及ぼさないだろう。しかし、快適性や心理的平安を反映して持続的に出現する自発脳波α波を観察する場合、被験者にとって不安やストレスの原因になる測定環境は、それ自体が結果に影響を及ぼし、その発現に対して抑制的に働く。そこで、たまたま大橋力の職場が筑波から首都圏内の国立の大学共同利用機関に移ったのを契機に、この問題を小さくできるような実験環境をあらためて構築することにした。この設計と施工は、英国のアビーロード・スタジオや日本ビクター・青山スタジオなどの傑作を築いてきた世界最高峰のスタジオ設計家豊島政実教授によって進められ、大成功を収めた。
ここではなによりも、被験者が心理的ストレスを大きく被らない構造・機能を重視した。たとえば通常の音響実験室が音をしめ出すことを優先して視覚的にも完全な遮蔽状態をつくるのに対して、この実験室では遮音処理をした二重ガラス窓を屋外に向けて大きくとり、自然光と外界の視覚像を確保した。内装は木質系を基本とした自然指向のデザインに仕上げ、室内各所に自然を描いた環境絵画や観葉植物などを配した。さらに、スピーカー以外の実験機器のすべてを視野外におくと同時に、ケーブル類はピット内に納め、視覚的連想が実験を意識させる度合を減じるように努めた。加えて、できるだけ多様な音響空間をシミュレートでき、しかもひびきの美しさと自然性を失わないために、部屋の壁面の材質を変化させることによって音響特性を制御する新しい方式を開発した。壁面を回転式の三角柱で構成し、その三つの面を三種類の異なる音響特性をもつ素材、すなわち密度の高い大理石、桜材、吸音素材+ジャージクロスで外装した。この三角柱を1本ずつ回転することで、ナチュラルな部屋のデザインを確保しながら響きの美しい多種多様の音響空間を創り出すことが可能になった。
被験者から脳波を導出する方法も見直した。病院の検査室などで一般的に見られる煩瑣で不快な手順自体、音楽のポジティブな効果を帳消しにしてなお余りあるほどの負の情動作用をもたらす。そこで、すでに電極を取り付けてあるキャップを被り、多チャンネルの脳波データを被験者のポケットに入れた小型のトランスミッターからFM多重送信によりワイアレスで送ることのできるシステムを造った。これによって、素早く電極をセットし、被験者がケーブルに拘束されずに自在に行動しながら計測に臨むことを可能にした。
脳波を指標とする実験で最後に立ちはだかってくるのは、データの安定性、信頼性を高めることがきわめて難しいという性質である。脳波計は、マイクロボルトレベルの頭皮上の電位のゆらぎをすべて脳波として拾う。しかしそこには、筋肉が動くときに発生するケタ違いに強力な電位が混ざり込む可能性が常につきまとっている。また、計器がすべてをα波として計量する8Hzから13Hzのゆらぎ成分の中にランダム性の雑音が混入しているかもしれない。さらに、頭皮上の局所に原因不明の電位のゆらぎが起こり、異常な状態にあるのかもしれない。ふつうはあまり考慮されないこうした可能性をすべてチェックし資格審査に合格する脳波でなければ、知覚圏外の音への反応といった特にデリケートな実験の指標にはなりえないだろう。
この点で厳密を期し、信頼性を高めるために、データ解析に当って、通常はそのように厳格に行われることのない複数の厳重な関門をもうけてチェックした。まず、データを多チャンネルでとり〈時間波型〉を監視してノイズに汚染されていないかを確認する。次に、各電極ごとの電位データをFFTにかけて、注目する周波数ポイントごとにノイズ成分から独立したピークを形成しているかを確かめる。さらに、全チャンネルのデータの単位時間ごとのFFTをもとに頭皮全体の脳波等電位地図(Brain Electrical Activity Map=BEAM)を描かせ、頭皮上の電位分布が異常でないかを確かめる。これらのすべてについて問題がなかった場合、前記のBEAMに基づいて頭皮上の特定領域からのα波パワーの時間積分値を計算し、α波パワーの数量化データを得る。これを個人差を相殺するようノーマライズした上で、相当数の被験者からのデータを統計解析にかけるのである。このような処置によって、脳波データは飛躍的に安定性と信頼性を高めた。それは脳波がもっともめざましい力を示す時間解像度の高さと相まって、本発明者らの研究を成功に導く決定的な役割を果たすことになった。
脳波による探索的研究は、知覚圏外の高周波が導く生理反応の独特な時間特性について、きわめて価値ある発見を導いた。ただし、脳波は時間解像力に優れている反面、空間解像力はきわめて低い。ところが、脳機能研究は、脳内の臓器レベルでの空間的な機能の局在をつきとめなければ決め手を欠き、はなはだもの足りない知見に甘んじなければならない。これを現在もっとも適切に行いうる手法はfMRIとPETをもって頂点とする。この中の機能的磁気共鳴画像法(fMRI)は、しかし、強大な磁力をインパルス的に発生させるために、被験者が入るスキャナ自体が巨大なスピーカーのように振動し、耳を聾せんばかりの騒音を発生させる場合があって、音の研究にははなはだ適性に欠ける。陽電子放射断層画像法(PET)にはそれほどのノイズは伴わないので音の実験には適性が高い。しかしこれは放射性同位元素を使用するので、同一被験者を短い期間内にくり返し実験に参加を求めることができない。そのため、十分慎重に構築された実験計画にのっとって、何年かにわたって事を運ぶ必要がある。
本発明者らのこの実験は、前例がないうえに固有の問題点がはなはだ多いものとなった。そうした作戦計画の中で、一般的な手法から出発して比較的円滑に有効性を発揮できたのは、心理学・行動学的実験、そして血流中の生理活性物質の分析である。とはいえ、それらはいずれも、非常に苦心の多かった生理実験から得られた応答の時間的非対称性を核とするユニークな知見を当初から前提にすることで成り立ったものなので、実験条件それ自体を見ると、それぞれの元来の手法からは、大きくへだたったところをもっている。
このように、本発明者らの知覚圏外の音への狩りは、単一の専門分野から一方向に向かって追跡するのではなく、さまざまな分野から手段や方略を糾合して包囲網をつくり、獲物を確実に追い込むという戦略のもとに進められた。
4.最後に、決定的な課題として、人間のもつ暗黙の感受性を叩き出す衝撃となる強大な超高周波のパワーを含んだ空気振動をつくる刺戟音源の準備について触れなければならない。ここには、ちょうど核物理学で加速器が素粒子やイオンのビームをどれだけ加速し、粒子の衝突時に注入されるエネルギーをどれだけ高めうるかが実験の稔りを左右するのとよく似た構造がある。しかも人間という生命を支配する自然性や文化性という重要なコード体系にも、ぬかりなく適切な配慮をはらわなければならない。
そのような条件を満たすために、自然と伝統を高度に確保した文化圏の中から、人類との親和性について歴史的な実績をもつ音楽を構成してきた音源に注目し、フィールドワークを中心に地球規模で素材を二十数年間にわたって探索収集した(本発明者らのこの収集成果の一部は、民族音楽の国際的なコレクションCDのひとつ《JVCワールドサウンズ》中に、約50タイトル収録され、市販されている)。
数十の音楽文化圏についてのかなり多数にのぼる素材探索の中から、本発明者らの実験目的に打ってつけのひとつの楽曲を選び出すことができた。それは、バリ島のガムラン音楽の一形式、〈ガムラン・スマルプグリンガン〉で演奏された楽曲、『ガンバン・クタ』である。その曲は全長約200秒間という本発明者らの実験にとって理想的な長さをもち、自然な流れの中にくり返し聴いても飽きのこない構成の妙もある。そして、バリ島のガムラン音楽としてはマイルドな楽曲でありながら、全曲にわたって、他に例を見ないすさまじいばかりの超高周波成分を満ちあふれさせている。FFTで見るその全曲の平均パワースペクトルは50kHzに達する(図1)。この平均値がいかなる意味をもつかは、同じ曲をピアノで演奏した場合、それが10kHz前後に及ぶにすぎないことからもわかる。さらに、ミクロな時間領域の構造をMEスペクトルアレイで見ると、周波数の上限は頻繁に100kHzをこえるうえ、全体として複雑なアナログ構造が激しく変容をし続けている(図2)。
この非定常なゆらぎ構造は、その後の検討で、本発明者らの研究に使う音源として必須なものであることがわかった。というのは、この超高周波成分を、平均パワースペクトルを等しくしたゆらぎのない定常性の帯域雑音に入れ換えたり、周期性の正弦波に変えると、その効果を喪い、あるいは負の効果を導くからである。
この楽曲をバリ島で現地録音して日本に運び、もう一方でできるかぎり周到に準備してきた実験環境にそれを展開した時、当初は不可能と思われていたブレークスルーが始まったのである。
<1−1−2>初めての必須情報〈ハイパーソニックエフェクト〉の発見.
知覚圏外の超高周波音の効果を追う狩りの最初の、しかし決定的価値をもった獲物が、脳波α波(αリズム)を指標とする生理実験から得られた。そのデータは、バリ島のガムラン音楽を聴く実験の中で、脳波計測が得意とする脳活性の変遷を高度な時間分解能で捉える切り口から導かれた。ガムランの非定常なゆらぎに満ちた知覚圏外の超高周波を豊かに含むフルレンジ音と、そこから26kHz以上の超高周波成分だけを除いたハイカット音(図3および図4)とを切り換えて聴く時、脳波α波パワーを全被験者について積算した値が、フルレンジ音でより大きくハイカット音でより小さく現れたのである。この実験について個々の被験者が辿ったα波パワーの推移を20秒きざみで細かく観察したところ、呈示音の切り換えとα波の活性の増減のタイミングがずれているかのような傾向がしばしば見られた。そこで、この実験の被験者11人のノーマライズ(個人差を相殺する処理)したα波パワーを単位時間ごとに平均し、それを時間軸に沿って列べてみたところ、これまで何人にも想像できなかったであろう経過が浮上した。それは実に意表を突くものであったと同時に、本発明者らの研究に決定的な幸運をもたらすものとなった。
そこに現れてきたのは、まず、超高周波を含むフルレンジ音によってα波の活性は顕著に高まるのだけれども、その値が〈高い水準〉に達するまでに、数秒から十数秒間を要するという事実だった(図5乃至図10:超高周波を含むハイパーソニックエフェクトによるハイパーソニックサウンドの導く生理、心理、行動反応)。のちに脳波をMEスペクトルアレイ法で詳しく解析した結果、α波の活性は、呈示音の到着直後に一旦低下したのち、平均約7秒間程度の遅延を経て高い値に向かうという経過を辿ることが見出された。次に、こうしてα波が高い値に達してから高周波成分だけを除外してハイカット音に移行すると、α波のパワーの平均値はそのまま高いレベルを保ちつつ約100秒間近く残留したのち急激に低下して〈低い水準〉に落ち着くことがわかった。そこで、脳波活性変動のこのような遅延や残留の影響をできるだけ小さくするよう音を呈示し始めてから100秒間の値を計算の対象から外し、それ以後の安定した値だけを対象にして統計処理を行ったところ、有意性が認められる水準(p<0.05)で、フルレンジ音を聴くときの方がハイカット音を聴くときよりもα波のパワーが高まることが見出された。
この実験は、可聴域上限をこえ人間に音として聴こえない超高周波成分を含む音が、その超高周波成分を除いた音よりも脳波α波の活性を高めること、すなわち人間の脳に影響を及ぼしているという事実を統計的な有意差に裏付けられて初めてはっきりと示した。その意義は、いうまでもなく量り知れない。それに劣らぬ大きな獲物は、こうして導かれたα波パワーの増強という脳活性の変化がその刺激となる音が呈示され始めてから数秒ないし十数秒間遅れて現れ、刺激が終わったあと60秒から100秒間も残留するというまったく予想もしなかった事実である。この事実を発見した時、これまで何人も予想しなかっただろう音と人を結ぶ未開の次元が豁然として本発明者らの前に姿を顕したことを覚り、歓びと感動を禁じることができなかった。
この現象は、聴覚の生理学・心理学の基盤をゆるがさずにはおかない。というのは、人間の聴覚系は視覚系よりもずっと鋭い時間分解能をもっていて、入口の蝸牛神経から一次聴覚野まで、およそ9ミリ秒ほどで情報が届いてしまう。ここで本発明者らが初めて見出した音の違いによって脳波α波の活性が数秒から100秒ものスケールで遅延や残留を伴いながら変化するという現象は、聴覚神経系についての一般的な知識や理論では、説明の手がかりが与えられない。この遅延残留現象の発見は、のちに、鉄壁の権威を誇る既存の心理実験法に潜んでいた陥穽をあばき出すことにつながる。
探索的実験として高度に成功したα波の活性変化における遅延と残留の発見を前提にすることで、次の段階として、空間解像度を高めた脳機能解析実験がその有効性を期待させるところとなった。この実験は、PET(陽電子放射断層画像法)を使って脳波解析と並行して行われ、これも聴覚生理学の守備範囲をほとんど完全に乗り超える想像を絶する結果を導いた。
PETは、放射性同位元素を用いて脳の各部分の血流量(局所脳血流)を断層画像化する。神経細胞の活動とその部位の脳血流が並行する性質を利用して、脳全体を対象として神経活動の程度を高い空間解像度で調べることができる。ただし、ごく短い半減期をもつ放射性同位元素をその場で造って直ちに被験者に投与しなければならないため、そうした核種を造るサイクロトロンを含む大規模な設備と、高度な知識と技術を具えた多数のスタッフを要する。そこで京都大学脳病態生理学講座(当時)の柴崎浩教授、福井医科大学高エネルギー医学研究センターの米倉義晴教授のグループと共同して研究を行った。この時、並行して脳波も計測した。なお、脳波を指標にして行った実験と同じ発想で、PET測定室の環境を許される限り快適化した。
その実験現場の構成は、サイクロトロンを運用する核物理学実験の専門家、得られた核種(この場合15O)から投与用化学物質(この場合H2 15O)を造る合成化学の専門家、PETスキャナーを操作する専門技術者、同位元素の投与をはじめ被験者への対応を担当する医師兼実験者、実験の進行を監視し条件設定と制御に当る医師兼実験者、データの収集とリアルタイム解析に当る医師兼実験者らがセクションによっては複数参画し、[PETスキャン・ユニット]というべきひとつのまとまりをつくる。それに対してさらに、呈示音の送り出し、再生状態のモニター、脳波計測系のセッティング、脳波データの監視と収集、PETスキャンとの連動管理などに当る[音の呈示および脳波計測ユニット]が加わり、全体としてかなり複雑性の高いシステムが構築された。
システムに並んで大きな負担となるのが、被験者の確保である。被験者1名当り年間に投与する放射活性の総量は、安全性を万全に確保するため、自然界から微量に浴びる放射線総量と大差のないレベル内に抑えられなければならない。この規制によって実験の回数がきびしく制限されるため、同一被験者群を使って相当数の実験を行い統計処理にかけるという手順を踏むことがきわめて困難となる。本発明者らは、ゆとりをみて12名の健常者を母集団とする被験者群を編成し、それを3年間にわたり確保して、統計処理が可能になるデータを集めることができた。
この実験で使った音源は、本発明者らのスタンダードとなるバリ島のガムラン音楽『ガンバン・クタ』で、それを22kHz以上の聴こえない超高周波成分とそれ以下の可聴域成分とに分けたうえで、この両者が共存する音、可聴成分だけの音、聴こえない超高周波だけの音そして音のない暗騒音という四つの音の条件に対して脳がどう反応するかを調べた。
この実験は、呈示される音の違いに対応して脳のさまざまな部位の脳血流量が変化し、脳の活動が変化することを示した。当時から予想されたところとほとんど変わらない反応として、音楽が聴こえる条件のとき(超高周波成分と可聴音とが共存する音および可聴音が呈示された時)には、音楽の聴こえない超高周波成分単独が呈示されたときおよび暗騒音条件に較べて、聴覚神経系が集まる側頭葉が活性化された。
次に、超高周波を含む音を聴くときと超高周波を除いた音を聴くときの間で活性に違いが現れる脳の部位を探してみると、脳のもっとも深部に位置するふたつの領域で、統計的に有意な活性の差が見出された。その部位はそれぞれ〈脳幹〉と〈左視床〉とに属する。ただし、それらの部位は、聴覚神経系の中継点となっている〈下丘〉や〈内側膝状体〉とは一致しない。つまり、聴覚系に属する領域では、超高周波成分のあるかないかによって神経活動に変化は認められず、脳幹と視床の中で超高周波を含む音に対して特異的な反応を示した神経回路は聴覚系とは異なる。この脳幹と視床に現れた活性の上昇が、ガムラン音に超高周波成分が含まれていることの効果となる。
ところが、ここで活性上昇の元となった超高周波成分だけを単独で呈示した実験では、それを可聴音とともに呈示したとき見られた脳幹と視床の活性化はまったく認められない。従って、可聴域の音楽成分とそれをこえる知覚圏外の超高周波成分とが共存する場合にだけ、独特の効果が現れていることになる。なおくわしく調べると、脳幹と視床ではともに、音楽のない暗騒音の時に較べても超高周波を含む音を呈示しているときの方が活性が上昇している一方、きわめて注目すべきことに、超高周波を除いたときの時、音楽のない暗騒音の時よりもこれらの部位の活性が低下していた。
さらに、脳全体から記録した膨大な血流データを主成分分析をもちいて解析し、呈示される音の違いに対応して互いに関連し合いながらまとまって活動する神経回路の全体像を抽出することを試みた。その結果、まず、もっとも大きな活性の変化を示す第一主成分として側頭葉の聴覚野皮質を含む神経回路が予想どおり抽出された。その次に大きな変化を示す第二主成分として、脳幹と視床・視床下部を中心に前頭葉眼窩部を経由して前帯状回および前頭前野へと拡がる神経回路、すなわち〈脳基幹部ネットワーク〉とともに頭頂葉楔前部が抽出されるという注目すべき知見が得られた(図6)。前者は古典的な聴覚系神経回路に、後者は脳の深部を拠点として大脳辺縁系や大脳皮質へと投射する情動系神経回路、特に、本発明者らが提唱している<感性脳>にあわせて、生体制御を統括する〈生命脳〉に、よく対応している。
可聴域上限をこえる超高周波成分を豊富に含む音の導くこのような効果は、しかし、超高周波成分単独では現れてこない。また、可聴域成分だけではむしろそれらの領域の神経活動が抑制される。このように、PETによる局所脳血流の計測は、予想を超える刺戟に満ちた含蓄にあふれる知見をもたらした。
音楽が呈示されているとき活性化した聴覚野皮質は、音の情報処理を担う聴覚系の一部として古典的によく知られている。本発明者らの実験の中で、この部位は、可聴域成分が存在するとき、つまり音楽さえ聴こえていれば、超高周波成分があってもなくても同じように神経活動が上昇していた。一方、音楽に超高周波成分が含まれているときだけ神経活動が活発化した脳基幹部に含まれる領域では、超高周波成分を除いた音楽だけのときには、神経活動はむしろ低下している。つまり、これらの領域は、古典的な聴覚系とは違った仕方で働いていたのである。
超高周波を含む音による活性化が見出された上部脳幹(中脳)には、モノアミン作働性神経投射系やオピオイド作働性神経系など、広く〈報酬系〉と呼ばれる「快感と美の反応」にかかわる神経ネットワークの拠点となる神経細胞集団が集中している。それらは、快感の発生に密接に関係する他、広く情動反応一般の発生や調節に重要な役割を果たす。麻薬や覚醒剤のような精神変容性の化学物質がモノアミン作働性神経系やオピオイド作働性神経系に働きかけてその効果を発揮すること、それが作用する中心的な部位のひとつが脳幹であることも知られている。ここで抽出された脳基幹部ネットワークを報酬系として見ると、食や性を含むもっとも基礎的な生理的情動の座である中脳、愛や喜びなどポジティブな感情の座となる前帯状回、そしてもっとも高次な美と感動の座、前頭前野が連関して活性化されており、絶妙のプロポーションを見せる点が注目される。
視床は、ほとんどすべての感覚情報がここを経由して処理される他、脳の内部および外部を結ぶさまざまな情報伝達の重要な中継拠点となっている。また、大脳辺縁系の要素でもあり、コカインのような精神変容性化学物質の影響も及ぶことから、情動にも深くかかわっているものと考えられる。
視床下部は自律神経系の最高中枢であると同時に、内分泌系を制御する脳下垂体を直接支配し、免疫系とも密接に連携しながら体内環境の恒常性(ホメオスタシス)を維持している環境変動対処活性の座である。同時に摂食,飲水,体温,睡眠,性行動など生存に欠かすことのできないさまざまな行動の中枢も集まっていることから、〈生命脳〉と呼ばれるほど重視されている。
このように、聴こえない超高周波を含む音が脳幹・視床・視床下部を含む脳基幹部領域の神経活動を活発化させることは、知覚圏外の音を重要な側面としてもつ音情報が感性や情動にかかわると同時に、生命活動それ自体の根幹を担う脳の神経システムの活動にも深くかかわっている可能性を強く示唆するものである。
なお、本発明者らが発見し2000年および2003年に報告したこの脳基幹部ネットワークの活性化現象は、2001年にザトーレらによって音楽を「身ぶるいするような」応答とともに受容する脳のメカニズムとして報告されたところと、非常に高い共通性を示している。
2.本発明者らのPET実験では、同時に並行して脳波を計測し、空間分解能の高い脳血流と時間分解能の高い脳電位というふたつの指標を交差させることによって信頼性を高めるとともに、知覚圏外の音が関与する潜在的な応答メカニズムを浮上させることをねらった。ここで脳波のデータそれ自体を見てみると、PET計測条件下でも、「超高周波成分を含んだ音楽を聴くとき」だけα波のパワーが顕著に増強された。そしてそれ以外の条件すなわち「超高周波を除いた音楽」、「聴こえない超高周波成分だけ」、あるいは「音を呈示しない暗騒音」の下ではすべてα波の増強は認められず、それ以前の本発明者らの発見を支持する結果が得られた。
さらに、〈局所脳血流量〉と〈脳波の帯域別パワー〉とが相関を示す部位を探索し、ここでもきわめて価値ある事実を見出すことができた。まず、脳血流が脳波α波のパワーと相関を示す領域を調べたところ、左の視床に有意な正の相関が認められた。この領域の血流量が増えると、それに比例してα波のパワーが増強するのである。しかもこの関係は、音楽の有無にかかわりなく常に存在していた。このことは、視床がα波の発生や調節に常に関与していることを示唆するとともに、α波の活性が視床の活動を高い相関のもとに反映する良好な指標になりうることを示す。しかもこの領域は、視床の中でも超高周波を含む音で脳血流が増加した領域と、ほぼ完全に重なりあっているのである。さらに脳血流データの主成分分析によって描出された第二主成分の変動がα波のパワーと並行することも明らかになった(図7)。
これによって、超高周波を含む音を聴くとα波が増える仕組を推定することができる。まず、視床を中心とした脳基幹部ネットワークの活動状態に対応して血流量が増減するとそれを忠実に反映してα波のパワーが増減するという一般的な関係が存在する。もう一方には、超高周波を含む音を聴くことが視床を含む脳基幹部の血流を増やすという特異的な関係がある。この一般的な関係と特異的な関係とが組み合わされて、超高周波を含む音によって脳基幹部ネットワークが活性化され、それが脳波α波の増強に反映されたものと考えられる。ということは、脳波α波の活性は、音―空気振動という入力に限らず視覚を始めとするより多様な感覚入力を使う実験においても、脳基幹部ネットワークの活動を反映する指標として活用できることになる。
本発明者らは、非定常なゆらぎに満ちた可聴域をこえる高周波を含む音が脳波のα波パワーを増強し、脳幹や視床を含む脳基幹部を活性化させるこれらの生理的反応の発見を、これと並行して発見した心理的反応とあわせて〈ハイパーソニックエフェクト〉と命名し、あわせてこの効果を導く音を<ハイパーソニックサウンド>と名付けるとともに、この研究の詳細な報告を2000年6月、アメリカ生理学会の論文誌ジャーナル・オブ・ニューロフィジオロジー(Journal of Neurophysiology)上に発表した。この論文は、小著が概成された2003年5月時点でもなお、最新号を含む同誌掲載全論文中もっとも高頻度に読まれるベスト50に発表以来2年以上にわたって毎月連続してランクインしており、きわめて異例の高い関心を集め続けている。そして、2002年ころから、本発明者ら以外の研究グループによっても、自然環境音や楽器音について、ハイパーソニックエフェクトのいろいろな発現状態が本格的に検出され始めている。
続いて、本発明者らは、同じ実験について音楽を聴くことと脳波β波の活性、そして脳血流との関係を調べた検討からも非常に興味深くしかも有用な知見を得、これを報告した。まず、音楽がある時には、音楽がない時に較べて脳波β波のパワーが統計的有意に増強される。β波は、各種の認知活動に伴って増大するといわれるとおり、ここでも、音楽によって脳の中でなんらかの認知活動が活発化した可能性が考えられる。
また、脳血流と脳波β波平均ポテンシャルとが相関を示す領域を調べると、音楽のある、なしにかかわらず脳血流とβ波とが相関を示す複数の領域が両側の〈運動前野〉、〈帯状回〉などに見出された。そのうえ、音楽がある時にだけ特異的に相関を示す領域が〈頭頂葉楔前部〉に見出された。このことは、音楽あるいは恐らく森や村の自然環境音を含む連続して変容する非定常な音情報の入力によって活動のモードが変化する神経回路が脳の中に存在し、本発明者らがそうした音楽の存在を認知した状態下では、脳の情報処理のモードが固有の特異的な状態に転じていることを示唆し、その意義は小さくない。
脳の活動状態を推定する重要な手段の一領域として、神経活動を反映する体液内生理活性物質の存在状態を調べる方法がある。対象となる物質は、神経伝達物質とその代謝関連物質の一群、脳活動の出力を反映する内分泌関連物質群(ホルモン)そして、免疫活性も、すぐれた指標になる場合がある。精神と身体との相互関係を直接反映するこのような指標は、とりわけ都市情報環境の崩壊と都市の病理との関連性の解明や都市の再生にかかわる現実問題と直接結びつき、社会的にもゆるがせにできない。
この方面のアプローチは、本発明者らにとっては今後の大きな課題領域になっている。しかし、本発明者らはすでに探索的研究を進め、重要な知見を獲得し始めている。その一例を挙げよう。超高周波を含むガムラン音楽『ガンバン・クタ』を40分間くり返し聴いた時と、そのハイカットされた音楽を同じように聴いた時との、終了後の内分泌活性ならびに免疫活性を比較した。その結果、ハイカットした可聴音の時に較べて超高周波を含むハイパーソニックサウンドのときに、がん細胞に対する抵抗勢力の主力となるNK細胞の活性が統計的に有意に上昇するという見逃すことのできない重要な知見が得られている。あわせて、生体防衛活性の強さと快適度の高さを示す唾液に含まれる免疫グロブリンAと、精神ストレス対処活性の強さを示すクロモグラニンAがいずれも統計的有意に上昇し、ストレス指標となるアドレナリンの血中濃度が低下しており、超高周波が及ぼすポジティブな影響が全身に波及していることを裏付けている(図10)。
3.ハイパーソニックエフェクトは、生理的には脳基幹部の活性化を通じて、本発明者らの躰を健やかな状態に導くとともに、感覚感性的には人を快感と美の反応に包む。この健康で快適な生存の霊薬ともいえるハイパーソニックエフェクトは、熱帯雨林や伝統的祝祭空間の音環境の中ではたえまなく発生し続けているはずである。
ハイパーソニックエフェクトを、本発明者らが発見するにあたってその強烈な脳刺戟効果によって決定的な役割を果たしたのは、バリ島のガムラン楽曲の響きだった。スンダ列島一帯に分布する音階を持つ青銅製の打楽器アンサンブル、ガムランはその起源を古代ドンソン文明に遡る。西欧の管弦楽よりも早期にオーケストレーションを開発していたと推定され、ジャワ島、バリ島を中心に高度に発達を遂げつつ現代に至っている。前述のとおり、本発明者らはこの膨大なガムラン音楽の中から、バリ島に伝わる〈スマルプグリンガン〉というアンサンブル形式で奏でられる器楽曲『ガンバン・クタ』を呈示音源として選んだ。
バリ島には、21世紀初頭現在、約十五種のガムラン形式が伝承されている。その中心的なものとして、ジョグジャカルタやソロなど中部ジャワの宮廷からヒンドゥー文明とともに伝えられた形式の名残りの濃い〈ガムラン・ゴン・グデ〉、バリ島の王族の館を抱擁する環境音楽であるとともに舞踊の付帯音楽として発達した華やかな中にも甘美でつややかな響きを特徴とする〈ガムラン・スマルプグリンガン〉、20世紀初頭に至って開発され、農村共同体の祝祭空間に轟く音源としてたちまち全島を風靡した〈ガムラン・ゴン・クビヤール〉がぬきん出ている。
中でも、スマルプグリンガンは、その典雅な音色で王侯たちのまどろみを憩いと安らぎに包み癒しをもたらす重要な役割を担った宮廷音楽の形式であり、それを演奏するための楽器セット名でもある。この種類の楽器は、音量はやや控えめながら音色はあくまでも甘くあでやかなものが求められる。その響きを生むためには、楽器の材料になる地金に貴金属を大量に融かし込み特別入念に鋳造することを惜しまない。そして、とりわけ甘く雅びな音いろを響かせることに成功しそれが人びとに認められたセットは、その名声をバリ島全土に轟かせることになる。
本発明者らは、現地でさまざまなガムランの響きのスペクトルを実測して、銘器の誉れ高いセットであればあるほど可聴域上限をこえる超高周波成分がより豊かに含まれているというほとんど例外のない傾向に出逢い、ただ驚くばかりだった。その頂点に立ついくつかのセットが生み出す音は、耳にはあくまでも甘くあでやかに響く一方、そのスペクトルは100kHzをこえるほどの超高周波領域にまで強大なパワーを保って拡がっていた(図1および図2)。そしてその響きが脳基幹の活性を高めて心身を癒す効果をもっていることも、本発明者らの非侵襲脳機能計測実験から明らかになった(図5乃至図10)。
つまり、ガムラン・スマルプグリンガンを育てあげたバリ島の人びとは、あたかも超広帯域自動FFTアナライザーや脳機能計測装置を躰に搭載しているがごとく、知覚圏外に拡がる超高周波空気振動をガムラン音の中に読みとり、その効果を巧みに活用し、さらにはその体験をより優れた新しい楽器の鋳造に活かしてきたことが、先端的な科学技術によって時空を超えて明らかにされたわけである。本発明者らは、日本の尺八のそれに勝るとも劣らないバリ島のガムランを育む伝統知に出逢い大きな衝撃を受けるとともに、この音の文化に畏敬の念を禁じることができなかった。
知覚圏外の超高周波音に対するバリ島の人びとの伝統的な感受性は、複雑な次元、巨大な密度、迅速な変容の中にある非明示的、暗黙的な響きを捉える文化コードとして尺八を育ててきた日本の音の文化と好一対をなすのではないかと思う。バリ島の人びとは、この超高周波成分の存在が単に音を快く美しく響かせるだけでなく、とりわけその超日常的に強調されたパワーを浴び続けることで、心身(実際には脳)の活性が非日常的なモードに転じ、意識変容を伴う〈トランス状態〉に導かれることを古くから承知していた。この知見のうえに、バリ島の人びとは、共同体を構成する不特定多数の中に集団的トランスを計画的に誘起させ合目的的に運用する手続きを開発し文化コードとして伝承して、祝祭や儀式の時空間を絢爛たる陶酔へと飛翔させている。
火山島の傾斜地を美しい棚田で埋め尽くし、精緻をきわめた潅漑手法で水を廻らせて水田農耕を営むバリ島社会にとって最大の脅威は、我田引水が惹き起こす水争い以外の何物でもない。そこで利己の抑制を伴う水利システム総体の優位の確立が何よりも尊ばれることになる。この社会構造から発生する恒常的な葛藤圧を中和し、ストレスを低下させて「地上の楽園」を現出するメカニズムが、バリ島のあの「神々と祭り」にあることは次第に明らかにされつつある。日常性をはるかに脱したこよなく強力な祭りの快感の導くエクスタシー、トランスそしてカタルシスがあってはじめて、バリ島の農村共同体は盤石の結集を実現する。祭りの構築は、バリ島最大の生存戦略に他ならない。文化人類学者クリフォード・ギアーツに衝撃を与え、かの「劇場国家」の概念を導くに至らしめたバリ島の村々を覆いつくす「多元的集合主義」の背後には、ギアーツの目には定かに捉えることができなかった水系制御と祭りに深くかかわるもうひとつの地殻構造があったことを見逃してはならない。それは、バリ島のコスモロジーを通底する「個に対するエコシステムの優位」という西欧近現代の個人主義と鋭く対立する価値観の存在と、脳機能の絶妙な制御で奇跡の集合主義を誘導するエクスタシーやトランスという快感のメカニズムである。
このようなバリ島で古くから、あたかも最先端の脳科学を応用したごとく、強烈な超高周波を含む音が快感とトランスを解放する鍵として活用され、個を超越したエコロジカルな社会システムを育て、その安定化と快適性向上に寄与してきた事実に驚かずにはいられない。その典型例は、バリ島の自立した村に必ず建立されているプラ・ダラム(死者の寺)のオダラン(210日を一巡とするバリ島固有の宗教暦ウク暦の1年ごとにめぐってくる寺の創立記念日)に執行される〈チャロナラン〉と呼ぶ劇的儀式に見られる。この儀式は古典劇として開始されるけれども途中から不特定の演技者および観客が次々に意識変容状態に入り、しばしば失神するほど強烈なトランスを集団的に発生しつつ混沌の裡に終わるという形式をもつ。それは「忘我」の中で神々、生態系、そして共同体と一体化して飛翔する魂の遊行に他ならない。
このような生理的心理的状態を導くために、オダランの祭りの庭にはガムランや〈テクテカン(スリットを入れた一節の大きな竹管を堅木のバチで激しく叩く楽器、およびその演奏)〉などの発する超高周波が、必須の要因として起用される。テクテカンは数十人の上半身裸の男性が発音体を一個ずつもって密集して大地に座り、それぞれの音の組み合わせが十六ビートを構成するよう激烈に叩き続けつつドラマの下座音楽を形成するもので、この楽器奏者たちは相互に至近距離からの超高周波を浴び(図11)相当数がすさまじいトランス状態に陥る。
本発明者らは、この演者たちの生理状態を、儀式の開始前から終了後まで脳波(テレメトリーによる無線計測)および血液中の神経活性物質の濃度を指標として追跡する実験を試み、十数年を費やしておそらく世界で初めてこれに成功している。この一連の実験から、チャロナランの演者たちがこのパフォーマンスを通じて脳の活性を平常とは大きく異なる快感のモードに移行させることがわかった。トランス状態に陥った演者ではその程度が飛躍的に著しく、日常にはあり得ないパターンに移行することを、脳波α波、θ波、そして神経活性物質βエンドルフィン、ドーパミン、ノルアドレナリンなどの指標上で統計的有意性とともに見出している(図12および図13)。
バリ島のトランスには連鎖反応的な伝播構造がある。さまざまな祝祭芸能情報からの刺戟の集積によって脳の内部にトランス状態に入る臨界条件が整ったところで、引き金になる刺戟が与えられて一気に反応が進行し始める。その最初の引き金は「誰かひとりがトランスする」という状況の変化で、これを契機に人びとは立て続けに翔び始め、集団トランスに至る。バリ島では、儀式チャロナランをはじめいくつかのパフォーマンスで共通する集団トランスのパターンとして、こうした連鎖反応性の経緯が見られる。その中でも、〈バロン〉と呼ばれる二人立ちの大型の獅子の仮面仮装演者の前足となる〈獅子頭〉の振り手がトランスの着火装置になる場合が特異的に多い。
そもそも、仮面をつけた演者がトランスしやすいことについては、アジアやアフリカでは共通の現象としてその事例に事欠かない。その要因には、視野や呼吸の制限、激しい動作、超高周波音への暴露などがあり、これらは特に生理的レベルに直接影響を与えるものであることが注目される。世界のさまざまな仮面芸能についてトランス誘起の要因の有無を整理してみると、バリ島のバロンはもっとも多くの要因を集めたもののひとつに挙げることができる。
そこには、バリ島の人びとがトランスのしくみを経験的に究明しつくした上で、バロンの振り手をトランス着火装置として位置づけてきたことがうかがわれる。その詳細を観ると、あらゆるトランス誘起入力をこの演者に集中することによってその発火力を強化し、もっとも効果的に集団的トランスを惹き起こす導火線にしようとはかってきた伝統知の存在が浮かび上がってくる。
その中でも、彼らが超高周波音の脳に及ぼす効果を承知しており、それを巧みに利用してきたという推論をほとんど否認不可能にするひとつの材料として、バロン面の鈴について指摘したい。それは青銅や真鍮のインゴット(地金)を削りだして造った重く強固な鈴を十数個密集させたもので、超高周波成分が豊かな鋭い音響を盛大に発生させる。この鈴は獅子頭の内側に装備されているため観客にはその存在が見えず、その音も、ガムランやテクテカンが轟く祭りの庭にあっては獅子頭の振り手以外の何びとにも聴こえない。つまりこの鈴が他の演者や聴衆に及ぼす効果はゼロに等しく、演出装置として働いていない。しかし獅子頭を振る演者の側からすると、己の上半身をすっぽり覆った仮面仮装という容器の中で、顔前にある鈴が発生する強烈な超高周波の直撃を浴び続けることになる。つまり、この鈴はもっぱら振り手のために超高周波音を供給する仕掛け以外の何物でもなく、もっとも強力にそのトランス誘起効果が発揮される場所に音源を設置したことを意味する。実際に自分でバロンの獅子頭を被り振ってみると、そこで覚える強烈な鈴音のインパクトはたしかに只事ではない。
この点に注目して、本発明者らは、バロンの体腔内にある演者が受容する音響の周波数分布を実際に測定することを試みた。バリ島で実際に使われているバロン・ケッ面(内部に鈴がとりつけられたもの)を、通常おこなわれる振りの所作で振り、計測用マイクロフォンを振り手の頭面位置において音を収録して、その信号を広帯域FFTアナライザーで分析した。この測定の結果、可聴域上限の20kHzを大きくこえ80kHzにおよぶ超高周波がきわめて豊富に含まれていることがわかった。さらに、バロンの演技の中でしばしば行われる上下の歯を打ち合わせる所作を実行した場合には、鈴音と木を打ち合わせる音とが加算されて、スペクトルの上限は100kHzに近づいている。
これらは、振り手が顔前の至近距離から超高周波含有衝撃音の直撃を浴びていることを実証している。この音の導くハイパーソニックエフェクトは、振り手の生理的心理的状態をトランス側に誘導する大きな要因になっているに違いない。このような生命科学的メカニズムを日常の体験の中から発見し合理的に活用してきたバリ島民の直観知、洞察知とその背後にある非言語脳機能の活性は、すさまじい水準に及んでいるのではないだろうか。
4.人類社会は、科学技術の明示的な所産として、エッフェル塔から宇宙ロケットに及ぶさまざまな実績を認知し、社会の通念に盛り込み、制度的教育で周知するなどの対応をとっている。ところで、それらとは限りなく隔たっているけれども、たとえば水系制御に機能する祭りとその快感の体系を築いたバリ島の村人たちの業績は、現代科学技術文明のあらゆる明示的な偉業に勝るとも劣らない人類の暗黙の叡智が築いた金字塔であるに違いない。というよりは科学技術文明の明示的な稔りを導いた言語脳モジュールの思考メカニズムとは次元を超えて複雑高度に働く非言語脳の思考メカニズムの存在を示すよい指標として、今こそ注目に値する。このようなことがらについて、現代文明は、すでに喪った解読力を甦らせ、ふさわしい評価と対応を捧げうる水準にまで、それらを復活させるべきだろう。
バリ島のガムラン音が見せたFFTパワースペクトルや日本の尺八のひびきが示したMEスペクトルアレイは、複雑な次元と巨大な密度そして迅速な変容を本質とする情報構造を人工物としての音空間の中に浮かび上がらせた。それは、人類の遺伝子を育んだ熱帯雨林の環境音の高密度と複雑性を彷彿とさせずにはおかない。ガムランや尺八を育むそれぞれの伝統文化の中では、そうした情報構造をつくり、伝え、受容し、感応する非言語脳の働きがごく自然に育っていた。しかもそれらは専門分化のような特化した手続きを必ずしも要せず社会全体に体質として浸透し、幅ひろく実現している。
尺八とガムランというただふたつの実例から本発明者らが垣間見たものは、非言語脳機能全体からするとおそらく限られたものに違いない。しかし、仮にそうであったとしても、それに対する目醒めを今、迎えたばかりの本発明者らにとっては、それはすでに捉えきれないほど高く大きく聳えて見える。この活性に対する認識をどのように蘇らせ、どのように復権させたらよいのかについて、上質で強力な道筋を探らなければならない。
<1−1−3>仮説を理論へと飛翔させる〈二次元知覚モデル〉.
1.本発明者らが進めてきた実験は、知覚圏外にあるために現存の音響学の対象外に置かれていた可聴域を超える超高周波成分を含む音が人間の躰の活性に無視できない影響を及ぼすことを明らかにした。しかし、この問題の発端は、LPとCDとの音質の違いや超高周波成分を排除したスタジオ用デジタル機器の音質の悪さなど、いわば感覚感性(心理)反応の領域から始まっている。そして、大橋力自身の出発も、まさにそうした音質の違いの認識を起点としている。この原点をなおざりにすることはできない。この問題を攻略する機会と武器は、本発明者らの生理学的研究を軌道に乗せる最大の基盤となった脳波α波活性の計測データからもたらされた(図5)。
音質の評価についてこれまで権威の砦となってきたのは音の短期記憶を対比する一対比較法である。その鉄壁の守りに致命的な欠陥があるかもしれないことを、本発明者らは脳波α波活性の変遷の中に現れた時間的な非対称性―ハイパーソニックサウンドに対する応答の遅延と残留─―という現象から覚った。本発明者らの実験で観測した脳波α波のパワーは、超高周波を含む音の呈示を始めてから数秒ないし十数秒間にわたって徐々に増加して〈高い水準〉に達し、可聴域だけの音に切り換えた後はそのレベルをある程度保ちながら百秒間程度推移した後、急激に低下して〈低い水準〉に至る。これは、α波パワーに反映される何らかの神経活動の活性水準が、超高周波を含む音によって単純ではない機構の関与のもとに画期的に高められたのち、音の呈示が終わった後も強く長く残留していることを示唆している。
α波パワーは、刻々変遷する脳活性の包括的な状況を優れた時間解像度でリアルタイムに描き出す。そのレベル差に反映された神経活動の著しい変容が音質の違いを感じとる脳活動に何の関連も持たないことを支持する材料は見当らない。つまり超高周波を含むハイパーソニックサウンド・モードのときと可聴域だけのハイカットサウンド・モードのときとで脳の内部状態が変化していることは確実であり、その相違に基づいて同じ音が違う音質に聴こえたり、違う音が同じ音に聴こえたりすることがないとはいえないのである。同時に、そうした脳活性変化が遅延し残留することによって次の音刺戟の認知や評価に影響し、混乱をあたえる可能性も否定できない。
従来の音響心理学実験では、音の短期記憶に高度に依存する方式の一対比較法がとられている。これは、ふたつの刺戟を〈対〉にして続けて聴き較べ、同じか違うかを答えるもので、継続時間の短い刺戟を時間的に密に連続して呈示した方が微妙な音質差を判断しやすいとされている。そのため、かつて電子通信の国際規格をとりまとめる役割を担った国際無線通信諮問委員会(CCIR)とその後身にあたる現在の国際電気通信連合−無線通信部門(ITU−R)は、ヒトの短期記憶の限界を根拠に、比較に用いられる音試料は15から20秒以上続くべきではなく、音試料間隔は0.5〜1秒程度であるべきこと25を推奨している。そしてこれまでの有力な実験でも、音楽で10秒くらい、また合成音では1秒以内といったごく短い音をできるだけ時間的に接近させて呈示している。
たしかに、ふたつの事象を比較する場合に、長さや距離を短くし、互いを近づけて並べることは判定をより単純明解にする有効な方法だろう。しかし、私たちの脳波の観測結果は、超高周波を含む音の呈示が脳の内部状態すなわちモードを切り換えるうえ、そのモードが入力がなくなったあと百秒間も残留することを明らかにした。そこで仮にこの脳のモードの変化が音の感じ方に影響を及ぼすとしよう。そうした仕組の中で数秒とか十数秒くらいの短い音を切り換えながら聴いていると、前に聴いた音の導く反応の蓄積の上に新しい音の反応が時差を伴って積み重なり、現在感じている心理的応答がそれ以前に呈示されたさまざまな音に対する反応と混り合ってしまう。この前歴(ヒステリシス)をキャンセルするためには、個々の刺戟の継続時間を超高周波が導く活性モードの最大残留時間百秒を超える長さにすればよい。ところが、この条件では脳の短期記憶に依存できないため検出感度や精度はずっと低下する。従って短期記憶のレベルを超えるかなり大きな音質差があって始めて、その違いが検出可能になる。本発明者らはこうした前提に立って、あえて通念を破り約二百秒間の長さをもつガンバンクタ全曲を一対にした音質評価実験を試みた。このとき、少数回の呈示のくり返しで音質差の比較を行うことが可能な〈シェッフェの一対比較法〉をモデファイして使うことにした。
この方法では、短い音刺戟をもちいた従来の一対比較法に較べてよほど大きな音質の差が認識されないと明瞭な結果は出ない。ところが、実際にやってみると、十個の音質評価尺度のうち五つの評価尺度で、超高周波を含む音と可聴域だけの音との評点の差の有意性が示された(図8)。同時に、可聴域をこえる超高周波成分を含む音は、それを含まない音にくらべてより快く、興趣豊かな味わいをもって受容されることが示された。つまり、超高周波成分の有無は音質差として検出できることが、アカデミックに正統とされる手続きによって示されたといえる。これによって、それまでの音響心理学の限界を攻略する突破口を開くことができた。
この実験の結果は、これまで定式化され、国際標準(たとえば前記のITU−R)として使われている短時間の音呈示による一対比較法が無視できない不適合性を潜在させていたことを暴露する効果をもつものだった。なぜなら、それは、刺戟音の短期記憶を損なわないことにもっぱら関心を集中する一方、刺戟音の効果がその呈示時間をこえて残留する場合についてはほとんど無防備なものだからである。
そこで、国際標準として広く採用されている短時間の音呈示による一対比較法を材料にして、その限界を探る実験を考えた。音試料として他の実験と同じガムラン楽曲を使い、その中の典型的な12秒のフレーズを切り出して呈示間隔3秒を挿んで同じ音がくり返し呈示される〈試料対〉をつくる。その20対の呈示音シークェンスを、公定法が推奨する休憩を挿んで十対ずつふたつに区分したセッションを構成した。その一方では超高周波を含む音が3対1の割合で多く出現し、もう一方では可聴域だけの音が同じく3対1の割合で多く出現する組み合わせにしてから、それぞれのサブセッション内で順序をシャッフルして公式どおり実験を行った。
その結果は実に興味深い。まず、実験全体では、実際に見られた正解数の分布と偶然に起こるであろう正解の分布との間に有意差は認められず、超高周波成分の有無による音質差が知覚されていないという過去の権威ある研究と同じ結果が示された。ところが、これをサブセッション別に調べると、可聴域だけの音の出現頻度が高いサブセッションでは、音質差が聴き分けられていることが統計的に有意(p>0.05)に示された。一方、超高周波を含む音の多いサブセッションでは、間違った回答の比率が統計的に有意に多い(p>0.005)という非常に特異な成績が見られた。この互いに逆の傾向をもった統計的有意性のあるデータが加算によって相殺されて、実験全体では音質差が識別されないという結果を導いていた。
さらに、超高周波を含む音の多いセッションで誤った回答数の分布を吟味すると、「超高周波を含む音を可聴域だけの音であると誤認した」ケースでは有意性が認められなかったのに対して、「可聴域だけの音を超高周波を含む音であると誤認した」ケースでは、その誤認の数の分布が偶然よりも有意に高い方へ偏っていた(p>0.05)。これは、超高周波を含む音が高い頻度で呈示されている中に可聴域だけの音が呈示されると、可聴域だけの音が超高周波を含む音として知覚されやすいことを統計的に支持している。これらの結果は、ハイパーソニックエフェクトが音の呈示が終わったあとも残留持続するという本発明者らの作業仮説が的中していたことを裏付けている。可聴域をこえる高周波成分の効果が従来の正統的な方法によって検出されなかったのは、そこで採用された心理実験のモデルが実際の脳機能の複雑性、特に時間的な非対称性に対してあまりにも素朴でありすぎたことによるのではないだろうか。
2.ハイパーソニックエフェクトの検出は一筋縄ではいかない。なぜなら、それをより正確に捉えようとして切り口を細かにし、耳を近づければ近づけるほど逃げ水のように遠ざかり、消えていってしまう。それはまさに、暗黙知の提唱者マイケル・ポラニーの「手放しの明晰さが複雑な事象についての本発明者らの理解をいかほど破壊できるかがわかる。包括的存在について諸細目をこまかくしらべるならば、その意味がぬぐいさられ、その存在についての本発明者らの概念は破壊されてしまう」という指摘があてはまる典型例といえよう。ところが細部に拘泥せず自然にゆったりと接していると、超高周波を切りすてた音との間に歴然たる印象の違いが浮き出てくる。その傾向は、実に不思議なことながら、実験条件の統制をゆるやかにし、呈示時間を長くするほど鮮明になる傾向を示す。
ここで、本発明者らを知覚圏外の音に目醒めさせた「LPとCDとの音の違い」に立ち還ってみよう。これを検討する絶好の材料として、本発明者らは知覚圏外の音への問題意識の発端になった作品、芸能山城組『輪廻交響楽』の同じアナログマスターから造られたLPとCDとをもち合わせている。これをできるだけ活かすことを工夫した。
まず、LP、CDそれぞれに含まれる信号を比較した。PCMで符号化されたCDの信号は、規定通り22.05kHz以下の周波数領域に収まっている。ところが、LPの再生信号はそのように単純にはいかない。溝をトレースして電気信号に変換するカートリッジの周波数応答が悪ければ再生信号は20kHzにも達しない一方、優秀なカートリッジの中には100kHzをこえる応答を示すものさえある。針先となるダイアモンドチップを植え込んだカンチレバーとそれにとりつけられた極微のコイルやマグネットそしてダンパーなどから構成された振動体は、それ自体が固有の振動特性をもち、できるだけ美しいひびきを発するよう秘技を尽くしてつくられた「楽器」以外の何物でもない。実際、カートリッジを交換して体験する再生音の変化の大きさは、ヴァイオリンに例えるならばストラディヴァリとグアルネリとの音色の差よりもはるかに大きなものになりうる。このカートリッジの機種の違いによる再生信号の違いを、『輪廻交響楽』が発売された1980年代を代表する三種のカートリッジについて、LPの同一箇所を再生しFFTスペクトルで示してみよう(図14)。いずれも、同一箇所のCDの再生周波数上限を大きく上廻る超高周波領域にまで応答帯域を拡げており、そこにカートリッジの機種の違いによる応答の大きな差を顕わしている。次に、これらの中でもっとも高い周波数域まで応答を示したカートリッジを使って、『輪廻交響楽』二楽章の中でバリ島のガムランで使われる〈ゲントラック〉と呼ぶ鈴を使った部分のFFTをとってみると、それは100kHzをこえていた(図15)。
続いて、同じLPの中から民族楽器音や熱帯雨林の環境音を含む部分をもっとも優秀なカートリッジで再生して得たアナログ信号を高速標本化一ビット量子化によりデジタル変換して実験用の音源を造り、その同一箇所160秒間について、超高周波を含む音、超高周波を除外した可聴域だけの音(パワースペクトルはほとんどCDと同じ)、そして同じマスターからつくられた同一箇所のCD音の三者を材料にして、脳波α波を指標にした生理的実験と、シェッフェの一対比較法による心理実験とを行った。
まず生理的実験の結果を見ると、脳波α波のパワーがLPの超高周波を含む音を聴いたあと大きく上昇し、LPの可聴域だけの音とCD音とでは、反対に低下していた。次に、心理実験では、LPの超高周波を含む音とLPの可聴域だけの音との間では14項目の評価語対で有意の印象の差を示し、超高周波を含む音の方がより快く美しく感じることを示した。LPの超高周波を含む音とCD音との間では、7項目で有意差が認められ、そのうち6項目でCD音はLPの可聴域だけの音と共通していた。そして、LPの可聴域だけの音とCD音との間には有意の音質差は検出されなかった。
この生理実験と心理実験とはどちらにおいても、LPの超高周波を含む音に対するLPの可聴域だけの音およびCD音という組み合わせで、つまり超高周波成分の有無に対応して、明瞭な差異を見せる。その一方で、信号処理方式の間の違いを問うLPの可聴域だけの音とCD音という対比の中では、明瞭な差は現れてこない。
この実験は、LPの音とCDの音との間に生理的にも心理的にも本質的な差というにふさわしい隔たりがあることを示すとともに、その違いを導く主たる原因が、可聴域をこえる超高周波成分があるか、ないかという知覚圏外の情報に支配されたものであることをかなりわかりやすく示していると思う。
3.これまで見てきたように、可聴域上限をこえ音としては聴こえない超高周波成分が、それにもかかわらずすこぶる雄弁なメッセージとして私たちに語りかけてくる。それならば、このようなメッセージをうけとった人間たちは、そこに導かれる生理・心理反応を行動的な応答に反映させて然るべきなのではないだろうか。それを次のような実験で掘り起こした。
これまで使ってきたガムラン音楽に加えて、この実験で新たに、超高周波を豊かに含む音を発生させるハイパーソニック・オルゴールを設計し、世界に類いないオルゴール開発技術をもつ(株)三協精機製作所と共同してプロトタイプを試作し、その音をもうひとつの音源とした。これらの録音から超高周波を含む音と可聴域だけの音とをつくり、どちらかわからないように再生しながら、被験者自身にリモートコントローラーを使ってアンプのボリュームを目盛が見えない状態で動かしちょうどよい大きさと感じられる音量に調節してもらった。(なお、予備実験によって、可聴域のパワーを同じにしたフルレンジ音とハイカット音との音量差は、誤差範囲[プラスマイナス0.1dB]以内であることが確かめられている)
こうして再生される音量を積分型騒音計を使って等価騒音レベル(dBLAeq)として計量し、多数の被験者について平均して統計処理にかけた。その結果、音源がガムランであってもオルゴールであっても、被験者たちは超高周波を含む音を可聴域だけの音に較べて平均して0.5〜2dBくらい大きな音量で聴こえるよう無意識ながら自発的に音量を調節していることが、統計的有意性のもとに見出された。そのうえに、超高周波成分だけを適度に(たとえばプラス6dB)増強すると、聴取レベルがそれに伴ってさらに1dB以上も、より大きくなるとともに、こうした超高周波成分の強度に並行して脳波α波が増減することが見出された(図9)。
〈最適聴取レベル〉を検出し比較するこの実験は、知覚圏外にあるけれども無意識の裡に求められている要因を確保した音環境とそれを切り棄てた音環境とに対して人間が示す行動的応答の違いの予測を、実験室内でモデル化して検証できる点に重要な意味をもっている。特に、ここでより好感度を示した超高周波成分の優勢な音の構造が人類本来の熱帯雨林型の環境音に近いタイプであり、好感度の低い可聴域だけの音が、近現代文明の病理の温床になっている都市型の環境音に近いタイプであることに、注意を喚起したい。
4.ハイパーソニックエフェクトは、これまでの音響学や聴覚生理学の枠組で捉えようのない特異な性格をいくつももっている。まず、人間には音としてまったく聴こえていない超高周波空気振動を含む音が、それを含まない音よりも快く美しく感じられる。本発明者らは念のため、実験に使っているガムラン音から14kHz以上、18kHz以上および22kHz以上の高周波成分を取り出し、それぞれを知覚することができるかどうかを25人の被験者について調べた。すると、14kHz以上の高周波は25人中22人、18kHz以上の高周波は同じく25人中15人が存在を感知したものの、本発明者らが実験で呈示した22kHz以上の高周波の存在を感知しえた人は1人もいなかった。
それなのに、この成分を含んでいるか除くかで音の質が違って聴こえてくる。そのとき脳波α波のパワーが増強されるけれども、それらの反応はすべて時間的な遅延や残留を伴う。さらに、そうした効果は超高周波成分単独では発生せず、可聴域の音と共存する時にだけ現れ出てくる。この時、並行して、脳深部の脳幹と視床に属する聴覚に関係のない領域の活性が高まる一方で、聴覚に直接かかわる神経領域には特に変化が認められない。このような現象はいまだかつて報告されたこともなく、音響学や聴覚生理学を含むこれまでの学問の中にそれを合理的に説明できる知識も理論もない。こうしたハイパーソニックエフェクトの全体を矛盾なく説明するためには、これまでとは大きく異なるモデルを構築しなければならない。
実は、問題を心理反応に限定すると、類似の現象として、高周波成分の有無をフィルターを通過した回路と直通回路とを切り換える方法で構成した場合については、周波数成分の構成の違いとは無関係の非線形ひずみの差で音が違って聴こえるかも知れないことを指摘する「非線形ひずみ説」がある。それは、音響学の枠組の中でそうした現象を説明する有力な説として存在理由をもっている。しかし、本発明者らの使っているバイチャンネル再生系はそうした現象が発生する余地がないように設定されたものだから、この説の対象にはなりえない。さらに、ハイパーソニックサウンドへの生理的な応答に見られる神経伝達としては稀なほど大きな時間的遅延・残留を、非線形ひずみ説をはじめ過去に試みられた考え方で説明する何の手がかりもない。
本発明者らの見出した現象全体を包括的に矛盾なく説明することは、既存の知識や理論の枠組に依存するだけではきわめて難しい。そうした枠組を外し、思考の素材や発想の展開方向を広く確保したうえで、改めて強力なモデルを構築する必要がある。
私たちは、ハイパーソニックエフェクトの機構を説明するために、知識構造を極力、柔軟に組み換えながらモデル化を進めた。この歩みの中で、「空気振動に対する人類の応答は二次元の構造をもつ」というまったく新しい着想に基づき、この特異な現象を大きな矛盾なく説明することのできる〈二次元知覚モデル〉の構想を得ることができた。
このモデルを構成する第一の次元は明示的で、可聴周波数帯域20Hz〜20kHzの空気振動成分に対するすでに知られているとおりの聴覚反応である。この第一の次元を構成する可聴周波数成分は古典的な聴覚神経系で処理され、〈メッセージ・キャリアー〉として作用しているものと考える。第二の次元は暗黙的で、恐らく20kHz付近を下限とし、上限は100kHzあるいはそれ以上にも及ぶかもしれない非可聴域の超高周波成分に対する反応である。この成分が直接人体に導く初期の反応は何らかの経路で中枢神経系に伝達され、報酬系を含む脳幹、視床、視床下部といった脳基幹部を活性化する。つまり、第二の次元を構成する超高周波成分はこのように脳の内部状態を変化させ、その応答を快感の誘起および/または負の刺戟の緩和の方向に変調させる〈モジュレーター〉の機能を果たすと考える。
ただし、超高周波成分だけが単独で入力された場合にはハイパーソニックエフェクトは発生しない。従って、報酬系の回路が単純に超高周波成分の入力によって活性化されるのではなく、何らかの可聴域音との相互作用によって機能するというメカニズムを考えなければならない。その背景として、本発明者らは、PET実験において発見した、脳血流が脳波β波活性と有意な正の相関を示す脳内領域に注目した。その部位は、音楽として聴こえる音を含まない超高周波成分だけ、またはベースラインとなる暗騒音条件下では前頭葉運動前野を中心とする領域に限られるのに対して、連続性の信号構造をもち音楽として聴こえる音が呈示された条件下では、超高周波を含むか含まないかにかかわらず、これに頭頂葉楔前部が加わる。この知見は、音の環境学が提案している音楽や熱帯雨林の環境音が時間的に連続して変容する情報構造を共通してもつことに特別な意味があるという考え方とよく調和する。これに基づいて、音楽や森の音のように時間的に連続して変容する情報構造をもった音が脳に入力されている時、頭頂葉楔前部の関与のもとに脳内情報処理のモードが変化し、超高周波によるモジュレーション信号を脳深部に伝達する回路のゲートが開かれ、そこを通過した超高周波成分の作用が報酬系を含む脳基幹部ネットワークに到達しそれを活性化すると考えた。これによりハイパーソニックエフェクトが導かれる仕組を大きな矛盾なく説明できる(図19)。
脳基幹部には、報酬反応すなわち快感や美の反応の発生に重要な役割を果たすモノアミン作働性神経投射系やオピオイド作働性神経系の細胞が高密度に分布している。音質評価実験の結果は、これらの部位の活性化が音知覚に対してポジティブな情動作用を惹き起こし、その暗黙の応答を明示的な音の応答のうえにかけ合わせたという解釈を可能にする。
モノアミン系やオピオイドペプチド系の神経伝達物質が関与する脳の報酬系神経回路では、シナプス間隙からの伝達物質の消去が、運動神経系や聴覚神経系のように酵素反応によって瞬時に行われるわけではない。むしろ、再吸収や自然流出などを主とするために、伝達物質のシナプス間隙内の滞在時間が長くなる。そのうえ、後シナプス細胞では第二メッセンジャーと関連酵素群によるカスケード増幅で伝達物質の集積量が増大し、その作用時間がいっそう長引く。入力信号を増幅し持続させるこのような分子生物学的メカニズムの累積的な効果は、神経活動の顕著な時間的残留を導き、長い遅延を伴う過渡応答を実現することになる。こうした分子神経生理学的な解釈は、超高周波を含む音によるα波の増強作用が顕著な遅延と残留を示す事実とよく調和する。
このモデルは、私たちの常用するフォン・ノイマン型デジタルコンピューターのプロトタイプとなったアラン・テューリングによる想像上の情報装置〈テューリング・マシン〉に内部構造をもたせ、アナログ系として表現したような姿をもっている。テューリング・マシンは、現在の内部状態とそこに入力される情報とによって定まる有限複数個の内部状態の間を遷移し続ける性質をもっており、それぞれの内部状態ごとに、固有の出力特性を示すよう設計されている。
このテューリング・マシンとのアナロジーで私たちの二次元知覚モデルを眺めると、まず、このマシンの内部では、明示的に知覚可能な第一の次元の入力すなわち可聴域の音が連続して変容しつつ持続する情報構造をとるとき、その成分はそれ自体がメッセージとして作用すると同時に、系の内部状態を変換させ、第二の次元をなす知覚できない超高周波の作用を報酬系に伝える回路中に挿入されたゲートのモードを、閉状態から開状態に切り換える。次に、このゲートが開いた内部状態に転じた系に第二の次元を構成する超高周波成分によって励起された信号が入ってくると、それは開放されたゲートを通過して報酬系を含む脳基幹部に達し、これを活性化する。それは第一の知覚可能な次元を構成する音の印象に変調を加え、快感と美の位相を強調した状態で出力するだろう。
この二次元知覚モデルは、現在までに本発明者らが見出した実験事実のすべてを、大きな矛盾なく包括的に説明することを可能にしている。
6.二次元知覚モデルの回路図(図19)は、人類の遺伝子に書かれた脳の設計図の一枚として観ることができる。これを〈脳領域間機能連関(inter−areal functional coupling of brain)〉の観点に立って読み解くと、それは、音の環境学の基礎にある情報環境学の骨格をなすいくつかの重要なモデル、そして音の環境学の核心となるモデルを一括して、単なる仮説から事実に基づく理論へと転じる強力な効果を顕わす。これらのモデルを生み育ててきた本発明者らにとって、それは、感動を覚えずにはいられない発見だった。
まず、主成分分析法によって第1主成分として抽出された可聴音に反応する領域群―左右の聴覚野―の活性は二次元知覚モデルの第1の次元、〈メッセージ・キャリアー〉にまさしく対応し、同じく第2主成分として抽出された超高周波成分に反応する領域群―脳基幹部ネットワーク―の活性は第2の次元、〈モジュレーター〉にまさしく対応する。しかもこのふたつの群の活性は、それぞれの内部では連関しながら群相互間では互いに独立した動きをみせ、この点でもモデルとよく調和する。
次に、〈モジュレーター〉である超高周波成分によって第二主成分として励起された第二次元の領域群すなわち〈脳基幹部ネットワーク〉の構成を機能面から詳しく観ていくと、それはさらに三つのユニットに類別できる。その第一は脳幹上部(中脳)、前頭前野、そして大脳辺縁系に属する視床と前帯状回から構成される〈報酬系〉ユニットで、すなわち情動と感性による〈行動制御系〉に該当する。そして第2のユニットは、同じく脳幹、視床下部に属する領域から構成される群で、その一部は第1のユニットと重複し、生命活動の根幹となる自律神経系、内分泌系、免疫系などの調節にあたる〈生体制御系〉に該当する。そして第3のユニットとして、これらのいずれにも属さない頭頂葉楔前部がある。
本発明者らはこの第3の領域が音楽の存在によって脳波β波との相関を顕すことを見出しており、その点からみると、超高周波成分によって励起された信号が報酬系に向かう途上に置かれた〈ゲート制御系〉の候補としてこの部位を挙げることが可能ではないかと考える。以上の類別は、その第1ユニット〈報酬系〉と第3ユニット〈ゲート制御系〉との機能連関を通じて〈ハイパーソニックエフェクトの二次元知覚モデル〉に裏付けを与える。
では、第2ユニット、〈生体制御系〉のかかわりはどう捉えたらよいのだろうか。実はここにはきわめて重要な意義が顕われている。なぜなら、それは、私たち人類の生存にとって必須の情報が、〈必須音〉として、あたかも必須栄養さながらに存在することを、史上初めて実証的に告げるものだからである。
詳しく述べよう。第2ユニットを構成する生体制御メカニズムの核心は、視床下部が決定的に支配する自律神経系、内分泌系、免疫系の活動にあり、まさに〈恒常性(ホメオスタシス)〉すなわち、環境変動に対処して体内の生理活性を調節する中心的な役割を果たしている。それを具体的にいえば、まず、遺伝子に約束された本来の環境の中で、その環境に対して最適化された本来の活性を正常に稼働させる。そして、環境が本来からずれた時、しかるべき適応の活性を立ち上げてそれを乗り切る働きを発揮する主力となる。さらにそれは、適応限界をこえた状況に遭遇した時、生命の活性のベクトルを逆行させ脱制御に暴走させる自己解体プログラムを起動して、生活習慣病、心身症、精神と行動の障害、発達障害などを惹き起こす部位ともなる。まさに、この第二ユニットこそ、本来・適応・自己解体メカニズムの制御中枢なのである。ここで〈音〉の作用について注目を払うと、この〈生体制御系〉の本来の活性は、可聴域をこえる超高周波成分の存在によって、成り立っていることがわかる。それは直ちに、物質における〈必須栄養〉の概念に結びつき〈必須音〉の概念を導くのではないだろうか。
このような働きをもつ第2ユニットすなわち生体制御系と第1ユニットすなわち行動制御系とが脳領域間機能連関で結ばれ一体化して活動するという事実は、まさしく、本来―適応モデル、プログラムされた自己解体モデルそして情動と感性による行動制御モデルを統合した〈生理・心理・行動の制御モデル〉が実在していることの証に他ならない(図19および図20)。
この行動制御系と生体制御系とが連関した本来から適応そして自己解体に向かう生理活性のベクトルと、情報環境構造にみられる超高密度高複雑性から低密度単純性に向かうベクトルとが緊密に一体化し平行して働いていることに注意を喚起しなければならない(図20)。なぜならそれは、私たちの遺伝子と脳がきわめて高密度で複雑な情報環境を本来とし、その密度や複雑性が低下する側に向かって適応そして自己解体に向かう生命活動のベクトルを構成していることを物語るからである。これを言い換えれば、熱帯雨林から疎開林、草原、砂漠または極地、あるいは都市へと向かって低下していく地球情報環境の密度と複雑性のスペクトルの中で、私たちの遺伝子と脳に約束された情報環境が、きわだって熱帯雨林型の超高密度高複雑性側にシフトして設定されていることを裏付けているからである。
このようにしてみると、〈ハイパーソニックエフェクトの二次元知覚モデル〉とそこに含まれるサブシステム間の機能連関は、情報環境学の黎明期1980年代から現在まで本発明者らが育んできた〈本来―適応モデル〉〈プログラムされた自己解体モデル〉そして〈情動と感性による行動制御モデル〉に加えて、音の環境学の根幹をなす〈現生人類の熱帯雨林本来モデル〉を一括して、単なる仮説から実証に裏付けられた理論へと飛翔させる絶妙の材料となっている。それは、〈ハイパーソニックエフェクト〉の発見が、すなわち史上初めての〈必須情報〉の発見であり、その具体的な顕れとしての〈必須音〉の発見に他ならないことを実験事実に基づいて告げるのである。このような稔りを導いた二次元知覚モデルの構築とそれを裏付ける脳領域間機能連関の発見のもつ意義は、量り知れない。
<1−2>遺伝子に約束された環境のデザイン.
<1−2−1>音楽は音環境をどこまで改善できるか.
1.音と人と環境との不調和の歴史は、熱帯雨林での狩猟採集生活という人類本来のライフスタイルを放棄して文明の曙となる第一次産業に走った祖先たちの登場に遡ることだろう。農耕のために森を焼き、牧畜のために野をさすらう。そうした生活への転向は、現生人類(現代型ホモ・サピエンス)の遺伝子と脳に約束された森の環境音との訣別を意味するものに他ならない。やがて第二次産業とともに始まった侵害性をもつ強大な機械騒音の氾濫は、本発明者らの忍容限界を大きくこえる音環境を産み出した。とりわけ19世紀のイギリスから暴威を振るい始めた動力機械の轟音と20世紀後半に陸海空に蔓延した交通機関の騒音は、地球生命が進化史上出逢ったことのない構造をもつ音響・振動で環境を塗りつぶしてきた。
機械騒音への対抗策は、十九世紀イギリスの富裕階級における近隣工場の騒音からの移住による逃避にその初めての動きを見る。20世紀後半からは、あらゆる居住、非居住地域に浸透し逃避を許さなくなった交通騒音を始めとする多種多様の機械騒音と人の住む生活空間とを遮断する役割を担って、環境音響学(environmental acoustics)が大きな領域を形づくっている。そこでは常に、時代の最先端を行く遮音材料や遮音構造とそれらを駆使する技術が開発・実用化されてきた。あわせて、音源自体の振動を抑制する技術からアクティブ・サーボ・コントロール(その場の騒音と逆相の構造をもつ音信号を発生させて騒音をうち消す手法)に至る幅広い技術体系が築かれつつ現在に至っている。この領域は、音の存在をひたすら抑制することを目標にして発達してきたため、環境の中の音は存在しなければしないほどよいという価値構造となお一体化した状態にある。つまり、生存上必要な音という概念を念頭におく枠組をもってはいない。ただし、近年では、サウンドスケープを視野に入れた音環境デザイン領域との連携が育ち始めている。
第二次世界大戦後本格化した環境と人間との調和を捉える新しい概念のひとつ「環境衛生」の枠組の中でも、音の環境については決して軽視されてはいない。ことに世界保健機構(WHO)では、幅広い視点から長期にわたって環境騒音への検討が重ねられ、その侵害作用について生理的、心理的な切り口からの研究をふまえて積極的に提言を続けている。それらは、各国や地域社会が音の環境にかかわる法・制度を整備するうえでのガイドラインとして貢献すると同時に環境音響学に対しても研究開発上の目標値を供給するなど、重要な使命を果たしてきた。さらに、20世紀末からは、今後の課題の中でサウンドスケープについても言及するに至っている。
2.ここで目を転じて近現代文明が築いている人類と物質的環境との調和についての姿勢をみると、まず、人類が生存上不可欠とする栄養素について、ミネラル、ビタミン、必須アミノ酸類など膨大な種目にわたり詳細に必要量を明示している。その背景は、大航海時代以後、長期の航海の中で船員たちを脅かした壊血病が柑橘類の摂取で防止される経験への注目に遡る。やがて十九世紀以後、現代科学の手続きにのっとって見出され確立された〈必須栄養〉の概念と、いまだ未知のものを含むそれらを常に人体に供給し続けるための包括的な規範が〈栄養学〉として体系化されている。これに並行して、おそらく原初の狩猟採集時代から受け継がれてきた有害物質や毒物などの概念と、それらの摂取を防止するための個別的な基準、たとえば最大許容摂取量や致死量(LD50)なども体系化されている。一方、音については、21世紀初頭現在、不適切な音についてはその環境からの排除が計られる反面、現生人類という生物の生存に何らかの環境音の存在が不可欠であることを明瞭に掲げた科学的な認識はいまだ見られない。
つまり、私たちの科学技術文明は、物質(摂取化学物質)に対しては「ない方がよいもの」と「あってはならないもの」との双方についてきわめて精緻な基準を提供しているのに一方、情報(この場合には音)に対しては、「あってはならないもの」には素朴な基準を用意して排除を計っているけれども、「なければならないもの」を念頭に置くに至らない状態にある点において、鮮やかな対比を見せる。
3.科学技術文明の中で一貫して排除が計られてきた環境音とは対照的に、芸術文化という観点からその存在が重視され、充実が計られてきた音の領域が、〈音楽〉に他ならない。興味深いことに、音楽は、近世以降近代そして現代と時を経るのに伴い「芸術化」の名のもとに非環境化を著しくしてきたのち、20世紀後半、電子メディアと結合してあらゆる環境への流出と氾濫を捲き起こした。中でも、公共空間に放出されたそれらは、他の環境騒音同様に不快や嫌悪を導きつつ規制の対象に転落するという奇妙な道を辿っている。
人類史的に見れば、空間に音を補完し環境の感性情報質を向上させる人工物として、音楽は卓越した効果を発揮してきた。その中でも、古代からすでに着目されていた病気に対する抑止や回復の効果については、現代に入って〈受動的音楽療法〉として発展を遂げ、大きな体系を築いている。この領域は、患者の固有性の詳細な事前調査に基づく個別的な処方という枠組の中にあるため、きわだって高度な普遍性を求める環境という公的な空間へ直接それをあてはめることは難しい。
もう一方では、「環境情報の補完物としての音楽」という人類史的な素地のうえに、20世紀の高度な都市化と産業化を背景にしていっそう巨大化する音の空白を埋める目的で、バックグラウンド・ミュージック(BGM)あるいは環境音楽と呼ばれるジャンルが大きく発達した。これは、その名のとおり、元来は人間の知覚の前面に展開される音楽を背景化し環境化することを意味する。その起源は、恐らく1910年代のアメリカ合衆国に始まった音楽のもつ勤労能率向上効果に着目した生理学・心理学的なアプローチに遡る。あわせて、当時軌道に乗り始めたトーマス・エディソンの発明による〈蓄音機〉を利用した録音・再生による音楽の低廉で簡易な実現に大きく支えられている。BGMの最初のターゲットは各種の工場で、企業の経営者側にとっては効率の上昇、労働者側にとっては負担感や疲労感の軽減が期待され、実際にもその有効性が評価されて、事業化への道が大きく開かれた。
こうした状況の中で、一九三四年、アメリカにBGM専門の音楽ソフト供給会社ミューザック(Muzak)社が登場する。この会社の事業形態は電話線を使って音楽を配信するもので、いわゆる有線放送の祖型ということができる。ミューザック社の事業は軌道に乗り、追随する企業も活躍して、さまざまな曲折はあるものの、この分野は音楽配信マーケットの中に大きな領域を確立しつつ現在に至っている。そして、ミューザック社は、アメリカにおいてBGM=環境音楽それ自体が〈ミューザック〉と呼ばれることからもわかるように、この領域でなお圧倒的な地位をゆるぎなく維持している。
BGMを考えるに当って、その先導企業となったミューザック社のみせた独特の活性に注目すべきだろう。この企業は「音楽を心理学的・生理学的に応用するスペシャリスト」であることを標榜し、生理学・心理学を駆使した鋭いマーケティングと商品開発を発足当初からおし進めた。その基本姿勢は、BGMに〈自律音楽〉としての性格をまったく認めず、完全な〈機能音楽〉として効果することに焦点をしぼっている。当然、「演奏と鑑賞」という枠組は放棄され、ユーザーの目的に合わせた実用的な効果が徹底的に追求され、それに見合った成果を稔らせている。
具体的に見ると、曲目の選択、その送信シークェンスの設計、大休止時間を含むインターバルの設定といったプログラミングはいうまでもなく、音源の選択(たとえば器楽とりわけストリングスを主体にして木管、金管をより従属させ声をできるだけ抑制する)、編曲の単純化(楽器編成、和声進行、リズム構造などの簡素化)、ダイナミックレンジの圧縮(めりはりのない演奏と電子的なコンプレッサー・リミターの多用)、サウンドスペクトルの平坦化と変化の単調化(特徴的なピークやディップのない周波数幅の狭いスペクトルの持続)などが綿密に行われ、「イージーリスニング」化が計られている。これらによって、音楽のようでありながら音楽としての応答を喚起することが強く抑制された独特の音の流れが効果的に造り出される。ちなみに、のちにLPレコードの規格となる当時もっとも収録効率が高かった33と3分の1回転ディスク方式も、ミューザック社に源を発している。
このミューザック社の戦術は成功し、特に1950年代からは、爆発的といえるほどBGM市場が成長した。この間ミューザック社はヨーロッパ、中南米、オセアニア、極東などにブランチを拡げている。その結果、ほとんど世界規模で、工場やオフィスはもとより、デパートから小売店舗までの商空間、ホテル、レストランや美容院などのサービス業、病院、駅や庁舎を含む公共空間など、巷のいたるところに〈ミューザック〉つまりミューザック社風のBGMがあふれる状態が導かれた。
これを契機に、西欧芸術音楽の作曲家マリ・シェーファーをして〈サウンドスケープ〉の発想に向けて蹶起させる新しい性質の音環境問題が浮上する。それは、BGMの環境化に伴ってその聴取が不特定多数の人びとに強制されるという状況の発生である。1960年代後半、この問題が顕在化することに合わせて国際的に大きな抗議の動きが現れた。一九六九年には、パリで開催されたユネスコ国際音楽評議会総会で、BGMの乱用を個人の自由およびすべての人の静寂に対する権利の侵害として告発し、この問題を医学、法学などあらゆる角度から研究することを要請する決議を、満場一致で採択している。
シェーファーは、こうした状況にもっとも鋭敏に反応したひとりであり、彼の〈サウンドスケープ〉提唱への決定的な契機のひとつがここにあることは疑いない。彼はこうしたミューザック社風のBGMを〈ムーザック(moozak、あるいはムーズ=mooze)〉と名付け、特に公共空間におけるそれを「あらゆる分裂病(統合失調症)的音楽のたれ流し」とし、「それは聖なる芸術を音のよだれにまで貶める。ムーザックは、聴かれるべきでない音楽である」と告発している。こうした中でミューザック社は、自らBGMという呼称を廃し、〈オーディオ・アーキテクチュアー〉を目標とするに至っている。
このような状況を背景にしながら、シェーファーは〈サウンドスケープ〉の理念を提唱するとともに、それを実践に結びつける枠組を構想した。シェーファー自身、それをドイツのバウハウス(1919〜1933年)から興ったインダストリアル・デザインになぞらえ、「アコースティック・デザイン(1986年刊行された日本語訳では著者の要請によりサウンドスケープ・デザインと訳出されたが、1994年のデスニティ・ブック版(Destiny Books版)では原著同様アコースティック・デザイン(Acoustic design)となっている)と名付けている。その内容について、シェーファーは「この研究は、(音の)重要なさまざまの特徴を記録すること、さまざまの相違、相似、傾向を書き留めること、絶滅に瀕している音たちを収集すること、新しい音たちが環境の中に見境なく解き放たれる前にそれらの影響を調べること、さまざまな音が具えている人間に対する豊かな象徴性を研究すること、そして互いに異なる音環境の中で現れる人間の諸行動パターンを研究することなどから成り立っており、これらの識見を人類の将来の環境設計に用いることを目的としている」とそれまでの西欧の音の文化と一線を画する革命的な見解を述べている。
サウンドスケープ研究とは何かについて、シェーファーは、「音楽というものを、私たちのまわりの世界の中にさまざまな音たちの影響の調和を追求していく営みとして再確認すること」であるという。また、サウンドスケープ(アコースティック)・デザインは「環境のモデルを作ることを含みうる。この観点に立てば、それは現代音楽の作曲に連続している」とする。さらに、シェーファーの思想の日本における伝道者のひとり鳥越けい子は「〈サウンドスケープ・デザイン〉は従来の『音楽』を排除しているのではけっしてなく、むしろその中心に西洋近代音楽を据えつつ、その枠組みを拡張・変換しているということである」(『世界の調律』訳者解説)という。こうしたスタンスはサウンドスケープによる音環境のデザイン(シェーファーのいうアコースティック・デザイン)に、西欧音楽のパラダイムにのっとった芸術的営為としての枠組を与える。この枠組の下では、近代芸術の基本理念に含まれる芸術の自律性、純粋性、至上性、作者の自我強調性、そして創造の自由など19〜20世紀的な西欧文明の「遺伝子」による支配を断ち切ることが原理的に難しい。シェーファー自身、「アコースティック・デザインは、決して、上からコントロールするデザインになってはならない」として、その至上不可侵性を主張している。
科学技術文明の中でもすでに高度に熟した〈物質文明のステージ〉上では、往時の製造業におけるアダム・スミスらに導かれた「自由放任主義」が人と環境との調和と両立できないことはすでに通念となり、大気、水、廃棄物などの規制が発達する中で、それは過去のものとなりつつある。しかし、物質文明に較べるとまだ著しく素朴な段階にある〈情報文明のステージ〉上では、たとえば「創造の自由」はなお不可侵の座に君臨し続けている。これを脳科学や情報環境学を背景にした「物質と情報との等価性モデル」によって「物質」から「情報」の領域に読みかえると、芸術の至上性に基づく「創造」という名の情報操作の非拘束性は、「モノつくり」の分野でかつて見られた野放しの技術開発と区別できない意味をもってくる。
生命科学的に観れば、「音」という〈情報環境〉の保全や改善を目的にした場合にも、〈物質環境〉の保全や改善の場合と同様、地球生態系と地球生命を尊重する立場から、人為に対するアセスメントとコントロールとが何よりも優先されなければならない。それは、自然科学的な安全性と有効性の裏付けが高度に確立され、それによる規制を拒むことなく、ゆるされる範囲内で環境操作が行われることを要請する。こうした枠組の中では、芸術の至上性を無条件に優先することは難しい。
この点からみると、サウンドスケープ(アコースティック)・デザインのもつ「聖なる芸術」という側面は、「西洋の音楽概念の拡大と芸術音楽の社会的機能の拡張」(鳥越けい子『世界の調律』訳者解説)というサウンドスケープの目標設定それ自体を二律背反の矛盾に導く恐れがある。
そもそも、環境の保全と人為の非拘束性とは時として絶妙の協調を稔らせることはあるものの、基本的には不倶戴天の関係に陥ることを遮る仕組をもたない。また、人類史上、人為の恣意性が思想的にもっとも合理化され、整備され、それ自体がアイデンティティーとなって驀進してきたのが、西欧近代芸術に他ならない。その中でも、「音楽はそれ自体のもつ法則性以外の何物にも拘束されないこと、同時に創造行為が社会的に何らの掣肘を被ることなく完全に自由であること」を標榜しつつ十九世紀を風靡した〈絶対音楽〉の理念は、あまたの芸術至上主義的な思想の中でも、もっとも過激なもののひとつに数えるべきだろう。それに合わせて、芸術至上主義への反作用として1930年代旧ソ連邦から登場した〈社会主義レアリズム〉による芸術の統制が導いた惨憺たる結果も、芸術の脱制御化の必然の落とし子として近現代文明の限界を浮彫にし、見逃すことはできない。このような出自をもつ西洋近代音楽を拡張し、変換することで環境の保全や改善に機能させようとするサウンドスケープ・デザインの戦略は、もちろん実現不可能ではないだろう。しかしそれをもって最善の、あるいは高度に優先されるべき選択とするべきかについては、慎重を期さざるをえない。
シェーファーは、このように深刻な問題を抱えた「音楽から学ぶもの」以外の原理として、「1.耳と声の尊重―耳が許容限界をこえる変位(threshold shift)を被ったり声が聞きとれないとき、その環境は有害である。2.音の象徴性の自覚―それは常に機能としての信号作用以上のものである。3.天然のサウンドスケープのリズムとテンポ類についての知識。4.逸脱したサウンドスケープが自ら元に戻るバランス機構についての理解。この最後の点は中国の哲学や芸術に立ち戻ることでもっとも容易に理解できる」と述べている。たしかに、これらの指針には効果的な発展の契機が宿されている。実際にも、伝統的な西欧芸術音楽の素材や手法の外側からのこうしたアプローチによって、それが歴史も伝統も大きくはなく、体系化も検証も素朴な段階にあるにもかかわらず、サウンドスケープ(アコースティック)・デザインの主たる稔りが産み出されているように見受けられる。
サウンドスケープ・デザインに向けての指針として、シェーファーは「どのような音を私たちは護り、助け、殖やしたいのか。これを知ったとき、退屈なあるいは破壊的な音たちが十分はっきり見えるようになり、それを排除しなければならない理由も明らかになるだろう。音環境への総合的な識別力のみが、サウンドスケープのオーケストレーションを改善する資産を私たちに与える」と強調している。つまり、環境の中の音の理想的なありようをまず明らかにし、「かくあるべし」という〈規範〉を確立することを通じて、サウンドスケープの「オーケストレーション」を改善することが可能になるという道筋を指し示しているのである。これはまさに正鵠を得た指針といえる。〈環境衛生〉における騒音規制のような本質的には根拠がなお稀薄な数量的基準とか、市場経済に支配されたBGMの規格とは明らかに一線を画しているからである。
ここで決定的な意味をもつのが〈規範〉となる理想的な音環境としていかなるものを選択し、または設定するかであることはいうまでもない。これについては、ちょうど人間の〈必須栄養〉の概念を設定するときのような難しさが伴ってくる。というのは、必須栄養素のすべてをリストアップすることは、現在および未来の私たちのもつ分析力や還元力の限界を原理的にこえた行為に他ならないからである。このような場合、本発明者らは、「進化史的尺度で観て人類との適合性が実績で示されている自然食品の集合」といった概念を設定することで実質的な効力を発生させることになる。つまり、ここで〈規範〉を指示するものとして機能しうる文言は、「未知でありながら必須の要素や構造」を排除せず包含することができる高度に有機的かつ包括的な概念を顕すものとならざるをえない。そのためには、すくなからぬ未知の要素や構造を潜在的に含むことが当然のこととして許される「ある実在を指示する具象的な概念」の形式を採ることがひとつの有効な解決になるわけである。
これについてシェーファーは、サウンドスケープ・デザインの規範となる音を明示的に示してはいない。ただし文脈の上では、この点においてもシェーファーの論理構築は形式的にぬかりなく、非のうちどころのない設定を実現している。彼が『世界の調律』の中で「永遠の完全性を表象するもの」として浮かび上がらせたのは、秘教主義(esoterism)的な人びとに関心の高いかの「天球の音楽」(music of the spheres、ただし『世界の調律』の日本語訳では「天体の音楽」)に他ならない。特に彼は、この概念を、その起源となるピュタゴラスのそれに遡って設定している(なおシェーファーは、天球の音楽に触れるに当たって、しばしばインド音楽の「アナーハタ」の概念をとり上げ、同質のものとして言及している)。
大著『世界の調律』を終結する短い「エピローグ」の主題は「天球の音楽」であり、ここでシェーファーは、「それは合理的秩序としての音楽であり、起源をギリシア人たち、特にピュタゴラス学派に遡る。音を出している弦の倍音比率の間に数学的対応を発見し、惑星と恒星たちがやはり完璧な規則性のもとに動くらしいことに注目したピュタゴラスは、その発見を直観によって統合し、二つの形式の運動はともに完全な普遍則の現れであると推測して、音楽と数学を結びつけた」と述べている。それに先立ってシェーファーは、サウンドスケープ・デザインをアポロン的な音楽観に結びつけ、この音楽観の顕れの例として「インド音楽のアナーハタ」「ピュタゴラスの思想」「中世の理論家たちの考え方」(おそらくギリシア起源の〈運動する数の学としての音楽〉の概念)、そしてシェーンベルクの十二音技法を挙げ、「その説示の方法は数の理論である」としている。たしかに、そこにはピュタゴラス的な数の神秘主義のニュアンスが濃厚に漂う。
音の環境学が明らかにした「連続的量的な構造を本質とする音楽」を、もっぱら「離散的数的な現象」として認識する西欧芸術音楽の思想の最大の起点をつくったのがピュタゴラス学派であろうことはかなり確実視される。しかし、ピュタゴラスの他の知的遺産と同様に、その原典となる「天球の音楽」とは何かについても、本発明者らはそれを後世の記録から間接的に知るほかはない。これについてアリストテレスは彼の『天体論』の中でそれを次のように紹介した上で批判し、退けている。なお文中「在るひとたち」とあるのはピュタゴラス学派を指す。
「在るひとたちの考えによれば、われわれの地上においてそれと同じくらいの大きさをもたず、またそれほどの速さで動きもしないものが音を発するのだから、まして非常に大きな物体が運動すれば、必然的に音を発しなければならない、また太陽や月やさらにその数と大きさとが莫大な星たちが、そんなに速い速度で運動しながら、しかもなにか巨大な音を発しないというようなことはありえないというのである。で、これらのことやまた速さは距離に応じて階音の比をもつということを仮定しておいて、かれらは円運動する星たちの音は調和的だと主張する。しかし、われわれがこの音楽を現に一緒に聞いていないのは理屈に合わないと考えられるので、かれらはその理由をつぎのように述べる。われわれが生まれ落ちると、すぐ、そのときからこの音は存在している、それで、われわれはこれと反対の無音とを判別できない、なぜなら、音と無音とは互いに並置されてはじめて弁別されるものだから、したがって、ちょうど銅鍛冶にとって習慣のためにどちらの音も区別がないと思われるように、一般のひとたちにとってもまたこれと同じことが起こるのだと言う。」(村治能就訳)
この文脈はほぼ完全にシェーファーにうけつがれ、「人間たちが完全性を求めて奮闘するように、すべての音は無音の状態を、〈天球の音楽〉の永遠の生命を切望する」として、結局、無音(silence)に至上の存在理由を捧げ音環境のデザインという理念との間に一種の自己矛盾を宿しつつ大著『世界の調律』は結ばれている。
このような天球の音楽は、たしかに「永遠の完全性」の表象にはなりうるけれども、それが無音であることによって、この規範から現実の環境音を構成するための具体的な〈指標〉や〈基準〉を合理的に導くことを困難に陥れている。この状態は、サウンドスケープ・デザインの体系を現実の音環境の制御に起用するに当って目標となる音の物理構造や信号構造の内容を空洞化させる。それはこの体系に有効性や信頼性を導く動向を麻痺させ、あるいは大きく恣意性に委ねる道を開く。
サウンドスケープ(アコースティック)・デザインの名のもとに導かれてきた成果は、その枠組の深部に横たわるさまざまな矛盾や限界をこえて豊かな稔りをもたらし続けており、それは今後も維持されるべきだろう。とはいえそれは、この枠組のもつさまざまの矛盾や限界が無視できることを支持するものではなく、この枠組の唯一性や高度の優先性の主張に結びつくものともなりえない。深刻な矛盾や限界に妨げられることなく長期的展望に耐えうるより新しい枠組を準備することが、歴史的課題として、私たちに求められているのではないだろうか。
<1−2−2>脳にやさしい音環境のデザイン.
1.音と人と環境との調和を計る実践に踏み出すうえで、これまで築かれてきたさまざまなアプローチの枠組はそれぞれ、貴い遺産を私たちにもたらしてくれる。しかし、それらのうえに、本発明者らの前途を委ねるに足る展望をなお見出すに至らないことも、否定することができない。とりわけ、次世代の生命の健やかな成長や社会の病理の克服にかかわる事業、あるいは公共性の機会、公共の空間そして公的資金などを費やす事業などに対応しようとするとき、信念と責任をもって事に当るに足る既成の路線を見出し得ないことは、忍びがたいところである。
そこで、本発明者らは、そうした限界の著しい在来の枠組に直線的に依存することを留保し、それらに学びつつも、自らの信念と責任のもとにためらうところなく実践に当るに足る新しい音環境デザインの枠組を、音の環境学(サウンド・エコロジー)にのっとって改めて構想することにした。それを要約してひとことでいえば、〈人類の遺伝子に約束された脳にやさしい音環境のデザイン〉である。
このパラダイムの構築作業の第一歩は、〈規範〉すなわち到達目標となる理想の音環境とは何かを包括的な概念として設定するとり組みに始まる。しかしより忠実にいえば、音環境のデザインに実効性をもった規範を設定すべきであるという判断を導いた思考過程自体が、すでにこのとり組みを他と区別する要因の一部を構成しているというべきだろう。
これまで、マリ・シェーファーが注目した〈天球の音楽〉ないしその同義性の存在としての〈アナーハタ〉を除いて、音を排除するのではなく、音を造成する役割を担った音環境デザインに対して手がかりや目標を与える規範となるものは存在しなかった。また、天球の音楽やアナーハタは、形而上学的あるいは秘教的な概念道具として機能できるかもしれないが、現実の音を制御する基準、すなわち音そのものの備えるべき信号構造や情報構造を具体的に示しうるものではない。あえてそれを求めるならば、音環境の造成と矛盾する〈無音〉が規範の座に就き、デザインという行為自体を空洞化する。このような実態に見られる実効性をもったレファレンスの不在こそ、これまでの音環境デザインを羅針盤がない状態で漂流に委ねた元兇といえる。
たしかに、現在本発明者らが立つ科学技術文明という地盤上で実効を発揮できる科学的概念として音環境のレファレンスを設定することは容易ではなく、これまでの知識水準では、それは不可能だったかもしれない。しかし、ごく最近に至って本発明者らは、新しい科学知識の中にさまざまな材料が登場するという幸運に浴している。その中には、歴史的な転換を促すものがないとはいえない。本発明者らは、それらを活用することによって、遺伝子に約束された音環境を都市空間に復活させる組織的な戦略を構想し、それを育てながら逐次実現に移してきた。以下にその概要を述べる。
2.本発明者らはまず、新しく人類が獲得した知的資産のもっとも価値あるひとつとして、分子遺伝学を背景にした〈遺伝子決定論〉に注目した。これを基礎において、本発明者らは、「人類には、その遺伝子に約束された理想の音環境が生得的かつ普遍的に定められている」という大きな前提を設定することができた。
ここで情報環境学から〈本来―適応モデル〉を導入して、私たちに約束された音の構造とは、人類の進化の揺籃となり、DNAシークェンスの組換えを通じてその遺伝子を誕生させた生態系のもつ環境の音構造に等しいというモデルを得た。それがいかなる環境であるかについては、最新の進化生物学、生態人類学そして脳科学などの知識や手法と、それらを活用して音の環境学が構築した〈ハイパーソニックエフェクトの二次元知覚モデル〉およびその〈脳領域間機能連関〉の発見に基づいて、画期的な認識を導くところとなった。それを要約すれば、まず、私たちの遺伝子は、まだ人類になる遥か以前からの悠久の時を、熱帯雨林を中心拠点にして組換えを続ける中で形成された可能性が高い。それは、私たちの遺伝子に約束された本来の環境が熱帯雨林型であり、そこにひびく音の世界をもって遺伝子に約束された音環境のもっとも有力な候補とすることを支持する。これらを背景にして、本発明者らは、熱帯雨林に張りめぐらされた音の空間を現代型ホモ・サピエンスの遺伝子に約束された音環境の規範のもっとも有力な候補とし、そこにみなぎる音の信号構造、情報構造を環境音のレファレンスとするという基本戦略を築いた。
次の段階として、このレファレンスの有効性を検証し、実際に音環境の解析、設計、構築、評価などに結びつけ、適切に機能させる新しい枠組を設定しなければならない。これについては、まず、情報環境学からの〈地球生命における物質と情報との等価性モデル〉を援用して、私たちの摂取する物質に生存上なければならない〈必須栄養〉とあってはならない〈毒物〉とが存在するように、本発明者らの受容する音情報にも、生存上なければならない〈必須情報〉としての音と、あってはならない〈侵害情報〉としての音とが存在するという考え方を導いた。ここで必須情報となる音のもつ構造こそ、〈脳にやさしい音環境〉の規範に他ならない。
以上の認識のもとに、本発明者らは、環境の中に存在する音を、
1、〈必須音(Essential sounds)〉すなわち「なければならない音(sounds that are indispensable for human well−being)」
2、〈効果音(Functional sounds)〉すなわち「何らかのポジティブな効果を発揮しうる音(sounds that have a positive effect on human beings)」
3、〈侵害音(Noxious sounds)すなわち〉「あってはならない音(sounds that are injurious to human beings)」
の三つのカテゴリーに類別して捉える枠組を設定した。
物質文明のステージから出発した私たちの文明は、人間生存に欠くことのできない物質の存在については黎明期から強い認識をもち、早い段階でビタミンなど〈必須栄養〉の概念を確立している。一方、きわめて後発の情報文明のステージでは、いまだ本格的な〈必須情報〉の概念も存在も明らかには示されず、ここで、本発明者らが提唱する〈必須音〉が、その魁(さきがけ)となる可能性もなしとしない。
環境音を三群に類別した本発明者らの設定、とりわけ必須音のそれにかかわる有効性は、音の構造と機能との両面について検証されなければならない。まず音の構造について、科学技術文明の拠点となり音と人との不調和が忍びがたい水準に達している人工空間、とりわけ都市の音環境と熱帯雨林のそれとの区別が客観的な指標上で明瞭に認められ、レファレンスとして意味をもつかどうかを確かめる必要がある。
そのために、本発明者らは、目的に添った記録と分析の方法を開発し、熱帯雨林の音と都市の音との信号構造をくわしく調べた。その結果、人類本来の音環境のモデルとした熱帯雨林の環境音の周波数上限が都市の環境音における約5−15kHzを一桁上廻る100−130kHz以上にまで達することを見出したのをはじめ、熱帯雨林の音の構造が超高密度、高複雑性、変容性が著しいのと対照的に、都市の環境音が低密度、単純性、単調性がはなはだしいことを明らかにした。この検証結果は、熱帯雨林の環境音を人類にもっとも適合した音環境の規範とし、そこに適切な指標を見出して基準(レファレンス)を設定することにより、都市環境音の本来あるべき音環境からの乖離度合、あるいはその修復の度合などを音の信号構造、情報構造という客観的指標の上で高度に精密に比較できる可能性を裏付けた。
次の課題として、人類の音知覚の限界を大きくこえるところをもつ熱帯雨林型の音の構造上の特徴が、その音が人間に働きかける機能に果たして反映するものであるかどうかについて検証されていなければならない。そのためには、本発明者らが長期にわたって蓄積してきた、厳密なモデル実験の結果が効果を発揮する。すなわち、本発明者らは、熱帯雨林型の超高密度の情報構造をもつ自然環境音や音楽を超広帯域録音し、それらと、そこから可聴域をこえる超高周波成分を除去して低密度な都市型の音に近づけたものとの双方を高い忠実度で再生可能にしたうえで、この両者を同等の条件下で切り換えながらブラインドホールド下で聴くときの人間の反応を、生理、心理、行動にかかわる複数の指標上で比較している。そうした実験は、都市型の低密度で単純な音を聴くときには、熱帯雨林型の超高密度で複雑な音を聴くときに較べて脳基幹部ネットワークの活性が低下することをはじめ、生理、心理、行動すべての指標上で、都市型の音が熱帯雨林型の音よりも人間の心身の活性を低下させ、あるいは音との不適合性を著しくすることを、いずれも統計的有意性をもって明らかにした。
ここで都市型の音のもとで活性の低下が見出された脳基幹部ネットワークの中で、私たちの〈二次元知覚モデル〉における〈生体制御ユニット〉を構成する脳幹と視床下部は、都市という文明の容器内で多発する遺伝子決定性の躰の病理、すなわち生活習慣病、心身症などに深くかかわる。一方、中脳、視床、帯状回、前頭前野を含む〈行動制御ユニット〉は〈報酬系〉領域であり、その活性の低下は、不快感による都市からの逃避行動とともに精神と行動の障害や発達障害を導く恐れがある。そのうえ、行動制御モードの正負の倒錯は、拒食やリストカット(自傷)などきわめて文明的な病理に結びつくことが警戒されるのである。
しかし、これを翻って観ると、新たに構成した〈必須音〉という規範にのっとって音環境を構築することにより、これら現代文明の病理から解放される展望を本発明者らが獲得したことを意味する。
3.以上のような規範や基準の設定およびその実験による検証を通じて、本発明者らは、音環境デザインの新しい原理をうち建てた。それが〈脳にやさしい音環境デザイン〉のパラダイムである。その骨子は、まず熱帯雨林の環境音に特徴的な情報構造を〈必須音〉のレファレンスとするところから出発する。次に、このレファレンスと、改善あるいは構築の対象となる特定空間の音の情報構造とを比較してその違いを精密に測る。さらにここで見出された落差を適切に補完し、熱帯雨林型の情報構造をもった必須音のベースラインを構築するのである。もちろん、この基礎のうえに、必要な場合にはさらに〈効果音〉を導入しつつ目的に合致した音空間の設計を行うことも視野から外さない。そして、これらの有効性や安全性の評価を、脳の活性を中心指標として生理、心理、行動にわたる複合的な指標体系を使って総合的に行うのである。
ただし、ここで望ましい音環境のベースラインをもっとも完成度が高い状態で構築するデザインとは、原理的には、熱帯雨林そのものを造成することに他ならない。しかしこれは、ほとんどの場合、短期的・中期的には現実性に欠ける。そこで、そうした圧倒的多数の場合の次善の策として、一方で可能な限り本来の生態系への近似を図るとともに、他方ではその限界をおぎなうために、電子メディアを含む人工物によって音の補完を適切に行うのである。この点では、リアル/ヴァーチュアル・リアリティーを融合するオーグメンテッド・リアリティーあるいはミクスド・リアリティーの手法が注目すべきものとなる。
次に、これらを実行に移すための材料、方法、手段を整えることが必要になる。とりわけ、電子メディアを活用する場合には、熱帯雨林型の情報構造をもつ音源の収集や生成そしてコンテンツの編集などソフトウェアの開発がきわめて優先性の高い根源的な課題となる。これによって得られた超高密度かつ複雑性の高い音信号を記録・編集・配信・再生・呈示する従来よりも画期的に性能を向上させたハードウェアの開発と製作の重要性も、いうまでもない。続いて、それらを現実の対象空間に展開するための空間構成や実施設計とその施工などが必要となる。これについて、本発明者らは、研究用に開発したシステムをプロトタイプにして、これまでになかった高度の仕様を満たすさまざまな実践用のシステムを開発してきた。
このアプローチでは、これまでの音環境デザインすなわち音響設計、BGM=環境音楽、サウンドスケープ(アコースティック)・デザイン、音楽療法などの知識・技術の枠内におさまらない面が圧倒的に多い。そのことを念頭に置きながら、このアプローチから導かれた〈脳にやさしい音環境デザイン〉の実際についてより詳しく述べる。
4.まず、ソフトウェアとしてもっとも重要な音のベースラインとなる脳にやさしい〈必須音〉の具えるべき音響構造の諸細目について述べる。〈効果音〉の選択肢が事実上無際限に近いのに対して、必須音のそれは、人類の遺伝子を育んだ熱帯雨林のもつ限りなく細密複雑かつ変容きわまりない環境音そのものまたはそれと同じ質の情報構造をもつ音響・振動であることを厳に要請する。それらの音の周波数上限は、可聴周波数上限20kHzを遥かにこえて100kHz前後、理想的には130−150kHzにまでおよび、しかも常にスペクトルの形が変容を続ける非定常なゆらぎに満ちた熱帯雨林型の〈ハイパーソニックサウンド〉でなければならない。それは同時に、音圧レベルとしても現在の音環境デザインの諸手法や現行の騒音規制と大きな隔たりをもち、それらが示す値をかなり上廻る50dBAから70dBA程度を標準とする。こうした音のベースラインは感性的には静寂快適ではあるけれども情報構造としてみると豊饒きわまりない。これを必須のベースラインとしたさまざまな音の構築物を、人の生きる空間に実現するのである。
ここに示した脳にやさしいハイパーソニックサウンドの基準は、従来の環境衛生、環境音響学、BGM=環境音楽、サウンドスケープなどすべての音環境の再構築を裏付けてきた発想法や設計手法そして技術仕様を包含しはするけれども、仕様全体としてはそれを遥かにこえている。そのため、既成の方法論、既存のハードウェア、ソフトウェア、それらを駆使する感覚感性に至るまでほぼ全面的に在来のままでは使用に耐えず、それらのほとんどすべてを一新し必要なものを改めて調え直さなければならない。
具体的にいえば、ハードウェア、ソフトウェアは両者とも、まず、100kHzをこえる周波数領域まですぐれた応答性能や情報内容をもたせることが要請される。このような仕様を満たす装置系として、本発明者らは、山崎芳男博士の開発した高速標本化一ビット量子化信号処理システムを中核にして、標本化周波数5.6448MHz、3.072MHz、2.8224MHzなどの超広帯域マルチチャンネル・A/D変換・記録系を構築した。これに合わせて、基礎研究を離れた再生のための光ディスク再生系、増幅系、そして呈示用スピーカーシステム、中でも非常に開発困難な超高周波応答性の優秀なスーパートゥイーターなどを、すべて、130kHz以上にまで応答周波数上限を確保した仕様のもとで開発してきた。
この場合、再生音場の空間構成としては、1チャンネル・モノーラルや2チャンネル・ステレオでもそれぞれ一定の有効性を示すけれども、理想的には前後、左右、上下に展開する全方位的な立体音場の構成が望まれる。なお、この全方位性を現実的に容易に実現するひとつの方策として、本発明者らは、〈フロント左〉〈フロント右〉〈リアー左〉〈リアー右〉〈センター上〉という五チャンネルで録音を行い、フロントとリアーのLRを二重らせん状に反転させながら縦横に連鎖させていく〈ダブル・ヘリカル・マトリックス方式〉と名付けた効果的な空間配位方法を開発している。
さらに、必須音となるハイパーソニックサウンドを現場に展開するに当っては、もっとも重要な因子となる超高周波成分の射程距離や放射指向性の広がりが可聴域成分に較べて大幅に制約されるため、発音源からの距離を制限した設置密度を高め、距離を近づけ、死角を除くなど綿密な設計を行うことも欠かせない。本発明者らはこれらの条件を満たすシステム全体を構築するとともに、屋外での使用のために、これらに音質を劣化させることなく耐候性をもたせたユニットを開発してきた。
5.ここで、従来考慮された例が恐らくみられない新しい問題を指摘しなければならない。人類本来の音環境のモデルとする熱帯雨林の音空間には環境音を遮り別の独立した音空間の構成を許す壁と扉が存在しない。つまり、音空間全体がほぼ完全な連続性の中にあり不連続な断層をもたないことである。これを無視しうる根拠を見出せないばかりでなく、音の断絶が脳の警告系を刺戟する懸念も否定できない現状からすると、築こうとする音空間には連続性を確保することがすくなくとも安全である。そこで、都市の音空間を細断しているさまざまな壁面の両側で共通した環境音が併存し、扉を通過しても一定の音の連続性が確保できるような構造的および電子メディア的対応技術を開発し適用することが要請される。
さらに、熱帯雨林にひびく環境音には、永劫にわたる時間を通じて〈無音〉つまり音の空白というものがありえない。この性質に対応する人間の反応を観ると、熱帯雨林型のハイパーソニックサウンドが導く効果の持続力は音が消えた後130べき秒程度しか保たれず脳機能が低下を始める。つまり脳にやさしい音は「聴きだめ」ができず、二六時中身近に流し続けていなければならないのである。加えて、森林の響きには録音物のような同じ音の反覆がありえない。従って、高密度で複雑性に富んだコンテンツを再生時間112時間程度の1枚のディスクにして反覆再生し音環境の造成を計ることは、すこぶる有効であるとはいえ、それをもって本来あるべき音と本質的に変わりないものと断定することはできない。私たちの脳がもっている音環境についての量り知れない感受性や記憶容量からすると、供給される音情報は、理想的には、実際の森の音と同じく受容者にとって生涯を通じて一期一会である方がより望ましいに違いない。
このことへの対策として本発明者らが開発した方法の一例として、次のものがある。まず、それらをどう組み合わせても表現および機能上の破綻を生じないように造られた互いに独立する複数の音の流れからなる音源を構成し、それらを別個の再生用パッケージメディアに記録する。この際、1パッケージ当りの時間長がたとえば秒単位で互いに素数関係になるように記録したうえで、互いのズレが1/10秒以下に制限された精度の下でこれらを反覆同期再生するのである。仮にその1枚目を3181秒、2枚目を3667秒とすると、これらを冒頭から同時スタートさせたのち同じ組み合わせが再回帰してくるまでに1116万4727秒すなわち135日かかる。実際に本発明者らは、3枚の光ディスクをメモリーとして、同じ音の組み合わせが反覆して現れるまでの時間をこの手法によって一千年以上に拡張している。
私たちの遺伝子に約束された「脳にやさしい音環境」を都市の人工空間に本格的に実現することは、これまでの技術発想からすると至難の目標以外の何物でもない。仮にそれを理想的かつ厳密に行うためには、たとえば熱帯雨林型の超高密度多次元の音情報を電子メディア化し、数十年以上反覆しない状態で間断なく供給し続けるといった非常に厳しい課題に直面しなければならないからである。このきわめて難度の高い問題に対して十分な効果を期待しうる解答はあるのだろうか。そのひとつとして、本発明者らは、音環境の構築対象となる地域と時差のすくない経度上の赤道周辺の地点に熱帯雨林あるいは同様に質の高い音をもつ自然生態系を探索し、その生態系内の適切な場所に環境情報を電子化して発信する地球局を設置するとともに、そのデータを超高速通信衛星や大容量ネットワークを使って常時伝送し、その音環境の「写像」を対象空間に展開し続けることを構想している。また、最大12時間をこえる超大容量データストレージの開発によって時差を克服し、優れた環境音をもつあらゆる地点から情報を導くことについても構想している。さらに、自然性の高いハイパーソニックサウンド発生源として、水の運動による音発生系を活用している。本発明者らは、流水や落水が130kHzを超えるゆらぎにみちた超高周波を発生させうることを見出した。これを直接、環境に補完するだけでなく、その振動を空中または水中から電子信号に変換してとり出し、リアルタイム又は録音物として、単独に、または他の音と合わせて供給するのである。あわせて、後に述べるように、電子的な信号処理ぬきに現場でハイパーソニックサウンドを発生させるオルゴールを開発している(図26)。
6.このような方法論に基づく音環境の構築は、恐らく当分の間は圧倒的に電子メディアを含む人工的な音の比重が高いものとならざるをえないだろう。そうした環境の造成手法によって人類本来の熱帯雨林型音環境への接近を計ろうとするとき、その安全性と効果のアセスメントは、人工物の比重が高いことに見合った高度に厳格なものにならなければならない。この場合まず主軸となるのは、必然的に生理的評価となるけれども、その対極にある感性的評価にもそれに劣らない比重をおき、決してゆずってはならない。
〈生理評価〉は、なによりも非侵襲脳機能解析を目的に合わせてカスタマイズすることが課題となる。それも複数の手法を立体的に駆使できる体制が望ましい。これに対して、本発明者らは、データのFM多重通信を伴う非拘束性の脳波テレメトリー、体液中の神経活性物質・免疫物質の濃度測定、そしてPETのような大規模な非侵襲脳機能解析など複数の指標を有機的に連関させて分析と評価を行っている。
〈心理・感性評価〉は、厳密にいえば感性脳の反応という生理反応の一領域についての評価に他ならない。そこでこの評価を成功させるためには、さきの生理評価実験の知見を十分に参照して実験計画を構成することが有効となる。特に、ハイパーソニックエフェクトのもつ独特の時間的非対称性に対する対処は必須といえよう。さらに、生理反応と心理反応の総合出力となる人間のふるまいを指標とする〈行動評価〉は、その実験方法や条件の設計が適切に行われると、優れて鋭敏性を発揮するうえに再現性の高い結果を与え、実験室レベルのパイロット実験を通じて応用現場における最終的な効果を予測できる点でもきわめて価値ある知見を与える。もちろん、こうした新しくオリジナリティーの高い手法とともに、人びとの挙動の観測に基づく動態調査など伝統的な手法もきわめて有効で、適切な設定と入念な試行によって貴重な知見をもたらす。
なお、ここで心身の健やかさと快適性による街の健康と魅力の向上を実現する都市情報環境再生計画の骨子となる電子技術を軸にした脳にやさしい音の補完という手法は、区画整理や建物の建造などに較べると技術的にも経済的にも心理的にもはるかに負担がすくない。それにもかかわらず、これまでの脳機能解析などから推定されるその効果は、いま都市をむしばんでいる現代病や行動障害、発達障害そして快適性の喪失などの核心にある脳基幹部の活性低下を改善することを通じて、革命的なレベルに達することが期待できる。
〈脳にやさしい音環境デザイン〉を実際に推進するに当って最後の決め手となるのは、言語性の情報で表す「仕様」としては表現できないにもかかわらず事の成否を決定的に左右するプロジェクトの統括者、たとえば、総合デザイナーやプロデューサーなどの人材にかかわる。それは、単に科学技術を駆使する能力にとどまらず、その諸細目を快さ、美しさといった感覚感性的事象と統合し形象化するクリエイターつまり音の料理人としての手腕が必須となる。加えて、制度、予算、組織、体制の構築と運用といった世俗的な問題からエコロジカルなコスモロジーにかかわる哲学的諸問題に至るまでを存分に料理できるような人格と識見の所有者であるかどうかも、大規模なプロジェクトであるほど、大きく結果を左右するだろう。これはまさに人材の選択に極まるものであり、ことのほか優先される、というよりは多くの場合、最大の課題であることを承知すべきだろう。なお、この人選という課題に触れるうえでは、人間の能力を、いま標準的な〈明示的競争〉で評価することは危険である。これには、「非言語脳本体とそこに芽生えた言語脳」という新しい脳機能モデルの認識に立った人材識別の眼力が有効性を発揮するに違いない。
7.音と人と環境とを調和させようとする音の環境学の戦略戦術と、これまでの他のさまざまなアプローチのそれとを比較すると、基本的なところに非常に大きな、そして本質的な隔たりがさまざま横たわっている。もっとも根本的なその違いは、音と人との関係について、音の環境学が遺伝子決定論の立場にたっているのに対して、他のすべては、そうした知識や思想の登場以前に形成され、それらと無縁な立場にあるところにみられる。遺伝子決定論は、音の情報処理にあたる装置すなわち脳・神経系というものが、生命のあらゆる活性と同様、遺伝子設計に基づいて造られ、その構造・機能には人類に普遍的な有限の生得的枠組があり、その相当部分は変更不可能であることを教える。この認識と一体化して、情報環境学、分子生物学、進化生物学、脳科学、感性科学などの新しい知識と情報を活用することが効果を発揮する。
このような背景から、脳は、「環境からの究極の使者である音」に対する感受性や応答性について、生理的なレベルでとりわけ厳格な枠組に支配されざるをえないという認識が導かれる。それによれば、脳とりわけその基幹部ネットワークを構成する〈行動制御ユニット〉は、環境から到来する音と振動を通じて、そこが人類の遺伝子に約束された本来の環境であるか、もしくは適応努力によって生命を維持できる環境か、あるいは適応不能であって自己解体が避けがたい環境であるかを判別し、その判断結果を心身に指令して然るべく反応させる契機をつくり続けている可能性が高い。音の環境学はこの点に注目して、脳活性を手がかりに遺伝子に約束された本来の音環境への接近を計るとともに、重大な適応努力が必要なほど適性の乏しい音の構造や、とりわけ自己解体が起動されるような不適合な音の構造を極力回避しつつ人類の遺伝子に約束された音環境を造りあげていく〈脳にやさしい音環境のデザイン〉の戦略を構想し、実行してきた。
この戦略に立つ音の環境学では、音環境デザインの実際において、音と人との調和や協調をめざすこれまで知られる主要なアプローチとの間できわめて明瞭な、そして決してすくなくない隔たりを随所にみせるものとならざるをえなかった。それはまず、「なければならない音」すなわち〈必須音〉という初めての〈必須情報概念〉を構成し、その規範を設定し、いくつかの指標上で基準となる情報構造を具体的に明示するとともに、その基準が満たされなかった場合に心身に導かれる負の効果を明らかにした点で、これまでの音環境デザインにかかわるどの枠組とも一線を画している。また、音が存在しない環境を、異常性が高く人類の遺伝子と脳に不適合なものとし、従って無音状態が人と音とのかかわりを究める上での標準や基準として適格とはいえないとする立場をとっている点でも、他の体系や思想とのかなり鋭い不一致を生んでいる。
このような大きな隔たりから必然的に、音の環境学の〈脳にやさしい音環境〉パラダイムによる音環境のデザインから生み出される音空間は、これまでのあらゆる音環境デザインの手法が造りだしたものとさまざまの大きな違いを随所にみせることになった。それらの中でも特に著しいのは、まず音圧レベルである。熱帯雨林を規範に設計される環境音のベースラインは、低くて50dBLAeq前後、高い場合には70dBLAeqをこえ、ほとんどが現行の騒音規制の対象となるほど高い音圧領域に設定されなければならない。それにもかかわらず、適切に設計されたこれらの音は静寂感、快適感を発生させ、騒々しさを感じさせることがない。
従来の音環境デザインとのもうひとつの本質的な差は、ベースラインとなる〈必須音〉の存在、そしてその広大な周波数レンジと高複雑性にみられる。これまでの音のデザインはあくまでも聴覚で捉えられる可聴音の範囲内で行われ、それをこえる領域については対象にのぼっていない。それに対して〈脳にやさしい音環境のデザイン〉では、可聴周波数上限20kHzを五倍も上廻る100kHzを基本的な目途とし、できればそれをこえる150kHzくらいの成分までを視野から外さないように努めている。
従来の通念とは大きく異なるこうした側面こそ、〈脳にやさしい音環境デザイン〉の真髄を示すところである。その裏付けは、新しい切り口からの地球規模にわたる音環境の調査、さまざまなモデル実験、そして脳機能解析を主軸にした複数の指標による評価を通じてその妥当性と有効性が検証されているところにある。そうして導かれた確実性と信頼性の向上も、現行の諸手法と一線を画すところがすくなくない。
この〈脳にやさしい音環境デザイン〉は、応用の拡がりを導くうえでもこれまでにない特徴をもつ。それは、第一段階として、〈必須音〉の条件を満たす音のベースラインを構成し、これを持続させて音環境を脳に適合させることによって基本的な条件をまず整える。これだけで最終目標を達成できる場合はもちろんすくなくない。さらにこのベースライン上に〈効果音〉としてさまざまなオブジェやシークェンスを含む音のシステムを導入するならば、きわめて多様な目的に対応し、しかも脳にやさしい音の構築物を造ることが射程に入ってくる。ここで参入させる効果音のシステムの中には音楽を含ませることができる。それは、音楽のみを音環境の補完物として起用した場合に発生する受容者の嗜好の個別性や受容の状況依存性を大幅に緩和する働きを示す点でも興味深い。さらに、音楽のもつ強制力を伴った情動感性効果や嗜好の個別性、そして状況依存性などの負の側面を回避しつつ魅力的な「音のオブジェ」を導入する手法として、人間に音楽としての作用を喚起し難い音のシステムを構成する手法としての〈12音技法〉や〈チャンス・オペレーション〉を応用した〈効果音〉の構成手法は合理性をもつ。
8.ここで〈脳にやさしい音環境デザイン〉のいくつかの応用例について、その具体的な仕組を紹介してみよう(図27)。
まず、都市のオフィスで働く人びとに、短時間の間に深く快い睡眠を提供する『快眠スタジオα』の例(図21)。ここでは、目的に合わせて設計され内装されたスタジオ内に、視覚的には1/fゆらぎ構造をもつ壁面や間接照明の中にビデオ映像を流し、空気は温湿度とともに芳香性化学物質の導入と制御によって森林環境に近づけた。そして超高性能の再生装置から脳の働きをストレスフリー状態に導くハイパーソニックサウンドを必須音、そして効果音として流す。聴く人は、特別に設計された少し傾斜のある椅子にゆったりと寝そべり、ビデオ映像を眺めながら音を聴く。このシステムは不特定多数の人びとに至極たやすく快眠を提供し話題を呼んだ。ここで使われるのは、映像に同期した「音楽」で、それは熱帯雨林型の超高周波とゆらぎに満ちたバリ島のガムラン音楽、ブルガリアの民族唱法による女声合唱などを高速標本化1ビット量子化によって現場録音した素材を、目的に合わせて編集している。ここで眠りを誘うポイントは、通念からするとかなり高い音圧レベルで音を再生することで、その音圧レベルとは聴く人の位置で頻繁に60ないし70dBA程度に達し、瞬間的には80dBAを超えるくらいの状態でよい効果を発揮する。この手法は音がない状態の方が眠りに入りやすいという通念に反するが、ここではその通念との大きな隔たりが〈脳にやさしい音環境デザイン〉の有効性を裏付けている点においても興味深い。実際、人類の遺伝子に約束された音環境、熱帯雨林の夜は、ベースラインが50から60dBA周辺にあり、瞬間値ではしばしば70dBAをこえる驚くほど豊かなひびきに満ちた音の殿堂であることからすると、この事実は決して不可解なものではない。
大規模な祝祭空間での快感誘起にハイパーソニックエフェクトを応用したものとして、「国際花と緑の博覧会」(EXPO’90)の野外パビリオンとして出展された巨大な水のオブジェ『アレフ』の例がある。「いのちの海」と名付けられた四万平方メートルの人工池の中にコンピューターとSMPTEタイムコードで一元的に制御された数十基(ノズルが百数十本)の噴水と一基の裂水装置を設けて、変容する水の造形と照明と音楽とを同期して演技させた。この水演出装置は、脳基幹部の活性を高めるハイパーソニックサウンドの必須の要素であるゆらぎに満ちた超高周波の発生装置として威力を発揮する。ここではそれを、必須音と効果音とを兼ねた状態で活用した。特に、オリジナルに開発された〈アイスフロー〉という噴水は、荒々しく水を噴き上げて高さ約十五メートル、太さ五メートル以上に達する巨大な水柱を形成し、そこから流下する大量の水は飛沫とともに激しい落下音を轟かせる。これをもっとも観客に肉薄した地点に並立させ稼働・停止と水量とをアレンジすることで、強力なハイパーソニックサウンドのシャワーが観客を包み込むようにした。その音圧は、観客の位置によっては70dBAをこえるほどのレベルに達する。また、長さ約40メートル、高さ2.3メートルの瀑布が対面する構造の裂水装置は、その間に「モーゼの道」のような溝状通路を形成し、ここを通過する人びと(パフォーマンスの出演者など)は、落下音によるすさまじいハイパーソニックサウンドの包囲攻撃を浴びる(図22)。これらの自然音と、熱帯雨林で録音した環境音、ガムランやジェゴグといった民族楽器音、電子楽器群そして声を素材にオリジナルに作曲された音楽『翠星交響楽』の六チャンネルマルチトラックサウンドの融合体が、多くの観衆に強烈なハイパーソニックエフェクトを誘起する作用を発揮する。この表現戦略は観客を誘引するうえで卓越した効果を発揮し、EXPO’90全パビリオン中最大数の観客670万人を動員して成功を収めた。
ハイパーソニックエフェクトによって脳基幹部を活性化するうえで、発音源としての水の活用はもっとも効果的な方法のひとつといえる。ただし、水音単独の活用ではその効果は環境の快適性の向上という範囲を大きくこえることはない。それに対して、音楽を含む他の音のオブジェを始め、光演出などのマクロな時間的変容を含む感性情報の総合的な演出の中に水の運動とその発する音とを顕著なレベルで組み込んで構成すると、情報環境は劇変し、祝祭化あるいは祝祭性トランス化などを効果的に射程に収めることができるはずである。この仮説は『アレフ』の非常に大きな成功によって裏付けられた。この水の造形『アレフ』とその制御を兼ねたオリジナル音楽『翠星交響楽』を基礎に、祝祭性の感性反応を不特定多数の群衆レベルで実現することを計ったものとして、国際花と緑の博覧会最大のイベントとして実施されたランドスケープオペラ『ガイア』の例がある(図23)。広大なEXPO’90会場の中心部分数ヘクタールを舞台と客席とが融合した表現空間として再構築し、出演者延べ約千五百人、観客1回当り約5万人、上演時間約2時間を要するスペクタクルである。音はプリレコーディングされた音楽と環境音、ライブ音楽、水演出システムの発生するゆらぎと超高周波に富んだ水音、特効音(花火と爆薬)で構成された。これにレーザーを含む光演出が加わり、中心となる水演出と同時多発性を含む群衆劇により景観総体が演技する新しい音楽劇の形式を〈ランドスケープオペラ〉として提案したものである。
テーマは、『ガイア』のタイトルが象徴するように、地球という天体の誕生から人類の導く自然と文明との相剋、地球環境の破壊そして人類の覚醒と地球への讃歌を描くものになっている。それを反映して、音の表現も視覚表現に同調し、噴火や地殻変動など天文学的なイメージ、原初の熱帯雨林と狩猟採集生活、古典的および現代的な戦争などを描写するものとした。象徴性が強くしばしば巨大な音圧に達する現実音が電子的な再生音と組み合わされて呈示され、虚実が不可分に一体化した壮大なオーグメンテッド・リアリティ空間がきわめて具象的に出現している。これらの中でも、水演出装置からの超高周波振動や火薬の爆発が生みだすインパルス性の衝撃波が強調する現実音と、ライブ演奏および録音物による音楽とが融け合ったハイパーソニックサウンドの包囲攻撃は強力な感性刺戟を導き、この作品の演出効果を非言語的無意識的次元から支え、出演者および観客を陶酔に導く作戦を稔らせる基礎となっている。
有力な美術館で催された視覚刺戟が主役となる美術展という空間に、癒しと安らぎの音環境を構築した『天然曼陀羅』の例について述べる。芳香性の天然素材を多用した超高密度・高複雑性の環境アートの展示に、熱帯雨林の環境音や水音の超広帯域録音物をやや強調して必須音のベースラインとし、さまざまな音楽や音のオブジェを効果音として遠景にかすかに交錯させる形式で構成したハイパーソニックサウンドを呈示した。この音の流れはSMPTEタイムコードで規定され、コンピューター制御下に光演出をそれに同期した状態で誘導する。光演出は照度の空間分布とその変容、ハイライト・エリアの空間移動、色温度の時間変化という指標上で進行する。これらを統合した演出によって、癒しと安らぎを生理と感性の両面で実現することを照準している。このねらいは的中して、美術作品を鑑賞する人びとの足はこの展示室で長く滞留するという傾向を歴然と示し、動態計測データによると、他の展示室の約3倍の時間、この展示室に留まっていることがわかった。
『天然曼陀羅』のコンセプトを高密度視聴覚電子メディアに移植してヒーリング効果を発生させるメディアアートを構成した『ウィアンタ・ヒーリング』の例。天然曼陀羅のためにハイパーソニックサウンドとして創られた音楽作品をそのまま必須音、効果音として作用するメディア全体のベースラインとし、その音の表現と同期させて、ヒーリング効果をできるだけ高めるよう撮影編集された『天然曼陀羅』展示美術品のハイ・ディフィニション映像を編集し構成した15分間の作品。これを、ゆったりした座位をとる視聴者に呈示し、脳基幹部ネットワーク活性およびストレスフリー度合の指標脳波α波の活性の推移を見た一例を図示する。当初ハイストレス下にありα波の活性がまったく認められない状態から出発して、約五分試聴した時、α波が圧倒的に優位に現れ、十分経過後には最大水準にパワーが増強されて、以後この状態が維持されている(図24)。
総合的な商業ビルの中核となる巨大なアトリウムの音環境を造成した『ソニー・メディアージュ・アトリウム』の例について。空間規模は、床面積約700平方メートル、高さ約40メートルで、ギャラリーは6層からなり、内装の意匠水準はきわめて高い。この空間は来客の送迎と滞留の拠点となる。そこで、この空間の造型構成に芸術的文脈を一致させたハイパーソニックサウンド空間を展開し、シンボル機能にあわせてハイパーソニックエフェクトを発揮させつつ多様な嗜好をもつ不特定多数の来場者に意識、無意識の両面から働きかける。こうして快適と快感の印象を形成することで、新設のこのビルへの客の招致を計ることが構想された。音空間は前後、左右、上下に向かってそれぞれ独立したステレオイメージを形成できるよう、二チャンネルステレオ×3系統の六チャンネル立体音場とした。音源構成は、複数の熱帯雨林の環境音に中欧および東欧の現実音を加えて編集した自然環境音を必須音として構成し、これにそれぞれ2チャンネルステレオによる東方教会(オーソドックス教会)の典礼合唱、およびアナログ処理で合成された電子音を効果音として加えて6次元の構成とした。これらを超高周波数領域の特性を強化したハイパーソニックSACDプレイヤー3台で再生し、その出力信号をマトリックス・シグナル・コントローラーによって個別的に制御し、4系統146個のスピーカーシステム一セットずつについて固有の信号ミクシング状態で駆動した。これによって、通路、エスカレーター、休憩用ベンチなどあらゆる箇所で全方位性のステレオイメージが享受でき、リアリティを高めている。
このシステムは電子回路やスピーカーはもとより、ケーブルなどの部材までよく吟味されたものが使われ、ソフトウェアのもつ超高密度、複雑性、変容性をかなり高い水準で実際の空気振動に変換している(図25)。そのため、すくなからぬ人びとにとって、その音空間はかつて体験したことのない美しく快いリアリティを感じさせている。なお、この商業ビルは開設年度の来場者目標を六百万人と設定したが、実際の来場者は一千万人をこえ目標を大きく上廻っている。その背景のひとつとして、この音環境の構築はすくなからぬ貢献を果たしたと推定される。
電子系を介さない直接音の発生装置として開発した『ハイパーソニック・オルゴール』について。ディスク型オルゴールの金属製発音機構に注目し、世界に比類ない技術力をもつオルゴールメーカーである(株)三協精機製作所と協同して、古典方式とは全く異なる振動発生メカニズムおよびアコースティック・プロセッサーを開発し、実在機械として作動する音源を創造した。このシステムは、120kHzを超える高周波成分を豊かに含みきわめて複雑なゆらぎを伴うすこぶる魅力的なハイパーソニックサウンドを発生する。ヴィジュアル・デザインも練成されたもので、開発早々ながら幅広い活用が期待されている(図26)。
9.以上、音の環境学による〈脳にやさしい音環境のデザイン〉のそれぞれ傾向を異にするいくつかの例を示した。これらは、必須音として人間の脳深部を活性化する超高密度、高複雑性、変容性の音のベースラインを確保することを共通原則としている他は、形式内容ともにきわめて柔軟な枠組のもと自在な展開を進め、効果をあげている。それを従来の音と人とをむすぶアプローチの枠組と照らし合わせてみると、『快眠スタジオα』、『ウィアンタ・ヒーリング』、『ハイパーソニック・オルゴール』は受動的音楽療法、『天然曼陀羅』はBGM/環境音楽、『メディアージュ・アトリウム』はアコースティック(サウンドスケープ)・デザインと重なりあう役割を果たしている。しかしその内容、効果などの面では、すくなからぬ隔たりを示す傾向が認められるのではないかと思う。多くの場合、その成果は何らかの指標上で計測、分析、評価が可能であり、同じような目的を指向して従来の手法で行われた例との間で、しばしば歴然たる有効性の差を示す。
ただし、ここで注意を喚起しなければならない重要な問題がある。それは、〈脳にやさしい音環境デザイン〉の原理に基づき〈必須音〉として熱帯雨林型の超高密度、複雑性、変容性に富む音のベースラインを存在させることがかくも有効性を発揮するということは、厳密にいえば「向上」や「改善」の概念にあてはまらないのかもしれないのである。遺伝子に適合した本来の音環境の存在を念頭におくと、〈脳にやさしい音環境デザイン〉のもたらした収穫は、私たちが今棲む環境が、本来あるべき〈必須音〉となる空気振動を殲滅状態下においていることの証左に他ならないのではないだろうか。つまり、音のベースラインとしてのハイパーソニックサウンドの効果は、「向上」や「改善」というよりは本来性の「回復」ないし現代病の「治療」に貢献しているにすぎないものと心得るべきだろう。それは、ハイパーソニックエフェクトを応用した脳にやさしい音環境デザインの有効性の陰画として、在来の音環境改善策がその稔りを結んだのちなお未解決に残す可能性が高い都市の音がもつ「必須情報の欠乏」という病理の存在を浮かび上がらせずにはおかない。
<1−2−3>遺伝子の求める環境のグランド・デザイン.
1.音の環境学(サウンド・エコロジー)が生み出した〈脳にやさしい音環境デザイン〉は、人類の遺伝子を育んだ熱帯雨林型の情報構造をもつ〈必須音〉をベースラインとして音環境の構築を計る戦略によって、音と人との調和を導くこれまでにない効果を現した。では、音環境問題とはこの方向を究めていくことで究極の解決に接近できるものなのだろうか。これについて本発明者らは一連の実験を試みた。
まず、バリ島のガムラン音楽の可聴域成分を聴いてもらいながら、熱帯雨林を写した写真のスライド(静止画)を画像密度を変えて呈示し、視る人の脳波α波を計測する。そうすると、画像密度が高まるのに伴ってα波のパワーが増大する。驚くべきことに、この傾向は、被験者のランドルト環による視力の上限をこえた「視えないはず」の密度にまで及ぶのである。また、画像内容を単純な幾何学模様から複雑性の高いフラクタル模様へと変化させていくと、それに従ってα波パワーが増大する。つまり、ちょうど音の場合と同様、視覚を刺戟する光情報の場合にも、低密度で単純な都市型の情報構造から超高密度で複雑な熱帯雨林型の情報構造に向かうに従って、脳の活性が高まっている。このように、音に限らず知覚限界を超える高密度と複雑性をもつ環境情報によって脳が活性化される現象を、本発明者らは〈ハイパーリアル・エフェクト〉と名付けた。
次に、通常のNTSCフォーマットのビデオ映像を視ながら可聴域だけの音を聴くときの脳波α波パワーを計測する。続いて、同じビデオ映像を視ながら同じ音を超高周波を含んだハイパーソニックサウンドの状態で聴くときの脳波を測定すると、予想どおり可聴域だけの音のときよりもα波のパワーが強く現れ、動画を視ているときでも「脳にやさしい」音として作用することを示している。そこで、この超高周波を含む音を聴く状態で、呈示する映像を通常のNTSCフォーマットではなく、より高精細度のハイ・ディフィニション(HD)フォーマットに切り替えるとどうなるだろうか。実は、画像密度を上げると、α波のパワーはさらに増強される。つまり、音と光との双方がともに高密度化して熱帯雨林型により近づいたとき、より強いα波パワーが現れて脳との最高の適合性を示すのに対して、音または光の一方だけだとそれに及ばないのである(図28)。
この実験が示唆するように、私たちの脳の活性は、音、光、あるいは温度、湿度、香りなど単一純粋な個別回路からの情報によってすべてを律しきれるものではなく、あらゆる環境認識回路から入力される情報について包括的、総合的に反応していることを否定できない。「究極的に脳にやさしい音環境」であるためには、音以外のあらゆる環境情報についても人類の脳と遺伝子に約束された熱帯雨林型の構造をもたなければならないだろう。ちなみに、音の環境学が現時点で音環境再構築に効果的な手法としている〈オーグメンテッド・リアリティー〉の応用に当っても、できるだけ幅広い切り口を設定して総合的に情報環境総体のデザインを行うことが望ましいはずである。特に、環境からの遠隔性の使者の双璧となる音情報と光情報については、先に述べた知見が示すとおり、両者を連動させることによらずして良い結果を導くことは難しい。
この音環境と光環境その他とを一体化して「脳にやさしい」情報環境の総合的なデザインを行おうとすること、すなわち〈脳にやさしい環境のグランド・デザイン〉は、〈脳にやさしい音環境デザイン〉の場合とよく似た状態で、近現代環境デザイン総体に劇的な変革の引き金を引くことを意味する。そこでは、これまでの都市計画や居住設計の相当部分が脳機能適正化の上で効果のないもの、あるいは阻害性のものとして見直されたり、退場を余儀なくされる可能性もなしとしない。あわせて、現在の都市計画や居住設計のどの学説や流儀とも次元を異にする新しい設計原理を導き、必須のものとしてその実行を迫ることもあるだろう。
ここで最大の問題になるのが、熱帯雨林型の情報環境に固有の情報の高密度性、複雑性に他ならない。それは、音については、可聴周波数帯域を数倍上廻る周波数帯域の広さと豊かなスペクトルのゆらぎ構造であり、光については、視力限界を果てしなく上廻る空間密度と多彩なフラクタル構造である。しかも本発明者ら自身の実験から見出されたところからすると、驚くべきことに、音、光のどちらについても、その情報密度を人間に知覚可能な範囲にまで低下させると、知覚をこえる高密度状態におけるよりも受容者の脳の活性を歴然と低下させるのである。
これらの事実は、私たちの脳機能の健常性が、意識と知覚によって認知できる範囲内の情報をもってしては保持しえないという驚くべき真相を告げる。つまり私たちの脳の活性は、意識とはるかに隔たり知覚さえも超えてその彼方に拡がる超高密度で複雑な、すなわちほとんど完全に非言語的な情報世界の存在によって初めて、健常に維持されることになる。この超高速大容量で代謝する情報世界には、すくなくとも直接的に、低速少容量の〈言語脳モジュール〉の活性が追随する余地はない。いい換えれば、このように知覚を超えて心身に強く働きかける〈ハイパーリアル・エフェクト〉は、ほぼ完全に非言語脳本体によって職掌されつつ、デカルト的言語脳機能の圏外にある。都市計画を含む西欧近現代の居住文化コードにとって、この認識は、きわめて深刻な空白領域の存在が発覚したことを意味する。それを裏付けるごとく、文明化が進行した生活空間とりわけ都市での音および光情報の低密度化は、本発明者らの研究知見からするとすでに危険な水準にまで進行しているといわなければならない。
音と光とが連動する脳の反応は、「脳にやさしい音環境」を最高水準で実現する条件として、その延長線上に展望される「脳にやさしい情報環境トータル」の包括的な設計と構築が必要であることを示唆し、それを要請する。そこでは、すくなくとも環境からの遠隔性の使者となる音情報および光情報の双方について、熱帯雨林同様に知覚限界を大きく上廻る時間空間密度をもった、複雑性の高い情報構造が環境化した状態になければならない。あわせて、密接性の環境情報を担う使者たち、たとえば温湿度、芳香性化学物質を含む大気成分、イオン組成などについても、熱帯雨林にできるだけ近いメッセージをもたらすことが望まれる。
このような要請に応える種子を宿した生活情報環境の設計思想というものは、日本の屋敷林、坪庭、茶庵などに伝統知として見出すことができる。一方、近現代文明あるいはその母胎となった西欧文明の中に尋ねることが難しい。このことについて、ここでは主に遠隔性の光(視覚)情報に注目して検討しよう。
2.狩猟採集生活を放棄して熱帯雨林をあとにした人類のもっとも素朴な定住拠点となった〈村〉や、その自然な進化形態である〈田舎町〉では、それぞれを形成する道程もその設計も自然発生的であり、本来性の遺伝子の支配をより反映しやすいことは、私たち自身の目で確かめることができる。このような居住環境では、遺伝子に約束された「脳にやさしい本来の情報環境」からの限度をこえた乖離は抑制されやすい。あわせて、本来性から離れた方向への傾きやゆらぎが自律的に復元に向かう生物学的な〈情動と感性による行動制御〉が有効性を発揮するという性質も保たれている場合が多い。それに対して、文明が育ち都市型の居住の枠組に踏み込んだのちには、そうした制御機構は著しく効果を喪い、遺伝子に約束された環境に対する求心力を大きく減じながら、情報環境が本来性を離れて漂流するのにまかせる傾向が顕著になる。
人間の居住に高い関心をもつ文明史家ルイス・マンフォードが「複合的な文明の容器としての都市」と呼んだように、都市とはまさに文明を具現する拠点となる人工化の坩堝(るつぼ)に他ならない。その歩みはほとんど例外なく、人類の生命活性のすべてを記述したプログラム・システムであるDNAおよび情報処理の中枢装置である脳の本来の仕組や働きとの乖離を大きくし、物心両面での人間生存との不調和を導く。このメカニズムを背景にして、都市と人間の本来性との相剋は、ほとんどすべての文明を通底する属性のような姿を人類史上に刻印してきた。この問題に対して本発明者らは、情報環境学の枠組を導入することによって、新しい切り口を開いている。
この問題の大きな背景は、遺伝子に約束された本来の環境への復元力を上回る都市固有のバイアス作用にかかわる。そのひとつはトップダウン性のもので、権威や権力あるいは経済価値のような圧力装置を通じて、本来性から乖離する方向へ力を振るう。もうひとつは個人が生きるためにやむを得ず起動するボトムアップ性のもので、高度に適応的な、あるいはその限界をこえて自己解体的な思考や行動のプログラムをしばしば発現させる。この両者は、互いに対立したり、一方が優勢、一方が劣勢になったり、協調したりするものの、本格的な都市型情報環境下では、ほとんどの場合、遺伝子に約束された本来の環境に向かう流れを遮り、それに逆行する病理のベクトルを増大させる効果を現わす。この図式には、文明とその容器としての都市の宿命が浮彫にされている。
3.西欧文明の中の都市情報環境デザインの主導権の推移を歴史的に見ると、古代、中世、近世までは、形式の別はさておき、もっぱら時の権力によって一元的に制御されるあり方が一般的だった。その内容は、居住に加える統治、防御、祭祀、交易、娯楽などの機能の他、権力や権威の表象あるいは富や民度の指標として、威厳、神秘、絢爛、華麗といった感性的なデザインが相当に重視されている。つまり、機能や用途に対して規範や象徴としての側面が比較的優先される傾向がみられ、それらは時として、感性的な情報環境質の劣化防止に貢献している。なお、これらはほとんど視覚に訴える光情報として環境化されており、音情報がそうした役割を果たす場面は、〈教会の鐘〉のように時間空間的にかなり局限されている。
このような都市情報環境デザインの原理は、市民革命と産業革命に導かれた近代に入って大きく変貌する。それは、発展する文明活動の容器として都市を捉え、その機能や用途の優先性を容認した都市環境デザインの台頭である。「基本的人権を認められた自由・平等な個人の集合体として構成される社会」という新しい認識のもと、都市のデザインについても個人の所有物レベルではその自由意志による設計が当然のこととして優先され、都市全体についてもそれが反映される状況に転じた。これによって、かつての絶対的権力による一元的な制御が崩壊し、感性情報環境質の優先性やデザインの統一性が喪われるとともに、部分と全体とのデザイン上の連関や調和が危機に陥れられた。
その典型例として、アダム・スミスらに導かれて新興の産業ブルジョワジーたちが獲得した商工業経済の〈自由放任主義〉が、工業都市という新しい環境のデザイン―というよりは用途と機能に隷属する状態下での脱デザイン的構築―によって生み落とした煤煙と轟音の蹂躙する環境がある。近代固有の所産として現れたこの種の環境質の下落は、イギリスに勃発した「コークス都市」の惨状などを契機に都市のデザインを自由放任から奪還する社会運動を導き出し、近代都市計画の嚆矢となった。
市民革命が獲得した個人の自由意志の不可侵性、デザインを含む表現の非拘束性、あるいは利益追求の任意性といった原理原則に対する恐らく歴史的に最初の自律的ブレーキとして登場したのが、環境制御の発想を核心とする〈都市計画〉という概念であったことは注目に値する。それは、大気や水の汚染が導く呼吸器疾患や感染症の蔓延抑止といった物質的環境問題、そして人口過密や工業労働者の劣悪な処遇の改善といった社会問題として注目され、その解決へのアプローチにつながった。
都市計画への離陸という街づくりの歴史的な転換後は、さまざまな思想や美学あるいは価値観の枠組―広義のイデオロギー―にのっとった計画設計の原理と手法が提案され、その一部が実行に移されつつ現在に至っている。ただし、現時点までのほとんどすべての都市設計の原理は、遺伝子決定論の確立や脳科学の展開を見る前に構想されており、既存の音環境デザインの場合と同じく、新しい知見に支援された生命科学的合理性のうえに立つ枠組を準備していない。その点では、本発明者らの求める「遺伝子に約束された脳にやさしい環境のグランド・デザイン」を構成する拠りどころとすることが難しいが、いうまでもなくそれらの中には、学ばなければならない知識や発想、そして経験が満ち満ちている。
西欧近代の都市計画の歩みでは、イギリスにおけるコークス都市に充満した煤煙および動力音と生活空間とを分離するとり組みや、フランスのパリにおける屎尿と生活空間とを分離する事業といった主に人間の健常な生存に直結する物質レベルでの緊急性の高い問題の個別的解決が先行した。それらが軌道に乗るのに並行して、都市の全体構造を包括的に構想する近代的な都市計画の発想体系が浮上し、その一部をなす「都市の美観」といった枠組の中に本発明者らのいう〈情報環境のデザイン〉が包含される状態を見るに至っている。
こうした近現代の都市計画は、しばしば、何らかの発想法や手法体系などをスローガンとして掲げ、固有の作業仮説に立って、一種のユートピア志向を漂わせた提案を行う傾向をもっている。その中でももっとも古典的ながら今なお評価の高いものとして、近代都市計画の祖とされる二人、エベネザー・ハワードによる〈明日の田園都市〉とパトリック・ゲデスによる〈進化する都市〉が知られている。とりわけハワードのモデルは、人間のもつ生物としての自然性に対する配慮が厚く、太陽の輝き、新鮮な空気、清純で豊富な水、自然の美しさなどを強調している。ただし音については、その理念を窺うに足る規範や材料が見出されない。
ハワードの田園都市に並んで世界の都市計画の思潮に大きな影響を残したものとして、ル・コルビュジェの〈機能主義都市計画〉のモデルがある。彼はハワードと対照的に科学技術文明に対してきわめて肯定的・楽天的な立場をとり、家を「住むための機械」と表現したり、機械にイメージを求める造形形式〈ピュリスム〉を提案したりしている。その活動は、党派性をもってイデオロギッシュかつ能弁に行われる傾向が著しく、その思想の伝道拠点として近代建築国際会議(Congres Internationaux d’Architecture Moderne=CIAM)を自ら設立し主導した。それは、20世紀後半西欧建築を風靡した機能性を主張し装飾性を廃絶させる単純な形状をとった無機的なデザインのひとつの震源地ともなった。そこでは情報環境質を含む生命情報科学的作用はほぼ完全に考慮外におかれ、純粋に物質的用途的活性の面からデザインを捉える姿勢が徹底している。
その都市の機能は、CIAMの『アテネ憲章』によれば、居住、労働、娯楽、交通の四項目で定義され、これらの機能が十分に満たされることを都市計画の目的とした。この枠組は優れた居住環境の条件として太陽、空気、緑を挙げて概念のうえではハワードの田園都市との共通性を示している。ところがデザインの実際については、古代ギリシアを意識した幾何学的パターンを機械文明にふさわしい形状の規範とし、直線や直角を強調するコンセプトを提唱して、ピロティと屋上庭園そして幾何学的な形態を定番とする灰色の箱が並んだ画一的なパターンの多発を導いている。そして音については、特別な関心が払われ指針が吟味された跡を定かに見ることができない。ハワードやゲデスらのモデルと同様に…。
機能主義都市計画のもつ単純明快な機能の設定は、ル・コルビュジェ自身の代表的な提案『三百万人の現代都市』に典型的に見られるように、都市空間が機能別に分割されそれぞれの区画が単機能化する傾向を歴史的国際的規模で促し、近現代文明の固有性を反映している。こうした都市機能の単機能化を伴う空間的な「割拠」は、そこに環境情報の構造の分極化を反映させる場合が多い。それは近代都市計画以前から兆しを見せ、とりわけ、森林性公園を大型少数に集約し拠点化する傾向が顕著になっている。その典型を、パリのブーローニュの森やニューヨークのセントラル・パークなどに見ることができよう。
4.森林性公園を大きくまとめて少数に拠点化する都市の構造は、近現代においてしごくあたりまえなものになっている。しかしそれをハイパーリアル・エフェクトを視野に入れた本発明者らの観点からみると、すこぶる深刻な問題を孕むものとしなければならない。なぜなら、それは、脳にやさしい超高密度高複雑性情報の優れた発信源となる森を、それが生理的有効性を発揮しうる至近の生活空間から大きく引き離して偏在と割拠に導くからである。「脳にやさしい環境のデザイン」にとってそれは良質の情報資源を無効化することを意味し、見過ごすわけにいかない。
都市計画黎明期のバロック・スタイルから現在の前衛的なデザイン理論に至るまで、またフィンランドのタピオラ市のように〈森林都市〉を標榜するような計画においてさえも、樹木や昆虫など森林性環境情報の発信源となるものと受容者となる人間との間の情報の授受について明示的な規範や科学的な基準が存在せず、事実上設計者の任意性に委ねられていることに注意が必要である。もちろん昨今では都市の地表がコンクリートやアスファルトに覆われることに基づく〈ヒートアイランド現象〉を抑止するために、敷地あたりの緑化区域面積の確保が制度的に計られつつある。しかしそこにも、情報環境と脳との適合という生命科学的観点はなお見出せない。
これらは、健常な生存のため脳にとって必須な超高密度高複雑性環境情報を生活空間内に確保するという本発明者らの考え方が誕生する以前の限界としてやむをえないものではある。しかし、このように問題意識が空白の段階にある既存の有力な都市計画の発想は、そのままの状態で私たちの〈脳にやさしい環境のグランド・デザイン〉に機能させることが難しい。なぜなら、そこでは情報源と生活者との時間空間的乖離を抑止するという発想がなお欠落した状態に止まっているからである。本発明者らが実験的につきとめつつあるところからすると、遠隔受信性の音情報と光情報が脳にやさしいメッセージでありうるためには、その密度は、人類の聴覚・視覚がもつ知覚密度上限をすくなくとも数倍上廻り、しかも特別な複雑性の構造を必須のものとして具えなければならない。そうした情報を発信する理想的な情報源はいうまでもなく熱帯雨林になるけれども、そうではない森林であっても、それは他の何物よりも適合性の高い情報源であるに違いない。
ここで従来まったく意識されていなかったにもかかわらずきわめて重要な問題になるのが、生態系が発信し、本発明者らの脳が求める超高密度高複雑性光情報および音情報の有効射程距離が都市のサイズに比較してきわめて微小でしかない、という深刻な事実である。たとえば「脳にやさしい」音情報として有効な100kHzをこえる複雑な空気振動では、高い周波成分ほど空気中を伝播する途上でそのパワーが減衰しやすいという自然の法則によって、数メートルを飛ぶ間に無視できないレベルで肝心の超高周波成分が減弱し、効果を衰えさせる恐れがある。
一方、光情報は、森林を構成する植物体を中心とする生体構築物が数十ミクロン程度の寸法をもつ細胞を構造の単位にしており、その内部構造としてサブミクロン・サイズの〈オルガネラ〉をもち、それらはよりミクロな生体高分子から構成されるという階層をもっているので、事実上無限に微細な構造をとっている。光信号は、理論的には伝達距離に応じた減衰は音とは比較にならないほどすくない。しかし、微細な構造とその複雑性がきわだって高いパターンでは、至近距離から送られたものでないと感覚的に刺戟となりうる信号構造を維持できない。ちなみに、日本や中国の伝統的な絵画の技法の中で重要な地位を占める〈空気遠近法〉が教えるとおり、対象との間に広がる空気層は、その厚さに比例して光情報の精細度、明度、彩度を低下させる。従って遠方に所在する森の姿は、光情報としての超高密度性、高複雑性を大きく喪失しており、眼前の植栽の与える視覚像のように脳の活性を高める効果を期待することが難しい。
さらに、熱帯雨林型の超高密度高複雑性の光・音情報によって導かれる〈高い水準〉の脳の活性状態は、脳波α波パワーの推移から見ると、入力刺戟が途絶えたあとそれほど長時間維持できるものではなく、約二―三百秒間のちには、〈低い水準〉にまで低下し終わってしまう可能性が高い。そのため、優れた森林公園を訪れてその環境情報で脳を活性化できたとしても、森自体が遠方であった場合には、帰路の始まりでその効果は雲散霧消してしまうことだろう。
このようなメカニズムが存在する以上、私たちは、厳密にいえば常に森の中にあり続け超高密度高複雑性情報の発信源と渾然一体となり続けることによってのみ、脳の健常な活性状態を維持できることになる。遥かに見える眺めや彼方からひびく音にはその効果を期待できない。この点において、都市環境の情報構造を時間的空間的分化と割拠に委ねるこれまでの都市計画は、本発明者らの「脳にやさしい環境」の構築原理ときわめて調和し難い。パリのブーローニュの森、ベルリンのグリエーネワルト、ウィーンの森、ニューヨークのセントラル・パークなどこれまで評価の高い森林性公園であっても、生活空間から遠く乖離した状態で分離独立し割拠している点において、その有効性に大きな限界があるとしなければならないのである。
このように、超高密度環境情報を必須とする「脳にやさしい環境のグランド・デザイン」では、光・音情報ともに、それが天然物か人工物かを問わず、その発信源を至近距離に確保することを求める。この情報環境の構成条件を導入したとき、その情報源のすべてが自然生態系であるか、相当部分を人工物で補完したシステムであるかにかかわらず、都市と居住の設計の相当部分を、現行とは根本的に異なるものに築き直さざるをえないことが理解されるだろう。
その解答となるひとつの方法は、部分の構造の中に全体の構造が埋めこまれた位相空間原理にのっとる情報環境の構築である。これを具体的にいえば、完成度の高い理想的な都市を構成する公園を含む、超高密度高複雑性情報環境要素のすべてが、都市のどの小領域をとっても欠けることなく含まれ、高度に分散分布する形をとる。それは最終的には、個人の居室の中にも森林型の超高密度高複雑性の情報環境を実現することを意味する。
5.ここであらためて〈脳にやさしい環境のグランド・デザイン〉とは具体的にどのようなものになるかについて、音環境デザインと重複するところがすくなくないけれども、現在考えられるその骨子について、位相空間原理にのっとって概説してみよう。
第一に、限りなく細密複雑で変幻きわまりない熱帯雨林の環境情報にできるだけ近づける。そのためにもっとも望ましくは熱帯雨林型の森林生態系それ自体を造成することになるけれども、現実的解決としてそれを人工物で補完する場合には、暫定的な基準ながら、現在の都市環境の中に、すくなくとも音情報として実際の熱帯雨林の音に準拠して受容者の位置において100kHzまたはそれ以上に達する豊かなゆらぎ構造をもった超広帯域空気振動を供給する。これは人間の可聴周波数上限20kHzの5倍以上に相当する。
光情報については、森の実態は限りない細密性の中にあるけれども、人工的手段で補完する場合には、仮に、音情報の場合に準じて、人間の標準的な視覚弁別閾をこえる細かさである0.01度の空間密度の5倍に相当する視野角0.002度以下の超高密度居住壁面を想定した場合、現行ハイ・ディフィニションTV規格をおよそ1桁上回る密度をもつフラクタル構造性の情報とその変容を供給することを目標とし、さらに検討を続けることを暫定的現実的な対応としたい。
ここで、光情報をビデオ画像として供給する場合に注意しなければならない問題がある。天然には、動物の網膜には空間的にも時間的にも連続した光入力が与えられるのを通例とする。それに対して、ビデオ画像では、まず、〈走査(スキャニング)〉手続きによって左から右へ向かう線状の描画が上段から下段へと逐次進められて1枚の〈フレーム〉が描かれ、次いでこのフレームが約30分の1秒ごとに書き換えられるという不連続なスライド・ショウ形式をとっている。人の眼のもつ残像という性質が、知覚上これを連続した入力と誤って認識しているにすぎない。従って、厳密にいえば、走査やフレームによる不連続化を伴わない時間空間的に連続した画像の記録、伝送、再生の方法を開発することが求められるのである。
先に述べたとおり、超高密度高複雑変容性の情報は、空気中を伝播する間にたやすくその特質のいろいろを喪ってしまう。そこで、音、光ともに、できれば受容者から十メートル以内くらい、本格的には約5メートル以下くらいの至近な地点に所在する情報源から発信される情報で環境化された空間を実現することが望ましい。これらの課題を現実的に解決するうえで、至近にトランスデューサーを展開した再生系によって都市情報環境を補完する超高密度メディア技術の開発が有効となる。
第二に、補完または構築する人工性の情報空間を全方位性の熱帯雨林の情報空間に合わせ、その内部および隣接する空間相互間で、情報の時間・空間的連続性を確保する。そのために、環境知覚の中でもっとも高度な全方向感受性をもつ音環境の人工的補完部分については、左右、前後、上下の全方向にわたるフル・サラウンド環境を構成することが望ましい。また熱帯雨林には壁も扉もなく、環境音や景観を遮断する聴覚的・視覚的障壁が存在しない連続した情報空間を成すという特徴がある。視覚情報については、目を閉じることによって視覚情報の不連続性が生じることなどを考慮すると、この点での脳との適合性についての要求性はそれほど高度ではないかもしれない。それに対して、聴覚は常に全方向に開放された状態で稼動している。従って、扉を通過しても断絶しない音空間の構築が視覚よりも優先的に望まれる。どこかにつながりのある視空間の構成もそれに次いで重要といえる。それらを実現するためには、現行の街区・建物・屋内構造・付帯設備などの設計手法や経験だけでは対応が難しい。発想の転換とそれに基づく設計技法を新たに開発する必要がある。
第三に、熱帯雨林特有の「決して途切れずくり返されることがない環境情報の流れ」を実現する必要がある。熱帯雨林の情報環境では、同じ構造をもつ情報の時間空間的パターンが反覆をもって現れることはありえない。私たちの脳がそうした熱帯雨林で進化してきたということは、一定時間ごとに正確に反覆されるような情報構造に進化の歩みの中で出合っていないことを意味する。そうした情報構造は回避した方が安全であるに違いない。この環境情報トータルの非反覆性を都市の高密度生活空間内に高度に有効確実に実現するには、先に述べた音環境についてのやり方を拡張して、実在する熱帯雨林型環境情報を電気信号に変換し、時差のすくない地点であればリアルタイムに、または時差が無視できない場合にはデータストレージに一時ストックすることによって時差を克服して、都市環境に配信し続ける方法がひとつの高度な解答となる。より簡略には、音再生系について開発した同期して運転される複数のデータメモリーの個々の再生時間を互いに素数関係に組み合わせたシステムを応用する方法と同じ原理を応用して、パッケージメディアを含む環境情報発生系において反覆性情報の発生を避けた〈非反覆メディア技術〉の開発も効果を発揮するだろう。
第四に、電子メディアを活用する人工的情報空間総体を包括的に最適化する方途を開発する。これについては、先の第三項で述べた原理にのっとって、時差の小さい実在の理想的な熱帯雨林型環境のもつ温度、湿度、風、大気成分、イオン濃度など物理的化学的事象にかかわる情報から聴覚、視覚、嗅覚などの刺激となる感覚感性情報におよぶ環境情報トータルを高忠実度で電気信号化し、それらを高速通信衛星や大容量ネットワークを利用してリアルタイムで都市環境に伝送し情報環境として再現することによって、課題をきわめて高度な水準で達成することができる。もちろん、超高速超大容量多次元データストレージの開発による時差の解消はここでも有効だろう。
第五に、いかに高度につくられた人工物であっても、熱帯雨林の自然と完全に置換できる保証がないという現実への対処が必要となる。この場合、都市環境の中に熱帯雨林型環境を実現させることはきわめて難度が高いうえに短期的、中期的には現実性が稀薄といわざるをえない。そこで、一方では人工的に造成された情報による補完に高度に依存しつつ同時に天然との共生をも計った脳にやさしい環境を実現することが現実の解答となる。この場合、熱帯雨林の情報的特質を何分か具えた生きた自然物を対象空間内に実在させることが恐らくは必須でありすくなくとも安全である。都市環境に固有の脳に不適合な人工性を抑制するための自然物と人工物との共生技術の創造を進めることを欠くことができない。この問題は、食品でいえば、一方で合成食品が増えるほど、他方で自然食品の確保と摂取が求められることにあい通じる。
そのために、対象空間でリアルタイムに振動する天然性高密度音源の開発や、電子化した環境情報の符号化を経由しない編集・配信・再生技術の開発などが有効となるだろう。具体的には、ゆらぎに満ちた超高周波を直接発信するハイパーソニック・オルゴールや水音のような、物質でいえば無農薬有機栽培野菜に相当する「生音源」の開発や、離散的符号体系への変換を伴わない超アナログ通信技術、たとえば現行の電子映像のもつフィールドやフレームによる時間空間的分断とデジタル化による不連続を克服した映像伝送法の開発などが期待される。
また、至近距離に実在の自然生命系(植栽や昆虫を含む小動物)が有機的に組み込まれた生活空間を構築する技術を開発することも新規性の高い課題だろう。その技術資源として、先に述べたように、日本の特色ある伝統知に含まれる屋敷林や茶室、坪庭などが注目される。それらのもつ環境デザインの原理と、高性能メディア情報技術とを融合させた街区、建物および屋内を設計する原理とを結ぶ手法を開発して、本格的な稔りに結び付けるのである。
こうした構想のもとに、本発明者らは、「遺伝子に約束された脳にやさしい環境のグランド・デザイン」を練り上げ、新しい環境デザインのパラダイムとして音を、広めていくのである。
6.ふりかえってみると、近現代文明の容器として生み育てられてきた都市型の居住形式には、「物質文明」としては爛熟しながら「情報文明」としては著しく素朴な段階にある現在の科学技術文明のもつ非対称性、完成途上性が強く反映されている。それは、デカルト的二元論に基づいて物質世界と精神世界とをまず二分したことに無縁ではない。そのうえで、物質世界に基礎をおくハードウェアについては、対象となる立地、材料、構造などとその手段となる理工学や工業技術などを通して基本的に科学的、合理的な対応をとり、有効性とともに安全性、信頼性も高度に錬磨しつつ確保している。しかしそこでは、二元論にのっとって、精神世界にかかわる認識が排除されていなければならないのである。
一方、デカルト的精神世界に基礎をおくソフトウェアについては、その対象になる街区や建物の外部および内部にわたる意匠、景観、音環境(ただし騒音の規制を除く)などのあらゆる設計について、同じく二元論にのっとって物質科学とは独立した「芸術的営為」と「創造の自由」の原理が適用され、とりわけ生命情報科学が示す人のいのちの切実な要求や安全保障の発想とはほとんどかかわりのない状態で現在に至っている。それは生命科学的概念としての「情報環境」とそのアセスメントについての認識が構成される以前の発想段階にあり、力学的構造機能的要請を除くと、生命情報科学上の有効性、安全性、信頼性、いいかえれば「遺伝子と脳に対するやさしさ」を問いかけられることはない。そこでは意識とその原材となる知覚・認知機能で捉えうる低密度で単純な言語性情報が偏重される一方、知覚を超える高密度で複雑な非言語性情報は捨象と忘却に委ねられてきた。このような近現代のデザイン思想が都市計画や建築物レベルに適用されている限り、環境情報の密度と複雑性を脳機能からみて危険なレベルにまで低下させることを遮る作用は、メカニズムとして期待することが困難だろう。
こうしたデカルトの負の遺産が現代都市を「遺伝子に約束された脳にやさしい環境」から乖離させてきた道程を、光環境情報の低密度化という切り口でふりかえってみよう。その嚆矢は、ロンドンの第1回万国博覧会(1851年)のためにジョセフ・バクストンが設計した鉄とガラスの構築体〈クリスタル・パレス〉あたりにまで遡りうるかもしれない。思想的には、20世紀前半、ドイツ・ワイマールの国立造形美術学校〈バウハウス〉がひとつの拠点となり、ヴァルター・グロビウスらを中心に、機能と素材を強調し装飾性を排した幾何学的、抽象的なデザインが主張され、それは実践に結びついて大きな影響を及ぼした。バウハウス末期の校長となったミース・ファン・デル・ローエは、”Less is more”(よりすくないほどより良い)という有名なスローガンを唱え、光情報環境の低密度化を指向する思想を鮮明にしている。このバウハウスの方向性は、ル・コルビュジェが拠点とした〈CIAM〉にいっそう過激な状態で後継され、第二次世界大戦後、西欧文明圏の都市空間に画一的な「灰色の四角いコンクリートの箱」が林立する景観を生みだした。ここで機能主義が指向した装飾性を排し幾何学的形状に徹する単純で無機的なデザインは、人間の視覚に訴える光情報環境の密度を激減させ、脳との不調和を拡大する効果を伴っているであろうことを否定できない。
「四角いコンクリートの箱」に象徴される機能主義への必然的な反作用として登場した〈ポスト・モダニズム〉のデザインは、ファン・デル・ローエの”Less is more”をあてこすった建築家ロバート・ベンチュリーの”Less is bore”(よりすくないほど退屈)という皮肉に見られるように、情報量の乏しい幾何学的無機的デザインからの脱却を掲げている。それらは建物や街区の単純な幾何学的形態との訣別や装飾性の復活を含む歴史的様式の導入などを指向した。おりしも1970年代後半から本格的に実用化されたCAD(computer aided design)によって複雑な構造を至極容易に設計できる条件が整ったこととあいまって、この潮流は多彩で豊かな展開を見せた。とはいえ、その実際の姿は、ポスト・モダニズムの記念碑的作品に数えられるロバート・ベンチュリー邸(ロバート・ベンチュリー設計)が入り組んだ屋根の形態によって、またニューヨークのAT&Tビル(フィリップ・ジョンソン設計)がギリシア神殿風の破風によって機能主義デザインとの違いを主張していることに見られるように、主として建物の外観や内装のもつマクロな形状に関心が集中している。一方、知覚の限界を超えるミクロな空間領域については従来どおり関心対象外にあり、それによってポスト・モダニズムは、近現代都市計画および建築に固有の「脳機能を高める超高密度光情報の都市環境からの喪失」という限界から一歩を脱することなく、もちろんそれを回復させる作用とは無縁のパラダイムにとどまっているのである。
7.あらためて整理すると、近現代の都市計画や環境対策の中では、現在排除対象になっている環境騒音を除くすべての音環境の構築(サウンドスケープによるアコースティック・デザインを含む)、および、景観や造型そして装飾を含むすべての光環境のデザインにかかわるパラダイムは、科学とは別の体系に属するソフトウェアとしてその生理的な有効性や安全性が問われることはなかった。しかし、新しい脳科学や情報環境学などの知見、たとえば〈物質と情報との等価性モデル〉や〈プログラムされた自己解体モデル〉などからすると、ソフトウェアといえども、芸術的、美学的任意性にすべてを委ね続けることは脳活性の病理的変容を通じて心身の障害、生命の危機に結びつく場合がありうることをもはや否定できない。都市のソフトウェアは、いま、都市のハードウェアに優るとも劣らない科学的、合理的な手続きによって設計、構築され、その効果や安全性が同じく科学的に予測、評価されうる体制へと速やかに移行すべき時を迎えている。
しかし、一方でこれは、現代社会をすみずみまで強固に支配しているデカルト的二元論に始まる近現代の知識構造およびそれを反映させた社会構造にきわめて鋭く抵触することも否定できない。いま、この厳しいハードルをできるだけ円滑に越えることを支援する発想と概念道具の開発が必須である。そのひとつとして、〈遺伝子に約束された脳にやさしい環境のグランド・デザイン〉というパラダイムは、優先的に検討するに値するのではないかと信じる。
なぜなら、このパラダイムの特徴である〈遺伝子決定論〉というステージ上で〈脳〉という具体的な生命の装置を関心対象の中心に据える仕方が、デカルト的二元論を克服するうえで、あるいは強制的に失効させるうえで、特異的な有効性を発揮するからである。精神世界の側から見て、経験的に、脳が情動、理性、感性を含む心の働きの実質を担う器官となっていることを否定するのは、通念においてもはや不可能である。これを覆すことは、〈意識〉のみを信奉しようとする現象学者エドムント・フッサールの思想を慕う人びとや、断固として心身二元論を掲げ続ける脳科学者ジョン・エックルスに共感を覚える人びとにとっても、事実上すでに困難な段階にあるといってよいだろう。同時に本発明者らは、史上初めて脳科学が実効を発揮する状況を迎えている。20世紀を通じて、精緻な解剖学をはじめとする強固な基礎のもとに、脳損傷を材料にした経験的な研究や電気生理学的な手法による分析的な研究が進展してきた。これらのうえに神経の分子生物学と非侵襲脳機能解析の躍進がもたらされたことによって、これまで究極のブラックボックスの座にあった脳は、情報処理にあたる物質機械として十分に科学のアプローチ対象になりうるところとなった。その結果、脳の仕組や働きを合理的に理解する材料がきわめて急速に蓄積しつつある。この脳科学の発展は、電子情報科学技術の発展と相まって、〈物質文明〉という姿で頂上を極めた近現代科学技術文明を〈情報文明〉の側に大きく転換させつつある。このような背景の上に〈遺伝子の求める脳にやさしい環境のグランド・デザイン〉を新しい歴史的課題として登場させることは、その時を得ているといえるのではないだろうか。
文明の容器としての都市のハードウェアそしてソフトウェアを究極的にむしばむ病理に理論と応用の両面からアプローチし、都市型に転じつつ崩壊を重ねる情報環境を再生する、というよりは蘇生させていくことは、それ自体が近現代の学術・芸術・技術体系を見直し、それらの限界を克服した新しい道を拓くことを意味する。それは、分析知、論理知、通信知、などで構成される明示的な近現代の文明の知と、体験知、包括知、直観知、洞察知などで構成される暗黙的な伝統知との均衡を回復し、それらを融合し、人類の遺伝子と地球環境に最適化された活性を再構築することへの接近となるだろう。総じていえば、それは、近現代を支配してきた言語脳機能への排他的な信奉や崇拝を脱して、この間埋没状態下にあった非言語脳機能、というよりは脳本体の機能を本来あるべき地位に復権させ、その活性を復活させることに他ならない。
音の環境を美しく快い本来の姿に甦らせようとする本発明者らの志は、このようにして、近現代文明そのものの限界を克服し、新しい文明の地平を拓くことと同一化していくのである。