生体に対して注射を行う場合、その注射目的によって注射液に含まれる成分や、該成分を送り込むべき生体の注射対象領域における深さが異なる。これは、生体の注射対象領域には、皮膚や筋肉、内臓等の様々な構造体が含まれ、これらの構造体を構成する生体組織は、その表面(注射を行う場合に、注射器が構造体に触れる表面)からの深さによってその機能が異なってくるためであり、注射液中の成分がその目的とする生体組織に届かなければ、その効果を適切に発揮させることが難しくなるからである。
たとえば、ヒトの皮膚は、その表面側から表皮、真皮、皮下組織と層状に区別でき、さらに表皮は角層と皮内とに区別できる。各層は解剖学的にそれぞれの機能を果たすべく、角層は角化細胞、皮内は樹状細胞や色素細胞、真皮は繊維芽細胞やコラーゲン細胞、皮下組織は皮下脂肪等で構成されている。そして、所定の目的において注射液を注射するときは、そこに含まれる所定の成分が的確に目的とする組織等に届けられるのが好ましい。
そして、注射目的物質を生体の注射対象領域に注射するときに漏らさず効率的に注入するためには、その注射目的物質に対して加える圧力を注射開始から終了まで適切にコントロールする必要がある。即ち、加圧による注射目的物質の注入速度が遅すぎると当該物質が皮膚で跳ね返され、反対に早すぎると場合には注射対象領域での注射深さは確保できるものの、当該領域内での当該物質の拡散に適した注入速度を超えるため、過度な供給により当該物質が跳ね返されその適切な拡散を図るのが難しくなると考えられる。本発明では、上記した問題に鑑み、注射針を介することなく注射目的物質を目的とする生体の注射対象領域内に送り込み、その深さにおいて広く拡散させることを可能とする注射器を提供することを目的とする。
上記課題を解決するために、本発明は、注射針を介することなく、注射目的物質を生体の注射対象領域に注射する注射器において、注射目的物質を射出するためにそれに加える圧力を、それぞれ異なる特性の加圧モードで調整する構成を採用することとした。この異なる加圧モードによって、注射対象領域における所望の深さの生体組織に注射目的物質を送り込むことが可能となる。
具体的には、本発明は、注射針を介することなく、注射目的物質を生体の注射対象領域に注射する注射器であって、前記注射目的物質を封入する封入部と、前記封入部に封入された前記注射目的物質に対して加圧する加圧部と、前記加圧部によって加圧された前記注射目的物質が前記注射対象領域に対して射出されるように流路を画定する流路部と、を備える。前記加圧部は、前記注射対象領域の表面を貫通させるために前記加圧部における前記注射目的物質への圧力を第一ピーク圧力まで上昇させた後に、該注射目的物質への圧力を待機圧力まで下降させる第一加圧モードと、前記待機圧力にある前記注射目的物質に対して加圧を行い、該注射目的物質への圧力を第二ピーク圧力まで上昇させて、所定の注射量の前記注射目的物質の注射を行う第二加圧モードと、を有する。
本発明に係る注射器では、生体の注射対象領域に対して注射される注射目的物質が封入部に封入され、そしてこの封入部に封入された注射目的物質に対して圧力が加えられることで、注射目的物質の移動が促されることになる。その結果、流路部を経て、注射目的物
質が対象となる注射対象領域へ射出されることになる。この注射目的物質は、注射対象領域の内部で効能が期待される成分を含むものであり、上記のように加圧部における圧力がその射出時の駆動源である。そのため、加圧部での加圧による射出が可能であれば、封入部における注射目的物質の封入状態や、液体やゲル状等の流体、粉体、粒状の固体等の注射目的物質の具体的な物理的形態は問われない。
たとえば、注射目的物質は液体であり、また固体であっても射出を可能とする流動性が担保されればゲル状の固体であってもよい。そして、注射目的物質には、生体の注射対象領域に送り込むべき成分が含まれ、当該成分は注射目的物質の内部に溶解した状態で存在してもよく、又は当該成分が溶解せずに単に混合された状態であってもよい。一例を挙げれば、送りこむべき成分として、抗体増強のためのワクチン、美容のためのタンパク質、毛髪再生用の培養細胞等があり、これらが射出可能となるように、液体、ゲル状等の流体に含まれることで注射目的物質が形成される。
また、加圧部による注射目的物質への加圧源は上記第一加圧モードと第二加圧モードの加圧態様が可能である限りにおいて、様々な加圧源を利用することができる。たとえば、バネ等による弾性力を利用したもの、加圧されたガスを利用したもの、火薬の燃焼を利用したもの、加圧のための電気的アクチュエータ(モータやピエゾ素子等)を利用したものが、加圧源として挙げられる。
ここで、加圧部によって実現される二つの加圧モードにより、注射目的物質を生体の注射対象領域に対して適切に注射することが可能となる。換言すると、第一加圧モードと第二加圧モードを採用することにより、皮膚構造体等の注射対象領域の目的とする注射深さに対して注射目的物質が送り込まれ、拡散されることになる。第一加圧モードでは、注射目的物質への加圧圧力を第一ピーク圧力まで上昇させた後、待機圧力まで下降させる。これにより、先ず生体の注射対象領域の表面を貫通し、注射目的物質が当該領域の深さ方向に進行していく。
そして、注射目的物質の射出エネルギーは単位時間当たりに射出される当該物質の流量によって決定されることから、第一加圧モードにおける注射目的物質の加圧速度(単位時間当たりの圧力増加量)が大きくなるに従い、第一加圧モードでの注射目的物質による注射深さが深くなる。なお、第一加圧モードでは、少なくとも注射目的物質に、注射対象領域の表面を貫通するために必要な圧力が付与されるように、その圧力上昇が調整される。
ここで、本出願人は、射出される注射目的物質による注射対象領域への注入のメカニズムを次のように想定する。なお、本出願人はこのメカニズムに拘泥する意図はなく、本願に示す注射目的物質に対する圧力制御が行われた結果、本願と同様の効果を奏する発明に対しては、仮に当該メカニズムとは異なるメカニズムに従うものであったとしても、本願の発明の範疇に属するものと考える。
注射目的物質が注射対象領域に射出されると、ごく初期に射出された、加圧された注射目的物質の流れ(ジェット流)の先端が、注射対象領域を削り、削られた屑がバックフローによって上部に持ち上げられることによって穴が穿たれ、ジェット流先端は深さ方向に進んでいく。ジェット流の先端が深くなるにつれて、ジェット流の持つ射出エネルギーはバックフローとの摩擦によって失われ、射出エネルギーがバックフローによって失われ、注射対象領域を削る能力を失った時、即ちバックフローの抵抗のエネルギーとつりあった時に穴深さの進行が停止することになる。
そして、注射対象領域にジェット流を打ち込めば、同じ量のバックフローが穴を逆向きに上がってくるため、バックフローが流れるための穴径を確保しなければいけないが、注
射対象領域である生体組織は本来的に弾力性があるため、収縮して穴径を小さくする傾向がある。この収縮力はバックフロー流路を狭める(縮径する)ものである。そこで、ジェット流に対して相対的に収縮力が大きい状態となれば、バックフローによる抵抗が大きくなり、ジェット流の持つ射出エネルギーが比較的浅いところでバランスすることになる。
以上のメカニズムを踏まえて本願に係る発明を考慮すると、注射目的物質への加圧が第一ピーク圧力まで上昇した後に待機圧力まで下降すると、一定の注射深さに到達するように形成された注射目的物質の貫通路の一部(当該貫通路の先端部)において、生体の注射対象領域が本来有する弾性力が、ジェット流に対して相対的に大きくなるため、貫通路の直径が収縮された状態となっていると考えられる。このとき、待機圧力まで減圧された注射目的物質の先端部分は、縮径された貫通路の先端部に位置する生体の注射対象領域には届かない位置で、当該注射目的物質にかけられた圧力(待機圧力)と、生体の注射対象領域からのバックフローによる圧力が概ね均衡した状態となっていると考えられる。このように貫通路の一部が縮径されると、縮径されていない部分と比べると、ジェット流に対する強度は高くなると考えられる。そして、この強度の向上は、第二加圧モードにおける再加圧時にバックフロー経路を確保することを難しくすることを意味する。そのため、待機圧力到達後に第二加圧モードによる再加圧が行われても、収縮した貫通路にはバックフローが通る面積が失われていることから、ジェット流は貫通路先端まで届かず、主に縮径されていない貫通路にある注射目的物質に対しての加圧となる。このため貫通路が深さ方向へ更に延伸する以上に、注射目的物質が生体の注射領域内で広がる方向へ注射目的物質の浸透が促進され、以て広い範囲に拡散されることになる。いわば、待機圧力到達までの第一加圧モードは、拡散が行われるべき状態を形成し得るステップであり、第二加圧モードは、その形成された状態で注射目的物質の拡散を加速させるステップとも言える。なお、第二加圧モードにおいては、注射目的物質への加圧が第二ピーク圧力まで上昇されることで、目的とする所定の注射量での注射目的物質の注射が実現され得る。
上述した第一加圧モードにおける第一ピーク圧力および待機圧力、第二加圧モードにおける第二ピーク圧力は、注射目的物質の注射目的に応じて適宜決定される。このとき、対象となる生体の注射対象領域の物理的特性、たとえば皮膚のヤング率等が考慮されてもよい。また、本発明に係る注射器の注射対象としての生体は、ヒトに限定されず、豚等の家畜や犬等のペットであってもよい。
このように本発明に係る注射器によれば、第一加圧モードから第二加圧モードに至るときに注射目的物質に待機圧力を迎えさせることで、注射深さをいたずらに深めることなく、効果的に注射対象領域内で注射目的物質の拡散を図ることができる。すなわち、本発明に係る注射器は、生体の注射対象領域において比較的浅い深さにおいて、注射目的物質を広く拡散させることが可能となる。
また、上記注射器において、前記待機圧力は、前記第一ピーク圧力の第一所定割合以下であってもよい。本出願人は、第一ピーク圧力に対する待機圧力の比率が、第一所定割合以下であれば、上述した効果的な注射目的物質の拡散を実現し得ることを見出した。好適な一例として、第一所定割合は60%に設定される。
また、上述までの注射器において、前記第二ピーク圧力は、前記第一ピーク圧力以下であり、そして、前記第一ピーク圧力と前記第二ピーク圧力との圧力差は、該第一ピーク圧力に対して第二所定割合以内に収められてもよい。すなわち、第二ピーク圧力は第一ピーク圧力以下とされ、ただし、その圧力差は第一圧力ピークを基準としてその第二所定割合を超えないように抑えられる。これにより、注射深さをいたずらに深めることなく、且つ第二加圧モードにおいて目的の注射量の注射を実現することが可能となる。
一方で、上述までの注射器において、前記第二ピーク圧力は、前記第一ピーク圧力を超える圧力であってもよい。上述のように想定される機構により、第二ピーク圧力が第一ピーク圧力を超えるものであっても、一旦注射目的物質が待機圧力を迎えた後においては、効果的な注射目的物質の拡散が促進され、注射深さのいたずらな増加を抑えることができる。生体の注射対象領域の物理的な特性によっては、このように第二ピーク圧力を高くすることで、第二加圧モードにおいて目的の注射量の注射が実現されやすくなる場合がある。
上述までの注射器において、前記第二加圧モードにおける前記待機圧力から前記第二ピーク圧力到達までの圧力上昇率は、前記第一加圧モードにおける加圧開始から前記第一ピーク圧力到達までの圧力上昇率より低く設定されてもよい。これにより、第一加圧モードにおいて待機圧力を迎えることで、効果的な注射目的物質の拡散を実現することが可能となる。
また、前記第二加圧モードでの前記注射目的物質の射出量は、前記第一加圧モードでの前記注射目的物質の射出量より多く設定されてもよい。待機圧力を迎えるまでの第一加圧モードにおいては、その射出された注射目的物質の多くが、上述の通り注射対象領域における該注射目的物質の拡散に適した状態を形成すべく該注射対象領域での穿孔に供され、そしてその注射目的物質は、一般的にはバックフローとして注射対象領域の外部へ排出されると考えられる。そこで、このように第二加圧モードにおける射出量を相対的に多くすることで、より多くの注射目的物質を注射対象領域の目的とする深さに拡散させることができ、注射目的物質に含まれる成分の効果の発揮が期待される。
ここで、上述までの注射器において、前記注射器は、更に、点火薬を含む点火装置と、前記点火薬の燃焼によって発生する燃焼生成物が流入し、該燃焼生成物によって燃焼し所定ガスを生成するガス発生剤が収容された燃焼室と、を備え、前記燃焼室内の圧力が、前記封入部に封入された前記注射目的物質に対して加圧されるように構成されてもよい。そして、この場合、前記加圧部は、前記点火装置での前記点火薬の燃焼によって発生する圧力上昇を、前記第一加圧モードにおける前記第一ピーク圧力までの加圧推移とし、前記ガス発生剤から発生する前記所定ガスによる圧力上昇を、前記第二加圧モードにおける前記第二ピーク圧力までの加圧推移とする。
すなわち、上記第一加圧モードと第二加圧モードによる注射目的物質への加圧を実現するための具体的な一例として、注射目的物質の射出用の駆動源に、火薬の燃焼によって生じる圧力を利用する形態が採用できる。このように構成される注射器では、点火装置における点火薬とガス発生剤のそれぞれの成分や、注射器内での形状、相対的な配置関係を適宜調整することで、第一加圧モードにおける圧力推移と第二加圧モードにおける圧力推移を好適に調整することが可能である。なお、このような火薬を用いた駆動源の例示には、その他の態様による駆動源の採用を排除する意図はない。たとえば、バネ等による弾性力を利用したもの、加圧されたガスを利用したもの、加圧のための電気的アクチュエータ(モータやピエゾ素子等)を利用したもの等を、上記駆動源として採用しても構わない。
また、上記注射器において、前記第一加圧モードでの前記燃焼生成物が前記燃焼室内で凝縮することによる圧力降下を、前記第一ピーク圧力から前記待機圧力への降圧推移としてもよい。燃焼生成物の凝縮作用を圧力効果に利用することで、生体の注射対象領域の表面を貫通するエネルギーを維持しながら、待機圧力を迎えるまでに注射目的物質が有する運動エネルギーを抑えることができ、生体の注射対象領域のより浅い部位での注射が可能となる。
また、上述までの注射器において、前記点火薬の燃焼完了時間は、前記ガス発生剤の燃
焼完了時間よりも早く、前記点火薬の燃焼が終了し前記注射目的物質への圧力が前記第一ピーク圧力から前記待機圧力へと降下している段階において、前記ガス発生剤からの前記ガス発生速度は増加していてもよい。すなわち、上述した第一加圧モードにおける待機圧力を確保できる限りにおいては、点火薬の燃焼期間とガス発生剤の燃焼期間は、その一部において重複しても構わない。重複した場合には、点火薬の燃焼による圧力とガス発生剤からの発生ガスの圧力が重なって注射目的物質に対して加圧されることになる。なお、点火薬とガス発生剤の燃焼完了時間を上記のように調整するため、それぞれの組成や組成比を変えることができる。また、両者が同じ組成や組成比を有していても、それぞれの形状や寸法を変えてもよい。たとえば、火薬の状態が粉体である場合には、その燃焼完了時間は、塊状に形成されている同一組成の火薬の燃焼完了時間よりも速い。さらには組成と形状、寸法の両方を変化させて燃焼完了時間を調整することも出来る。このようにして、点火薬とガス発生剤に同じ組成の火薬を含む場合であっても、その火薬の状態や形状、寸法等を調整することで、それぞれの燃焼完了時間を調整できる。
また、上述までの注射器においては、前記点火薬は、ジルコニウムと過塩素酸カリウムを含む火薬、水素化チタンと過塩素酸カリウムを含む火薬、チタンと過塩素酸カリウムを含む火薬、アルミニウムと過塩素酸カリウムを含む火薬、アルミニウムと酸化ビスマスを含む火薬、アルミニウムと酸化モリブデンを含む火薬、アルミニウムと酸化銅を含む火薬、アルミニウムと酸化鉄を含む火薬のうち何れか一つの火薬、又はこれらのうち複数の組み合わせからなる火薬であってもよい。これらの点火薬の特徴としては、その燃焼生成物が高温状態ではガスが発生しても常温では気体成分を含まないため、燃焼室において燃焼生成物がその表面に接触すると直ちに凝縮を行うため、生体の注射対象領域のより浅い部位での注射が可能となる。
注射針を介することなく注射目的物質を目的とする生体の注射対象領域の深さに送り込み、その深さにおいて広く拡散させることを可能とする。
以下に、図面を参照して本発明の実施形態に係る注射器1について説明する。なお、以下の実施形態の構成は例示であり、本発明はこの実施の形態の構成に限定されるものではない。
ここで、図1(a)は注射器1の断面図であり、図1(b)は注射器1をイニシエータ20側から見た側面図であり、図1(c)は注射器1を、注射液を射出するノズル4側から見た側面図である。注射器1は、注射器本体2を有し、該注射器本体2の中央部には、その軸方向に延在し、軸方向に沿った径が一定である貫通孔14が設けられている。そし
て、貫通孔14の一端は、該貫通孔14の径より大きい径を有する燃焼室9に連通し、残りの一端は、ノズル4が形成されたノズルホルダー5側に至る。更に、燃焼室9の、貫通孔14との連通箇所とは反対側に、イニシエータ20が、その点火部が該連通箇所に対向するように設置される。
ここで、イニシエータ20の例について図2に基づいて説明する。イニシエータ20は電気式の点火装置であり、表面が絶縁カバーで覆われたカップ21によって、点火薬22を配置するための空間が該カップ21内に画定される。そして、その空間に金属ヘッダ24が配置され、その上面に筒状のチャージホルダ23が設けられている。該チャージホルダ23によって点火薬22が保持される。この点火薬22の底部には、片方の導電ピン28と金属ヘッダ24を電気的に接続したブリッジワイヤ26が配線されている。なお、二本の導電ピン28は非電圧印加時には互いが絶縁状態となるように、絶縁体25を介して金属ヘッダ24に固定される。さらに、絶縁体25で支持された二本の導電ピン28が延出するカップ21の開放口は、樹脂27によって導電ピン28間の絶縁性を良好に維持した状態で保護されている。
このように構成されるイニシエータ20においては、外部電源によって二本の導電ピン28間に電圧印加されるとブリッジワイヤ26に電流が流れ、それにより点火薬22が燃焼する。このとき、点火薬22の燃焼による燃焼生成物はチャージホルダ23の開口部から噴出されることになる。そこで、本発明においては、イニシエータ20での点火薬22の燃焼生成物が燃焼室9内に流れ込むように、注射器本体2に対するイニシエータ20の相対位置関係が設計されている。また、イニシエータ用キャップ12は、イニシエータ20の外表面に引っ掛かるように断面が鍔状に形成され、且つ注射器本体2に対してネジ固定される。これにより、イニシエータ20は、イニシエータ用キャップ12によって注射器本体2に対して固定され、以てイニシエータ20での点火時に生じる圧力で、イニシエータ20自体が注射器本体2から脱落することを防止できる。
なお、注射器1において用いられる点火薬22として、好ましくは、ジルコニウムと過塩素酸カリウムを含む火薬(ZPP)、水素化チタンと過塩素酸カリウムを含む火薬(THPP)、チタンと過塩素酸カリウムを含む火薬(TiPP)、アルミニウムと過塩素酸カリウムを含む火薬(APP)、アルミニウムと酸化ビスマスを含む火薬(ABO)、アルミニウムと酸化モリブデンを含む火薬(AMO)、アルミニウムと酸化銅を含む火薬(ACO)、アルミニウムと酸化鉄を含む火薬(AFO)、もしくはこれらの火薬のうちの複数の組合せからなる火薬が挙げられる。これらの火薬は、点火直後の燃焼時には高温高圧のプラズマを発生させるが、常温となり燃焼性生物が凝縮すると気体成分を含まないために発生圧力が急激に低下する特性を示す。この特性は、本発明に係る注射器1での、注射液に対する加圧モードの形成に好適に貢献する特性であるが、この点については後述する。なお、後述する加圧モードが実現可能な限りにおいては、これら以外の火薬を点火薬として用いても構わない。
ここで、燃焼室9内には、点火薬22の燃焼によって生じる燃焼生成物によって燃焼しガスを発生させる、円柱状のガス発生剤30が配置されている。ガス発生剤30の一例としては、ニトロセルロース98質量%、ジフェニルアミン0.8質量%、硫酸カリウム1.2質量%からなるシングルベース無煙火薬が挙げられる。また、エアバッグ用ガス発生器やシートベルトプリテンショナ用ガス発生器に使用されている各種ガス発生剤を用いることも可能である。このガス発生剤30は、上記点火薬22と異なり、燃焼時に発生した所定のガスは常温においても気体成分を含むため、発生圧力の低下率は上記点火薬22と比べて極めて小さい。さらに、ガス発生剤30の燃焼時の燃焼完了時間は、上記点火薬22と比べて極めて長いが、燃焼室9内に配置されるときの該ガス発生剤30の寸法や大きさ、形状、特に表面形状を調整することで、該ガス発生剤30の燃焼完了時間を変化させ
ることが可能である。これは、燃焼室9内に流れ込む点火薬22の燃焼生成物との接触状態が、ガス発生剤30の表面形状や、また燃焼室9内でのガス発生剤30の配置に起因する該ガス発生剤30と点火薬22との相対位置関係によって変化すると考えられるからである。
次に、貫通孔14には、金属製のピストン6が、貫通孔14内を軸方向に沿って摺動可能となるように配置され、その一端が燃焼室9側に露出し、他端には封止部材7が一体に取り付けられている。そして、注射器1によって注射される注射目的物質である注射液MLは、該封止部材7と、別の封止部材8との間の貫通孔14内に形成される空間に封入される。したがって、封止部材7、8および貫通孔14によって、本発明に係る注射器の封入部が形成されることになる。この封止部材7、8は、注射液MLの封入時に該注射液が漏れ出さないように、且つピストン6の摺動に伴って注射液MLが円滑に貫通孔14内を移動できるように、表面にシリコンオイルを薄く塗布したゴム製のものである。
ここで、注射器1の先端側(図1の右側)には、本発明に係る注射器1の流路部が形成される。具体的には、注射液MLを射出するためのノズル4が形成されたホルダー5が、注射器1の先端側に設けられている。このホルダー5はガスケット3を挟んで注射器本体2の端面に、ホルダー用キャップ13を介して固定される。ホルダー用キャップ13はホルダー5に対して引っ掛かるように断面が鍔状に形成され、且つ注射器本体2に対してネジ固定される。これにより、ホルダー5は、注射液MLの射出時に注射液MLに掛けられる圧力によって注射器本体2から脱落することが防止される。
また、ホルダー5が注射器本体2に取り付けられた状態のとき、封止部材8と対向する箇所に、封止部材8を収容可能な凹部10が形成されている。この凹部10は、封止部材8とほぼ同じ径を有し、封止部材8の長さより若干長い深さを有する。これにより、ピストン6に圧力がかかり注射液MLが封止部材7、8とともに注射器1の先端側に移動したときに、封止部材8が凹部10内に収容されることが可能となる。凹部10に封止部材8が収容されると、加圧された注射液MLが解放されることになる。そこで、ホルダー5の注射器本体2側に接触する部位に、解放された注射液MLがノズル4まで導かれるように流路11が形成されている。これにより、解放された注射液MLは、流路11を経てノズル4から注射対象物へ射出されることになる。また、凹部10が封止部材8を収容する深さを有することで、注射液MLの射出が封止部材8によって阻害されることを回避できる。
なお、ノズル4は、ホルダー5に複数形成されてもよく、または、一つ形成されてもよい。複数のノズルが形成される場合には、各ノズルに対して解放された注射液が送り込まれるように、各ノズルに対応する流路が形成される。さらに、複数のノズル4が形成される場合には、図1(c)に示すように、注射器1の中心軸の周囲に等間隔で各ノズルが配置されるのが好ましい。なお、本実施の形態では、ホルダー5において3個のノズル4が、注射器1の中心軸の周囲に等間隔で配置されている。また、ノズル4の径は、注射対象、注射液MLに掛かる射出圧力、注射液の物性(粘性)等を考慮して適宜設定される。
このように構成される注射器1では、イニシエータ20における点火薬22と、燃焼室9に配置されたガス発生剤30によって、燃焼室9内に燃焼生成物もしくは所定のガスを発生させて、ピストン6を介して貫通孔14内に封入されている注射液MLに圧力を加える。その結果、封止部材7、8を伴って注射液MLは注射器1の先端側に押し出され、封止部材8が凹部10内に収容されると注射液MLが流路11およびノズル4を経て、注射対象物に射出されることになる。射出された注射液MLには圧力が掛けられているため、注射対象物の表面を貫通し、その内部に注射液が到達することで、注射器1における注射の目的を果たすことが可能となる。
ここで、本発明に係る注射器1の注射対象物は、ヒトや家畜等の生体の皮膚構造体である。本明細書ではヒトの皮膚に対する注射器1の作用を中心に言及するため、図3にはヒトの皮膚の解剖学的な構造を概略的に示す。ヒトの皮膚は、皮膚表面側から深さ方向に向かって、表皮、真皮、皮下組織・筋肉組織と層状に構成され、更に表皮は角層、皮内と層状に区別することができる。皮膚構造体の各層は、その組織を構成する主な細胞等や組織の特徴も異なる。
具体的には、角層は主に角化細胞で構成され、皮膚の最表面側に位置することからいわばバリア層としての機能を有する。一般的に、角層の厚さは0.01−0.015mm程度であり角化細胞によりヒトの表面保護を果たす。そのため、外部環境とヒトの体内とをある程度物理的に遮断すべく、比較的高い強度も要求される。また、皮内は、樹状細胞(ランゲルハンス細胞)や色素細胞(メラノサイト)を含んで構成され、角層と皮内により表皮が形成され、表皮の厚さは、一般的には0.1−2mm程度である。この皮内中の樹状細胞は、抗原・抗体反応に関与する細胞と考えられている。これは、抗原を取り込むことによって樹状細胞がその存在を認識し、異物攻撃するための役割を果たすリンパ球の活性化させる抗原抗体反応が誘導されやすいからである。一方で、皮内中の色素細胞は、外部環境から照射される紫外線の影響を防止する機能を有する。
次に、真皮には、皮膚上の血管や毛細血管が複雑に敷き詰められており、また体温調整のための汗腺や、体毛(頭髪を含む)の毛根やそれに付随する皮脂腺等も真皮内に存在する。また、真皮はヒト体内(皮下組織・筋肉組織)と表皮とを連絡する層であり、繊維芽細胞やコラーゲン細胞を含んで構成される。そのため、いわゆるコラーゲンやエラスチン不足によるシワの発生や脱毛等については、この真皮の状態が大きく関与する。
このようにヒトの皮膚構造は、概ね層状に形成されており、各層に主に含まれる細胞・組織等によって固有の解剖学的機能が発揮されている。このことは、皮膚に対して医学的治療等を施術する場合には、その治療目的に応じた皮膚構造体の場所(深さ)に治療のための成分を注射することが望ましいことを意味する。たとえば、皮内には樹状細胞が存在することから、ここにワクチン注射を行うことでより効果的な抗原抗体反応が期待できる。しかし、従来の注射技術では、比較的浅い部位に位置する皮内に対してワクチン注射を行うことは難しく、また行うにしても医療従事者の技量に依存するところが大きい。さらに皮内には色素細胞が存在していることから、いわゆる美白のための美容治療を行う場合においても美白用の特定成分を皮内に注射することが求められるが、従来技術では、上記の通り困難である。
次に、真皮には、繊維芽細胞やコラーゲン細胞が存在することから、皮膚のシワを除去するためのタンパク質、酵素、ビタミン、アミノ酸、ミネラル、糖類、核酸、各種成長因子(上皮細胞や繊維芽細胞)等を真皮に注入すると、効果的な美容治療効果が期待される。しかし、この真皮も皮内と同様に比較的浅い部位に位置するため、従来技術では注射による美容治療には困難が多い。また、毛髪再生治療においても、毛根が真皮に位置することから、毛髪再生治療のためには、毛乳頭細胞、表皮幹細胞等を自己培養し、それを頭皮に自家移植する幹細胞注入法や、幹細胞から抽出された数種類の成長因子や栄養成分を真皮近傍に注入することが好ましいといわれている。
このように皮膚に対する治療目的に応じて注射される物質と、それが注射されるのが望ましい皮膚構造体での位置(深さ)は個別的に対応するが、従来技術ではその注射位置を調整することは難しい。本発明に係る注射器1では、注射液に掛かる圧力を調整することで、皮膚構造体において注射液が到達する深さを好適に調整することを可能とした。なお、上述の通り、皮膚構造体に対して注射すべき物質(注射目的物質)はその治療目的に応
じて様々であるため、以下の説明では注射目的物質を「注射液」と総称する。しかし、これには注射される物質の内容や形態を限定する意図は無い。注射目的物質では、皮膚構造体に届けるべき成分が溶解していても溶解していなくてもよく、また注射目的物質も、加圧することでノズル4から皮膚構造体に対して射出され得るものであれば、その具体的な形態は不問であり、液体、ゲル状等様々な形態が採用できる。
たとえば、上記美容治療における注射目的物質としては、美白やシワ除去のためのタンパク質、酵素、ビタミン、アミノ酸、ミネラル、糖類、核酸、各種成長因子(上皮細胞、繊維芽細胞等)等が挙げられる。また、毛髪再生治療における注射目的物質としては、毛乳頭細胞、毛根幹細胞、表皮幹細胞、HARGカクテル、移植用毛髪等が挙げられる。
次に、注射器1において行われる注射液への具体的な加圧形態について図4に基づいて説明する。図4には、注射器1に含まれる点火薬22とガス発生剤30との組み合わせを適宜調整することで、ピストン6を経て貫通孔14内に封入されている注射液に加えられる圧力推移を示す。なお、図4の横軸は経過時間をミリ秒で表し、縦軸は加えられる圧力をMPaで表わしている。この圧力は、注射器本体2内の燃焼室9につながるように設けられた圧力測定ポート(図1においては図示せず)に圧力計を設置することで測定できる。図4に示す例では、点火薬22として同量のZPP(ジルコニウムと過塩素酸カリウムを含む)に対して、三種類の量のガス発生剤30を組み合わせたときの圧力推移が、L1、L2、L3として図4に示されている。
ここで、本発明における注射器1での圧力推移L1〜L3について説明する。これらの圧力推移には共通する技術的特徴があり、先ずこれについて圧力推移L2に基づいて説明する。本発明における圧力推移は、イニシエータ20への通電の直後に点火薬22の燃焼が開始されることで、圧力がゼロの状態から急激に最初の圧力ピーク値P1maxに到達し、その後、待機圧力Pw2まで下降する(圧力推移L1では待機圧力はPw1、圧力推移L3では待機圧力Pw3で表わされる)。ここまでの圧力推移により注射液に圧力を加える行程を第一加圧モードと称する。その後、再び圧力は上昇し二度目のピーク圧力P2max2を迎え(圧力推移L1では二度目のピーク圧力はP2max1、圧力推移L3では二度目のピーク圧力はP2max3で表わされる)、その後緩やかに低下していく。待機圧力から二度目のピーク圧力まで上昇する圧力推移により注射液に圧力を加える工程を第二加圧モードと称する。このように、圧力推移L1〜L3のそれぞれは、第一加圧モードと第二加圧モードによって構成されている。
このように一つの圧力推移における異なる2つの加圧モードは、異なる燃焼形態を有する点火薬22とガス発生剤30によって実現される。すなわち、点火薬22の燃焼形態の特徴は、イニシエータ20への通電による瞬時の燃焼であるとともに、ZPPに代表されるように発生した燃焼ガスが常温にて凝縮するとそこに気体成分が含まれなくなることから、注射液に加えられる圧力が急激に下降する。そのため、図4に示す微小時間Δtで第一加圧モードによる圧力推移は完了する。一方で、点火薬22の燃焼によって発生する高温の燃焼生成物が燃焼室9に流れ込み、そこに配置されたガス発生剤30を燃焼することで、ガス発生剤30の燃焼が開始される。そのため、第一加圧モードによる圧力推移中に、又は第一加圧モードの終了直後にガス発生剤30が燃焼しそこから所定のガスが発生する。このガス発生剤30からのガスの発生速度は、点火薬22からの燃焼生成物の生成速度よりも極めて緩やかであり、換言すれば、ガス発生剤30の燃焼完了時間は、点火薬22の燃焼完了時間よりも長い。そのため、図4からも明らかなように、待機圧力Pw2から二度目のピーク圧力P2max2に到達するまでの圧力上昇率が、点火薬22の点火時の圧力上昇率よりも緩やかとなる圧力推移を描く。この点は、圧力推移L1、L3においても同様である。
このように2つの加圧モードによる圧力推移によって、ヒトの皮膚構造体における注射液の概念的な注射状況を図5に基づいて説明する。上記微小時間Δt(イニシエータ20での通電から待機圧力Pw2到達までの時間)において行われる第一加圧モードでは、図5(a)に示すように微小量の注射液が注射器1から射出される。微小量の注射液の射出においては、単位時間当たりの射出量、すなわち射出流量に応じて射出された注射液が有するエネルギー量が下記の式1によって決定される。
P=1/8・πρD2u3 ・・・(式1)
P:射出注射液のエネルギー
ρ:注射液の密度、D:ノズル4の直径、u:注射液の射出速度
なお、この式1は射出された注射液の有するエネルギー量を算出するに過ぎず、当該式だけでは、皮膚構造体での注射深さの調整について説明するには十分ではない。すなわち、注射深さの調整には、本発明に係る圧力制御を行うことが必要である。そこで、式1を考慮しながら、皮膚構造体での注射深さの調整について、以下に本発明に係る圧力制御について説明する。
上記第一加圧モードでは、圧力がゼロの状態からピーク圧力P1maxを経て待機圧力に至るまでの圧力推移を極めて短時間で行うため、高いエネルギーを有する注射液を皮膚に対して射出する行程とも言える。その結果、第一加圧モード時に射出された注射液は、皮膚の最表面を貫通し、皮膚内に浸食する(図5(a)においては、射出注射液がS1で表わされている)。なお、このときの注射深さは、式1で表わされる第一加圧モード時の射出注射液のエネルギーが大きくなるほど深くなると考えられる。ここで、式1を見ると、射出注射液のエネルギーPは、注射液の射出速度uの3乗と注射液の密度の積に比例することから、ピーク圧力P1maxが大きくなるほど射出注射液のエネルギーPは大きくなり、また第一加圧モードが実行される微小時間Δtが短くなるほど該エネルギーPは小さくなる。したがって、このエネルギーPを調整することで、注射液が皮膚内で到達できる注射深さを調整することが可能となる。図5(a)においては、ヒトの皮膚構造体において表皮の層部分に注射液が到達している状況を概略的に示しているが、エネルギー量を調整することで第一加圧モードにおける注射深さをより深く、あるいはより浅くすることができる。
ここで、第一加圧モードにおいて迎える待機圧力については、第一加圧モードにおける射出注射液の皮膚構造体の内部での注射深さ方向での浸食が緩和され、且つ、該皮膚構造体に形成された注射液の貫通路の一部において、該貫通路の直径を収縮させ得る圧力である。ここで、ピーク圧力P1maxに上昇後、待機圧力まで下降すると、注射液が有するエネルギー量が低下するため、注射液による皮膚への浸食が緩和され、射出された注射液は皮膚構造体の最奥部には届かなくなる。さらに、生体の皮膚構造体は一定の弾性力を有しているため、その弾性力により既に形成された貫通路の一部、特に先端側(深さ方向の奥側)については貫通路の直径が該弾性力により注射液を含んだまま、もしくはほとんど含まずに収縮され得る。その結果、第一加圧モードにおいて待機圧力を迎えた時点では、貫通路の先端側では縮径された状態が形成され、該貫通路の基端側は非縮径の状態が維持されるため、貫通路の先端側と基端側で、注射液の圧力に対する強度差が生まれることになる。すなわち、貫通路の先端側が、その基端側に対して相対的に強度が高くなる。その結果、後述する第二加圧モードでの再加圧時には、第二加圧モードでの再加圧時には、注射液の圧力は貫通路全体に均一にかかるものの、非縮径状態にある貫通路部分は相対的に拡大されているため縮径部よりも強度が弱くなっており、これが、注射液の拡散に寄与すると考えられる。以上より、待機圧力は、後述する第二加圧モードにおいて上記貫通路の先端側が皮膚構造体からの弾性力によって収縮さる程度に、すなわち第二加圧モードによる注射液拡散を担保し得る貫通路の強度差が生み出される程度に、第一加圧モードでのピーク圧力P1maxから下降された圧力であることが望ましい。たとえば、待機圧力はピ
ーク圧力P1maxの50%以下であるのが好ましい。
次に、第二加圧モードにおいては、待機圧力Pw2から二度目のピーク圧力P2max2まで上昇する圧力推移が描かれる。第一加圧モードによって注射液の圧力が待機圧力Pw2に至ることで、該注射液によって形成された貫通路において上記強度差が生み出されていると推定される状態から、第二加圧モードによって再び注射液の圧力を上昇させると、直径が収縮された貫通路に閉じ込められた注射液が再び加圧されると考えられる。しかしながら、第二加圧モードで射出された注射液は、上記の強度差により貫通路の底に直接作用するというよりも、非縮径部にある注射液を通して皮膚構造体を加圧することから、深さ方向への更なる浸食以上に、非縮径状態にある貫通路から皮膚構造体の内部への浸透を発生させる。つまり注射液は、相対的に圧力に対する強度が低いと考えられる非縮径状態にある貫通路の部分を通して、皮膚構造体の組織の内部に拡散していくと考えられる(図5(b)では、第二加圧モードによって拡散している注射液がS2で表わされている)。さらに、第二加圧モード時の圧力上昇率は、第一加圧モード時の圧力上昇率よりも緩やかであることから、注射液の注射深さをいたずらに深めることなく、皮膚構造体の層状の組織の延在方向に沿って注射液を皮膚内に拡散させることが可能となる。なお、図5(b)は単に上述の拡散状態を概念的表したものであり、注射深さが図5(a)での異なる深さに設定された場合は拡散状態も異なり、例えば、真皮により近い部位や真皮まで浸透するように拡散させることも可能である。
なお、第二加圧モードが継続される時間は、注射器1によって射出される注射液の量(注射量)に応じて決定される。二度目の圧力ピークP2max2経過後は、注射液に加えられる圧力は徐々に下降していくが、ノズル4から射出される注射液が無くなった時点で、圧力がゼロとなり、第二加圧モードが終了する。また、第二加圧モードは皮膚構造体の所望の深さに注射液を拡散させることが目的であるから、第二加圧モードにおいて注射器1から射出される注射液量は第一加圧モードにおいて射出される注射液量よりも多いのが好ましい。これは、上記のとおり第一加圧モードは微小時間Δt内に行われることから、十分に実現可能である。
このように本発明に係る注射器1では、第一加圧モードでの待機圧力を経て第二加圧モードによる注射液の拡散という圧力推移を経ることで、皮膚構造体での所望の深さに注射液を送り込むことが可能となる。特に、第二加圧モードにおける加圧は、主に注射液の拡散に供され、注射深さをいたずらに深くすることが回避されるため、注射深さが比較的浅い部位においても注射液を的確に拡散させることが可能となる。
ここで、図4に示す圧力推移L1、L2、L3のそれぞれについて説明する。これらの圧力推移においては、同じイニシエータ20を利用することで、第一加圧モード時のピーク圧力は、概ねP1maxとなり一致する。なお、待機圧力はPw1〜Pw3の幅でばらついているが、上記のとおり、待機圧力は第一加圧モード時のピーク圧力からある程度下降すれば、第一加圧モードにおける射出注射液の皮膚構造体の内部での注射深さ方向での浸食が緩和され、且つ、該皮膚構造体に設けられた注射液の貫通路の一部において、該貫通路の直径を収縮させ得る圧力となり得る。このように同じイニシエータ20が使用されている場合であっても、燃焼室9内に配置されているガス発生剤30の量がそれぞれ異なっていることで、第二加圧モードでの圧力推移が図4に示すように変化する。具体的には、圧力推移L1の場合、ガス発生剤30の量が最大となり、圧力推移L3の場合、ガス発生剤30の量が最小となり、圧力推移L2の場合、ガス発生剤30の量が中間量となる。したがって、第二加圧モード時のピーク圧力は、圧力推移L1のP2max1>圧力推移L2のP2max2>圧力推移L3のP2max3という関係になる。このような三種類の圧力推移によれば、概ね同じ注射深さにおいて、注射液を拡散させるスピードや拡散させる注射液量を異ならしめることができる。
圧力推移L3におけるピーク圧力P2max3は、第一加圧モードでのピーク圧力P1maxより低い値である。このとき、P1maxとP2max3の圧力差は、P1maxに対して所定割合以内に収められる。これは、皮膚構造体での所望の深さに注射液を送り込むために、従来技術による圧力推移と異なり、第一加圧モードでの待機圧力を経た第二加圧モードによる注射液の拡散という圧力推移を明確にするためである。所定割合としては、P1maxの60%が挙げられる。
また、圧力推移L1、L2における第二加圧モードでのピーク圧力P2max1、P2max2は、第一加圧モードでのピーク圧力P1maxを超える値である。これらのピーク圧力P2max1、P2max2は、目的とする注射量を実現するために適宜設定される。
上述までの実施の形態は、ヒトの皮膚構造体を前提としたものであるが、本発明に係る注射器は、ヒト以外にも動物(家畜、ペット等)用の注射器として使用することができる。この場合、注射対象物の皮膚構造体の特性、たとえばヤング率等を考慮して、イニシエータ20に搭載される点火薬22の種類や量、ガス発生剤30の種類や量が適宜調整される。
また、上述の実施の形態では、注射器1において圧力が加えられるのは注射目的物質であるが、注射器1から射出が可能である限りにいて、注射目的物質は粉体や粒状の固体等であっても構わない。
ここで、本発明に係る注射器1を用いて行った注射実験(実験1〜4)について、以下にその実験条件と実験結果を示す。なお、以下の実験条件は、注射対象物であるブタの皮膚層に注射液を集中的に拡散させることを目的として設定されたものである。
<実験条件>
(注射器1について)
イニシエータ20の点火薬22にはZPP(ジルコニウム・過塩素酸カリウム)混合物を87mg使用し、ガス発生剤30には、シングルベース発射薬を下記の表1に示す量使用した。なお、ノズル4の直径は0.1mmであって、3個のノズル4が同心円状に配置されている。
また、シングルベース発射薬の成分比は、以下の通りである。
ニトロセルロース:98.1重量%
ジフェニルアミン:0.8重量%
硫酸カリウム :1.1重量%
黒鉛(外割) :微量
(注射対象について)
本実施例では、ブタの腹の皮膚部分を注射対象物とした。具体的には、ブタを殺処分後、皮膚部分を剥ぎ取り、4℃の生理的食塩水中で6日保存したものと(冷蔵保存)、−70℃で冷凍保存した後に解凍したものを準備した。
(注射液について)
注射後の注射液の拡散状況を把握しやすくするために、着色した水溶液(メチレンブルー)を使用した。
<実験結果>
次に、以下に上記実験条件に従った実験結果を示す。図6Aは、実験3での注射結果におけるブタの皮膚の表面の図およびその断面図(AA断面)である。また、図6Bは、実験4での注射結果におけるブタの皮膚の表面の図およびその断面図(BB断面)である。さらに、図6Cは、実験1〜実験4のそれぞれにおける、注射液に加えられた圧力推移を示すグラフである。そして、下記表2は、その圧力推移における所定の圧力値およびその圧力までの到達時間をそれぞれまとめたものである。なお、注射液に加えられる圧力の測定は、電歪素子(ピエゾ素子)を用いて、1秒間に10万回の検出頻度で、即ち、0.01ミリ秒毎に行われた。また、下記表2に示す第一ピーク圧力は、イニシエータ20が作動した直後に検出された最大圧力を採用した。待機圧力には、イニシエータ20が作動してからガス発生剤30が完全に着火するまでの間に、圧力が第一ピーク圧力から下降した区間で記録された最低圧力から前後の0.05msのデータ(すなわち、前後の各5点のデータ)を含めたデータの平均値を採用した。そして、第二ピーク圧力は、待機圧力への到達後に現れた最大圧力を採用した。また、表2中の各到達時間は、イニシエータ20に着火電流を流した時点を起点として各圧力に到達するまでの時間を意味する。
上記の実験結果を分析すると、実験1、2、3においては、注射器1に設けられた三本のノズル4のすべてから射出された注射液を、ブタの皮膚層において所望の注射深さで拡
散させることができた。例えば、実験3に対応する図6Aに示すように、皮膚表面からの俯瞰では、注射痕は、三か所において同程度の大きさで広がっているのが分かる。また、その断面においては、注射液が脂肪層や筋肉層へいたずらに広がらず、皮膚層に留まった状態で拡散している。仮にこの注射液がワクチンであれば、それを効果的な抗原抗体反応が期待できる領域に集中的に送り込み、拡散させることができることになる。なお図示されていない実験1、2においても、図6Aに示した実験3と同様に、注射液の効果的な拡散が確認できた。
一方で、実験4においては、三本のノズル4のうち一本のノズルから射出された注射液については、実験1〜3とは異なり、注射液が脂肪層や筋肉層にやや広がっている(実験4に対応する図6Bに示す断面図を参照。)。また、図6Bの皮膚表面からの俯瞰では、断面図に対応する注射痕の大きさが、他の二か所の注射痕よりも小さいことが分かる。これは、小さい注射痕においては、断面図に示すように注射液が注射対象物のより深い位置にまで到達し、表面から確認できる注射液量が少なくなったためである。ただし、図6Bに示したノズル以外の二本のノズルにおいては、図示はしていないが、実験1〜3と同様に注射液の効果的な拡散が確認できた。
以上を踏まえると、待機圧力比(待機圧力を第一ピーク圧で除した値として定義される。)が所定の値より低い値であれば、少なくとも何れかのノズル4から射出された注射液をブタの皮膚層に効果的に拡散することが可能と言え、実用化の意義は見出せる。より好適には、待機圧力比が0.50以下であれば、実験1〜3に示すように、三本全てのノズル4から射出された注射液の効果的な拡散が実現されると考えられる。従来の針無し注射器では、本発明のように皮膚表面から俯瞰しても注射痕を確認できない程度に注射液が注射対象物の内部深くまで送り込まれていたことを考えると、本発明に係る注射器1は、従来の針無し注射器では決して実現することができなかった有用な効果を奏するものと言える。
<その他の実施例>
本発明に係る注射器1によれば、上述した注射液を皮膚構造体に注射する場合以外にも、例えば、再生医療の分野において、注射対象となる細胞や足場組織・スキャフォールドに培養細胞、幹細胞等を播種することが可能となる。例えば、特開2008−206477号公報に示すように、移植される部位及び再細胞化の目的に応じて当業者が適宜決定し得る細胞、例えば、内皮細胞、内皮前駆細胞、骨髄細胞、前骨芽細胞、軟骨細胞、繊維芽細胞、皮膚細胞、筋肉細胞、肝臓細胞、腎臓細胞、腸管細胞、幹細胞、その他再生医療の分野で考慮されるあらゆる細胞を、注射器1により注射することが可能である。より具体的には、上記播種すべき細胞を含む液(細胞懸濁液)を封止部材7、8により貫通孔14に収容し、それに対して、上述した第一加圧モードと第二加圧モードによる圧力推移を介して加圧することで、移植される部位に所定の細胞を注射、移植する。
さらには、特表2007−525192号公報に記載されているような、細胞や足場組織・スキャフォールド等へのDNA等の送達にも、本発明に係る注射器1を使用することができる。この場合、針を用いて送達する場合と比較して、本発明に係る注射器1を使用した方が、細胞や足場組織・スキャフォールド等自体への影響を抑制できるためより好ましいと言える。
さらには、各種遺伝子、癌抑制細胞、脂質エンベロープ等を直接目的とする組織に送達させたり、病原体に対する免疫を高めるために抗原遺伝子を投与したりする場合にも、本発明に係る注射器1は好適に使用される。その他、各種疾病治療の分野(特表2008−508881号公報、特表2010−503616号公報等に記載の分野)、免疫医療分野(特表2005−523679号公報等に記載の分野)等にも、当該注射器1は使用す
ることができ、その使用可能な分野は意図的には限定されない。