JP3200849U - リュツクサック付き(大き目)人形 - Google Patents

リュツクサック付き(大き目)人形 Download PDF

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Abstract

【課題】見た目が楽しく、人の心を豊かにし、誰でも手作業で簡単に実施することができるリュックサックに装着された人形を提供する。【解決手段】透明なビニールの袋により包装された人形Aであって、リュックサックBに装着されたことを特徴とする。【選択図】図2

Description

AとBとをくっつけること、(大き目の)人形にリュツクサックをくっつけること。
小さな人形では、<主に剥き出しのまま、リュツクにアクセサリ−、マスコット代わりとして、飾り、付属物として>広く慣行されている。[あくまでリュツクサックに人形<小さい>を「くっつけること」]。
考案が解決しようとする課題
解決ではなく(て)、あくまで生産、追加なのです。
課題を解決するための手段
解決ではない。
考案の効果
見た目が楽しく(なり)、人の心が豊かになる。
作用
誰でも手作業で簡単に実施<実行、作成>することが出来る。
[別途(後程)記述]
但し後述されているように、本考案は出願日より4カ月前より考案者により日常生活にて、実施(日々実際使用)されているものであり、よつてその時点から既に「公知の事実」となつていることをここに明記して置く。知的所有権等については、別途記述を参照されたい。
[考案についての詳細な説明]
リュツクサックの持つ特質、利点、長所、便利さとは、一度背中に背負ってしまえば<おんぶするとも呼ぶ>、少しかさばった物や重いものも容易に持ち運び出来るのである。目的地がある場合では目的地まで運ぶことが出来るのです。つまり一度背中に背負うとアトは何も(ムダな)神経や「気」を使わなくとも良いのです。昔はリュツクサックの持つ使い手があることや利便性や役立つ面からも人々に広く多用されたものであります。例えばリュツクに<子供の遠足の場合>水筒とか弁当とか敷物とか替え着その他モロモロのものを詰め込んで<放り込んで>背中に背負ってしまえばアトはラクラクと目的地まで到着することが出来たものです、ハイキングでも同じなのです。只当時の人々には見た目<外見>がどうも「ぶかっこう」に映つたようです。ところが(しかるに)一時期を境にしてリュツクサックは突然人々の前から(その)姿を消してしまい<まるで過去の遺物でもあるかのようにである)、それに取って代わったのが主に手に持つ<又は肩に掛ける、または引っ掛ける>ハンドバッグ類やカバンと呼ばれるものが「主流」となつたのでありました。しかるに近年に至り再びリュツクサックが見直されて来たのであります。その主な理由とは、経済、文明の発達と共に色々と勤務先やその他への移動の場合、書類やその他重量が増え、かさばって来たのであります。(持ち運びする際)。<例えばパソコンをカバンに入れて運ぶ場合かなり重いのです>。リュツクのばあいには重いものでも背中に担ぐと自由に難なく楽チンに運ぶことが出来る。そして手に持つたり肩に掛けたりした場合<カバン、ハンドバッグその他類>、持ち主は常にそれに対して或る程度気<神経>を使わなければならないのです。(落としたり、誰かにそれをひったくられないよう(に)とか、それが傷つかないようにとか<汚れも含む>、反対に例えば満員電車内では他の乗客の<それが>邪魔にならないようにとかなのです<ムダな神経を使うこと>。ところがリュツクの場合では背中に担いでしまえば、アトはほとんどムダ気を使わなくて良いのです。そしてそれらの事と同時に現代人では、例えば、ケイタイ<電話>とか、スマホとか、タブレットその他とか、例えばケイタイとかスマホなんかは使わない時でもそれを手に持つているだけでさまになり、カッコ良く見えるところから、両手は色々なことから<常に>満杯状態に近くなつているのであります。以上その他の理由から我然、そして一躍、再びリュツクサックは人々の心を握み、持てはやされ(て)、脚光を浴びて、はなばなしく再登板(登場)、出番となったのであります。 それではその昔にリュツクは「不恰好」だと人々から思われ見下され、且つ軽蔑感を含んで敬遠されたその印象はどこかえ消し飛んでしまい、反対にぶかっこうさが逆にカッコ良く見えて来たのであります(背に腹は変えられないと云つたところか)。丁度古びたジ−ンズが昔と違つて現代ではカッコ良く見えること。今ではファッションの一部となって、人々の心の中に溶け込んでしまつているのであります。(リュツクがなければもはややって行けそうにもないこと・大げさにゆえば)。
リュツクサックの良さが評価、認識され、見直され(て)、その必要性が非常に高まつて来たこと、今やリュツクサックがカバン、ハンドバッグ類に取って代わって全面に躍り出て来ている感じのことなのであります。
ここからは本考案の主題であるところの、「人形」について延べなければならない。
一般に人形と呼ばれるものは、(その)昔は<離れたところ、遠いところから>、眺め、見て楽しむデコレ−ション的、お飾り的なのが多かった。のです。つまり人体との間に距離感があったのです。しかるに近年、現代ではその距離感は段々にそして次第に小さくなり、失くなり、特に小さい子供達や幼児達は人形を手に持つたりそしてそれを弄ぶようになつて来たのであります。人形の種類も一段と豊富、色とりどり、となりキャラクタ−類とも呼ばれて、人体(人間)と人形との間での付き合い方もさまざまな形態、かたちをとり始めたのであります。歴史的にも人形はかなり古くから存在して居り、伝統を持ち、昔は主に専門の職人さんがそれをこさえていたのであ
に専門の職人さんがそれをこさえていたのであります。現在では機械による生産も多いようであります。時代の進歩に合わせて<伴つて>、人形の素材、材質<原材料>も色々(と)豊富となり且つ進歩も遂げて、色々さまざまなタイプ、フィギュアの人形を造ることが出来るようになつたのもその理由のひとつかも知れません。おんぶにダッコと云う風に人体(人間)と人形との間の一体化が進んで来て、触覚、体感にその重点が移って来ているようでもあります。一体どこからどこまでを人形と呼ぶかと云っちょうな難かしい問題は別にして<考案とあまり関わりが薄いことでもあり>、本考案であるところのリュツクサックと人形<関係も含めて>について述べねばなりません。リュツクサックに小さ目の人形を主にカバ−、包装せずにリュツクに取り付ける<くっつける>のは広く行なわれているようです(流行、はやりとなつている)大きさ、全長約10cm位のが多いようです、ひとつとか複数の人形をつなぐ<結ぶ、接合>俗にこのことを「ブラ下げる」とも呼ばれています。そしてこの場合は、あくまでリュツクサックに人形をくっつけることを意味しています。しかるに本考案では(大き目の)人形にリュツクサックを取り付けることを意味しています。
尚リュツクサックの型、形、タイプ、種類、大きさ、模様、デザイン等々は今日現在、実にさまざま、そしてカラフルであり、昔風の縦型のみならず(に)、横型のようなものもあり、大きさも小さいのから大きいのまで<大きいのと>、色とりどりとなつています。まさに千差万別、複雑多岐に亘つているようです。昔はリュツクサックとはその形状としては「おむすび型(様)」のが主流だったのだが、現在では長方形型またはそれに近いものまで、又立方形型(様)やその他ニ−ズに合わせたかたちで色々出回つているようです。そして又、リュツクサックそのもの(本体)に細工を施し(て)、色々な「形状」に型取つたもの(も)<こさえる、作製、生産のこと>現われています。そしてリュツクサックの大まかな分類(概念)としまして(は)、開閉出来る大き目の袋に肩掛け用のバンドを付けて、(人の)背中に背負うもの(おんぶ、かつぐとも云う)[袋の中のものの運搬用として]、とも云へそうである。
ここからは本考案の主題であるところのリュツクサックと(大き目の)人形との関係について述べなければならない。一口で言うならば、リュツクサックの見事な「復活」と人形の(持つ)多様化とそのニ−ズとからドッキングのチャンスが生まれた<可能となつた、成功した>と云ったところなのです。[くっつく、結合、付加、接合、つながつているその姿のこと]。そうしてここで最も注意を払わなければ<注目、留意のこと>ならないこととは、従来のリュツクサックに人形をくっつける、合体させると云つた概念を払拭、皆無にして、(大き目の)人形に<あくまで>(運搬用、手段として)リュツクサックをドッキングさせるところにあるのです。こうなると<こうなつて来ると>明きらかに(大き目の)人形に主役の座を譲り<奪われ>、リュツクサックは背後に
転落、後退、かすんでしまい、攻守逆転、それまでの家来、子分がすでに親分と(に)なつてしまいそれまでの主役のリュツクサックは脇役、端役へと落ちぶれてしまい、転落、身をもちくずしているのです。<追放、後退、追いやられての意>。従来のようにリュツクサックに(大き目の)人形をくっつけた場合にはこのような事態は決して起こらないこと。[例え、結果は同じでもの意]。この場合もはやリュツクサックは主役であるところの大き目の人形の引き立て役(目立たせる役)に成り下がつているのです。又従来行なわれているところのリュツクサックに小さい<大きさ約10cm位>人形をつなぐ、くっつけた(俗にブラ下げるとも呼ぶ)た場合<その数1個から複数>(ほとんどのばあい、ナマ<生>ラップせずに剥き出しのこと)小さい人形は、それ故リュツクの付属的、お飾り、デコレ−ションとしてのアクセッサリ−の立場、位置を保持、堅持、維持するのです。とても主役を張ることは出来ないこと。リュツクに人形をくっつけるのと人形にリュツクをくっつけるの違いだけで一体ナゼこのような大きな違いが起こつて来るのであろうか?。この自然界で例えばヘビ(蛇)<と云う生物のこと>は自分より小さいヘビを呑み込んで喰つてしまい、それを「エサ・餌」とするのです。反対に自分より大きいヘビに出くわすと今度は逆に自分が相手に呑み込まれて喰われて最後にはエサとなつてしまうのです。そしてこれらのことは例えば海でのお魚ちゃんでも同じことが起きてくるのです。魚は自分より小さいものをエサとして喰い反対に自分より大きい魚に食われる<その他イルカとかアザラシとかペンギンとか、たまにはカモメとか熊に喰われる場合もあるが>。(これらはあくまで一般論のこと)<必ずそのようになると云う訳ではない>。このように、自然界では生物や物体が「大きい」と云うことは重要な意味を持つているのです。従つて大き目の人形はリュツクを押しのけて主役を張ることが出来るのです。[この場合あくまで人形にリュツクをくっつけること]。自然界ではこのように生物そして物の大きさと云うのは非常に大きな意味を持つているのです。小さい人形はそれ故主役になれない運命、宿命を負っているのです。
ここからは大き目の人形はナゼ包装、ラップしてもダサイ、ぶかっこう、カッコ悪く思われないのか?。について述べなければならない。昔はリュツクそのものがぶさいく、ぶかっこう、ダサイと思われたのである。ところが今日ではリュツクこそがスマ−トで非常にカッコ良くなつてしまったのであります。ダサさは<ダサいと云つた主観、偏見、錯覚、印象のこと>どこかえ吹き飛ぶ<ケシ飛んでしまつた、のである。つまりその「必要性」こそが何よりも優先され別に欠点がある(持つている)訳ではないがその必要性こそがそして又、リュツクに人形をくっつける、若しくは人形にリュツクをくっつけるなんて、ブサイクこの上ないと云つた(ような)「先入観」は蹴散らして<捨て去るの意>、”トンデモナイ。それこそが最高にカッコイインデスヨとばかりに(発明を志ざす者)は<意図的に>”その方向へと持つてゆかなければならないのでありました。ちなみに人形とは装飾品(の一種)であり日常生活に直接役立つと云つたものではない(のです)。一体どこからどこまでを「人形」と定義付けるのは非常に難かしい。ブカッコウさを圧倒ねじ伏せてしまい、逆にぶかっこうだったものが<反対に>カッコ良くなること<人間の(持つ)ワガママ(身勝手なこと)だと云つてしまえばそれまでだが。古びた<ヨレヨレの>ジ−ンズが大はやりしているのも、誰かがそれをはやらせたと云うより自然にそうなつた、なんとなく段々に、徐々にそうなつた。同じようにリュツクサックが今時、隆盛、蔓延しているのは(のも)、誰かが<意図的に>はやらせた、と云うより何んとなく<只>そうなった、と云つた感じが強いのであります。そしてかって、その昔では(ひと昔のこと)、ヨレヨレのジ−ンズをはいて<着て>レストランとか、ホテルとか、映画館とかその他人(びと)がつどい、あつまり、集合、密集するような場所街中、公衆<大衆>の前面で歩いていると、人々はそれを見て、そして周りの人達から(は)「白い目」(冷ややかな、軽蔑的なような目、まなざし、<或る意味眉をしかめる感じのこと>)で見られたものなのである。しかるに今日現在では、ヒトはそれを堂々と着こなし、且つ人々もそのことを歓迎すらしているのである<羨望のまなざしのこと>。正直一体そりゃ何ナンダ![一体何がどうなつているンダ!]つまり果たしてこんなコト<このようなコト>があつてもいいのか、いいのだろうか?。と云つた感じとなつて来るのデス。人形が主役だろうが脇役だろうが、そしてリュツクが主役だろうが脇役だろうが実はどうでも良いのである。一体何の為に(又は何を)考案しようとしているのか?。そして人形(類)はキャラクタ−グッズと(も)呼ばれて普及しているのではあるが、例えば、人形がこの世、社会から無くても(無くなつても>人類社会は別に困まりはしない。併しそれがあつた方が人類社会及びヒトの心、そして人生が「豊かに」なると云うことなのであります。人形、類はその昔(で)は見て楽しむかざり(飾り)、装飾品としての存在意義が主流であつたのです。つまり人体(人間)との間に「距離感」があつたのです。ところが現在に至り<至つては>、その距離はだんだん小さくある意味取り払われて来て、手に持つて(抱っこしたりおんぶしたりして)弄ぶ<と云つた>玩具(類)、遊具(類)としてのウェイトが大きく・強く、なつて来ているようであります。一時期忽然と姿を消した<陰をひそめていた>リュツクサックのめざましい台頭、復活に伴い、そして人形とのその関係については、一般的に見ても行き亘つているリュツクの[特に若人達、ヤングの間では]約半分以上には小さな人形が取り付けられて<ブラ下げて、ブラ下がつて>いる、と云つたふぜい(風情)すらかもし出しているのであります。
本考案は不具合、欠陥を是正すると云つたものではない。芸能人に例えるなら(ば)、平凡ではあるがその内個性を引き出し<平凡の中から>、それに「磨きを掛ける」と云つたところ(もの、相当する)かも知れない。実はこのような発明、考案(と)は一杯あるのであり、むしろコッチの方が多い(とも)とさえゆへるのかも知れない(のである)。発明とは何かを生み出すもの(力)なのであり、云うまでも無く、宇宙のナゾを解くこと(作業、行為、所作)も発明なのである。これ(ら)は、宇宙に大きな欠陥(不具合)があるから、それらを直すと云つたものではないのであります。
人々の(持つ)主観、観念を引っくり返してしまつたのであります。[言うなれば、常識をくつがえすこと、常識を狂わすとも呼ぶ又はシッチヤカメッチヤカにするとも呼ぶ]。
例えば小さい人形をリュツクに吊るして<長く>使つている内に、古くなつたり、汚れたり、傷ついたりした場合など(は)「ポイッ」と捨てて新しいのを買う、買い換える人もいれば<つまり可能なこと>、洗濯機に放り込んで洗い、修繕したりして、何度も使う人達も居るのであります。[小さい人形は大きいのに比して安い、安価、低価格なこと]。
通常は包装したままの(大き目の)人形は見た目には良くないと映るのではあるが、本件の場合はその逆で(却って)、<透明なビニ−ル様のもので>ラップしたままの状態の方が、見栄えが良い(カッコ良く映ること)、と云う風になつているのであります。何故なら(大き目の)人形が小さいのに比して高価<高いこと>であると云うコトが強力な「必要性」となつている(必要性を生み出していること)からなのであります。現在の人形は鑑賞用としての飾品と、抱っこしたりして弄ぶ遊具品としての両面性を持つたものとなつています。幼児、子供達が大きな人形と遊ぶ場合にはムキ出し(ナマ)のままであそぶ、もてあそぶ場合が多いようである。包装したままでは(状態)ゴワゴワとした肌障り<さわり>等によつて不向き、不適のようである。(大き目の)人形にカバ−を付ける、包装する、包む、ラップする、保護することについては、要するに小さいのに比して値が張る、高価、安価ではないこと、中には高級品と呼ばれるものもあります。大き目の人形が汚れたりした場合等、<汚れにもピンからキリまであり>なかなか落ちない汚れ<例えばペンキとかマジック類など>もあり一度洗濯機に放り込んで洗濯しても、本来の人形としての「価値」が台無しになつてしまう場合も多く、クリ−ニング店に出して、クリ−ニング技術力の最先端の技術を駆使して汚れた人形を元通りに復元(つまり新品同様にすること)してもそのクリ−ニング代は新品を買うよりも何倍にもなつてしまう訳なのです。高価であるところの大き目の人形類は小売の段階では(店で売られる時)、汚れを防ぐ為、包装されたままで売られる場合が多いのです。同じように例えば値が張る(ところの)ふとんとかマットレス類も包装ラップ状態のままで販売されているようです。ユ−ザ−、消費者は人形を買うと包装されている(ところの)カバ−類を一旦ビリリッ又はベリベリと破いてからそれを取り除いてからナマのままで使用する場合が多いようです。このような場合にはどうしても汚れが目立つて来ます。以上等の理由から、本考案では原則としましては、使用する際(に)は、剥き出し(ナマ・生)の<ままの>人形より(も)、(透明な)ビニ−ル様のものでラップ(包装したもの)した人形の方がより一段と見栄えがする、見ごたえがある、見た目に良い、良く見える、スマ−ト(カッコ良く見えること)に見えるとゆうことなのであります。そして一時期忽然と姿を消していた(陰をひそめていた)リュツクサックの再現(登場、出番、復活)によつて大き目の人形とのドッキングが可能となつた<人形も大小にかかわらずにそれなりに進歩をしているようです>(お見合い、ランデブ−が出来るようになつたこと)。<人間にたとえれば結婚出来るようになつた、とゆへるかも知れないこと>。人形の世界でも今日ではゆるキヤラとかブランド品と呼ばれるものも登場して(来て)いるのです。例えば日本とゆう国でも昔からフランス人形とかお姫様人形とか雛・ひな(祭り)人形とかその他色々とあつたし、現在もあるのです。人形類もどちらかとゆへば離れたところから段々と「身近なもの<存在>」となつて来ているようです。
尚本考案の出願にあたり、本品は考案者が出願日より約4カ月前から、既に実生活(日常生活)にて、本品を着用、実施、実行していることに(ついては)充分に留意しなければならない。その時点で(から)既に強力な(る)「知的所有権」が発生して居り、且つ又<それにより>保護されているのであります。
尚本品を着用<又は装備>する際の注意点(事項)としましては、背中にあるところ(担ぐ、背負う)の大き目の人形が場合によつては、横向きになつたり、ひっくり返えつたりする場合があるので包装してあるところの袋<中に人形が入つている>の両端(片端でも良い)<側のこと>を「固定」して使用、着用すれば良い。
(本出願はあくまで念の為)。
そして小さな子供が日頃広く愛用(常用)しているものに、あくまでリュツクサックに前もつて人形を型取ったものを「縫い付け」てあるものを背中に背負つているものなのです。リュツクサックに前もつて人形の型をしたものを縫い付けてある場合は、これらの人形類は親元のリュツクサックと運命を共にして、リュツクサックが汚れれば、同じく人形型も汚れてしまいます、つまりリュツクと一心同体なのであり、又は出っ張つている人形だけが先に汚れるばあいもあります。ところが本考案の人形は人形にリュックがつながつているだけだから、リュツクが汚れれば人形をリュツクから分離、取り外して、リュツクだけを洗濯をして、洗濯後にそのリュツクを再び人形にくっつければ良い訳なのです。従つて人形に透明なビニ−ル様のもので包装、ラップして包み込めば、親元のリュツクが汚れても中のにんぎょう<剥き出しで雨にたたかれるとどうしても汚れが速いのです>は汚れなくても済む訳なのです。そして大き目の人形にリュツクをくっつけると、「オイッ、オイッそんなことをすればリュツクの本来の持ち味<機能、意義、使命、役割>が無くなってしまうではないか」イイノ、それでもいいの、それでいいんだか、タダ、カッコ良く見えれば、その方がよっぽどいい訳なのであります<充分満足なこと>。持ち味が台無しになつてしまつたリュツクの運命とは例え話として、マンザイを二人で実演している場合、この二人が対等、平等、同格だと見ていても余りおもしろくないのです。二人のうちどちらかが「ボケ」役に徹するとこのマンザイは我然おもしろくなつて来るのであります。つまりこのボケ役は相手を「引き立たせる」役を負つていたのです。人形にくっついているところのリュツクはもはやこの人形の引き立て役に成り下がつており人形がより一層目立つように従的、補助的立場を維持しているのです。<落ちぶれるとも呼ぶことが出来ます>。そしてビニ−ル様のものでラップ人形は使い方にもよるが、大きく傷つかない限り、1年でも2年でも新品同様状態を保つことが出来るのです。やっぱり人形の場合(は)、見て楽しむ鑑賞用としての意味合いも強く<飾り物、飾品>、ジ−ンズ等と違つてうす汚れたものより(も)、ピッカピカの新品同然状態の方がいい〜っと云つた感じとなつて来るのです。本考案ではリュツクの着脱<付けたり外したりすること>は簡単であるところから(単に大き目の人形にリュツクをつなぎ合わせて<くくる、くっつける>いるだけだから)、実にさまざまそしてあらゆる、そして好きな、気に入つた人形を大げさに言へば、毎日取り替えることも可能なのです。日々色々なそして新鮮で溌溂にして異なつた感覚でフアッションを楽しむことが出来る<可能の意>のです。リュツクに縫い付けてある場合には(では)、このようなことは出来ないのです。本考案とは人形と云う物体とリュツクと云う物体をくっつけるところにあり、前もつてリュツクに縫いこんで出来上がつている一体化されて出来上がつている<製品化された、商品化された>物体とは全然その意味するところの内容とは違つているのです。人形にリュツクをくっつけることによりそれによつて人形の持つ特性(特質)、長所をそのままのかたちで、原形のまま維持、保護できるのです、当然リュツクに人形を縫い合わせて置くと、人形の(持つ)持ち味は半減してしまいます。
これまで子供用(向き)のキヤラクタ−人形グッズと呼ばれるものは、最初からリュツクに縫い付けてあるのが多くほとんどなのであり、又幼児用でも前もつて人形の「かたち」(この場合独立した正規の人形とは呼ばない)をしたものをリュツクに縫いこんでいる幼児用のリュツクは大きさも大人用の三分の一位以下であり、中に物を詰めて<入れて>運搬すると云つた「役目」からも開放されて居り、デコレ−ション的意味合いの強いリュツクのことなのであり、よつて制作費も材料費も安上がりでリュツク(本体)の値段も大人用の三分の一以下となり、成人向きに比して買い替えも容易となつている(のです)。従つて縫い込んであるところのリュツクは(本考案品のように分離して、袋でカバ−することが出来ない為)、<人形のかたちをしたものは>、汚れたり、濡れたり、(注意点、高層ビルの窓ガラスが雨にたたかれている内に次第に汚れ<曇ること>て来るのは、雨とか空気の中に混じつているほこりとか、チリとかゴミ類がこびり付くからなのです。理論的にはガラスが雨にたたかれれば、ピカピカにきれいに輝かなければならないのです、現実はその逆なのです)。傷ついたりするのが常なのでした。取り外しが出来ない為、袋で包むことが出来ないため、親元のリュツクサックと運命を共にして使つている内に汚れてしまうこと。
本考案では大き目の人形にリュツクを手作業で人為的にくっつけることが貴重な考案となつているのです。それでは本来のリュツクサック自体(本体)そのものが汚れてしまつた場合は果たしてどのようになつているのでしょうか?。リュツク本体は厚手のビニ−ル様のもので出来たのもあるが多くは布製のが多いのです。洗濯機を使つたクリ−ニング<家庭用>では、難かしい面も含まれて居り、そのような場合には(では)、水で濡らして表面に洗剤等を付けて、ブラシやタワシやハケ類等でやさしく傷つかないようにゴシゴシこすって洗うことも多いようです、新しく買い換える手もあります。そして人形を包んであるところの<カバ−のこと>ビニ−ル様の袋<主に透明>に金(色)とか銀その他着色したテ−プをテキト−に張ることによつても、独特な装飾を施す<かもしだす>ことも出来ます。又人形を包装してあるところの袋にはデコボコの絞り口が付いて居るので、これも着色テ−プでグルグル巻いてデコボコを平らにして、と同時にこれ自体色々な色が混じりあつて独自の装飾物ともなるのです。<しぼり口の位置が部分的なデコレ−ションとなるのです>。これまでにも述べているように、本考案(と)は、欠陥を改善すると云うよりはむしろ女の子に例えれば、ブスでも美人でもないが、平凡ではあるが(並みの子)、個性を引き出し、磨きを掛けて魅力を引き出せば、美人ではないが、あくまで美人に「見える」と云うことかも知れないのです。<付け足しのこと>。
そして現在のように不確定な時代では<不確定要素の多いこと>ぶかっこう、カッコ悪さこそが逆に「カッコ良く」見えることもあるのです<場合も多いこと>、何がはやるか分からない、と云う事なのであり、その昔、ヨレヨレのジ−ンズが大はやりするであろうと、一体誰が予測したで<出来たで>あろうか?(予想すること)。そして今日現在ではリュツクサックに小さ目の人形(大きさ約10cm位)を1個又は複数ブラ下げて<吊るすこと>いるのは一般化されたものとなつています。[リュツクの持つ本来の機能<役割のこと>を除外、消滅、阻害、邪魔、失速、減殺(軽減も含む)させない範囲内のこと]。広く使われていることなのであり、流行と云つてしまえばそれまでだが、一般には衣料(服)店、雑貨店その他の小売店では新品のリュツクサックが売られている場合、それら<そこでは>は、リュツク本体そのものが売られているのであり、小さな人形が吊るされた状態で<くっついたままで>売られていることはまずないところから(どこにもないこと)、ユ−ザ−は<自分>自身で買つたばかり、若しくは使つているリュツクに小さな人形を(安全ピンとかその他を買つて来て)手作業でくっつけて<取り付け>いるとしか思えない(見做されること)。そしてテレビなんかを良く見ていると、ニュ−ス報道の司会者<アナウンサ−>なんかを良く見ていると<特に女性の場合>、ほぼ、毎日のように服(それも最新モ−ドの)を替えているのである。つまり同じ服を着て出演することはないこと、良くもまあ〜、あんだけ飽きもせずに、熱心に服を替えられるもんだと、感心するのであるが、まぁ〜っ、衣替え(ころもがえ)をしなければ「マンネリ」に陥ると、ゆうことかも知れないのであります。同じように背中におんぶしている<ところの>大き目の人形も[本考案の成果によつて](その気になれば)毎日のように替える<取っ替えること>ことが出来るのであります。
(取っ替え、引っ替えと呼ぶこともあります)。そしてテレビはラジオと違って、視聴者の視覚<目>に訴えているから(画像のこと)、(良く目立つこと)、つまり音声だけなら(ば)、ラジオで充分間に合う訳なのです。そして女性アナは衣服と共により一層目立つように、ヘア−スタイルも服に合わせて毎日のように変えているのです。しかもなるたけ「ブス」よりも「美人」を起用しているのであります。又、美人ではなくても<ナゼか>人を惹き付ける<ような>ム−ド<フンイキ、魅カのこと>を持つている人ならば、キャスタ−に登板(又は登用)しているのであります。アノ手コノ手の工夫を凝らしているようです。そして又比較的に「ゆとり」、余裕のある方は、リュツクサックも色々なデザインそして当然(ながら)人形も色々なデザイン、タイプとを日々<日によつて>それぞれ毎日のように、色々(と)組み合わせをして着用(人形とリュツク)すると最高に傑作な(おもしろい)バラエティ−豊富なフアッションが出来上がります(楽しめます)。そしてフアッションを楽しむ場合<惜しみなく金を掛ける、注ぎ込むこと、人も居るが・・・。何も新品に「こだわる」必要もなく、リサイクルショツプへ行つて揃える(つまり安価につまり余り金を掛けずに)手もあります。又考案者の経験によると、どんなに新品を売つている商店を探しても、見当たらない<発見出来ない>「お目当て」の商品がリサイクルショツプとかフリ−マ−ケットなんかで偶然ひょつこりと出くわすこともあるのですが、只このような場合、その場で即決的に買わないと<購入のこと>、他の人に横取りされる公算も非常に大きいのです(難点のこと)<或る意味、掘り出しものと呼ばれるもの。昔はフリ−マ−ケットと云へば、その名の通り(に)、衣類でも古びた物が並んでいたのですが、今日(こんにち)では、物が豊富になつたせいか、新品同然のが「公然Jと並べられているんです。ただ、ニュ−ス報道番組なんかでは、女性キャスタ−なんかはナゼかと云うべきか「やはり」と云うべきか、「ド派手」な服装<コスチュ−ムのこと>は慎んでいるようである。
そもそも人形とは一体何んなのであろうか?。<存在意義及び目的>。[つまりヒトは一体何んの為に金を出してそれを買うのかと云うこと]。本来人形とは見て楽しむと云つた装飾、フアッション性と同時に主に子供達はそれ(人形)を手に持つて転がしたり、もてあそんだり、抱っこしたりとの遊具・玩具性(類)としての機能、両面意義とを持つているものです。その昔では人形と呼ばれるものは、陳列したりして見て楽しむ「飾り」としての意味合いが強かったのが、近年では(見て楽しむと同時に)それを持つて、もて遊ぶと云つた遊具、玩具としての意味合いが強くなつて来ています。[その背景には人形そのものの多様化、及び人々のニ−ズの変化等があります]。又経済の発展等から家内工業的なものから<機械化による>大量生産が可能となり安価に手に入るようになつたこと。これまで(は)或る意味、文化的、芸術的な要素も含んでいたものが、時代の進展に伴つて、一般化、大衆化、娯楽性を帯びてきたこと(必然性も含む)等があります。又人形の多様化と共に人々の「心の多様化」により心の持つ許容性も広がつてきたこと、つまり何んでも受け入れる余裕のこと。固定観念が打破されて来たこと、例えば(日本人の場合)頭髪<髪の毛>の着色つまり色々な色に染色すること、オトコでもピアスとかイヤリングを付けるようなこと、タトゥ−(入墨)もゴクドウの世界からシロウト素人衆に広がつて来たことなどがあります。ここでは人形の(持つ)「位置付け」に重点を置き「定義付け」は発明とカンケ−ないので省略します。そして又その昔(で)は、アロハ<シャツ>を着て勤務をすれば即クビになつたと云う事も挙げることが出来ます。
人形そのものは歴史と伝統を持つている不動の存在地位を保持しているので(は)あるが、今日現在では人形に代わる対抗勢力商品が続々と登場、出現して来ていること[例えばバル−ンショツプ、バル−ンア−トと云つたもの]、オモチャや玩具類等、遊具類、又種々のゲ−ム類等昔とは比較にならぬ程の商品として発展して来ているのです。I・Tからみやゲ−ム機器も含む。例えばパチンコひとつとつてもその昔では指で玉を弾いていたのです。<自動ではないこと>。それまでの子供達のハ−トを(人形が)独占、占有していたのが、子供達の興味と関心(と)は他の商品へと向かい始めたこと。パチンコも手ではじいていた頃に比べてめざましい進歩と発展を遂げていたのです。本考案の要点とは、人形(として)の単独な存在意義よりも、ここに来て、リュツク(サック)と人形とをドッキングさせて、色々組み合わせをする方が(これまでよりも・それまでよりも)、はるかにおもしろいし、フアッション性も飛躍的に高まつて、リュツクそのものの単独の存在意義及び人形そのものの単独の存在意義よりも[2つをプラスするのではなくて、掛け合わせること]想定外のニ−ズが生まれて来ると云うことなのであります。人形(小さい方)をリュツクサックの「付属物」としてではなくて、(大き目の人形を)<リュツクに対して>対等以上の立場に置く(立たせること)事によつて[つまりつなぎ合わせる、ドッキングさせることにより、つまり結果として掛け合わせることになること]、想像以上の、画期的な傑作が生まれて来ると云うことなのです。つまり要約するとフアッション・モ−ド界での新しい「境地・新しいモ−ド」を切り拓(ひら)くことになつて来るのであります。あくまでリュツクと人形とを掛け合わせること(つまりドッキングさせること)によつて新しい「風」を吹き込むことに成功したのです。[本考案の骨子とは]従来行こなわれているリュツクに小さい人形を吊るす<ブラ下げる>ところの、この小さい人形を「大型化」させることにより「人形にリュツクサックをくっつけるコトが可能となつた」とゆうことなのです、その結果足し算としての効果ではなく(て)、掛け算としての効果が生まれ発生したと云うことなのです。
「更に説明を加える」
リュツクサックのこんにち<今日>の大流行は、リュツクの持つぶかっこうなム−ドから、いっとき人々の前から姿を消したのであるが、時代の経過と共に再び盛り返したのは、リュツクの持つ必要性(特性)、ニ−ズが高まり、その必要性こそがぶかっこうな印象を制圧<ねじ伏せて>、圧倒ついに駆逐してしまい、逆にカッコ良さを生みだした為なのである。[ぶかっこうさが必要以上に強調され(て)、必要性<実用的、役立つこと>を追放したものが、逆に今度は実用性がぶかっこうさを屈服させて盛り返すこと]。従つて現在のリュツクサックは、その実用性が50%、フアッション性が50%位と云つたところかも知れない。つまり大まかには半々位なのである。それでは人形の場合は(一体)どうなのであろうか?。子供(達)が人形を抱っこしてそれを持つて遊んだトキ、果たしてこれは(行為のこと)生活に「役立つて」いるのであろうか?。ウ〜ン、これはなかなかに難かしい。このような場合に(で)は、人形を無くしてしまえぱその答えは出て来るのである。この世から人形がぜ〜んぶ無くなってしまつたトキ、人々の生活は(が)、特に困る、不便とはならない<のである>。(人々の)心<の中に>にポッカリと大きな穴が開いて、寂しさが付きまとうが、生活が困ると云った事はないし、起こらない。から、よつて人形の(持つ)実用性はゼロ。(なのでアル)。そしてこれらのことは、総じて一般の玩具<類>とか遊具類に当てはめることが出来るのであります。そして既存のリュツクに小さな人形をくっつけるのは、リュツクにフアッション性が加味され、つまりフアッション性を(カッコ良さ)生み出し、フアッション性が加わってつまりプラス(足すこと)されるのであります。
ところがである。本考案の<であるところの>大き目の人形にリュツクサックをくっつけるコトは、その効果、意義、存在理由、メリットが足し算ではなく(て)掛け算となり、飛躍的に成果が倍増されると云うこと(訳)なのであります。例えば4プラス5は9となる。ところが掛け算では4掛ける5は20となると云つた具合のことなのです。そのことに、いち早く気付いたことが<着目、発見したこと>、発明・考案と見做される訳なのです<値すること>。おさらいをすると、リュツクに小さな人形をくっつけた場合は単なる足し算なのであり[それだけの効果しか生み出すことが出来ないこと]。大き目の人形にリュツクをくっつけた場合は掛け算になつてしまうと云う事なのです、(リュツクと人形とを結合すること]。
ここにおもしろい例題としては、例えば浮き輪(袋)は遊具類としての固定観念が人々の頭の中にこびりついているのである<支配、定着していること>。従つて実生活には(何んの)役にも立たないと(人々は)考えるのである。ところがである、浮き輪は「ツナミ」がやつて来たとき<場合>大変に役立つと云つた重要な実用面(性)を持つていたのであります。結果として固定観念が常識が働くことを邪魔、阻害した訳なのです(少し考えれば、すぐ<にも>分かること、つまり常識感覚のマヒのこと)。つまり誰も全く気付かないこと。それでは一体ナゼ<くっつけることにより>足し算としての成果ではなく(て)、掛け算としての効果、成果が生まれて来るのであろうか?。この疑問及び問題とは難かしいと同時にやさしいことなのであり、要するに、単にくっつけるだけではそこには足し算しか生まれては来ない。ところが(しかるに)対等<以上>につなぎ合わせることにより、そこには「組み合わせの」利点、メリットが現われ出て来るからなのであります、発生して来ること。ここからはついでに(おまけの意も含む)フアッションについて簡単に述べて置きたい。 そもそもフアッションとは一体何なのであろうか?。
先ず
I フアッションとは人間の世界にのみ存在するものである。
2 人(オトコ、オンナ他)の全裸の状態では存在しないコト。
3 常に原則として動き(動)を伴つていること。
フアッションとは「人間世界の出来事なのでアル」。つまり機械の世界での出来事ではないこと。従つて精巧な「ロボット」に色々な服類を着せて<複数可>、街中をトコトコと歩かせても、これらはフアッションとは呼ばないし、呼べないのデアル。(ナゼならあくまでこれは「機械の世界の出来事だから」)。従つて、オトコ又はオンナの人間にスッポリと縫いぐるみを着せて<被せて>、街中を歩かせた場合は果たして(これを)フアッションと呼ぶことが出来るであろうか?。この場合「外から見て」<ぬいぐるみの中に>必ず人間が居る又は入つていることが外部から見て確認出来る場合<出来た場合>は、フアッションと呼べる<のである>。外から見て「どうも動き方から見て、<ぬいぐるみの中に>どうも人間<人>が入つているようだ、又は間違いない」(つまりロボットではないこと)と云つた場合、あくまで推測ではなく(て)、確認(証拠が揃うこと)出来る(た)範囲内でフアッションと呼ぶことが出来るのです。それでは人間の世界(で)の出来事で(は)あつても、例えばオトコと(又は)オンナの人間が全裸のスッポンポンで何も着用していない場合(に)はこれはどのようなポ−ズを取つて(いて)もフアッションとは呼ばないし、呼べない(のである)<存在しないこと>。これ(ら)は、ヌ−ディスト村のヌ−ディストと呼ぶのであります。それではアダムとイブの局所に葉っぱをご存知のように一枚くっつけた場合、果たしてこれは一体どのようになるのであろうか?。あくまで大まかには、そして原則的には、フアッションと呼ぶことも出来るのです(ナゼなら人間世界での出来事だからなのです)。それでは例えば日本と云う国のことで、そこにはセキトリ<スモウ取り>と呼ばれるレスラ−が居るのですが、彼等はすもうを取る時、マワシ<ふんどしとも呼ぶ>と呼ばれるものを腰の辺に巻くのであるが<それ以外は全裸のこと>、この場合も一応フアッションはかろうじて存在するのである、あります。それではレスリングのレスラ−と呼ばれる格闘家がパンツ一枚の姿の場合でも何んとかフアッションは存在するのである。同じように、人々が浜辺にて海水浴パンツそしてオンナの子の場合は水着と呼ぶ、一枚であるときは<でも>やはりフアッションは存在するのです。又ボディビュイルダ−が同じくパンツ一枚であつてもそして筋肉モリモリの色々なポ−ズを取つても、そこにはかすかにフアッションは存在するのです。そして又例えば若い<若くなくても良い>男女が、服を着たままやらし〜い、みだらな、ワイセツな行為をしている場合(俗にエッチとも呼ぶ>、一応そこにはフアッションは存在するのである。又上半身は服を付けたまま、下半身はスツポンポンの「丸出しの」裸で同じく卑猥な行為に没等、夢中のなつている時、この時でもフアッションは存在するのです。ところが時間が経つと着ている<ところの>服をかなぐり捨ててスッポンポンの丸裸になつて、これらの2人が<2人でなくとも良い>なお且つ、激しく熱中してそれらの「行為」を続行している場合<俗には性的行為のこと>、そこにはこの時点でフアッションはなくなり、消滅してしまつたのでありました。
又、オリンピックの水泳選手やプロと呼ばれる<ところの>ボクサ−は仕事中はパンツ一丁なのです。そしてセキトリ衆の「マワシ」も時代に合わせてカラフルとなつて来ているのです。昔は白一色だつたのです。それでは犬とか猫とかのペットと呼ばれるところの、愛玩動物の場合は一体どうなるのであろうか?。ワンちやんに色々な服(及び他の飾り類を付けて)を着せて公園内を歩かせる(散歩)。これらを果たしてフアッションと呼ぶことが出来るのであろうか?。これらはあくまで猫ちやんとかワンちやん(達)の「資格」によつて異なつて来るのでアル。つまり例えば犬が全く家族同様の扱いを受け、外部から見てこれは明きらかに家族の一員であると見做される場合<人間待遇を受け(得て)、その地位を確保している場合>、に於いてはワンちやんの(世界での)フアッションと呼ぶことも出来るのであります。但し書きを付けてワンちやんフアッションと呼び区別した方が良いかもしれないのです。家族の一員としての資格を取得していること、つまり外見、見た目、見かけは犬、猫なのであり、中味は人間<又は人間と同じ>ことなのであり、姿、かたちが人間ではなくて犬そのもの又は猫そのものを意味すること。外見とは別として人格を持ち人間と同等、同格と見做されること。このような場合に(で)は、ワンちやんスタイル、猫ちやんスタイルとして色々な衣類を着衣させると、ワンちやん(の)フアッション、猫ちやんフアッションと呼ぶことも出来る、呼んでも構わない、出来ないことはない、つまりあくまで単なる「呼称」のことなのであります。それではノラ猫とかノラ犬をどこかから拾つて来て、これらに色々な服を着せた場合(装飾品も含む)、着せて道路なんかを歩かせた場合(は)、果たして何んと呼べば良いのであろうか?。この場合で(に)は、飼い主が見当たらないところから、ペツトと呼ぶことも難かしく、そしてかれらは人間待遇を受けているとは見做されないので、このようなことはあくまで、純粋な「動物の世界での出来」となつて来るのであります。例えば馬とか牛とかブタに何等かの衣類のようなものを着付けることと同じであり厳密にはフアッションとは呼ぶことは出来ない。それでは野生の馬とか牛と家畜と呼ばれる(ところの)馬とか牛とはこの場合どこがどのように違うのであろうか?。云う迄もなく家畜と呼ばれるものはペット(類)とは本質的に異なつて居り。野生の緒動物<馬や牛この場合>と違つて飼い主が居るには居るのであるが、フアッションとは縁もゆかりもなく(て)、あくまで食肉目当てなのであり、従つて人間待遇とはペット類と根本的に違い、一切与えられないところからフアッションとは無縁な遠い動物の世界でのできごととなつてくるのでありました。人間世界からは遠くかけ離れた<或る意味夢の中での>出来事、世界となつて来るのであります。それでは、事故、災害、病気、殺人事件及びその他で、生きた人間が死んでしまつた場合は一体どうなのであろうか?。つまり死人(死体)に色々な衣類を着付けした場合(に)は、果たして一体どういう事になるのであろうか?。いわゆる死体と呼ばれるものに色々な服とか飾り(類)を着用した場合、これらをフアッションと呼ぶことが出来るのであろうか出来ないのであろうか?。生きた人間が死んでしまつた「元人間」はもはや人間ではなく(て)、単なる物体にしか過ぎないから、そこにはフアッションは存在(は)せずに、物体に(を)どのように着飾つてもフアッションとはならないのであります。[俗に死に装束とか死に化粧とも呼ばれるものなのであります]。それでは絵(画)の写生の「モデル」のように<服を着ていても>、生きている人間ではあっても、静止したままの状態では[静止衛星にように]フアッションとは呼べないし、呼びにくいのであります。ナゼかは人間で(は)あつても物又は物体に段々と近くなつて来るからなのです<物又は物体の世界での出来事に近くなること>。そして俗に機械(類)と呼ばれるものは一見、勝手に動いているようにあくまで見えるのではあるが、(実は)これらはその全ては人間が「意図的に」動かしているだけのお話なのであります。自力で意志的に動くことの(が)出来るのは人間を含めて生物以外にはないのです。フアッションには常に「動き」つまり動を伴わなければフアッション性は生まれては来ないのあります。それではリュツクとか人形(類)が実に色々、さまざまな種類、フイギュア−のリュツクとか人形(類)<とか>が、店先にところ狭しとばかりに並べられて販売されている場合、これらはフアッションとは呼ばないし呼べないし、これらは只単に商品の「陳列」にしか過ぎないのであります。(生きた人間がそれらを着用しなければフアッションとはならないこと]。
そして、例えば、一流の映画大女優とか同じく一流のフアッション・ショ−モデルとかは、着衣するコスチュ−ム、衣服類等は、その全ては「他人まかせ」つまり自分でこしらえたものではなく(て)、専門職(人)の、仕立て屋、テ−ラ−、縫製師、デザイナ−等が作つたものを如何にウマく着こなしているともゆへるのであり、又私達の日常生活(内)でも着用する衣類等(付属品ともゆへる帽子なのも含めて)、は自分でこしらえたものではなく(て)、店先等で売られているところの、人間が作つたもの、又は機械が作つたものを買つて来て「着る」と云うことなのであり、自身で(が)ミシンをガチャガチャ云わせて、こしらえたものではないのです。フツ−には機械と人間とが半々で出来たものも多いのです。従つてフアッションとはあくまで自分(自己)中心・本位なのではありますがその源流とは、如何に自分に合わせるか、自分の個性に合つたもの等を、いかにウマく着こなすかが最大の焦点でもあり、且つ又フアッション語意の源泉ともゆへるのかも知れません。
尚リュツクと人形(と)をドッキング(取り付け)させるのには、ひも類等でくくつたり、結んだりして、つなぐ、しばり付けたりするのとは別に(して)、ワンタッチで<方式で>着脱出来る、留め金類とか、器具・用具類等もあります。
いかに自分自身を「表現」出来るか
個性の輝きと共に
コ−ディネ−タ−からのアドバイスを取り入れ(て)
(正面図) (横図)<側面図>
符合の説明
ァ しぼり口 ィ 取っ手
B リュックサック
A クマちやん人形(この場合透明なセロファン・ビニ−ル等で人形を包装してある)<色々な人形から今回はクマちやん人形とした>

Claims (1)

  1. 透明なビニール様のもので人形(大きさ約20cmから40cm前後その他有り)を包装したもの(別に包装しなくて生・つまりナマ又は剥き出しのままでもよい)をリュツクサックに装着若しくはくっつけ<付加、接合、合体、つなぐ、取り付ける、結びつける、ドッキングさせたもの>ることにより、人形の持つ良さや持ち味がより際立ち全面へと出て来るものとなつています。 取っ手の所につなぎ合わせても良い
    大き目の人形に運搬手段としてのリュツクサックをくっつける(つなぎ合わせる)ことにより、バラエティ−に富んだファッションを楽しむことが出来る。
    そして又、大き目の人形をビニール様の袋で包むと、どうしてもデコボコの「しぼり口」が出来て来る<出来る、出来てしまう>のですが、そのしぼり口の所をカラフルなテ−プでグルグル巻く(巻きにする)と云うこととは、それ(そこ)自体が人形とは独立(分離)した独自でカラフルな装飾物となるのでありますが、と同時にこれらの袋が雨にたたかれると、どうしてもそのしぼり口から雨水が袋の内部(人形のあるところ)にしみ込んでまいります。その結果中の人形が雨水に濡れてしまいます、のを防ぐ重要な意味と役目とを持つているのでございます。
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